『ゴールデンカムイ』 第四十一話「シネマトグラフ」
鶴見中尉と合流するまでの間、豊原で待機することとなった一行。そこで狩りをしていた杉元とアシリパは、活動写真を撮影中の二人の男と出会う。アイヌの文化を残すために活動写真が使えないかというアシリパの発案で、アイヌの民話を撮影する一行。そして上映会でアシリパたちが見たものは……
原作第21巻の第204話から206話を題材とした今回は、第205話の冒頭にあった月島と杉元の会話が最初に移動しているほかは、原作に忠実な内容。アニメとしてのクオリティはまあ普通なのですが、元々のエピソードがおそらく原作ファンならみんな好きな、非常に良くできた内容であるため、やはりアニメで見てもグッとくるものとなっています。
アクション的には冒頭の杉元&アシリパvsウルヴァリン(しつこい)のみではありますが、メインとなるのはまさかの映画撮影エピソード。各地の文化を撮影して回っている興行主と撮影技師のコンビと出会ったアシリパが、どうすればアイヌの文化を残せるかという、かねてからの悩み(この回の冒頭でもそのことは語られるのですが)の答えになるのでは――と活動写真を撮ることになるという趣向であります。
(ここでクズリから助けた恩を強引に興行主に売りつける杉元がらしいといえばらしい)
そこでノリノリで監督役を務めるアシリパが、何故か下ネタだらけの民話ばかり題材にした上に、(特に女性役の)配役が妙なおかげで大変なことに――という辺りで、いかにも本作らしいしょうもないギャグ展開になるわけですが、その次に撮ったチカパシを主演にした物語で、来たるべき谷垣とチカパシの別れを予告するかのような展開が巧みであります(そして空からフンドシ一丁で落下する谷垣の衝撃映像で落とすのも、まためちゃくちゃ本作らしい)。
しかし今回の真骨頂はこの後、アシリパが撮影した活動写真が上映された後で、アシリパを撮影していた撮影技師が気になることがあったと十年以上前に撮ったアイヌの映像を流してみれば、そこに映っていたのは――という展開には、何度見ても唸らされます。
まあ、ウィルクはこの前に散々見ている(そしてこの後も何度か見ることになる)のでいいとして、ここで映し出されるアシリパの母は、まさに白石が言う通りの「素敵な感じのひとだなぁ」という印象で――しかしこの時代の活動写真なのであくまでも音声がないことが、はっきりと映像の中の世界と現実を切り分けて感じられるのが切ない――とどめに赤ん坊のアシリパが! という展開は、親と子の物語としての本作を、何よりも強く感じさせるものとなっていると感じます。
そしてとどめに鮮烈な退場をしたばかりのキロランケを映し出すことで、スクリーンの中で今と過去、遠い過去が交錯するという構図にもまた、歴史ものとしての本作が凝縮されているといえるでしょう。
しかし活動写真の中の母は炎の中に消え、アシリパは物で残すことそのものではなく、残したいという気持ちこそが大事であると悟る一方で、杉元はウィルクの遺したものがアシリパにとって呪いとなっていることに憤り――と、ここで描かれるものが、最後の最後まで物語を引っ張るアシリパと杉元の冒険の目的(とそれと表裏一体の屈託)を浮かび上がらせているのに、今となっては感心させられます。
基本的にギャグ回と見せかけて、実は――というのは本作にしばしばあるパターンですが、その中でもその落差の大きさと、重要性では屈指のエピソードというべきでしょうか。
しかしやくたいもないタラレバで本当に恐縮ですが、この上映会の場に鶴見中尉がいたら、大変なことになってましたな――ウィルクの顔と、彼が家族と幸せにしているところなぞ見てしまった日には、(一足早く)鶴見汁が止まらなくなっていたところでした。
『ゴールデンカムイ』第十巻(NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン Blu-rayソフト) Amazon
関連記事
『ゴールデンカムイ』 第三十七話「あばよロシア」
『ゴールデンカムイ』 第三十八話「繭」
『ゴールデンカムイ』 第三十九話「硫黄のにおい」
『ゴールデンカムイ』 第四十話「ボンボン」
野田サトル『ゴールデンカムイ』第21巻 二人の隔たり、そして二人の新たなる旅立ち
|
|
Tweet |
|
| 固定リンク
