山村竜也『幕末武士の京都グルメ日記 「伊庭八郎征西日記」を読む』 泰平と動乱の境目に立っていた青年の姿
幕末に勇名を馳せた剣客・伊庭八郎の京都行きの日記全文を書き下し文で収録し、解説を付した、タイトルにも負けないユニークな新書であります。その内容そのものもさることながら、『新選組!』などの時代考証で知られる著者による詳細な解説が、面白さや興趣を幾倍にも増してくれる一冊です。
最近では岡田屋鉄蔵『MUJIN 無尽』などでも知られる「伊庭の小天狗」こと伊庭八郎。その彼の日記に、グルメなどという言葉を付すとは――と、本書の題名だけを見て憤慨される方もいるかもしれません。
が、実はこの題名は正鵠を射たもの。実はこの「征西日記」、勇ましい題名とは裏腹の内容で、一部で有名な日記なのです。
この日記は、元治元年(1864年)に時の将軍家茂が上洛した際、その一行に随行した八郎が、その年の1月から6月まで163日間分を記したもの。
この家茂上洛は、基本的に無事に終わったイベント。それゆえこの日記に記されているのも、八郎ら随行の侍たちの勤務ぶりと、毎日の食事や、非番の時に出かけた場所など、ある意味「普通」の内容にすぎません。
……が、それが実に面白い。(上洛という特殊事態とはいえ)ここに記されているのは、この当時の幕臣の日常的な勤務や生活の状況であり、それが垣間見られるだけでも、歴史好きには相当興味深いものです。
しかしそれにも増して面白いのは、それ以外の部分であります。
もちろん八郎らしく(?)、勤務の傍ら、毎日のように剣術の稽古に参加していたことも記されているのですが、この日記で圧倒的に目に付くのは、彼がうまいものを食べ、暇さえあれば観光地に出かける姿なのですから。
好物の鰻やお汁粉に舌鼓を打ち(八郎は甘いもの好きでもあったのが窺われるのがまた楽しい)、お馴染みの観光地を巡り――ここで描かれるのは、後の剣士としての活躍とは裏腹の、我々とほとんど全く変わらない、等身大の人間像。そしてそれがまた、実に微笑ましく、魅力的に観じられるのです。
そして、そんな等身大の八郎の日記を楽しむのを助け、そしてその楽しさを大いに増しているのが、著者による解説であります。
日記というものは――この八郎の日記に限らず――その人物の日常を記すもの。それはその人物にとっては当たり前のことであり、特別なことでもなければ、内容にわざわざ説明が付すようなものではありません。
しかし、彼にとって当たり前でも、記されているのは約150年も前の出来事。さらに八郎の周囲の人間関係なども、我々がその内容を知る由もありません。
その当たり前だけにスルーされていることの一つ一つを、本書は拾い上げ、解説してみせるのです。日記に登場する言葉は何を指しているのか。姓のみ、名のみ登場する人物は何者なのか……
時に別の記録と照合しつつ、丹念に解説することで、我々はいささかの違和感なく、まるで昨日記されたもののように八郎の日記を、彼の生活を楽しむことができるのです。
言葉にすれば当たり前のようでいて、これがどれだけ難しいことか……
それにしても八郎が戊辰戦争に参加し、その命を散らしたのはこのわずか5年後。ここに記された日常の姿と、5年後の非常の姿と、どちらが本当の彼の姿だったのか……本書を読んでみれば、つくづく考えさせられます。
あるいはこの日記に描かれているのは、泰平の江戸時代と、動乱の幕末の境目に立っていた八郎の、一人の青年武士の姿と言うべきかもしれません。
そしてそれを象徴するように感じられるのが、日記の終盤に記された、ある出来事であります。
江戸に帰還途中の八郎のもとに飛び込んできた報せ――それは、幕末ファンであれば知らぬものとてない、ある超有名な事件の発生を告げるものであります。
それまで「幕末」らしさとはほとんど無縁な、平和な日常を記したこの日記。そこに唐突にこの事件の報が飛び込み、そして八郎をも巻き込んでいく様は、まさしく「事実は小説より奇なり」と言うほかありません。
が、この事件が彼にとってはほとんどニアミス状態で終わるのが、また「らしい」ところでなのですが……
しかしここは、この日記があくまでも泰平を楽しむ伊庭八郎の姿を描いて終わってくれることに、感謝すべきなのかもしれません。
本書の中の伊庭八郎は、いつまでも平穏な日常を楽しむ、一人の青年としての姿を留めているのですから。
『幕末武士の京都グルメ日記 「伊庭八郎征西日記」を読む』(山村竜也 幻冬舎新書) Amazon

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