松尾清貴『南総里見八犬伝 3 美女と悪女』(その一) スマートな「美女」と無骨な犬士と
現実に忠実でありながら、同時に極めて革新的で内容豊かな新たな八犬伝――松尾清貴版の『南総里見八犬伝』、待望の第3巻であります。第3巻は副題の「美女と悪女」のとおり、様々な形で犬士たちの前に女性たちが登場、彼らの冒険に大きな影響を与えるのですが……
犬川荘助の救出と犬山道節の仇討ちという二つの戦いの結果、管領軍に追われて荒芽山から落ち延びることとなった五人の犬士。それぞれが散り散りバラバラとなった彼らは、再び集結するまでに様々な冒険を繰り広げて――と、この巻で展開するのは、いわば放浪編とも言うべき内容。
犬田小文吾が犬坂毛野が引き起こした騒動に巻き込まれる対牛楼の仇討ち、犬飼現八が犬山大角とともに死闘を繰り広げる庚申山の怪猫退治、そして犬塚信乃が甲斐で思わぬ人物と再会(?)する甲斐物語と――犬士たちの冒険と、新たな二人の犬士の登場が描かれることとなります。
対牛楼の仇討ちは、悪党夫婦を退治したはずが、思わぬ成り行きから千葉家を牛耳る奸臣・馬加大記の下で囚われ人となってしまった小文吾の視点から描かれる物語。
ここで登場する悪党の妻こそが八犬伝における「悪女」の代表格ともいうべき船虫ですが、その一方で「美女」に当たるのは、やはり彼を助ける美しき女田楽師の旦開野ということになるのでしょう。
その旦開野にいきなり慕われてドギマギする小文吾も愉快ですが――言うまでもなく旦開野こそは、かつて大記によって一族を皆殺しにされた粟飯原胤度の遺児・犬坂毛野!
仇討ちは八犬伝の華とも言うべき要素ですが、しかしたった一人でここまで鮮やかに仇を討ってみせたのは彼くらいではないか――というくらいの手際の良さで片をつけ、小文吾まで連れ出すスマートさは、八犬士(この時点では彼自身はその宿命を知らないのですが)の中でも異彩を放っていると感じます。
このエピソード、毛野の鮮烈デビューが印象に残るのはもちろんですが――スマートな毛野と無骨さでは犬士一の小文吾の組み合わせが見事であります――しかしあくまでも小文吾視点で描かれる点が、今回印象に残ります。
もちろんそれは、小文吾視点によって毛野のキャラクターと彼の背負った物語が引き立つという効果を上げていますが、それだけではありません。
ここでの悪役である大記は、当時の関東における勢力の一つであった千葉家の家老。初登場エピソードがほぼ身内の物語であった小文吾は、ここで大記と関わりを持つことによって、初めてマクロな世界関わり合いを持ったのであり、ある意味これが小文吾にとっての本当の旅立ちだったのでは――とすら感じさせられるのです。
そしてもう一つ、個人的に興味深かったのは、猛獣を退治したことがきっかけで悪女と出会い、そしてまたそれが遠因で奸物の罠にかかり、大虐殺が繰り広げられる――という展開が、水滸伝の武松のエピソードの翻案となっている点であります。
しかも面白いのは、水滸伝の方では武松の大虐殺の巻き添えで美少女芸人が殺されるのが、八犬伝の方ではその美少女芸人(毛野)こそが大虐殺を引き起こすという点で――この辺りの捻り具合は、さすがに水滸伝マニアの馬琴先生と感じるのです。
さて、対牛楼の仇討ちがマクロな世界との出会いであった一方で、庚申山と犬山家にまつわる物語は、再び身内を中心とした、ミクロなエピソードと言えるものであります。
妖怪の噂を聞き流して庚申山に分け入った現八(ここも武松物語の翻案でしょう)が、配下を引き連れた妖怪と出会ってこれを退け、妖怪の犠牲者の亡魂と対話する――という冒頭部分は、八犬伝でもファンタジー度、というよりホラー度の高い部分ですが、その先に描かれる犬山大角(角太郎)の物語は、非常にドメスティックな内容なのですから。
高名な武芸者である父・赤岩一角に理不尽にも疎まれ、養子と出た先で妻を得て平穏な暮らしを始められるかと思ったものが、その妻に不義を疑って離縁し、自分も庵で蟄居していた角太郎。
しかしそんな彼をさらに苦しめるように、一角とその後妻・船虫(またもや悪女!)、さらに義理の弟は角太郎を責め苛み、そして恐るべき要求を突きつけることに……
と、善男善女が苦しめられることでは枚挙に暇が無い八犬伝でも、個人的には第2巻で描かれた古那屋の段と並び、屈指の理不尽さを感じさせられるこのくだり。
ここでの角太郎の妻・雛衣(ここでいう「美女」)を襲う運命を何と表すべきか、これまで様々な八犬伝でこの部分を目にする度に悩まされたものですが――さて本作はそれをどう描いたか?
長くなりましたので次回に続きます。
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