« 「ねこぱんち もののけ 鬼の怪」から時代ものをメインに | トップページ | トマトスープ『ダンピアのおいしい冒険』第1巻 食が描く自然と海賊の姿 »

2020.08.17

鶴淵けんじ『峠鬼』第3巻 神々のセンス・オブ・ワンダーと、人が人と共に生きる理由と

 山に神、峠に鬼がいるとされた時代――神代ほどではないにせよ、人がまだ神と接点を持っていた頃を舞台に、役小角と弟子たちが繰り広げる奇妙な旅の模様を描くシリーズの最新巻であります。葛城山の一言主のもとに向かう小角たちの旅は、いよいよ目的地目前にまで至るのですが……

 村を司る神の生贄に選ばれた少女・妙の前に現れた風変わりな一行。役小角と弟子の善(ともう一人)に出会った彼女は、思わぬ成り行きから神と対峙した末に役小角に弟子入りし、共に旅立つことになります。
 葛城山の一言主のもとに向かうという小角との旅の最中、各地で祀られてきた異形の神々と、彼らが持つ不可思議な力を持つ神器にまつわる騒動に次々と巻き込まれる妙。それは同時に、人と神の関わりを確認する旅でもあって……


 と、役小角伝説を題材にしつつも融通無碍にアレンジを加え、コミカルでユニーク、それでいてどこかしみじみとした味わいの人と神の物語を描いてきた本作ですが、その構図はもちろんこの巻でも変わりません。

 無人と見えた村で氏子たちを神器で縮小して集めていた能美火神、かつて天から落ちてきた夜空を手で受け止めたとい穂生倶主――この巻で登場するいずれの神も神器も一筋縄ではいかない存在ばかり。
 そんな神々とのやりとり、神器の神威に対して人の知恵で挑む展開の面白さは言うまでもありませんが、それだけでなく本作の場合、随所にSF的センスが濃厚に漂っているのが、大きな魅力となっています。

 能美火神のエピソードの後半の舞台となる世界にも驚かされましたが、それ以上にとんでもないのは、穂生倶主が受け止めたモノの正体。古代日本ファンタジーにこれを持ってきた時点で凄まじいのですが、これを素手で(?)受け止めてみせるとは、いやはやこれぞセンス・オブ・ワンダーというほかありません。
 神話に描かれたものをSF的に解釈する作品は少なくありませんが、本作のように、SF的な事象を神話のセンスで料理するという物語は珍しく、その点もまた大いに魅力的に感じられる次第であります。


 しかし、本作は野放図な神々の世界との対峙を描くだけの物語ではありません。本作は同時に、人の世界に存在する様々な情の存在を、そしてそれを失って鬼と化した者たちの存在を描く物語でもあります。
 この巻に収録された小角の修行時代の――そして小角と善の出会いのエピソードは、まさにそんなひどく重いものを描いた物語であります。

 役小角伝説における前鬼に当たる善――その彼は、普段は少年の姿ながら、ひとたび小角に課せられた封印を解けば、二本の巨大な角を持つ姿に変わる「鬼」であります。
 本作において人が鬼と変わる理由――それはここでは伏せますが、まさにこの世に現れた地獄と言うべき場で生まれた、善たち鬼の存在を描くこのエピソードは、とてつもなく重く苦いものを、我々の胸に残すのです。

 が、本作はそれだけで終わるものでは決してありません。ここで同時に描かれるのは、この世において人と人が関わり合うことで生まれるもの、そして人が人に与えられるものの存在――あるいは、人が人と共に生きる理由であります。
 そしてそれは、まさしく人知を超えた神威を持つ本作の神々のほとんどが、孤独な存在であること――そして妙たちとの出会いを経て、人との在り方を思い出していくこと――と対比を為すものではないかと、そう感じられます。


 そう、神もこの世に存在するものであれば、人と寄り添うことはできるはず。葛城山への小角の旅は、まさにそれを目指すものであることが、これまでの物語の随所で描かれてきたのですが――しかし、そうであれば何故小角は葛城山の一言主のもとを離れたのか、離れざるを得なかったのか。
 次の巻で語られる、本作の核心を成すであろうその物語には、今から大いに興味をそそられるのです。


『峠鬼』第3巻(鶴淵けんじ KADOKAWAハルタコミックス) Amazon

関連記事
 鶴淵けんじ『峠鬼』第1・2巻 入り組んだ時間と空間の中に浮かび上がる神と人の関係

|

« 「ねこぱんち もののけ 鬼の怪」から時代ものをメインに | トップページ | トマトスープ『ダンピアのおいしい冒険』第1巻 食が描く自然と海賊の姿 »