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2019.03.06

築山桂『影の泣く声 左近 浪華の事件帖』 帰ってきた美剣士、そして在天の意味


 大坂の守り神・在天別流が帰ってきました。在天別流の男装の麗人・左近の活躍を描くシリーズの、実に7年ぶりの新刊であります。血生臭い事件や噂が絶えない廻船問屋の謎と、敬愛する兄や馴染みの情報屋の過去の秘密と――二つの謎に翻弄されながら、左近は真実を求め奔走することになります。

 難波宮の昔から大坂を密かに守護してきた一団・在天別流。彼らは四天王寺の楽人を表の顔としつつ、大坂の町の人々を守るため、時の権力者から距離を置き、歴史の闇の中で活躍してきた守護者であります。
 本シリーズの主人公は、その当主・弓月王の腹違いの妹で男装の美女・東儀左近。最近まで暮らしていた江戸を出奔し、大坂にやってきた彼女は、お目付役であり兄の親友の若狭とともに、在天別流の一員として活躍しているのであります。

 そんな彼女が四天王寺の境内で出会ったのは、死んだ息子の仇をとってほしいと呼びかける、粗末な身なりに不似合いな大金を持った女。聞けば彼女の幼い息子は、廻船問屋・長浜屋の荷車にひき殺され、しかし長浜屋も車夫もお咎めなしだったというのであります。
 はたして彼女の話が真実か、探索を始めた左近。しかし彼女が知ったのは、毎日子供のために祈る長浜屋を褒めそやす人々の評判と、子供の父親の悪評でした。

 子供が死んだのは真実、しかし本当に悪いのは何者か――悩んだ左近に近づいてきたのは、顔馴染みの情報屋・赤穂屋。普段は居酒屋を営みながらも、在天別流も及ばぬ情報収集能力を持つ彼は、左近にある条件と引き替えに、情報提供を申し出ます。
 その条件とは、京都所司代・水野忠邦に対する弓月の動きを教えること――以前、刺客に狙われた忠邦一行を救った弓月に対して、忠邦は仕官を求めてきたのであります。

 一方、左近の前に現れた水野家の家臣・小田切は、在天別流の存在を察知しただけでなく、何故か長浜屋にも興味を持ち、左近につきまとうことになります。そして弓月もまた、以前から長浜屋のことを探っていたことを左近は知るのでした。
 果たして長浜屋で何が起こっているのか。長浜屋と弓月、水野家の関係は。謎めいた動きをみせる赤穂屋と弓月の真意は。そして二人の過去に何があったのか……


 作者のデビュー作『浪華の翔風』に登場し、その後ドラマ化された『緒方洪庵・浪華の事件帳』のヒロインとして活躍し、スピンオフである本シリーズの主人公となった左近。
 残念ながら諸事情により本シリーズは長きに渡り中断した形となっていましたが――昨年『緒方洪庵・浪華の事件帳』が舞台化されたのに伴い、旧作の新装版が刊行され、そしてついにこの新作の登場に至りました。

 そんな記念すべき復活作である本作ですが、しかし左近は、謎めいた状況と周囲の動きに、大きく翻弄されることになります。
 元々、周囲の者たちがそれぞれの思惑を秘め、誰が味方で誰が敵かわからなくなるような、謎めいた展開が多い本シリーズ(というより作者の作品では多く見られる趣向に感じます)。その中でも本作は、特に左近の翻弄される度合いが大きいと感じられます。

 そもそも、本作で左近を振り回すのは、彼女が最も敬愛し、最も信頼する兄・弓月と、在天別流の人間ではないものの、弓月の半ば子飼いのような形で活動し、彼女とも表裏に渡って馴染み深い赤穂屋の二人。
 つまり彼女にとって最も近しい二人が、それぞれに不可解な動きを見せ、彼女を悩ませるのであります(ちなみに二人は、左近ともども『浪華の翔風』からのキャラクター)。

 まだ若く、そして二人に頼る部分も多い左近にとって、それは大いに心悩ませる状況。事実、本作は復活作であるにもかかわらず、終盤まで彼女は翻弄されっぱなしという印象もあるのですが――しかしそれが逆に、彼女が真に信じるもの、求めるものが何であるかを浮かび上がらせるように感じられるのが、実に面白いところであります。

 それは言い換えれば、左近がどのような人物であるのか、そして同時に、そんな彼女の居場所である――そして本シリーズで最も特徴的な存在であり、物語の中心に位置する――在天別流とは何なのか、という根本的な問いかけに繋がっていくことになります。
 そう、本作には7年ぶりに左近を描くに当たり、彼女と物語世界の再確認、再定義を行っている――そんな印象すらあります。その意味では、復活作に実に相応しい内容と言えるでしょう。


 何はともあれ、左近と在天別流の物語は再び始まりました。この先、時系列的には後に当たる『緒方洪庵・浪華の事件帳』に至るまで、左近が何を見て、何を感じるのか――大きな楽しみが帰ってきた、そんな気持ちであります。

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影の泣く声-左近 浪華の事件帖(3) (双葉文庫)


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