北崎拓『ますらお 秘本義経記 波弦、屋島』第5巻 「彼」が見た義経 そして「与一」が一矢に賭けたもの
孤独な獣のような源義経の魂の彷徨を描いてきた『ますらお 秘本義経記』――その義経の屋島に至る戦いを描く『波弦、屋島』の章もついにこの巻で完結。平家の罠にかかりながらもなおも戦う義経主従を待つものは、そして屋島の合戦のクライマックスに、那須与一は何を思うのか……
海賊党の助けを借り、嵐の海を超えての奇襲という常識はずれの戦法で屋島の内裏に突入した義経主従。しかしそこは平家の策でもぬけの殻――一転して窮地に陥りながらも、与一を配下に加えた義経は、阿修羅のごとく戦いを続けます。
そして因縁の相手である平教経を追って敵陣深く突入した義経ですが――そこで一つの別れを彼は経験することになるのでした。
浜辺まで漕ぎ寄せた舟より、義経めがけて矢を放つ教経。最初の矢は逸れ、そして与一の反撃で深手を負いながらも、なおも執念の一矢を義経めがけて教経が放った時――それを受け止めたのは……
源平の合戦の中でもおそらく壇ノ浦に次いで有名な戦であり、その模様も様々な形で語られてきた屋島の合戦。それだけに、ここで何が起こるのか、我々はよく知っています。
どれだけアレンジされた形で描かれようとも、基本的に史実に帰結する本作。そしてその史実通りに、義経をこれまで支えてきた股肱の臣の一人が、ここで命を落とすことになるのですが――しかし印象に残るのは、その死そのものもさることながら、死の間際の回想として描かれる、「彼」がかつて見た義経の姿であります。
かつて義経が木曾義仲を破って入京した時、とある館に忍び込む義経。既に主たちは都落ちしたというその館は、藤原長成の館――義経の母が後妻として入り、義経も幼い頃過ごした場所でした。
かつて寺を抜け出して同様に忍び込んだ際に、母と腹違いの弟妹の幸せそうな姿を目撃した過去を持つ義経は、今は母を殺すために戦をしている気すらしている、と語ったのですが……
そんな酷薄な言葉とは裏腹の、傷つきやすい子供のような心を知っていた「彼」が、義経に対して抱いた想い、願った事――それは、我々読者、特に『ますらお』の最初の連載が始まった30年近く前から義経の姿を見続けていた読者にとっては、よく理解できるものではないでしょうか。
だからこそ「彼」の――義経主従の中でも一番一般人に近い感性を持っていた彼の――退場は、ひどく心に刺さるのであります。
そして教経が深手を負い、彼の寵童・菊王丸が討たれたことでひとまず終わりを告げた屋島の合戦。しかしここで面子(士気)と命の危険(兵の犠牲)の板挟みとなったて悩む名目上の総大将・宗盛に、ある策を献じた者がいます。
平家の兵を誰も傷つけずに源氏を嘲弄する策――それは、沖合の小舟の竹竿の上に立てた扇を射てみよと挑発すること。そしてその策を献じた者こそは、与一が「姉」と呼び慕う女性、那須家の姫・日々子だったのです。
小舟に乗った平家の女房が指し示す扇を岸から射るという、常人にはおよそ不可能なこの難事を見事に那須与一が成し遂げ、現代に至るまで弓の名手として不朽の名を残す――それが屋島の合戦のハイライトであることは言うまでもありません。
そして本作『波弦、屋島』の章もまた、ある意味この一瞬のために――与一というもう一人のますらおの数奇な半生とともに――描かれてきたと言ってよいでしょう。
この運命の一瞬に、与一が、そして日々子が何を想ったか。そしてかつて日々子自身が名乗った「与一」の名に、何を賭けたか。
与一と日々子がこれまで辿ってきた人生、ひたすら過酷な運命を思う時、まさにこの一瞬こそは二人の人生の一つの頂点であり、この一瞬のためにこれまでの運命があったとすら感じられる――ここで描かれたものは、それだけの重みを持ったものと感じられるのです。
しかしもちろん、その後も二人の人生は続きます。そして義経の悲願である平家滅亡は、まさにこの先に、あとわずかで現実のものとなるところまでに来ています。
はたして義経が望むその時までに何が起こるのか、そしてその時に義経は何を想うのか――その時はまだ少し先になることと思われますが、必ず見届けたいと思います。
ちなみに私は今まで与一が扇を射た後に、舟に乗っていた女房を射たと思い込んでおり――囃していた平家の武者を射たという逸話と混同していたらしい――勝手にどのような結末になるのか恐れ慄いていたのですが、良かった、本当に勘違いで良かった……
『ますらお 秘本義経記 波弦、屋島』第5巻(北崎拓 少年画報社YKコミックス) Amazon
関連記事
「ますらお 秘本義経記 悪鬼の章」 美しく歪な義経、甦る
「ますらお 秘本義経記 羅刹の章」 義経の伝奇性と人間性と
『ますらお 秘本義経記 修羅の章』 「義経たち」の叫びの先に
『ますらお 秘本義経記 大姫哀想歌』 未来から見た過去の物語、結末から語られるこれからの物語
北崎拓『ますらお 秘本義経記 波弦、屋島』第1巻 もう一人の「義経」、もう一人のますらお登場
北崎拓『ますらお 秘本義経記 波弦、屋島』第2巻 義経の正室、そのキャラは……
北崎拓『ますらお 秘本義経記 波弦、屋島』第3巻 二人のますらおを分かつ死と生
北崎拓『ますらお 秘本義経記 波弦、屋島』第4巻 四半世紀前からの伏線、ついに……
|
|
Tweet |
|
| 固定リンク
