« 木下昌輝『敵の名は、宮本武蔵』(その一) 敗者から見た異形の武蔵伝 | トップページ | 原哲夫『いくさの子 織田三郎信長伝』第10巻 内憂外患に豪快に挑め! »

2017.05.02

木下昌輝『敵の名は、宮本武蔵』(その二) 人間から怪物へ、怪物から人間へ

 木下昌輝による異形の武蔵伝の紹介、後半であります。武蔵を最強の殺人者への道へと誘わんとする父・無二斎。その無二斎の存在を通した時、物語はさらに新たな貌を見せることになるのです。

 無二斎の存在を通じて物語に浮かび上がるもの……それは、豊かな人間性を持ちながらも、運命の、そして周囲の者たちの悪意によりそれを否定され、非人間的な怪物へと改造されていく者の悲劇であります。

 幼い頃から尋常な生活を否定され、ただ相手に勝ち、殺すための存在として育てられてきた武蔵。
 そのような生を送ってくれば、どれだけ豊かな人間性を持とうとも、いやそれだからこそ、その人間性は黒く塗りつぶされ、殺人機械とも言うべき存在へと変わっていくほかはないでしょう。

 そしてそんな彼の姿は、作者の読者にとって、ある物語を思い起こさせるかもしれません。
 その物語とは、作者のデビュー作であり、つい先日文庫化されたばかりの作品『宇喜多の捨て嫁』……この物語で描かれた宇喜多直家の姿は、本作の武蔵の姿と、奇妙に重なり合うように感じられるのです。


 しかし……本作はやがて、その先にさらに秘められた貌を見せることになります。
 これは本作の根幹に繋がる要素であるため、ここでは詳細を伏せざるを得ません。ただ、本作は怪物に改造された者「たち」の物語であったことを、そしてその実像を知れば、本作の題名にまた別の感慨が浮かぶことを述べるのは許されるでしょう。

 そして描かれる武蔵最後の決闘。その後の武蔵を描くことにより、本作は、武蔵の「強さ」と「成長」……怪物から人間へと鮮やかな再生を遂げた武蔵の姿を描いて終わりを告げることとなります。
 こちらも本作の核心に繋がるためあまり詳しくは書けないのですが、直家の運命を直接的に地獄に導いた一撃を、明確に武蔵が乗り越えたことを示す結末は、剣豪小説としても見事の一言で、ただただ感動するほかないのであります。

 しかし、それでは武蔵を人間に再生させたものとは、一体何であったのか……それはおそらくは武蔵が描いてきた「絵」、いや、それに象徴される人間の精神的な豊かさなのではないか、と私は感じます。

 本作の冒頭から、すなわち幼い日から、「剣」とともにもう一つ武蔵の傍にあった「絵」。それは剣と異なり無二斎に与えられたものでも強いられたものでもなく、彼がごく自然に手にしたもの、描き続けたものであります。
 地面に落書きを描くのに始まり、やがて都で好事家の目を惹く水墨画を描き、そして江戸で同好の士とともに描くことを楽しむまでになっていく……

 もちろんその絵は、武蔵の剣同様、決して初めから洗練されたものではあり得ません。時にそれは、彼の荒涼たる精神を浮かび上がらせるものですらありました。
 しかしその絵が、その絵を通じて繋がった他人の存在が、此岸と彼岸の狭間で彼を繋ぎ止めたと……本作の結末からは強く感じられるのです。


 その作品の多くで、人間が、その人間性の存在故に地獄を生み出し、地獄に落ちる姿を描いてきた作者。しかし、そうであるとすれば、そこから救われる道もまた、人間性の中にこそあるのではないか――
 もちろんそんな甘いテーゼは、運命の悪戯によって容易に左右されるものであるかもしれません。それは武蔵に敗れてきた者たちの姿にも現れているのでしょう。

 しかし、それでも……それでも、本作の結末を見れば、そんな甘さを、人間の人間たる力を信じてみたいという想いに駆られるのであります。


『敵の名は、宮本武蔵』(木下昌輝 KADOKAWA) Amazon
敵の名は、宮本武蔵


関連記事
 『宇喜多の捨て嫁』(その一) イメージに忠実な梟雄伝……?
 『宇喜多の捨て嫁』(その二) 「人間」という名の絶望

|

« 木下昌輝『敵の名は、宮本武蔵』(その一) 敗者から見た異形の武蔵伝 | トップページ | 原哲夫『いくさの子 織田三郎信長伝』第10巻 内憂外患に豪快に挑め! »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/13655/65219086

この記事へのトラックバック一覧です: 木下昌輝『敵の名は、宮本武蔵』(その二) 人間から怪物へ、怪物から人間へ:

« 木下昌輝『敵の名は、宮本武蔵』(その一) 敗者から見た異形の武蔵伝 | トップページ | 原哲夫『いくさの子 織田三郎信長伝』第10巻 内憂外患に豪快に挑め! »