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2015.12.02

辻原登『花はさくら木』 人を真に動かすものは

 辻原登が、若き日の田沼意次をはじめ、武士・商人・文化人・皇族と様々な人々を配置して描く、何とも胸躍る物語であります。ジャンルとしては時代伝奇であり冒険活劇と言えるかもしれませんが、さてあらすじをまとめようと考えると、なかなかに難しい――そんなユニークで魅力的な作品です。

 十代将軍家治の頃、幕府と豪商・鴻池家が手を組み、新たな金融秩序を作り出すという一大改革に着手せんとしていた御側御用取次・田沼意次。
 しかしそのために障害となるのが、鴻池と手を組み、抜け荷で莫大な富を蓄える海運業者・北風組。田沼から密命を帯びて京に向かった腹心の青年武士・青木は、北風家の娘・菊姫に接近しますが、瞬く間に相思相愛の間柄となってしまいます。

 一方、その菊姫の親友である智子内親王の母・青綺門院は、難題を抱えて苦しんでいる真っ最中。当時京の朝廷では桃園天皇が病篤く、次を担うはずの皇子が幼少であったことから、院はある策を胸に抱いていたのですが、その実現には問題が山積していたのであります。

 それぞれに問題を抱える中、想いもよらぬ形で関わり合うことになる幕府と朝廷。それは菊姫と智子内親王をも巻き込み、さらには遙かな過去の因縁を、そして海の向こうの国をも巻き込んだ事件に発展していくこととなるのでありました。
 果たして意次と青綺門院、それぞれの策は実るのか。青井と菊姫の恋の行方は。謎の武術を操る北風組の企みとは何か。そして智子の運命は――


 と、江戸時代後期を舞台に展開する波瀾万丈にして豪華絢爛な物語である本作。
 あの田沼意次が、進取の気象に富み、風雅と人情を解する好人物として描かれるのも面白いですが、(現時点で)最後の女性天皇・後桜町天皇となる智子内親王が、物語の中心となるのも実に興味深い趣向であります。

 そして二人をはじめとする登場人物たちが巻き込まれる事件も、あれよあれよという間に予想外の方向にスケールアップ。時代伝奇ものとして読んでも非常に楽しい(特にある人物の出自には仰天!)作品であります。

 しかしそうした趣向がある一方で、本作から受けるのは、むしろどこまでも暖かく柔らかく、そして明るい印象であります。

 もちろん、田沼一派と北風組の対峙は、時に刀を抜いて死命を決するほどのものでありますし、そして物語の背景となる政の世界も、決して綺麗事ではすまないものであることは言うまでもありません。
 それでもなお、本作からポジティブな印象を受けるのは、物語の中心に位置する二人の姫君、誰もが笑顔で接したくなる若やいだ明るい個性の二人の存在があることが一つにありましょう。

 そしてもう一つは、物語を彩るのが、当時の華やかな町人文化であることでしょう。
 実にこの時代の京・大坂は、絵画に俳諧、茶道に戯作と様々な文化が花開いた時代。本作にも、池大雅、丸山応挙、伊藤若冲、与謝蕪村、上田秋成といった、当時の京・大坂の文化人たちがこぞって登場し、物語をにぎやかに彩ってくれるのです。

 そしてその彩りもまた、本作の重要な要素ではないでしょうか。
 人の世界は、政だけでも、商いだけでも動かない――人を真に動かすのは、端から見れば不合理にも感じられるかもしれない人の情であり、その現れが文化・芸術であると、本作は語りかけているように感じられます。

 物語の終盤、意次は、まもなく外の世界と触れることのなくなる智子を連れ、ローマの休日よろしく(もちろん、あちらに比べるとお供は控えているのですが)大坂の町をそぞろ歩き、その文化を味わう場面があります。
 この場面が実に美しく感じられるのは、やがて政と聖という全く異なる世界に分かれていく二人だからということもありますが、人々の間の情というものが、そこ最も良く現れているからではないか……そう感じます。
(そしてそれは、結末の智子のある述懐でさらに痛切に胸を打つのです)


 優れているものの喩えとして、花は桜木、人は武士と申します。本当にそうなのか。人は皆、素晴らしいものを胸に秘めているのではないか……そんなことまで考えさせる明るい魅力に満ちた本作。
 花は桜木、人は人……そう考えてしまうのは、些かロマンチックに過ぎましょうか?


『花はさくら木』(辻原登 朝日文庫) Amazon
花はさくら木 (朝日文庫)

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