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2017.03.22

長谷川卓『嶽神伝 鬼哭』上巻 景虎出奔、山中の大乱戦

 戦国時代の関東甲信越から駿河までを舞台に、山の者・無坂の生き様を描く「嶽神伝」シリーズもこれで第三弾。時は流れ、老境に近づいた無坂たちは、またしても里の者――すなわち戦国大名たちの争いに巻き込まれ、強敵たちと死闘を繰り広げることとなります。

 家臣同士が領地を巡って争う状況に怒り、出奔した長尾景虎。彼がわずかな供を連れ、かつて縁のあった月草と真木備のもとに押し掛けたことから、たまたま彼らを訪ねていた無坂も行動を共にする羽目になります。
 やむを得ず景虎を案内することになった無坂たちですが……しかし景虎の出奔は、すぐに宿敵たる武田晴信の知るところに。

 景虎を暗殺する好機と見た武田家中では、透破の精鋭部隊である「かまきり」そして「かまり」を放ち、晴信の後を追跡。そして偶然彼らと遭遇した女ばかりの山の民・鳥谷衆は、真木備と無坂、そして長尾方に対する恨みから武田方に協力を申し出るのでした。
 さらに北条方も、この動きを察知した北条幻庵がやはり景虎を討たんと風魔小太郎ら風魔衆を連れて自ら出陣、その動きに巣雲衆の弥十たちが巻き込まれることに。

 そして長尾方も、山中から景虎を救い出すべく、「落とし」を生業とする山の者・南稜七ツ家に依頼、軒猿たちとともに景虎のもとに急行することになるのです。
 かくて、景虎と無坂たち、武田の透破・かまきり・かまり、北条の風魔衆、上杉の軒猿と七ツ家衆……実に四つの集団が、山中の聖地・龍穴を舞台に激しく激突することに――


 いやはや、これまでも幾度となく山の者と忍び、忍びと忍びの死闘を描いてきた本シリーズですが、今回ほどのスケールの戦いはこれが初めて。何しろここに登場するのは敵味方合わせて約60人、全員が戦うわけではないにせよ、ちょっとした合戦レベルであります。
 そしてその戦いの内容が凄まじい。誰が敵で誰が味方かもわからなくなるような状況の中、一対一、一対複数、複数対複数で繰り広げられるのは、本作ならではのリアルな手触りの、それでいて派手さも感じさせる見事なバトルであります。

 特に、今回登場する「かまり」の里の者たちは、「かまきり」の中でも危険すぎるために里に封じられていた遣い手たちというケレン味に溢れる設定が楽しい。
 その中でも四囲を血の海とする死人使いとして恐れられる四方津の技は、地に足の着いた設定ではありつつも(時代小説で用いられるのはかなり珍しいのですが)その二つ名の通りの内容で、本シリーズにしては珍しいほど凄惨な展開が強烈なインパクトを残します。

 その一方で、そもそもの発端である景虎のキャラクターも何とも楽しい。今回の騒動は、有名な景虎の高野山出奔をベースとしたものですが、戦国武将が領内不統一に起こって自分の家を捨てるという、何とも唖然とさせられるような事件も、ああこの人物なら……と感じさせられるものがあります。

 強引に月草たちのところに押しかけて居候し、山の自然の美しさに目を輝かせる彼の純粋といえば純粋、無神経といえば無神経、しかしそれでいて妙に魅力的な姿は、我々が知る景虎のイメージをさらに純化させ、そして独自性を与えていると言えるでしょう。
 本シリーズのもう一人の主人公たちとも言うべき戦国武将たちの見事な人物像は、本作でも健在なのです。


 さて、この上巻の後半で描かれるのは、武田家が狙う山の者の分断作戦であります。

 この物語の冒頭から、主に敵サイドとして登場することが多かった武田家。無坂をはじめとする山の者との長年の(ほぼ一方的な)確執を背景に、かまきりを束ねる春日弾正忠は、山の者を自らの手として使い、そして無坂への復讐のため、山の者の一部を味方につけるべく暗躍することになります。

 無坂を中心とした物語だけに、純粋な暮らしの姿がクローズアップされてきた山の者。しかし戦国の世にそれだけでは暮らしていけず、時に手を汚す者が出ることは、第一作の鳥谷衆を巡る事件でも明らかですが、それが山の者同士の戦いにまで繋がっていくとなれば別です。

 しかしこの局面を、意外な、いや、山の者クロニクルをこれまで読んできた人間にとっては納得の人間が収めることになるのですが……次の世代は既に育っているのだな、と思わされるこの展開は、頼もしくも、いささか寂しさも感じさせるところであります。
 無坂が自分の望む死に様について語る場面も含めて――


 しかしこの物語はまだ続きます。下巻においては戦国史に残る二つの合戦が描かれることになりますが……それはまた後ほど。


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