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2022.03.09

森美夏『八雲百怪』第5巻 円環を描く物語 八雲、最後の「ここではないどこか」へ

 森美夏&大塚英志の偽史三部作の掉尾を飾る『八雲百怪』、連載開始以来実に十六年目の完結巻であります。巷を騒がすインテリ青年たちの連続自死。その陰で蠢く奇怪な陰謀に巻き込まれた八雲は、黄泉比良坂に足を踏み入れることに……

 見えぬ片目に異界を映す力を持ち、その異界に限りない憧憬と哀惜の念を抱く小泉八雲。八雲は、柳田国男に雇われて各地の異界の門を封印する異形の男・甲賀三郎、彼が連れる人形めいた童女神・キクリさま、額に三つ目の眼を持つ学生・会津八らとともに、これまで様々な事件に巻き込まれ、古き日本の終焉を目の当たりにしてきました。

 そして今回八雲が巻き込まれることとなったのは、藤村操の華厳の滝での自死をきっかけに若きインテリの間で流行した自死騒動。実はその背後には、目前となった日露戦争用の兵器として不気味な粘菌を利用せんとする、マッドサイエンティスト・土玉の存在があったのです。

 煩悶を抱く者に引き寄せられ、その頭の中に入り込んで脳を食い、その死体を動かすという奇怪な粘菌。仮面の本屋(!)に与えられた本を通じてその粘菌に感染してしまった八雲は、甲賀三郎やキクリの手を振り払って姿を消すのでした。
 そして八雲が姿を現したのは、熊野の南方熊楠のもと――あの粘菌の発見者だった熊楠の案内で、粘菌を採取した場所に向かった八雲は、熊楠のもとで出会った一人の美少年とともに、粘菌の故郷である黄泉比良坂に足を踏み入れることになります。

 そこで八雲は、自分の文通相手であるアンネッタ、そして自分が幼い頃に別れた母と再会するのですが……


 この最終巻に収録されたエピソードのサブタイトルは、「煩悶青年と不死身兵士」。藤村操から始まる青年の自死ブームと粘菌、そして不死身の兵士計画と、いつもながらに伝奇三題噺というべき内容ですが――しかし実はこの部分は物語全体の1/3程度となります。
 残る3/2で描かれるのは、常世国・彼岸・黄泉国――様々な名がある地ですが、かの地に向かう八雲の姿。これを描くことこそが、この巻のメインなのであります。

 思えば八雲は、常に己のあるべき場所を失い/求め、ここではないどこかを探し続けてきた人物であります。
 幼い頃に父と、母と別れ、片目を失い、世界中を放浪した末に、この極東の地にたどり着いた八雲。しかしこれまでの物語で描かれてきたように、この国からも古きものたちは次々と排斥され――そして今、彼自身も職を失うという形で、この国から排斥されようとしていると彼は感じることになります。

 そしてその末に出会った粘菌の力を借りて彼が向かったのは、ある意味、最も「ここではないどこか」――かつてこの国を生み出した大いなる妣が眠る地。そこで彼は、自らが望む安らぎを得るのですが……
 その果てに彼が辿る道についてはここでは詳しくは述べません。しかし彼が母を求める一方で、もう一人の母たる存在が、そして彼女が生んだ存在が彼を――というのは、非常に「民俗学」的であると同時に、どこか物悲しい人間の自然を描いていると感じられます。

 そしてそれは、冥界下りといえば彼こそが先達と言うべき甲賀三郎との対峙を通じて、より強く感じられるのです。


 かくて八雲の物語は終わりを迎えます。しかしそれはあくまでも一つの終わりでしかありません。
 八雲と共に黄泉国に向かった少年はもう一つの名を得、仮面の書店主は事件の陰で暗躍し(しかし土玉の言葉から考えれば、年代的に「彼」ではないはずですが……)、そして柳田國男の手元に残されたものは――日本の近代化と、その過程に現れたあってはならないものたちの物語は、ここに一つの円環を描いたというべきでしょうか。

 偽史三部作の最後の作品、ここに見事完結であります。


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