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2018.08.22

川原正敏『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第8-9巻 劉邦を囲む人々、劉邦の戦の流儀


 「項羽と劉邦」の戦いを、張良の視点から見た新解釈で描く本作も、早くも単行本の巻数は二桁目前。しばらく物語は項羽サイドを中心に描かれていた印象がありますが、この第8、9巻では、再び劉邦と張良の活躍が描かれることになります。が、もちろんその戦いの道のりは決して平坦ではないのですが……

 項梁が章邯率いる秦軍の前に思わぬ敗死を遂げ、混沌とした状況となった抗秦の戦い。その中で恐るべき「狂」の力を発揮した項羽は、(窮奇のフォローはあったものの)七万の楚軍で二十万の秦軍を破るという大勝利を挙げ、一気にその名を高めることになります。

 が、もちろん秦との戦いはそれで終わったわけではありません。この戦いにあたっては、項羽が奉戴する楚王・懐王により、一番先に関中――秦の都たる咸陽一帯に入った者をその地の王とする、と宣言されている以上、先に関中に入ったものが「あがり」なのであります。
 一度は敗れたとはいえ章邯はいまだ健在、項羽が章邯と対峙している間に、するりと関中に入ってしまえば――という漁夫の利を狙うのが、ある意味劉邦らしいといえばらしいところであります。

 が、もちろんそれがそうそううまくいくはずもありません。主力ではないとはいえ、咸陽を守る軍が弱兵であるはずもなく、しかも戦力差はまだまだ大きい。そしてそもそも劉邦はそれほど戦に強くなく、何よりも張良は韓の地で韓王を奉じて戦っている最中――とくれば、迷走しない方が不思議であります。
 かくて、あちらの敵軍にちょっかいを出し、こちらの城を攻め、そのたびに反撃を食らっては這々の体で逃れる――ということになるのでした。

 と、そこに颯爽と帰還したのは張良であります。項羽とも見紛う巨漢にして韓王家の傍流の血を引く姫信(韓王信)と援軍を伴って駆けつけた張良は早速秦軍を一蹴。さらに関中を目指すため、堅牢で知られる函谷関を避け、より南にある、そして手薄な武関を攻めるべし、と的確な指示を下すのです。
 さすがは主人公、張良が劉邦の側にいる時の安心感は相当のものがあります。……側にいる時は。

 ここのところの連戦で体調を崩したこともあり、一端劉邦と別行動を取ることになった張良。そんな中でもしっかり策は残していったのですが――張良の言を容れるのに躊躇わない劉邦は、同時に他の人間の言を容れるのも躊躇わず、そのために思わぬ窮地に陥ることに……


 というわけで、実に危なっかしい、見ようによっては何だか楽しい劉邦軍の戦いが描かれることになるこの2巻。前巻の鬼神の如き項羽の暴れっぷりに比べると、お人好しでお調子者の劉邦の頼りなさは、あまりに対照的に映ります。
 しかし対照的なのは将本人の姿だけではありません。将を囲む人々の姿――それこそが二人の大きな違いであるとわかります。

 范増という軍師はいるものの、基本的にその強さは項羽自身の武威に依る楚軍。前巻で嫌というほど描かれたその姿は、今回も項羽が韓信の献策を一蹴することで明確にされていると言えます。
 それに対して劉邦の軍は――本人の人柄と言うべきか、何ともユルい。将としての威厳・威圧感のなさもさることながら、元々が任侠の仲間たちであるためか、彼と配下の面々との距離感は、非常に近いことは間違いありません。

 それは彼が強く信を置く張良との関係にも現れているところであり、それがこれまでの、そしてこれからの劉邦の躍進に大きな影響を与えることは間違いありませんが――本作におけるそれは、項羽と劉邦の間の違いを象徴しているようにも感じられます。

 そしてまた、その違いが今回取り上げた巻では随所に現れていると言えるでしょう特に蕭何の地道な兵站(そこには張良の策があるものの)が勝利に繋がるくだりは、項羽と劉邦の戦の流儀の違いとも直結する内容で、感心させられたところであります。


 そして、こうしたキャラクター描写の妙に加えて、これまでも何度も述べてきたように、「史記」の数行の描写の行間を読む作者の努力――には、基本的にあとがきを読むまでは読者は気付かないのですが――が本作の面白さを支えていることは言うまでもありません。
 特に第8巻のあとがきに記された、張良と劉邦の合流場所については、作者の拘りが物語の起伏に直結する形で昇華されていて、改めて感心させられたところであります。


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