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2022.05.31

千葉ともこ『戴天』(その一) 舞台は唐、最高権力者に挑む三人の男女

 唐の玄宗皇帝の時代、安史の乱を背景に、国を牛耳る宦官に復讐心を燃やす男、その幼馴染で楊貴妃の婢となった娘、義父の遺志を継いで奸臣を告発せんとする少年僧の三人を中心に描かれる歴史ロマン――松本清張賞を受賞し、来月文庫版も発売される『震雷の人』とも世界観を共有する雄編であります。

 親友に罪を着せられた末に男の部分を欠損し、失意のうちに愛する幼馴染・杜夏娘を振り切って従軍した名家の嫡男・崔子龍。宦官中心に構成された監軍(辺境の軍を監察する機関)の一隊を率いることとなった彼は、怛羅斯の戦に参加し、そこで英雄の呼び名に相応しい高仙芝将軍と出会うことになります。
 しかし唐軍は裏切りによって壊走、必死の退却戦を繰り広げる崔子龍は、この敗北の背後に、高仙芝を敵視する監軍使・辺令誠の動きがあったことを知るのでした。それを知らせた友軍の宦官を無惨に殺され、怒りに燃えて辺令誠を襲撃する崔子龍。しかし企ては失敗し、部下とともに逃走することに……

 それから四年後、幼い頃から非凡な頭の冴えを誇り、天童の異名を取る少年僧・真智は、ある事件を切っ掛けに、華清宮に滞在する玄宗皇帝のために驪山で行われる奴婢たちの競争に参加することになります。上位に入れば皇帝と対面できるというこの競争――実は亡き養父が集めていた宰相・楊国忠の不正の証拠を持つ真智は、この競争で入賞し、皇帝に直訴せんとしていたのであります。

 そして競争に参加し、山育ちの俊足で快調に順位を伸ばす真智ですが、その前に現れたのは参加者の一人である楊貴妃の婢・夏蝶。奴婢らしからぬ物腰と足の速さを持つ彼女と競争するうちに、真智はこの競争の裏にある事情を悟ることになります。
 それでも上位に入り、皇帝に直訴するも、思わぬ事態の発生に逆に捕らえられかけた真智。そんな彼に助け船を出したのは夏蝶でした。さらにその混乱の中、皇帝の下に齎された安禄山の挙兵の報。その報は、地下に潜り、幾多の犠牲を出しつつも辺令誠を狙い続ける崔子龍の運命をも変えることに……


 冒頭に触れたように、本作は、『震雷の人』と同様に安史の乱前後を背景とした物語であります。。唐という国の最盛期から一転、皇帝が都を捨てるという事態にまで至ったこの未曾有の戦乱の中で、絶対的権力者の非道に挑む名もない人々の姿を本作は描くのです。
 『震雷の人』に共通するキャラクターも幾人か登場し、まさしく姉妹篇と呼ぶべき本作ですが、しかしその構造は、むしろ対照的なものと感じられます。

 都から離れた河北から始まり、そこに生まれた兄妹の視点から描かれた『震雷の人』が、いわば辺縁から唐という国の姿と安史の乱を描いたとすれば、本作は(冒頭こそさらに辺境の怛羅斯から始まるものの)中央から描かれた物語――長安という都、唐という国を動かす人々の姿を、内側から描いた物語と言うことができるでしょう。
 前作では間接的に言及されるのみであった玄宗皇帝や楊貴妃、楊国忠が、本作では主人公たちの前に現れる――特に楊貴妃の厭なキャラクターは印象に残ります――のはその現れと感じます。

 しかしそうした性質を最も良く示すのは、本作における主人公たちの「敵」である辺令誠その人でしょう。「唐書」などにその名が記された実在の人物である辺令誠は、玄宗に重用された宦官であり、史実でも幾度も高仙芝の監軍を務めた、因縁の人物であります。
 史実では高仙芝絡みで顔を出すことがほとんど(後は安史の乱での行動でしょう)である一方で、本作では楊国忠を陰で操り、皇帝すらも操る、まさしく権力の中枢として、辺令誠は存在しているのです。

 他人を意のままに支配し、それに逆らう者は如何なる手を用いても潰し、排除する辺令誠。そんな辺令誠が執拗に敵視する「英雄」高仙芝が率いる戦において、数多くの戦友たちが命を落とすこととなった崔子龍はもちろんのこと、楊国忠を糾弾しようとする真智、そして楊貴妃の下で生きる夏蝶――本作の主人公たちにとって、辺令誠は、彼らが挑む唐という国、そしてもっと根源的にその権力の象徴であるといえます。

 しかし最高権力者に挑むということが、どれだけ困難なことであるかは言うまでもありません。元軍人として戦う力を持つ崔子龍ですら、幾度も妨害に遭い、さらには裏切り者に苦しめられることになるのですから、物理的な力に乏しい真智や夏蝶が真っ向から抗うことができるはずもありません。
 前作が比較的ストレートな構成であったとすれば、本作はそんな状況の中で、どこに落着するかわからない物語――しかし巧みに、淀みなくストーリーは展開し、一度読み始めたら目が離せない物語なのです。


 しかし――長くなりますので、次回に続きます。


『戴天』(千葉ともこ 文藝春秋) Amazon

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