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2016.10.17

谷津矢車『信長さまはもういない』 依るべきものを喪った者たちの姿に

 これまでも一作毎に趣向を凝らした作品を発表してきた谷津矢車ですが、本作はタイトルの時点で意表を突く作品。信長の乳兄弟であり、彼の若き日から付き従ってきた池田恒興を主人公に、信長亡き後の彼の歩む道のりを可笑しくも哀しく描いた物語です。

 信長がやんちゃしていた頃から彼に付き従ってきた股肱の臣である恒興。信長が出陣した戦には全て参加したと言われ、信長の覇業も終盤に近づいた頃には摂津十万石を与えられた、まず一廉の武将であります。
 ……が、どうにも他の信長麾下の武将に比べると、恒興は後世においてはいささか影が薄い。信長に忠実に仕え、その後の後継者争いにも一定の役割を果たしたものの、しかし他の強烈な面々に比べると彼が目立っていないのは、主役となった長編は、本作がほぼ初めてであろうことからもうかがえます。

 さて本作は、その恒興が姉川の戦いの後、信長からこの先のことを問われる場面から始まります。その問いに、これまで同様、信長の命じるままに動くだけと答えた恒興に対し、「貴様はどうも面白うないぞ」と不興を露わにする信長。
 そして彼は、これまでの半生で経験した戦や政のあれこれを書き留めた帳面を恒興に与え、これを読み解けと告げるのでした。

 しかしその問いに答える間もなく、信長は突然の謀反によってこの世から消え、恒興はその事実に愕然とすることになります。
 自分に命を下す存在がいなくなったことで、身動きが取れなくなった恒興。彼は息子や家臣たちから今後の動きを問われた時に、あの帳面の存在を思い出します。

 その帳面――彼曰く「秘伝書」を取り出し、パラパラと適当にめくった頁に記されていた言葉。その言葉を助言として動いた恒興は、思わぬ形で山崎の戦に武功を挙げて秀吉を助け、その後のいわゆる清州会議でも、同様の形で大きな役割を果たすことになります。
 しかし秀吉が織田家の後継者、いや簒奪者と化していく中、家康との対立が激化。両者の間に立たされた恒興が、今回も頼った秘伝書にあった言葉とは……


 作者の作品は、重い題材を扱う際も、どこかいい意味での軽みやおかしみがあるのですが、本作においてはその持ち味が最大限に発揮されている印象があります。

 何しろ恒興は一種の戦馬鹿(それでも娘婿の森長可よりはマシなのですが)、その割に意外と神経が細い彼が、難局に右往左往しつつ、適当に出てきた言葉をありがたがって行動したものが思わぬ成功に繋がり……というのは、ほぼ完全にコメディの呼吸。
 恒興ら登場人物たちのキャラ立ちがはっきりしていることもあり、リーダビリティが非常に高い作品であります。

 しかし本作は、シンデレラ武将(?)の活躍を描く作品でも、ドタバタ戦国ギャグでもありません(その気はあるにしても)。
 本作で描かれるものは、信長という、良きにつけ悪しきにつけ巨大すぎる存在が消えた後の、武将たちの喪失感なのであります。

 先に述べたように、勘気を蒙るほど信長の指示待ち人間であった恒興。その彼の喪失感の大きさはもちろんのこと、しかし彼ほど極端ではないにせよ、その喪失感は信長の配下たち一人ひとりが、それぞれの形で感じたものとして描かれます。
 清洲会議で恒興らと対立した丹羽長秀や柴田勝家、鬼武蔵として恐れられる森長可、秀吉を支える蜂須賀小六、そして勝者にして簒奪者たる秀吉すらも……皆「信長さまはもういない」ことを背負い、そしてその空虚さの重みに呻吟するのであります。

 その姿は恒興を筆頭に、皆滑稽で、無様で、不甲斐ないものに見えることでしょう。
 しかし、一度それが我が身に起こったと考えてみれば――例えば、今自分が絶対のものと信じ、依存している会社や社会制度がなくなったとしたら――我々は途端にうそ寒いものを感じることになるのであります。

 過去のある時点の人物や出来事を描くことにより、現代の我々にも通じるものを提示してみせるというのは、歴史小説の常道と言えるでしょう。
 本作もそれを踏まえたものでありますが――しかしその視点が、社会で功成り遂げた者のそれではなく、むしろその社会の壁に弾き飛ばされた者のそれであるのは、実に作者らしいと言うべきでしょうか。


 正直なところ、物語の結末(において恒興が理解したもの)は、物語の構造からすれば容易に予想がつくものではあります。
 しかしそれでももちろん、この結末が描かれるべきものであったことは間違いありません。そこに示されるものは、恒興同様、寄る辺をなくして途方に暮れる我々にとっての、一つの希望でもあるのですから……


『信長さまはもういない』(谷津矢車 光文社) Amazon
信長さまはもういない

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