莫理斯『辮髪のシャーロック・ホームズ』(その三) 福邇が香港に在る意味は
19世紀末の香港を舞台に、神探福邇とその相棒・の冒険を描く『辮髪のシャーロック・ホームズ』の紹介、最終回です。清仏戦争を背景に描かれる事件の行方は……
「ベトナム語通訳」
清仏戦争が始まり、反仏感情が高まる中、やってきた依頼人・陳文礼。越南から仕事で友人の阮偉図と香港に到着したばかりの彼は、阮が失踪したので探してほしいと依頼するのですが、福邇は事件性はないとこれを断ります。
ところが翌朝その阮が現れ、本当に誘拐されていて今朝逃げ出したこと、今度は陳が失踪したと語ります。阮の証言から監禁されていた場所を割り出した福邇ですが、事件の背後に「翰林大人」なる人物がいることを知り、顔色を変えることに……
タイトルは直球で原典の「ギリシャ語通訳」をベースとしている本作ですが、かなり陰惨な内容であった原典に対し、こちらは清仏戦争を背景として、歴史ものの要素が強めのと内容となっています。
特に印象に残るのは、当時の反仏感情の高まりを背景として、昔気質の(?)愛国者である華笙が(元々態度が悪かったとはいえ)フランスのために働く陳に怒りをぶつける場面ですが――これに対して、あくまでも自分はベトナムの華僑であって清国人ではない、そもそも清が今まで先祖に何をしてくれたのか、という陳の反論の方が現代人としては腑に落ちるような気がします。国家と民族の同一視は、今も昔も変わらない問題というべきでしょうか。
さて、ミステリとしては、目隠しされた阮の証言だけで監禁場所を割り出す福邇の安楽椅子探偵ぶりが印象に残るものの、比較的小粒な印象の本作ですが、やはりメインとなるのは福邇と「翰林大人」の対峙でしょう。
はたしてこの怪人物の正体は――原典読者には一目瞭然ではありますが、レトロカンフー映画ファンには懐かしい名前が登場したり、グッとくる設定となっています。
「買弁の書記」
ジャーディン商会の買弁として活躍する何東からの依頼を受け、銅鑼湾に向かった福邇と華笙。人手不足で同じ商会の別の買弁から人を引き抜く代わりに、自分の後輩の賀を紹した何東ですが――直後、上海のデント商会から賀のもとに、倍の額で採用する代わりに他言無用という電報が来たことを知ります。
自分たちの周囲にスパイがいるのではないか、デント商会は何を企んでいるのか調査してほしいという何東の依頼を受けた福邇ですが、事態は意外な方向に……
原典の「株式仲買店員」をベースとした本作は、かなり小粒な内容ですが、実在の人物である何東を依頼人に配置しつつ、当時の発展著しい香港の経済界の状況を描くのが印象に残ります。また前話でも大きな役割を果たした――そして今なお引き継がれる――香港ならではのある行事(?)が、また異なる形で登場するのもユニークなところです。
しかし一番印象に残るのは、美味い福建料理に釣られた華笙が、福邇に散々振り回される姿でしょうか……
以上全六話、原典を巧みに翻案するだけでなく、原典を知っているからこそ驚かされるようなアレンジを加えてくる、完成度の高いパスティーシュであります。そして単純に舞台を移し替えるだけでなく、史実を踏まえ、丹念に考証を行った上で香港の地理や文化風俗を描き、それが物語に有機的に結びつく様は、歴史ものとしても見事と感じます。
そしてその香港と密接に結びつくのが、本作における福邇のキャラクターです。第五話において、それだけの才能を持ちながら清国政府に仕えないことをある人物に嘆かれた福邇は、こう答えます。
「中華と夷狄が雑居し、ヨーロッパとアジアが隣りあっているからこそ、香港が好きなのです。私がここに留まろうと決心したのは、西洋のものを中国式に役立てる香港のさまざまな制度を学び、その長所を取って短所を捨て、いつかわが国が強国となり、改革を進めるときに新しい道を開くためです」と。
著者のインタビューでも言及されているように福邇は愛国者ではありますが、この言葉のように、彼は華笙のそれとはまた異なった姿を――清国に仕えるのではなく、香港の人々を救う義侠の探偵として。
そして香港という土地――洋の東西を問わぬ多様性と可能性に満ちた地の姿が大きく変わろうとしている今、香港を愛した福邇の活躍が描かれることに、一つの意味を見出すことは、決して牽強付会ではないと感じます。
本シリーズは全四巻構想、つい先日中国で第二巻が刊行されたとのことですが――優れたパスティーシュにして歴史もの、そして香港という街の姿を描く物語のこの先を、楽しみにせずにはいられません。
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