« 肋家竹一『ねじけもの』第3巻 大妖が見た人間の生の意味と無意味さと | トップページ | 『どろろ』 第三話「寿海の巻」 »

2019.01.22

作楽シン『ハイカラ娘と銀座百鬼夜行』 「ぼく」の目から見たお嬢様とあやかし大騒動


 文明開化して久しい明治後半の銀座を舞台に、元気と好奇心一杯の男爵令嬢と、彼女に振り回されまくるワケありの書生の凸凹コンビ(トリオ?)が繰り広げる百鬼夜行騒動を描く、第3回カクヨムWeb小説コンテスト キャラクター文芸部門 特別賞受賞作であります。

 明治数十年、既にガス灯など新しい風物が定着し、さらに新しいものへと移り変わりつつある時代――そんな中で気を吐くのは、あたらしき女として毎日好奇心と元気いっぱいで駆け回るハイカラ娘こと環蒔お嬢さん。
 長崎の田舎から出てきて、お嬢様の父である男爵に拾われた「ぼく」こと溝口青年は、書生として高辻男爵の世話になりつつ勉学に励む毎日なのですが――しかし何かとお嬢さんの持ってくるトラブルに巻き込まれることになります。

 銀座の煉瓦街に百鬼夜行が出た、消えたり空を飛ぶ巨大な黒い犬が現れた、女学校の友達の袂に恋文が入っていた等々……
 平穏に生きて、男爵に恩返しをすることが望みの「ぼく」ですが、こうも面倒ごとに巻き込まれてはそれもままなりません。しかも相次ぐ事件には、どうやら人ならざるものが絡んでいて――とくればなおさらであります。

 実は人ならざるものとは無縁ではない――どころか、深い関係にある「ぼく」は、お嬢さんに振り回されるまま、難事件に挑むことに……


 というわけで、タイトルに違わず、流行の最先端のそのまた先を行くハイカラ娘と、それとは正反対の存在である百鬼夜行――すなわち妖(あやかし)が物語の中心となる本作。
 あやかしものはライト文芸の花(の一つ)ですが、それを明治も後半のこの時代、そして銀座というこの場所――すなわち、こうした古い時代の存在とは対極を成す世界に持ってきたのは、本作の着眼点の良さでしょう。

 しかし本作の主人公は、そのハイカラ娘ではなく、彼女に――いや彼女の父に仕える書生であり、物語はその一人称で進んでいくのも面白い。
 基本的にトラブルメーカーであり、そしてそのトラブルの始末を(悪気は全くないとはいえ)主人公にブン投げてくるお嬢さんは、一歩間違えれば読者のヒートを買いそうなキャラクターではありますが、ここで最大の被害者(?)である「ぼく」が真っ先にツッコミを入れることで、その印象をうまく緩和しているのに感心させられます。

 理解のある主人とお嬢様に囲まれて平和に暮らす実は○○○の主人公が、怪異絡みの事件に巻き込まれて――という設定自体は、正直なところなんとなく既視感があります。しかし妖の仕業なのか、妖のふりをした人間の仕業なのか、幾重にも捻った末にとんでもないクライマックスが、という物語展開は大いに楽しめました。
 お嬢さんと「ぼく」だけでなく、意外なキャラクターが思わぬ味を出してきたり、また明治ものとして見た場合でも、あまり他の作品では取り上げられないような風俗が物語で思わぬウェイトで語られたりといった点も目を引くところです。


 そんなわけでキャラクターの点でも物語の点でもなかなか楽しい本作なのですが――個人的にどうしても気になった点が一つ。それは物語の終盤、「ぼく」があるキャラクターに対して示した態度であります。

 物語の核心に近い部分なので詳細は述べませんが、このキャラクターはある意味「ぼく」とは鏡合わせの立ち位置であり――そして裏返せば最も近い存在、似たような運命を背負った存在です。
 しかしそんな相手に対しての「ぼく」の態度はいささか冷たすぎるのではないか――もちろんそんな態度を取る気持ちもわかるのですが、しかしそこにいわゆる生存者バイアスを感じてしまうのは、これは穿った見方でしょうか。

 物言う人間に対してどこか感じられる冷たさ(まあこれは明らかにダメな連中なのですが)も含めて、読んだ後になんとなくすっきりしないものが残るのは、それ以外の部分は楽しめただけに、残念なところではあります。


『ハイカラ娘と銀座百鬼夜行』(作楽シン 富士見L文庫) Amazon
ハイカラ娘と銀座百鬼夜行 (富士見L文庫)

|

« 肋家竹一『ねじけもの』第3巻 大妖が見た人間の生の意味と無意味さと | トップページ | 『どろろ』 第三話「寿海の巻」 »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 作楽シン『ハイカラ娘と銀座百鬼夜行』 「ぼく」の目から見たお嬢様とあやかし大騒動:

« 肋家竹一『ねじけもの』第3巻 大妖が見た人間の生の意味と無意味さと | トップページ | 『どろろ』 第三話「寿海の巻」 »