鶴淵けんじ『峠鬼』第4巻 神と人の距離、一言主と小角のズレ
人と神が、それぞれの領域を守りつつも同じ世界に暮らしていた時代を舞台に、役小角伝説を背景として描くSFファンタジーの最新巻であります。ついに葛城山に帰ってきた役小角と妙、善。はたして姿を隠した一言主に何があったのか? そしてついに語られるその行方とは……
葛城山に身を隠した一言主に会うため、各地の神々と神器の力を借りるべく旅を続けてきた小角一行。その旅も、ついに終着点である葛城山に到着することになります。しかし葛城山は様々な形で登る者を激しく拒み、それどころか山頂は山を離れ天空に浮き上がっているではありませんか。
全ては人間たちを拒む一言主の力なのか? 山麓で宿を営む小角の母のもとに泊まった妙は、小角から一言主にまつわる物語を聞くことに……
という形で、前巻のラストから引き続き、この巻の前半で描かれるのは、小角の回想――かつての一言主の、葛城山の姿であり、そして何故一言主が人間たちの前から姿を消したのかという物語であります。
その名の通り、自らのもとを訪れた者の願いを、ただ一言で叶えてしまう一言主。その神威を頼り、かつての葛城山は参拝客が引きも切らず訪れる状態でありました。
なるほど、これまで物語に現れた神々が、いずれも超常の力を持ちながらも、しかしあくまでも気まぐれで、人間には滅多に力を貸さない――それどころか害になるものも少なくなかった中で、この一言主の行いは、大盤振る舞いとすらいえるでしょう。
しかし、彼女もまた、あくまでも人ならぬ神であることが、やがて明らかになっていきます。何故ならば、彼女は理非善悪を判断せず、そしてあくまでも寄せられた願いしか叶えない――それが人の常識や情に反するものであっても、他によりよい道があっても、決してそれを云々することなく、ただその願いのみに応える。それが一言主の在り方なのです。
そんな神の在り方が納得できない幼い頃の小角は、大胆にも神に直言すらするのですが――しかしなおも神と人の距離、一言主と小角のズレは埋まりません。
そしていつからか病み衰え、人前に出ることを――すなわち人の願いを叶えることを拒否し始めた一言主に対し、愚かな人間たちが暴走したことから、決定的な悲劇が起こるのであります。
そして彼女を癒やすべく仙人とならんとした小角が、その最終試練で善と出会い、己の道を放棄したことは前巻で描かれましたが、この巻において、さらに残酷過ぎる真実が語られることになります。
神と同様に、人の生の価値を一顧だにせずに力を振るうのが仙人なのか? その問いかけと答えを、ついに葛城山に登った小角は、山頂で待つ者にぶつけるのですが……
これまで時に残酷で、時に苦い物語を描きつつも、しかし多くの場合、どこかあっけらかんとした、コミカルな味付けが加えられてきた本作。しかしこの葛城山編ともいうべきエピソードにおいては、ググッとシリアスに、そしてやりきれない物語が続くことになります。
そこで描かれるものは、これまで作中で描かれてきた神と人の関係の負の部分とでもいうべきものであり――それは人という存在の傲慢さ、愚かさに多くを依るものではあるのですが――そしてそれは、これまでの物語があったからこそ、一層響くものであることはもちろん言うまでもありません。
しかし同時に、これまでの物語は――特に妙の姿を通じて――神と人の関係に、さらに言い換えれば人と他者との関係に、小さな希望の光を見出すものでもあったといえます。
人は神とも、そして鬼とすら心を通じ、通わせることができる――その希望の存在は、この葛城山編においても、小さくとも確実に存在していると感じられるのです。
そしてついに明らかになった、一言主のおわす地。あまりに漠然としたその地の真実を知るため、この巻のラストのエピソードでは、一行は出雲を訪れることになります。
こちらのエピソードは、これまでと大きく異なりコミカルな上に、これまで登場した神々(本当に神だったんだ……という存在まで)が意外な姿で次々と登場し、賑やかで和ませてくれるのですが――しかしラストに明かされる真実を知れば、再びとてつもない爆弾を落とされたという印象があります。
その魅力の一つであるSF味が抑え気味と思えば、最後の最後にこう来るか! と驚かされたこの巻。さて、小角たちはどうやって一言主のもとに向かうというのか――引き続き目が離せない物語であります。
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