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2019.04.27

『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第12巻 史記から一歩、いや大跳躍の鴻門の会


 項羽とのデッドヒートを制し、ついに秦を滅ぼした劉邦。しかし劉邦の愚策によって項羽は激怒、劉邦の命はもはや風前の灯であります。この窮地を逃れるため、劉邦と張良の乾坤一擲の勝負の行方は――『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第12巻を丸々使って描かれるのは、かの「鴻門の会」であります。

 張良の奇策に次ぐ奇策でもって、ついに先に関中に入り、そして秦皇帝を降伏させた劉邦。悲願であった秦を滅ぼし、さしもの張良も気が緩んだところに、思わぬ事態が発生します。
 小人の献策を取り入れ、項羽を締め出して敵視するような対応を取ってしまった劉邦。これに激怒した項羽は劉邦抹殺の決意を固めるのですが――かつて張良に命を救われた項伯の急報によって事態を知った張良は、劉邦に命懸けの策を授けるのでした。

 項伯の取りなしによって、項羽と対面し、釈明する――一歩間違えれば、いやかなりの確率でその場で項羽に討たれてもおかしくないこの策に望みを託し、劉邦と張良は鴻門に向かうことに……


 かくてこの巻で描かれるのは、史上名高い鴻門の会。形の上は劉邦を許した項羽によって開かれた宴席で、幾度にも渡り劉邦に命の危険が迫る――という故事であります。

 この見せ場の固まりのような鴻門の会ですが、しかし冷静に考えるとビジュアル的にはかなり地味。項羽と劉邦、范増と張良、そして項伯の男五人だけで酒を酌み交わすという華のない(軍営の中なのですから当たり前なのですが)場なのですが――しかしここで繰り広げられるのは、どんな戦いよりも激しい、一進一退の攻防なのです。

 劉邦が項羽に対して(文字通り)必死の釈明を試みるのに対し、何としても項羽に劉邦を討たせようとする范増。そしてそれが叶わないと知り、范増は項羽の従兄弟の項荘に剣舞を舞わせ、劉邦を斬らせようとするのですが――そこで項伯が命懸けのブロックに出ることになります。
 それでもなお続く危機に、張良が呼び寄せたのは――と、この巻の前半では、鴻門の会での攻防が、史記を踏まえて描かれることになります。

 この辺り、かなり史記に忠実なのですが、しかしこれまで10巻以上にわたって描かれてきたキャラクターたちのやりとりは、それだけでも十分以上に濃厚な味わい。そしてそれだけでなく、諸処に挟まれるアレンジがまた、実に良いのであります。
 その最たるものが、張良が呼んだあの男の言動でしょう。史記で描かれたそれよりもさらに単刀直入に項羽に迫り、命という名の盾となって劉邦を守ろうとするその姿は、あの項羽をして「壮士」と呼ばせるのに十分な迫力で、実に痛快であります。

 史記の描写を愚直なまでに踏まえつつ、しかしそれだけに終わらない一歩を踏み出してみせる。これまで幾度も見せてくれた本作ならではの魅力は、ここでも健在なのです。


 と――上で述べたように鴻門の会が描かれるのはこの巻の前半部分。劉邦は項羽の手から脱し、死地を逃れるのですが――しかし本作は、その先を描いてみせるのです。

 劉邦に対する殺意を失い、彼を赦した項羽。しかしこの機に劉邦を除くことに固執する范増は、密かに項荘を呼び、軍を率いて劉邦を討つように命じるのでした。
 襲われて敗れればもちろん命はない。いや、襲われて反撃したとしても、敵意ありとして結局は項羽に討たれることとなる――この絶対の死地に対して、張良が取った一手とは。そして覚悟を決めた張良に迫る項荘の前に立ちはだかったのは、もちろん――!

 と、ここから繰り広げられるのは、一種の神経戦であった鴻門の会とはある意味正反対の、ド派手でフィジカルな戦い。そしてその戦いの中心に立つのは、本作のフィクションの部分を支えてきたあの男であります。
 いやはや、一歩どころではない大跳躍ですが、しかし史記の表を描き、その隙間を埋めるだけでなく、その裏で自由に、豪快に奇想を遊ばせてこそ、本作らしいと言えるでしょう。

 そしてそんな豪快な展開の一方で、韓信の帰順や陳平との因縁を織り込んでみせたり、史記ではほとんど剣舞のためだけに登場した項荘のその後を描いたりと、構成としても抜群にうまいこの展開には、さすがは――と感心するほかないのであります。


 そしていよいよ新たな道を歩むことになる劉邦と項羽。二人の、そして張良の先に待つものは――ある意味、ここからが物語の本当の始まりであります。


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