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2019.04.01

西條奈加『雨上がり月霞む夜』 雨月物語を生んだ怪異と友情


 怪談文学、いや江戸文学史上に重要な位置を占める上田秋成の『雨月物語』。本作『雨上がり月霞む夜』は、その雨月物語誕生秘話とも言うべき物語であります。秋成とその親友・雨月、そして兎の妖という、おかしな二人と一匹によって語られる真実の物語とは……

 おそらくは怪異怪談を愛する方であれば、一度は読んでいるであろう『雨月物語』――「白峯」「菊花の約」「浅茅が宿」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の婬」「青頭巾」「貧福論」の全9話からなる怪談集であります。
 この雨月物語は、描かれる怪異の真に迫った恐ろしさや奇怪さもさることながら、怪異のための怪異を描くのではなく、それが人間の心理に深く根ざしたものである点で、豊かな味わいを持つ文学であります。

 さて、その作者・上田秋成は、もともとは大坂堂島の紙問屋・嶋屋を営んでいた歴とした商人。しかし元々あまり商売が得意でなかったところに、大火で焼け出されて店を失い、その結果、医師として、そして国文学者、作家としての道を歩き始めたというのは、これは歴とした史実です。
 そして本作は、その秋成が焼け出されて避難していた頃を舞台とした物語であります。

 家を失い、幼なじみの雨月が暮らす香具波志庵に転がり込んだ秋成。人嫌いの風流人ながら、秋成には優しい顔を見せる雨月は、しかし妖を見る力を持つ人物でもありました。
 ある晩出会った兎の妖を連れ帰った雨月。その時から秋成は、様々な怪異に巻き込まれることになるのです。

 「紅蓮白峯」「菊女の約」「浅時が宿」「夢応の金鯉」「修羅の時」「磯良の来訪」「邪性の隠」「紺頭巾」「幸福論」――0本作を構成する9つの怪異譚。これらが、そのタイトルや内容において、雨月物語のパロディとなっているのは一目瞭然でしょう。
 いや、パロディというのは正確ではないかもしれません。本作においては、この秋成が経験した物語こそが真実であり、雨月物語の原型である――そんな趣向なのですから。


 歴史上の文学者を主人公とした物語において、その物語の内容が――主人公自身が経験した出来事が――その代表作誕生のきっかけとなるという作品は、決して珍しくはありません。本作も、そんな作品の一つであります。
 もちろん雨月物語を知らずとも、十分独立した物語として本作を楽しむことはできますが、雨月物語を読んでいれば、あの人物が、あのシチュエーションが、あの怪異が――見事な本歌取りとして描かれるのを、存分に楽しむことができるでしょう。

 そんな一種のエピソードゼロとしても、本作は実に楽しいのですが――しかし決定的にユニークな作品としているのは、雨月の存在であります。
 秋成の幼い頃からの親友であり、今でも彼の頼もしくも優しい友人として、彼の近くに在る雨月。妖の世界に通じるというその力も含めて、彼が本作のもう一人の主人公であると申し上げても間違いないでしょう。

 しかし、ここで秋成の事績を知る方であれば、首を傾げるのではないでしょうか。いや、そうでなくとも、作中でほとんど冒頭から幾度となく描かれる雨月の言動から、そして作中のある描写から、これはもしかして○○ものでは――と感じる方も多いのではないでしょうか。
 私もかなり早い段階からそう感じたのですが――しかし終盤で描かれる真実は、その予想を遙かに超えて、意外な方向に展開していくことになるのです。

 そう、本作で、本作の終盤で描かれるのは、上田秋成という人物が抱いてきたある想いの真実であります。
 今でこそ、雨月物語の作者として千歳に名を残す秋成ですが、しかし彼は決して作家として順風満帆な人生を歩んだわけではありません。いやむしろそれとは正反対に、そこに至るまでかなりの遠回りをした人物といえます。

 本作で怪異と平行して幾度も描かれてきたのは、そんな秋成の自意識。作家となることを、作家であることを望みながらも、そんな自分の姿を否定する秋成の姿に、共感を覚える方も少なくないかもしれません。
 そんな秋成の背中を押したのは何であったか、本作の経験を、雨月物語として昇華させた原動力はなんであったのか――本作はそれを時に恐ろしく、時に可笑しく、そして時に美しく描き出すのです。秋成と雨月の友情を通じて。


 本作を読んだ後、『雨月物語』の題を見たとき、これまでと違う感慨と、嬉しさとも哀しみともつかぬ不思議な感情を味わう――そんな物語であります。


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