« 黒乃奈々絵『PEACE MAKER鐵』第9巻 数々の新事実、そして去りゆくあの男 | トップページ | 『仮面の忍者赤影』 第4話「怪奇忍び屋敷」 »

2015.10.22

篠原景『春は遠く 柏屋藍治郎密か話』 「生きにくさ」を抱きしめて

 女物の衣装に身を包み、「先を見る」力を持つという触れ込みの若旦那・藍治郎が出会う様々な人間模様を描く『柏屋藍治郎密か話』の第二弾であります。今回藍治郎と、彼に仕える手代の仙助が出会うのは、鬼を見たという少年・文吉。複雑な事情を背負って生きる文吉に対し、藍治郎は何を語るのか……

 大手薬種問屋・柏屋の次男坊という気楽な身分から、店で働きもせず、家の離れで仙助と共に暮らす藍治郎。純粋に美しいから、という理由で女物の着物をまとい、暢気に暮らす藍治郎の隠れた稼業は、占い――
 先、すなわち未来を見る力を持つという彼は、商家の旦那衆を相手に、彼らの悩みに対して未来を見て答えるという稼業を営んでいたのであります、

 実は彼が本当に持っているのは相手の心の中を読む力であり、未来を見ることができるというのは偽り。
 しかし相手の心を読んでその悩み・欲求を知り、機転を利かせてそれに答えることで、彼は一種のコンサルタントともカウンセラーとも言うべき役割を果たしている……というのが本シリーズの基本設定であります。

 さて、そんな藍治郎の前に現れたのは、茶問屋の大店・矢内屋の主人・久右衛門。彼の力に疑いを抱いているらしい久右衛門を、冷や汗をかきつつも納得させた藍治郎は、その際に覗いた彼の家族の一人に興味を抱きます。
 それは久右衛門の後妻・お鶴の姉の子・文吉……とある大店の主の囲われ者だった母を亡くし、叔母のお鶴を頼って矢内屋に引き取られた文吉は、店で小僧として働いていたのであります。

 その育ち故か、人の気持ちを良く読み、頭の良い少年であるものの、しかしそれ故に主人の久右衛門との間に微妙な溝が生まれている文吉。
 そんな彼が、「鬼を見た」と店を飛び出してきたのに出会った藍治郎は、彼を自分の離れに引き取ることに決めるのですが……


 相手の心が読めるという設定を生かしつつも、決して派手な展開を描くのではなく、人の心の中の微妙な襞を巡る物語を、静かに、丹念に描いていく本シリーズ。
 本作において描かれるのは、文吉と久右衛門、お鶴を中心とする、矢内屋の人々の心であります。

 表面上は万事うまくいっているように見える家庭/店の内。しかしそこに暮らす各人の中には、思わぬ心の綾が……
 と書いてしまうと、どうもドロドロした物語を想像されてしまうかもしれませんが、本作で描かれるのは、あくまでも、波風とまではいかない人の心の微妙な機微であります。

 相手を憎んだり嫌ったりするほどではなくとも、どこかやりにくい、苦手だと感じることは、誰にでも経験があるでしょう。
 本作で、本シリーズで描かれるのは、そんな誰もが抱える微妙な想いに代表される「生きにくさ」ともいうべき感情なのです。

 「もう生きられない」というような想いではなく、決して人生に(少なくとも即座には)破綻を来させるようなものでもないものの、しかし日々の生活を息苦しくさせるその感情。
 それは簡単に表に出るものではないが故に、かえって人の心を悩ませ、苦しませるものとなります。

 藍治郎が「占い」を通じて行うのは、そんな想いを時になだめ、時に発散させ、時に気付かせること。そして何よりも、その想いが人間にとってごく自然に抱くものであることを、本人に気付かせること……それであります。

 そしてそんな物語は、時に苦く、もの悲しいものともなり得ます。しかしそれ以上に、その物語は、どこまでも優しい――決して甘くはないものの――ものとなります。
 それこそが本作の、本シリーズの魅力であり……そしてそれは作者のデビュー作である時代ホラーの佳品『柳うら屋奇々怪々譚』から通底する作者の作品の魅力でありましょう。


 もっとも、前作におけるゲストヒロインの性癖のように、もう少し物語(の展開)にパンチを効かせていてもよいかとは思いますが――もちろんクライマックスのある事件がそれなのだと理解しつつも――これは個人の趣味の域でしょう。

 結末に至り、物語の見え方に変化が生じるというひねりも気持ちよく、春はまだ遠くとも、人の心に咲く美しい花を見せてくれた本作は、やはりどこまでも好もしく感じられるのであります。


『春は遠く 柏屋藍治郎密か話』(篠原景 角川春樹事務所時代小説文庫) Amazon
春は遠く―柏屋藍治郎密か話 (時代小説文庫)


関連記事
 「夜風から、夢 柏屋藍治郎密か話」 人の歪みへの優しき眼差し

|

« 黒乃奈々絵『PEACE MAKER鐵』第9巻 数々の新事実、そして去りゆくあの男 | トップページ | 『仮面の忍者赤影』 第4話「怪奇忍び屋敷」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/13655/62502218

この記事へのトラックバック一覧です: 篠原景『春は遠く 柏屋藍治郎密か話』 「生きにくさ」を抱きしめて:

« 黒乃奈々絵『PEACE MAKER鐵』第9巻 数々の新事実、そして去りゆくあの男 | トップページ | 『仮面の忍者赤影』 第4話「怪奇忍び屋敷」 »