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2022年8月

2022.08.31

永井義男『江戸狼奇談』 有名人探偵+アクセントの効いた時代ミステリ

 永井義男が1995年から1998年――すなわち、小説家デビューした直後の時期に月間小説誌に発表した作品を中心とした短編集であります。全六編のうち、四編は実在の人物を主人公としたミステリ色の強い作品という、ユニークな一冊です。

 本書に収録されているのは、いずれも独立した作品ですが、ここでは特に印象に残った作品を中心に紹介しましょう。

 表題作であり巻頭の「江戸狼奇談」は、タイトル通り、江戸に現れた狼を巡る奇談であります。ある晩、狼に噛まれ、尊敬する医師である沢三伯のもとに駆け込んだ米搗き職人の仙太。しかしその噛み傷に違和感を感じた三伯は、最近狼が出没しているという噂の中身を調べるよう、仙太に頼むのでした。
 仙太が町で聞き込みをした結果、最初の被害者は、狼に局部を噛み切られて死んだ子供だったと聞き、そこから騒動の裏を見抜く三伯ですが……

 本作の題材となっているのは、十九世紀前半に鈴木桃野が記した奇談集「反故のうらがき」中の、麻布・青山の狼騒ぎ。その最初の被害者から、狼の「正体」に至るまで、実は原典通り――すなわち「実話」なのですが、しかしその隙間を巧みに埋め合わせ、一つのミステリとして成立させているのが、本作の魅力でしょう。
 しかしそれ以上に目を惹くのは、本作の探偵役が沢三泊であることです。卓越した頭脳を持ちつつも、役人と接点を持つことを嫌う彼の正体は――知っている人には全く隠されてはいないわけですが、本作で描かれた事件が、彼の運命に繋がっていく終盤は、やはり衝撃的です(その描写が「公式発表」通りでないだけ余計に……)。


 続く「夢酔続言」は、「夢酔独言」をもじったタイトルから察せられるように、勝小吉を主人公にした作品であります。知り合いから、出入りの大店の若旦那が美人局に引っかかったと相談された小吉。この若旦那、震え上がって金だけでなく財布や羽織まで身ぐるみ置いてきてしまったというのですが、それをネタにどんな因縁をつけられるかわからない――と、店の主人から頼まれた小吉は、囮役を買って出ることになります。
 誘いに乗ったふりをして相手をさんざん脅しつけ、首尾よく奪われたものを取り戻した小吉ですが、実は……

 後に『とんび侍喧嘩帳』で小吉を主人公に迎える作者ですが、本作の小吉は、いかにもバイオレンスものの主人公らしく(?)、エロにも暴力にも強い男。この辺りの描写は、正直にいって今見るとちょっと――なのですが、しかし終盤に至り、物語は全く異なる様相を呈することになります。
 小吉のもとを訪ねてきた旧知の高屋彦四郎(柳亭種彦)に、今回の一件を話した小吉。しかし戻ってきた品を見た彦四郎が語るのは――まさかここに繋がるのか、という意外な真相なのです。

 正直なところ真の探偵役がいきなり登場した印象はありますが(もっとも、二人の交友は勝海舟の「氷川清話」で明言されているのですが)、しかしここで描かれるある種の強い怒りは、小吉ではなく彦四郎が語るからこそ意味があるものでしょう。


 その他、「汚穢屋吟味帳」は、盗みに入った家の庭に糞を垂れると捕まらないという俗信を背景に、その「遺留物」を分析したことをきっかけに起きる騒動ですが、探偵役を新内節の本家本元というべき鶴賀若狭掾(の隠居後の姿)とすることで、奇妙な題材ともども、なんともユニークな雰囲気を醸し出す作品です。
 また「世田谷裁き」は、世田谷で真夜中に農家を訪れてその場で亡くなった正体不明の男の体に二つ傷があった謎を解き明かす物語ですが、探偵役が井伊家の十四男で冷や飯食いの若者・鉄三郎というのが意外性十分。彼の存在が、事件の真相と因縁を感じさせるものになっているのも、時代小説としても面白いところです。


 残る二編、「深川旦那殺し」は、妾を安囲い(要するに妾の共有)している気弱な勤め人が、他の面子が次々と殺されるという事件に巻き込まれ――という物語。一方、「虎穴堂弥助」は、妻をやくざに寝取られた男が、超実戦派の武術道場で修行して復讐戦に挑むという、本書の中ではミステリ味のない異色作となっています。
 どちらもあらすじを見ればわかるように、現代ものでも通じるような内容ながら、それを時代ものとして落とし込んでいるのが面白いところでしょう。


 以上六編、江戸の性愛関係の著作も多い作者らしさを窺わせつつ(そして今読むと執筆年代を感じさせつつ)、アクセントの効いた物語揃いの短編集であります。


『江戸狼奇談』(永井義男 祥伝社文庫) Amazon

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2022.08.30

ジョンストン・マッカレー『快傑ゾロ』 自主独立の旗手、覆面の好漢見参!

 強きをくじき弱気を助く覆面のヒーローとして、幾度となく映画等で描かれてきた快傑ゾロ――その原点である、ジョンストン・マッカレーの小説であります。カリフォルニアがスペイン領だった頃、専横を極める総督一派を蹴散らす謎の盗賊紳士の痛快な活躍が始まります。

 おそらくは18世紀末、南カリフォルニアの小さな村、レイナ・ド・ロス・アンヘレス(後のロサンゼルス)の砦に駐屯するペドロ・ゴンザレス軍曹を悩ませるのは、神出鬼没の盗賊・快傑ゾロの存在。
 「カピストラノの疫病神」とも呼ばれ総督から莫大な賞金がかけられたゾロを追う軍曹ですが、何故か彼のいないところにばかりゾロは現れる――そんなことを酒場で愚痴っていた軍曹の前に現れた男こそ、なんと快傑ゾロその人ではありませんか。数日前にインディアンを殴ったことを罰するために現れたというゾロは、軍曹を一対一の決闘で圧倒、あっという間にその場から姿を消すのでした。

 その翌日、かつては名門として知られながら、今は総督に睨まれて没落の一途を辿るドン・カルロスの屋敷に現れたのは、土地一番の名門の跡取りである(そして軍曹とは奇妙な友人関係である)青年、ドン・ディエゴ・ベガ。ドン・カルロスの美しい一人娘・ロリータに求婚にやってきた彼は、しかし酒も喧嘩も女も苦手という朴念仁ぶりを発揮してロリータを怒らせてしまい、這う這うの体で退散するのでした。
 しかしその直後、何と快傑ゾロがドン・カルロス邸に現れ、その颯爽たる姿に心を奪われてしまうロリータ。そこにドン・カルロスの通報で駆けつけた総督の懐刀・ラモン大尉ですが、しかし彼もロリータに強く惹かれ、なんとしても我が物にせんと企むことに……


 と、圧政に苦しめられる人々のために、一人敢然と立ち向かう神出鬼没、覆面のヒーローの活躍を描く本作。正体不明の謎の剣士が破邪顕正の刃を振るうというのは、これは言うまでもなく古今東西を通じてのヒーロー像の一類型であり、本作が元祖というわけではないでしょう。しかしその中でも本作がユニークなのは、一つにはその舞台設定の妙があるかと想います。

 本作の舞台となる時代は18世紀末から19世紀初頭、場所はスペインが支配していた頃のカリフォルニア――イメージ的にスペインが舞台という印象がありますが、あくまでもスペイン語圏――ですが、ここで描かれるのは、フランチェスコ会による伝道開拓地が次々と作られ、それに次いでやって来た総督と麾下の軍隊・役人が幅を効かせている世界であります。
 そこにさらに作中では「紳士」(カバイエロ)と呼ばれるスペイン人地主たちの三者――というより物語の時点では修道会は既に力を失っており、総督側と「紳士」側が一種の協力とも緊張ともいうべき関係が、物語の背景にはあります。

 ゾロは当然ながらこの後者の側に立ち、やがて彼らのシンボル的存在ともなっていくのですが、勧善懲悪のストーリーであると同時に、自主独立の気風を謳い上げる物語である点が、人気の源の一つではないかと感じます。そしてその意味では、戦いを終わらせるのがゾロ個人の力デモはないのも、意味を感じるのです。

(もっとも、最初にこの土地に暮らしていた作中で言うところのインディアンは、フランチェスコ会の下で土地と財産、そして自由を奪われ、人口を激減させていたのですが)


 そしてもちろん、キャラクターの個性が本作の魅力であることは言うまでもありません。お尋ね者でありながらも颯爽として大胆不敵なゾロの好漢ぶりはもちろんのこと、彼とはある意味対象的なドン・ディエゴの(もはや死語ですが)草食男子ぶりも楽しい。
 一方ヒロインのロリータは、基本的に類型的ではあるものの、辱めを受けるくらいであれば自決するとナイフを擬して追手を退け、自ら馬を駆ってゾロの下に駆けつけるなど、情熱的な性格が、らしさを感じさせます。

 またゾロとは敵方で、言動は悪役ながら妙に憎めないゴンザレス軍曹、今は老齢ながら若い頃はさぞや荒武者であったろうと感じさせるフェリーペ師、老いてなお紳士たちのまとめ役として血気盛んなディエゴの父など、脇役も味がある配置で、飽きさせません。
(一方で悪役のラモン大尉と総督はちょっと没個性……)

 しかし一番印象に残るのは、やはりゾロの正体なのですが――これはもう、冒頭からほとんど明らかではあるものの、極端なまでの緩急の付け具合が楽しく、そして何よりもラストの正体を明かすシーンが実に痛快としか言いようがありません。
 やはり古典といえど今まで名を残す作品は違うわいと、大いに納得してしまうのです。


『快傑ゾロ』(ジョンストン・マッカレー 角川文庫) Amazon

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2022.08.29

廣嶋玲子『失せ物屋お百 首なしの怪』 人間の愚かさと狂気を描く異形の人情譚

 恐ろしい妖と、それよりも恐ろしくて愚かな人間を描かせたら右に出る者がない廣嶋玲子による、異形の人情譚の第二弾であります。山神の鱗を目に宿したため、不思議な力を宿した青い目を持つお百が、今日も人の世の暗い部分を垣間見ることになります。

 表街道から外れた、一癖も二癖もある人間ばかりが集まる通称「化け物長屋」に住むお百は、生まれつき青い左目を持つ大年増。彼女は、その異形の左目と、この世ならざるものを見る力を持つために実の親には売り飛ばされ、この世の辛酸を舐め尽くした過去の持ち主であります。
 様々な過去を経て今は開き直り、左目の力で「失せ物屋」を営む彼女の前にある日現れたのは、焦茶丸という少年に化けた子狸。そしてお百は、左目に入っているのがかつて山神が浮気して妻と大喧嘩した際に飛び散った鱗だと、焦茶丸から聞かされるのでした。

 しかし自分の半生はそんなことに振り回されてきたのかと激怒したお百は、この目で千両稼ぐまで鱗は返さないと宣言。仕方なくお百の元に居着いた焦茶丸をこき使いつつ、失せ物屋稼業に勤しむことに……

 と、酒好きで守銭奴でやさぐれで――と実に個性的なお百が、焦茶丸を振り回しつつ失せ物探しに挑むシリーズの第二弾ですが、既に基本設定は前作で説明済み、というわけで、エンジン全開で物語は展開していくことになります。
 お百と交流を持つゲストキャラもも、前作で名前だけ出てきた人形師左近次や、今回その本領を発揮する(?)役者崩れの猿丸といった化け物長屋の面々だけでなく、やたらと猫に好かれるために「またたび旦那」という渾名を持つ町方同心など、ユニークなキャラが次々と登場して飽きさせません。

 が、本作の本領は、お百が受ける依頼の内容にこそあります。左近次の元から盗まれた生き人形探し、人を斬り殺してはその首を持ち去る首なし鬼探し、記憶喪失の青年の夢に現れる女の子の謎解き、廻船問屋の娘の正気探しに、子堕しした赤子の父親探し――いずれも失せ物といっても一筋縄ではいかない、それを失せ物と呼んでよいものか、と言いたくなる代物ばかりであります。

 そしてその中でお百が対峙するのは、人間の愚かさと――そして何よりも心の中に抱えた闇、狂気の存在なのです。


 最近では『ふしぎ駄菓子屋銭天堂』シリーズで人気を博し、また時代ものでも『妖怪の子預かります』シリーズなど数々の作品を発表している作者ですが、その作品の多くに共通するのは、まさにこの人の愚かさと狂気(そしてそれに対する容赦ない裁き)であり――そしてそれは本シリーズにおいても変わることはありません。
 いや、秘め隠されたものを探し暴く失せ物屋だからこそ、より一層、その存在はクローズアップされると言ってもいいかもしれません。

 それは前作でお百が焦茶丸に語る言葉――「この世で本当に怖いのは、死霊でも化け物でもない。生きた人間だよ」という言葉にはっきりと示されていると言えるでしょう。
 それは一見ありがちな台詞に見えるかもしれませんが、本シリーズで、本作で容赦なく描かれる「それ」を見れば、否応なしに納得させられるのです。

 特に本作でいえば、タイトルとなっている「首なしの怪」で描かれる人間の醜いエゴとそれに下される裁き、正気を失った娘のエピソードで描かれる直球ど真ん中の狂気など、ここまで容赦なく描くか、と読んでいて怖気を振るうほどであります。
(その他、本作で一番イイ話的なエピソードも、ディテールが十分陰惨で……)

 ここで描かれるのはいわば異形の人情話――イイ話・泣かせる話ではなく、厭な話・恐ろしい話に現れるある種の人の情を、本作は真っ正面から見据えて抉り出すのです。
 しかしその潔さがあるからこそ――そしてそれを体現するようなお百という主人公が、そんな彼女を受け止め支える焦茶丸という相棒がいるからこそ、本作は不思議にカラッとした明るささえ感じさせます。

 そしてまた、ラストのエピソードのように、そんな容赦ない物語だからこそ描ける人の優しさというものもまたあるのだと、本作は示すのです。


 内容的に少々(かなり?)人を選ぶかもしれませんが、しかし不思議な輝きを放つ物語であります。


『失せ物屋お百 首なしの怪』(廣嶋玲子 ポプラ文庫) Amazon

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2022.08.28

安達智『あおのたつき』第9巻 「山田浅右衛門」という存在の業

 冥土の吉原は薄神白狐社で迷える魂を導く元花魁・あおの奮闘を描く『あおのたつき』第9巻は、以前からゲストとして登場していた山田浅右衛門吉睦と鬼助を描く「鬼の男」編が展開。山田家の家紋が入った太刀で凶行を繰り返す男の正体は、そして浅右衛門たちの過去とは……

 冥土の会所から、現世の吉原を騒がす「廓七不思議」の解明を頼まれ、鬼助とともに不承不承調べに当たったあお。存外大したものはなかった不思議の数々ですが、最後の一つで辻斬りの現場に行き当たった二人は、何とか凶行を阻止することに成功します。

 しかし下手人が持つ山田家の家紋入りの太刀と、何よりもその下手人の顔を見た鬼助は、血相を変えて吉睦にある人物の名を告げるのでした。
 その人物の名は、清五郎――かつて望まれて盛岡藩藩士の家から山田家に養子に入り、吉睦の後継者と目されていた男。しかしその実は、幼い頃に吉睦に拾われて山田家で育った鬼助を無宿人の子として陰でいじめ抜き、そしてある出来事がきっかけでその器に非ずと、吉睦から勘当された過去を持つ人物だったのです。

 しかし鬼助がまだ幼い頃に勘当されたはずの清五郎の顔を、何故鬼助は覚えていたのか。そして清五郎が何故山田家家伝の宝刀を手にしていたのか――鬼助の口から秘められた過去が語られる一方、薄神白狐社では意外な事態が発生することに……


 単行本第二巻から登場し、それ以来ゲストとして時折顔を見せていた山田浅右衛門吉睦と鬼助。吉睦は公儀の御試御用を務めた山田浅右衛門の五代目であり実在の人物、鬼助はその吉睦に可愛がられた忠僕という設定ですが、その主従の中は大変微笑ましく――特に鬼助は(見かけの上は幼い)あおと対等にやり合う貴重なキャラとして存在感を発揮してきました。

 しかし薄神白狐社に出入りしているということは二人共亡者、特に天寿を全うした吉睦はともかく、明らかに年若くして冥土に来た鬼助には、何がしかの理由があると思ってきましたが、それがこの巻で描かれることになります。
 そこで語られるのは、かつて吉睦の養子でありつつもその心得違いを咎められて放逐された清五郎という男の存在――周囲と鬼助の前で裏表の顔を使い分け、そして命ある者・あった者への敬意なき者として、これまで本作に登場した中でも結構上位に入るような下衆であります。

 しかしその清五郎の存在は、言ってみれば山田浅右衛門という存在と表裏一体といえるかもしれません。
 生者・死者を問わず人斬りを家業とし、そしてさらにその死体をも用いて薬を作る――江戸に様々な職業ある中でも随一に奇妙で忌まわしく、そして決して替えの効かない存在である山田浅右衛門。その実像については巻末の解説で詳しく触れられていますが、フィクションの世界に於いても、特にその平穏であろうはずのない心中が、しばしば語られてきました。

 このエピソードの根幹にあるのは、そんな「山田浅右衛門」という存在の業――それと向き合ってきた者と、それを軽視し理解しようともしない者、そしてその姿を見つめてきた者、その三者のせめぎ合いであるクライマックスは、どこか仮面劇の趣すら感じさせるものがありました。


 が、細かいことを言ってしまえば三人とも吉原にとっては部外者であるわけで、吉原に現れる理由、吉原に惹き寄せられる理由はあるわけですが、ちょっと座りの悪さを感じないでもなかった――というのが正直なところではあります。
 もちろん、事態を収めるためにあおと楽丸がそれぞれに動く姿は本作ならではのものでしたし、鬼助が吉睦に与えられた「もの」の正体とそれが明かされるくだりなど、実に良いのですが……

 さて、この「鬼の男」の物語はこの巻で終わったようですが、しかし思わぬ引きが描かれ、それを受けて次巻からは「あの面々」が再登場して賑やかな展開になる様子。これはなかなか気になる展開であります。


『あおのたつき』第9巻(安達智 マンガボックス) Amazon

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2022.08.27

風野真知雄『服部半蔵の犬 奇剣三社流 望月竜之進』 忍犬、名匠、そして愛!?

 同時に三人を相手にしても引けを取らないという三社流の達人にして、飄々と諸国を放浪する剣豪・望月竜之進が、何故か動物絡みの事件に巻き込まれる姿を描く連作シリーズの第二弾であります。

 既に天下泰平となった江戸時代前期を舞台に、諸国を放浪する望月竜之進の姿を描く本シリーズ。本書でも、以前刊行された『厄介引き受け人 望月竜之進 二天一流の猿』の収録作、「小説宝石」掲載作、そして書き下ろしがミックスされて収録されています。
 全五話の内容を以下に紹介します。

「番町皿屋敷のトカゲ」
 江戸で道場を開く竜之進に弟子入りした、さる小藩の用人の息子から、藩で鍋島公から送られた壺を誤って割ってしまい、頭を悩ませていると聞かされた竜之進。同じ頃、青山家では皿を割って手討ちにされた下女の幽霊が出没、そこにはある共通点が…

 タイトルの通り、あの番町皿屋敷の裏話である本作ですが、そこにさる竜之進の弟子の入門の理由と、トカゲに驚いてさる藩主の奥方が割ってしまった壺が絡んで、意外な方向に物語が転がっていきます。
 竜之進の悪党退治もさることながら、壺が割れた件の収め方が、何ともユニークかつ鮮やかで印象に残る一編です。


「淀殿の猫」
 大坂で出会った甘酒屋の女・茶々と良い仲になった竜之進。彼女を離縁した前の夫の家には、大坂の陣の折に、淀殿の猫が出てきたという抜け穴があったというのですが――それを教えてくれた男が何者かに殺され、前夫から竜之進は助けを求められることに……

 本シリーズには珍しく、艶っぽい内容の本作。大坂城の抜け道を巡る因縁や、かつての落ち武者狩りの連中がいまだにのさばっているという設定も面白いのですが、やはり印象に残るのは、竜之進と茶々の愛の行方でしょう。
 武芸者として放浪の人生を送りながらも、ふと一箇所に定住しての平凡な人生を夢見てしまう竜之進。その果てに迎える結末の何とも言えない複雑な後味は、これは作者ならではのものというべきものであります。


「服部半蔵の犬」
 福岡で右足に大怪我を負い、湯治中の竜之進は、かつて服部半蔵が飼っていたという噂の犬と、その犬と山で暮らす女と出会います。一方、竜之進と同じ時に湯治場に逗留する、曰く有りげな男の正体は……

 書き下ろしの表題作は、かつて服部半蔵が九州探索に来た折に飼っていたという犬を巡る奇妙な物語。いくらなんでも時代が離れ過ぎなのですが、その犬を飼っている女の奇妙な個性が絡んで、物語に不思議なムードを生みます。(にしても犬の名前が面白い……)
 そしてそこにさらに思わぬ悪党退治が絡むのですが――竜之進が松葉杖をついているためか、本作には珍しい複数対複数の決闘シーンが目を引きます。


「宇喜田秀家の鯛」
 秘剣の噂を知り、伊豆下田を訪れた竜之進。そこで彼は何かを探して鯛を釣る八丈島帰りの男と出会います。さらに男を追う代官所の者たちや、八丈島から来た「うきまさま」なる老人一行が現れ、血腥い争いが……

 ある意味本書の中で最もスケールが大きく、そして生々しいのが本作。タイトルの宇喜多秀家――八丈島に流されて余生を終えた武将が遺した「もの」を巡り、人々の醜い欲が絡み合う様は、そうしたものと無縁の竜之進の物語だからこそ、苦いものを残します。
 しかし思わず『幻の城』を思い出してしまう本作の設定ですが、さらにニヤリとさせられるような文章がサラリと……(発表時期的に、舞台版を意識したのでしょう)


「左甚五郎のガマ」
 栗橋の宿で、腕自慢の男相手に試合をすることになった竜之進。しかし直後に生まれて初めて風邪を引き、ダウンした彼に、同宿の小汚らしい老人がある企てを持ちかけます。翌日、三対一の決闘に臨む竜之進ですが……

 生まれて初めて風邪を引いたら滅茶苦茶重かったという、周囲にはおかしいが本人は大変な状況に、妙な老人が助太刀(?)する本作。決闘の行方も面白いのですが、実は本作のメインは、終盤に描かれる後日譚にあります。十年後の同じ場所を舞台に、何とも楽しい策で悪人を退治した竜之進が悟る真実とは――そこには不思議な説得力があります。
 ちなみに本作は、おそらくは最初に発表された望月竜之進もの。この時点で彼のすっとぼけた個性が確立しているのに感心します。


 現時点でもう一冊刊行されている『那須与一の馬』も、近日中にご紹介します。


『服部半蔵の犬 奇剣三社流 望月竜之進』(風野真知雄 光文社文庫) Amazon

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2022.08.26

赤名修『賊軍 土方歳三』第7巻 賊軍返上ならず そして舞台は北へ

 最後の最後まで意地を捨てずに戦い続ける土方と新選組ですが、会津を巡る情勢はいよいよ厳しい状況に。土方が援軍を求めて離れた最中に繰り広げられた死闘の末、会津はついに……。そして奥羽越列藩同盟も瓦解寸前となった中、土方に手を差し伸べた男とは?

 幾度となく襲いくる新政府軍を退けるものの、いよいよジリ貧に追い込まれていく土方と新選組、そして会津藩。援兵を請うために庄内藩に向かう途中、米沢で恭順派の襲撃を受けた土方のもとに、米沢に滞在していた永倉新八が駆けつけたことで窮地を脱して――というところまでが前巻の物語であります。

 永倉との絆は取り戻したものの、小康状態だった沖田が再び血を吐き、ちょうど米沢に身を寄せてた姉・ミツのもとで療養に入り――と、片腕と恃む仲間を失った土方。
 いや、それどころか彼の不在の間に、会津の情勢はいよいよ悪化の一途を辿ることになります。行方不明だった斎藤改め山口が孤軍奮闘するも衆寡敵せず、悲惨な籠城戦の末に、会津藩はついに降伏することに……

 しかし、捨てる神あれば拾う神ありというべきでしょうか、その頃、ある男に率いられて江戸から北に向かう艦隊が――時化の中、呵呵大笑しながら半裸で舵を取るというインパクト十分の登場シーンを見せたその男の名は、榎本武揚!
 勝海舟曰く、ロマンチストの夢想家である榎本は、かつて大坂からの撤兵の際に意気投合(?)した土方に語ったとおり、蝦夷を江戸にするという大望を胸に抱いて、江戸を離れたのであります。

 そして仙台で土方と再会し、青葉城での奥羽越列藩同盟の軍議に参加した榎本。その場で土方の総督に推挙された直後、恭順派が優勢となった仙台藩が降伏(ここで土方が「戦国時代から結局肝心なところで戦わねェ」と吐き捨てるのは、申し訳ないですがごもっとも)。額兵隊の星恂太郎との思わぬ対決を経て、土方は榎本と共に蝦夷に向かうことを決意します。

 自分たちの帝として戴いてきた輪王寺宮を京に送り出し、ここに東北王朝は完全消滅。結局、土方は賊軍のままで……


 というわけで、第一部完、という印象のあるこの巻ですが、これまでのように歴史の隙間を縫っての土方たちの大暴れや、意外な「真実」が描かれることはほとんどありません。そのため、仕方ないとはいえ史実通りの展開が続き、土方ならずともちょっと悄然とした気持ちにならざるを得ません。
 そんな中、一人で気を吐くのが新登場の榎本で、ほとんど上述の初登場シーンのインパクトだけで、この巻の盛り上がりを持っていった感があります。(ちなみに一人だけ黒目が大きく、どこを見ているかわからない、ちょっと怖い目のデザインも妙に印象的です)

 もちろん、たった一人の登場でこの状況が大きく変わるわけではない――と言いたいところですが、土方をはじめ、相次ぐ敗戦を経験してきた旧幕府軍にとって、文字通り新天地に向かうという提案は、一つの希望ではあるでしょう。
 もっとも、土方の方は色々と重いものを背負っているせいか、久々に合流した隊士たちを気遣う発言をして、かえって隊士たちに心配される始末。ここで島田魁・中島登・松本捨助のワチャワチャ言い合う姿が妙に楽しいのですが……

 そしてこれも久々に再会した松本良順に己の心中を吐露し、ついに新選組解散を口にした土方。はたして新選組の行方は――というところで、次巻より蝦夷共和国編開幕となります


 ちなみにこの巻でもう一人、妙なインパクトがあったのが、奥羽越列藩同盟の軍議シーンでブツブツ不気味に呟いていた安部井磐根。この描写には何か原典が――?


『賊軍 土方歳三』第7巻(赤名修 講談社イブニングKC) Amazon

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2022.08.25

安田剛士『青のミブロ』第4巻 におの求める強さと、もう一人の少年

 京出身の三人の少年を中心にしてミブロ(壬生浪士組)の姿を描く『青のミブロ』の第4巻では、とある理由から、三人がにおの「実家」である団子屋を訪ねたのをきっかけに、意外なドラマが始まることになります。店に突然現れた何者かに追われる少年、その正体は……

 会津藩士を狙う辻斬り五人を見事に倒し、会津藩との距離を大きく縮めたミブロの面々。この巻では、平助を主役とした単発エピソードに続き、いよいよ意気軒昂な彼らが、ミブロ最強を決めることになります。
 その方法とは――飲み比べ。かくて始まる第一回ミブロ大酒飲み大会は、ある意味じつに本作らしいテンションの高いエピソードであります。

 はっきり言ってしまえば、ギャグエピソードではあるのですが、相変わらずノリのよいギャグの中で描かれるミブロたちの姿の「らしさ」には心地よさすら感じますし、その脇で幹事役で走りまくるにおと太郎(はじめは速攻で轟沈)の姿も微笑ましい。
 しかし何よりも印象に残るのは、最後まで残った芹沢と土方の一騎打ち――その後の歴史から考えれば水と油の二人ですが、その二人が飲みながら交わす話題が、「ミブロの未来」とあらば見逃すわけにはいきません。

 もちろん(?)酔っぱらい同士の議論ということで、(特に芹沢は)取りとめもない方向に転がっていくのですが、しかしこれまたらしいといえば実にらしい二人の言葉の端々には、不思議に含蓄があり――特にどう見てもその筋の人っぽいのに奇妙な愛嬌と器の大きさがある本作の芹沢のそれは、印象に残るのです。


 さて、そんな大酒飲み大会も意外な(本当に意外な)人物が勝者となり、それをちょっと受けての次なる展開は、ミブロ揃いの羽織作り。当然ながらメンバーそれぞれでデザインには意見が分かれる中、土方が提案したのは、何とにおの婆ちゃんに頼ることでありました。
 確かにファッションセンスは並々ならぬものを感じさせる人物ですが、これはおそらくにおに里帰りさせてやろうという土方の仏心。そして成り行きで同行することとなった太郎とはじめですが――そこから物語は思わぬ方向に展開していくことになります。

 二人の子供が巣立ち、ただ一人で忙しく茶屋を切り盛りする婆ちゃん。そこににおをはじめ三人の少年が現れたので婆ちゃんも大喜び、さっそく三人に店を手伝わせて――と、ここでやる気のないはじめに対して、異常にイキイキとする太郎という(特にばあちゃんの家に泊まることになった時の「誰だお前!?」状態には噴きました)シチュエーションだけで実に愉快です。

 しかしその中で、はじめがばあちゃんの持つ――もちろん自分たちのそれとは異なる――強さを見抜き、そしてばあちゃんがにおに自分が京に生きる意味を、裏返せばにおがミブロとなった意味を語るというくだりなど、緩急をつけた物語運びには、本作ならではのものを感じます。

 しかしもちろん、イイ話だけでは終わらないのも本作であります。突然茶店にやってきた傷を負った少年と、彼を追ってきた巨大な刀を苦もなく振り回す凶漢――三人で力を合わせて凶漢を一度は追い払ったものの、凶漢とその仲間たちは茶店を包囲し、少年を狙います。
 におたちの様子を見に来た土方・沖田・藤堂が合流して戦力は増えたものの、脱出は容易ではない状況。そもそも、菊千代と名乗る少年は何者で、何故追われるのか……

 いやはや、あまりに意外すぎて、土方よくそのヒントだけでわかったな!? という印象ではありますが、なるほど「菊千代」がこの当時18歳であったことを思えば、こういう顔合わせはあるのか、と思わないでもありません(元々ミブロは――というのも納得)。
 ただ、凶漢――直純の襲撃の動機が、攘夷などの一種思想的なものとは関係ないというのは面白いものの、言っていることが戦国時代の武士並み(いや、本当にそういうキャラではあるのですが)なのと、何よりも組織の名前がものすごく幕末っぽくないのが残念としか言いようがありません。

 何はともあれ、におはこの直純から菊千代を守り抜くことができるのか――それは言い方を変えれば、におの、菊千代の想いが、直純の想いに打ち勝つことができるのか、ということに他なりません。
 先が読めない展開ですが、本作ならではのドラマを見せてくれることに期待したいと想います。


『青のミブロ』第4巻(安田剛士 講談社週刊少年マガジンコミックス) Amazon

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2022.08.24

へげかもこ『ぼくの伴侶 猫と大佛次郎物語』第2巻 明るく平穏な日常生活を壊すものを乗り越えて

 大佛次郎(野尻清彦)の半生を妻と、そして猫たちの姿とともに描く漫画の第2巻、完結編であります。時代は昭和に入り、小説家として忙しい毎日を送る清彦。しかし戦争により清彦たちの日常は否応なしに変わっていくことになります。その先に彼が書くものは……

 帝大法学部在学中に出会った新進女優のトリコと恋に落ち、駆け落ち同然で結婚した野尻清彦。紆余曲折を経て移り住んだ鎌倉で大震災に遭遇し、生活のために大佛次郎のペンネームで時代小説の執筆をはじめた清彦は、鞍馬天狗の大ヒットで一躍その名を知られるようになります。
 そして初の連載小説の連載も始まり、大佛次郎としての活動も定着したところで時代は昭和に入り――ということで、「ねこぱんち」誌に連載時は「昭和編」と題されていた全六話がこの巻では収録されています。

 それぞれ昭和四年、六年、八年、十八年、十九年、二十年を舞台とする各エピソードの前半では、『鞍馬天狗』の作者として名を上げただけでなく、『ドレフェス事件』『霧笛』といった時代もの以外の作品で活躍する清彦の姿が、猫たちを交えて丹念に描かれることになります。
 この辺りのエピソードも実に面白く、かつ貴重(少なくとも漫画化されたのは初めてでは?)なのですが、さらに印象に残るのは、やはり中盤以降の太平洋戦争中の物語でしょう。


 それ以前から小説に検閲が行われ、小説が書けなくなる時代の予感を抱いていた清彦。残念ながらその予感は当たり、戦争の激化につれ、検閲どころか(ある意味物理的に)作品の発表の場所が失われていくことになります。清彦自身も視察の名目で海外の戦地に足を運ぶようになる中、残されたトリコと猫たちにも、戦争の影響は容赦なく押し寄せ……

 ここで描かれるものは、戦時中の暮らしとして、教科書等だけでなく、小説やドラマなど、これまで様々な媒体で描かれてきた――いささか妙な表現かもしれませんが――ある意味見慣れたものではあります。
 しかしそこに猫が絡んだ時、ここで描かれる戦時中の人々の姿は、一種の「知識」以上に、ごく身近な物語として、ダイレクトに胸に迫ります。(そもそも掲載誌でこの時代を舞台とした作品は極めて珍しいのではないかと感じます)

 第一巻の紹介で述べたように、本作において猫たちは「明るく幸せな日常生活」の象徴として描かれてきました。その猫に対して、供出献納の要請(という名の強制)が来るくだりは、その時のトリコの対応も含めて、強く印象に残ります。戦争が如何に平穏な日常を侵食し壊していくか――それを描いた、本作ならではのエピソードといえるでしょう。
 それでは、作家にとってこの戦争の時代に、そして戦争が終わった後の荒廃した時代に、できることはないのでしょうか。ペンは剣よりも無力なのか――確かにできることは少ないのかもしれません。しかし決して無力ではないと、最終話の清彦の姿は物語ります。

 その姿自体、戦後の大佛次郎の活動を思わせるものがあって胸に迫るのですが、何といっても圧巻は、本作のラストに清彦がトリコに見せる「最高傑作」の存在でしょう。
 いまなお愛されるこの「最高傑作」――奇しくもこの第2巻が刊行される直前に復刻されたこの物語がここで描かれるのは、本作における清彦の最愛の「伴侶」、すなわち猫たちの姿を思えば、ただ納得しかありません。まさに本作を締めるのに、完璧としかいいようのないチョイスであります。


 明るく幸せな日常に暮らす猫たちの姿を存分に描きつつ、作家としての、そして何よりも一人の人間としての野尻清彦を描いた本作。あとがきを拝見すると、全く想像もしなかったような苦労(なるほど猫漫画専門誌……)があったようですが、それを乗り越えた本作を手にすることが出来て、本当に良かった――そう思える佳品です。


『ぼくの伴侶 猫と大佛次郎物語』第2巻(へげかもこ 少年画報社ねこぱんちコミックス) Amazon

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2022.08.23

莫理斯『辮髪のシャーロック・ホームズ』(その三) 福邇が香港に在る意味は

 19世紀末の香港を舞台に、神探福邇とその相棒・の冒険を描く『辮髪のシャーロック・ホームズ』の紹介、最終回です。清仏戦争を背景に描かれる事件の行方は……

「ベトナム語通訳」
 清仏戦争が始まり、反仏感情が高まる中、やってきた依頼人・陳文礼。越南から仕事で友人の阮偉図と香港に到着したばかりの彼は、阮が失踪したので探してほしいと依頼するのですが、福邇は事件性はないとこれを断ります。
 ところが翌朝その阮が現れ、本当に誘拐されていて今朝逃げ出したこと、今度は陳が失踪したと語ります。阮の証言から監禁されていた場所を割り出した福邇ですが、事件の背後に「翰林大人」なる人物がいることを知り、顔色を変えることに……

 タイトルは直球で原典の「ギリシャ語通訳」をベースとしている本作ですが、かなり陰惨な内容であった原典に対し、こちらは清仏戦争を背景として、歴史ものの要素が強めのと内容となっています。
 特に印象に残るのは、当時の反仏感情の高まりを背景として、昔気質の(?)愛国者である華笙が(元々態度が悪かったとはいえ)フランスのために働く陳に怒りをぶつける場面ですが――これに対して、あくまでも自分はベトナムの華僑であって清国人ではない、そもそも清が今まで先祖に何をしてくれたのか、という陳の反論の方が現代人としては腑に落ちるような気がします。国家と民族の同一視は、今も昔も変わらない問題というべきでしょうか。

 さて、ミステリとしては、目隠しされた阮の証言だけで監禁場所を割り出す福邇の安楽椅子探偵ぶりが印象に残るものの、比較的小粒な印象の本作ですが、やはりメインとなるのは福邇と「翰林大人」の対峙でしょう。
 はたしてこの怪人物の正体は――原典読者には一目瞭然ではありますが、レトロカンフー映画ファンには懐かしい名前が登場したり、グッとくる設定となっています。


「買弁の書記」
 ジャーディン商会の買弁として活躍する何東からの依頼を受け、銅鑼湾に向かった福邇と華笙。人手不足で同じ商会の別の買弁から人を引き抜く代わりに、自分の後輩の賀を紹した何東ですが――直後、上海のデント商会から賀のもとに、倍の額で採用する代わりに他言無用という電報が来たことを知ります。
 自分たちの周囲にスパイがいるのではないか、デント商会は何を企んでいるのか調査してほしいという何東の依頼を受けた福邇ですが、事態は意外な方向に……

 原典の「株式仲買店員」をベースとした本作は、かなり小粒な内容ですが、実在の人物である何東を依頼人に配置しつつ、当時の発展著しい香港の経済界の状況を描くのが印象に残ります。また前話でも大きな役割を果たした――そして今なお引き継がれる――香港ならではのある行事(?)が、また異なる形で登場するのもユニークなところです。
 しかし一番印象に残るのは、美味い福建料理に釣られた華笙が、福邇に散々振り回される姿でしょうか……


 以上全六話、原典を巧みに翻案するだけでなく、原典を知っているからこそ驚かされるようなアレンジを加えてくる、完成度の高いパスティーシュであります。そして単純に舞台を移し替えるだけでなく、史実を踏まえ、丹念に考証を行った上で香港の地理や文化風俗を描き、それが物語に有機的に結びつく様は、歴史ものとしても見事と感じます。

 そしてその香港と密接に結びつくのが、本作における福邇のキャラクターです。第五話において、それだけの才能を持ちながら清国政府に仕えないことをある人物に嘆かれた福邇は、こう答えます。
「中華と夷狄が雑居し、ヨーロッパとアジアが隣りあっているからこそ、香港が好きなのです。私がここに留まろうと決心したのは、西洋のものを中国式に役立てる香港のさまざまな制度を学び、その長所を取って短所を捨て、いつかわが国が強国となり、改革を進めるときに新しい道を開くためです」と。

 著者のインタビューでも言及されているように福邇は愛国者ではありますが、この言葉のように、彼は華笙のそれとはまた異なった姿を――清国に仕えるのではなく、香港の人々を救う義侠の探偵として。
 そして香港という土地――洋の東西を問わぬ多様性と可能性に満ちた地の姿が大きく変わろうとしている今、香港を愛した福邇の活躍が描かれることに、一つの意味を見出すことは、決して牽強付会ではないと感じます。

 本シリーズは全四巻構想、つい先日中国で第二巻が刊行されたとのことですが――優れたパスティーシュにして歴史もの、そして香港という街の姿を描く物語のこの先を、楽しみにせずにはいられません。


『辮髪のシャーロック・ホームズ』(莫理斯 文藝春秋) Amazon

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2022.08.22

莫理斯『辮髪のシャーロック・ホームズ』(その二) 福邇と二人の女性

 19世紀末の香港を舞台に展開する名作パスティーシュにして歴史ものの名品――神探福邇とその相棒・華笙の冒険を描く『辮髪のシャーロック・ホームズ』の紹介、第二回であります。今回は女性描写が印象に残る二話を取り上げます。

「黄色い顔のねじれた男」
 旧知の孤児院兼学校・日字楼のピアシー校長の紹介で、講師のマンローから相談を受けた福邇。マンローが想いを寄せる同じ学校の教師・エフィーが、バークリー大佐なる男に執拗に言い寄られ、彼女は大佐を嫌いながらも何故か相手の言うことに従っているようだというのです。
 七年前の水害の際、匪賊の襲撃で宣教師だった父親を失い、天涯孤独となって香港にやってきたというエフィー。彼女の過去に秘密があると睨んだ福邇に頼まれ、エフィーと友人となる華笙ですが、その前に、黄色い顔で体のねじれた不気味な男が姿を見せます。

 そんな中、自分の邸宅にエフィーを連れ去ったバークリーの死体が、邸内の密室から発見されて……

 タイトルからは直球に原典の「黄色い顔」「唇のねじれた男」をベースとした物語かと思いきや、ねじれているのは別の箇所で、原典のあのエピソードの方か! と驚かされる本作(というか悪役の名前の時点で……)。そこから何となく真相を予想してしまうのですが、比較的シンプルな内容であった原典に対して、密室の謎解きが凝ったものとなっているのが楽しいところです。

 しかし特に印象に残るのはその結末です。原典よりもある意味はるかに重い運命を背負ったヒロインに対する福邇と華笙の紳士的な思いやり――特にアヘン戦争等の影響で西洋人に偏見もあった華笙が、彼女の境遇に想いを馳せるくだりは、本書でも屈指の感動的な場面といえるでしょう。
 そしてしばしば古き良き紳士像を体現してきた我々の大好きなホームズとワトスンは、辮髪でも変わらないと嬉しくなるのです。


「親王府の醜聞」
 安南へのフランスの侵攻が本格化する頃、香港ホテルに滞在する人物から依頼の呼び出しを受けた福邇。出向いた福邇は、仮面の依頼人の正体が先の軍機大臣・恭親王の子であり、時の光緒帝の従兄・多羅郡王であると見抜きます。
 その郡王からの依頼は艾愛蓮なる女性を探し出し、彼女が持ち出したという金の鍵を取り戻せというもの。郡王の態度に釈然としないものを感じつつも、福邇は調査を開始するのでした。

 そして奇妙な状況に巻き込まれつつも、艾愛蓮の家を突き止め、鍵を奪取するべく作戦を練る福邇。しかしその晩、艾愛蓮の家に向かった福邇と華笙は、思わぬ事態に遭遇することに……

 タイトルから明らかなように、原典の「ボヘミアの醜聞」をベースとした本作。福邇にとって生涯忘れられない女性の名は艾愛蓮(アイ・アイリエン)、アイリーン・アドラーのもじりであることは言うまでもありません。
 そして仮面の依頼の正体をひと目で見抜くという冒頭部分も原典を敷衍したものですが、本作ではそこに大きくケレン味と捻りを加え、より印象的な依頼の場面となっています。

 その後も、変装して艾愛蓮に接近した福邇が、彼女の○○に巻き込まれるという何とも奇妙な展開もそのまま、そしてあの有名な手段で、艾愛蓮の隠し持ったものを奪還しようとするのですが――ここから物語は驚愕の展開を迎えることになります。
 先に述べたように、原典に比べてアクション度が非常に高い本シリーズですが、このエピソードで描かれるのは、その中でもトップクラスに派手なアクション。福邇が、華笙がそれぞれ異なる技を遣う強敵を迎え撃つのですが――えっ、この人までが戦うの!? と仰天すること請け合いの展開であります。ぜひこの件は映像で観てみたい――そう感じさせられます。

 しかし本作の最大の魅力は、さらにその先にこそあります。クライマックスで明かされる艾愛蓮と、彼女が奪ったものの正体、そして彼女がそんな行動を取った理由――それが明らかになった時、物語はそれまでと全く異なる様相を呈することになるのです。
 原典と大きく異なるそれは、これまでホームズやワトスン同様に様々な形で描かれてきたアイリーン・アドラーに新たな姿を与えるものであり――そしてそれは、彼女を「今」描く理由でもあると感じられます。

 先に挙げたアクションシーンもさることながら、何よりもこの艾愛蓮のキャラクター造形・設定の見事さから、本編が本書でもベストと感じる次第です。


 残る二話は次回に紹介します。


『辮髪のシャーロック・ホームズ』(莫理斯 文藝春秋) Amazon

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2022.08.21

莫理斯『辮髪のシャーロック・ホームズ』(その一) 巧みな換骨奪胎のパスティーシュにして歴史もの

 世界で最も有名な私立探偵であろうシャーロック・ホームズを、原典と同時代の香港に暮らす中国人に巧みに置き換え、見事に換骨奪胎してみせた短編集であります。神探(名探偵)福邇(フー・アル)と華笙(ホア・ション)の冒険が始まります。

 満洲八旗の生まれで、西洋や日本に留学しながらも官途には就かず、イギリス領であった香港島で諮問探偵として活動した福邇摩斯。本書はその親友である医師・華笙が記録した物語を、その代理人兼編集者である杜軻南(ドゥー・コナン)が収集し、出版した――という趣向の一冊です。
 福邇も華笙も、ホームズとワトスンの中国訳名にひねりを加えたものですが、本作はホームズ譚を翻案・アレンジしただけでなく、当時の香港・清の史実を背景とし、実在の人物を数多く織り交ぜた、パスティーシュとしても一種の歴史ものとしても非常に魅力的な作品です。以下、全六編を紹介していきましょう(一部、本作と原典の核心に触れる箇所があります)。

「血文字の謎」
 武挙に合格して武官となったものの、新疆での戦いで左肩と右足を負傷して退役、帰郷の途中に発展著しいという香港に興味を抱き、知人を頼って漢方医となった華笙。そこで知人に紹介され、華笙は荷李活道(ハリウッド・ロード)二百二十一号乙に暮らす福邇と共に暮らすこととなります。
 その数日後の真夜中、香港警察のグージャー・シン警部とクインシー警部の要請で、殺人事件の現場に向かった二人。現場には血文字で「仇」の文字が残され、正面から胸を刺された死体の遺留品には、意味不明の文字が並んだ手紙が……

 記念すべき第一話は、当然ながらというべきか、タイトルからも察せられるように原典の「緋色の研究」をベースとした物語。なるほど、アフガニスタンが新疆に、グレグスンがグージャー・シンに(レストレードに当たるキャラがそれっぽくないように見えるのは、実在の人物のためでしょうか)などと翻案の面白さに感心させられます。(ご丁寧に華笙が二箇所に怪我をするのには苦笑い)
 しかし、本作はそれだけでは終わりません。有名な原典の緋文字を、なるほどこう取り込むかと感心させつつ、さらに原典を踏まえた一ひねりを加えてくるのに感心させられますが、何よりも驚かされるのは、クライマックスの犯人との対決であります。

 実は本作、アクション度というか武侠度が結構高めで、福邇は八卦掌と太極拳の使い手(さらに日本のおそらく柔術を会得)、普段は鉄扇を武器とする達人。華笙の方も、傷の後遺症はあるものの、龍椿拳と虎尊拳を得意とし、福邇にプレゼントされた仕込み洋杖を使って戦う――と、どちらもかなりの武闘派なのです。
 はたして、大の男を易易と正面から殺した犯人の正体とは、その技との対決の行方は――好きな人間にはたまらない味付けです。


「紅毛嬌街」
 最近二つの奇妙な出来事があったという老人・季連徳の話を聞かされた福邇と華笙。その一つは、自分の三階建ての家の三階を様々な注文をつけて借りた、ロバーツ夫人なる西洋人女性が、普段部屋にいる気配を全く感じさせないことでした。
 そしてもう一つは、それより少し前に自分と同族であるという季連昌と名乗る男が現れ、同族会のために書類を書き写す仕事を高給で依頼してきたのですが――同族会館が妙に粗末な建物で、同族探しも一向に進んでいないようだというのです。

 季連徳が不在の間に家で不審なことはないか確認し、そして会館を調査すると請け負った福邇。しかしその最中に意外な事態が……

 第二話にして油断ならない趣向がふんだんにほどこされた本作は、タイトルそして季連徳の奇妙な経験から、明らかに「赤毛組合」のパスティーシュのように見えるのですが――それだけでなく、原典でも似たような内容の「三人ガリデブ」、さらに「覆面の下宿人」の要素まで取り込んだユニークな一編です。

 特に物語の大きな謎となるのは、追加された(?)下宿人要素。何しろこの下宿人、未亡人ということで普段から黒衣に身を包み、顔をヴェールをかけているのはいいのですが、出会うたびに体型が違うというのです。
 一歩間違えれば怪談話ですが、はたしてその真相は――福邇が鮮やかな推理で(そして華笙が大奮闘して)解き明かしてみせた企ては、こんな計画がアリなのかと呆れますが、しかしそれも西洋と東洋が入り混じった香港という土地ならではのものなのでしょう。

 俗説と真実、二つの「紅毛嬌街」の名前の由来を織り込んでみせる物語展開も巧みです。


 第三話以降は次回に続きます。


『辮髪のシャーロック・ホームズ』(莫理斯 文藝春秋) Amazon

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2022.08.20

川原正敏『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第23巻 劉邦と項羽の「らしさ」と張良の「らしくない」顔

 久々の刊行となった『龍帥の翼』では、劉邦と項羽の両雄が、廣武の漢城と楚城にそれぞれ依って睨み合うという奇妙な戦いが継続中。漢城の堅固な守りを崩すため、様々な手段に出る項羽に対して、初めて張良が見せた鬼の顔とその相手とは……

 大敗北を喫しながらも、張良の数々の策でついに反撃を開始した劉邦。劉邦が廣武の地で自らを餌にして項羽を引きつけ、漢城と楚城に分かれて文字通り対陣する間に、彭越が後方を撹乱して項羽の糧道を断ち、そして韓信が倍の軍勢で迫る項羽の腹心・龍且を破り――と、いよいよ漢軍は攻勢を強めます。

 といっても、あくまでも直接対決では勝てないために劉邦は時間を稼いでいるわけで、項羽が力押ししてくるのに対し、劉邦は城の中から口で――つまり煽りまくって応戦するという、考えてみれば双方のキャラクターが非常によく出た戦いが続くことになります。
 しかしもちろん項羽もこの状況を座視しているわけではなく、様々な策に出ることになって――というのがこの巻の展開です。

 劉邦の父親を人質にとり、目の前で煮殺すと脅す(一緒に巨大な俎板が出てくる妙なリアリティ)、韓信に使者を送り天下二分の計を勧める――そのいずれも、時に劉邦のクソ度胸が、時に張良が培ってきた絆が物を言い、退けることができましたが、次いで項羽が言い出したのは、大将同士の一騎打ち!?
 さすがにそれはないと劉邦が断れば、それでは代表同士の一騎打ちと、何だか少年漫画的展開(?)になって来ましたが、劉邦側の代表が快調に勝ち進む中、次に登場した項羽側の代表は――絶対やると思ってた、項羽自身! そしてこれに対して劉邦は……


 もはやここまで戦いが長引くと、重要なのは戦力や兵の数よりも、士気――いかにして士気を高めるか(というか低くなると軍が瓦解する)が勝敗に直結する中で、劉邦と項羽の行動も、ほとんどパフォーマンス合戦となってきた感があります。
 そのためか、お互いが「らしさ」を見せながら一進一退の攻防を繰り広げるわけですが、そこで思わぬ顔を張良が見せることになります。

 項羽の策で胸に深手を負って倒れた劉邦に対し、当たったのは足の指ですね? じゃあ陣中を回って皆を鼓舞しましょう――そう、ここで張良が見せるのは鬼のような顔。
 もちろん張良は劉邦に命を預けた状態、そして何よりも項羽を倒すためであればどんな手段でも使ってみせると覚悟は決まりまくった状態ですが――仮にも臣が君にここまでやるか? と言いたくもなります。

 とはいえ、それも張良と劉邦だから、という印象もあって、これはこれで「らしさ」溢れる展開かもしれません。しかしその後、劉邦がもはやギャグスレスレの更なる「らしさ」を発揮してしまうのですが……


 そしてこの巻のラストで、さらに劉邦が「らしさ」を発揮したことで、双方痛み分けという形で終わりを告げることとなった漢城と楚城での戦い。しかしここで張良も、さらなる「らしさ」あるいは「らしくなさ」を発揮することになります。

 和議の約定を破っての後ろからの不意打ち――もはや悪役レベルの所業ですが、勝利のためにそれを敢えて成そうという張良の顔は、鬼のような、ではなくまさしく鬼の顔。
 元々、ここしばらくの張良は不健康さを表すためか過剰に頬が痩けていて、さすがにどうかなあと思っていたのですが、それはこの場面のためにあったか!? と錯覚するほどの、まさに鬼気迫る表情であります。

 そして張良の進退をかけた献策、というより実質脅迫に対し、劉邦の答えは――もはやここまでくれば毎回が歴史の分かれ目、一瞬たりとも気が抜けない戦いは続きます。


『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第23巻(川原正敏 講談社月刊少年マガジンコミックス) Amazon

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2022.08.19

古泉迦十『火蛾』 真理を求める者たちを待つ殺人

 12世紀の中東を舞台に、真理を求める修行者たちが籠もる山で起きた殺人を巡る奇妙かつ幻想的な物語――2000年の第17回メフィスト賞を受賞し、今なお評価の高い宗教ミステリの快作(怪作?)であります。姿を顕さぬ導師の正体とは、タイトルの火蛾が象徴するものとは……

 12世紀の中東――イスラムの聖者たちの伝記編纂を志す男・ファリードは、取材のため、アリーと名乗る男を訪ねます。そこでアリーが語り始めたのは、同名の男を主人公とする、現実と幻想が入り交じった奇妙な物語でした。

 ゾロアスター教徒の祖父と、改宗してシーア宗のイスラーム教徒となった父を持ちながらも、家を出て、スーフィズムの修行者になることを選んだアリー。修行を始めて五年経ち、師から改めて聖地メッカに巡礼するように命じられたアリーですが――しかし巡礼の途中、彼を奇妙な男が呼び止めます。
 《導師》と呼ぶ髑髏を片手に、アリーに対して問答を仕掛ける男。その中で圧倒されていくアリーに対し、男は《山》を登り、自分の弟子のハラカーニーという男に会えと告げるのでした。

 そして《山》に穹廬(テント)を張り、修行を始めたアリー。彼は穹廬を訪れたシャムウーンと名乗る男から、ここには自分たちとカーシム、ホセインの四人の門弟がそれぞれの穹廬で修行を行っていると聞かされることになります。その晩、・燭の灯で行を続けるアリーの前に、天幕の向こう側の影のみの姿で現れたハラカーニー。神を巡る問答の末、聖者はアリーに対し、カーシムの穹廬を訪ねよと告げて消えるのでした。

 翌朝、カーシムの穹廬を訪れたアリーとシャムウーンが見たものは、内側から紐で閉じられた穹廬の中で殺された行者の死体――アリーは現場である穹廬の有様と、シャムウーンの態度に奇妙な違和感を感じながらも、修行を続けることになります。そしてその晩も天幕の向こう側に現れたハラカーニーと問答を行ったアリーが翌朝見たものは……


 正直に申し上げて、私を含めて日本の多くの人々にとって、その教義と歴史に対する十分な知識があるとは言い難いイスラームの世界。本作はその題材を、それも12世紀を舞台として描いたミステリであります。

 しかしそのような難しい題材だけに、内容の方も難解なのでは――という印象を抱く方も多いと思いますが、それは良い意味で裏切られることになるかと思います。
 確かに、アリーとハラカーニーの問答の内容は難解ではあるものの、物語の骨格を支えるイスラームの基礎知識の部分については驚くほどにわかり易く、物語世界に入り込む妨げにはならないのですから。

 と、いきなり外側(?)から入ってしまいましたが、ミステリとして見て、本作が端正かつユニークな作品であることは間違いありません。(個人的には、あの宗派以外に、もう少し12世紀という時代と密接に関わると嬉しかったのですが――といってもそれは私の知識不足による感想かもしれません)

 本作で描かれる表向きの謎は、一種のクローズド・サークルもの――世俗との関わりを一切断った《山》で、さらにそこで一人ひとりが閉じこもって修行する穹盧で起きた殺人という、いわば二重の閉鎖環境で起きる殺人の謎が描かれることとなります。
 ここからはちょっと物語の核心に触れかねず、表現が難しいのですが、殺人のトリック自体は比較的シンプルながら、ユニークなのはむしろ殺人それ自体よりもその後の――であり、そこに一種の宗教的合理性いや必然性が絡む(そしてそれが犯人究明に繋がっていく)点は、本作ならではの魅力といえます。

 しかしそれ以上に本作を強烈に印象付けるのは、その先でしょう。ハウダニットは解明できた。しかしホワイダニットの方は? と首を傾げていたところに叩き込まれる真相は、まさに驚天動地――おそらくあのアイテムはあれなのだろうな、とは思ったものの、まさかそこからここまでやるとは、という終盤の一種の崩壊感覚は、快感ですらあります。
 そして振り返ってみれば、この物語そのものが――そこで語られる史実や、難解に感じられた問答すら――冒頭から全てこの結末のために慎重に構成されていたことに、感動させられるのです。


 タイトルの「火蛾」は、灯に寄ってくる蛾のこと――転じて、作中では暗黒の中で光を求めて灯に近づき、ついにその身を滅ぼす者として語られます。それが真に象徴するものは何か、そして何故本作のタイトルに冠されているのか――それが明らかにされる結末には、ただ痺れるばかりであります。

 メフィスト賞も色々な意味で納得の、ワンアンドオンリーの輝きを放つ作品です。


『火蛾』(古泉迦十 講談社ノベルス) Amazon

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2022.08.18

深谷陽『童の神』第5巻 金時が生み出したもの、たどり着いた場所

 今村翔吾の名作『童の神』漫画版もいよいよクライマックスです。大きな悲劇を乗り越えた末、新たな道に踏み出した桜暁丸と仲間たち。京人からは恐ろしげな名前で呼ばれ、なおも朝廷軍に抗い続ける桜暁丸が、同じ童であるはずの坂田金時との戦いの先に見たものとは……

 一度は裏切られながらも、畝火・滝夜叉・粛慎の三山連合を成立させ、朝廷軍を翻弄してきた桜暁丸。しかし源頼光の奸計により滝夜叉の竜王山はその勢力の多くを失い、畝火が依ってきた葛城山・畝傍山も陥落――生き残りの民を救うために畝傍山に突入した桜暁丸も衆寡敵せず、殿軍となった畝火の頭領・毬人を残し、涙を呑んで大江山に退くことに……

 と、今村先生、いや毬人の壮絶な最期から始まるこの巻ですが、大敗北を乗り越えて大江山に依った桜暁丸たちは逆にその絆を強め、三つの山だけではなく日本中の童と結び、かつて以上の力を以て、京人の軍勢に抗うことになります。

 そんな桜暁丸たちを、京人たちはある名前を以て呼ぶことになります。粛慎の虎前は虎熊童子、畝火の欽賀・星魚兄弟は金熊童子・星熊童子、滝夜叉の葉月は茨木童子、そして桜暁丸は――酒呑童子と!
 大江山が登場した時点である程度予想していたことではありますが、そうかこの物語はこの者たちの物語だったのか、と原作を読んだ時に大いに驚かされたことを今でもありありと思い出します。

 さて、そんな京人たちからの扱いにももちろん屈することなく力を蓄える桜暁丸たちは、その後幾度となく朝廷軍を――因縁重なる頼光四天王(ただし渡辺綱を欠く)を迎え撃ち、打ち破っていくことになります。
 特にこの巻の中盤のクライマックスである坂田金時戦――筑紫の童討伐に向かう金時の軍勢を阻むため、大江山の面々が総出で挑む戦いでは、彼らの団結の象徴として(まるで水滸伝の○○○のような)秘密兵器が投入され、大いに興奮させられます。


 しかし――実はこの巻において桜暁丸と並び、いやある意味彼以上に物語の中心となるのは、この金時なのです。実は彼自身が童の出身であり、仲間たちの命と引き換えに京人の下で戦ってきた金時。しかし本来であれば同族であるはずの童たちとの戦いは、これまで幾度となく彼の心を悩ませてきました。そんな彼が続けてきた戦いの、一つの意味がここで語られるのです。

 これまで、京人から排除され、差別される童を守り、自分たちもまた同じ人間であることを示すべく、童の同志と共に朝廷軍と戦い続けてきた桜暁丸。その一方で、金時は初めは心ならずであったとはいえ、京人の中にうち混じり、彼らと共に汗を流すことによって、自分たちも何ら変わる存在ではないと示してきました。
 差別される側がより努力を強いられるこの金時の生き方は、もちろん無条件に称揚されるべきものではないでしょう。しかし少なくとも、そんな努力が彼の部隊において実り、京人も童もない多様性に満ちた空間が生まれたことは、大きな希望として受け止めるべきでしょう。

 方法こそ違え、同じものを実現しようとした――そして作中でも語られるように、一つ間違えば、互いの生き方が入れ替わっていたかもしれない――桜暁丸と金時。いわば表裏の関係にあった二人の対決は、手に汗握るものでありつつも、ひどくもの悲しいものとして感じられます。
 しかしその先に、ある意味、より直接的な形で融和の希望が描かれることになります。それは決して特別ではない、ごく普通の人間の、ごく自然な――しかし極めて強く美しい――想いが生み出したものであり、桜暁丸にとっても、幾つもの意味で大きな喜びなのです。

 ちなみにこの漫画版オリジナルの描写として、童に対して対立的であった碓井貞光と卜部季武(特に物語冒頭からエキセントリックな敵役として描かれてきた貞光!)が、金時だけでなく、童全体に対して見る目が変わってきたと語るくだりがあります。
 この漫画版は、原作の物語を忠実になぞりつつも、特にキャラクター個々人の想いを描く際に、巧みに独自の描写を加え、物語をより印象的なものとしてきました。このくだりも、金時の(そして間接的ながら桜暁丸の)努力に対する、最大限の餞として、強く心に残ったところです。
(もう一つ、この巻のラストで、ある場所に集結する童たちの描写も、これはケレン味たっぷりな格好良さという点で必見です)


 さて、この巻の終盤では、桜暁丸が、金時がそれぞれの形で追いかけてきた希望が、より大きな――というより望みうる最大の形で、桜暁丸たちの前に示されることになります。はたしてその希望が現実のものとなるのか――おそらくは最終巻であろう次巻を、心して見届けたいと思います。


>『童の神』第5巻(深谷陽&今村翔吾 双葉社アクションコミックス) Amazon

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2022.08.17

松本救助&あかほりさとる『めんへら侍』第1巻 「らしさ」溢れる「なんちゃってでもない時代劇」!?

 時は元禄、情緒不安定だけれどもバカ強い若侍・左門を主人公に展開する、あかほりさとる原作の「なんちゃってでもない時代劇」の開幕編であります。なんだかんだで三人の美少女に取り巻かれ、将軍綱吉からも直々に声をかけられる左門の明日はどっちだ!?

 時は元禄十三年、天下泰平まっただ中の江戸の貧乏長屋に起居する若侍――鷹松左衛門尉伊綱、通称・左門。極度の人見知りで潔癖症、事あるごとに被害妄想に苛まれる彼の唯一の趣味は、茶屋の看板娘巡りであります。
 そんな左門、今日は最推しの看板娘・お蜜ちゃんとの触れ手会(握手会)と勇んで家を出たものの、極度の緊張であたふたしているうちに制限時間は終了。絶望に沈む中、お蜜を拐おう現れた破落戸どもに「へっぽこ侍」呼ばわりされた左門は大爆発して……

 そんな左門の正体(?)は、十万石分の格式を許された筆頭旗本・鷹松家の若様――松平家に養子に出た弟は若くして老中となり、弟ともども時の将軍綱吉にも親しく言葉をかけられる(というか無理難題をふっかけられる)身の上であります。
 しかも身から出た錆で加賀前田家の龍姫からは一方的に求婚され、吉原大見世の胡蝶太夫からは一方的に押し倒され――と、恵まれているのか不幸かわからない左門が、周囲に騒動を起こしたり周囲の騒動に巻き込まれたりする様を、本作は賑やかに描きます。


 本作の原作者であるあかほりさとるは、言うまでもなく90年代を中心に小説・漫画原作・アニメ脚本と八面六臂の活躍を見せたクリエーター。近年はあかほり悟、あるいは赤堀さとる名義で歴史時代小説を発表してきましたが、本作は時代ものでありつつも、あかほりさとる名義の作品であります。
 この辺りの使い分けの事情は存じ上げませんが、美女三人に囲まれて振り回される主人公の姿と、どこに転がっていくかわからないハイテンションな物語展開は、ある意味原作者のイメージの最大公約数的に「らしい」と感じます。

 しかし茶屋娘のほとんど現代の「会いに行けるアイドル」的な描写や、ほとんど説明なしに左門が月代剃っていない(江戸城内でも総髪)という点はあるものの、描かれる物語の内容やディテールはなかなかに「時代もの」している本作。単行本の宣伝文にある「なんちゃってでもない時代劇」というのは、まさに言い得て妙と感じます。


 ただ正直なところを申し上げれば、本作のタイトルに冠され、左門の最大の特徴であるはずの「めんへら」が、いまいちピンとこない印象があります。身も蓋もないことを言ってしまえば、左門そこまでメンヘラか? という気分になってしまうという……
 これはメンヘラという言葉の持つイメージが強すぎることと、むしろその左門の方が周囲に振り回されているからなのですが、そのために物語自体の軸や焦点がわかりにくくなっている感があるのは、何とももったいないお話であります。

 はたしてこの先、左門が物語を振り回されるのか、左門が物語に振り回されるのか――それによって作品の内容と評価もだいぶ変わってくるのではないかと感じます。


『めんへら侍』第1巻(松本救助&あかほりさとる 白泉社ヤングアニマルコミックス) Amazon

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2022.08.16

「コミック乱ツインズ」2022年9月号(その三)

 「コミック乱ツインズ」2022年9月号の紹介のラスト、第三回であります。

『殺っちゃえ!! 宇喜多さん』(重野なおき)
 妻の父である中山信正を討ち、もう一人のターゲットにして祖父の仇、そして宇喜多家没落を招いた島村盛実をついに追い詰めた直家。そんな状況での盛実の往生際の悪すぎる一発ネタには噴きますが、ここからは基本的にシリアスな――といってもきっちり四コマのオチを交えつつ――戦国時代の「家」にまつわるドラマが描かれることになります。
(そんな中で、祖父に対する直家の姿に、意外な温かみが感じられるのもイイ)

 しかし、それでは二つの「家」に挟まれた者はどうなってしまうのか? その答えが、今回描かれることになります。それも最も悲しい形で……。その結末を予想しつつもこの道を選ばざるを得なかった直家の心中を、重臣たちだけは理解していたというのは、せめてもの救いでしょうか。


『カムヤライド』(久正人)
 「殖す葬る」の真っ只中に乱入してきた国津神をあっさりと葬り、今度はモンコに迫る神薙剣ことヤマトタケル。しかし今度はその神薙剣の中に眠るニ=ギの肉体を求めて、四人の天津神が出現――と、緊迫感溢れる前回の引きでしたが、今月は冒頭から四人同時変身(四ページ連続名乗り)が繰り広げられ、前回既に変身していたコヤネと合わせて見開きで五人の見得切りという、ニチアサ感溢れるシーンからスタートすることになります。

 突然カラフルな(たぶん)奴らが登場してポーズを決め、一同唖然となっている中、おそらくただ一人、この事態のとんでもない危険性を理解しているモンコ。何しろ一体ですらヤマトを壊滅させかかった怪人(あやしざね)が五体も現れたのですから尤もですが――しかもそのうちのコヤネは、モンコのイケメン発言に触発されてついに本気を出そうとしているではありませんか。
 もっとも彼らの狙いは神薙剣ですが、しかし恐るべき能力を持つ彼らがその力を発揮すれば、周囲もただではすみません。そしてモンコが身を盾にしてマリアチたちを逃がす一方で、天津神たちと戦いを始める神薙剣ですが――一対一であれば勝るとも劣らぬ力を発揮すると思える彼も、さすがに連携攻撃を仕掛けてくる五体相手では分が悪すぎるとしかいいようがありません。

 そんな彼を唯一助けることができるはずのモンコも、仲間たちの盾となるので精一杯。いや、その盾すらもはや限界となった状態に――と、しかし! という燃える場面で次回に続きます。


『列士満』(松本次郎)
 天狗党の乱に続き、幕府歩兵隊が次に向かった戦場、それは――第二次長州征伐という、ほとんど出オチのような今回。
 大島口の戦いの上陸作戦に参加した彼らはあっさりと村を占領するのですが――友好的に出迎えた村民に対する歩兵隊の態度が理不尽すぎて、ほとんどギャグ漫画になっているのが凄まじい。そりゃ確かに長州兵も怒るのも尤もな話で、暴れ放題暴れたところに長州軍とお百姓さんの逆襲を受け、歩兵隊はあっさり撤兵するハメになるのでした。

 そして次に歩兵隊が加わったのは、芸州口の戦い。散兵戦では、構成員といい装備といい、ある意味似た者同士の奇兵隊を相手に散兵戦を仕掛けてついに勝利、次いで芸州口の戦いでも陣地防衛に参加したのですが――しかし彼らがいかに奮戦したとて、「正規軍」というべき諸藩のサムライたちは既に近代戦にはついていけず、戦い自体は敗北に終わることになります(そんなサムライと、歩兵隊の姿を対比してみせるラスト直前の見開きが、静かに印象に残ります)。

 そしてそんな中、散兵戦を指揮して見事成功させるなど頭角を表すスエキチですが、しかし歩兵隊に加わる前、初めて殺した相手の顔が忘れられず苦しむ状況。はたして歩兵隊の行く末は、スエキチの未来は――短期集中連載だった本作、次回終章であります。


 次号は特別読切で盛田賢司の博徒もの『真剣にシす』が掲載されるとのこと。これまで小学館の雑誌で剣道もの、時代ものを中心に活躍してきた作者ですが、リイド社は初登場でしょうか。適材適所という印象だけに、楽しみです。


「コミック乱ツインズ」2022年9月号(リイド社) Amazon

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2022.08.15

「コミック乱ツインズ」2022年9月号(その二)

 「コミック乱ツインズ」2022年9月号の紹介の第二回です。今回は小説の漫画化が中心です。


『仕掛人めし噺 藤枝梅安歳食記』(武村勇治&池波正太郎)
 『仕掛人・藤枝梅安』のスピンオフである本作、今回のメインはなんと白子屋菊右衛門――大坂暗黒街の顔役であり、本編では梅安たちの最大の敵となった人物ですが、今回はまだ対立する前の、表向き有効的な白子屋の姿が描かれます。

 梅安と、彼の依頼で匿うこととなった初対面の小杉さんを京の料亭で歓待する白子屋ですが、賀茂茄子の田楽に松茸という実に旨そうな料理を二人に振る舞った後で、自分は軍鶏鍋をがっつく白子屋の姿は、なるほど大物ですが――自分たち暗黒街の住人を軍鶏と同一視し、ひたすら新しい戦いを求める白子屋の姿は、なるほど今回のようなスタイルでなければ描けないものかと思います。


『暁の犬』(高瀬理恵&鳥羽亮)
 満枝さんの決意を知り、もはや色々な意味で覚悟を決めた佐内。一方、相良の側では二胴の隠れ屋敷襲撃を決断、佐内も助太刀に加わることに――と、いよいよ二胴剣士の本拠地ともいうべき地への襲撃作戦が始まります。父の仇と思しき川越は不在ではあるものの、まず二胴との決戦といってよいでしょう。
 しかし冷静に考えれば佐内の仕事は川越を斬ることで、川越の居ない襲撃への参加はサポート範囲外。それでも量産型二胴剣士を稽古台にしてしまえと相良に丸め込まれ、ロハで参加することになったのですが……

 相良の同僚の井口(時々顔を出していたちょっと愚痴っぽいフツメン)には、「タダ働きしにきた女みたいな男」→「相良のナニだからタダ働き」という失礼極まりない連想をされることに。しかし佐内も、自分の風貌と剣のギャップに周囲が驚くことには慣れっこですが、こんな妄想までされるとはさすがに風評被害(?)も甚だしい――というよりこれすべて相良のせいでは?

 と、それはともかく、いよいよ隠れ屋敷に討ち入りをかけた相良チームは、相良の巧みな(どう考えてもこの手の仕事は初めてのカタギとは思えない)指揮で「狗」の残りと二人いた二胴剣士の片割れを封じ、残る一人の相手は佐内がすることになります。ちなみに相良、剣の腕も凄まじく、ますますスパダリ若頭感が高まります。
 そしてここから繰り広げられる決闘シーンは、今回数々描かれた剣戟の中でも屈指の迫力、佐内の技も、それを描くスピード感溢れる筆致も、まさに見事! というほかありません。

 しかし敵方も中核である坂東が残っている状態、裏門にはあの立木野さんが配されていますが、はたして――まだ戦いは終わりません。


『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 主人公サイドが、紅が吉宗の養女になることに動揺しまくっていた一方で、着々と将軍暗殺に向けて動く紀伊国屋文左衛門。しかしいかに彼が江戸の裏表を知り尽くしているといっても、江戸城の中まではわからない――というわけで、久々登場の永渕から大奥の情報を聞き出します。
 ここで永渕が語る内容は『御広敷用人大奥記録』の方も読んでいるとなかなか感慨深い(?)のですが――何はともあれ、紀文の依頼主である柳沢吉保は、死を目前としながらもはや妄執ともいうべき姿で息子、いや綱吉の子である吉里に覚悟を迫ります。そして吉里もその気に……

 と、着々と大変な計画が展開しつつも、今回のクライマックスはこの先にあります。いよいよ紀州家からの迎えが相模屋を訪れ、実家を離れる際に父・伝兵衛に挨拶しようとした言葉を用人に咎められた紅。それに対して彼女は……
 これだ! これが見たかった! と溜飲が下がる紅の言葉には喝采必至であります。そして紅の方がこのような覚悟を見せてくれるのであれば、男たちも覚悟で応えるべき時でしょう。聡四郎たちの反撃に期待が高まります。


 次回に続きます。


「コミック乱ツインズ」2022年9月号(リイド社) Amazon

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2022.08.14

「コミック乱ツインズ」2022年9月号(その一)

 「コミック乱ツインズ」9月号は、表紙が『軍鶏侍』、巻頭カラーが『そぞろ源内 大戸さぐり控え帳』。レギュラー陣もほぼすべて掲載されています。今回も印象に残った作品を一つずつ紹介していきましょう。

『そぞろ源内 大江戸さぐり控え帳』(叶精作&天沢彰)
 全三話で描かれてきた「血を吸う女」編も今回でラスト。江戸で次々と発見される、血を抜かれた死体の謎に挑む平賀源内と仲間たちですが、その一人、同心・浅間和之助の妹の幸が下手人と思しきおたみと犬丸の手に落ち――という展開から、おたみのもとに源内と和之助たちが踏み込み、物語は結末を迎えることになります。

 が、前回、おたみの体に潜むある秘密に源内が気づいたような描写があったものの、今回語られる真実は正直なところ謎の解明には程遠く(特に吸血の理由が○○だったというのは大きな肩透かし)、吸血の謎を「科学的に」解き明かしてくれるのでは、という期待は大きすぎたようです。
 もちろん江戸時代の話であり、現代人の納得行くような真実を描くのは難しいのかもしれませんが、しかし源内なら――と期待してしまったのも事実。犬丸のおたみへの想いやそのおたみの結末の描写などは悪くないだけにこの謎解きの部分は残念で、正直なところ三回かける話であったかなあと感じます。


『軍鶏侍』(山本康人&野口卓)
 軍鶏侍こと岩倉源太夫の弟子である大村圭二郎が、父に公金着服の濡れ衣を着せて斬殺した元大目付・林甚五兵衛に仇討ちを挑むエピソードのラストであります。旧友に依頼してかつての藩の裁定を覆し、圭二郎の仇討ちの許可を求める一方で、彼の前で長柄刀版の秘剣「蹴殺し」を使ってみせ――と、裏方(?)で頑張ってきた源太夫ですが、いよいよ今回晴れて藩の裁許が下り、圭二郎が甚五兵衛に対して挑むことになります。

 しかし甚五兵衛は還暦を迎えながらも若い頃の剣力を維持したままの藩でも有数の剣士――いや何よりも、ただ煙管を吹かしているだけで近寄った猫が激しく怯えるほどの、凄まじい凶気を放った山本悪役らしいドス黒い迫力を持った人物であります。その凶漢に、はたして若軍鶏の剣が及ぶか……
 というのがこの対決の眼目かと思いきや、決闘シーンでは、ちょっと予想を超えた展開が描かれることとなります。

 決闘の最中、圭二郎が自己流の蹴殺しを見せた時、甚五兵衛の顔に浮かんだ表情は――悪鬼として生きてきた男が迎えた、美しさすら感じさせる結末に心打たれました。猫、かわいいよ猫……


『ビジャの女王』(森秀樹)
 ヤヴェの奸計により、王家に恨みを抱く遊女屋に誘拐されたものの、第二のインド墨者・モズ(と豹とバッタのコンビ)によって無事救出されたオッド姫。今回冒頭で大臣たち(と豹とバッタのコンビ)の前で兄を糾弾するオッドですが、ヤヴェはしらばっくれた上に、オッドには継承権がないと激高する始末であります。
 この事態に、オッドは父王から王の指輪を託されていたと語るのですが――実はそれは指輪の在り処を聞いていたのみ。しかしその場所こそは、代々の王だけが知るビジャロマの谷だったのです。

 世界で唯一、この谷にのみ自生するというビジャロマの木――ビジャの王家の財力の源であり、王家の絶対の秘密である谷の存在を、オッドだけが聞かされていたのです。そしてその谷に、オッドはブブとただ二人向かうことに――って、ジイは「いい思い出ができますよう祈っておりますぞ!」と呑気なことを言っていますが、後を任されるモズたちこそいい面の皮であります。
 それはさておき、谷への旅の途中にオッドがブブに語るのは、かつて交易商であった初代ザグロス王がビジャを乗っ取るまでの物語。前回、乗っ取られた側の末裔である遊女屋の女主人が語ったように、その所業はある意味蒙古軍と変らないかもしれませんが、初代王にもそれ相応の理由が……

 一方、蒙古側には、あいかわらずひっぱりまくるクトゥルンだけでなく、ラジンの傍らに控えるいつものヒゲの男にも大きな謎があるらしく、そろそろこちらのドラマも気になるところです。


 長くなりますので次回に続きます(全三回予定)


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2022.08.13

戸部新十郎『日本剣豪譚 戦国編』 剣豪列伝にして剣法・兵法という「芸道」の発展史

 様々な剣豪・剣法を描く作品の名手が、戦国時代の実在の剣豪たちの姿たちを通じて剣法・兵法の成立を描く短編集であります。兵法はいかにして成立したのか、そしてその兵法を通じて、いかにして剣豪たちは、激動の時代を生きたのか……

 実在・虚構を問わず様々な剣豪の操る秘剣を描く「秘剣」シリーズをはじめとして、様々な剣豪もの/剣法ものを描いてきた作者。その中でも本作は、各時代を生きた実在の剣豪たちの姿を、列伝形式で描いたシリーズの第一弾であります。

 さて、剣豪列伝の始まりが戦国ということは、言い換えれば、剣豪の登場が――いや彼らが用いる剣法の誕生が、この時代であったことにほかなりません。
 その点について、作者は巻頭の「塚原卜伝」の冒頭で、興味深い論を記しています。少々長くなりますが、引用してみましょう。

「兵法が一個の独立した、
〈芸道〉
となったのは、そんなに古いことではない。室町末期から織豊期にかけてのことである。
(中略)
 その芸道としての兵法の発達ということは、
 一、理論や体系の確立
 二、それらの研究、ならびに弘布伝播しようという運動
 である」

 つまりここで描かれる兵法とは、強者個人が体得し用いる闘争術ではなく、内部に一つの理論体系を有し、それをさらに洗練し多くの人々に広く伝えていくことを志向した「芸道」である――これは必ずしも本書独自の視点ではないかもしれませんが、しかし引用の部分は剣法/兵法の一つの本質を語るに、簡明かつ正鵠を射るものと感じられます。


 さて、そのようなスタンスで描かれる本書で描かれるのは、以下の面々です。
 塚原卜伝〈新当流〉
 上泉伊勢守信綱〈新陰流〉
 富田勢源〈中条流〉
 根岸兎角〈微塵流〉
 柳生三代〈柳生新陰流〉
 伊東一刀斎景久〈一刀流〉
 小野次郎右衛門忠明〈一刀流〉
 東郷肥前守重位〈示現流〉
 宮本武蔵〈二天一流〉

 塚原卜伝と上泉伊勢守という、まさに上記に定義された「兵法」を成立させた二人の太祖から始まり、その後に続く面々も、文字通り一流を成した巨人ばかりであります。
 本書は、その各話において、小説と史伝とエッセイと――そのそれぞれを織り交ぜたようなスタイルで、これら剣豪たちの姿を浮き彫りにしていくことになります。


 ――が、剣豪ファンであるほど、この顔ぶれの中に疑問を抱く箇所があるのではないでしょうか。四番目の根岸兎角が、明らかに格落ち、というより例外なのではないか、と。
 なるほど根岸兎角といえば、諸岡一羽に他の二人の弟子とともに師事しながら、師が病で倒れるや見捨てて逐電、自分で一流を打ち立てた末に、これを恨んだ兄弟子に破れて江戸を逐われた人物。実力から言ってもその所業からしても、何よりも本書でいえばその剣豪史上の位置づけからも、名を連ねていることに違和感は否めません。

 しかし兎角のような生き方も、この時代の剣豪の一典型――つまり、この時代を生きるために剣豪(と呼ぶには様々なものが足りない男)が選んだ道の、一つのサンプルといえるのではないかと感じます。
 実はこのエピソードの冒頭では、兎角が一羽の前に斎藤伝鬼房に弟子入りしていたと、おそらく本作オリジナルの設定で語られています。天狗めいた派手な衣装で評判を集めた末に、決闘で破った相手の弟子たちに襲撃され横死した伝鬼房もまた、この時代の剣豪の一典型であることを思えば、伝鬼房と兎角を繋げることに意味があるといえます。

 そして兎角以前に語られた三人が、いずれも折り目正しい出自であったのに対し、兎角以降の面々が(もちろん柳生のような例外はあるものの)、出自がはっきりしない人々であることもまた、興味深く感じられます。
 ある程度の地位にあるものが(一種の余技として)「理論や体系の確立」を行い、それがより下の身分(という表現は適切ではないとは思いますが)のたつきの道として広がっていく――それもまさに、「芸道」の広がる道筋と感じられます。


 剣豪列伝としての内容の面白さはもちろんのこと、剣法・兵法という「芸道」の発展史として、内容豊かな一冊であります。


『日本剣豪譚 戦国編』(戸部新十郎 光文社文庫) Amazon

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2022.08.12

川原泉『バビロンまで何マイル?』 高校三年生コンビが見届けたボルジア家の運命

 川原泉が独特のタッチで描く、タイムスリップ漫画の名編であります。幼い頃に出会った不思議なおじいさんから与えられた魔法の指輪の力で様々な時代にタイムスリップしてしまう高校生コンビ・仁希と友理。二人が見たボルジア家の姿は……

 幼い頃、家の裏の雑木林で、池にはまっていた小さなおじいさんを助けた仁希と友理。グノーシスと名乗るおじいさんは、近いうちに必ず礼をすると言って消え、それから12年――高三になってその記憶もすっかり薄れた二人の前に再び現れたグノーシスは、二人にそれぞれ指輪を与えるのでした。
 ソロモンの指輪の改訂版だというそれは、いつの時代いかなる国の言葉も自由自在に操れる上、タイムスリップの力も秘めているのですが――それがいつ発動してどの時代に飛び、いつ帰ってこれるかわからない代物。かくて二人は恐竜時代、次いでルネサンス期のイタリアに飛ばされることに……

 というわけで、幼馴染の高校三年生コンビが様々な時と場所にタイムスリップして様々な出来事に巻き込まれるという趣向の本作。このタイムスリップ、上に述べたとおり全くのアトランダムに発動するという厄介極まりないものなのですが――しかしその辺はあまり悩まず、さらりと適応してしまうのが、本作の楽しさの一つでしょう。。

 基本的に二人は(指輪の力で読み書きに全く問題ないほかは)、基本的にごく普通の高校生なのですが――受験生としての知識量と、あとは何よりもそのあっけらかんとしたバイタリティで、それぞれの時と場所に適応してしまうのが、何とも愉快です。
 このあたり、すっとぼけた軽めのトーンとペダンチックな情報量の多さ、自分や周囲の状況へのどこかフラットな視点(あと恋愛っ気の薄さ)など、実に作者らしいテイストというべきでしょう。そして内容的にも、二人が主体的に事を起こすのではなく、あくまでも見届け人として描かれることになります。


 そしてそんな本作のスタイルは、全体のほぼ3/4を占めるイタリア編で特に明確であります。突然のタイムスリップで、15世紀末のイタリアの教会に飛び出してしまった二人――そんな二人の姿をたまたま目撃し、天使だと思いこんでしまったのはルクレツィア・ボルジア――そう、あの歴史に名を残すボルジア家の美女だったのです。

 二度目の嫁ぎ先であるナポリの王子アルフォンソへの兄チェーザレの仕打ちに幻滅し、逃げ出したばかりのルクレツィア。彼女は、二人と行動を共にしようとするものの、あっさり兄に連れ戻され――そして二人もそのままボルジア家の食客に収まることになります。とりあえず衣食住を確保した二人は、無為徒食の状態で、チェーザレとルクレツィアの織りなすドラマを目撃することに……

 ローマ教皇の子でありながら政治家・軍人の道に進み、卓越した手腕によって諸勢力が林立するイタリアに覇を唱えんとしたチェーザレ。彼は、目的のためであれば手段を選ばない、まさにマキャベリストの元祖として後世に悪名を轟かせた人物であります。
 本作においても彼の行動は後世に伝わるものと変わらず、特に利用価値のなくなったアルフォンソに対する行動が、本作のクライマックスとなるのですが――しかし単純な極悪非道の人物として描かれないのが面白いところです。

 妹が連れてきたとはいえ得体の知れない二人を厚遇し、特に全く物怖じしない仁希には再三に渡って頭ポンポンするなど、不思議なところで人間味を見せるチェーザレ。いや、そうした表に見える部分だけではなく、彼が特に妹を前にして見せる姿には、どこか不思議な緊張感と、そして同時に強い孤独感を感じさせるものがあります。

 チェーザレだけでなくルクレツィアも、いやチェーザレの懐刀である冷徹なドン・ミケロットまで――登場人物一人ひとりが背負った無限の想いを、本作は全て言葉にして描くのではなく、しかしその表情と佇まいでもって浮き彫りにします。そう、仁希と友理が見届けるのは、どこか己の運命に殉ずるような、そんな彼らの姿にほかならないのです。

 そして一歩間違えればひどく物悲しく、あるいは索漠としたものになりかねない物語を、どこかホッとさせられる味わいにしているのは、上で述べた作者ならではのテイストによるものであることは間違いないでしょう。


 残念ながら二つのエピソードのみで終了している本作ですが、スタイル的にはまだまだ描けるはず。いつか二人が様々な時代を経た末に、古代バビロニアにたどり着く姿を見てみたい――今でもそう夢見てしまうのです。


『バビロンまで何マイル?』(川原泉 白泉社文庫) Amazon

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2022.08.11

堀川アサコ『伯爵と成金 帝都マユズミ探偵研究所』 昭和ノワールの不穏な世界に正義は貫けるか

 昭和初期を舞台に、思わぬことから犯罪に巻き込まれた成金の放蕩息子と、恵まれた立場から探偵研究所を営む伯爵家の次男坊のコンビが市井で起きる様々な事件に挑む、どこか奇妙で不穏な味わいの連作であります。彼らの前に幾度となく現れる、犯罪者ばかりを惨殺する「黒影法師」の正体とは……

 昭和六年、顔を赤いペンキで塗られ、射殺された姿で発見された強欲な成金の牧野求助。その三男であり放蕩の末に家を飛び出していた心太郎は、父の死に久々に家に帰ってきたものの、父殺しの濡れ衣を着せられ、警察に捕らえられるのでした。
 そして留置場で出会った実家の元奉公人から、父がかつて幼い長男を虐待の末に命を奪ったことを聞かされる心太郎。その後釈放された心太郎は、自分にかけられた疑いを晴らすため、無料で探偵をするという伯爵家の次男坊・黛望のもとを訪れます。

 しかしその後さらに眼前で殺人事件が起き、一層窮地に陥る心太郎。唯一の理解者である次兄に助けられ、身を隠す心太郎ですが……


 この第一話「むざんの事なり」で黛に助けられた心太郎が、その縁で住み込みの助手となり、黛とともに様々な事件・騒動に巻き込まれる姿を描く本作。
 心太郎の恋人(というか彼がヒモとなっていた相手)の逸子が姿を消し、男爵である彼女の父から相談を受けて行方を探す二人が、彼女の元恋人が次々と命を落としていることを知る「死神令嬢」
 文通相手の少女から、自分と姉が継母に命を狙われているという手紙を受け取ったという男から相談を受け、少女のもとに調査に向かった心太郎が、次々と明らかになる意外な真実に翻弄される「文通ガール」
 黛の学友である浦川と結婚した心太郎の女友達が、夫から与えられたという市松人形を預けに来たのをきっかけに、ある企てを巡らせる浦川と謎の一団との暗闘に、二人が巻き込まれる「ゲシュペンシュテル」

 この全四話で本作は構成されますが、それとともに、いわば物語の縦糸として語られるのが、「黒影法師」なる殺人者の存在です。
 法で裁かれなかった悪人・犯罪者を殺害し、顔に赤いペンキで塗った上で晒し者にする――一種の劇場型犯罪者であるこの「黒影法師」の「影」は物語の随所に現れ、やがて二人の行く先に大きな影響を与えるのです。


 そんな本作全体に漂うのは、どこか不穏で不透明、不健全な空気であります。もちろん、舞台となるのが昭和六、七年と、いよいよ「暗い時代」に突入していく頃だけに、それは一見当然に感じられるかもしれません。
 しかし本作はそうした歴史上の事象への積極的な言及は控えつつも――そして作中のかなりの割合でセレブな世界を舞台にしつつも、そんな社会の表裏に存在するドロドロとしたもの、時に「雰囲気」でしか描けないようなものを、巧みに浮かび上がらせます。

 主人公コンビは(というか心太郎は)、そんな不穏な雰囲気の中をもがきながら進み、事件に何とか真実の光を照らそうとするのですが――しかしそれにも限りがあり、幾度となく苦闘する姿が本作では描かれるのです。
 そんな本作の空気は、私にとっては作者の『月夜彦』に通じるものがあると感じられました。一見華やかな世界の陰に存在する、途方もなくドロドロとした、危険で不気味なものの存在を、しかし同時に必然的にこの世に在るべくものとして、どこか淡々と、時にユーモラスに描く物語として。

 してみると本作は――物語の設定や内容的には一見そう感じられなくとも――昭和ノワールというべき作品なのかもしれません。


 そしてもう一つ本作で印象に残るのは、本作で黛が開業しているのが、探偵社ではなく「探偵研究所」である点ですが、その理由は、作中で明確に黛の口から語られています。
「ここは探偵社ではなく、研究所です。ご依頼を受けても、お金は受け取りませんよ。」
「そもそも華族とは、かの伊藤博文公が、市民の規範となる階級として拵えたもの。世にご奉公するのが、われわれの義務です。」と。

 これは一見実にヒロイックで、かつ本作の独自性を示す言葉として印象的なのですが――本作は同時に、それがヴィジランティズムと紙一重であることをある存在との対比で示して、本作は結末を迎えることになります。

 その先、黛は、そして心太郎は、このノワールな世界において、自分たちの正義を貫くことができるのか。いまだ大きな謎と不穏な疑問が残るところでもあり、この先の二人の物語を読みたいものです。


『伯爵と成金 帝都マユズミ探偵研究所』(堀川アサコ 新潮文庫nex) Amazon

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2022.08.10

町田とし子『紅灯のハンタマルヤ』第2巻 長崎の独自性と、怪異というマイノリティ

 江戸時代後期の長崎を舞台に、長崎奉行所の隠密同心・相模壮次郎と、丸山遊郭の菊花太夫と三人の禿が怪異に挑む時代アクションの第2巻であります。長崎での人と怪異の複雑な関係に悩む壮次郎が遭遇した新たな事件。そこに浮かび上がる長崎の姿とは……

 長崎奉行付きの隠密同心として江戸から赴任してきた壮次郎――彼の任務は、この町で人に仇なす怪異を討つこと。そして怪異にとどめを刺す力を持つ銀製の十字剣を武器に戦う彼を助けるのは、丸山遊郭のまるた屋の菊花太夫と、雛あられ・清・こもれびの三人の禿であります。
 しかし彼女たちの正体は実は怪異。強大な力を持つ怪異である太夫と、それぞれ吸血鬼・妖狐・影の怪異の血を引く三人の禿と――壮次郎は怪異の力を借りて怪異を討つのです。


 そんな基本設定の本作ですが、この第2巻の前半では、何者かに殺されたペーロンの楫とり役を慕う人魚を追う者たちと対決する清、そして壮次郎と束の間の休日を共に過ごす雛あられと、二人を中心としたエピソードが描かれることになります(もう一人、こもれびのエピソードは第1巻に収録)。

 しかしこの巻でより印象に残るのは、後半で描かれるエピソードでしょう。夜廻りの最中、小料理屋の主から、怪しげな術を使う下女に襲われたと助けを求められた町司(地元採用の目付役)の中山。主が、下女たちは切支丹だと訴えるのを聞いた彼は、半ば強引に壮次郎と上司の与力が行う詮議に同席するのですが、踏み絵を迫られた下女の一人が突如変貌し……

 このようにこのエピソードは切支丹にまつわる内容ですが、なるほど、本作にはまだ切支丹についての言及はほとんどなかったか、と今更ながらに気付かされます。
 もちろん、長崎=切支丹というイメージは一種短絡的であるかもしれません。しかし本作でも言及されているように、物語のわずか十数年前には「浦上一番崩れ」という潜伏切支丹の摘発があったわけで、やはり切支丹と長崎との繋がりは大きかったというべきでしょう。
(そしてこの浦上での摘発は幕末まで続くわけで……)

 しかしこの浦上一番崩れのユニーク(?)なのは、事件の拡大を恐れた長崎奉行所が(つまりは幕府が)、信徒たちを切支丹扱いせず、「穏便に」処理した点といえます。そして本作は、その長崎奉行所の切支丹への対応を、怪異に対するそれと重ね合わせてみせるのであります。
 すなわち、怪異も切支丹同様、表立って騒ぎ立てなければ追求しないという対応と……

 それはある意味、理に適った対応といえるかもしれません。しかしそれは彼らが長崎の住人として存在を認められているのではなく、むしろ捨て置かれている――つまりいないものとして扱われているのと同じ。そしてその判断は、結局は力を持つ者の胸先三寸なのであります。
 これまで物語の中で、特に禿たちと触れ合う中で、怪異たちもまた長崎の住人として受け止めてきた壮次郎にとって、この事実がどれだけの重みを持つのか、推して測るべしでしょう。


 長崎という土地の独自性を踏まえたゴーストハントを描くだけでなく、そこから一種のマイノリティへの視線にまで繋げて描いてみせる本作。
 色々とマズいフラグを立てているような気がしてならない壮次郎ですが、彼がこの先どこに向かうのか。そして長崎の怪異側の裁定者というべき太夫は何を思っているのか――個々のエピソードはもちろんのこと、物語全体の流れも気になるところであります。


『紅灯のハンタマルヤ』第2巻(町田とし子 講談社シリウスKC) Amazon

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2022.08.09

羽田豊隆『幕末賭博バルバロイ』第1巻 将軍位を目指す大博打の始まり

 『賭ケグルイ』の原作者が原作を務めることで注目された幕末ギャンブル漫画の単行本第1巻であります。ギャンブルで将軍位すらも左右される世界を舞台に、将軍を倒す大望を持つ賭博師と、侍として生きんとする女剣士が強敵に挑むことになります。

 時は幕末、父の剣術道場で師範代を務める大御神甘楽は、剣の実力では道場屈指ながら、女に生まれたというだけで侍として認められないことに鬱屈したものを覚える毎日。そんな中、彼の前に奇妙な青年・秀が現れます。
 賭博師を名乗る彼は甘楽の剣名を一晩で江戸中に轟かすと言い出し、わけもわからぬままに秀の勢いに飲み込まれた彼女は、江戸に剣名を轟かす旗本・山里頼隆の屋敷で開かれる賭場を訪れることになります。
 そこでの丁半博打に大勝したものの、山里との勝負に敗れる秀。しかし秀は勝手に大御神家の家宝の脇差をカタに、三百両の大勝負を望んで……


 冒頭、年端もいかぬ少女が賭博で負かした先代将軍の首を斬り、十四代家定として将軍位に就く、という奇怪な場面から始まる本作。これに象徴されるように、本作の幕末は、賭博が大きな意味を持つ一種の異世界として描かれます。

 そんな世界で、将軍打倒を目標に掲げるのが、賭博師・秀――豊臣秀。そう、その姓からわかるように、豊臣秀吉の末裔を名乗る青年であります。
 単に先祖の復仇だけではないのか、いかなる理由か牢に閉じ込められている姉を救い出すために戦う秀――そんな彼が、半ば強引に巻き込んだ甘楽とともに、将軍との御前博奕に挑むための軍資金を集めるために大勝負に挑む姿が、この巻では描かれることになります。

 最初の勝負は上に述べた大旗本との丁半博打、そして次なる勝負は治外法権の黒船内のカジノで行われるペリーの孫娘・リリアンとのルーレット勝負――この時代の日本で普通に行われていたもの、行われていなかったもの、様々な賭博に、秀は挑むことになります。

 一方、それに続く第三の勝負はいささか変則的というべきか――面子を潰されたリリアンの刺客として送り込まれた坂本龍馬と岡田以蔵のコンビとの対決から始まります。
 こういう時の用心棒として選ばれた甘楽ですが、さすがにこの二人を相手にするのはいささか荷が重く、以蔵を相手にするのががやっと。一方、龍馬の拳銃に追い詰められた秀は、この絶体絶命の窮地に文字通り命懸けの勝負を挑んで――という展開になります。


 このように、世界観自体はかなり豪快なものでありつつも、そこでいかに賭博を行うか、如何に賭博が行われるかという点について、趣向が凝らされている本作――というより、それこそが本作の最大の魅力というべきでしょうか。

 その一方で、個々の勝負の内容については、ちょっとまだ食い足りないものがあるというのもまた事実。当然ながら(?)個々の勝負ではイカサマが行われ、それを如何に見破り、あるいは逆用するかがキモとなるわけですが――少なくともこの巻の段階では、簡単に言ってしまえば、知恵というより知識で勝っている、という印象があります。
 そのため、勝負以前で勝敗が決している感が否めないのですが、この辺りはまだ物語は始まったばかりだから、と解するべきでしょうか。

 この先、本作がギャンブルものとして華麗な逆転を見せてくれることを期待したいと思います。
(と思っていたら連載中の最新話では、ちょっと驚くような展開に……)


『幕末賭博バルバロイ』第1巻(羽田豊隆&河本ほむら 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2022.08.08

松井優征『逃げ上手の若君』第7巻 京での出会い 逃げ上手の軍神!?

 いよいよ運命の刻が目前まで迫った『逃げ上手の若君』、その刻を前に一旦京に向かいは、様々な人物と出会った時行と逃者党は、ついにこの時代最大の英傑、軍神と呼ばれるあの人物と出会うことになります。そして宿敵・足利尊氏との対決の機会を得た時行が見たものは――いよいよ歴史が動きます。

 蜂起を目前に、諏訪に迫る足利の隠密・天狗衆。その目から姿を隠すため、時行と逃者党は、折りよく諏訪に現れた時行の叔父・泰時とともに、京に向かうことになります。
 そこで泰時がある計画を進める一方で、京見物をしていた時行たちは、思わぬ成り行きで佐々木道誉の娘・魅摩と知り合うことに……

 というわけで京に来て早々に、間接的とはいえ超大物に関わることとなった時行。しかしこの道誉、顔に影がかかっていて素顔が見えないのは初登場時の漫画的演出かと思いきや、腹黒すぎて表情が読めない演出だった――というのが面白い。面白いですが、物語と時行に本格的に絡むのはまだ先のようです。

 しかしここで、さらなる――というより最大級の大物が、ついに登場することになります。泰時たちの目論む帝暗殺(!)が失敗した際の逃走経路確認のため、京を探索していた時行たちの前に現れた、妙にキョトキョトと卑屈な挙動の、あからさまに胡散臭いおじさん。しかし時行のみは、それが非常に高度な逃げのための予備動作であると見抜いたのであります。
 同時におじさんの方も時行が只者ではないと見抜き、自ら名乗ります。楠木正成と……

 楠木正成! これまで鎌倉幕府を倒した武将の中では、足利尊氏がメインで登場、新田義貞も顔を出していましたが(そしてこの巻では別のものを出すことに……)、正成のみは登場人物の台詞で言及されるのみで、姿を見せることはありませんでした。
 もっとも正成は鎌倉を攻めることなく、千早城などで戦っていたわけで、その意味では時行との直接の因縁はなかったわけですが――それがここで二人が対面することになるとは!

 そして自分の正体が露見する危険を犯しつつも、正成に弱者が勝者に勝つ秘訣を問う時行と、そんな彼にある予感を抱きつつも、その正体を詮索することなく、ただ一人彼のみを屋敷に招く正成。そして正成が手ずから伝授した、その法とは……
 それはこの時点では、あまり具体的な内容に見えるかもしれません。しかしこれまである意味本能的に逃げてきた時行にとって、正成の教えは、逃げというものに対して一つの理念的枠組みを与えた――そのように思えます。


 しかし、その教えを吟味する間もなく、時行と逃者党に、大きな転機が訪れます。正成邸を辞去する際、偶然耳に入った、数日後に尊氏が正成邸を訪れるという情報――それは尊氏を暗殺する、千載一遇の好機にほかなりません。
 奇しくも泰時の帝暗殺計画とほぼ同じタイミングとなった時行たちの尊氏暗殺計画。その結果は――それはまあ、言うまでもないでしょう。しかしここで描かれるものは、暗殺計画を粉砕する尊氏の肉体的な強さだけでなく、彼の持つ精神の異形性というべきものであります。

 時行と対面した尊氏が見せる、意外な、いや異常とすらいえるような態度。それは尊氏がこれまで見せてきた中でも最も彼の異形さを感じさせるものであり――実は精神を別人に乗っ取られているオチかと思ってしまったほど――そしてそれこそが、この先、時行を打倒尊氏に向かわせる原動力となるのではないか。そう感じさせられるものであります。


 そして様々な出会いを経て、諏訪に戻った時行と逃者党。それはまさに逃げるような帰還ではありますが、しかし京での経験は、彼らを大きくレベルアップさせたといえるでしょう。そしてその成長の度合いが試されるのが、目前に迫る鎌倉攻めであります。

 そしてこの巻のラストで、ついに時行と諏訪勢の進軍が始まることになります。そう、これこそが「中先代の乱」の始まり――それは同時に、この物語のクライマックスの始まりを意味することになります。
 この先はもう、ひたすら盛り上がるしかない――期待しかありません。


『逃げ上手の若君』第7巻(松井優征 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2022.08.07

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』田虎王慶篇4 田虎篇完結! 太原の「戦争」と二人を結ぶ言葉

 『絵巻水滸伝』第二部のうち、田虎篇もいよいよこの第四巻で完結となります。田虎軍の強敵たちを次々と下し、残るはもはや卞祥と田虎のみという状況まで追い込んだ梁山泊。しかしそんな中、田虎が意外な行動に出ることになります。はたして最後の戦いの行方は……

 田虎軍の非道に怒り、河北の人々を救うため懸命に戦う梁山泊。彼らの戦いは田虎軍の心ある士を動かし、耿恭、唐斌に続き、孫安、喬道清、山士奇を仲間に加えることに成功します。その一方、張清は田虎への復讐に燃えてその懐に入り込まんとする美少女・瓊英と出会って偽装結婚し、密かに機会を窺うことになります。

 そして三眼の怪人・馬霊を下し、残る田虎軍の名のある将は田虎と、晋国右丞相たる卞祥のみ。そもそも田虎が打ち立てた晋国の、国としてのシステムを整備したという卞祥は、梁山泊でいえば呉用に当たる人物。そして右丞相といえば歴とした文官のはずですが――この卞祥に限っては例外というほかありません。

 普段は「牛」と渾名されるほど、朴訥かつ鈍重な印象の卞祥。しかし一度戦場に立てば、漆黒の大斧・開山大斧を振り回して大暴れ、宋江から生け捕りの命が出ていたとはいえ、花栄と董平らを同時に相手にして互角の戦いを繰り広げる豪傑です。
 そして田虎軍の起死回生の策である田虎親征を成就させるため、囮として梁山泊と激突するの卞祥ですが――しかしその陰で、田虎が驚くべき策を巡らしていたのであります。

 それは、自分と妃の白玉夫人が少数の手勢のみを連れて本拠地の威勝を脱出、そして太原の十万の兵のみを引き連れ、金国に逃亡すること――卞祥ら自分の配下を裏切り、捨てるだけでなく、金国に与して大宋国を売るに等しい、卑劣極まりない策であります。
 偶然その企てを知った梁山泊軍は、威勝から消えた田虎の行方を追うとともに、太原攻略に挑むのですが……


 かくてこの巻の中盤では、梁山泊による太原攻略戦が繰り広げられることになります。元々は十節度使の一人・薬師徐京が押さえていた太原ですが、徐京が遼国戦で戦死した後に田虎が漁夫の利を得る形で占領、以後は腹心の兵――すなわち山賊時代から行動を共にしてきた破落戸まがいの連中――十万が好き放題してきたという状況にあります。
 田虎の策を阻むだけでなく、替天行道の旗の下に人々を救うためにも攻略しなければならない太原――しかし兵の数だけでなく、古代から幾多の戦いの舞台となってきたこの城市を攻めるのは、容易なことではありません。そんな中、盧俊義のもとに駆けつけた李俊ら梁山泊水軍による、太原攻略法とは……

 いやはや、この辺りは原典ベースではあるのですが、しかしここでの描写は、原典を遥かに上回る迫力と痛快度。「戦争」になってくるとどうしても見せ場が少なめになってしまう梁山泊水軍ですが、ここでこんな暴れっぷりがあるとは!
 ――が、ここで描かれるのはそれだけではありません。原典を上回るのは、その梁山泊の戦法による被害の大きさ、その惨禍も同様なのです。そこで描かれるのはまさしく、自分たちの思惑とは全く無関係に、力持つ者同士の「戦争」に巻き込まれた庶民たちを襲った、巨大な悲劇の姿なのですから。


 そして幾多の戦いを経て、ついに田虎を追い詰めた梁山泊。田虎の最後の悪あがきというには大規模な反撃に対して、各地に散っていた梁山泊が集結して挑むことになります。

 しかしその中で、復仇の機会にいても立ってもいられずに、暴走に近い形で動いたのは瓊英――襄垣で機会を窺う中、待ちきれずに単身田虎を襲撃する彼女を、張清は追いかけることになります。
 そして無数の敵に囲まれた二人が交わす言葉――中身だけ見ればこの場に相応しくない、しかしこの二人を結ぶのにまことに相応しい愛の言葉は、これまで作中で様々な形で描かれてきた「愛」の形の中で、屈指の印象的なものであることは間違いありません。

 そしてその二人とある意味対照的な存在である田虎が見せた、奇妙な「人間性」もまた、一つの物語の結末に不思議な印象を残します。


 さて、長きにわたる田虎との戦いも終わりました。数多くの犠牲を払いながらも、同時に数々の仲間たちを得た梁山泊ですが――しかし次なる戦いは目前に迫っています。

 解放されたはずの蓋州、いや澤州を襲う謎の集団――急行した梁山泊の面々が見たものは、無秩序に略奪と殺戮を行う謎の軍団だったのです。彼らこそは、西京河南府を陥とした王慶軍――これまでとは全く異なる動きを見せる、異形の敵との戦いが始まります。


『絵巻水滸伝 第二部』田虎王慶篇4(正子公也&森下翠 アトリエ正子房) Amazon

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 「絵巻水滸伝」第1巻 日本水滸伝一方の極、刊行開始
 「絵巻水滸伝」第2巻 正しきオレ水滸伝ここにあり
 「絵巻水滸伝」第3巻 彷徨える求道者・武松が往く
 「絵巻水滸伝」第四巻 宋江、群星を呼ぶ
 「絵巻水滸伝」第五巻 三覇大いに江州を騒がす
 「絵巻水滸伝」第六巻 海棠の華、翔る
 「絵巻水滸伝」第七巻 軍神独り行く
 「絵巻水滸伝」第八巻 巨星遂に墜つ
 「絵巻水滸伝」第九巻 武神、出陣す
 「絵巻水滸伝」第十巻 百八星、ここに集う!

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2022.08.06

9月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 8月に入って早々、命の危険を感じる暑さが続き、しかもアレがこれまで以上に大流行と、もう一歩も外に出たくない毎日が続きます。はたして一ヶ月後も同じような状況かはわかりませんが、やはり涼しくて安全な家の中で本を読んでいたい! というわけで9月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 といっても新刊の発行点数は、文庫小説・漫画ともにあまり多くない9月。
 そんな中で最も注目は『大江戸あにまる(仮)』(山本幸久 集英社文庫)。山本幸久といえば現代を舞台としたお仕事小説的作品が中心の作家ですが、本作は初の時代小説、しかも動物ものですが、どうやら普通の動物ではないらしく――何が飛び出すか期待しましょう。

 その他、大正ものの『花菱夫妻の退魔帖』(白川紺子 光文社文庫)、直球の妖怪時代小説『あやかし長屋 2 妖怪犯科帳』(神楽坂淳 講談社文庫)、もう第三弾が登場の『晴明の事件帖』第3巻(仮)(遠藤遼 角川春樹事務所ハルキ文庫)と新刊が並びます。

 文庫化・復刊では、『怪談飯屋古狸』(輪渡颯介 講談社文庫)が新登場。また、新装版では『若さま同心 徳川竜之助 11 片手斬り』(風野真知雄 双葉文庫)、『桃花源奇譚 3 月色岳陽楼』『桃花源奇譚 4 東京残桃夢』(井上祐美子 中央公論新社中公文庫)があります。


 また、漫画の方は基本的に皆シリーズものの最新巻。個人的に注目してきた古琉球王朝伝奇ラブコメ『琉球のユウナ』(響ワタル 白泉社花とゆめコミックス)の最終巻、第8巻のほか、今回も同時刊行となった『MAO』第14巻(高橋留美子 小学館少年サンデーコミックス)と『異伝・絵本草子 半妖の夜叉姫』第3巻(椎名高志&高橋留美子ほか 小学館少年サンデーコミックス〔スペシャル〕)に注目したいと思います。

 その他、例によって舞台となる時代順に並べれば、『新九郎、奔る!』第11巻(ゆうきまさみ 小学館ビッグ コミックス〔スペシャル〕)、『どろろと百鬼丸伝』第7巻(手塚治虫/士貴智志& 秋田書店チャンピオンREDコミックス)、『ZINGNIZE』第8巻(わらいなく 徳間書店リュウコミックス)、『大江戸ブラック・エンジェルズ』第3巻(平松伸二 リイド社SPコミックス)、『あおのたつき』第6巻(安達智 コアミックスゼノンコミックスBD)、『ツワモノガタリ』第3巻(細川忠孝&山村竜也 講談社ヤンマガKCスペシャル)、『警視庁草紙 風太郎明治劇場』第4巻(山田風太郎/東直輝&ほか 講談社モーニングKC)……
 と、数はそこまで多くないですが、多士済済であります。


 そんなわけで、来月も新刊を楽しみに日々を送りたいと思います。


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2022.08.05

風野真知雄『宮本武蔵の猿 奇剣三社流 望月竜之進』 帰ってきた最古参の風野ヒーロー!?

 同時に三人の敵を相手にすることを想定した実戦派剣術・三社流――その流祖である放浪の剣客・望月竜之進が、行く先々で有名人と動物にまつわる事件に巻き込まれる姿を描く連作短編集の第一弾であります。実は風野作品でも最古のヒーローである竜之進が見せる、剣と知恵の冴えは……

 東軍流を修めた父の剣を受け継ぎながらも、自分の剣を求めて修行を続ける剣客・望月竜之進。ある日、江戸近くまで戻ってきた竜之進は、品川で何やら味のある老僧に出会うのですが――なんとその老僧とはかの沢庵和尚だったのです。
 誘われるまま沢庵の東海寺に滞在することとなった竜之進は、小坊主の天然と共に寺での時間を過ごすのですが、実は天然に天賦の剣才があることに気付きます。そしてその天然の存在が、竜之進を騒動に巻き込むことに……

 そんな「沢庵和尚の蛙」から始まる本書は、剣の腕は滅茶苦茶立つけれども普段は温厚でちょっとお人好し、そして世渡り下手な竜之進が、謎解きに、剣戟に活躍する姿を描く全五話で構成されています。

 晩年の武蔵が剣を仕込んだという猿を預かる老剣士の道場を訪れた竜之進が、父の恨みを猿に晴らそうという佐々木小次郎の子の企てを知る「宮本武蔵の猿」
 江戸で道場を開こうと家を借りるも蚤だらけで悪戦苦闘の竜之進が、町奴と旗本奴の争いに巻き込まれ、風呂場で殺されたという長兵衛の謎を暴く「幡随院長兵衛の蚤」
 山中で飼われていたのが解き放たれ、人の味を覚えた異国の虎と、その背後のある陰謀に竜之進が挑む「由井正雪の虎」
 江戸で押し込みを働き、甲府に逃げてきた五人の牢人を次々と惨殺していく、黒牛さまなる妖怪の正体を竜之進が追う「武田信玄の牛」

 いずれのエピソードも、単純に剣の力で解決できる事件ではなく、多くの場合、そこに謎解きの要素が絡み、それを解いて初めて事件を解決できる――そんなミステリ味を感じさせる内容ですが、人の血が流れても殺伐とならないのは、竜之進のキャラクターゆえでしょうか。
(唯一、ほとんど謎解き要素なしで人喰い虎との死闘が描かれる「由井正雪の虎」は、本書の中では異色作ではありますが、それだけに印象に残る作品となっています)


 と、収録作品に見覚えがあるという方もいるかもしれませんが、それは収録作品のちょっと複雑な構成によります。
 実は本書の収録作品のうち、「宮本武蔵の猿」と「由井正雪の虎」は、2008年に竹書房時代小説文庫から刊行された『厄介引き受け人 望月竜之進 二天一流の猿』に収録された作品の再録なのです。

 ちなみにそれ以外の三作品は、2015年から2017年にかけて雑誌に発表された作品と、十年近く発表時期が離れている――と言いたいところですが、「由井正雪の虎」は先の文庫版からさらに十年前に雑誌掲載なのでさらに離れた作品となります(ちなみに本書には収録されていませんが、「甚五郎のガマ」は、作者のデビュー作を収録した最初期の短編集『黒牛と妖怪』に収録されています)。
 ――と、細かいことばかり述べてしまいましたが、要は望月竜之進というヒーローは、相当長い期間に渡り書き継がれてきた、作者の作品でも屈指のなのであります。
 そのような視点から見ると、本書に収録された物語が、良い意味で大きく変わっていないのは、興味深いことと感じます。

 ライトなミステリ性とアクションを主体とした物語、マチズモとは無縁の心優しき主人公、そして弱者や敗者への優しい視線――そんな作者の作品を貫く魅力は、長きに渡り培われてきたことがわかるのですから。


 さて、本シリーズはこの後、『服部半蔵の犬』『那須与一の馬』と二冊刊行されていますが、それらも竹書房時代小説文庫からの再録+雑誌掲載作品の収録というスタイル。そちらでも作者の新旧変わらぬ魅力が描かれているか、確かめたいと思います。


『宮本武蔵の猿 奇剣三社流 望月竜之進』(風野真知雄 光文社文庫) Amazon

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2022.08.04

重野なおき『信長の忍び』第19巻 伊賀と村重と本願寺と

 『信長の忍び』も、運命の天正十年まであとわずか――この巻では天正七年から八年にかけて起きた三つの戦・出来事が描かれることとなります。第一次天正伊賀の乱、有岡城落城、そして石山合戦の終結――信長の天下統一が近づく中、千鳥が見るものは?

 天正六年、織田信雄が伊賀攻略の足がかりとするために丸山城の修築を行ったこと、それに対して伊賀の住人たちが丸山城を焼いたことにより険悪な状況となった織田と伊賀。その調停の使者として故郷を訪れることとなった千鳥と助蔵ですが、まさにその最中に、信雄が無断で伊賀攻めを開始して……

 という最悪のタイミングでついに始まった天正伊賀の乱。本作においてはほとんど最終兵器扱いだった千鳥ですが、その彼女の出身である伊賀の忍びたちが只者であるはずがない――というわけで、この巻の冒頭では、忍者漫画ばりに(?)伊賀最強の面々が暴れまわることになります。
 その名も「忍術上手十一人」! 城戸弥左衛門、新堂小太郎、下柘植ノ木猿・小猿、甲山太郎四郎・太郎左衛門、山田八右衛門、上野ノ左、神戸ノ小南、楯岡道順、大炊孫太夫――いずれも得意の技を秘めた達人たちであります。

 正直なところ、この面々は一部を除いて名前と顔が出るくらいかなと思いきや、一話使って(そしてもちろんきっちり四コマギャグとしてオチをつけつつ)その技を見せてくれたのは嬉しい驚き。話の流れ的に、今回千鳥と助蔵は伊賀から脱出するのがやっとで、合戦には加わっていないのですが、この先のこの十一人との対決が楽しみになります。

 と思いつつも、合戦後に信長に対して伊賀の忍びたちを評して「この者たちを野放しにしていては危険だと!!」と言い切る千鳥には、相変わらず迷いがなさすぎて、少々、いやかなり引いてしまうのですが……(まあ前巻の時点で「師匠だろうと故郷だろうと迷わず斬ります!」と言い切ってはいるのですが)


 さて、続いて描かれるのは、最近ちょっとメジャーになった感もある荒木村重の有岡城落城の顛末。織田の重臣であり、本願寺攻めでも重要な位置を占めていた村重の謀反は、信長にも大きな衝撃を与えたわけですが――その村重が、包囲されていた有岡城から一人脱出したことが、事態を大きく変えることになります。

 流石に籠城中の城から城主が一人で脱出するというのは前代未聞ですが、もちろん村重の側にも毛利の援兵を請うというそれなりの理由がある話。しかしだからといって、それが有岡城に残る者たちにどのような影響を与えるか、火を見るより明らかでしょう。
 かくて有岡城は内応により開城、村重の妻子と一族郎党は皆殺しにされることに――という、四コマギャグで描くにはあまりに重い展開を、ここでは村重の室・だしの姿を中心に描くことになります。

 その一方で村重については、本作らしい茶器マニアとしての姿を描きつつ、それが一転して取り返しのつかない悔恨に繋がっていく描写には納得させられました。
(俗説ではありますが)後に茶人となった時に名乗ったと言われる、あの号に繋がる言葉の描き方も納得であります。(千鳥がボロクソに言ったりするのではなくてよかった……)


 そしてこの巻の後半で描かれるのは、本願寺顕如との間に長きに渡って繰り広げられた石山合戦の終結であります。
 といってもここしばらくは膠着状況にあった戦線ですが、しかし本願寺側はもはや孤立無援に近い状況にありました。そのせいか、この戦いの終結も、織田側よりも、本願寺側を主体に描かれることになります。そしてその中でも特に印象的だったのは、顕如の子・教如の妻であった三位殿の姿でしょうか。

 朝倉義景の娘であり、その朝倉家を裏切り滅ぼした者たちの復讐のために暗躍してきた三位殿。その姿は、本作では珍しい陰険な陰謀家のヒロインという印象でしたが、その依って立つ力だった本願寺が一つの終わりを迎えることをきっかけに、彼女のある種の変化が描かれることになります。
 そしてそれが結果として本願寺を救う――という展開も巧みで、ある種の美しさを感じさせる結末であったと感じます。

 むしろ信長サイドで印象に残るのはその後の佐久間信盛の追放ではないかと思いますが、その後の大量追放と合わせて、信長の高転びの原因に――ということには今のところは直接なりそうもありません。
 この巻の描写で見れば、有岡城落城の顛末も含めて、光秀の被害妄想からくるノイローゼがきっかけということになりそうな印象ですが――その辺りが今後どのように展開していくのか、いささか気がかりではあります。


『信長の忍び』第19巻(重野なおき 白泉社ヤングアニマルコミックス) Amazon

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 重野なおき『信長の忍び』第13巻 決戦、長篠に戦う女たちと散る男たち
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2022.08.03

重野なおき『雑兵めし物語』第1巻 食うために戦い、戦うために食う者の物語

 戦国四コマの第一人者というべき作者の作品は、これまで様々な形で歴史に名を残した戦国武将たちを描いてきました。しかし新登場の本作で描かれるのは、タイトルのとおり雑兵――歴史の陰で生きた雑兵たちの姿を、しかも食生活を通じて描くユニークな作品の始まりです。

 天文十七年(1548年)、武田晴信と小笠原長時の間で繰り広げられた塩尻峠の戦い――この戦いで小笠原側について負けた上、落ち武者狩りで追いかけられた雑兵の作兵衛と豆助は、腹も減ってフラフラの状態で山中を彷徨うことになります。
 運良く落ち武者の死骸から芋がら縄を手に入れ、鍋で縄を煮て即席の味噌汁をこしらえた作兵衛。と、そこに現れたのは、武田軍に家族を皆殺しにされた武家の姫・つる――腹を減らしたつるに味噌汁を振る舞った作兵衛は、行くあてのないつるを、成り行きから家に住まわせることに……


 という導入から始まる本作。主人公の作兵衛はプロの雑兵というべきでしょうか――普段は家のある農村で日々を送りながらも、戦が起きればどちらかの陣に加わり、そこで報償と飯のために戦うという牢人であります。

 しかし本作のさらに、そして何よりもユニークなのは、作兵衛が大の料理好きという点であることは間違いありません。食べることだけでなく、作ることにも同様の、いやそれ以上の熱意を見せる――本作はそんな作兵衛が、行く先々で、ほとんどあり合わせのもので飯を作る姿を描く、一種のグルメ漫画でもあります。
 干し飯、あつめ汁、豆味噌握り飯、納豆、ニラ雑炊、ほうとう――旨そうなものもありそうでないものもあり、しかし戦国ならではの食べ物の数々には、大いに興味をそそられます。

 もっとも彼の料理スキルは自分の楽しみ(?)のためであって、それで人助けをするとか事件を解決するということは基本的にありません。そう、あくまでも作兵衛はその日暮らしの牢人――天下国家の動静とは全く無縁で、立身出世にも特に興味がない、本当にただの人間に過ぎないのです。


 しかしそんなキャラクターが主人公でも本作が滅法面白いのは、四コマギャグとしての楽しさはもちろんのこと、それ以上に歴史ものとしての視点の巧みさに依ります。
 本作の雑兵に関する描写の多くは、江戸時代に書かれた「雑兵物語」――雑兵たちの功名談、失敗談などの形を借りて描かれた一種の兵法書――に依るものかと思われますが、それが実に新鮮に感じられます。

 それこそ教科書にも載っているような戦国武将たちの事績ではなく、そうした歴史から見えないところで、確かに彼らを支えていた雑兵たちにまつわる知識は未知の世界のものに感じられます。
 たとえば作中で何度か言及される、「兵士は三日分は持参した食料で食いつなぎ、四日目以降は軍から配給される」という制度(?)など、これまでフィクションの世界ではほとんど目にしたことがなかったように思われます。
(そしてもちろん、その知識が、物語にきっちりと絡められているのが実にいいのですが……)

 そしてもう一点、本作ならではの面白さは、雑兵から見た武将の怪物ぶりでしょう。この巻の中盤では、小笠原方の村井城を舞台とした戦い(滅茶苦茶渋いというか何というか……)が描かれますが、ここで登場する武田方の将は馬場信春。
 よりにもよって、という感じですが、『信長の忍び』ではその最期が描かれた馬場信春の全盛期の姿は、まさしく怪物というほかなく――そんな相手を向こうに回して何とか生き延びようとする作兵衛の奮闘ぶりも、また本作ならではの面白さと言うべきでしょう。


 さて、そんなこんなで何度も死ぬような目に遭いながら、今日も生き延びた作兵衛ですが、しかし彼の暮らしにも、つるという存在が登場したことから、大きな変化を迎えていく姿が、描かれることになります。
 今日明日の飯の事だけを考えて生きる雑兵の物語から、この先どのような物語が描かれるのか。そんな点も気になる作品であります。


『雑兵めし物語』第1巻(重野なおき 竹書房バンブーコミックス) Amazon

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2022.08.02

野田サトル『ゴールデンカムイ』第31巻 大団円 黄金のカムイの呪いの先に

 いよいよ長きに渡った黄金争奪戦にも決着の刻が来ました。五稜郭から脱出した杉元たちが飛び込んだのは、函館駅に向かう列車の中――しかしそこは第七師団の兵士たちを満載! 後ろからは鶴見たちも追いすがり、地獄行きの暴走列車の中で繰り広げられる死闘の行方は……

 五稜郭で広大な土地の権利書と、莫大な砂金を発見したものの、鶴見率いる第七師団の猛攻を受けることとなった杉元たち。鯉登父が、都丹が、二階堂が、ソフィアが、ヴァシリが次々と退場していく中、五稜郭を脱出した杉元とアシリパたちが飛び乗った函館行きの列車の中で、最後の最後の戦いが繰り広げられることになります。
 この戦場で土地の権利書を守るべく必死の戦いを繰り広げるのは杉元、アシリパ、白石、土方、牛山。そしてそれに対するは鶴見、鯉登、月島、尾形、さらには無数の第七師団の兵士と、ヒグマ――ヒグマ!?

 最後の舞台に残った役者たちの中で、最後に立っているのは誰か――逃げ場のない閉鎖空間の中で、いつ終わるとも知れない死闘が続くことになります。


 というわけで、ここから先の戦いは、どの組み合わせ一つとっても、まさに黄金カードと言うべき名勝負の連続。杉元・土方サイドも鶴見サイドも、文字通り死力を尽くした戦いが、この最終巻の中に、驚くべき密度で詰まっているのです。

 しかし黄金を巡るこの戦いの掛け金は己の命。ここに至って、いやここに至ったからこそ散っていく一人ひとりのキャラクターの姿は、その演出も相まってこちらの感情をグワングワンと揺さぶってくれます。
 誰が散って、誰が残るのか――それをここで挙げることはしませんが(本当は一人一人触れたい!)、残るのはある意味納得の面子であるのと同時に、退場する者は心から惜しまれる顔ぶれであることは言うまでもありません。

 しかしそんな消える命を背負い、昏く翳っていくのはアシリパの瞳。たとえ杉元とともに地獄に落ちる覚悟を固めたとしても、しかしこれだけの命が眼の前でまとめて失われていくことが、彼女にとって、どれだけ大きな衝撃であるか言うまでもありません。そしてその暗闇から彼女を救い出せるのが、誰のどんな言葉であるかもまた……


 そしてその果てに迎えた最後の最後の対決に臨むのは、言うまでもなく杉元と鶴見――片やただ一人を助けるための金を求めて首を突っ込んできたノラ坊、片や無数の人間の運命を操ってきた大義と野望の男、対称的な二人の対決は、もはやこれまで二人が背負ってきた人生のぶつかり合いといえるでしょう。
 そして圧巻は、二人の、いやそこに至るまでの戦いの中で、鶴見の心の仮面が外れた瞬間でしょう。ラスト一話前に見せた表情はもちろんのこと――その他にも単行本の加筆修正描かれた鶴見の意外な(?)想いは、鶴見という人物が善悪という単純な視点では量りきれない、本作を代表する「人間」であったことを示すものなのでしょう。

 しかしこの黄金争奪戦の中で、杉元もまた様々なものを背負い、成長してきました。そんな彼が己のためだけでなく、誰かのために動く姿は、格好良すぎるかもしれませんが、黄金のカムイの呪いを解く一つの希望であったと感じるのです。


 そして最終話――一コマ一コマに至るまでに施された細やかな演出に圧倒されつつ、生き残った登場人物(いや生き残らなかった者も)のその後を丹念に描いた結末には、これほど「大団円」という言葉が相応しい内容はないでしょう。

 実はこの最終話については、雑誌掲載時に比べると、大枠は同じながら、細かいコマ割りや台詞回しなど驚くほど大量に手が入っていることに気が付きます。
 これはおそらく(いや間違いなく)、雑誌掲載時に終盤の描写に批判が寄せられたことによるものだと思いますが――私はその時には「フィクションはどこまで現実に責任を持つべきか」ということを随分考えさせられましたが――それに対して、できる限りの努力をしたことが、今回の修正からは感じ取れるように思います。
(こちらも批判が寄せられた、あの「オチ」にもよく見たら修正が入っていたのには噴きましたが)


 そして参考文献リストも終わり、ああ、本当に終わってしまった、と思っていたら、その後に付された描き下ろし4ページ。
 これは一体? と思ってみれば――いやはや、最後の最後の最後まで量りきれない人間でしたが、あるいはこれが彼の役目だと思えば、それはそれで一つの救いのようにも感じられるのです。


『ゴールデンカムイ』第31巻(野田サトル 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon

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 野田サトル『ゴールデンカムイ』第28巻 「ノラ坊」と「菊田さん」――意外な前日譚!
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第29巻 解かれたなぞ そして最終決戦開始!
 野田サトル『ゴールデンカムイ』第30巻 五稜郭決戦に消えゆく命 そして決戦第二ラウンドへ!

 『ゴールデンカムイ公式ファンブック 探究者たちの記録』 濃すぎる作品の濃すぎるファンブック!

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2022.08.01

田中芳樹『白銀騎士団』 差別と偏見は許さない騎士の輝ける冒険

 二十世紀初頭のイギリス、怪物退治で名を馳せる白銀騎士団――ちょっと頼りないけど差別と偏見は許さない若き英国貴族と従者の中国人&インド人従者、そして勝気なアイルランド人のメイドの四人が、怪奇な事件に挑む冒険活劇であります。白銀騎士団の銀の銃弾が貫くものは……

 一月の間に六回もモレー家の所有地に出現し、小作人やその家族を十五人も殺傷した怪物――子牛のように大きく、狼によく似た姿の黒毛の化物の退治の依頼を受けたジョセフ・アーネスト・フィッツシモンズ準男爵。
 白銀騎士団――ジョセフと、彼の従者にして武術の達人である中国人の李とインド人のゴーシュは、早速その晩、モレー家で奇怪な怪物と対峙することになります。

 しかしこれまで幾多の怪物を打ち破ってきたフィッツシモンズ家特製の銀の銃弾が通用しない謎の怪物。無敵とも思えるこの怪物の正体ははたして……
 という約40ページのエピソード「白銀騎士団のささやかな冒険」を、いわばアバンタイトル的に収録した本作。この部分は短編ではありますが、その中にはシリーズの基本設定が詰まっています。

 白銀騎士団を率いるフィッツシモンズ家の当主ながら、美人に滅茶苦茶弱く、金も威厳もない――しかしどこの国のどんな民族だろうと、偏見や差別感情を持たないという美点を持つジョセフと、そんな主人に呆れ、容赦なくツッコミを入れつつもお守りする従者二人。
 本作はこの三人と――このエピソードでは会話に登場するのみですが――祖国愛旺盛なアイルランド娘のメイド・アニーの白銀騎士団の面々が展開する、賑やかな物語なのです。


 そしてそれに続くいわば本編部分では、グレゴリー・ケントなる貴族から白銀騎士団が受けた依頼を巡る事件が描かれることになります。

 南アフリカでのボーア戦争に参加し、ボーア人の幽霊に悩まされていると語るケント。自分と家族の生命を狙う者から守り、相手を捕らえて欲しいと依頼してきたケントですが、ジョセフはその傲岸不遜な態度と、何よりも人種差別な言動に憤り、一度は依頼を断ろうとすら考えるのでした。
 それでも従者たちの入れ知恵で依頼料を釣り上げ、250ポンドという破格の手付金をせしめたジョセフ。しかし具体的なことは一切教えず、屋敷に近寄らせようとしないケントに、ジョセフたちの疑念は募ります。

 南アフリカ時代のケントの行動を調べるため、ボーア戦争に従軍記者として参加していた下院議員ウィンストン・チャーチルから情報を得ようとするジョセフですが、あっさりはぐらかされて収穫はゼロ。
 さらに「ナイルの王者」なる品を求め、李とゴーシュの二人と互角の戦闘力を持つ謎の怪人がジョセフの屋敷を襲撃します。その後に残されていたのは、鰐の鱗めいた奇怪な皮膚で……


 そんな本作における最大の魅力は、やはりジョセフと彼の使用人たちのキャラクター――というかコミニュケーションの楽しさでしょう。

 人間的には何とも頼りなくも、使用人をはじめとして、他者に対する公正な視点を持つジョセフ。そんな彼を「甲斐性のない主人だが、心の財布には金貨が詰まっている」と評し、容赦なく接しながらも彼を敬愛し、支える使用人たち。
 そんな彼らの姿は、当時の英国としては例外的――というよりむしろ異常ですらある関係かもしれません。しかし差別と偏見に塗れ、自分たちこそが優等な存在と称して恥じない本作の悪人たちと対峙する時、白銀騎士団は、まさにその名にふさわしい輝きを放つと感じます。


 ただ正直に申し上げれば、悪人たちが今ひとつインパクトに欠ける――というよりその行動に具体性が感じにくい(結構その場の行動が多い)ため、白銀騎士団との対決が今ひとつ盛り上がりにくいのも事実。
 そして何よりも、(これは内容の核心に踏み込んでしまうので詳細は伏せますが)本作が白銀騎士団の実質最初の事件として、相応しい内容であったか、というとちょっと首を傾げてしまうところなのですが……

 白銀騎士団の面々が魅力的なキャラクターであるだけに、この辺りは勿体なく感じた次第です。


『白銀騎士団』(田中芳樹 光文社) Amazon

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