ちさかあや『豊饒のヒダルガミ』第2巻 彼らの過去の先に見えるもの
天保の飢饉を背景に、「ヒダルガミ」と呼ばれる餓鬼を喰らう男・トゼと、神の贄に選ばれた少年・ゼン、この世ならざるものを見ることができる少女・ミキの旅を描く『豊穣のヒダルガミ』の第2巻であります。今日もあてどない旅が続く中、トゼとゼンの過去の一端が語られることに……
各地で数年に渡り凶作と飢饉が続いた天保の飢饉。その底なしの飢えから生まれた「餓鬼」が跳梁し、さらなる飢えをもたらす世界を舞台とした本作。第1巻では、謎めいたトゼとゼンに出会ったミキが彼らとともに旅立ち、餓鬼や姥捨て、水子といった、人の世が生み出した負の部分に出会う姿が描かれました。
この第2巻においてもその地獄旅は変わりませんが、いささか趣が変わるのは、トゼとゼン、それぞれの過去の姿が大なり小なりと描かれることでしょう。
「ヒダルガミ」――道行く人に憑き、強烈な飢餓感と疲労感で相手を取り殺すという憑き神と呼ばれるトゼ。
彼がいるだけで周囲に飢えがばら撒かれていく(要するに余計に腹が減っていく)彼は、確かにその名にふさわしい存在と感じられますが……しかし、この巻においては真の「ヒダルガミ」が登場いたします。
真の「ヒダルガミ」が(伝承に言われるような)餓死者の怨霊である一方で、あくまでも生身の人間であったトゼ。しかし餓鬼たちを喰らうと同時に周囲に豊穣を与える彼が――そしてこの世の食物を口に出来ぬ彼が、ただの人間であるはずもありません。
果たして彼は何者なのか、何が彼をして「ヒダルガミ」としたのか? この巻で断片的に描かれる彼の過去は、おぞましくも悲しいものでありますが……
そして神に仕える者のようにトゼに付き従いながらも、しかしその言動は容赦のないゼン。首に水子を惹きつけるという刺青を持つ彼にもまた、悲しくも重い過去があります。
トゼ(彼の場合はまだほのめかされる段階ですが)とゼン、二人に共通するのは、周囲が生きるために自らの生を否定され、そして自らの生を掴むために周囲の生を否定せざるを得なかった過去であります。
それをエゴと言うは容易いことではありますが、しかし己がその立場に立ったとき、如何にすべきか……それはもちろん、簡単に答えが出る問題ではありますまい。
あるいは、己を犠牲にしても他者を生かそうとしても、その想いが裏切られ、そして自らの想いすらがねじ曲げられるかもしれません(この巻に収録された「食わぬ庄屋ノ唄」は、その無惨な皮肉を描いた好編であります)。
極端に単純化して言えば、本作で描かれる地獄絵図は、飢饉という極限状況において、己と他者、どちらを優先するかという――そしてどちらを選んだとしても心身に深い傷を残す――選択が生み出したものでありましょう。
そんな本作に救いがあるとすれば、その選択をやり直す、あるいはその選択を全うさせることなのかもしれません。
第1巻の紹介の際には、本作の向かうべき物語の広がりが見えないと申し上げました。
しかし今回、トゼの過去の一端が描かれたことで、その向かうべき先が見えてきたのではないか……そう感じます。
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