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2017.04.04

木村忠啓『慶応三年の水練侍』 幕末武士が特訓の果てに見たもの

 毎回ユニークな題材の作品が登場する朝日時代小説大賞の第八回大賞受賞作は、タイトルのとおり水練・水術――水泳を題材とした物語。幕末の動乱に揺れる津・藤堂家を舞台に、藩の行方を左右する水泳勝負に挑む羽目になった一人の侍の奮闘が描かれます。

 佐幕か勤王かで、日本中が割れることとなった動乱の慶応三年。それまで中道を行っていた藤堂家にもその動きが波及してきた頃――砲術師範・市川清之助は、突如、水術試合への参加を命じられます。
 試合の相手は、江戸で水術を修め、そして勤王思想に傾倒した江戸帰りの俊英・谷口善幸。彼は、かつて清之助が敬愛していた先輩・善之丞の息子であります。

 しかし17年前、藩の火薬工場の爆発事故で父が死に、清之助が生き延びたことを逆恨みして、次々と嫌がらせを仕掛けてくる善幸。
 さらに藩内の勤王派のリーダー的存在となっていた彼が勝てば、藩内で勤王派が力を増し、藩を二分しかねない……それを恐れた佐幕派によって、清之助は佐幕派の代表選手扱いをされることになります。

 高慢な善幸に一泡吹かせるため、そして藩内の争いを防ぐため、決して負けられない戦いに挑む清之助。しかし問題が一つ――実は彼は水術は苦手だったのであります。


 という本作の基本設定が描かれるのは、冒頭から1/4程度の辺りまで。本作は、そこから終盤まで、ひたすら清之助の水術訓練が描かれることとなります。

 今の実力では到底かなわない相手に勝つため、主人公が個性的な師匠の下、奇想天外な特訓を繰り広げる……それは、スポーツものや格闘技ものの一つのパターンと言えます。
 本作もそうした物語なのですが、さて、どのような特訓が……と思えば、本作の舞台は津・藤堂家。藤堂家といえば伊賀上野、伊賀といえば――そう、忍者!

 かくて清之助は、伊賀者から特訓を受ける
ことになるのですが、彼のコーチ役を務めるのは、訓練の指示以外はほとんど全く語らぬ無愛想な伊賀者・伊八。清之助は、この伊八から次々と理不尽としか思えぬ特訓を課せられることになります。
 延々と薪を割らされる、地面に落ちた豆を素早く拾って棚の上に置く、尺八を演奏する……清之助は、到底水泳と関係あるとは思えぬ特訓を強いられる上に、食事は粥や豆腐ばかりという過酷な暮らしを数ヶ月に渡り強いられるのです。

 もちろん、実はこれらの特訓に意味があるのは言うまでもありません。その特訓をクリアしていくことで、以前とは比べものにならぬほど水術の腕を上げる清之助ですが……しかしそれでも善幸の壁は高い。
 最後の策として、清之助と伊八は伊賀の秘術を元に新たなる泳法を編み出さんとするのですが、その姿はなんと――


 先に述べたように、本作の大半を割いて描かれるこの特訓シーン。しかしそれが全く飽きることなく一気に読めてしまうのは、一つにはデビュー作とは思えぬ作者の筆力があることは間違いありません。
 しかしそれに加えて本作の魅力は、そのある意味ストレートな勝負に、幕末という時代、藤堂家という舞台を組み合わせ、さらに清之助の成長物語に重ね合わせることで、物語に深みを与えていることでしょう。

 佐幕か勤王か、旗幟を鮮明にすることなく渡ってきた藤堂家(もっともこの後、藤堂家は幕末史に残る大転回を見せるのですが)。その主家において清之助もまた、日々を静かに送ってきました。そこに現れた善幸という存在……それは清之助を大きな嵐に巻き込むこととなります。

 その清之助が挑む特訓で彼を突き動かすのは、初めは善幸への怒り、そして善幸に勝ちたいという思いでしたが……しかしその中で彼は、自分が勝つべき相手は、それまでの環境に安住してきた自分自身であったことに気づくのです。
 そしてその特訓のコーチである伊八に代表される伊賀者も、忍びには思想はない、と超然とした態度を見せつつも、やはり時代のうねりの中に巻き込まれていくことになるのを、清之助は目撃することになります。

 そんな清之助の想いの変化と水術勝負が重なり、その果てに彼が選ぶ道は、そこで見たものは……その結末に、あるいはすっきりとしないものを感じる方もいるかもしれません。しかしこれは物語で提示されてきた一つの価値観を体現した、見事な結末と言うべきではないかと私は思います。


 作者は今後もスポーツ時代小説にチャレンジすることを宣言している由、これは楽しみな作家が登場したものです。


『慶応三年の水練侍』(木村忠啓 朝日新聞出版) Amazon
慶応三年の水練侍

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