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2019.04.02

蝸牛くも『天下一蹴 今川氏真無用剣』 普通の人間・氏実の冒険行


 『ゴブリンスレイヤー』の作者のデビュー前に、GA文庫大賞最終選考まで残ったという幻の作品が、本作『天下一蹴 今川氏真無用剣』。その副題の通り今川義元の子・氏真を主人公としつつ、波瀾万丈の時代伝奇活劇を描いてみせた、ユニークな作品であります。

 桶狭間の戦いで討たれた父・義元の後を継ぎながらも今川家を没落させ、今は妻の蔵春と二人、静かに暮らす駿河彦五郎こと氏真。ある日、旧知の徳川家康に呼び出された彼は、かつて父が佩いた名刀・義元佐門次を、京の織田信長に届けるよう依頼されるのでした。

 二つ返事で引き受けた氏真ですが、しかし浜松から京に至るまでの道中で次々と彼を襲うのは、謎の怪人・黒式尉率いる甲賀金烏衆なる忍びたち。忍術、射撃術、剣術、幻術――常人離れした秘術の数々で襲いかかる刺客たちを前に氏真が振るうのは、塚原卜伝直伝の新当流剣術、そして飛鳥井の蹴鞠……!?


 というわけで、歴史時代小説多しといえども、かなり珍しい今川氏真を主人公とした長編である本作。短編の主役や、物語の脇役となることはそれほど少ないわけではないのですが――しかし長編の主人公になりにくいのは、偏にどうにも締まらない生涯によるのでしょう。

 一時は京を窺った父を失った後、その勢力を立て直すこともできずに坂道を転がるように今川家は没落、自分は妻の実家である北条家、そこを放逐された後は家康を頼って生きる。
 特技は和歌と蹴鞠、特に蹴鞠の腕は、父の仇である信長に望まれて、その前で披露したほど――という凄いのか凄くないのかわからないエピソードが残るくらいであります。

 と、豊臣家滅亡の前年まで生きた長寿を除けば、あまり――少なくとも戦国大名としてみれば全く――パッとしない氏真。なるほど確かに扱いにくい人物ですが――それを本作が、鮮やかに生まれ変わらせてみせたのに驚くほかありません。
 蹴鞠や和歌はもちろんのこと、剣聖・塚原卜伝直々の教えを受けた(これもまた史実であります)無双の剣士。それでいて決して敵の命を奪わず、愛する妻との平穏な暮らしを何よりも尊ぶ温厚かつ飄々とした男……

 もちろんフィクションとしての脚色であるのは言うまでもありませんが、しかし史実を踏まえつつ、こうした人物に氏真を造形するのか、出来るのかと、新鮮な驚きを味わいました(その妻の蔵春が、ツンデレ気味の女ガンマンというのも、これはこれで面白い)。
 特に物語の序盤、敵の忍者相手に飛鳥井流の技を生かして戦いを挑むくだりなど、ある意味お約束かもしれませんが、実にユニークで、新鮮であります。

 そしてそんな彼が道中で戦う、あるいは出会う人物も、全てではないにせよ、実在の人物揃い(女体化している人もいますが)なのが嬉しい。
 特に怪剣を操る無双の剣鬼として登場するある人物など、氏実の使う剣流を考えればなるほど、と膝を打ちたくなる人選で――ちょっと時代劇をやってみた、というのとは全く異なるレベルの嗜好・志向が感じられるのには、強く好感をおぼえます。


 もっとも、作者の最初期の作品であるためか(それなりに改稿はされているのだとは思いますが)、文章や言葉遣いにかなり固い点があるのは、大いに残念なところではあります。キャラクターについても、類型的な造形が少なくないのが気になります。

 このような難点は否めないものの、しかし私が本作に魅力を感じるのは、やはり今川氏真という題材と、何よりもその彼の造形によります。

 先に述べたように、ある種浮き世離れした、何者にも縛られぬ自由人として感じられる氏真。しかし物語が進むにつれて、彼の胸中にある深い屈託と、ある種の諦念が浮き彫りになっていくことになるのです。
 所詮自分は今川家を滅ぼした無用の人間。和歌にしても剣にしても、決して超一流などではない――そんな彼の想いは、普段が普段なだけに、表れたときにフッと胸を突くものがあります。

 しかし、だからこそいい。決してヤレヤレ系でもチートでもない、普通の人間の心を持った氏真が、普通の人間として怪人たちに挑む――その姿には大いに共感できるものがあるとともに、典型的な凡愚の将として描かれることの多かった氏真を、一人の人間として描き直す試みであるとも感じられます。

 そんな氏真の姿を、これからも(現在の作者の筆で)読んでみたい――そんな気持ちになる作品であります。


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天下一蹴 今川氏真無用剣 (GAノベル)

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