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2018.11.15

柳広司『吾輩はシャーロック・ホームズである』 ホームズになった男が見た世界


 夏目漱石がロンドンに留学していた時期は、奇しくもと言うべきか、シャーロック・ホームズの活躍していた時期と重なっています。それ故、漱石が登場するパスティーシュも幾つかありますが――本作はその中でも最もユニークな作品でしょう。何しろ、漱石自身がホームズになってしまうのですから!

 ホームズが遠方の捜査でベーカー街を留守にしていた時に、ワトスンの前に現れた奇妙な日本人・ナツメ。
 留学中に神経衰弱に陥り、ついには自分のことをシャーロック・ホームズだと思いこんでしまったという彼の治療を依頼されたホームズは、ワトスンにナツメの行動につきあって欲しいと頼んでくるのでした。

 ホームズの真似をして、しかし結果は頓珍漢な推理を繰り広げるナツメに辟易しつつも、彼をホームズとして扱って共に行動するワトスン。
 そんな中、著名な霊媒師の降霊会に参加することになった二人は、ナツメが密かに想いを寄せる美女――かのアイリーン・アドラーの妹であるキャスリーンや、旧知の記者(元病院の助手)スタンフォドと出会うことになります。

 そして彼女たちとともに降霊会に参加したワトスンとナツメですが――真っ暗闇の中で奇怪な現象が次々と起こる中、当の霊媒師が何者かに毒殺されるという事件が発生。隣同士で手を繋ぐしきたりの降霊会の最中に、誰が、どうやって霊媒師を殺したのか。そして何のために?
 勇躍推理を始めたナツメと彼に振り回されるワトスン、二人の捜査はやがてロンドン塔を騒がす魔女騒動に繋がっていくことになるのですが……


 冒頭に述べたような理由で、山田風太郎や島田荘司によって描かれているホームズと漱石の共演。本作もそうした作品の一つなのですが――タイトルの「吾輩は」というワードは、漱石の代表作を指している=本作に漱石が登場しているという意味だろうと思ってみれば、いやはや、本当にタイトル通りの作品だったとは!

 ロンドン留学中の夏目漱石が神経衰弱に陥って大いに苦しんだのは有名な話ですが、本作はそのエピソードを大胆に活用、気晴らしにホームズ譚を読むことを勧められた漱石が、自分がホームズになったと思い込んでしまうというのは、これは空前絶後のアイディアというべきでしょう。
 しかもそれが他の作品のようにホームズ顔負けの推理力を発揮するのではなく、いわゆるホームズもどきものの定番どおり、ホームズの真似をして全然見当違いの推理をするのも、実に可笑しいのであります。(もちろんそれだけではないのですが……)

 そしてホームズの「あの女性」であるアイリーン・アドラーのその後が語られたり、ホームズとワトスンを出会わせて以来登場の機会がなかったスタンフォード(本作ではスタンフォド)が登場したりと、ホームズ譚としても面白い試みがなされているのも目を引きます。
 個人的には、作中の出来事としての『最後の事件』『空き屋の冒険』の発生年と、作品としてのそれらの発表年のズレがガジェットの一つとして使われている――それゆえホームズの不在がさほど不自然に思われない――
というのにも感心いたしました。


 しかし本作は、面白可笑しいパスティーシュだけではないということが、やがて明らかになることになります。
 物語の核心に触れるためにここでは詳述はできませんが、この事件の背後にあるもの、事件を引き起こしたのは、この当時に海外で起きたある出来事であり――そしてそれはやがて、当時のイギリスの、そして白人社会の矛盾と闇を容赦なくえぐり出していくのであります。

 そしてその矛先は、ホームズ譚の現実の生みの親であるコナン・ドイル自身にも向けられることになるのですが――作中でワトスン=ドイルであると、非常にインパクトのある形で指摘が行われるのも印象に残ります――これはドイルの事績を見れば、なるほどと頷けるところであります。
 またその視点が、まさしくそんな白人たちの世界である国際社会の中の、日本の在り方に悩んでいた漱石が本作に登場する必然性、漱石が主人公である理由にまで――漱石の作品を巧みに引用しつつ――繋がっていくに至っては、感嘆するほかありません。


 ユニークなホームズ譚であると同時に有名人探偵ものであり、そしてそれを通じて当時の社会の様相を鋭く剔抉してみせる――これまで様々な有名人探偵ものを送り出してきた作者ならではの作品であります。

『吾輩はシャーロック・ホームズである』(柳広司 角川文庫)

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