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2016.03.19

松本清張『かげろう絵図』下巻 悪役とヒーローの瞳が見つめたもの

 大御所・徳川家斉の死が目前に迫る中、江戸城内で繰り広げられる熾烈な権力闘争と、その闇を暴くための奮闘を描く『かげろう絵図』の下巻であります。中野石翁一派と脇坂淡路守一派の暗闘は熾烈が極める中、ヒーローたる島田新之助は、そして悪役たる中野石翁は……

 養女が家斉の側室・お美代の方となったことから、家斉の存在を背景に、隠然たる……いや公然たる権力者として中野石翁が君臨する時代。
 その家斉が病に倒れ、命旦夕に迫る状態となったことから、石翁一派は、ある陰謀に着手します。

 そんな石翁一派の不穏な動きを察知した硬骨の寺社奉行・脇坂淡路守は、江戸城西之丸派――将軍家慶を支える水野忠邦と結び、石翁一派を除くべく密かに動き出すのですが……そのいわば尖兵となったのが、登美の名で大奥に潜入した娘・縫。
 淡路守を支える旗本・島田又左衛門によって大奥に送り込まれた彼女は、ある事件をきっかけにお美代の方一派の信を得て、大奥の乱倫の証拠を掴むべく、危険な探索を続けます。

 一方、又左衛門の甥で自由児の新之助は、叔父や登美の行動を危ぶみつつも、持ち前の義侠心と好奇心から、彼らの行動を助け、石翁一派と様々な形で渡りあうことに。
 さらに、そんな両派の間で蠢く人々の思わぬ動きにより、事態はいよいよ混迷を深めていくのであります。


 さて、下巻に至り、その暗闘はさらにヒートアップ。江戸城内(大奥)と市井を結んで物語が展開していく構造は変わりませんが、敵味方を問わず犠牲者が続発する展開は、決して扇情的な文章でないだけに、より衝撃的に感じられます。
 特に、『日本の黒い霧』ならぬ「江戸の白い霧」の中であの人物が失踪するくだりは、その過程と結末の何とも言えぬ不気味さが後を引くとともに、ある種のリンクに驚かされたところです。
(もっともこの辺りは史実と全く異なるわけで、ある意味飛び道具ではありますが……)
 しかし、そんな物語も結末を迎え、大きく印象を変えることとなります。両派の決着がいかなるものであったか――それは史実と大きく異なるものではありませんのでここで詳しくは述べませんが、その決着を迎えて、二人の登場人物の視点が、強く印象に残るのです。
 それは中野石翁と島田新之助――本作を通じての悪役とヒーローの二人であります。


 己の栄華の幕引きをむしろ潔いとすら言える形で行い、サバサバと去って行く石翁と、やってきた新たな時代にも一歩引いた形で世相を眺める新之助と――
 実にメインキャストの大半が、結末を迎えてその運命を大きく変じ、そしてその運命に没入していくのに対し、この二人は、どこか引いた目で彼らを、自分たちを見つめるのです。

 実在の人物でありつつも徹底した悪役ぶりを見せつけた石翁と、本作のために描かれたキャラクターであり、作中でほとんど唯一、「普通の」時代劇ヒーロー的な活躍を見せた新之助。
 この二人に共通するのは、どちらもフィクションの中でこそ存在し得るキャラクターであることではありますまいか。そして、そんな彼らだからこそ、結末において、現世的な欲望に右往左往する人々の姿を、俯瞰的に見ることができたのではないか……

 本作で描かれる世界は、史実に取材したものとはいえ、もちろん物語の中だけのものであります。しかしそこにあるのは、現実の人間の息吹を感じさせる生臭い世界であり、それは現実の合わせ鏡と言ってもよいでしょう。

 物語の中に浮かび上がる現実の諸相を見出す虚構の瞳――サスペンスフルで、エンターテイメント性の強い本作でありますが、しかしその構図は、作者の作品に通底するものなのではありますまいか。


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かげろう絵図〈下〉 (文春文庫)


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受信: 2016.03.20 07:54

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