篠原烏童『浅葱の風音』
ホラーや動物を題材にした物語等、様々な作品を描いてきたベテラン・篠原烏童には、時代ものも少なくありません。本書はそんな作者の幕末ものを中心に、コミックス初収録作品&描き下ろしで構成された短編集であります。
巻頭に収録された「矢竹の音」は、箱館戦争終盤、市村鉄之助に箱館退去を命じた土方が、鉄之助との会話から沖田総司のことを思い出す一編。
山南敬助切腹の直後、総司と語らう中で、その透明とも言うべき迷いのない剣に想いを馳せる土方。そして土方は、かつて自分が武士になった時に役立てると日野の家に植えた矢竹に吹く風の音を思い出し……
在りし日の土方と沖田の、表向きは他愛のない会話を通じて、時代を駆け抜けた新選組の若者たちの姿と、武士として彼らが抱いた覚悟を描く本作。
その象徴として描かれる矢竹を吹き抜ける風の音は、本書のタイトルの由来でしょう。
そしてその沖田の最期の時を描く「黒猫」は、死を目前とした沖田が黒猫を斬れなかったという有名な逸話を題材とした物語ですが――その黒猫が象徴するものが、あの土佐の人斬り・岡田以蔵だった、というのに驚かされます。
ともに若き剣の達人であったこと以外、共通点のなさそうな二人ですが、本作で――特に沖田の視点から描かれるのは、共に自分自身を持たず、尊敬する人物に言われるままに人を斬っていたっていたという点。
周囲からすればただそれだけに思えますが、沖田にとっては以蔵の抱えた空虚が己のこととしてわかってしまう――だからこそ黒猫が斬れないと血を吐くように語る沖田の悲しみが印象に残ります。
一方、その以蔵の生涯を描いたのが、本書の約四割を占める中編「斬慕状」であります。
若き日から「己れのため」という言葉の意味もわからず、ただ「先生」――武市瑞山のためにだけに剣を振るい続けた以蔵。その才で相手の剣を見切るように、武市の心を「見切る」ことで、彼の望むままに剣を振るってきた以蔵ですが、己の心の暗部を映すようなその姿に、武市はやがて以蔵を遠ざけるようになります。
「先生」から見放されて途方に暮れる以蔵は、各地を放浪した末に無宿者として捕らえられ、先に捕らえられていた武市の罪を白状するよう、苛烈な拷問を受けるのですが……
思想無き人斬り、武市の走狗として――そして拷問に屈して、武市ら同志たちのことを白状したこともあって――あまり良い印象がない以蔵。本作の以蔵の姿も、基本的に従来の姿を敷衍しているのですが、しかし本作が描くのは、己というものをついぞ持てなかった、あまりに純粋な青年の悲劇であります。
そんな彼が最後に「見切った」ものは何であったか――彼の最期の行動に、全く異なる意味が与えられる結末は、ただ圧巻というべきでしょう。
斬奸状が奸物を斬ることの理由を書いたものであるとすれば、斬慕状とは慕う者を斬る理由でしょうか。以蔵だからこそ記すことが出来たその理由に胸を打たれる、個人的には本作ベストの一編です。
その他、「終の住処と」は、本書で唯一、平安時代末期――義経と弁慶主従を描いた物語。兄・頼朝に逐われて逃避行を続ける中、最愛の静とも別れを告げた義経の傍らに、最期の時までいたのは誰であったか、そしてそれは何故か……
義経と弁慶の間に、ある感情の存在を描く物語は少なくありませんが、本作の弁慶像は意表を突いたもので――そしてそれだけにある種の説得力が感じられます。
また、戦国時代を舞台とした「眷恋」は、名馬とその飼い主――というよりも友というべき青年の間の、深い絆を描いた物語。青年と無惨に引き裂かれながらも、敵の武将に大人しく献上された馬の真意とは――動物を愛する作者ならではの奇譚と言うべきでしょうか。
以上五編、いずれも短編ながら美しく切ない物語が描かれ印象に残るのですが、私が読んだ電子版は、紙の単行本に収録されていた作品が一つ(芹沢鴨を題材とした「鉄の翼」)が未収録だというのは、実に残念であります。
おそらくは、いや間違いなく、その作品も味わい深い物語であったであろうだけに……
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