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2016.05.26

上田秀人『日雇い浪人生活録 1 金の価値』 二つの世界を結ぶ浪人主人公

 著作100作を超えてなお意気軒昂の上田秀人の新シリーズは、タイトルからしてなかなかに意外であります。その名も『日雇い浪人生活録』……これまでの作者の作品とは異なる印象を受けるタイトルですが、しかし蓋を開けてみればやはり作者ならではの、作者でなければ書けない作品であります。

 本作の主人公は、タイトルのとおり日雇い仕事で口を糊する浪人である諫山左馬介。実は浪人主人公(というかメインキャラ)は、『妾屋昼兵衛女帳面』の大月新左衛門がいますが、物語の開始時点からの浪人、親の代からの浪人というのは彼が初めてであります。

 しかしこのタイトルだけを見れば、文庫書き下ろし時代小説の定番である浪人もの……浪人主人公が、その日常で起きるあれやこれやの事件を解決しながら、周囲の人間たちと貧しくも明るく朗らかに暮らしていく人情活劇のように見えるかも知れません。
 が、この作者の作品が、そうした通り一遍の枠に収まる作品となるわけは、もちろんないのであります。

 さてその左馬介、馴染みの棟梁の紹介で、江戸屈指の両替商・分銅屋仁左衛門が買った空き店の片付けをすることとなるのですが、そこで何やら不審な帳面を見つけます。
 根が几帳面な左馬介は、その帳面をすぐに仁左衛門に手渡すのですが、その直後から二人の周囲には、ならず者や謎の黒装束など、いずれも帳面を狙う者たちが出没するようになるのであります。

 一方、死を目前とした大御所吉宗に呼び出された若き田沼意次は、将軍家重を支え、吉宗の成し得なかった改革を成すよう吉宗から命を下されることとなります。曰く「幕政の中心を米から金にすべて移行せよ」と。
 しかしそれは現行の幕府の制度を根底から揺るがしかねない大改革。手を着けかねていた意次の前に、吉宗の特命を受けていたという御庭番たちが現れるのですが……

 片や、浪人と町人という違いはあれど、共に江戸の市井で暮らす左馬介と仁左衛門。片や、御側御用取次として、江戸城の中枢も中枢で出世の階段を登り始めた意次。
 どう考えても普通では交わるはずのないこの両者が、しかし実に意外な形(本作の中盤以降、それが明かされた時には「あっ」と大いに驚かされました)で交わった時、本作の物語が本当に始まるのであります。


 この両者がどのように交わることとなるのか、そして果たしてどこに向かって物語が進んでいくかは――特に後者はまだ本格的な物語のスタートがこれからということもあり――ここでは触れません。
 しかしこの意外性満点の物語の中で、主人公が浪人、それも日々の生活に汲々としているいわゆる痩せ浪人であることは、大きな意味があることでしょう。

 何しろ、本作の物語の中で描かれるはずのものは、江戸城内の、雲の上の権力闘争などではなく、下々の町人全てを含めた人々の暮らしを変えかねない社会変革。
 そこに主人公として割って入る(というか押し込まれる)には、この第一巻のタイトルのとおり「金の価値」を嫌と言うほど良く知っている者でなければならないのです。

 そしてさらに言えば、そんな物語において、武士でありながらも主を持たず――すなわち禄を与えられず、町人たちに入り交じって暮らす浪人という存在は、二つの世界を結ぶ存在としても、まさにうってつけではなのであります。

 もちろんそんな構図を抜きにしても、左馬介の、格別格好良くも有能でもない(もちろん盆暗でもない)、しかしそれなりに世知に長け、そして時に意外な鋭さを見せるキャラクターというのは実に面白い。
 特に、意次と対面した場面で、思わぬところから彼の本質を見抜くくだりは、これまでにない意次観であったこともあり、鳥肌ものでありました。


 というわけで、開幕早々、他の作品にはないユニークさを随所で発揮してみせた本作。この先、物語がどこに向かうのか、そしてそこで二つの世界を知る男・左馬介の戦いはどのように繰り広げられるのか?
 何とも気になる物語が始まったものです。


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