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2018.08.29

武内涼『東遊記』(その二) 確かにあった世界で描く人間たちの冒険と希望


 武内涼が中国は唐を舞台に描く一大伝奇絵巻の紹介の後編であります。本作とよく似通った構図の作品とは、そしてその一方で本作ならではの魅力とは……

 その作品の名は、『指輪物語』。これは本作の帯にもその名が挙げられており、自覚的なものではないかだと思いますが、本作の物語構造は、あのトールキンの名作、ファンタジーの中のファンタジーと言うべき『指輪物語』と重なる部分を多く持ちます。

 かつて滅ぼされ、今復活を目論む魔王を滅するため、その象徴的アイテムを火山に投じるという旅の目的。旅には幾人もの英雄・達人が参加するものの、その中心となるのが無力な人物であること。一行の旅を阻むのが、魔王の眷属(すなわち魔物)だけでなく、エゴに囚われた人間たちでもあること……
 『指輪物語』自身、神話的物語に共通的に見られる要素を多々取り込んでいるだけに、ある程度似通ってくるのはむしろ当然ではあるのですが、やはり類似性は相当に高い、という印象はあります。

 しかし本作の驚くべき点は、この構図を、完全に時代伝奇ものの枠の中に落とし込んでいる――言い換えれば、史実によって規定された世界の中に、現実を踏まえた物語として成立させていることです。
 そしてそれこそが、本作をして作者独自の――それも実に作者らしい作品として成立させている所以なのであります。


 本作の舞台となるのは9世紀初頭、唐の皇帝でいえば憲宗が即位したばかりの時代。隆盛を誇った大唐国に大きな爪痕を残した安史の乱から半世紀近くが過ぎた頃です。
 その安史の乱の影響は未だ大きく残り続け、地方では節度使たちが力をつけることにより、唐の支配に服さぬ独立国に近い姿を見せつつあった時代であります。

 そしてそんな背景は、物語にも大きな影を落とすことになります。中央の政治の乱れは地方にはより大きく広がり、そんな中で海燕の祖父は、貧しき人のために心を配りながらも、そのために没落したことが語られます。
 また呂将軍は、武人としてそんな平民たちを守りたいと望みながらも、皇帝一人を守ることのみを命じられ、心中複雑なものを抱えてきた人物として描かれるのであります。

 そんな時代の在り方は、作中において西川節度使の劉闢の反乱という形で最も大きく噴出することになります。そしてそれが海燕一行の旅の中でも最大の障害の一つとして描かれるのを、なんと評すべきでしょうか。
 妖魔の脅威をこの世界から除くべく、いわば人間の代表として旅する海燕たち。その事情を知らぬとはいえ、そして作中では妖魔に唆された設定とはいえ、同じ人間が自分たちを救うために旅する者を苦しめるとは……

 本作において描かれるのは、どこか架空の世界の架空の物語ではありません。本作はかつて確かにあった世界で、確かにあったことを背景に描く物語。そして主人公たちを阻むのは、この世に非ざる奇怪な妖魔であると同時に、同じ人間なのであります。
 それはなんと悲しく、恐ろしいことでしょうか。そこにあるのは現実に存在する人間の心の中の負の側面――恐ろしい憎悪や欲望、嫉妬や絶望の念なのですから。

 そしてそれは決して敵の側だけのものではありません。あまりに強大な敵、遠大な旅を前に、時として挫けそうになる海燕。蚩尤の眼が持つ魔力の前に、一族を追い落とした藤原氏に対する憎悪の念を甦らせる逸勢――負の念は彼女たちの中にもあるのです。


 それでは、この世界には希望はないのでしょうか。海燕たちには主人公の資格はないのでしょうか。

 いいえ、決してそうではありません。どれだけ魔の力が強くても、そしてどれだけ人間が弱く儚くても――決して人間は無力なだけの存在ではない。そして私利私欲のために他人を踏みつけにする者がいる一方で、より人間らしい生き方のために、己の弱さに打ち克とうとする者がいる――そのことを、本作は海燕たちの冒険を通じて高らかに謳い上げるのです。

 そしてそれは、作者がこれまで描いてきた物語――強大な権力や残酷な運命に決して屈することなく、人間の善き心を信じて戦い続けた人間たちの物語に通じるものであることは、言うまでもありません。
 冒険ファンタジーの一類型を用いつつも、その中でどこまでも現実の世界を、そしてより善き人間の理想を描く物語が、本作なのであります。

 実は本作の時点で物語はまだ完結していないのですが――海燕の冒険の旅の終わりが、人間の善き心の勝利が描かれる日を、心から楽しみに待っている次第です。


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東遊記

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