富樫倫太郎『妖説源氏物語』弐 貴公子とナマの人間と魔物と
かの『源氏物語』の「宇治十帖」の主人公である薫中将と匂宮が、平安の闇に蠢く様々な魔に出くわす物語の第2弾であります。この巻では、薫が宇治を訪れるという、宇治十帖の始まりに当たるエピソードが描かれますが、もちろん本作において待っているのは、一筋縄ではいかない魔の世界なのです。
光源氏の子として生まれ、生まれつき体から芳しい香りを放つ薫と、今上帝と光源氏の娘の間に生まれ、衣に薫物を焚き染めている匂宮――生真面目と享楽的と正反対の性格ながら、年がほぼ同じということもあって仲の良いこの二人が、様々な魔物絡みの事件に巻き込まれるというのが本作の基本設定。
少年陰陽師の白鴎とその祖父の益荒男が彼らを助けるというのも同じで、まずは安心して楽しめる平安ホラーであります。
第一話「蛇酒」は、そんな彼らが思わぬ呪いと対峙することになる物語です。
ある日、匂宮の友人・藤原満輔が持つ玉手箱を見せられた薫。それは金貸しで貯めた金でのし上がったと悪名高い猿田大納言から贈られたものだったのですが……実はその中に収められた像には、強力な呪いがかけられていたのであります。
大納言に騙されて娘を亡くし、孫娘を奪われた老婆が命がけの呪いを込めた「蛇酒」……大納言に仕える妖術師・象羅(ぞうら)がこの呪いを満輔に転嫁したことで、命旦夕に迫る彼を救うため、成り行きから薫たちは呪いに立ち向かうことになるのです。
おそらくは本シリーズを通しての悪役になるのであろう猿田大納言は、人間悪を固めてできたような人物。源氏物語の世界に相応しいかはともかく、この時代の一典型かと思われますし、いかにも作者の物語の登場人物という印象であります。
それ以上に、異国からやって来た女妖術師という象羅のキャラクターが、ビジュアル的にもネーミング的にも実に作者の伝奇ものらしいのが、ファンとしては嬉しいところです。
そして己の出生の疑念から悩み苦しむ薫に対し、匂宮が冷泉院の出生の秘密を語る掌編の第二話「藤壺」を経ての第三話「宇治の闇」では、いよいよ薫が宇治を訪れることになります。
出生の秘密を抱えた他者の存在を知ってもやはり心が晴れず、仏道に惹かれる薫。しかし忙しい日常から抜け出すことも叶わぬ彼は、俗体のままで過ごしながらも仏道に通じる八の宮の存在を知り、彼に会うために宇治に向かいます。
光源氏の異母弟でありながらも故あって都から遠ざけられ、今は二人の娘を案じながら宇治に隠棲する八の宮。この人物との出会いが、後々薫の、そして匂宮の運命に大きな影響を与えることとなるのですが――
その前に一波乱あるのが本作らしいところ。
宇治の山中で道に迷った薫一行が一夜の宿を借りた有徳の人の屋敷で彼を待ち受けていたのは……
この第三話、そして第一話で描かれるのは、異次元の妖ではなく、止むに止まれぬ理由から歪み、ついには魔道に落ちた哀しい人の姿。
それをどこかドライに描くのもまた作者らしいところではありますが、それは同時に、原典で様々な形で描かれた――そして薫自身もその後それに苦しむことになる――人の業の姿に重なるところがある、というのはさすがに褒めすぎでありましょうか。
そしてラストの第四話「魔の刻」では、再び猿田大納言が登場。
満輔を通じて薫と匂宮に近づこうとする大納言に対し、匂宮が大金を賭けた雙六(現代でいうバックギャモン)勝負を挑むという内容は、さすがに源氏物語を冠する物語でどうかと思わなくもありませんが、しかし面白いものは実に面白い。
平安ものでギャンブル勝負というもの自体、極めて珍しいのですが、その題材が雙六という現代人には比較的馴染みの薄い遊びであるのも良い。さらにそこに白鴎と象羅の術くらべが絡むのも楽しく、まずは理屈抜きに楽しむべき物語でしょう。
そして第一話でも感じたところですが、猿田大納言の存在は、薫や匂宮といった貴公子たちの世界とは対象的な――そしておそらくは現実に存在していたであろう――ナマの人間の世界の象徴として、なかなかに興味深いところであります。
本シリーズも残すところあと一巻、美しい平安絵巻の世界と、ナマの人間の世界、そしてそのそれぞれに接して黒々と蟠る魔物の世界を如何に描くか……近日中にご紹介しましょう。
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