永井義男『江戸狼奇談』 有名人探偵+アクセントの効いた時代ミステリ
永井義男が1995年から1998年――すなわち、小説家デビューした直後の時期に月間小説誌に発表した作品を中心とした短編集であります。全六編のうち、四編は実在の人物を主人公としたミステリ色の強い作品という、ユニークな一冊です。
本書に収録されているのは、いずれも独立した作品ですが、ここでは特に印象に残った作品を中心に紹介しましょう。
表題作であり巻頭の「江戸狼奇談」は、タイトル通り、江戸に現れた狼を巡る奇談であります。ある晩、狼に噛まれ、尊敬する医師である沢三伯のもとに駆け込んだ米搗き職人の仙太。しかしその噛み傷に違和感を感じた三伯は、最近狼が出没しているという噂の中身を調べるよう、仙太に頼むのでした。
仙太が町で聞き込みをした結果、最初の被害者は、狼に局部を噛み切られて死んだ子供だったと聞き、そこから騒動の裏を見抜く三伯ですが……
本作の題材となっているのは、十九世紀前半に鈴木桃野が記した奇談集「反故のうらがき」中の、麻布・青山の狼騒ぎ。その最初の被害者から、狼の「正体」に至るまで、実は原典通り――すなわち「実話」なのですが、しかしその隙間を巧みに埋め合わせ、一つのミステリとして成立させているのが、本作の魅力でしょう。
しかしそれ以上に目を惹くのは、本作の探偵役が沢三泊であることです。卓越した頭脳を持ちつつも、役人と接点を持つことを嫌う彼の正体は――知っている人には全く隠されてはいないわけですが、本作で描かれた事件が、彼の運命に繋がっていく終盤は、やはり衝撃的です(その描写が「公式発表」通りでないだけ余計に……)。
続く「夢酔続言」は、「夢酔独言」をもじったタイトルから察せられるように、勝小吉を主人公にした作品であります。知り合いから、出入りの大店の若旦那が美人局に引っかかったと相談された小吉。この若旦那、震え上がって金だけでなく財布や羽織まで身ぐるみ置いてきてしまったというのですが、それをネタにどんな因縁をつけられるかわからない――と、店の主人から頼まれた小吉は、囮役を買って出ることになります。
誘いに乗ったふりをして相手をさんざん脅しつけ、首尾よく奪われたものを取り戻した小吉ですが、実は……
後に『とんび侍喧嘩帳』で小吉を主人公に迎える作者ですが、本作の小吉は、いかにもバイオレンスものの主人公らしく(?)、エロにも暴力にも強い男。この辺りの描写は、正直にいって今見るとちょっと――なのですが、しかし終盤に至り、物語は全く異なる様相を呈することになります。
小吉のもとを訪ねてきた旧知の高屋彦四郎(柳亭種彦)に、今回の一件を話した小吉。しかし戻ってきた品を見た彦四郎が語るのは――まさかここに繋がるのか、という意外な真相なのです。
正直なところ真の探偵役がいきなり登場した印象はありますが(もっとも、二人の交友は勝海舟の「氷川清話」で明言されているのですが)、しかしここで描かれるある種の強い怒りは、小吉ではなく彦四郎が語るからこそ意味があるものでしょう。
その他、「汚穢屋吟味帳」は、盗みに入った家の庭に糞を垂れると捕まらないという俗信を背景に、その「遺留物」を分析したことをきっかけに起きる騒動ですが、探偵役を新内節の本家本元というべき鶴賀若狭掾(の隠居後の姿)とすることで、奇妙な題材ともども、なんともユニークな雰囲気を醸し出す作品です。
また「世田谷裁き」は、世田谷で真夜中に農家を訪れてその場で亡くなった正体不明の男の体に二つ傷があった謎を解き明かす物語ですが、探偵役が井伊家の十四男で冷や飯食いの若者・鉄三郎というのが意外性十分。彼の存在が、事件の真相と因縁を感じさせるものになっているのも、時代小説としても面白いところです。
残る二編、「深川旦那殺し」は、妾を安囲い(要するに妾の共有)している気弱な勤め人が、他の面子が次々と殺されるという事件に巻き込まれ――という物語。一方、「虎穴堂弥助」は、妻をやくざに寝取られた男が、超実戦派の武術道場で修行して復讐戦に挑むという、本書の中ではミステリ味のない異色作となっています。
どちらもあらすじを見ればわかるように、現代ものでも通じるような内容ながら、それを時代ものとして落とし込んでいるのが面白いところでしょう。
以上六編、江戸の性愛関係の著作も多い作者らしさを窺わせつつ(そして今読むと執筆年代を感じさせつつ)、アクセントの効いた物語揃いの短編集であります。
『江戸狼奇談』(永井義男 祥伝社文庫) Amazon
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