« 2022年5月 | トップページ | 2022年7月 »

2022年6月

2022.06.30

霜月かいり『アーサーブライト』 転生木村重成と円卓の騎士の聖杯探求

 『BRAVE10』で真田十勇士と幸村を描いた霜月かいりが描く本作の主人公は、幸村とともに大坂の陣を戦った木村重成。しかし重成が活躍する舞台はブリタニア――古代イギリス! 何と彼の地に転生した上にアーサー王と瓜二つだった重成が、主の下に帰るために繰り広げる聖杯探求が描かれます。

 大坂夏の陣の死闘の最中、神速の太刀で無数の敵兵を屠る白備えの美丈夫・木村重成。しかし徳川方との激闘の中、ついに追い詰められた彼が次の瞬間にいたのは、見たこともない異国の地でした。
 そこで一人の鎧武者を追う兵たちを反射的に倒した重成ですが、その直後に鎧武者は横合いからの銃撃で即死。慌てて兜を脱がした重成が見たものは、自分と瓜二つの男の顔だったのです。

 そこに現れた美青年・ランスロットに囚われ、キャメロット城に連れて行かれた重成は、死んだ男がこの城の王・アーサーであったことを聞かされます。そしてアーサーとして生きろと言い出すランスロットに激昂する重成ですが、そこに現れた魔術師マーリンは、重成が元の世界に戻るには聖杯が必要と語るのでした。
 何としても日ノ本に帰ろうとする重成と、聖杯の力でアーサーの魂を重成の体に入れることができると密かにマーリンから聞かされたランスロット。そこに成り行きから城を飛び出したガウェインが加わり、三人の聖杯探求の旅が始まることに……


 幼い頃から秀頼に仕え、大坂の陣ではその武勇で名を残しただけでなく、死に臨んでは身なりを整え伽羅をたき込めていた嗜みが家康を感嘆させたという逸話を持つ重成。そのキャラ立ちからするとフィクションの主人公になってもおかしくない人物ですが、意外なことにその数は非常に少ない状況です。
 その例外である本作ですが、何と一種の転生もの。あの伝説のアーサー王の時代に出現した彼が、そのアーサー王に成り代わり、円卓の騎士たちと聖杯を求めて冒険を繰り広げるというのですから、まず空前絶後の物語と言ってよいでしょう。

 もちろん聖杯が簡単に見つかるはずもなく、「11人の王の証」「聖女の涙」「客人の血」「聖剣」だというのですが――とりあえず「王の証」を手に入れるか、とアーサー王に与しない諸侯のところに向かうというのが物語の主な流れであります。
 そこでやたらとグラマラスな謎の美女・トリスタン(!)と出会ったり、重成以外の転生者と対峙することになったりと、行く先々で波瀾万丈の冒険と死闘を繰り広げる一行。特に転生者については、当時ブリタニアを窺っていたサクソン人の軍師となった「半兵衛」なる謎(いや、我々には誰だか丸わかりなのですが)の男が行く先々で重成の前に立ち塞がることになります。

 また、アーサー王物語といえばこの人、というべきランスロットは、王妃との不義の恋に落ちたりはせず、アーサー王一筋のキャラクター。世の辛酸を舐めてきた末に、理想の主君であるアーサーと出会い――という造形は作者らしいと感じますが、重成が武士であるとすれば、ランスロットは騎士として、ある意味好一対となっているのもユニークなところです。
 しかしランスロットのアーサーへの想いがあまりに一途すぎて、ちょっとこれは――という感じに見えてしまうのも作者らしい気もしますが、この点については後に「やられた!」と思わされることに……


 と、実にユニークな本作なのですが、残念ながら終盤は駆け足になってしまったのが正直なところ。物語で描くべきものは一通り描かれたものの、食い足りなさが残るのは残念に感じられます(特に中盤に登場したあるキャラクターの扱いが、あまりにももったいない……)。
 また、重成ら転生者が何故ブリタニアに転生したのかわからない――というのは言うだけ野暮なのかもしれませんが、その顔ぶれに微妙に統一感がないのも、ちょっとすっきりしないところではあります。

 しかし重成とランスロット――武士と騎士の象徴ともいうべき二人のキャラクターとドラマが、その頂点に達したところで迎えるクライマックスは大いに納得できるところで、すっとぼけた結末も含めて、楽しい物語であったことは間違いありません。


 ちなみに本作の冒頭と第4巻の番外編で登場する幸村は、やはりどう見てもあの幸村で、ちょっと懐かしくなりました。
(それだけに彼に似ているというあるキャラの扱いがちょっともったいないのですが……)


『アーサーブライト』全4巻(霜月かいり コアミックスゼノンコミックス) 第1巻 Amazon/ 第2巻 Amazon/ 第3巻 Amazon/ 第4巻 Amazon

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.29

獅子宮敏彦『豊臣探偵奇譚』 文系少年大名、推理で謎と権力に抗う

 豊臣秀吉の弟・秀長の養子として、わずか十三歳で大和の国主を継ぎ、そして十七歳で謎めいた死を遂げた豊臣秀保。本作はこの忘れられた豊臣家の少年を主人公とした、連作時代ミステリであります。この世のものとは思えぬ怪事件に巻き込まれた秀保が解き明かす真実とは……

 安土桃山時代、大和大納言こと秀長の養子となり、養父の死により十三歳で大和国主、大和中納言となった秀保。しかし政は筆頭家老である藤堂高虎らに握られ、本人はお飾り扱いの状況にありました。
 そんな己の状態を気にせず、むしろ権力から距離を置いて書の世界に親しむ秀保ですが、ある日家臣の誘いで、奈良に足を運ぶことになります。

 現状に不満を抱き、奈良で権勢を誇る法力の持ち主・闇乗院の銅卿と結ぶという家臣の言葉に戸惑う秀保。その矢先、荒法師に絡まれた秀保は、それがきっかけで、美しい散楽芸人・日魅火と亜夜火の姉妹と知り合うのでした。
 奈良時代に権力を誇っていた僧・玄昉を夜空に連れ去り、その体をバラバラに引き裂いて地に投げ落としたという魔人・魔空大師――その力を持つのは銅卿でなく自分だと語る日魅火より、秀保は数日後、東大寺に招かれることになります。

 はたしてその眼前で銅卿は夜空に現れた巨大な手に捕まり、後に死体となって空から降ってくることになります。この事態を利用し、日魅火を妖しの者として捕らえ、奈良の人々を弾圧しようとする高虎らから日魅火たちを救うため、秀保は魔空大師の謎解きを行うことに……


 豊臣の姓を名乗った人間たちの中でも、おそらくは一、二を争うほど知名度が低いのではないかと思われる秀保。秀吉の姉の子とも言われる秀保ですが、本作で描かれるように幼くして大和国主となり、そしてそのわずか四年後に死んだため、ほとんど歴史にその足跡を残していない人物であります。
 そもそも、記録の中では秀俊と呼ばれるなど、色々と怪しげな人物ではありますが――豊臣秀次同様に暗君であったとも言われ、その最期も、己の小姓に抱きつかれたまま十津川に転落、溺死というあまりに奇妙なものであったという説もあるようです。

 本作はそんな幻のような豊臣家の少年を主人公――それも探偵役に据えた、一癖も二癖もある連作ミステリであります。

 上に挙げた第一話「来たれ、魔空大師」を含め、収録されているのは全四話――
 秀吉の唐入りで名護屋に滞在していた秀保が、海から上がってきた亀甲をまとったような怪人たちの襲撃を受け、その最中にある人物が密室で死体となって発見される「亀甲怪人、襲来」
 夜な夜な辻斬りを行っているとの疑いをかけられ、鬱々と暮らす豊臣秀次が心を寄せる切支丹の美少女が、切支丹の礼拝堂で惨殺され、その疑いが秀次にかけられる「夜歩く関白」
 秀次が切腹に追い込まれ、自分の身にも危険が迫ったために十津川の奥地に身を隠した秀保が、その地に集った曰く有りげな人々とともに追手に抗うも追い詰められて――という最後のエピソード「十津川に死す」

 冒頭の魔空大師のトリックの文字通りの豪腕ぶりには正直なところ驚かされましたが、不可能犯罪ものを得意とする作者らしく、本作で様々な形で繰り広げられる密室殺人のバリエーションは実に豊かであります。
 またその密室殺人に、濃厚な怪奇性と伝奇性をまとわせる舞台設定と物語展開は、好きな人間には堪らないものがあります。

 特に最終話では、南北朝時代から世の権力に逐われた者たちを匿ってきたという十津川の隠し湯を舞台に、秀保のような逃亡者・隠棲者たちが集まってくるのですが――いわば織豊時代の敗者の系譜というべきこの顔ぶれには驚かされるばかりなのです(そしてその中にはとんでもない人物まで――!)


 さて、正直なところ、ここで描かれる事件やその背景事情はかなり重く、時に陰惨なものではあるのですが、その印象を和らげるのが秀保のキャラクターであります。
 戦国武将などとはとてもいえないような、ごく普通の文系少年が、突然身の丈に合わない立場に祭り上げられ、そして権力がもたらす荒波に巻き込まれる――その中を懸命に「推理」の力で立ち向かう姿は、物語に爽やかさと、小さな希望の光をもたらしているといえるでしょう。

 そんな彼を支えるのが、天使のように優しく美しい日魅火と、ツンデレ美少女の亜夜火というのは恵まれ過ぎ(?)な気もしますが、何はともあれ、本作がケレン味と爽快さに満ちた時代ミステリであることは間違いないのであります。


『豊臣探偵奇譚』(獅子宮敏彦 ハヤカワ文庫) Amazon

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.28

真じろう『剣仙鏢局 ケンセンヒョウキョク』第1巻 大陸を駆けるプロフェッショナル見参

 最近は武侠ものという言葉もだいぶ人口に膾炙したように思いますが、本作もその武侠ものに属する作品であります。架空の中華風世界を舞台に、亡国の皇子と、彼を運ぶ「鏢局」の面々の戦いを描く武侠ファンタジー漫画です。

 剣と拳が物を言う戦乱の時代――その中で、大国・ジャンの第三皇子として、平和に暮らしてきたセツカ。彼は、小国・レンの人質としてやってきた皇子・スイレンが兄たちから虐められているのを助け、友として過ごすことになります。
 しかしその二年後、スイレンの計によってレンの軍はジャンの軍をほんの一度の合戦で滅ぼし、王都は瞬く間に占領されることになります。兄たちをはじめ王族たちが皆殺しにされる中、セツカのみはスイレンに見逃され、脱出を許されるのでした。

 しかしスイレンの約束は正規の兵に対してのみ、王都を脱出しようとするセツカ目指して、賞金稼ぎや傭兵たちが襲いかかります。唯一の味方であった武術の師・カレンに命を救われながらも、彼女も無惨な最期を遂げ、セツカが絶体絶命の危機に陥った時――そこに駆けつけたのは、カレンから依頼を受けていた運び屋・花乱鏢局!

 飛剣術の達人であるコクヨウと三人の仲間たちに助けられ、「荷物」として運ばれることとなったセツカ。しかし一行の前には、次々と強敵たちが立ち塞がることに……


 武侠もの独自の用語、事物にも色々とありますが、その中でも日本人にとっては特に物珍しく感じられ、また一種の大陸らしさを感じさせるのは「鏢局」という存在ではないでしょうか。

 鏢局というのは、簡単にいえば運送業兼警備業(時に保険業も)というべき者たち――金品や人間を護送・護衛して旅を行い、途中襲いかかる盗賊などの危険から「荷物」を守るという稼業であります。
 当然ながら武力だけでなく信用、さらには財力も必要とされる稼業であり、鏢局の長といえば一廉の人物の扱い――というのが武侠ものでは定番といえるでしょう。

 史実では清代に最も発達したとのことですが、長距離に渡り危険な旅を行う達人たちというのは、いかにも大陸的なスケールと豪快さを感じさせます。江湖を舞台に繰り広げられる活劇のガジェットとしては、なかなかに個性的かつ魅力的な存在といえるでしょう。

 そして、逆にいえば鏢局が出てくれば武侠的――というのは乱暴に過ぎるかもしれませんが、架空(たぶん)の中華風世界を舞台にした本作において、この鏢局の存在が、他の中華風アクションものと一線を画したものを感じさせるのもまた事実であります。

 本作で主人公を助ける花乱鏢局は、剣仙(武術の達人)揃いの鏢局――まさしく剣仙鏢局。
 総鏢頭の五剣風暴のコクヨウ、細身の美女ながら二丁斧を自在に操る断怪斧のキリン、大槍と矢を跳ね返す硬気功の使い手の大男・神槍剛手のハクライ、齢十二ながら飛剣の使い手の竜酔侠女のシュン――いずれも「らしい」プロフェッショナル揃いであります。

 しかし彼らが真にプロフェッショナルであるのは、その腕前だけによるものではありません。己の稼業に誇りを抱き、自らに課した掟を守るという、江湖の好漢ならば当然の振る舞いはもちろんのこと、何よりも「荷物」――すなわちセツカを単に目的地に連れていくだけでなく、彼の想いを重んじ、その心意気に応えんとする(そしてそのためであれば己の身命を賭す)点にこそ、彼らのプロフェッショナルたる所以があると感じます。

 この巻の後半には、スイレンの命に敢えて背いてもセツカの命を狙う武人・コウゼン将軍にシュンが囚われ、セツカが己の命を賭けて彼女を救おうとするエピソードがあります。
 この展開の中心がセツカであることは言うまでもありませんが、しかしシュンを見捨てないというセツカの想いに応えようとするコクヨウの姿に込められているのはそんなプロフェッショナルの心意気であり、血腥い物語の中に爽快なものすら感じさせます。


 個人的には、二つ名は漢字で人名がカタカナというのに違和感があったり、できれば史実ベースでやってほしかった(というのは難しいのは理解しているのですが)という思いはありますが、それでもなお、鏢局という武侠ならではの存在を用いてドラマを構成してみせる本作には、大きな魅力を感じているところです。

(『武林クロスロード』とは違い、広い読者層にリーチしそうな内容でもあり――というのは全くもって蛇足ですが)


『剣仙ヒョウ局 ケンセンヒョウキョク』第1巻(真じろう&深見真 スクウェア・エニックスビッグガンガンコミックス) Amazon

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.27

宮野美嘉『あやかし姫の良縁』 幸徳井の娘と柳生の男と――表裏一体、運命のロマンス!?

 関ヶ原の戦の前年、陰陽師の名門・幸徳井家出身のとんでもないヒロイン・桜子が大暴れする、ユニークな時代ロマンであります。京を騒がす百鬼夜行と、柳生友景なる青年の婿入りと――桜子の周囲で起きる二つの事件は意外なところで繋がり、彼女の人生に大きな影響を与えることに…

 安土桃山時代の今に至るまで陰陽師を輩出してきた幸徳井家のひとり娘・桜子。父親は知れず、母親は亡くなり、祖父に溺愛されて育った彼女は、生まれついての神通力と剛力で周囲を驚かせてきました。
 十五歳になった今では、彼女は京に巣食う妖たちに懐かれてほとんど頭領状態、今日も暴走して人を襲う妖を思わず殴り殺し、陰陽道の師匠(である謎の陰陽師の亡霊)に散々イヤミを言われる有様であります。

 そんなある日、突然祖父が持ってきたのは彼女の婿の話。剣の家である柳生家の出身にして祖父の弟子であるというその青年――柳生友景にわけもわからぬうちに引き合わされた桜子ですが、当の友景は万事において面倒くさがりでパッとしない男ではありませんか。
 こんな男が自分にとってこの世に一人しかいない運命の相手――自分が何をしても壊れない相手のはずがないと腹を立てる桜子ですが、友景はのれんに腕押し、さらに彼女のイライラは募ります。

 そんな中、近頃京を騒がす百鬼夜行を追って飛び出した桜子ですが、そこで彼女の身に思わぬ出来事が降りかかります。はたして彼女の運命は、そして祖父や師匠、友景の真意とは……


 柳生家から幸徳井家に養子に入り、同家で初の陰陽頭に任ぜられた幸徳井友景――一部で非常に有名になってしまったこの人物が、主人公の相手役ということで、本作は否応なしに気になる作品でした。
 上記のようにあらすじからすれば、なるほどじゃじゃ馬姫が、第一印象最悪の相手と出会い、色々と反目しながらもやがてはラブラブになる話かな、と思ったのですが――いや確かにそれはそれで間違ってはいないものの――本作はこちらの想像を遥かに上回ったところを行く物語でした。

 これはぜひ実際にご覧になった上で驚いていただきたいのですが――物語のちょうど中盤辺りで桜子に降りかかる運命にまず仰天(え、ここで……? と)、そしてそこからさらに続く桜子の出自と試練、さらに今度は友景の過去と、次から次へと仰天の真実の釣瓶打ちには息つく間もありません。
 ここで描かれる、あまりに過酷かつ異常な二人の運命に打ちのめされるのですが――しかしそれでも、いやそれだからこそ確かに生まれる二人の絆、そして周囲の者たちとの絆は、これはもう純愛と呼ぶしかない、と心打たれました。

 特に(実際にご覧になった上でといいつつ色々と書いてしまいますが)友景のキャラクターはなるほど! といいたくなる造形で、一歩間違えればモラル的にとんでもない存在になりかねないにも関わらず、それでもまさしく桜子とは表裏一体、この世でただ一人のまさしく良縁と納得するしかないのには唸らされました。
(また、桜子の祖父でいかにも喰えない爺である幸徳井友忠が途中で見せる姿にただ涙――台詞の使い方が実にうまい!)


 エピローグにはこれも仰天のどんでん返しが待ち受けていて、最後の最後まで油断のできない本作。いや、このエピローグに至るまで伏線の張り方が非常に巧みで、最後まで読んで、また最初から読み返すと、また物語が違った形で見えてくる作品であります。

 あまりに主人公二人のインパクトが大きすぎて、「敵」の存在が霞んだきらいはありますが、まだまだこの先が描けるだけに、ぜひこの先の二人の姿が見たい――そう思わされた物語です。


『あやかし姫の良縁』(宮野美嘉 小学館文庫キャラブン!) Amazon

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.26

『翔べ! 必殺うらごろし』 第2話「突如奥方と芸者の人格が入れ替った」

 江戸で芸者の染香を助け、もてなされる先生たち。しかし突如染香の様子がおかしくなり、自分は上州漆が原の代官・山地半十郎の妻、琴路だと言い出す。漆が原に向かった先生たちは、山地が土地の百姓から苛烈な取立てを行っており、その悩みが琴路に憑依現象を起こさせたと知る。しかし時既に遅く……

 前回どこに向かったかと思いきや、江戸に辿り着いていた先生一行。しかしおばさんが先生の祈祷の呼び込みをしても客はなく、正十と若は有り金を倍にするといって賭場に乗り込むも予想通りに文無しに。そこに柳橋芸者の染香に絡む破落戸浪人二人組が現れ、先生が処刑用BGMの冒頭をバックにこれを軽くのしたことから、今回は始まります。
 染香と店の主に歓待される一行ですが、超自然主義者の先生だけは刺し身の上の菊の花を食べるくらい。しかし正十がいたずらで水と偽って酒を飲ませると、そのままばったりとぶっ倒れて……

 と、ある意味必殺らしいコミカルなシーンにちょっと顔も緩みますが、それもここまで(正確にはこの後、代官所で仲間たちから世間知らずぶりを突っ込まれる先生のくだりも可笑しいのですが)。この後、染香の態度がおかしくなり、自分が漆が原の代官の奥方だと言い出し、そして同時刻、その代官の奥方は自分は染香だと言い――というところで今回のタイトルになるわけですが、今回の超常現象は、ナレーションによれば「憑依」。実は憑依自体はこの先のエピソードにも何度か出てきますし、そもそも毎回先生が死者の言葉を聞くのも一種の憑依のような気もしますが、生きている人間同士の人格が完全に入れ替わってしまうのは、確かに「稀有な例」でしょう(いや、現代の青春ものでは結構あるか……?)。

 そこで「世の禍々しき災いを取り除くのが俺の修行だ」と先生たちは(正十は楼の主人からちゃっかり染香の治療代をいただき)
上州に足を運ぶわけですが、ここで情報収集に当たる先生たちと、家族が代官所に訴えに行ったきり行方不明になった百姓たちの姿が交錯し、新たな不幸が始まります。
 埒が明かないので代官所に潜入し、奥方を拉致する先生と若ですが、そのどさくさで捕まってしまったのは、親を探して忍び込んだ百姓の若者。この若者は地下牢で拷問を受けた末に、自分の親たちの死骸を見せられた上に自分も後を追わされることに……

 そしてこれこそが琴路の精神に負担を与え、憑依現象を起こしていた原因。江戸の貧乏御家人であった山路は琴路に見初められて婿に入ったものの、出世するために年貢を一方的に釣り上げ、訴え出てきた百姓たちは死人に口なしとしていた――それを知った琴路の煩悶が、同じ生年月日だった染香への憑依現象を起こしていたのであります。
 その山路の所業を、若は琴路の口から聞き出し、それでも夫を「かわいそうな人」と語り、戻ろうとする琴路を止めようとするのですが――その彼女に、琴路が「おなごの気持ちは男のそなたにはわかりません!」と撥ね除けるのは、今回のクライマックスの一つでしょう。もちろん正十が若の涙に気付いたように、若に琴路の気持ちがわからないはずはないのですが……

 結局、山路の元に戻り、ためごかしで慰められるものの、地下牢の死骸を見てしまってショックで染香と入れ替わったところを夫に殺されてしまう琴路。そして山路に昇進を伝えに来た江戸の役人・永井はこれを見逃したどころか、代官所に火をつけて証拠隠滅を図れと入れ知恵する始末。かくて今回のターゲットは、山路、軍内、永井の三人となります。
 江戸に帰る三人の行列を上から大岩を転がして足止めし、その隙に馬に近づいて山路を叩き落とす正十(意外に手並みがいい)。そして若はボディーブローの連打で山路をダウンさせたところに、岩を振り下ろして叩き潰すというプリミティブな処刑を下すのでした。

 一方、駕籠から逃げ出した永井の目に留まったのは、道端に腰掛けたおばさん。これが死神と思うはずもなく横柄に道を聞こうとした永井に、おばさんは答えます。「一本道だよ……この道をずーっと行くと」ここで脇腹に匕首を叩き込み、「地獄に行くのさぁ!」と叫び、力の抜けた永井の体を薄の穂を散らしながら押し突き進むおばさん。カタルシスを感じて良いのか悪いのか、情緒がグシャグシャになる本作ならではの名シーンです。
 そして残る軍内が馬で逃げるのを、徒歩で、しかも山道を疾走して追いかけ、しかも追い抜いて道の真ん中で待ち受ける先生。そして真っ向から突っ込む軍内の上を飛び越しざまに放った旗の柄は軍内を貫くのでした。

 というわけで、悪の中心である山路を若が、軍内を先生が始末するのは少々意外にも見えましたが、これは(軍内役が五味龍太郎だったからというだけでなく)、琴路と関わりのあった若が、女の恨みを晴らしたということなのでしょう。
 しかし憑依中に憑依先の肉体が殺された染香の安否が気遣われますが、結局劇中ではその後語られず……


『翔べ! 必殺うらごろし』上巻(キングレコード DVD) Amazon


関連記事
『翔べ! 必殺うらごろし』 第1話「仏像の眼から血の涙が出た」

このエントリーをはてなブックマークに追加
 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.25

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』田虎王慶篇3 強襲幻魔君! そして出会う運命の二人

 「晋」を僭称する田虎との戦いもいよいよ佳境。田虎王慶篇第三巻の表紙は、昔からの『絵巻水滸伝』ファンには感慨深い、あの二人――いよいよ運命の二人が出会うことになります。

 情報撹乱のために大将の所在地を隠す田虎軍に対し、許貫忠が残した絵図面によって田虎がいるのは威勝であると知った梁山泊軍。そこで相手の裏をかくべく、陽動として盧俊義が大軍で汾陽を目指す一方で、宋江は少数精鋭で威勝に奇襲をかけることになります。
 途中、要害・壺関を守る山士奇に苦戦しつつも、関勝が旧友の唐斌を説得したことで形勢逆転。本書の前半では威勝の手前の拠点である昭徳城を攻める宋江軍ですが、その前に恐るべき敵が姿を見せることになります。

 その名は幻魔君喬道清――晋の軍師にして護国霊感真人の称号を持つ道士、言い換えれば妖術使いであります。
 その力は、幻魔君の二つ名に表れている通り――生きているような黒い霧の中に李逵たちを包み込んで捕らえ、水と氷を自在に操る力は、混沌の法の封印を解いた樊瑞をも退ける。さらには巨大な金人や五色の竜をも呼び出す――と、幻を自在に操る魔人なのです。

 力自慢の梁山泊の豪傑たちが唯一苦手にしているのが、妖術幻術の類であることは、これまでの戦いで描かれてきたところではありますが、それにしても喬道清は桁が違う。ただ一人で戦況を根こそぎひっくり返す――妖術師の恐ろしさがここで存分に描かれることになります。(そしてその術の由来にも仰天!)

 しかし妖術師が相手であれば、梁山泊にはそれを上回る最強の術者がいます。その力を以てすれば、喬道清を討つことも不可能ではないかと思われたのですが――しかし彼を討ってこの戦いは終わるのか。もはや魔道を行く彼を救うことはできないのか……
 ある意味、敵を倒すよりも難しいことを成し遂げたものがなんであったか。盧俊義との激闘の末に敗れた彼の親友・唐斌ともども二人の豪傑の心が辿り着いた場所は、この血で血を洗う死闘の果ての、一つの希望と感じられます。


 さて、一つの死闘が終わった先に描かれるのは、あの復讐の美少女・瓊英の本格始動であります。

 幼い頃に田虎に父を殺され、母を奪われた瓊英。以来、忠僕の葉清に支えられつつ、復讐の牙を研いできた彼女は、田虎の国舅である鄔梨に接近してその養女に収まるのですが、これはまだ序の口であります。
 鄔梨に毒を盛って力を奪い、彼に代わって戦場に立つ瓊英。そこで功名を上げて田虎に近付き、復讐を果たす――冷静に考えれば水滸伝でも屈指のハードな復讐の人生を送る彼女ですが、しかし彼女が功名を上げるということは、梁山泊を倒すということであります。

 現に緒戦では、女には色々な意味で滅法弱い王英と、水滸伝の元祖娘武芸者というべき扈三娘が、あわやというところまで追い詰められたのですが――しかし本来であれば瓊英と梁山泊は田虎を敵にするという点では同志であるはず。
 そしてこの両者を、奇縁が結びつけることになります。

 偽名で鄔梨のもとに潜入した安道全と、その弟子を装うことになった張清。この張清と瓊英の出会いこそは、まさに運命の出会いというべきものでしょう。
 強引に鄔梨の妻が瓊英の婿選びをしていたところに居合わせ、彼女と武術の手合わせをすることとなった張清。瓊英が放った礫を受け止めた張清は、その礫で以て彼女の第二弾を弾き――ここに礫で結ばれた二人が出会うこととなったのであります。
(その直後、張清の「求婚」の際に、張清といえば何かと組まされるアイツが間接的に役立つのに思わずニッコリ)

 もちろんこの時点での二人はいわゆる契約結婚(?)、真実の夫婦ではないのですが――しかし頑なな瓊英の心を、物柔らかな張清の心が受け止め、礫投げの練習を通じて少しずつ二人が心を通わせていく様は、それまでの瓊英の生き様が苛烈だっただけに、ひどく暖かいものとして心に残ります。
 そしてここで明かされる張清の過去が、瓊英に対する一つの決意に繋がっていくのも巧みで――いつか二人が真に結ばれる日が来るのを、心から祈りたくなるのです。


 いよいよ田虎の本拠・威勝も目前。その前に現れた三眼の怪人・馬霊の、これまでとは全く異なる妖術に苦戦しつつもこれを退けた梁山泊に敵はないように思われますが、さて……
 いよいよ次巻、田虎戦の完結であります。


『絵巻水滸伝 第二部』田虎王慶篇3(正子公也&森下翠 アトリエ正子房) Amazon

関連記事
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』田虎王慶篇1 対田虎開戦 燃えよ梁山泊魂!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』田虎王慶篇2 快進撃梁山泊! 高く掲げる旗の文字は

 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇1 帰ってきた最も面白い水滸伝!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇2 強敵襲来、宋国十節度使!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇3 絶体絶命、分断された梁山泊!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇4 立て好漢!! 明日なき総力戦!!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇5 集え! 「梁山泊」の下に!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』遼国篇1 「官軍」梁山泊、初の犠牲者
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』遼国篇2 遼国の「招安」と「宋江」の動きと
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』遼国篇3(その一) 対遼国最終決戦! 陣と陣との大激突
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』遼国篇3(その二) 梁山泊と「彼」 表裏一体の勝者と敗者

 「絵巻水滸伝」第1巻 日本水滸伝一方の極、刊行開始
 「絵巻水滸伝」第2巻 正しきオレ水滸伝ここにあり
 「絵巻水滸伝」第3巻 彷徨える求道者・武松が往く
 「絵巻水滸伝」第四巻 宋江、群星を呼ぶ
 「絵巻水滸伝」第五巻 三覇大いに江州を騒がす
 「絵巻水滸伝」第六巻 海棠の華、翔る
 「絵巻水滸伝」第七巻 軍神独り行く
 「絵巻水滸伝」第八巻 巨星遂に墜つ
 「絵巻水滸伝」第九巻 武神、出陣す
 「絵巻水滸伝」第十巻 百八星、ここに集う!

関連サイト
 公式サイト
 公式ブログ

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.24

安田剛士『青のミブロ』第3巻 対決、五人の暗殺者 正義vs正義!?

 新選組に加わった京の三人の少年の目を通じて描かれる異色の新選組伝の第三巻であります。会津藩の者ばかりを狙う辻斬り五人を追うことになった壬生浪士組(ミブロ)。その一員として下手人を追うにおとはじめですが、逆に待ち伏せを受けて窮地に陥ります。はたして反撃の機会は……

 同じ地元からミブロに加わった少年である太郎、そしてはじめと、紆余曲折はありながらも距離を縮めてきたにお。そんな中、芹沢・近藤以下ミブロの面々は、京都守護職たる会津藩藩主・松平容保と対面の機会を得るのですが――そこで会津藩から、会津藩士ばかりを狙い、その目を抉っていくという暗殺者退治を依頼されることになります。

 ミブロの面々が五人組だという彼らを捕らえるべく腕を撫す一方で、におとはじめはこの暗殺者に対して情報を持っているらしい大店の跡取りの少年・世都と対面。しかしその帰りに、暗殺者に待ち伏せを受けて……

 しかし、におたちが子供と見て説得にかかる暗殺者。隣の清国のように、いまこの国が外国に狙われていること、そしてミブロの面々がそれをにおたちに教えず、無知につけこんでいると語る暗殺者、いや倒幕の志士ですが――しかしそれでにおが退くはずもありません。
 他の四人の情報を聞き出すため、無謀にも殺さず捕らえると言い出すにおですが、何とそこに暗殺者がもう一人出現。はじめがそちらと対峙している間に、におは最初の一人と対峙するものの、到底敵うべくもなく……

 というわけで、単なる破落戸や悪党ではなく、ある意味自分の思想、自分の正義を持つ相手と、初めて対峙することとなったにお。しかし思想――とまではいえないまでも、自分自身の正義という点でははっきりと自己を確立しているのがにおというキャラクターの特徴であり強みであります。

 たとえ一見正論を言っているようでいても、自分よりも遥かに上の腕前であっても、自分自身の正義と照らして、偽りや矛盾があれば絶対に屈しない――そんなにおの姿勢は、ここでも崩れることはありません。
 ありませんが、それでも敵わない相手は敵わないわけで――この辺り、一歩間違えればにおが口先だけの理想論キャラになってしまうのが悩ましいところですが、しかしそこをフォローするのは兄貴分たちの役目というところでしょうか。

 その兄貴分である沖田と土方の姿勢――におのことを否定するのでも矯めようとするのでもなく、彼の方向性を受け止め、伸ばそうという姿は、理想の先輩像であることは間違いありません。
 そしてそれを受けて改めて自分の原点を確かめ、まだまだ未熟で八方破れながらも、なおも前に進もうとするにおの姿も、青春ものの主人公としてみれば納得いくものがあります。

 さらに、そんなにおのことを口では散々言いながらも、その最大の長所がどこにあるかを直感的に認め、一度は及ばなかった相手を前に自分自身の真の力を見せるはじめの姿も、実にイイ。
 そして近藤も芹沢も、それぞれ「らしさ」を見せて暗殺者を対峙し、そしてラストはオールスターキャストを揃えつつも、近藤の信頼の下、におが一皮むけた強さを見せる――と、実にいい形で五人の暗殺者編は決着することになります。


 正直なところ、先に述べたようなにおの良くも悪くも青臭いキャラクターは、読者によって好き嫌いがハッキリ出るものだと感じます。
 また、時にミブロの面々のキャラクターが賑やかすぎて、物語の枠をはみ出して暴走しそうな危なっかしさもあるのですが――それでも長所短所併せ持った本作の空気は実に楽しく、その空気にもっと触れてみたいと思わされるのは、間違いがないところではあります。

 青春ものとしての新選組をどこまで貫くことができるか――この先の展開を待ちたいと思います。


『青のミブロ』第3巻(安田剛士 講談社週刊少年マガジンコミックス) Amazon

関連記事
安田剛士『青のミブロ』第1巻 少年の叫びとそれを導く壬生の狼たち
安田剛士『青のミブロ』第2巻 少年たちの光と影 そして三人目の少年

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.23

野田サトル『ゴールデンカムイ』第30巻 五稜郭決戦に消えゆく命 そして決戦第二ラウンドへ!

 連載は大団円を迎えましたが、まだまだ単行本が完結するまで油断できないのがこの『ゴールデンカムイ』。残すところは本書を入れてわずか二冊ですが、この巻でも驚くほどの加筆修正が施されています。いよいよ始まった五稜郭包囲戦の中、次々と失われていく命。はたして最後に残るのは?

 刺青人皮が示す黄金の在処、五稜郭に集うことになった生き残りの全勢力。先に五稜郭に入った杉元・アシリパ・白石と土方一派、さらにソフィアとパルチザンに対して、鶴見も第七師団を招集、鯉登父の駆逐艦まで加わっての全面対決は、もはや戦争というレベルにまでエスカレートすることになります。
 アイヌのために残された土地の権利書、そして土方のアイヌとの繋がりからようやく発見された黄金――長きに渡り求めてきたものをついに発見したアシリパたちは、決して退けない戦いに挑むのですが……

 と、まさしく死闘がひたすら続くこの巻。ここでは名前は挙げませんが、一人、また一人とキャラクターが退場していくのは、もはや仕方がないこととはいえ、やはり胸が痛みます(もっともそんな中、新たに、そして最高のタイミングで駆けつける律儀すぎるマタギには胸が躍るのですが)。

 しかしそんな死と暴力の最中でも、一人一人のキャラクターの輝きを見せてくれるのが本作の魅力であります。
 特にこの巻の序盤、キラウシが懸命に戦う姿は、彼がほとんど巻き込まれてここまで来たようなキャラクターだからこそ、彼の中に生まれた希望を感じさせる名場面だったと感じます。
(そしてその想いが、ある人物の最期に繋がる無情さもまた……)


 しかしこの巻で圧倒的なのは、冒頭に述べたように単行本における加筆修正シーンでしょう。それこそ細かいところまで挙げれば数限りないのですが(例えば上のキラウシのシーンも、わずか一つの台詞を追加しただけで印象がさらに強くなっています)、やはり数ページにわたる追加部分は、特に強烈に印象に残ります。

 その一つは、五稜郭の元陸軍訓練所での鶴見と鯉登との対峙であります。かつて鯉登が鶴見に命を救われ、彼に心酔するきっかけとなった地で、彼のつく嘘と――いや、嘘をつかずにはいられない彼の心(この辺り、連載最終回時の雑誌附録を見ているとニヤリ)と正面から対峙する鯉登の言葉は、途中で一部が薩摩弁になる部分も含めて、彼のこれまでのドラマが凝縮されているようで、胸に迫るものがあります。
(そしてアッここに繋がるのか――と驚かされるのですが、それはまだ先)

 そしてもう一つ胸に刺さったのは、実に6ページにわたり、ソフィアの内面を、過去を描いた場面であります。
 五稜郭で斃れたパルチザンの仲間たちの名前を呼ぶ姿から始まり、彼女の脳裏に浮かぶ、かつてのロシア皇帝暗殺の場面。そこでは、ウイルクが顔に傷を負うこととなったもう一つの理由、そしてその理由がソフィアの心に終生残った傷の理由と通底するものであったことが、語られることになります。

 そんな彼女が背負ったものを顕わにした果てにソフィアが呼んだのは――いやはや、このページを見たときには、思わず声が出そうになりました。個人的にはこの巻のハイライトと感じた次第です。


 さて、そんな数多くの生と死が描かれた五稜郭決戦も、この巻の後半でアシリパと杉元たちが五稜郭から脱出したことで、否応なしに終わりを迎えることになります――が、それは最終決戦が終わったという意味ではありません。
 決戦の第二ラウンドの舞台、それは函館駅に向かう列車の中。逃亡中偶然出会った列車に乗り込んだ杉元たちが見たものは、中にすし詰めになった第七師団の第二陣たちだったのであります。

 鶴見たちも追いつき、もはや逃げ場のない車内、そして頭巾ちゃんとの対決を終えた尾形も乗り込み、もはや大混乱の中、暴走列車は地獄へと一直線に向かうことになります。
 その先に待つものは――いよいよ次巻大団円であります。


『ゴールデンカムイ』第30巻(野田サトル 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon

関連記事
 『ゴールデンカムイ』第1巻 開幕、蝦夷地の黄金争奪戦!
 『ゴールデンカムイ』第2巻 アイヌの人々と強大な敵たちと
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第3巻 新たなる敵と古き妄執
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第4巻 彼らの狂気、彼らの人としての想い
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第5巻 マタギ、アイヌとともに立つ
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第6巻 殺人ホテルと宿場町の戦争と
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第7巻 不死の怪物とどこかで見たような男たちと
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第8巻 超弩級の変態が導く三派大混戦
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第9巻 チームシャッフルと思わぬ恋バナと
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第10巻 白石脱走大作戦と彼女の言葉と
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第11巻 蝮と雷が遺したもの
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第12巻 ドキッ! 男だらけの地獄絵図!?
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第13巻 潜入、網走監獄! そして死闘の始まりへ
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第14巻 網走監獄地獄変 そして新たに配置し直された役者たち
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第15巻 樺太編突入! ……でも変わらぬノリと味わい
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第16巻 人斬りとハラキリとテロリストと
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第17巻 雪原の死闘と吹雪の中の出会いと
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第18巻 ウラジオストクに交錯する過去と驚愕の真実!
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第19巻 氷原の出会いと別れ さらば革命の虎
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第20巻 折り返し地点、黄金争奪戦再開寸前?
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第21巻 二人の隔たり、そして二人の新たなる旅立ち
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第22巻 原点回帰の黄金争奪戦再開
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第23巻 谷垣とインカラマッ 二人のドラマの果てに
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第24巻 海賊の理想 そして全ては札幌を目指す
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第25巻 殺人鬼の意外な正体!? そして全勢力激突寸前!
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第26巻 ほとんどトーナメントバトルの札幌決戦!
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第27巻 解かれゆく謎と因縁 そして鶴見の真意――?
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第28巻 「ノラ坊」と「菊田さん」――意外な前日譚!
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第29巻 解かれたなぞ そして最終決戦開始!

 『ゴールデンカムイ公式ファンブック 探究者たちの記録』 濃すぎる作品の濃すぎるファンブック!

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.22

横田順彌『日露戦争秘話 西郷隆盛を救出せよ』 バンカラ快男児、シベリアの大地を駆ける

 これまで竹書房文庫で復刊されてきた横田順彌の「中村春吉秘境探検記」、最後の長編が登場しました。日露の対決も近づく中、シベリアで生存していることが判明した西郷隆盛を救出するため、バンカラ快男児が決死行に挑む冒険小説であります。

 明治34年、宮内大臣・田中光顕に突然呼び出された中村春吉。田中と対面した春吉は、信じがたい言葉を聞かされることになります。
 西南戦争で命を落としたはずの西郷隆盛がロシアに生存している――それだけでも驚くべき内容であるところに、西郷が今はシベリアに幽閉されていることを知った明治天皇から救出の勅命が下され、その白羽の矢が春吉に立ったというのであります。

 信じがたい話ではありますが、尊敬する西郷の救出、それも明治天皇の勅命によってとあらば、春吉が拒むはずもありません。かくて春吉は勇躍海を渡り、商業視察を名目にシベリアに足を踏み入れることになります。
 原住民との交流、猛獣との対決などの冒険を繰り返しつつ、シベリアを往く春吉。その前に、難攻不落の骸骨監獄・幽霊監獄が立ち塞がり……


 自転車世界一周無銭旅行を繰り広げた実在の快人・中村春吉。押川春浪の天狗倶楽部とも交流が深かった彼を主人公に、横田順彌は「中村春吉秘境探検記」というシリーズを展開してきました。
 これまで竹書房文庫で復刊された短編集『幻綺行』と長編『大聖神』では、海外で知り合った雨宮志保、石峰省吾ら仲間とともに世界を巡る春吉が、様々な怪物や事件に遭遇する姿が描かれましたが、本作は時系列的にはこの二冊の前に位置する物語となります。

 そのために志保と省吾は登場しない――さらにいえば、春吉の代名詞というべき自転車世界一周無銭旅行出発前である――本作ですが、それ以上に最大の特徴は、SF要素のない、純粋な(という言い方が正しいかはわかりませんが)冒険小説という点でしょう。
 先に触れたとおり、世界中で春吉が遭遇する様々な怪物との戦いや事件を描いた前二作ですが、その背景には必ずSF的要素が織り込まれておりました。それに対して本作はそうした要素はなく、西郷隆盛生存説という伝奇的アイディアこそあるものの、あとはひたすらに現実の枠内での冒険が描かれるのです。
(これは初出のレーベルが、懐かしの光栄歴史キャラクターノベルズであるためかもしれません)

 というとスケールが小さいように見えるかもしれませんが、さにあらず。現実といっても、あくまでもこの世ならぬものが登場しないということであって、盗賊団との対決あり、二度に渡る牢獄破りあり、猛獣との交流あり(ネコかわいいよネコ)と、春吉の桁外れの暴れっぷりが存分に堪能できるのですから。
 その暴れっぷりたるや、押川春浪の海底軍艦シリーズで、やはりロシアに幽閉された西郷隆盛を救出するために、獅子をお供に大暴れした蛮勇侠客・段原剣東次を彷彿とさせるものがあります。(というよりそのオマージュであろうとは思いますが……)

 何はともあれ、SF的という縛り抜きの方が、春吉の冒険は純粋に楽しめるのではないか――というのは言いすぎかもしれませんが、実在の人物であるにもかかわらず、春吉という主人公が、史実・伝奇・空想科学の枠などお構いなしに暴れまわるポテンシャルの持ち主であることは間違いないでしょう。

 残念ながら本シリーズは本作でもって結果として終了した形となりますが、横田順彌の明治SF長編でまだ復刊されていない

がゲスト出演している『火星人類の逆襲』『人外魔境の秘密』もぜひ復刊していただきたいものです(後者には春吉とは一字違いの探検家・中村直吉も登場するので――というのは強引ですが)。


 ちなみに本書は本編のほか、エッセイ「中村春吉波瀾の人生」、ショート・ショート/短篇5篇(うち未収録4篇)を併録。エッセイ以外は本編と全く関係ないボーナストラックではありますが、作者の熱烈なファンにはありがたいプレゼントでしょう。

 そしてもう一つ、このシリーズといえば、新刊なのに古本にしか見えないその凝りに凝った(凝りすぎた)装丁ですが、今回は全く普通――と思いきや、意外な(?)ところでそれっぽさを出しているのに脱帽です。(『幻綺行』でも施されている仕掛けではありますが……)


『日露戦争秘話 西郷隆盛を救出せよ』(横田順彌 竹書房文庫) Amazon

関連記事
横田順彌『幻綺行 完全版』(その一) 帰ってきた自転車世界一周無銭旅行の豪傑!
横田順彌『幻綺行 完全版』(その二) 世界を股にかけた秘境また秘境の冒険
横田順彌『大聖神』 長編活劇 中村春吉、秘境の黄金像に挑む!

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.21

高橋留美子『MAO』第13巻 彼女の死の謎 彼女の復讐の理由

 御降家の後継者を巡る九百年前からの暗闘と、大正時代に御降家を復興しようとする白眉たちとの戦いと――先の見えない二つの戦いが続く『MAO』。この巻ではその始まりの一端というべき、紗那の死を巡る真実が描かれます。そして表紙を飾る白眉の配下・芽生の過去も……

 御降家の呪い(とは別の理由で?)平安時代から生き続ける夏野が、何者かの命で集める体のパーツ。その最後の一つである右腕を、何と猫鬼が現代で、あの菜花の運命を変えた事故現場で発見、御降家の五色堂の地下に眠っていた謎の男のもとに持っていく――という、不可解かつ衝撃的な場面で終わった前巻。
 ここで体の全てが揃い復活した謎の男は、しかし精神は復活していないのか、人事不省のまま歩み去り、一旦物語から姿を消すことになります。

 それに変わって描かれるのは、摩緒たちの師匠――御降家の当主の娘・紗那の死の真実。これまで摩緒に濡れ衣が着せられていたその前後の事情が、ようやくここで整理されることとなります。
 そのきっかけとなったのは、紗那を殺したのが誰か知りたくないかという百火への夏野の言葉。彼女に託された火の呪具・睨み火で陸軍兵舎を狙い(これはこれでいい度胸)、白眉をおびき出さんとする百火の策は当たり、夏野・百火・摩緒・菜花の前に白眉が現れます。

 そもそも、摩緒が紗那を殺したと言い出したのは白眉。しかし実際には摩緒は殺していないわけで、だとすれば白眉が嘘をついていることは間違いありません。そして夏野は、邪気が紗那を殺したと語るのですが、邪気を操るといえば……
 そう、幽羅子であります。かつて幽閉されていた屋敷を抜け出した時に摩緒と出会い、それ以来彼を慕っていた幽羅子。だとすれば、彼女が嫉妬心から摩緒と結ばれる紗那を殺しても不思議ではありません。そして白眉もそれを認めるのですが……

 しかし本当にそれが真実なのか、わからないのが本作の恐ろしいところ。現在のところ確かなのは、白眉が幽羅子に――ありのままの彼女に惹かれているということだけのように思われます。それも、怒らせて平手打ち食らってニヤニヤするような、ちょっとまずい感じの形で……

 そしてさらに百火の口から語られるのは、実はその晩に宝物殿を焼いたのは、紗那の頼みで動いた百火であったこと、そしてそこで殺されていた師匠の手の中から、青い光の玉が飛び去ったという事実。
 はたして師匠は誰が殺したのか、そして青い光の玉とは――一つ謎が解けたと思えば二つ謎が増える。まだまだ本作の闇は深そうです。


 さて、この巻の後半では、芽生を巡る物語が描かれることになります。不知火の館の延命の庭を守る芽生は、一見常に笑みを絶やさない物柔らかな美少女ですが――しかし庭の中に掘られた穴に人間たちを落として争わせ、その怨念を集めるという人間の蠱毒というおぞましい呪法を行っているのですから、常人であるはずもありません。

 それではそんな彼女が呪術に手を染めた理由は――不自然な旱魃が起きた村に現れて雨乞いをするという少年・流石の登場がきっかけで、彼女の過去が語られることになります。
 その村に乗っ取り屋(いわゆる地上げ屋)が現れたと知った芽生と蓮次、そして呪術の存在を感じ取った摩緒と菜花――それぞれ村に向かった両者を待っていたのは、かつて芽生を襲った悲劇の張本人であり、そして芽生が人間の蠱毒を行う理由だったのです。

 ここで語られる過去を見れば、彼女の行為には一定の正当性があるといえるでしょう。しかしそれは、蓮次が復讐から始まり金目当ての暗殺者と化したように、当初の目的を超えて際限なく暴走し、人として引き返せないところまで行きかねないものであります。
 それを助けるのが、いや導くのが御降家の呪具、呪術だとすれば――やはり御降家は存在してはならないもの、終わらせなければいけないものなのでしょう。そしてそれは、前半で語られた紗那の行動の理由と重なるものでもあるのです。


 さて、この巻のラストでは、廃屋の祟りを祓うことになった摩緒たちですが、その源である古井戸から現れたのは――はたしてこの存在が物語の本筋と絡むのか否か、相変わらず物語の先は読めません。


『MAO』第13巻(高橋留美子 小学館少年サンデーコミックス) Amazon

関連記事
高橋留美子『MAO』第1-2巻 少女が追う現代と大正と結ぶ怪異
高橋留美子『MAO』第3巻 解けゆく菜花の謎と、深まる摩緒の謎
高橋留美子『MAO』第4巻 現代-大正-平安 1000年を結ぶ謎と呪い
高橋留美子『MAO』第5巻 謎が謎呼ぶ三人目と四人目の兄弟子?
高橋留美子『MAO』第6巻 深まりゆくなぞ そして五人目……?
高橋留美子『MAO』第7巻 最後の弟子 そして運命を狂わされた者たちの戦い
高橋留美子『MAO』第8巻 激突する獣たち 菜花大奮闘!
高橋留美子『MAO』第9巻 夏野の過去、幽羅子の過去、菜花のいま
高橋留美子『MAO』第10巻 幽羅子の罠、白眉の目的
高橋留美子『MAO』第11巻 菜花の新たなる力? なおも続く白眉一派との戦い
高橋留美子『MAO』第12巻 菜花のパワーアップ、そして右腕のゆくえ

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.20

仁木英之『モノノ怪 執』(その三) 作品世界への新たな風となったスピンオフ

 アニメ『モノノ怪』のスピオンオフ小説『モノノ怪 執』の紹介のラストです。今回は「饕餮」「ぬっぺらほふ」の二話をご紹介いたします。

「饕餮」
 九州・月ヶ瀬藩の三老と呼ばれる家柄ながら、かつての島津家との戦いで両親をはじめとする多くの親族を喪い、落魄した山中家の若き当主・甚次郎。同年代の若衆の中でも浮いた存在である彼は、父祖が命を落とした古戦場に、饕餮と呼ばれる怪異が出没すると聞かされ、逆に興味を覚えます。
 国替えとなる先についていくことを認められず、憑かれたように父祖たちの活躍の痕跡を古戦場で求める甚次郎。彼は饕餮によって父祖の最後の戦いを見せられるのですが……

 これもある意味歴史・時代小説の一典型というべき、地方の小藩もの(?)といった趣きのある本作(舞台となるのが九州の月ヶ瀬藩なのは、このサブジャンルの名作である葉室麟『銀漢の賦』のオマージュでしょうか)。
 このサブジャンルの定番として描かれるように、地方に暮らす若者の鬱勃たる想いが中心となる本作ですが、それがモノノ怪に憑かれ、過去の記憶に惑溺する主人公の姿として描かれるのは、本作ならではでしょう。

 何が真であるのか、二転三転した末に甚次郎が掴んだ想いと、それの果てのモノノ怪との戦いの有様が不思議な感動を呼びます。


「ぬっぺらほふ」
 かつて母と姉が行方不明となり、今は父・忠義の叱咤激励の下、大奥に入るために日夜文武に励む楓。刻苦の末、若年寄・堀田掃部に気に入られ、書院番組に抜擢された忠義は、楓の大奥入りへの口利きの条件として、掃部からある怪異退治を命じられるのでした。
 本郷の加賀藩邸近くに現れるというぬっぺらほふ――見目よい男女が通ると置いてけと袖を引く、目鼻も口もない妖――をおびき寄せるため、父に協力する楓ですが……

 ラストを飾る本作に登場するのはぬっぺらほふ――作中でも言及されるようにのっぺらぼうの異称であり、同時に目鼻もない肉の塊であるぬっぺふほふを連想させる名のモノノ怪であります。(のっぺらぼうといえば――それは後で触れます)

 あまりに酸鼻な過去の一幕から一転、どこかコミカルさすら感じさせる姿で大奥入りを目指す楓を中心に展開していく本作ですが、そんな彼女の心の隙間とモノノ怪が出会った時に何が起こるか……
 胸が悪くなるような過去の事件の真相(これはこれで「らしい」という気もします)と、ある意味ストレートなモノノ怪の真と理を描きつつ、そこから楓との関係性で一捻り加える展開にも唸らされます。

 ちなみに「のっぺらぼう」といえば、アニメ『モノノ怪』のエピソードの一つ。「家」に押しつぶされ、自分というものを喪った女性を描いた物語でしたが、さてそれとよく似たタイトルの本作は――その結末には大いにギョッとさせられると同時に、なるほどと納得させられるのです。


 以上全六話――『モノノ怪』という作品の新たなエピソードとして違和感ない内容であると同時に、歴史・時代小説の文法で『モノノ怪』という作品を捉え直す試みとして、大いに楽しませていただきました。(ただ数カ所、用語の使い方の点でちょっと不思議な部分があるのですが、これは意図的なものなのでしょう、やはり)
 第一話で触れたように、薬売りを狂言回しとして展開したアニメ『モノノ怪』とは異なり、各話の主人公を中心に、その視点から展開する内容も、スピンオフとしてみれば、納得がいくものであります。

 また、これは以前作者の『くるすの残光 最後の審判』の文庫解説を書いた時に感じたことですが、作者の作品には、超越者の力による救済を以て事足れりとしないという印象があります。
 その点は、『モノノ怪』という作品の構造と――最終的には薬売りの退魔の剣によるものの、単なる力押しではモノノ怪は倒せず、人の心に関わるモノノ怪の真と理を解き明かす必要があることと、想像以上に相性が良かったと感じます。
(というのは牽強付会に過ぎるかもしれませんが……)

 願わくば、『モノノ怪』という作品世界に新たな風を吹き込んだこのスピンオフの続編も、ぜひ読みたいと思います。モノノ怪が人の世にある限り、薬売りはいつでも、どこにでも現れるのですから……


『モノノ怪 執』(仁木英之 角川文庫) Amazon

関連記事
今週のモノノ怪

「怪~ayakashi~ 化猫」序の幕 ポップでカラフルな凄玉
「怪~ayakashi~ 化猫」二の幕 やっぱり深夜アニメ…
「怪~ayakashi~ 化猫」大詰め もしかして神作品?

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.19

仁木英之『モノノ怪 執』(その二) 薬売り、史実と邂逅す!?

 仁木英之による『モノノ怪』のスピンオフ小説の紹介の第二回であります。今回は「亀姫」「玉藻前」「文車妖妃」の三話をご紹介いたします。

「亀姫」
 少年の頃から従ってきた主君・加藤嘉明を喪い、その子・明成に仕える堀主水。しかし明成は父と違い、都普請と同時に会津若松城の修築を大々的に進めるように厳命を下し、老臣たちと距離感が生まれることとなります。
 そんな中、藩家老で猪苗代城城主・堀辺主膳の子・石右衛門は、恋人で筆頭家老の娘・善を猪苗代城に棲む怪異・亀姫に仕立て上げ、明成を操ろうと企むのでした。

 その事実を知った主水は、覚悟を決めて会津若松城に乗り込むのですが……

 薬売り、史実と邂逅! と言いたくなってしまう本作。冒頭からしてしれっと薬売りが病の加藤嘉明の枕頭に侍っているのに驚かされますが、何よりも本作の中心となるのは、何と堀主水――歴史・時代小説ファンであればお馴染み、いわゆる会津騒動の中心人物として後世に名を残す実在の人物なのです。

 つまり本作はこの会津騒動の秘史、前日譚というべき物語――アニメ『モノノ怪』が歴史的事実と一定の距離を持った作品であったことは前回述べましたが、本作は第一話の方向性をさらに推し進め、史実の中に立つ薬売りの姿を描いたといえます。もちろんこれも、スピンオフならではの趣向ですが……
 物語の方は、ややクライマックスが慌ただしくなってしまった感はあるものの、美しいモノノ怪の形が印象に残る一編であります。
(ちなみに『怪 ayakashi』の「天守物語」では亀姫の姉が登場しているのもある意味因縁でしょうか)


「玉藻前」
 深川の数町離れた裏店長屋に住む仲の良い友達同士の小春と花。小春の父で浪人の藤川高春は、つくり花師のまとめ役、花の母・桂は、つくり花師――仕事と称し、度々桂のもとを訪れる高春に疑いの目を向ける母に命じられて、仕事の様子を見に行こうとする小春に対し、花はそれを止めようとするのでした。
 そんなある日、不気味な影に追われた小春の前に現れた薬売りは、彼女に二つの賽を渡して……

 妖の中でも大物中の大物である玉藻前=九尾の狐。ネームヴァリューの点では最大のこの存在と薬売りが対決する本作は、しかし意外にもその舞台を下町――人情時代劇の定番中の定番である深川に設定しています。
 しかしそこで展開されるのは、妻子ある浪人と道ならぬ関係となった寡婦、親友同志である二人それぞれの娘といった、人情ものというには少々湿っぽすぎる人間関係なのです。

 はたしてそこにいかにして九尾の狐が絡むのか――と思いきや、物語は終盤で大転回。ここで正体を現す九尾の狐の正体は、まさに本作ならではのものといえるでしょう。
 ここにキーアイテムとして登場してきた賽が絡んで展開する世界は、まさに『モノノ怪』ならではのカラフルで不条理な世界であり――そしてその中を切り開いていく少女たちの想いが印象に残ります。ぜひビジュアルで見てみたい物語であります。


「文車妖妃」
 幼い頃、祖父に連れられて講釈を聞いて以来、物語に取り憑かれた為永春水。以来、講釈師と作家の世界に飛び込んだ春水ですが、なかなか芸は上達せず、苛立ちは募るばかり。彼の近くには、書き損じを食らう小さな妖・文車妖妃が出没するようになります。
 そんなある日、かつての修行仲間であるお文から、柳亭種彦への恋文を託された春水。彼は恋文を渡さずに自分が返事を代筆するようになりますが、そのうちに種彦への恋慕に狂ったお文は……

 再び実在の人物と薬売りが邂逅することとなる本作は、一種の芸道ものもいえそうな作品。後に『春色梅児誉美』で人情本の第一人者と呼ばれることとなる為永春水の若き日を描いた物語であります。
 あらすじだけ見るとほとんど春水の伝記のようですが、己の才のなさにもがく彼のある意味分身というべき文車妖妃は、才も無いのに書くことに取りつかれた人間の執着を喰らいにくるという、何とも胸に刺さる妖です。

 しかし妖としては無害な文車妖妃が、いかにしてモノノ怪となるのか――その理は、まさに人の情とそれに憑かれた者の姿を浮き彫りにしたものであり、『モノノ怪』という作品世界を用いた芸道小説に相応しいものであると感じます。
 結末で語られる薬売りの、二重の意味で意外な言葉も必見です。


 次回でラストです。


『モノノ怪 執』(仁木英之 角川文庫) Amazon

関連記事
今週のモノノ怪

「怪~ayakashi~ 化猫」序の幕 ポップでカラフルな凄玉
「怪~ayakashi~ 化猫」二の幕 やっぱり深夜アニメ…
「怪~ayakashi~ 化猫」大詰め もしかして神作品?

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.18

仁木英之『モノノ怪 執』(その一) 時代小説の文法で描かれた『モノノ怪』

 十五周年ということで、にわかに慌ただしくなってきたアニメ『モノノ怪』周辺。その先陣を切る形となったのが、このスピンオフ小説『モノノ怪 執』であります。全六話が収録された本作を担当したのは、なんと歴史・時代小説でも活躍する仁木英之。はたして小説で描かれる『モノノ怪』の世界とは……

 2006年、オムニバス『怪 ayakashi』の一編「化猫」で初登場した薬売り。奇抜な化粧と衣装で身を飾ったこの美青年、モノノ怪の気配があるところに、場所・時代を問わずどこからともなく現れては、その形・真・理を見顕して退魔の剣でモノノ怪を斬る、奇妙なゴーストハンターであります。
 この薬売りのキャラクター、和紙のテクスチャを用いた美術、そして怪異の陰の人の心の綾を巧みに織り込んで二転三転するミステリアスな物語が受けて、2007年には『モノノ怪』として五つのエピソードが放送されることとなりました。

 以降、ファンの間では続編を求める声が根強くあったのですが――十五年間沈黙を守った末(その間、蜷川ヤエコによるアニメに忠実な漫画版がありましたが)、今年動きを見せ始めたのは冒頭に触れたとおりであります。
 そして本作は仁木英之による小説ですが、なるほど『僕僕先生』をはじめとする壮大なファンタジー、『くるすの残光』などの伝奇時代小説、人情ファンタジー『黄泉坂案内人』、さらには文アルのノベライズ等を手がけた作者は、うってつけかもしれません。

 私も『モノノ怪』ファン、仁木英之ファンとして大いに本作を楽しみにしていたのですが、その期待は裏切られることはありませんでした。以下、全六話を一つずつ紹介していきましょう。


「鎌鼬」
 新年、管狐の加護を得たという奥三河の村の庄屋のもとを訪れた三河万歳の門付け芸人・徳右衛門。同じく訪れていた熊野神人、傀儡師、角兵衛獅子、そして薬売りとともに宴席に招かれた徳右衛門ですが、自分たちが客間から出られなくなっていることに気付くのでした。
 そこに現れて昨年家宝の管が盗まれたと語ると、最も優れた芸を見せたものが座敷を出て富を得ることができると告げる屋敷の主。かくて、芸人たちの芸比べが始まることに……

 「御久」の文字が見えるような気がするこの第一話。中心となるのが閉鎖空間に閉じ込められた人間たちのエゴのぶつかり合いという、ある意味『モノノ怪』らしい展開が描かれることになりますが――そのぶつかり合いが異能の芸人たちの技比べの形で描かれるというのは、映像で見てみたいと感じます。

 しかし興味深いのは、舞台背景や徳右衛門たち芸人の技の内容や由来を、本作が丹念に史実・現実を踏まえて描いていることでしょうか。アニメの『モノノ怪』は、特に無国籍的とすらいえるようなその美術や設定において、意図的に時代考証との距離感を醸し出していた一方で、本作は、時代小説の文法で『モノノ怪』を書いたという印象があります。
(もっとも、続くエピソードを読んでみれば実は本作が一番アニメに近いという印象なのですが……)

 その意味では確かにスピンオフを感じさせる本作ですが、もう一つ、本作においては完全に徳右衛門視点で物語が進行し、薬売りは完全に傍観者であり、アニメで時折見られた人間味も極力抑え気味という印象があるのも、面白いところです。
 あの決め台詞が登場しないのには最初驚かされましたが、これもまた、スピンオフゆえというべきでしょう。もっとも、芸人たちの中にちゃっかりと混じっていたり、意外に(?)芸達者なところを見せたりと、やっぱり薬売りは薬売りだと思わされるのですが……

 結末とそこに至る過程に、どこかスッキリとしない、考える余地を残す内容といい、実に『モノノ怪』らしい第一話だったというべきでしょうか。


 第二話以降は次回・次々回に紹介いたします。


『モノノ怪 執』(仁木英之 角川文庫) Amazon

関連記事
今週のモノノ怪

「怪~ayakashi~ 化猫」序の幕 ポップでカラフルな凄玉
「怪~ayakashi~ 化猫」二の幕 やっぱり深夜アニメ…
「怪~ayakashi~ 化猫」大詰め もしかして神作品?

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.17

『翔べ! 必殺うらごろし』 第1話「仏像の眼から血の涙が出た」

 行者の「先生」と記憶喪失の「おばさん」が訪れた村では、お堂の仏が血の涙を流し、村人たちはよそ者の仙吉とお鶴の仕業だと信じ込んでいた。先生の霊視でお鶴は仏を遺した巡礼の娘だとわかり、村に受け入れられた二人だが、香具師一味が二人を惨殺、仏を奪う。霊の無念の声を聞いた先生は……

 必殺シリーズでも異色作中の異色作として知られる『翔べ!必殺うらごろし』――今回時代劇専門チャンネルで放送が始まったこともあり、これから全話紹介したいと思います。
 毎回種も仕掛けもない超常現象が発生し、それに絡んで物語が展開していく本作ですが、それは第一話の今回も同様。ある村で起きた仏像が血の涙を流すという怪異にまつわる因縁と、それと並行してチームの集結が描かれることになりますが、どちらもアクの強い内容(キャラ)がうまく絡み合っているのに感心させられます。

 冒頭で描かれるのは、先生とおばさんの出会い。どちらも必殺中では異彩を放ちまくるキャラクターですが、偶然二人が言葉を交わすうちにおばさんが四年前から記憶喪失であること、使い込まれた匕首を持っていることが語られ、そこから先生の超能力でおばさんに子供がいたことが判明――と、結構ややこしいおばさんのキャラがサラッと冒頭で紹介されてしまうのが巧みであります。
 一方の先生は、超能力を持っている修行中の行者であること位しかわからないのですが、まあそれが全てのようなものなので……

 そしてもう一人「若」は、村人たちがお鶴たちを無理やり追い出しにかかったところに通りすがって村人たちを叩きのめし、仙吉の話を聞いているうちに惚気に苛立って立ち去る――というくだりから、霊視で血の涙の由来を解き明かした先生に弟子入り志願、しかし拒否されてふてくされて、おばさんに正面から説教され(ここで全く物怖じせず正面から怒るおばさんがイイ)、そして先生に実は女と看破され自分の過去を語るという、こちらも淀みなくキャラが紹介されていきます。

 あと二人、正十とおねむは――こちらはサポートなのでそこまでではないのですが、正十に対しておばさんが「この人、江戸で殺しの斡旋業してた人だ」と言い出し、『新・必殺仕置人』等の正八との関係を(そして自分の過去も)匂わせるのは、心憎い演出です。

 さて、今回の超常現象は、先生の霊視によって、かつて村で行き倒れた女巡礼が遺した仏が生き別れた赤子を想って血を流していたものであり、実はお鶴こそが、村人たちが持て余して川に流した赤子だったということが判明するのですが――この事実だけでもちツラいところがあるものの、むしろそれ以上に印象に残るのは、事実がわかる前の村人の反応でしょう。
 実は廓から足抜けしてきたために素性を隠しているお鶴たちを疑い、彼女たちが水子の霊を操って自分たちを害しようとしていると全く根拠なく決めつけ、追い出しにかかる――というよりほぼリンチにかけようとする群集心理は、まさに村八分のメカニズム。これでもかと描かれる閉鎖的な地方の陰湿さには、何とも重い気分になります。

 一方、今回のターゲットである香具師一味もかなりの外道で、女亡者役の芸人が、腹を減らして自分たちの飯をつまみ食いしたのに怒り、せせら笑いながらリンチにかけてあっさり殺害する初登場シーンは実に胸が悪い。
 そして新たな見世物のネタとして血の涙を流す仏に目をつけ、お鶴と再会したことで仏が涙を止めたと知ってお鶴たちを惨殺。仏を奪うという、まさに血も涙もない所業に出るのですが――この金のために他人の命をあっさり奪う辺りは、一種都市的な悪の姿という印象で、一話で地方と都市、双方における人間の負の部分を見せられた思いであります。

 さて、そんなモヤモヤを吹き飛ばすべく(?)繰り広げられるラストの仕掛けは、おばさんが先陣を切って登場。仏を持っている香具師の手下を「ちょいと、落としたよ」と後ろから呼び止め、怪訝な顔をして近付いてきたところに「これから落とすんだよ」「お前さんの――命だよ!」と匕首でブッスリ!

 続いて先生が旗竿片手に斜面をものすごい勢いで駆け下り、三人一列に突っ込んでくる相手を人間離れした大ジャンプで飛び越すと、一番うしろにいた香具師の親分を旗竿で串刺し葬! さらに襲いかかる用心棒の刀を素手でへし折ると、無造作に捕まえて岩場に放り投げ、頭から投げ殺す!
 そして若が残る一人に殴る蹴るのプリミティブな暴力コンボ、とどめはパンチで180度顔面回転のFATALITY!

 太陽から力を得る先生の能力上、陽の光の下で行われるという異色の仕掛け――しかし明るさの欠片もないその姿は、まさに外道への制裁というべきでしょうか。
 何はともあれ、成り行きながら結成されたこのチーム。そのまま先生の足の赴くまま、未知の世界への旅が始まることになります。たとえ、あなたが信じようと信じまいと……


『翔べ! 必殺うらごろし』上巻(キングレコード DVD) Amazon

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.16

宮内悠介『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』 事件の中に浮かぶ「美」と「現実」の相剋

 明治時代末期に実在した耽美派の芸術家たちの集い「パンの会」。この会合を舞台に、木下杢太郎を始めとする芸術家たちが様々な怪事件を語り合い、謎解きに頭を悩ますという趣向の連作ミステリであります。この謎を解くのは誰か、そして謎の先にあるものは……

 明治41年、医学か芸術かに迷いながらも、友人たちと芸術活動に勤しむ木下杢太郎。彼は北原白秋、吉井勇、石井柏亭、山本鼎、森田恒友ら、詩人・歌人・洋画家といった面々で、ベルリンの芸術家運動の名にちなんだ「パン(牧神)の会」を結成することになります。
 隅田川をパリのセーヌ川に見立て、川沿いの洋食店「第一やまと」で第一回の会合を開いた木下たち。その宴席で、杢太郎はかつて森鴎外から聞いた奇妙な事件のことを語るのでした。

 当時、団子坂で盛んに行われていた菊人形展で、混雑していたにもかかわらず、いつの間にか乃木将軍の菊人形に日本刀が突き立てられていたというこの事件。鴎外が関係者たちから話を聞いて回ったにもかかわらず、謎のままだったこの事件の謎解きに頭を悩ます一同ですが、そこで店の給仕・あやのが口を開くのでした。
 彼女が語る事件の真相とは……


 という第一回「菊人形遺聞」から始まる全六回の本作。これは既にあちこちで紹介されていることでもあり、何よりも作者がこの回の解説で明言していることなので書いてしまえば、本作はアイザック・アシモフの『黒後家蜘蛛の会』を範に取った作品であります。
 様々なバックグラウンドの紳士たちが集まる会合で謎解きが行われ、彼らでは解けなかった謎を、横で話を聞いていた給仕が鮮やかに解決する――そんな一種の安楽椅子探偵もののスタイルを、本作は踏襲しているのです。

 以降、本作で描かれるのは……
 磯部忠一を語り手に、印刷局に勤める男・武富とその妻、そして二人の幼馴染の三人が浅草を訪れ、男二人で上った浅草十二階から、武富が謎めいた転落死を遂げた真相を解き明かす第二回「浅草十二階の眺め」
 栗山茂を語り手に、彼がさる華族で外交官の邸を訪問した晩にそこで起きた、生まれたばかりの子供が無残な姿で発見された事件を描く第三回「さる華族の屋敷にて」
 山本鼎を語り手に、数年前の東京勧業博覧会を友人と訪れた彼が台湾館の喫茶室で遭遇した、銃殺事件の犯人の奇妙な行動を描く第四回「観覧車とイルミネーション」
 石川啄木を語り手に、日露戦争終結の頃に鳴るはずのない時刻にニコライ堂の鐘が鳴り、人死があったという事件を与謝野晶子が追う第五回「ニコライ堂の鐘」
 森鴎外が遭遇した陸軍士官学校の校長自決と、士官学校生や教官が見た奇怪な夢、そして北原白秋と吉井勇が四谷の細民窟で出会った少女の怪死事件が交錯する最終回「未来からの鳥」

 密室ものあり、猟奇殺人あり、日常の謎的内容ありと、語られる内容も様々であれば、語り手や探偵役(調査役)も様々かつ実在、そして背景に描かれる風物や出来事も全て史実通りと、実にバラエティに富んだ、そしてこの時代が好きな人間であればたまらない内容となっています。


 しかし本作の真に見事な点は、ミステリとしてのみで終わるのではなく――というよりもミステリという形式を十二分に活かしつつも――そこからさらに「美」というものの在り方、そして杢太郎自身の美に対する葛藤を描くところにあると感じます。

 実のところ、本作で描かれる事件はそのほとんどにおいて、直接的間接的に「美」に関わるものといえます。
 しかし先に述べたとおり、この時代の風物や出来事に関わる事件の内容が、当時の社会の「現実」を描いたものであるとすれば――それは「美」とは、杢太郎たちのパンの会が求める「美」とは対極にあるといえるでしょう。そう、パンの会は、美のための美を求める耽美派の集まりなのですから。
 「現実」の中で起きる「美」に関わる事件――そこに生じるのは必然的に両者の相剋であるといえます。そしてそれは同時に、両者の間で揺れる杢太郎の姿に重ね合わされることになるのです。さらにその構図が、ある意味本作最大の謎であるあやのの正体(仰天かつ納得!)を結びつく時――本作は、杢太郎の物語は一つの結末を迎えるのです。

 ミステリというよりも、それを一種の手段として「美」を、その周囲にある「現実」――人間の姿、社会の姿と、その相剋を描く本作。
 その手法には、些か難解な部分もあるのも事実ですが――しかしその点を含めて、いやその点こそが逆に本作をして見事にこの時代の「現実」を浮き彫りにした時代ミステリとして成立させているとも感じられるのです。


『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』(宮内悠介 幻冬舎) Amazon

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.15

久正人『カムヤライド』第7巻 真古事記の地獄 第三のヒーロー誕生!?

 古墳時代の変身ヒーローの活躍を描く本作も、気がつけば早くも第7巻。この巻のメインとして表紙を飾るのは、この巻より登場の新ヒーロー(?)であります。その誕生の鍵を握る真古事記とは、そしてそれがもたらす地獄のような真実とは……

 モンコ/カムヤライドが新たな力を得て復活した一方で、それぞれの思惑を秘めて動く各勢力。そんな中でヤマトタケルことオウスの皇子は、父・オシロワケの命で、兄・オオウスとともに伊勢に向かうことになります。
 そこで待っていた叔母・ヤマトヒメが二人に見せるのは、彼女がヤマトオオクニタマと呼ぶ巨大な骸骨で……

 という衝撃的なヒキで終わった前巻ですが、この巻でヤマトヒメから語られるヤマトオオクニタマにまつわる真実――いわば真古事記は、さらなる衝撃をもたらします。

 200年前の天孫降臨――天から落ちてきた「もの」の落下時の被害、そして汚染された土から生まれた国津神たちによって、壊滅的な打撃を受けた日向のヤマト族。最後の手段として、落下で生まれた穴の探索を行ったヤマト族は、落ちてきた「もの」の骨と肉を発見、その肉で巨人を生み出し、後の初代大王・イワレビコが乗り込んだのであります。

 そしてその巨人・ヤマトオオクニタマは国津神たちを蹴散らして東征を続け、やがてヤマトの地で新たな国を作った……
 しかしそれで終わったわけではありませんでした。ヤマトオオクニタマの――それに用いた「肉」の呪いか、イワレビコとその子孫八代(欠史八代……)は人ではなくなり、先々代の大王の代になって、ようやくその影響はなくなったのです。

 しかし今度は各地で国津神の復活などの変事が発生、あの「肉」を使い、神を殺す――しかし後代まで続く呪いを防ぐ新兵器の開発計画が、それも二つ進められたのです。
 その一つは、「肉」で鎧を作り、それを人に纏わせる計画――と、ここで思わぬ形でカムヤライドの正体の一端が明かされることになりますが(ちなみにこの事実自体は雑誌掲載時にも描かれていましたが、その前後の事情は単行本描き下ろしで追加)、しかしそれはここでの本題ではありません。

 問題はもう一つの計画――イワレビコの子孫に「肉」を食べさせるという計画で生き残り、人外の力を得たただ二人の成功例こそが、オオウスとオウスだったのです。
 そしてそれに留まらず、さらに語られる真実――オウスが慕ってきた兄・オオウスはその実験の結果暴走、そしてその果てにオウスによって……

 ここで明かされる地獄のような真実は、これまでの描写(たとえば第5巻冒頭など)を見れば確かに――だったわけですが、当然オウスがそれを受け容れられるはずもありません。
 しかしそれを証明する悪魔のような証拠の前に彼の記憶の封印は解かれ、そこから生まれたものこそが――この巻の表紙を飾る第三のヒーロー「神薙剣」!

 しかし悪魔の実験から生まれ、既にオウスの意思すら呑み込んだように見えるこの存在を、ヒーローと呼んでよいものでしょうか。
 現に、ヤマトヒメが目論む神薙剣強化計画への協力を命じられたオトタチバナ(色々あった末に、怪獣退治の専門家として地方巡業中)は、オウスの変貌と、人を兵器として用いんとするこの計画に、あからさまに反発を見せるのですが……

 しかし戦を防ぐためと言われれば、黒盾隊を率いる彼女に拒否はできません。かくてヤマトヒメとオウスいや神薙剣、そしてオトタチバナたちは、モンコを追って菟田に向かうことに。
 そしてその動きをある手段(妙に怪しげなところがあると思いきや、こんな事だったとは!)で察知した天津神側も、自分たちが求めるものが菟田にあると知り、動き出したではありませんか。


 一気に事態は動き出し、最終決戦ムードすら漂い始めた状況。そんな中、主人公たるモンコは――ノツチの悪巧みに巻き込まれ、球技「殖す葬る(ブエスボウル)」に参加することに!?
 この非常時に一体――と思いきや、バンデラスじゃなかったマリアチ率いる敵チームの助っ人には思いもよらぬ二人が参加、ある意味こちらも決戦ムード。いやいやしかし……

 シリアスにもほどがある展開の直後の、落差のありすぎる状況に唖然としつつ、次巻に続くことになります。
(いや、次巻の冒頭ではもっと唖然とすることになるのですが……)


『カムヤライド』第7巻(久正人 リイド社SPコミックス) Amazon

関連記事
久正人『カムヤライド』第1巻 見参、古代日本の「特撮」ヒーロー
久正人『カムヤライド』第2巻 出雲の激闘決着! そして2号戦士登場!?
久正人『カムヤライド』第3巻 激突二大ヒーロー! そして敵幹部襲来!!
久正人『カムヤライド』第4巻・第5巻 猛襲天津神! そしてヒーローの原点と新たなる力
久正人『カムヤライド』第6巻 激走超絶バイク! そしてそれぞれに動き出すものたち

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.14

「コミック乱ツインズ」2022年7月号

 号数では今年も折り返しに入った「コミック乱ツインズ7月号」は、『そば屋幻庵』が巻頭カラー、新連載の『不便ですてきな江戸の町』が巻中カラー。その他、新連載で『そぞろ源内 大江戸さぐり控え帳』のほか、『軍鶏侍』が掲載されています。今回も印象に残った作品を一つずつ紹介します。

『そば屋 幻庵』(かどたひろし&梶研吾)
 相変わらすびっくりするくらい美しい藤丸姐さんが表紙を飾っていますが(本編には未登場)、今回のヒロインは牧野家の女中のおみつ。買い物帰りに白玉(これがまた本当に美味しそう)に惹かれていたところを玄太郎に見つかり、一緒に辻占煎餅を食べるおみつですが、二日以内に五回転ぶと牧野家にも大災厄が及ぶという占いが……

 思わぬことで窮地に陥ったおみつと牧野家を救うために、玄太郎が幻庵として作った蕎麦は――これがまた猛烈に旨そうなのですが、何よりも印象に残るのは、御家の危機とはいえ、おみつを親身に気遣う玄太郎と牧野家の人々。『勘定吟味役異聞』でイヤな上司を見ているだけに(?)、実に暖かく感じます。


『そぞろ源内 大江戸さぐり控え帳』(叶精作&天沢彰)
 今回からスタートの本作は、タイトルから察せられるように平賀源内を主人公とした探偵もの。まだ高松藩士だった頃、江戸留学中の源内が、その本草学の知識と頭脳の冴えで様々な事件に挑む物語となるようです。
 第一回のサブタイトルは「血を吸う女」――知り合いの同心・浅間和之助から、立て続けに三人見つかった全身から体の血を抜かれた死体の謎解きを依頼された源内が、妖しげな美女に接近することになります。

 初回ながら次々とレギュラーらしきキャラが登場、それが全員顔見知りなのでこれまでにシリーズ連載されていたのかと思ってしまったりしましたが、この時期の源内を主人公とするのはなかなか面白い。
 また面白いといえば、優等生的なイメージのある杉田玄白が、「人を刻んだ後は甘い物がうまい!!」とかいいだす変態監察医系キャラなのも実にユニークであります。


『ビジャの女王』(森秀樹)
 王の死によって、後継者を決めるべく開かれたビジャロマ会議。継承権を持つも明らかにクズのヤヴェ王子と、持たないオッド姫とどちらを後継者とするか、会議は紛糾を続けます。ここでヤヴェを推すジファルの策によってあっさりと民衆はヤヴェに靡き、勝負あったかに見えたのですが……
 以前描かれたジファルの弱点というか良心を意外な人物が動かし、意外な展開に繋がっていくと思いきや、さらにラストにどんでん返しが待ち受ける今回。おそらくラストに登場したのは、前回もチラリと登場したあのキャラだと思いますが、さて事態はどう転ぶことでしょうか。


『かきすて!』(艶々)
 娘三人の江戸への旅から、旅芸人かと思いきや実は隠密だったおナツ一人の江戸からの旅と、意外な方向に物語が展開した本作。第二シリーズの初回というべき今回は、東海道を西に進むおナツが、途中の宿場で特産品を作る父娘と関わり合うことになります。
 その特産品というのが、わかる人には一発でわかるアレで、ナツがある意味大変な目に遭うのが気の毒というか実に可笑しいのですが――おナツ一人になることで、物語の展開も身軽になったのは良かったと思います。


『仕掛人めし噺 藤枝梅安歳食記』(武村勇治&池波正太郎(原案))
 深川と神田明神下を舞台とする今回、梅安たちは全く登場せず、主人公を務めるのはまさかの音羽の半右衛門とおくら。ある意味非常にスピンオフらしい展開ですが、すっぽんと鰻、登場する料理はこれまで以上に旨そうに見えます。
 が、最も印象的なのはそのオチ。こうくる!? と驚かされつつ、何だか可愛らしく見えてしまった時点で、本作の勝ちでしょう。


『列士満』(松本次郎)
 初陣で水戸天狗党討伐に投入されるも、いきなり夜襲を受けて壊滅寸前となった幕府の陸軍歩兵隊。その中で、仲間を逃して一人奮戦するスエキチですが、敵の隊長に大苦戦することに――という今回、スエキチと天狗党の、緊迫感があるんだかのんびりしているんだかわからない妙な空気感の戦いは、この作者ならではというべきでしょう。
 しかしクライマックス、夜の山で繰り広げられる一騎打ち(その理由がまたスゴい)の不穏な迫力はさすがの一言。結末の苦さ虚しさも印象に残ります。


 次号は『暁の犬』『カムヤライド』『勘定吟味役異聞』が連載再開であります。


「コミック乱ツインズ」2022年7月号(リイド社) Amazon

関連記事
「コミック乱ツインズ」2022年1月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2022年1月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2022年1月号(その三)
「コミック乱ツインズ」2022年2月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2022年2月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2022年3月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2022年3月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2022年4月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2022年4月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2022年4月号(その三)
「コミック乱ツインズ」2022年5月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2022年5月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2022年5月号(その三)
「コミック乱ツインズ」2022年6月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2022年6月号(その二)

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.13

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』田虎王慶篇2 快進撃梁山泊! 高く掲げる旗の文字は

 官軍としてではなく「梁山泊」として許せぬ奴らと戦う梁山泊の戦いを描く『絵巻水滸伝』田虎王慶篇は、この第二巻でいきなりクライマックス――東京攻略の尖兵たる鈕文忠の守る蓋州攻略が繰り広げられます。さらに登場する田虎軍の豪傑たちとの戦い。そしてあの美少女も本格的に動き出すことに……

 河北で「晋」を僭称し、東京侵攻を開始した田虎。その討伐を命じられた梁山泊は、行く先々で田虎軍の非道を目撃、怒りを燃やすことになります。そして陵川、高平を瞬く間に陥落させた梁山泊は、田虎に与する官吏や富豪たちから不義の財産を奪い、苦しむ人々に分け与えるのでした。
 そんな梁山泊の次なる目標は、田虎の枢密使たる鈕文忠が守る蓋州。幾多の将兵を擁し、蓋州に篭もる鈕文忠を討つことは、田虎討伐の最初の山場ですが……


 というわけで、破竹の勢いで進撃し、悪人たちを相手に痛快な大暴れを繰り広げた梁山泊ですが、この第二巻の前半で激突する鈕文忠は、これまでの田虎軍とは一味違う強敵。
 何しろ「枢密使」(宋でいえば童貫!)に任じられ、東京攻めを担当していたのですから、田虎軍の先鋒ともいえるでしょう。

 しかしこの鈕文忠、元は官軍ながら反逆して田虎に寝返り、賊徒として人々を苦しめてきたという外道。官軍にして賊徒というのは、これは二重に梁山泊の敵というべきで、決して負けるわけにはいかない相手というべきでしょう。
 この相手に対して、梁山泊は蓋州城を包囲して連日連夜攻め立てるという疑兵之計で対抗。しかしそこに田虎軍の援軍が到着し――と、最後は力押しになった気もしますが、しかし総力を挙げての激突は、これはこれで痛快であります。

 しかし梁山泊の「戦い」はそれで終わりではありません。略奪され尽くした蓋州をただ元の住民たちに返すだけではなく、荒れ果てた土地を甦らせる――その手助けをする顔ぶれも、なるほどと感心させられます。
 そしてその末に宋江の命で高く掲げられる旗の文字は――替天行道! まさに弱きを助け強きを挫く梁山泊に相応しい旗印であります。「〝梁山泊〟はこうじゃねえとな!!」と、前巻での燕順の名台詞を繰り返したくなる、この巻きっての名場面というべきでしょう。


 しかし、梁山泊と並び称される田虎軍は、単なる賊徒の集まりではありません。豪傑・好漢――そう呼ぶに相応しい男たちもまた、田虎の下に投じているのです。

 この巻の後半で描かれるのは、燕青が許貫忠から手に入れた河北の絵図を元に、田虎が潜む威勝に奇襲をかける少数精鋭の宋江軍と、陽動として大軍で汾陽を目指す盧俊義軍の戦い。
 晋寧で盧俊義が対峙する竜公こと孫安もまさに好漢というべき男ですが、この巻でクローズアップされるのは、宋江軍を阻む壺背関を守る山士奇、そして抱犢山に依る唐斌という二人の豪傑。
 一百華旗の山士奇は、元富豪ながら役人を殺して逃亡者となった伊達男(「富豪では、腕前はどうだろうかな」「そうだな。うちの副首領も、元は富豪だ」という会話に吹き出す)、そして黒龍の唐斌は、あの関勝と幼い頃から切磋琢磨してきたという硬骨漢であります。

 いずれ劣らぬ二人の勇将が、天険に篭もるのですから易易と落とせるはずもありません。それどころか思わぬ挟撃を受けて絶体絶命の窮地に陥った宋江たちの運命は――いやはやこうくるかという展開に驚かされました。
 この辺り、原典を読んでいれば結末はわかっているのですが、いつもながら、本作のアレンジの抜群のうまさに感心させられるところです。


 さて、その一方で晋のいわば中枢を舞台に描かれるのは、敵の懐に飛び込んで復讐の刃を研ぐ瓊英の姿。そして彼女のその名は知らずとも――いや、彼女の実在を知らずとも、夢に見た彼女に恋する張清。
 そして史進と魯智深がかつて出会った瓊英の存在を思い出し――幼い瓊英の登場に連載時にはファンの間でも話題になりましたが、実に十数年越しの伏線がここで実ったことになります。

 梁山泊の前に立つ次なる強敵は、そして瓊英の復讐の行方、張清の想いの行方は――田虎篇もいよいよ佳境に突入であります。


『絵巻水滸伝 第二部』田虎王慶篇2(正子公也&森下翠 アトリエ正子房) Amazon

関連記事
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』田虎王慶篇1 対田虎開戦 燃えよ梁山泊魂!

 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇1 帰ってきた最も面白い水滸伝!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇2 強敵襲来、宋国十節度使!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇3 絶体絶命、分断された梁山泊!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇4 立て好漢!! 明日なき総力戦!!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇5 集え! 「梁山泊」の下に!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』遼国篇1 「官軍」梁山泊、初の犠牲者
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』遼国篇2 遼国の「招安」と「宋江」の動きと
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』遼国篇3(その一) 対遼国最終決戦! 陣と陣との大激突
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』遼国篇3(その二) 梁山泊と「彼」 表裏一体の勝者と敗者

 「絵巻水滸伝」第1巻 日本水滸伝一方の極、刊行開始
 「絵巻水滸伝」第2巻 正しきオレ水滸伝ここにあり
 「絵巻水滸伝」第3巻 彷徨える求道者・武松が往く
 「絵巻水滸伝」第四巻 宋江、群星を呼ぶ
 「絵巻水滸伝」第五巻 三覇大いに江州を騒がす
 「絵巻水滸伝」第六巻 海棠の華、翔る
 「絵巻水滸伝」第七巻 軍神独り行く
 「絵巻水滸伝」第八巻 巨星遂に墜つ
 「絵巻水滸伝」第九巻 武神、出陣す
 「絵巻水滸伝」第十巻 百八星、ここに集う!

関連サイト
 公式サイト
 公式ブログ

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.12

7月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 突然10℃も気温が上下したり、フォーティアン現象みたいな勢いで雹が降ったりと大変な日々が続きますが、なんだかんだで今年ももう折り返し地点。時の流れるスピードに驚きつつ、本の発売日がすぐ来るのはまあ嬉しいかなということで、7月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 と、いきなりどんよりするお話ですが、7月は時代伝奇関連の(関連がありそうな)文庫小説の刊行点数が極端に少ない状況です。

 新刊では、作者の講談社文庫での新シリーズである『武商繚乱記 1 戦端』(上田秀人)一点。
 復刊では『若さま同心 徳川竜之助 10 風神雷神』〈新装版〉(風野真知雄)一点。

 もう一点、以前二分冊で刊行されていたものが合本・索引までついたという『完本 妖異博物館』(柴田宵曲)も楽しみですが――以上です。


 と、小説の方は非常に寂しいのですが、漫画は結構な点数がまとまって刊行されるのが大きな救いです。
 新登場では何と言っても期待のシリーズ第3弾である『黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ』第1巻(藤田和日郎)、あのノリで今度は新選組を描く『新選組といっしょ』第1巻(大羽快)、名もない雑兵の生き残りグルメ四コマ(?)『雑兵めし物語』第1巻(重野なおき)、平安ものノベルの漫画化『平安とりかえ物語 居眠り姫と凶相の皇子』第1巻(大島幸也&山本風碧ほか)などが並びます。

 そしてシリーズものの最新巻は、いよいよ残すところ2巻となった『ゴールデンカムイ』第31巻(野田サトル)、今度は藤堂平助が出陣の『ツワモノガタリ』第2巻(細川忠孝&山村竜也)をはじめ、楽しみな作品が並びます。

 また時代順に並べれば――『輝夜伝』第10巻(さいとうちほ)、『いくさの子 織田三郎信長伝』第19巻(原哲夫&北原星望)、『信長の忍び』第19巻(重野なおき)、『信長のシェフ』第32巻(梶川卓郎)、『前田慶次 かぶき旅』第10巻(出口真人&原哲夫ほか)、『暁の犬』第4巻(高瀬理恵&鳥羽亮)、『GANTZ:E』第4巻(花月仁&奥浩哉)、『獣医者正宗捕物帳』第3巻(逢坂みえこ)、単行本版『あおのたつき』第5巻(安達智)、『猫奥』第5巻(山村東)、『警視庁草紙 風太郎明治劇場』第3巻(東直輝&山田風太郎ほか)、『岩元先輩ノ推薦』第4巻(椎橋寛)、『明智小五郎回顧談』上下巻(今野直樹&平山雄一)と相当な点数であります。


 また、『VSルパン』第6巻(さいとうちほ&モーリス・ルブラン)も登場。同日発売の『獣医者正宗捕物帳』第3巻と、ルパンとホームズが並ぶことに……


 とりあえず7月は漫画読みの月になりそうです。


このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.11

あずま京太郎『THE KING OF FIGHTERS外伝 炎の起源 真吾、タイムスリップ! 行っきまーす!』第1巻 いま描かれる660年の因縁!

 突然どうした、というチョイスかもしれませんが、格闘ゲームの最大手の一つ、ザ・キング・オブ・ファイターズ(KOF)シリーズのスピンオフにして、660年の過去を描く物語であります。現代まで続く草薙家と八神家の因縁の源とは――現代からタイムスリップしてしまった矢吹真吾が見届けます。

 以前のKOFで八神庵に負わされた傷も癒え、草薙京の父・柴舟の下で修行に励む矢吹真吾。そんなある日、自主練中に謎の空間に引きずり込まれた真吾が意識を取り戻してみればそこは見覚えのない場所――それどころか、見たこともないような不気味な怪物が襲いかかってくるのでした。
 自分の技も通じず、窮地に陥った彼の前に現れたのは真っ赤な炎を操る男――怪物を焼き払ったその男は、八尺瓊と名乗るのでした。

 訳のわからぬまま八尺瓊についていった真吾はそのまま、八尺瓊邸の牢に放り込まれることに。そこでようやく自分がタイムスリップしたことに気付いた真吾は、今が鎌倉幕府が倒れた後の時代だと知るのですが……


 1994年稼働の第1作から今年の第15作まで、長きに渡り展開してきたKOFシリーズ。そのストーリーの中心には、一つの伝奇的設定があります。

 シリーズの(初代)主人公である草薙京とその宿命のライバル・八神庵――彼らは共に約1800年前に「オロチ」なる存在を封印した「三種の神器」と呼ばれる家系のうち、草薙家・八尺瓊家の末裔。
 しかし約660年前にオロチの力に魅せられた八尺瓊家の者がオロチの封印の一部を解き、さらに妻が草薙家に殺されたと騙された末にオロチと血の契約を結び、八神と名を改めた――大まかにいえば、これが両者の、いや両家の因縁の始まりなのです。

 そして本作はまさにその瞬間を描く物語なのですが――それを見届けるのが真吾というのが、なるほど、と感心させられます。
 KOF97が初登場の真吾は、京に憧れて押しかけ弟子になった(京的にはパシリにした)という設定のキャラクター。別に京や庵のように手から炎を出せるわけでもない、ちょっと体が頑丈なだけの本当にごく普通の高校生なのであります。

 しかし何かと事件に巻き込まれやすい京の近くにいるためか、真吾も様々な戦いに首を突っ込み、ついにはKOF XIでは京と庵の緩衝役としてチームを組むことに――まあ、その結果、暴走した庵から京を庇って深手を負い、以降大会に出場していないのですが……
(ちなみに本作では、この時の傷(とKOF97ドラマCDで山崎竜二に刺された時の傷)にある意味が与えられているのが実に面白い)

 それはともかく、物語の渦中近くにいながら、あくまでも立場は傍観者の一般人的という彼のスタンスは、本作のような物語には非常にマッチしているというべきでしょう。
 まあ、庵は(京も)『THE KING OF FANTASY 八神庵の異世界無双 月を見るたび思い出せ!』で異世界転生しているので、今回は別のキャラの方が――というのはともかく。


 さて、そんな本作ですが、キワモノめいたタイトルに対して、内容の方はかなりしっかりとしている印象があります。オロチの誘惑に堕ちる前の八尺瓊とはどのような存在だったのか、いやそもそも歴史の中で(陰で)草薙・八尺瓊両家は何をしていたのか――そんな部分がきっちり描かれているのは、ファンとして嬉しい限りです。(何故形の上では八尺瓊家がどこの者とも知れぬ真吾を一応保護しているのか、という説明も面白い)

 そしてその中で、真吾が懸命に自分なりの道を、自分なりの戦いを見つけようと努力するという、成長物語としての側面が描かれているのも、好印象であります。
 もっとも、お前あれだけ京や庵の近くにいて、八神=八尺瓊って知らなかったのか!? などとも思いますが、そこは先に述べたように、一般人代表としての役割なのでしょう。
(そもそも初出が30年近く前の設定、最近のファンは知らないのかも……)

 この巻の時点では、まだまだ660年前の因縁そのものの真実は描かれておらず、それは最終巻であろう次巻に送られていますが、それがどのように描かれるのか楽しみになる――KOFファンにはオススメできる作品です。


 ちなみに作中に「鎌倉幕府が滅びてから争いばかり」「武力を持ちながら戦に加担せぬ我々は公家側からも将軍側からも良く思われてはいない」という台詞があるのを見ると、本作は後醍醐帝と足利尊氏が対立し、幕府ができる直前が舞台のように思われます。
 仮に庵が初登場した1995年から660年前とすると1335年と、見事に平仄が合うのですが――KOFで年代を云々するのは野暮とはいえ、興味深いところではあります。


『THE KING OF FIGHTERS外伝 炎の起源 真吾、タイムスリップ! 行っきまーす!』第1巻(あずま京太郎&SNK 講談社マガジンポケットコミックス) Amazon

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.10

『読んで旅する鎌倉時代』(その二) 坂東武者の時代の終わりに

 十三人の作家が、鎌倉幕府成立に関わる十三の史跡を題材とした十三篇を収録したアンソロジーの紹介の後編です。

「ある坂東武者の一生」(吉森大祐)
 昔から問題行動だらけの父・熊谷直実に振り回されっぱなしの直家。十八年前に騒ぎを起こして鎌倉から逐電、京で法然上人に迫って出家した直実も、この数年はおとなしくしていたかに見えたのですが――今度はその父が頼朝と対立する九条兼実に近付いていると聞き、直家は泡を食って京に向かうことになります。
 しかしその途上、直家のもとに届いた報せとは……

 謡曲「敦盛」で知られる熊谷直実。そこでは若武者・平敦盛の最期に哀れを覚えて出家する人物として描かれる直実ですが、史実では土地の境界争いに敗れたのをきっかけに頼朝の前でブチ切れて出奔、出家するなど、むしろいかにも坂東武者らしい豪傑であったようです。
 本作はその後者の直実が描かれ、彼に振り回される直家の姿が何ともペーソスたっぷりに描かれることになります。

 その有様には気の毒になったり可笑しくなったりなのですが、しかし本作の直実の姿に象徴されるのは、荒武者たちが己の気の赴くままに暴れまわった、ある意味おおらかな時代の終わりであります。ここから先は、幕府の統制の下に行きていくしかない直家らの姿には、何ともいえぬほろ苦さがあります。

 しかし「一谷嫩軍記」での自分の扱いを知ったら、直家は何と言ったか……


「由比ガ浜の薄明」(天野純希)
 侍所別当として坂東武者を束ねてきた長老・和田義盛とその一族が、北条義時の度重なる挑発についに暴発し、武力衝突に発展したいわゆる和田合戦。本作はその合戦を、義盛の子・朝比奈三郎義秀の目から描きます。
 妾の子として冷遇され、ただ強くなることのみが己の価値を示す手段であった三郎。そんな彼にとって、この合戦も、ただ父の命じるままに戦う以外の選択肢はありません。しかし義盛の無策に加えて味方の裏切りに遭い、戦で大敗。由比ガ浜にまで退いた三郎は、心の中にあったただ一つの疑念を父に問い質すのですが……

 現代では観光地となっている由比ガ浜を舞台として描かれるのは、武士の家に縛られた三郎と、その家を支配する、いかにも坂東武者らしい義盛の姿です。
 しかし義盛の口から、意外な(というべきか)合戦の真実が語られた先に三郎が選ぶのは――豪勇で知られながらもその死に様は語られず生存伝説すらある三郎のキャラクターを活かし、やりきれない武士の運命を描く物語から一転、希望を感じさせる結末の爽やかさが印象に残る物語です。


「実朝の猫」(砂原浩太朗)
 鶴岡八幡宮を舞台とした本作は、ある意味本書随一の異色作。何しろ物語の語り手は猫――三代将軍実朝の飼い猫なのですから!

 京から源実朝に輿入れした御台所についてきた黒猫の黒麿。子のない二人に可愛がられてきた黒麿は、雪の中、鶴岡八幡宮への拝賀に赴く実朝を見送った直後、猫たちから不穏な噂を聞かされることになります。
 自称・北条義時の飼い猫の六弥太からは、当日列席するはずの義時が急に欠席を決めたこと、そして八幡宮の飼い猫・白妙からは別当――すなわち公暁が不穏な言動を見せていると知った黒麿は、一路八幡宮へ駆けるのでした。

 六弥太、白妙とともに、吹雪の中、矢のように主の下に急ぐ黒麿。ついに実朝を見つけ、急を知らせようとしたその時……

 他の物語から少々時が下った本作の題材となるのは、源氏政権に終止符を打ったあの惨劇――その惨劇を止めるために駆ける黒麿の視点から描かれる物語は、猫ならではの機敏さでもって、スピーディーに、そして緊迫感を以て描かれることになります。
 結末はわかっているものの、しかし何とか避けられないものかと思わず祈ってしまう本作、結末の黒麿の述懐が何ともほろ苦い後味を感じさせます。


 以上、全十三篇の中から六篇を紹介させていただきました。これまで他の時代に比べて題材となることが少なかった鎌倉時代ですが、しかしその鎌倉時代にも色々と興味深い人物・事件があることを示してくれる一冊でありますー

 鎌倉時代に様々な形で分け入っていく道標ともなりそうな本書、執筆陣の豪華さも含めて、これまでもユニークな歴史小説アンソロジーを幾つも送り出してきた講談社ならではの一冊というべきでしょう。

|

2022.06.09

『読んで旅する鎌倉時代』(その一) 源平合戦の陰の恋の形

 大河ドラマで個人的に一番楽しみなのは、それに合わせて刊行される、関連した題材を扱った書籍であります。本書はその中でも最もユニークかつ豪華な一冊――十三人の作家が、鎌倉幕府成立に関わる十三の史跡を舞台とした物語を描くアンソロジーであります。

 というわけで、本書は「小説現代」2022年1・2月合併号に掲載された同名の企画を書籍化したもの。ここでは、そのうち特に印象に残った作品を紹介いたします。


「妻の謀」(鈴木英治)
 知人の勧めで、平治の乱で共に戦った源朝長の娘・華子を後妻を娶った大庭景親。実は乱では清盛方と通じ、朝長らを売る形で生き延びたことに後ろめたさを感じていた景親ですが、華子の美しさに目を奪われ、以来、心の底から愛し慈しむのでした。
 しかしその妻は佐殿(頼朝)に味方してほしいと懇願するものの、その言葉に取り合わず、平家に仕え続ける景親。やがて佐殿闇討ちを命じられた彼は、三嶋大社に潜むことに……

 三嶋大社近くの妻塚観音堂を題材とした本作の主人公は、本書でも何度も題材となっている石橋山の合戦で散々に頼朝を打ち破った大庭景親。物語は、明らかに偽りを言って彼に接近してきた妻・華子の思惑を巡って展開することとなります。
 その思惑自体はすぐに予想がつくものの、しかし物語は二転三転、そこに浮かび上がるのは――人間として何を選ぶのか、どちらの選んだ道も決して間違っていないだけに、物悲しくもどこか清々しい後味が残ります。

 ちなみに本作は、本書ではほとんど唯一、頼朝の敵方を主人公とした物語。だからこそ描けた物語と言うべきでしょうか。


「初嵐」(阿部暁子)
 挙兵の際、妻の政子と娘の大姫を伊豆山神社に預けた頼朝。戦勝祈願にやって来た頼朝に対し、政子が語る想いとは……

 というわけで、ある意味史上に残るドラマチックなラブストーリーである頼朝と政子の出会いを中心に描かれる本作。ここで描かれるその経緯は、よく知られたものにほぼ忠実なのですが――しかし、本作はその背後にあったものを語ることになります。
 後ろ盾となるものがない頼朝と、旗頭を必要としていた北条時政。二人の男の嘘と欲に恋を演出された形となった政子ですが、しかしそれを知った上で頼朝に対して昂然と胸を張ってみせる政子の姿は、何とも力強く、そして颯爽としたものに感じられます。

 政子が恋に落ちた瞬間の頼朝の描写も実に巧みで、歴史に名を残す二人のナマの姿が印象に残る物語です。


「恋真珠」(赤神諒)
 自分の叔母であり、出会った時には人妻だった初恋の相手・八重への想いを貫き、ついに結ばれた江間小四郎。
 「恋遊びはできても、自分にはもう本物の恋ができない」と宣言する八重を受け入れながらも、なおも前夫である頼朝のことを語る彼女に嫉妬し、その一方でまさに英雄と言うべき義兄相手では仕方ないと感じるなど、小四郎の胸中には複雑な想いが渦巻きます。

 そんな中、ついに頼朝の挙兵に付き従い、初陣を迎えることとなった小四郎。その彼に対し、「恋は思い出になって、終わるわけじゃない。恋は終わってからだって、花開くのよ」と言い残し、頼朝の元に向かう八重の真意とは……

 政子の陰に隠れがちですが、その前に頼朝と結ばれて子を儲け、その子を身代わりに頼朝を助けるという、決して烈婦ぶりでは負けない八重。しかしその八重を本作は、武士を支える妻という形ではなく、恋に生きる一人の女性として描きます。
 己の恋を真珠に喩え、その恋を頼朝に捧げる八重に翻弄される小四郎ですが、八重の心は、はたしてどこに向いていたのか?

 八重姫の供養塔があるという真珠院を題材に、恋を貫いた八重、その想いの全てを理解していた頼朝、その時には気付けなかった小四郎――三人の不思議な人間関係が、人間の身勝手な、しかし最も美しい感情を浮き彫りにする本作は、異様な感動を与える結末も相まって、個人的には本書の中で最も印象に残った作品でした。

 ちなみに本作の小四郎と八重の関係は、奇しくも(?)、大河ドラマのそれと重なるのですが――むしろ一生に一度の恋、そして貝というモチーフから、作者の戦国もの『空貝』と表裏一体の物語とも感じられる作品です。


 次回に続きます(全二回予定)


『読んで旅する鎌倉時代』(講談社文庫) Amazon

関連記事
赤神諒『空貝 村上水軍の神姫』の解説を担当しました

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.08

松井優征『逃げ上手の若君』第6巻 新展開、逃者党西へ

 逃げて逃げて(作中時間で)早くも二年が経過した『逃げ上手の若君』。信濃を舞台とした合戦を経て、結束を固めた諏訪神党の決起の時は近い――と思われたところに、次々と新キャラが顔を見せることになります。さらに足利の手が迫り、時行たちは一転京に向かうことに……

 帝の命により親北条勢力討伐を開始した国司・清原信濃守と守護・小笠原貞宗に対し、総力を挙げて戦いを挑んだ諏訪神党。諏訪頼重直属の諏訪神党三大将も加わっての激闘の中で、時行と逃者党は伝令の役目を与えられ、戦場を駆けることになります。
 目まぐるしく変わる戦況は、最終的には諏訪神党が撤退、大きく領地を奪われたものの将クラスは誰も討ち取られず、かえって結束を固める結果となったのでした。

 そんな戦いの後、この巻の冒頭で新たに登場するのは「神」――諏訪の現人神の座を継いだ諏訪頼継。頼重の子・時継のそのまた子、つまり頼重の孫であります。
 頼重、孫がいるのにあんな感じなの!? とドン引きしたのはともかく、頼継は時行よりもさらに幼い少年。そんな頼継にとって、時行は自分の祖父たちの関心を自分から奪っていった憎い相手――というわけで、諏訪追放をかけた勝負を挑んでくるのですが……

 が、その勝負が、自分が逃げる側とはいえ鬼ごっこなのはマズかった。この勝負はあっさり決着するのですが、しかし自分も父親のように頼重を慕う時行にとっては、頼継は兄弟のような存在。そんな共通点もあって二人は心を通わせ、時行には新たな味方(?)ができたようです。


 そして次なる新顔は、何と北条家の生き残り、時行の叔父の北条泰時。この泰時、一門が皆自決した時に一人生き延びてきた――というのはさておき、思っていることが全て顔に出てしまう面白叔父さんであります。

 しかしこの状況下で鎌倉を脱出し、東北で残党を糾合して二年間戦ってきた人物が、単なる面白キャラであるはずがありません。
 なるほど戦闘力は大して高いわけではありませんし(しかし弧次郎とどっこい――これはむしろ弧次郎が低いのか)、馬鹿にされたら殺すの鎌倉武士とは思えないほどプライドは低い。

 それでも、色々な意味で生き残りのために全振りしたかのようなスキル構成は、彼もまたこの時代の武士なのだな、と感心させられるのです。(そしてこういう武士のバリエーションを出して作品そのものも)

 さて、何やらデカい計画を考えているらしい泰家の登場で前進したかに見える北条家復興ですが、しかしもちろん敵はこの国を掌中に収めようという相手だけに、このままうまくいくはずもありません。
 泰時の諏訪来訪と時を同じくして風間玄蕃の前に現れた不気味な天狗面の男。彼こそは足利直属の忍集団「天狗衆」――かつて尊氏の挙兵時に京の情報を迅速に伝達し、新田義貞の鎌倉攻めを助けたとも言われる相手の出現に、もはや安全ではなくなった諏訪から、時行は離れざるを得なくなります。

 そこで彼が向かう先は京――折しも泰家が「計画」の打ち合わせに向かうのに合わせ、時行は逃者党とともに京に入ることに――というわけで、この巻のラスト1/3からは京での物語が始まることとなります。


 ――が、京に入ったと思えば(調子に乗った玄蕃が博打で身ぐるみ剥がされたので助けるために)いきなり双六勝負が始まることになります。
 そしてその相手となるのは、人様にざぁこざぁこ言うようなイキった上に奇天烈な服を着た少女・魅摩。しかしやたらと婆娑羅なのも道理、なんと彼女の父は元祖婆娑羅なあの人物なのですから――間接的とはいえ、いきなり京らしい大物登場であります。

 それはさておき魅摩は神力の使い手、しかも双六では時行が力を発揮する場もない――というわけで、ここで出番が回ってきたのは、頼重の娘である雫。しかし同じ神力の使い手とはいえ、格上の相手を前に明らかに分が悪い……
 と思いきや、えっ君たち一体何してるの? と唖然とするような戦法を繰り出す雫。もう公式が薄い本になったような展開ですが、これまで弧次郎や亜也子にスポットが当たってきたように、ここで雫にスポットが当たるのは納得ではあります。


 何はともあれ思わぬ緒戦をくぐり抜けた時行たちですが、最初がこれではこの先何が待っているか予想もつきません。個人的には、これまで名前しか出ていない楠木正成の存在が気になるところですが――さてこの先どうなるか。この先の展開にも期待できそうであります。


『逃げ上手の若君』第6巻(松井優征 集英社ジャンプコミックス) Amazon

関連記事
松井優征『逃げ上手の若君』第1巻 変化球にして「らしさ」溢れる南北朝絵巻始まる
松井優征『逃げ上手の若君』第2巻 犬追物勝負! 「この時代ならでは」を少年漫画に
松井優征『逃げ上手の若君』第3巻 炸裂、ひどく残酷で慈悲深い秘太刀!?
松井優征『逃げ上手の若君』第4巻 時行の将器 死にたがりから生きたがりへ!
松井優征『逃げ上手の若君』第5巻 三大将参上! 決戦北信濃

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.07

千葉ともこ『震雷の人』文庫版の解説を担当いたしました

 SNSでは少し前から告知しておりましたが、本日発売の『震雷の人』(千葉ともこ 文春文庫)の解説を担当いたしました。2020年、第27回松本清張賞受賞作であり、中国唐代の安史の乱を背景に、この大乱に巻き込まれた兄妹の数奇な運命を描いた歴史ロマンであります。

 中国河北・平原郡の軍大隊長の張永、その親友で平原郡太守・顔真卿の甥・顔季明、そして張永の妹で季明の許嫁の采春――それぞれに明るい未来を夢見る三人の運命は、安禄山の蜂起により、大きく狂うことになります。
 常山太守の父を支えて奔走する季明。しかし彼は籠城戦の末に敗れて捕らえられた末、賊に下るのを拒み、その命を散らすことになったのです。

 武術自慢の采春はこの悲報を受けて単身出奔し、燕王を名乗る安禄山を討つために洛陽に潜入。一方、張永は故郷を守るために軍に残り、燕軍と戦いを繰り広げることとなります。
 全く異なる道を歩むことになった兄妹の運命は、やがて思わぬ形で交錯することに……


 という本作は、冒頭に述べたとおり2020年に単行本が刊行された作品。私は題材や物語展開はもちろんのこと、作中で描かれた、理不尽な権力・暴力・圧力に「武」ではなく「文」で抗う人々の姿に惚れ込み、個人的にその年の歴史・時代小説のベストに挙げさせていただいた作品であります。
 その『震雷の人』が文庫化されるに当たり、解説を担当することが出来たのはもう本当に望外の喜びだったのですが――ゲラを手にして大いに驚かされることになりました。

 冒頭から知らないエピソードが描かれている!

 そう、この文庫版は、単行本の内容に大幅な加筆修正が行われています。冒頭と結末の他、物語の途中でも新たなエピソードを加え、それだけでなく随所で台詞や描写の修正が行われているのであります。
(冒頭については、こちらで一部読めますのでご覧下さい)

 文庫化など版が改まった際に加筆修正が行われると大喜び侍としては、たまらない趣向だったのですが――しかし今回行われている加筆修正は、単純なボリュームアップではなく、より物語の主題を明確化し、掘り下げるためのものであります。
 文庫解説では、その辺りに触れさせていただきましたが、基本的に体温が高めの文章になったのは、我が意を得たりというのはあまりにも僭越ですが、加筆修正を経た作品の内容が、今の自分の心に直撃したから、というほかありません。

 文庫版を手に取った方の心にも、直撃することを願っております。


 何はともあれ、今まで本作に触れたことがなかった方はもちろんのこと、単行本をご覧になった方も、ぜひ改めてこの文庫版をご覧いただきたい――『震雷の人』という物語はこういう物語だったのか! と新たな感動があることは請け合います。


 ちなみに蛇足ながら一つだけ言い訳いたしますと、今回の解説では、姉妹作である『戴天』に全く言及しておりません。実は締切の関係で、解説を書いている段階で『戴天』に触れることが出来なかったという理由なのですが……
 もっとも、今回の解説はこれ以上足し引きできない文章だと思っているので、それはそれで頭を抱えたと思います。


『震雷の人』(千葉ともこ 文春文庫) Amazon

関連記事
千葉ともこ『震雷の人』(その1) 「武」の兄妹の戦いと「文」の人が遺した言葉
千葉ともこ『震雷の人』(その2) 巨大な「敵」の姿と人が往くべき道

千葉ともこ『戴天』(その一) 舞台は唐、最高権力者に挑む三人の男女
千葉ともこ『戴天』(その二) 権力と人の関係性が生む恐怖 それでも叫ぶ人々

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.06

霜月りつ『あやかし斬り 千年狐は綾を解く』 蘭方医と妖狐が挑むバラエティ豊かな化け物退治

 このブログ的には『神様の用心棒』の霜月りつによる、妖怪時代小説の快作であります。ある日、謎の美貌の薬売りから効果抜群の薬を与えられた蘭方医の多聞。その後再会する二人ですが、その場面はなんと――奇妙なコンビによる化け物退治が始まります。(内容の詳細に触れますのでご了承下さい)

 父の診療所を継いで日々奮闘する若き蘭方医・武居多聞。ある日、大怪我をした男の手当に難儀していた多聞は、突然現れた美貌の薬売りから与えられた、驚くほどよく効く薬に助けられることになります。
 その数日後、往診帰りに獣のような唸り声を聞いた多聞ですが、そこで彼が目にしたものは、見たこともない恐ろしい化け物と対峙するあの薬売り。しかも薬売りは化け物を手もなく捻ると、その口から出てきた光を飲み込んでしまったではありませんか!

 そんな信じられない光景を見た一月後、大川の土手で背中を真っ直ぐに切り裂かれた狐を見つけ、家に連れ帰って手当をすることとした多聞。狐に青と名付けて共に暮らす多聞ですが、その狐はなんと……


 と、ここまでくれば予想がつく方もいらっしゃるかと思いますが、この青こそは実は薬売りの正体。故あって人の姿で化け物を退治をし、そこから薬を作っているという妖狐だった青の話を聞き、多聞は協力を約束するのでした。
 本作ではこの多聞と青、そして多聞の幼馴染で定町廻り同心の硬骨漢・板橋厚仁が、江戸を騒がす事件の数々に挑む全三話が収録されています。

 さて第一話「蟷螂の疵」で描かれるのは、上で述べた青が深手を追わされた事件――大川沿いで次々と発生する通り魔事件の謎。
 厚仁からの依頼で被害者たちの手当を行った多聞は、一見無差別に見える被害者たちに、実は共通点があることに気付くのですが――しかし彼自身も襲撃を受け、対峙したその相手は!? と、その姿にまず驚かされることになります。

 こういう展開では、スレた妖怪ものファン(?)としては、鎌鼬かな、それとも髪切かな――などと考えてしまうのですが、しかしここで描かれるのは、そんな予想など及びもつかないような存在。はたしてこの化け物は何者なのか、そして何故人を襲うのか――人知を超えた力を持つ青でも簡単には倒せないこの化け物に対して、多聞たちはその出現に至る理由、「綾」を探ることになります。

 このように本作に登場するのは、通り一遍の妖怪ではなく、一捻りも二捻りも加えられた独特の存在。そして力押しで倒すのではなく、その正体を解き明かすという謎解きの要素が強いのも、また本作の魅力なのです。


 そんな本作の魅力が最もよく現れているのは、第二話「振り袖夢幻」でしょう。このエピソードでは、あるきっかけで猿若町の宮地芝居の二枚看板・菊山と鹿の輔と知り合った多聞が、二人の愛憎入り混じった関係を知り、さらに町を騒がす足切りの通り魔事件に巻き込まれることになります。

 一見無関係なこの二つの要素を結びつけるのは、役者たちの間で囁かれる「振り袖お化け」の存在。足を失って無念のうちに死んだ役者が化けて出たというこの化け物と取引をすれば、芸が上達するというのですが――しかし青も知らないこの化け物は何者なのか。
 多聞の医者という設定も最大限に活かして展開する物語は二転三転、前話以上に捻りの効いた展開に驚きつつ、ラストではきっちり泣かされるという、実に見事なエピソードなのです。

 そして最後の第三話「狐火の夜」では、人を食い殺しては一滴残らず血を啜る狐の化け物が江戸に出没、この化け物と対峙した多聞は、相手の、そして青の意外な正体を知ってしまい――と、物語は伝奇的に一気にスケールアップすることになります。
 人々が恐慌を来す中、多聞と青を助けるのはなんと――というケレン味溢れる展開も楽しく、ラストに相応しいエピソードであります。(そして冒頭のある描写が活きる展開にもまた涙)


 人間と妖怪がバディとなって妖怪を退治するというのは、妖怪ものでは鉄板の展開ではあります。しかし本作は、主人公たちのキャラクターの楽しさや物語展開の巧みさといった点はもちろんのこと、化け物の――つまりはストーリーの――バラエティの豊かさという点で他にはない魅力を持つと感じます。
(冷静に考えると「綾」が登場するのがほとんど第一話のみなのですが、それもある意味バラエティの現れというべきでしょうか)

 本作だけで終わらず、この先も豊かで意外性に富んだ多聞と青の冒険を読んでみたい――そう強く感じさせられる佳品です。


『あやかし斬り 千年狐は綾を解く』(霜月りつ 小学館文庫キャラブン!) Amazon

関連記事
霜月りつ『神様の用心棒 うさぎは闇を駆け抜ける』 甦った町を守る甦った男
霜月りつ『神様の用心棒 うさぎは玄夜に跳ねる』 兎月が挑む想い、支える想い
霜月りつ『神様の用心棒 うさぎは梅香に酔う』 兎月とツクヨミの函館の冬
霜月りつ『神様の用心棒 うさぎは桜と夢を見る』 春の訪れとリトルレディの冒険と

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.05

唐々煙『煉獄に笑う』第14巻 そして三成は往く 曇サーガここに完結

 本作だけで約9年、『曇天に笑う』から数えれば約11年――ついに『煉獄に笑う』完結の時がやってきました。前代未聞の八本首の形態と化したオロチに最後の戦いを挑むのは、天正曇天三兄弟と、秀吉・家康・光秀らの連合軍。持てる力の全てを結集して挑む戦いの行方は……

 真の信長を器としてついに復活したオロチ。オロチ封印の最後の希望、三本の巻物の最後の一本を安土城に突入して見事奪取した佐吉ですが――しかし信長がその意識を残した故か、オロチは牡丹すら知らない形態、八岐大蛇状の怪物に変化するのでした。
 この絶望的な状況下でも、封印の準備に入る牡丹と、彼女を守るべく陣を敷く連合軍。そしてそこに死んだと思われていた芭恋も姿を現し、佐吉・芭恋・阿国の天正曇天三兄弟――石田三成が復活!

 というわけで、今度こそオールスターキャストで臨む最後の最後の決戦が繰り広げられるこの最終巻。
 佐吉・芭恋・阿国の三人(あと後世でいうゲロ吉)に、秀吉・家康・光秀、さらに左近に紀之介(吉継)といった武将たち、百地丹波と浯衛門、桜花と一波、鬼平太、国友の勇真に芦屋弓月と安倍家一門(そしてもう一人)、牡丹――これまでの物語で戦い抜き、生き抜いてきた者たちが恩讐を乗り越えて集うだけで、もう感動的としかいいようがありません。

 たとえほとんど怪獣クラスのオロチの首たちであっても、彼らであれば――と思いたくなる(そして実際どうにかしてしまう)面々が戦う間に、牡丹が死力を振り絞って封印の陣を張る――これで勝利まで後一歩と思いきや、しかし史上最悪のオロチの強さはまだまだ先がありました。
 中心の首が雲を食らった末に全方向に放った熱線(?)によって戦線は一瞬にして崩壊、そしてその首に牡丹と佐吉が飲み込まれてしまったではありませんか。

 そして首の中で佐吉が見たものは、オロチに飲み込まれた安土城の一部と、オロチの中でなおも己の姿を保つ織田信長その人。
 刀を失い、文字通り徒手空拳で信長と対峙することとなりながらも、なおも心は折れない佐吉。そして彼のために芭恋と阿国は、オロチの中に刀を届けるべく奮闘を繰り広げます。あの曇の護り刀を……


 本作において最後の『曇天に笑う』とのリンクというべき護り刀の因縁も登場し、いよいよ終局に向かう物語。しかしそこで描かれたものは――まさか、と言いたくなるような展開であります。ここまで来て、こんなことになるとは――と唖然とさせられる中で、物語は容赦なく展開していくことになります。
 しかしこれもまた、彼らが、石田三成が選んだ道。その果てにある結末であれば、これはもう本作の結末として受け容れるしかない、ということは間違いないでしょう。少なくともエピローグの展開を見れば、だからこその「石田三成」であったか、と舌を巻くしかないのですから。

 そして登場人物それぞれが収まるところに収まったエピローグの最後に待つもの――この『煉獄に笑う』という物語の冒頭にリンクして(今見返すと、絵はもちろん違うものの、台詞は同じなのが感慨深い。だからあのアングルだったのか、とも)描かれる結末には、大きく頷くしかないのであります。

 ちなみにこの単行本は、最終話に連載時に比べて、実に30ページ近い描き足しが為されており、完全版と呼ぶに相応しい内容となっています。ここまでくれば、まさに大団円と呼ぶしかないでしょう。


 冒頭に記した通り『曇天に笑う』から数えて11年、そして単行本総計で24巻という分量となった、この曇サーガともいうべき物語。その中でも本作が質・量ともにその中核を成すことは間違いありません。
 今読み返してみても伊賀のくだりはちょっと長かったな――などと思ったりはしますが、しかしそこまで描き込んだからこその、この最終巻の展開であったことは間違いないでしょう。

 このサーガをほぼリアルタイムで読むことができて良かった――心からそう思った次第です。


『煉獄に笑う』第14巻(唐々煙 マッグガーデンコミックス Beat'sシリーズ) Amazon

関連記事
 「煉獄に笑う」第1巻 三百年前の戦いに集う者たち
 『煉獄に笑う』第2巻 へいくわいもの、主人公として突っ走る
 唐々煙『煉獄に笑う』第3巻 二人の真意、二人の笑う理由
 唐々煙『煉獄に笑う』第4巻 天正婆娑羅活劇、第二幕突入!
 唐々煙『煉獄に笑う』第5巻 絶望の淵で現れた者
 唐々煙『煉獄に笑う』第6巻 誕生、曇三兄弟!?
 唐々煙『煉獄に笑う』第7巻 開戦、第二次伊賀の乱!
 唐々煙『煉獄に笑う』第8巻 伊賀の乱の混沌に集う者、散る者
 唐々煙『煉獄に笑う』第9巻 彼らの刃の下の心 天正伊賀の乱終結
 唐々煙『煉獄に笑う』第10巻 嵐の前の静けさ!? 復活の三兄弟
 唐々煙『煉獄に笑う』第11巻 本能寺の変に動き出す表と裏の歴史
 唐々煙『煉獄に笑う』第12巻 最終決戦開始! 大団円への前奏曲
 唐々煙『煉獄に笑う』第13巻 クライマックスまったなし かぶき者還る!

 「曇天に笑う」第1巻
 「曇天に笑う」第2巻 見えてきた三兄弟の物語
 「曇天に笑う」第3巻 曇天の時代の行く先は
 「曇天に笑う」第4巻 残された者たちの歩む道
 「曇天に笑う」第5巻 クライマックス近し、されどいまだ曇天明けず
 「曇天に笑う」第6巻 そして最後に笑った者
 「曇天に笑う 外伝」上巻 一年後の彼らの現在・過去・未来
 唐々煙『曇天に笑う 外伝』中巻 急展開、「その先」の物語
 唐々煙『曇天に笑う 外伝』下巻 完結、三兄弟の物語 しかし……
 唐々煙『泡沫に笑う』 鎌倉から明治へ、二人の道の先に待つもの

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.04

ジョン・ディクスン・カー『火刑法廷』 驚愕の大転回 毒殺魔伝説と忍び寄る不死者の影

 怪奇色の強い不可能犯罪もの、あるいは歴史ミステリの印象が強いジョン・ディクスン・カーが、実在の毒殺魔を題材に描いたホラーミステリ、伝奇ミステリの名品であります。1920年代、フィラデルフィア郊外で起きた奇怪な密室からの消失事件。その背後には不死者の影が――?(作品の趣向に触れる部分があります。ご注意下さい)

 ある週末の晩、フィラデルフィア郊外の別荘に向かっていた編集者スティーヴンズ。殺人実録を得意とする作家ゴーダン・クロスの新作の原稿を列車の中で読もうとした彼は、その中にあった十九世紀に処刑された毒殺犯の写真が、自分の妻マリーと同姓同名、瓜二つであったことに衝撃を受けます。

 一方その晩、スティーヴンズを尋ねてきた隣人マーク・デスパードは、一週間以上前の仮面舞踏会の晩に亡くなった叔父・マイルズが毒殺された疑惑があると告げます。
 舞踏会の晩に叔父が口にした飲み物の中に大量の砒素が含まれていたと語り、叔父の遺体を改めて調べるため、厳重に密閉された納骨堂を開けたいというマーク。スティーヴンズはそれに協力するのですが……

 しかし葬儀の時には確かにマイルズの遺体が収められていたにもかかわらず、霊廟の棺の中は空。そしてマークはさらに、叔父が亡くなった晩、十七世紀の毒殺魔・ブランヴィリエ侯爵夫人のドレスを着た女性が、彼に飲み物を渡したのを使用人が目撃したと語るのですが――しかしその女性は、あるはずのないドアを開けて外に出ていったというのです。

 さらに事態は警察の介入を招き、当日のアリバイなどより細かい捜査が進められるのですが――その中でスティーヴンズはマリーへの恐ろしい疑惑を募らせていくころになります。そしてそれを裏付けるように、マリーはゴーダン・クロスの原稿を抜き取って、何処かに姿を消してしまい……


 特にその初期の作品では、濃厚な怪奇趣味とケレン味溢れる不可能殺人ものが印象に残るカー。本作も(一応)その系譜に属する作品と言ってよいかもしれません。
 本作の中心となる謎は犯人と死体、いずれも密室からの消失ですが――特に犯人消失は、毒殺魔のドレスを来た女性がそこにあるはずのない、後で探してもどこにもないドアを抜けて消えるというシチュエーションは、語り口の妙もあり、ゾクゾクさせられます。

 しかしそれ以上にゾクゾクさせられるのは、作中で語られる不死者伝説の存在です。ここで登場する不死者は、吸血鬼やゾンビのようないわゆる生ける死者ではなく、むしろ一種の転生者――はるか昔に亡くなったはずの人間の精神が、別の(自分の子孫や良く似た)人間の中で蘇り、生前と同様に振る舞うという存在であります。

 そしてその不死者として囁かれるのが、十七世紀の実在の毒殺魔・ブランヴィリエ侯爵夫人(マリー・ドブレー)。愛人ゴーダン・サンクロワから毒薬の使用法を学び、父親をはじめ親族などを次々毒殺、サンクロワの死後に事が露見した末に、毒殺者を裁く「火刑法廷」にかけられ、処刑された人物です。
 本作では、その後、彼女の魂があたかも後世の人間の中で幾度か復活、同様の毒殺事件を起こしたという説を語り、十七世紀、十九世紀、そして現代のマリー・ドブレーとの関係を仄めかすのであります。

 さらに現代のマリーが砒素に関心を示していたこと、事件当日の晩にスティーヴンズが不自然な睡魔に襲われて彼女のアリバイがないこと――さらにマリーが漏斗に異常に恐怖心を示すこと、事件の起きたデスパード家の先祖がブランヴィリエ侯爵夫人捕らえていたことなど、様々な形で不気味な暗合が示されることになります。(侯爵夫人と漏斗の関係についてはドイルの『革の漏斗』でも語られています)
 この辺りの、過去の歴史の話と思っていたものが、突然自分事として目の前に現れる辺りの呼吸は、実に見事と感じます。

 そして読者の側の疑念も最高潮となったところで、意外な探偵役が登場、快刀乱麻を断つ名推理によって――思わぬ波乱があったものの――見事に合理的な謎解きが示されることになります。この辺り、特に件の幻のドアの謎解きなど、実に楽しいのですが……


 しかし本作の名を不朽のものとしたのは、最終章の数ページでしょう。そこで示されるものが何であるか――それはここでは触れませんが、作者の作品であること自体が一種のトリックともいうべき、凄まじい大転回には、ただ絶句させられるばかりなのです。

 同様の趣向は、後年様々な作品で見られるように思いますが、その嚆矢という印象もある本作。わずか数ページで作品の印象が(もしかしたらジャンルも)変わってしまう――そんな恐るべき名品であります。


『火刑法廷』(ジョン・ディクスン・カー ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.03

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』田虎王慶篇1 対田虎開戦 燃えよ梁山泊魂!

 『絵巻水滸伝』第二部もいよいよ佳境、田虎王慶篇の開幕であります。遼国との激突に勝利したのも束の間、朝廷の思惑で和議が成立し、向かう先を見失った梁山泊に下されたのは河北の田虎討伐の命。「同類」とも言える田虎との対決に臨む梁山泊が見たものははたして――梁山泊魂が燃え上がります。

 招安後の初の戦いとして、南下を開始した遼を迎え撃った梁山泊。激闘の果て、遼の守護神・兀顔光を破り勝利を飾った梁山泊ですが、その直後に宋の朝廷は遼との和議を決定――彼らの戦いは思わぬ形で終結し、燕京を基点に独立を狙う呉用の計画も水泡に帰するのでした。

 さらに追い打ちをかけるように、梁山泊の好漢たちをバラバラに各地に追いやり、個別に始末するという、どこかで見たような謀を巡らせる高キュウ。しかしそこに田虎軍の東京侵攻が始まったのは、天の助けというべきでしょうか。
 はたして今度は田虎討伐を命じられることとなった梁山泊ですが――遼国戦の恩賞もほとんど出ないままというのはともかく、対外戦争であった遼国戦とは違い、彼らにとっては「同類」である田虎との戦いは、何とも意気の上がらないものといえるでしょう。

 しかし田虎の勢力圏に近づいた梁山泊の面々が見たものは、救いを求める民衆の姿。恣に略奪や暴行を繰り広げる田虎軍に財や親しい人々を奪われ、それを討伐する官軍は役に立たないどころか、賊のものと称して人々の首を狩り集める――そんな地獄に苦しみ、息を潜めて隠れてきた人々が、梁山泊に救いを求めてきたのであります。
 そんな人々を前にして、好漢たちが黙っていられるはずがありません。血の気の多い面々だけでなく、普段は冷静な李応までが強い怒りを見せる(それがいわゆるノーブレス・オブリージュの点からなのもらしくてイイ)など、俄然闘志を燃やした梁山泊は、田虎軍撃滅のために動き出すことになります。

 官軍から支給された地図がいい加減で全く役に立たないという椿事があったものの(それに気付くのが地元出身の施恩や張青という捻りも嬉しい)、陵川、さらに高平を一日のうちに陥としてみせた梁山泊軍。しかしそこで思わぬ事態が発生することになります。
 先に述べたとおり、田虎の暴戻と官軍の無策に苦しめられてきた二つの街の人々。日々の食事にも事欠く有様の民衆に、まさしく旱天の慈雨の如く食料を支給する梁山泊ですが――しかしそのあまりの多さに、やがては兵糧にも影響が出かねない状況となってしまったのです。

 それではどうするか? その難問の答えは、まさしく梁山泊ならではのものであります。
 ――そう、田虎に与して庶民を苦しめる貪官汚吏からいただく!

 いやはや、破天荒のようでありながら、実に梁山泊らしいこのやり方、作中で燕順が言うとおり、「〝梁山泊〟はこうじゃねえとな!!」と快哉を挙げたくなる痛快な展開であります。
 そしてここで「おとなしい仕事」に、水を得た魚のように精を出す顔ぶれが、本職のメンバー――大規模な戦ではちょっと出番が少なめになってしまう元山賊組なのも、何とも楽しくなってしまうのです。


 田虎軍との戦いの始まりとともに、梁山泊と他の賊徒との違いをこれ以上無いほど明確に描いてみせたこの第一巻。しかし戦いはまだまだ緒戦、この後には、東京攻略の先鋒である田虎軍の「枢密使」鈕文忠と四威将が守る蓋州攻略戦が待っています。
 そしてこれまでも燕青を助けてきた謎の男・許貫忠が燕青に託したものは何か、そして田虎篇といえばこの人というべき、あの美少女も暗躍を始め、物語はこれからが本番というべきでしょうか。


 ちなみに本作では家族を人質にとられ、心ならずも田虎に協力していた陵川の耿恭。蓋州に捕らわれた家族の安否を気遣う彼を見て、黄信が昔の自分を思い出すと語るのは、いい話のようでいて非常に不吉なフラグでは……


『絵巻水滸伝 第二部』田虎王慶篇1(正子公也&森下翠 アトリエ正子房) Amazon

関連記事
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇1 帰ってきた最も面白い水滸伝!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇2 強敵襲来、宋国十節度使!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇3 絶体絶命、分断された梁山泊!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇4 立て好漢!! 明日なき総力戦!!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇5 集え! 「梁山泊」の下に!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』遼国篇1 「官軍」梁山泊、初の犠牲者
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』遼国篇2 遼国の「招安」と「宋江」の動きと
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』遼国篇3(その一) 対遼国最終決戦! 陣と陣との大激突
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』遼国篇3(その二) 梁山泊と「彼」 表裏一体の勝者と敗者

 「絵巻水滸伝」第1巻 日本水滸伝一方の極、刊行開始
 「絵巻水滸伝」第2巻 正しきオレ水滸伝ここにあり
 「絵巻水滸伝」第3巻 彷徨える求道者・武松が往く
 「絵巻水滸伝」第四巻 宋江、群星を呼ぶ
 「絵巻水滸伝」第五巻 三覇大いに江州を騒がす
 「絵巻水滸伝」第六巻 海棠の華、翔る
 「絵巻水滸伝」第七巻 軍神独り行く
 「絵巻水滸伝」第八巻 巨星遂に墜つ
 「絵巻水滸伝」第九巻 武神、出陣す
 「絵巻水滸伝」第十巻 百八星、ここに集う!

関連サイト
 公式サイト
 公式ブログ

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.02

柳広司『ゴーストタウン 冥界のホームズ』 ホームズとワトスン、死後の「冒険」と「帰還」!?

 シャーロック・ホームズのパスティーシュは無数にありますが、本作はその中でも相当異彩を放つ作品でしょう。なんとライヘンバッハの滝で本当に死んでいたホームズが、ワトスンとともに冥界のロンドンで死者の謎を解くというのですから! さらにあの男も現れ、はたして物語はどこに向かうのか……

 ホームズが宿敵モリアーティ教授とライヘンバッハの滝に姿を消した後のある日、目覚めたワトスンは、自分がベーカー街221Bにいると知ったばかりか、死んだはずのホームズと対面することになります。
 しかしそのホームズはなんと骸骨姿、そればかりか自分自身も犬の姿に変わっていることに気付くワトスン。ホームズによればここは死者の街、冥界のロンドン――ここでは死者たちが、生前自分をどう見ていたか、周囲からどう思われていたかによって、姿が変わるというのです。

 肉体は、頭脳と捜査に使う手足さえあればいいとばかりに、骸骨になったことをむしろ喜び、この死者の街でも探偵を続けているというホームズ。はたして彼のもとには、豚女や首なし紳士、火焔人間など、異形の死者たちがひっきりなしに訪れ、生前抱えていた謎の解明を依頼してくるのでした。

 この街でホームズが出会ったという「バリツ」の達人・カトー(姿は猫)とともに、ホームズの助手を務めることとなったワトスンですが、しかし彼もまた、何故自分が死んだのかという大きな謎を抱えている状態。
 さらに、これまでホームズが謎を解決した依頼者たちに奇怪な異変が起きていることを知ったホームズとワトスンですが――その前に現れたのは、不気味な姿に変じた、あのモリアーティ教授だったのであります

 恐るべき力を振るうモリアーティから辛うじて逃れ、大英博物館に逃げ込んだ二人。しかしそこで、この街にいるはずのない人物に出会うことに……


 これまで、ホームズパスティーシュとしては『吾輩はシャーロック・ホームズである』を、さらに名作そのものの謎を(一種メタフィクション的に)解く物語としては『贋作『坊っちゃん』殺人事件』、『虎と月』といった作品を発表している作者。本作は実に、その両方の系譜を継ぐ作品にあるということができるでしょう。

 そう、本作はあくまでもパロディではなく、あくまでも聖典の隙間を埋める語られざる事件であり、そして同時に、「最後の事件」から「空き家の冒険」までの新たな解釈として――さらにはもう一つ、聖典の『○○○○○』に隠された驚くべき秘密までも解き明かす物語なのであります。

 それにしても、冥界の死者の街という舞台で、聖典と連結してみせる――それも「ホームズ亡き後」という後日譚で終わらず(死後のホームズを描く作品は本作が初ではなかったかと思います)、そこからホームズを復活させてみせるというのは、まさしく豪腕としか言いようがありません。

 それだけでなく、モリアーティの著作として知られる『小惑星の力学』の恐るべき内容や彼の犯罪組織の正体、そして何よりもあの人物の驚くべき謎まで――聖典のそこを拾うか、というレベルまで踏み込んで描くスタイルは、まさしく伝奇ものというべきでしょう。
 聖典というもう一つの「現実」を、イマジネーションによって新たに解釈してみせた物語として……


 元々がアニメ企画だったという性質ゆえか、ミステリとしては少々もの足りない部分は正直なところ否めない内容ではあります(むしろ機転や推理で窮地を切り抜けるイメージ)。また、もう一人の助手であるカトー――ご丁寧に目の周りに仮面のような模様がある猫――が有能すぎるのも、気になるところではあります。

 しかし、作中の出来事と、ある史実の関係性を巧みに用いた上で、物語の力を、そして物語の不滅性をこの上ないほど讃えることでもたらされる大団円は、個人的には極めて好ましいものに感じられます。
(まさに「理性」を上回る「愛」の存在を描いたものとしても……)

 ミステリという性質上、そしてそのあまりに伝奇ものとして限界突破した内容上、詳しい内容に触れるのは難しいのですが、一見、外連の極地のようでいて、ホームズファンであればあるほど楽しめる――そして感動させられる作品であることは間違いありません。


『ゴーストタウン 冥界のホームズ』(柳広司&竹清仁 角川文庫) Amazon

関連記事
柳広司『吾輩はシャーロック・ホームズである』 ホームズになった男が見た世界
柳広司『贋作『坊ちゃん』殺人事件』 坊ちゃん、赤シャツの死の謎に挑む!?
「虎と月」 少年が見た父と名作の真実

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

2022.06.01

千葉ともこ『戴天』(その二) 権力と人の関係性が生む恐怖 それでも叫ぶ人々

 松本清張賞を受賞のデビュー作『震雷の人』に続く、千葉ともこの第二作の紹介の後編であります。唐の玄宗皇帝の時代を舞台に、絶対的な権力者に挑む者たちの戦いを描く波瀾万丈の物語である本作。しかし描かれるのは、彼らの姿だけではないのです。

 本作は同時に、作中における最強・最凶の敵である辺令誠の内面をも克明に描き出します。本作の中盤で描かれる辺令誠の過去――彼もまた、かつて権力に虐げられ、大切なものを奪われたことを示す、あまりに無惨なその内容は、実は彼もまた彼なりのやり方で、この世に、この世の上にあるものに抗う者であったことを、浮かび上がらせるのです。

 その意味では、その抜きん出た存在感も含めて、辺令誠も本作の主人公の一人に相応しい人物というべきかもしれません。しかしあくまでも、彼は崔子龍や真智たちとは対極に位置する者として――先に述べたように、権力を他者に対して振るい、支配することを躊躇わない怪物として存在し続けます。

 実に本作は辺令誠の存在を通じて、ほぼ全編に渡り、権力が人に及ぼす影響を――権力が人からその自由意思を奪っていく様を描き出します。権力が人を従える、動かす――言葉にすれば簡単ですが、その作用が、突き詰めれば人の精神を破壊していく過程であることを、本作は克明に語るのです。
 もちろん、作中で描かれたそれは極端な――ある種、独裁国家の収容所で行われていたという手法を彷彿とさせる――ものであるかもしれません。しかしそれが程度の差こそあれ、我々の暮らす社会でもごく普通に存在していることに気付いた時――そしてそれ以上に、自分が同様の立場に置かれれば、まず抗うことはできないだろうと気付いた時、大きな恐怖が生まれることになります。

 そう、本作は胸躍る歴史ロマンであると同時に、いつの世にも存在する権力と人の関係性を、そしてそこから我々読者も自由ではないことを描き出す、極めて恐ろしい物語でもあるのです。


 しかし、本作で描かれるのは、権力の前に己の意思をすり潰され、ひれ伏す人の姿だけではありません。どれほど権力が強大に見えても、己が無力に見えても、人は権力に屈しない道を選べるのだと、声なき叫びを上げる人々を――たとえ己一人では無理であったとしても、同じ志を持つ人々がそれぞれに小さな勇気を振り絞った時、必ず道は開けるのだと信じる人々を、本作は同時に描くのです。

 本作のタイトルである「戴天」は、物語の冒頭で高仙芝が崔子龍に語る「英雄とは、戴いた天に臆せず胸を張って生きる者だ」という言葉から取られたものでしょう。
 そしてまた、この天こそは、人の上に立つものの象徴でもあります。それは本作で描かれた権力や権力者だけでなく、それ以上に人の身では抗いがたい宿命、まさしく「天然」すら含む――そんな意味を持つのです。
(そして、だからこそ辺令誠は「英雄」を憎むのだと理解できます)

 しかしそれでも、人は人として、自立した一個人として己の意思を持ち、生きることが
できます。そしてそれは決して、いかにも英雄に相応しい高仙芝のみに当てはまるものではありません。
 苦闘の中で心身に幾多の傷を負いながらも屈しない崔子龍、養父の遺志に触れる中で人の真の尊さに気付いた真智、そして己の体を擲ってまでも人が人として生きることを示した夏蝶――彼ら一人一人が英雄なのです。
(そしてそんな真智の言葉と照らし合わせれば、辺令誠の過去の最も痛ましい部分こそが、辺令誠という人間の在り方を、彼がその道を歩む理由を示す、一つの象徴と感じられます)

 そしてそれは、物語の登場人物のみのことではありません。我々一人一人もそうである、そうであろうとすることが出来ると、本作は正面から謳い上げるのです


 波乱に満ちた歴史活劇の中で、権力と人の関係性の恐ろしさを描くと同時に、その恐ろしさにも負けない人の強さと、あるべき人の姿を描いたこの『戴天』という物語。
 『震雷の人』と重なりつつも、そちらで描かれなかったものをさらに掘り下げた印象もある、まさに姉妹編というべき作品であり――そして同様に、今を生きる我々に、勇気と希望を与えてくれる作品であります。


(にしてもアイツ、あれでも丸くなってたんだなあ……)


『戴天』(千葉ともこ 文藝春秋) Amazon

関連記事
千葉ともこ『震雷の人』(その1) 「武」の兄妹の戦いと「文」の人が遺した言葉
千葉ともこ『震雷の人』(その2) 巨大な「敵」の姿と人が往くべき道

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

|

« 2022年5月 | トップページ | 2022年7月 »