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2016.03.04

武内涼『妖草師 魔性納言』(その二) 人の自然と自然の美を愛して

 武内涼の『妖草師』シリーズ第三弾の紹介の続きであります。本作の、本シリーズのもう一つ大きな特長、それは……

 それは、絵画・俳句・読本……様々なジャンルで活躍する文化人たちの登場であります。シリーズのレギュラーである曾我蕭白、池大雅のほか、これまで伊藤若冲、与謝蕪村、平賀源内といった様々な文化人たちが、本シリーズには登場し、物語を賑わわせてきました(しかし彼らの登場の意味は、決して賑やかしだけではないのですが……それは後述)。

 昨日に述べたとおり、そんな文化人の一人として、本作では上田秋成が登場いたします。
 確かに(作中でも言及されるように)彼は怪異の世界を愛し、文学として遺した人物。その点からすれば、本作のように妖異な戦いの世界に登場するのは、あるいは不思議ではないかもしれません。

 しかしそれだけに留まらないのが、本作の見事な点でありましょう。なぜなら、秋成には、読本作家だけではない顔があるのですから。
 それは国学者としての顔――後に本居宣長と論争を行い、その急進的な思想を批判した彼の立場は、本作においても一種独特の合理性を以て、国学によってこの国の在り方を読み替えようとした竹内式部の思想と対立するものとして描かれているのであります。

 そしてこの両者の対比は、実は本作の随所で描かれる――作者が本作の一つ前に発表した『吉野太平記』ほどダイレクトではないものの――この国におけるノーブレスオブリージュの在り方、望ましき社会の在り方に重なってきます。
 為政者は如何なる態度で臨むべきか、いや、の社会は如何なる形であるべきか……こう書いてしまうと非常に重たく感じられるかもしれません。しかし重奈雄や椿、秋成ら登場人物たちの言葉を通じて語られるそれは、決して難解なものではなく、今の我々にもスムーズに受け入れられるものであります。

 それはすなわち、人の自然を愛し、その人の、自然の美を愛すること――
 この想いはそのまま、人の負の心性から生まれた常世の妖草に対し、人の美しいものを愛し求める心、そしてその表れである文化を対置して描いてきた(そしてそれこそが本作において様々な文化人たちが登場してきた所以でありましょう)本シリーズの構造に重なり合うのです。


 昨日の冒頭で触れた『この時代小説がすごい! 2016年版』等の記述を見るに、本シリーズはこの『魔性納言』において完結の模様であります。
 確かに本作は質量ともにシリーズの締めくくりに相応しい作品であり、結末も実に美しくまとまっているのですが……しかしやはり惜しい、という想いは強くあります。

 人が人である限り、この先も妖草はこの世に姿を現し、人に害を為すことでしょう。そしてそれを利用せんとする者も絶えることはありますまい。
 しかし、それに対して抗する者がいる。人の、人の世の美しさを信じる者がいる……それは今のような時代にあって、何よりも心強く我々を励ましてくれることであるのですから。

 本作の中で語られざる事件が仄めかされていることもあり、どのような形もいい、まだまだこの世界を描いて欲しい……そう感じる次第です。


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魔性納言: 妖草師 (徳間時代小説文庫)


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