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2022.10.04

蔵西&司馬遼太郎『ペルシャの幻術師』 幻と破滅、そして解放の物語

 司馬遼太郎のデビュー短編『ペルシャの幻術師』を、これまでチベット文化を題材とした漫画・イラストを手掛けてきた蔵西が漫画化した作品であります。ペルシャ高原の町を舞台に繰り広げられる一人の女と二人の男の奇怪な愛の物語の行方は……(物語の結末に触れますのでご注意下さい)

 1253年夏、ペルシャ高原の町・メナム――一月前にモンゴル帝国の襲来により四千人の民が虐殺されたこの町は、ペルシャ攻略を推し進める若き皇族、大鷹汗ボルトルの支配下にありました。これまで侵略してきた先を容赦なく滅ぼしてきたボルトルですが、彼がその矛先を緩めたのは、この町で絶世の美女・ナンを見初めたからに他なりません。
 蒙古軍の襲来の中で父を喪って天涯孤独となり、ボルトルの妃として宮殿に迎えられたナン。文化の香りの感じられないボルトルに強い嫌悪感を感じながらも彼を拒否するでもなく、しかし受け容れるでもない――ボルトルの純情に支えられた危うい形で、彼女は日々を漫然と送るのでした。

 そんなある日、雑踏で誰にも気付かれずに蒙古兵を殺した奇怪な男・アッサムを目撃するナル。彼が幻術師であり、何者からかボルトルの暗殺を依頼されていると知るナルですが――アッサムは宮殿に入り込んでわざと捕らえられボルトルと対面することになります。
 大胆にも、ボルトルの面前で暗殺を宣言するアッサム。自分を殺す機会がありながら、あえてその場から逃れたアッサムに、ボルトルは十日以内に自分を暗殺できぬ場合は、メナムの全住民を殺すと宣言するのでした。

 ボルトルを前にしても傲然たる態度を崩さぬアッサムに興味を抱き、密かにその棲家を訪れるナル。そこでアッサムに奇怪な術をかけられた彼女は、甘美な幻影の中の快楽に溺れるのですが……


 短編である原作を、全二巻という分量で漫画化した本作。それだけに本作は原作の内容を踏まえつつ、原作以上に丹念に13世紀のペルシャ文化圏の姿を浮かび上がらせるとともに、原作ではある意味さらりと描かれた「ペルシャの幻術師」の術の世界を、詳細に、そして幻想的に描くことになります。

 初登場シーン、ナル以外の誰にもわからぬ形で奇怪な呪圏を生み出し、蒙古兵を殺害する。ボルトルの眼前で無数の蒙古兵の前から姿を消し、次の瞬間ボルトルの胸に矢を突きつける。奇怪な芳香の精が遊ぶ幻影の花園にナルを誘い、翻弄する。そして夜毎ボルトルの宮殿に奇怪な幻影を送り込み、ボルトルを狂気に陥らせる……
 そんなアッサムの幻術が生み出すこの世ならざる世界を、本作は巧みに画に留め、現実と幻覚の境界線を彷徨うナルの姿を――そして彼女に魅せられたボルトル、そしてアッサム自身の姿をも印象的に浮かび上がらせます。


 さて、本作は原作同様に、そんな一人の美女に魅せられて破滅していく二人の男の姿を、世界史上の幻の一ページとして描く作品であることは間違いありません。しかし本作と原作を読み比べた時に明確な違いとして気付くのは、本作が同時に、ナルの解放の物語として描かれている点であります。

 先に触れたように、ボルトルのいわば駕籠の中の鳥である身を、半ば甘んじて受け入れているナル。それは彼女がそれ以外の行き場所を知らぬ――いや生き方を知らぬからにほかなりません。
 しかし、アッサムの生み出した甘美な幻夢の中で誘惑され、翻弄される彼女は、やがて変化し、ついには主客逆転して相手を翻弄するまでになります。そしてそんな幻の彼女の姿は、やがて現実のものとなっていくのです。

 そんな彼女の変化とそれが向かう先はは、本作のクライマックスでアッサムが語る、原作にない言葉の中にはっきりと浮かび上がることになります。
「そなた自身が望んで…そなたが起こしたことだ…」
「行け…行くのだ 思いのままに――」「…そなたを生きろ」
といった言葉に。

 物語の結末、「その後」の蒙古、「その後」のアッサムを描く内容は、本作と原作で異なるものではありません。しかし本作は、原作でわずか一行で済まされた「その後」のナルの姿を遠景として重ね合わせることで、本作が彼女が己を縛るもの、縛っていたと考えていたものから解放される物語であったことを示すのです。
(それは原作と異なり、アッサムの宝石を彼女が受け継いだと思しき描写にも象徴されているといえるでしょう)

 二人の男の間で翻弄されるばかりだった彼女が、一人己の足で立ってみせる――その姿には、本作が今日描かれる意味が込められていると感じるのです。


『ペルシャの幻術師』(蔵西&司馬遼太郎 文藝春秋 全2巻) 第1巻 Amazon/ 第2巻 Amazon

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