久賀理世『倫敦千夜一夜物語 ふたりの城の夢のまた夢』 美しき妹が夢見るもの
ヴィクトリア朝のイギリスを舞台に、故あって家を捨て、貸本屋を営む貴族の兄妹が書籍にまつわる様々な謎に挑むミステリシリーズの続編であります。日常の謎を解きつつ、平穏に日々を送っていくかに見えた二人を巻き込む恐るべき事件。そしてその果てに示される真実とは……
家督を狙う叔父に両親を殺され、その毒牙にかかる前に家から離れてロンドン郊外の街に姿を潜めたアルフレッドとサラ。方便のために貸本屋「千夜一夜」を開いた兄妹は、偶然店を訪れたアルフレッドの学生時代の後輩・ヴィクターを加えた三人で、彼らの周囲で起きる様々な謎を解き明かしていくことになります。
そんな中、おぞましい「自殺クラブ」事件の背後で、グリフォンの紋章を用いる何者かが跳梁していることを知る三人。しかしそれは、アルフレッドとサラの両親が殺された場に残されたものと同一で……
と、日常の謎から殺人事件まで、書籍にまつわる謎を描いた前作。本作はそのシリーズ第2弾ですが、もちろんその趣向は変わることなく展開していくことになります。
店の貸本に貼られた蔵書票が何者かに剥がされて持ち去られる事件の意外な真相と、サラを助けて奔走するヴィクターの姿が描かれる『夢みる少女と恋する青年』。
父親の愛読書だというスマイルズの『自助論』を店で読んでいた少年が飼おうとしていた犬を、その父親が突然追い出そうとした謎をシートンの動物記を背景に描く『仔犬と狼のあいだ』。
どちらもちょっとした出来事がきっかけで明るみに出た、解かれてみればささやかな日常の謎ですが、その謎を生み出した人の心の温かさと、それを見つめるサラたちの優しい視線が心地よいエピソードであります。
そしてそこに巧みに当時の流行の書籍や出版事情が絡められているのは、イギリスものを得意とする作者ならではの、本作ならではの特徴というべきでしょう。
しかしそうした物語の空気は、三つ目の、そして本書で最長のエピソード『ふたりの城の夢のまた夢』において大きく変わることになります。何しろそこで描かれるのは悍ましい連続猟奇殺人、そしてその渦中にサラたちも巻き込まれていくのですから。
ジェロームの『ボートの三人男』よろしく、ある日ボートでピクニックに出かけたアルフレッドとサラ、ヴィクターたち。しかしその楽しい時間は、川下りの途中にサラが森の中で不審な灯りを見たことから、一転恐ろしい様相を呈することになります。
その灯りが見えた場所に残されていたのは、顔は無傷のまま、背中を巨大な獣にズタズタにされた少女の遺体――今ロンドンを騒がす怪事件の犠牲者だったのであります。
犯人がサラを狙うのではないかと懸念するアルフレッドの依頼で、ヴィクターは一連の事件の捜査状況を追いかけるものの遅々として解明は進まない状態。
そんな中、店の常連客に紹介されたと千夜一夜を訪れた美女・ライザは、アルフレッドに蔵書の装幀を依頼したいと語り、アルフレッドを自邸に招くのですが……
大英帝国の絶頂期であり、現代にも繋がる様々な文化が――何よりも文学や書籍が生まれたヴィクトリア朝時代。
しかしそこには黒い陰もまた蟠っていたことは、物語の数年前に起きたあの「切り裂きジャック」事件からも明らかでしょう。そしてこのエピソードで描かれるのも、そうした時代の陰から生まれたような怪事件です。
背中を大きく獣に引き裂かれながらも、それ以外は傷一つないままというアンバランスさにより、人と獣が入り交じった魔物――伝説の狼男になぞらえて「ルー・ガルー」の仕業と囁かれるこの事件。それは本シリーズには似合わぬ凄惨なものに見えますが――しかしやがて幾つもの意味で、実にふさわしい事件であることが浮かび上がるのです。
そしてそこに重なる物語は、ポーの『アッシャー家の崩壊』。呪われた兄妹の運命を描くこの物語は、作中で大きな役割を果たすライザと兄の――いわばサラとアルフレッドの陰画ともいうべき二人の――姿を象徴していると、そう思われたのですが……
しかし本書のラストで炸裂する特大の爆弾は、それを大きくひっくり返してみせるのです。ここで明かされるこのエピソードの、すなわち本書のサブタイトルに込められた想いにはただただ絶句するほかありません。
そしてそんな想いを乗せて、物語はどこに向かっていくのか――しばらく続編は刊行されていないようですが、これは是非とも描いていただきたいと強く願う次第です。
『倫敦千夜一夜物語 ふたりの城の夢のまた夢』(久賀理世 集英社オレンジ文庫) Amazon

| 固定リンク
