千葉ともこ「一角の涙」 正義の神獣を戴く男の末路
『震雷の人』の千葉ともこが、中国の神獣を題材として描く連作シリーズの第一作は、伝説の神獣・カイチをモチーフとした一編。立身出世のために不正に手を染めることも厭わない役人が、思わぬことから深みにはまっていく姿を描く、恐るべきサスペンスであります。
八世紀の唐は長安で、官人の非違を検める御史を務める孟琢。壮年になるまで地方にいたものがようやく中央で役に就き、立身出世に燃える彼は、今をときめく宰相・李林甫を巡る訴えを受けることになります。
そこで重用する童僕・均の献策を受け、無実の者を陥れて罪を着せた孟琢。そんな己の行為を官吏として当然のことと恥じない孟琢ですが、思わぬ事態に巻き込まれることになります。
家を飛び出し、遊侠の徒と交わっている長男・不欺――彼がこともあろうに李林甫の暗殺を狙っているというのです。一門の恥どころか身の破滅になりかねない息子を探すと同時に、この企てを知る者たちの口封じを試みる孟琢。しかしそれでも不欺は見つかりません。
最後の手段として、孟琢は己の身を使って息子を欺き、誘き寄せようとするのですが……
タイトルの一角とは、冒頭に述べた神獣・カイチが、頭に一本の角を持つことに由来します。このカイチは、日本の狛犬の元になったとも言われますが、中国では正義や公正さを象徴し、「法治」のシンボルとなっています。
本作の主人公・孟琢も、厳正な正義が求められる御史の身分にあることから、このカイチの一角を象った豸冠を頭に戴いているのですが――しかし彼は正義や公正さとは縁遠い人物。いわゆる貪官汚吏なのですが、しかし本人はそうすることが官吏としてむしろ当然と考え、振る舞っているのが、この時代の、いや役人の世界の病根の根深さを感じさせます。
物語はそんな彼が息子の行動が原因で深みにはまり、そこから抜け出そうともがけばもがくほどズブズブと沈んでいく様を描くのですが――上に述べたように、本人としては当然の行動を取っていたつもりが、やがて官吏の、いや人の道から大きく外れていく様が、実に恐ろしいのです。
(それでいてクライマックスには、思わぬ形で彼の人間性を描き出す底意地の悪さがもうたまりません)
結末自体は予測できる――というよりこれ以外ないというものではあるのですが、しかしそこに行き着くまでの、足元が次々と崩れ去っていくような感覚を描く筆致はインパクト十分。『震雷の人』よりもわずかに早い時代を舞台とした作品ですが、全くテイストの異なる物語に、作者にはこういう側面もあるのか! と愕然とさせられました。
もっとも、カイチが上で述べたように「法治」の化身であることを考えれば、本作はその尊さ、意味を謳いあげた『震雷の人』とは裏表の物語であるともいえるかもしれませんが……
そして本作の大きな魅力として、作中で妖しい輝きを放っているのが、孟琢にとってのメフィストフェレスともいうべき均の存在なのですが――彼については、ここではあまり深くは述べないようにいたしましょう。
しかし彼の行動原理が明かされるくだりこそが、本作においてもっとも恐ろしい場面であった――それは掛け値のない印象です。
一度深みにはまったものは、決して浮かび上がることはできないのか――カイチの涙は、誰のために流されたものなのか。そんなことを考えさせられる作品であります。
「一角の涙」(千葉ともこ 「オール讀物」2021年3・4月合併号掲載) Amazon
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