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2022.08.24

へげかもこ『ぼくの伴侶 猫と大佛次郎物語』第2巻 明るく平穏な日常生活を壊すものを乗り越えて

 大佛次郎(野尻清彦)の半生を妻と、そして猫たちの姿とともに描く漫画の第2巻、完結編であります。時代は昭和に入り、小説家として忙しい毎日を送る清彦。しかし戦争により清彦たちの日常は否応なしに変わっていくことになります。その先に彼が書くものは……

 帝大法学部在学中に出会った新進女優のトリコと恋に落ち、駆け落ち同然で結婚した野尻清彦。紆余曲折を経て移り住んだ鎌倉で大震災に遭遇し、生活のために大佛次郎のペンネームで時代小説の執筆をはじめた清彦は、鞍馬天狗の大ヒットで一躍その名を知られるようになります。
 そして初の連載小説の連載も始まり、大佛次郎としての活動も定着したところで時代は昭和に入り――ということで、「ねこぱんち」誌に連載時は「昭和編」と題されていた全六話がこの巻では収録されています。

 それぞれ昭和四年、六年、八年、十八年、十九年、二十年を舞台とする各エピソードの前半では、『鞍馬天狗』の作者として名を上げただけでなく、『ドレフェス事件』『霧笛』といった時代もの以外の作品で活躍する清彦の姿が、猫たちを交えて丹念に描かれることになります。
 この辺りのエピソードも実に面白く、かつ貴重(少なくとも漫画化されたのは初めてでは?)なのですが、さらに印象に残るのは、やはり中盤以降の太平洋戦争中の物語でしょう。


 それ以前から小説に検閲が行われ、小説が書けなくなる時代の予感を抱いていた清彦。残念ながらその予感は当たり、戦争の激化につれ、検閲どころか(ある意味物理的に)作品の発表の場所が失われていくことになります。清彦自身も視察の名目で海外の戦地に足を運ぶようになる中、残されたトリコと猫たちにも、戦争の影響は容赦なく押し寄せ……

 ここで描かれるものは、戦時中の暮らしとして、教科書等だけでなく、小説やドラマなど、これまで様々な媒体で描かれてきた――いささか妙な表現かもしれませんが――ある意味見慣れたものではあります。
 しかしそこに猫が絡んだ時、ここで描かれる戦時中の人々の姿は、一種の「知識」以上に、ごく身近な物語として、ダイレクトに胸に迫ります。(そもそも掲載誌でこの時代を舞台とした作品は極めて珍しいのではないかと感じます)

 第一巻の紹介で述べたように、本作において猫たちは「明るく幸せな日常生活」の象徴として描かれてきました。その猫に対して、供出献納の要請(という名の強制)が来るくだりは、その時のトリコの対応も含めて、強く印象に残ります。戦争が如何に平穏な日常を侵食し壊していくか――それを描いた、本作ならではのエピソードといえるでしょう。
 それでは、作家にとってこの戦争の時代に、そして戦争が終わった後の荒廃した時代に、できることはないのでしょうか。ペンは剣よりも無力なのか――確かにできることは少ないのかもしれません。しかし決して無力ではないと、最終話の清彦の姿は物語ります。

 その姿自体、戦後の大佛次郎の活動を思わせるものがあって胸に迫るのですが、何といっても圧巻は、本作のラストに清彦がトリコに見せる「最高傑作」の存在でしょう。
 いまなお愛されるこの「最高傑作」――奇しくもこの第2巻が刊行される直前に復刻されたこの物語がここで描かれるのは、本作における清彦の最愛の「伴侶」、すなわち猫たちの姿を思えば、ただ納得しかありません。まさに本作を締めるのに、完璧としかいいようのないチョイスであります。


 明るく幸せな日常に暮らす猫たちの姿を存分に描きつつ、作家としての、そして何よりも一人の人間としての野尻清彦を描いた本作。あとがきを拝見すると、全く想像もしなかったような苦労(なるほど猫漫画専門誌……)があったようですが、それを乗り越えた本作を手にすることが出来て、本当に良かった――そう思える佳品です。


『ぼくの伴侶 猫と大佛次郎物語』第2巻(へげかもこ 少年画報社ねこぱんちコミックス) Amazon

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