松尾清貴『南総里見八犬伝 3 美女と悪女』(その二) 美女にまつわる「理不尽」と「転生」
松尾清貴版『南総里見八犬伝』第3巻「美女と悪女」の紹介の後編であります。美女・雛衣を襲う理不尽な運命――その根底にあるものを本作は容赦なく描き出すことになります。
絶縁状態にあった赤岩一角が、いわば復縁の条件として角太郎に求めたもの――それは怪我をした自分の片目の治療のために必要となるという、胎児の生き肝とその母の心臓の血でありました。
何という理不尽、何という残酷趣味――第2巻で描かれた男女の血で破傷風を治療するというくだり以上に、現代の目で見れば迷信にもほどがある、そして胸の悪くなるような「薬」であります。
もちろん読者には、この一角が実は現八に片目を射られた怪猫であることは周知のことであり、この要求は、如何にも妖怪らしい言い様だと納得できないでもありません。しかし――納得できないのはこの先であります。如何に親とはいえ、自分の妻に対するこのあまりに理不尽な要求を、角太郎は呑んでしまう――少なくとも雛衣がその言葉に従うのを黙認してしまうのですから。
そして角太郎が、いや雛衣も、ここで命を捨てることを悲しみこそすれ、その運命そのものには納得しているのであります。これこそが真の理不尽ではないでしょうか?
そんな角太郎の、そして雛衣の姿を本作は見事に表現してみせます。この項の副題である「孝という呪縛」という言葉で以て。
もちろん、八犬士が代表する徳目に「孝」があるように、「孝」そのものが否定されるわけではありません。しかし本作は、角太郎の「孝」の在り方を――現八がその言葉で剔抉する以上に――痛烈に、しかし静かに角太郎にその非を悟らせることになります。一角が偽物であった以上に、自分の中に真の偽物があったことを自覚させることによって。
ここで本章の章題を振り返れば、それは「不孝物語」――読み終えて初めて理解できるこのダブルミーニングの妙には、ただ嘆ずるほかありません。
さて、本書のラストに控えるのは甲斐物語――奇しくもその「孝」の珠を持つ信乃が、放浪の末に足を踏み入れた冬の甲斐で、思わぬ出会いを経験することになります。
武田家家臣の泡雪奈四郎に鉄砲で誤射されたところに仲裁に入った土地の村長・四六城木工作のもとに逗留することとなった信乃。雪の深さと、木工作と意気投合したことから長逗留することとなった信乃ですが、奈四郎そして彼と密通していた木工作の妻・夏引によって思わぬ罪を着せられることに……
と、ここでも登場する「悪女」ですが、一方「美女」はといえば、それは何と浜路。
いやもちろん、信乃を恋い慕いながらも悲運に散ったあの浜路ではなく、偶然彼女と同じ名の木工作の娘なのですが――しかしこの浜路にあの浜路の魂が宿り、浜路くどきの再演ともいうべき行動を取るのですからややこしいというか何というか。
実はこの甲斐物語、この部分に限らず、登場人物の配置や出来事を見れば、大塚村の物語の再話とも言うべき内容。もっとも、悲劇の連続であったあちらに比べ、こちらはグッドエンドルートに進んだという趣すらあるのですが――終盤に登場するあの人物の行動も含め、大塚村のくだりの救済となっていると考えるべきでしょうか。
しかし――ここで個人的に納得がいかないのは、浜路の扱いであります。ここに登場する甲斐の浜路は、いかに八犬伝を支配する論理の一つである名詮自性を踏まえたとしても、あくまでも大塚の浜路とは別人。
それがあたかも転生したかのような扱いで、信乃と結びつけられるのは、甲斐の浜路のパーソナリティを無視しているものではないか――というのは、これは個人的に生まれ変わりという概念が好きではないだけですが……
しかし本作においては、この甲斐物語における「転生」という言葉にもう一つ別の意味を与えることによって、これまでとはまた異なる印象を与えることになります。
そしてそれは、先に述べた大塚物語の再話という構造と重ね合わせる時、それでも取り戻せなかったものを描く、何とも切なくほろ苦い喪失の物語として描き直されていると――そう感じさせられます。
これもまた、信乃にとっての真の旅立ちである、というのは牽強付会に過ぎるかもしれませんが……
何はともあれ、放浪を経て再び重なり始めた八犬士たちの縁。おそらく次巻では七犬士の勢揃いまでが描かれるのではないかと思いますが、さてそれをどのように描いてみせるのか――原典に忠実で、そして同時に新しい物語であったこの第3巻までを見れば、この先もいよいよ楽しみになるばかりなのでであります。
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