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2019.09.14

京極夏彦『前巷説百物語』(その二) モラトリアムの終わり、又市の物語の始まり


 シリーズ第4弾、『前巷説百物語』の紹介の後編であります。ゑんま屋と仕掛けを繰り広げる中で、徐々に自分のやるべきことを見いだしていく又市。しかし恐るべき敵との対決が彼の運命を否応なしに変えていくことになります。その先で彼が選んだ道は……

『かみなり』
 無数の女性を弄んできた立木藩の江戸留守居役に大恥をかかせた又市たち。しかし留守居役は腹を斬り、又市はやり過ぎだったのではと考えることになります。
 その危惧が当たったかのように、何者かにさらわれたお甲と角助。さらに又市たちも不気味な男たちに捕らえられ、その命は風前の灯火となります。助かる道は、彼らへの依頼を取り消させること。ただ一人、絶望的な状況に置かれた又市の前に現れたのは……

 損を買う=その損を作った者を仕掛け、懲らしめてきた又市たち。しかし本作で描かれるのはその行為の負の側面であり、そしてそのために彼らが逆に追い込まれ、死の恐怖を味わうというハードな物語であります。
 いかにもう一つの顔があるとはいえ、ゑんま屋は表の世界の稼業。しかし本作で彼らの前に現れたのは、完全に裏の稼業の者たち――いかに寅之助でも容易には太刀打ちできない相手というのが、絶望感を高めます。

 そんな状況で、誰が、何故依頼したかもわからない自分たちへの復讐を取り消させるという、シリーズでも屈指の不可能ミッションに挑む又市。正直なところ、強力すぎるジョーカーに助けられたところが大ですが、しかし本作で描かれた始末は、八方丸く収めてみせようとする後の又市の仕掛けの原点の一つと言って間違いはないでしょう。


『山地乳』
 道玄坂の縁切り堂の黒絵馬に名前を書かれた者は三日以内に死ぬという噂。既に数十枚の絵馬に名前が書かれたという事態を重くみた南町の町方同心・志方は、絵馬に自分の名を記すことで自分を囮にするのでした。
 一方、ゑんま屋を訪れた大阪の一文字屋仁蔵からの使いは、この黒絵馬の背後に潜む巨悪とその恐るべき仕掛けを語り、ゑんま屋に巨額の依頼を持ちかけるのですが……

 ついに登場した稲荷坂の祇右衛門。『続』の「狐者異」に登場したこの因縁の怪物と、ついに又市たちは対峙することになります。
 そしてその戦いのきっかけとなるのが黒絵馬――名前を書いた相手が死に、そして絵馬は黒く塗りつぶされるという都市伝説めいた存在ですが、その背後に隠された意図は邪悪きわまりないものであり、祇右衛門ならではの悪事と言うべきでしょう。

 一歩間違えれば自分たちも命を落としかけない恐怖の大仕事に挑む又市たちですが――これまでのエピソードでも活躍(?)し、結果として又市たちを助けてきた志方同心を利用しての逆襲は痛快の一言で、前話のモヤモヤも吹き飛びます。
 そしてここに至り、又市が八方丸く収めるための方便として、妖怪を用いる理由が明確に描かれたことも、注目すべき点であります。


『旧鼠』
 何者かに無惨に殺され、江戸に晒されたゑんま屋の協力者たち。これまで祇右衛門の悪事を潰してきた自分たちへの報復だと悟る又市たちですが、時既に遅く、次々と仲間たちが姿を消していくことになります。
 頼みの綱の寅之助も失い、絶体絶命の又市の前に現れた男の驚くべき正体とは……

 ゑんま屋壊滅というショッキングな展開が真っ正面から描かれる最終話。林蔵が、お甲が、角助が仲蔵が、棠庵が寅之助が――ある者は去り、ある者は死に、ある者は消えていくのは、いつかはこの時が来ると覚悟していたものの、あまりに辛い展開です。

 そしてここで描かれるのは、又市と祇右衛門の戦いの最初の結末――『狐者異』で触れられた十年前の戦いの真実であります。
 しかしそれは実際のそれはとても戦いと呼べるものではなく――一文字狸や御燈の小右衛門といった暗黒街の超大物たちの力を借りても、又市にできるのはただ右往左往することだったという事実が、苦く刺さります。
(そしてここで描かれる祇右衛門配下の者たちの通り一遍でない真実もまた圧巻!)

 その又市が、本作の結末で何を見ることになり、そして何を得て何を捨てるのか――シリーズでも屈指の名場面であるここで描かれるのは、又市にとってのモラトリアムの終わりであります。
 これまで渡世の表と裏をふらふらとしながら、青臭い言葉を語り、何とかそれを現実のものとしようとしてきた又市。結末の又市の姿は、そんな彼のモラトリアムとの決別であり――そして覚悟の姿なのです。

 シリーズの前日譚として、これ以上はない結末というべきでしょう。


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