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2020.08.27

田中啓文『文豪宮本武蔵』 武蔵、明治の日本文学に近代人の己を見出す

 文豪という言葉も、剣豪という言葉もあります。そして剣豪といえばやはり真っ先に浮かぶのは宮本武蔵の名ですが――フィクションでの武蔵像数あれど、武蔵を文豪にしてしまったのは本作が初めてではないでしょうか。作者の名前を見ればそれも納得の、極め付きにユニークな物語であります。

 ことの起こりはかの巌流島の決闘――紙一重の差で小次郎に勝利を収めたものの、成り行きから小次郎を殺めてしまった武蔵。しかしビジュアルには大いに差があれど、武蔵も小次郎も剣しかない、剣だけで身を立ててきた男――自分の同類の生命を奪ってしまった彼の心には何とも言えぬ苦いものが残ります。
 しかも小次郎には病身の妹・夏がいることを知った武蔵は、せめて夏を助けたいと密かに援助しようとするのですが――一向に仕官の口はかからず、最後の戦というべき大坂の陣でも大した働きは残せぬまま終わります。

 一発逆転を夢見て江戸の柳生但馬守に挑戦状を叩きつける武蔵ですが、もちろん相手にされるはずもありません。焦って路上で但馬守に挑戦した武蔵は、相手の怒りを買ってついに斬り殺され――ついに武蔵も地獄に落ちたかと思いきや、そこに現れたのは小次郎。
 夏を助けるために一度だけ武蔵を救うと語る小次郎は、何と武蔵を別の世界に飛ばすというではありませんか。

 次の瞬間、武蔵が現れたのは奇妙な服と髪型の人々が闊歩する世界。そこで不注意から女性に突き当たって転んだ武蔵ですが、その女性こそは夏と瓜二つ、そしてその名は樋口夏子――すなわち樋口一葉。
 彼女から今が明治時代と聞かされた武蔵は、成り行きから正岡子規や夏目漱石と知り合うことになります。

 剛力を活かして人力車の車夫として暮らしながらも、一葉から借りた彼女の作品に触れ、文学に憧れを抱く武蔵。一葉と交流を深めていく武蔵ですが、しかしその先に待ち受けていた悲しい出来事をきっかけに、自分も小説を書くことを決意した武蔵ですが……


 と、読みながら、様々な「何故」が頭に浮かんでしまう本作。そもそも何故文豪なのか――は剣豪からの連想だとしても、何故明治なのか、何故ヒロインは樋口一葉なのか、そんなに簡単にベストセラーを書いていいのか……。まあ最後はさておくとしても、必然性というものを考え出すと、本作は色々と悩ましく思えます。
 しかし武蔵が車夫として東京を駆け巡る走る姿、持ち前のアドリブとホラ吹きの才で小説家として頭角を現していく姿などはなかなかに魅力的に映りますし、そんな彼がどこか『坊っちゃん』的に世の中の不義を粉砕する姿もまた、痛快であります。

 さらに彼が一葉や子規、漱石や?外といった名だたる文豪たちと交流する姿も、一種の伝奇ものとして実に興味深いのですが――実はそんな本作における様々な武蔵の姿は、彼の人間的な成長(あるいは変化)と重なり合って描かれることになります。そしてそれこそが、本作の武蔵が明治時代に現れ、文豪となった所以ではないか――そう感じられます。


 元々は剣豪――すなわち剣に生きる武芸者であった武蔵。その生き様は、戦国時代の日本の武士たちのある種の縮図とも言うべき、血なまぐさい殺し合いの日々であります。
 しかし戦の終わった時代に入ることで武士は変質し、武芸者もその在り方を変えることを余儀なくされます。本作の冒頭における武蔵は、まさしくその時代の変遷から取り残された人物として描かれるのですが――そこからさらに彼は大きく時代を飛び越え、明治時代に姿を現すことになります。

 未だ前時代の遺風を色濃く残しつつも、近代という新たな時代へと大きく歩を進める明治。そんな時代に、近世の娯楽文化を継承しつつも西洋の文化を取り入れ、さらに変わりゆく社会の姿を反映した日本人の精神性を抽出したものこそが、明治の日本文学と言えるでしょう。
 そんな近代文学に触れた武蔵は、それによって肉体だけでなく、精神もまた、近世から近代と一気に時代を超えたともいえるのではないでしょうか(彼が講談に語られる自分の姿を聞いて怒り出すくだりは、実に象徴的です)。

 そしてそれは、武蔵が、他者を殺すのではなく、自立した個人として他者を尊重しつつ生きる――そんな近代人としての自分を見出す過程だったとも言えます。


 と、我ながらうまくまとまった! と思ったところに、とんでもないダジャレが飛び出して、結局それか! そのための彼女なのか! と盛大にひっくり返ったのですが……
 それはそれで実に作者らしいのですが、本作がそんな物語の姿を借りつつ武蔵の若年から晩年の人物像の変化を描いているのも事実ではないかな、と思うのです。


『文豪宮本武蔵』(田中啓文 実業之日本社文庫) Amazon

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