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2018.01.29

ごうだあぶく『でらしねをどり』第1巻 長命者が旅の先に求めたもの

 普通の人間とは異なる時を生きる少年が辿る数奇な運命を描く物語の開幕編であります。戦国から江戸という時代が激しく動く中で、少年が見たもの、得たものとは……

 とある山寺で暮らす少年・慶。親代わりの仁慶・悟慶兄弟に庇護されながらも、山寺から出ることなく暮らす彼には、一つの秘密がありました。
 それは常人に比べ、遙かに成長が遅いこと――まだ少年にしか見えない彼は、実は生まれてから数十年、この寺で暮らしていたのであります。

 人と異なる時の流れを生き、常人よりも遙かに長命であるという、「永命族」とも「蛇」とも呼ばれる者たち。
 その一人である慶は、周囲の好奇の目や、迫害から身を守るため、仁慶らによって人里離れた寺の中で守られてきたのですが――慶にとってそれは牢獄暮らしも同然であります。

 しかしそんな慶の暮らしは、突然終わりを告げることとなります。時あたかも戦国時代、無縁に見えた外界の激しい争いがついに寺にまで波及し、寺を自領に収めようという織田の軍勢が押し寄せてきたのであります。
 その炎の中で、悟慶が自分と同族であったことを知る慶。仁慶の犠牲で寺を逃れた二人は、悟と啓と名を変え、当て所ない根なし草として放浪の旅を続けることに……


 誰もが逃れぬことのできぬ老いという現象。それ故か、その老いから無縁の――少なくとも常人よりも老いを長く遠ざけることができる――長命の人々の存在は、古今東西の神話や伝説、あるいは物語の中に数多く登場してきました。

 しかしそんな長命族は、同時に極めて孤独な存在であります。常人と異なる時を生きるということは、常人と共には生きられないということをほとんどの場合意味するのですから。
 時に生死で引き裂かれ、時に迫害を受け――様々な形で孤独を味わう彼ら。本作もまた、そんな彼らを描く物語の一つであることはいうまでもありません。

 そして本作のユニークな点は、主人公たる慶=啓が求めるのが、己の孤独を癒すものだけでなく、「夢」である点と言えるかもしれません。
 生まれてからずっと寺の中で暮らしてきた啓は、孤独である以上に(少なくとも彼には共に旅をする悟がいるのですから)、己が生きる目的を、「夢」を持たぬまま生きてきたのですから。

 人は何のために生きるか、というのは極めて普遍的な問いかけであります。それが、まだ己の人生を歩み始めた若者にとってはなおさら。
 本作の啓もまた、肉体年齢はともかく、そうした若者に等しい存在。本作は長命の者の悲哀を描く以上に、一種の青春ものという性格を、色濃く持つのです(そしてそれはある意味、悲哀の前段階というべきものかもしれませんが……)

 そして本作の場合面白いのは、啓の夢探し、自分探しの一つの手段となるのが、タイトルにもある「踊り」であることでしょう。
 長き旅の途中、悟と啓が身を寄せた「場」――それはかぶき踊りの一座。そう、ここであの出雲の阿国が絡んでくるのであります。

 いかにもわけありの二人をさして疑いもせずに受け入れ、旅を続ける阿国。なるほど、一つところに留まらずに漂泊を続ける旅芸人たちほど、長命の者たちが加わるに相応しい存在はないかもしれません。
 そしてその暮らしの中で啓は、単に己の生に流されるのではなく、「今」を生きることに自覚的になっていくのですが……


 と、この辺りの展開はなかなか面白いのですが、実はこの第1巻であっさりと終わってしまうのがなんとも勿体ない(阿国とくればこの人、の名古屋山三郎もちょい役なのが残念)。
 そのためか、この巻は設定紹介編的な趣さえ漂うようのですが――しかしこの巻のラストで描かれる啓の姿には驚かされます。

 それは彼が自分の夢を掴んだ姿なのか、はたまた夢を受け継いだ姿なのか――連載は一年ほど中断しているようですが、そろそろその先の物語を見たいところではあります。

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