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2015.11.26

町井登志夫『倭国本土決戦 諸葛孔明対卑弥呼』(その二) 卑弥呼の国、孔明の国

 伝説の奇書『諸葛孔明対卑弥呼』の13年ぶりの続編の紹介の後編であります。北伐を巡る大陸での戦いを描いた前半と、タイトル通り倭国での決戦を描く後半とに分かれる本作。私は後半にこそ、本作の、本シリーズの真の狙いがあると感じられるのですが、それは――

 本作が、本シリーズが狙うもの、それは当時の倭国の姿を描き出すことと、そしてそれを通じて孔明と卑弥呼、それぞれの立場の違いを明確に浮き彫りにすること、ではありますまいか。

 本作の後半の舞台であり、そして前作でも多くを費やして描かれた3世紀の倭国……本作で描かれるそれは、大陸・半島から流れてきた漢人や韓国人、土着の縄文人、そしてそれらの混血の人々が入り乱れる、文化と人種の坩堝とも言うべき世界です。

 邪馬台国は混血の(より正確に言えば出自を問わない)人々の国、奴国は漢人が創った漢人が支配層の国、そして狗奴国は倭国の土着の民の国――そう、本作の後半は、国の争いを描くと同時に、民族の争いでもあるのです。
 いや、その表現は正確ではないかもしれません。奴国と狗奴国が、あくまでも(支配層における)民族の純血性を重んじる――その中で土着民との混血である難升米が存在するのが、また物語にひねりと深みを加えているのですが――のに対し、邪馬台国はそれをほぼ無視する……いや、それどころか、混血をより推し進めようとするのですから。

 ここで物語とそこで描かれる戦いは、もう一つの側面を見せることとなります。それは混沌か秩序か、いや多様性か単一性かという選択――卑弥呼の邪馬台国が前者である一方で、孔明は、後者を求めて国を造り、守り、広げようというのです。
(そしてそれこそが、単なる卑弥呼への復讐心や対抗心ではなく、孔明が海を越えてきた真の理由となっているのにまた痺れるのですが)

 大陸に比べれば小さな国だからこそ、多様性を内に秘めたままで一つの国家たり得る。大陸に比べれば小さな国だからこそ、単一性を保ったままで一つの国家たり得る。
 卑弥呼のそれと孔明のそれは、全く相反する矛盾しながらも、しかし共に倭国の地学的特性を踏まえた国家観であります。

 そのどちらが正しいのか、という答えはここでは記しませんが、本作においては、卑弥呼が何故このような思想に至ったのか――そして他の人物では何故至らなかったのか――その点について、極めて明確かつロジカルに描かれているのには、ただ唸らされるばかりです。

 そして、そこから、邪馬台国の位置が何故いまだに不明であるかにまで切り込み、さらにラスト2行で卑弥呼の勝利を――それは単に孔明に対してのものではなく――高らかに謳ってみせた本作。
 やはり前作同様、そのあまりにキャッチーな題材・タイトルとは裏腹の骨太の物語であると感じ入った次第です。


 その一方で、前作ラストの孔明の○○○○○○並みの大ネタが欲しかった……と台無しなことを考えてしまうのも、また正直な気持ちではあるのですが。


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