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2018.10.01

武川佑『鬼女の飯』 変人武将・長尾景虎が食らったもの


 『虎の牙』で鮮烈なデビューを飾った作者は、短編でも武田ものを手がけており、武田方(?)の作家という印象があります。しかし本作の主人公は、その宿敵たる長尾景虎(上杉謙信)。自らの家を捨てて出奔した景虎が、その途中にある娘と出会ったことでもたらされるものとは……

 戦国大名にまつわる逸話の中でも、ある意味最も異彩を放つ景虎の出奔事件。武田晴信と川中島で激突を繰り広げる真っ最中の弘治2年(1556年)、うち続く家臣同士の争い等に嫌気がさした景虎が突然出家・隠居を宣言、春日山城を飛び出して、高野山に向かってしまったという出来事であります。

 もちろん濁世からの出家遁世を夢見る者は史上無数におりますが、しかし軍神とも呼ばれた人物が、宿敵との死闘のただ中でいきなり自分の家を捨てて出奔するというのは、まず空前絶後の怪事件、いや珍事件と呼んでも良いのではないでしょうか。
 それだけに様々なフィクションでも題材とされているこの事件を、本作は題材としているのですが――しかし本作は文字通り一味違う内容となっています。

 重臣同士の争いに嫌気が差し、武士を捨てて出家することを決意した景虎。偶然その企てを知ってしまった侍大将の安田惣介は、巻き添えを食う形でその旅に同行することになります。
 旅の途中、越中を訪れた二人ですが、その地は長尾家が支援する椎名氏と守護代の神保氏が激しく争う真っ最中。そこで二人は、神保側の奴婢として足軽に混じって戦う少女・鈴と出会うことになります。

 鈴たちが椎名氏の支城・坪野城を攻めることを知った景虎は、何を思ったかその戦に参加すると言い出して……


 我々が長尾景虎という人物に持つイメージは、軍神・義の人など様々あるかと思いますが、その中には、変人・奇矯というものも確かにあるのではないでしょうか。その原因の一つがこの出奔事件かと思いますが、本作の景虎像は、これらのイメージを総合したものと感じられます。
 争いのまっただ中で出家を決断し強引に飛び出す、惣介をはじめとして家臣を振り回す、隣国の争いに首を突っ込んでこともあろうに長尾側を攻める――その言動の数々は滅茶苦茶ではありますが、ああ、この人であればこういうことをやりそうだ、と不思議に納得させられるものがあります。

 が、本作の景虎像は、既存のものに留まるものではありません。ここで描かれる景虎は、こうした様々なイメージ――すなわち周囲からの目や期待に戸惑い振り回される、悩める人間であることが、様々な形で描かれるのであります。
 それはたとえば、旅の途中、担ぐ御輿が誰であろうとかまわぬのだろうと自嘲する彼の(それに返す言葉を持たない惣介の)姿から――そしてその後の「戦はもう、厭になった」という言葉などに、はっきりと示されていると言えるでしょう。


 そんな彼の前に現れ、彼にとって一種の鏡とも役割を果たすのが、タイトルの「鬼女」――鈴であります。

 まだ十代半ばの少女でありながら、戦国の争いの中で家を失い、自由になるために――その条件がまたわかりやすくも凄まじい――戦い続け、新川郡の鬼女とまで呼ばれるようになった鈴。
 鈴にとって景虎は、家を奪った仇にも当たる人物なのですが――その彼女と肩を並べて戦うこととなった景虎が(そして景虎とともに戦うことになった鈴が)何を想い、何を決断したのか……

 不倶戴天の敵同士である二人の運命が一瞬交わったことが、しかし迷い多き二人の道を定め、人間として甦らせることになる――その複雑で皮肉な味わいは、強くこちらの心に突き刺さるのです。

 そしてもう一つ、景虎の人間再生を象徴するのが鬼女とともに題名に並ぶ「飯」――旅の先々で景虎が口にする食事であります。

 本作の各章に冠された食事の名――「昆布の握り飯」「瓜汁」「青菜粥」「どじょうの卵とじ」。これらはいずれも、景虎が口にするには粗末な食べ物ばかりではあります。
 しかしどのような食べ物であっても、人間の生を繋ぐには不可欠なもの。そしてそれを旨いと感じることは、とりもなおさず人間として生きる、生きているということなのでしょう。

 本作の結末において、鈴の作った握り飯を旨そうに食らった景虎。それは悩みの末に仏の道を歩もうとした景虎が、人間として甦ったことを示すのではないでしょうか。たとえそれが無数の人の命を食らう生だとしても……


『鬼女の飯』(武川佑 「小説現代」2018年10月号掲載) Amazon
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