谷津矢車『曽呂利! 秀吉を手玉に取った男』 「善」に抗する者の名
デビュー以来、ほとんど同じジャンルはないと言いたくなるほどバラエティに富んだ作品を発表してきた作者による本作は、タイトルから察せられるとおり、頓知で知られる曽呂利新左衛門を主人公とした物語。しかしこれまでの作者の作品とは少々異なるベクトルでひねりの入った、何とも奇怪な作品です。
曽呂利新左衛門といえば、天下統一を成し遂げた頃の豊臣秀吉に御伽衆の一人。元は鞘師の出身で、作った鞘に刀を収めれば「そろり」と音も立てずに入ったことから曽呂利とも言われる人物であります。
その才能は多岐にわたり、茶道や香道、和歌に通じていたとのことですが、何よりも優れていたのはそのユーモアに満ちた話術であり、晩年の気難しくなった秀吉と変わらず接することができたというだけでも、その腕の冴えが感じられます。
もっともこれはあくまでも伝説に近いもの、何よりも彼の名が広まったのは講談の中で、機知に満ちたやりとりで権威権力を笑い飛ばす姿が、大衆の心を掴んだゆえと言えるでしょう。(私が以前読んだ講談本では、イヤミな権威主義の千利休をコテンコテンにやっつける役回りでした)
さて、本作の曽呂利もまた、その曽呂利像から大きく変わるものではありません。いわば道化として自分を含めて周囲を笑い飛ばしながらも、時にヒヤリとさせるほど鋭い冴えを見せて(あくまでも自分は道化のままで)権力者を振り回し、やりこめてみせる……そんな曽呂利像が、お馴染みの逸話や人物とともに語られていくこととなります。
……表面上は。
本作の曽呂利は、しかし道化の仮面の下に、悪魔の素顔を隠しているようにも感じられる人物。
あくまでも本人は瓢げた言動を繰り返す中で、彼の、いや秀吉の周囲の人物――蜂須賀小六、千利休、石川五右衛門、豊臣秀次、石田三成らは、一歩一歩破滅へと歩んでいくのであります。
彼らにしてみれば、それは、あくまでも自分たち自身の意志で行動していたものが、ふとした掛け違いがもとで思わぬ方向に進んでいったものであります。表面上は、曽呂利は彼らの周囲で普段通りに振る舞っているに過ぎません。
しかし……冒頭と終盤に至るまで、ほとんど全くその心中を明かさずに語られる物語の中で、曽呂利は不気味な存在感を膨らませていくのであります。
そしてそれと共に確実に傾き、奈落へと向かっていくのは、彼の仕える主たる豊臣秀吉自身の運命。
晩年の秀吉が、それまでの英雄児ぶりとは打って変わった老醜を晒したのは歴史の示すところではありますが、あるいは彼の周囲にそれを止める、あるいは中和する人物がいれば、その後の歴史は全く変わったものとなっていたのではありますまいか。
そして本作は中盤辺りから、石田三成と彼に密偵として仕える策伝(笑話集『醒睡笑』の編者であり、時に曽呂利と同一人物視される人物)が、豊臣家を崩壊に向かわせる犯人――いわば獅子身中の虫なのかを探る展開となっていきます。
もちろん、その第一容疑者が曽呂利であることは間違いありませんが、しかしそれは彼自身の意志なのか。背後にさらに何者かが存在するのではないか。そして、獅子身中の虫の真の意図とは何なのか。二転三転する中でついに語られた曽呂利の真意とは……
その真意は、あるいは曽呂利の出自を考えれば、ある程度までは想像できるものかもしれません。しかしその想いを支えたもの、そして何よりも、その想いを生み出したものの存在を考えれば、粛然とした想いを抱かざるを得ません。
戦国という、誰もが明日の命の保証すらない時代。その殺伐とした時代を終え、多くの人々が平和に暮らせる泰平の世をもたらす――それは「善」と言うべき行いでしょう。
しかしその「善」に代償があるとすれば、その代償を背負わされる者がいたとすれば。それに抗することは何と呼ぶべきでしょうか……?
本作で描かれるのは、そんな善悪を超えた(あるいはその手前にある)問いかけであり……そして半ば必然的に、その答えは万人を納得させるものではなく、我々の心の中に小さな棘を残すのです。
もちろんそれは、作者の計算の上のもの。
そして、そのやり切れなさに、ついにそれを仕掛けた者自身が取り込まれる結末には、何とも言えぬもの悲しさと……同時に、どこか不思議な安堵感を与えられるのであります。
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