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2022.12.17

バロネス・オルツィ『紅はこべ』 伝奇小説にして恋愛小説 彼女の揺れ動く心の行方

 18世紀末、フランス革命により貴族たちが次々とギロチンに送り込まれる中、次々と貴族たちを奪還、イギリスに亡命させる謎の一団「紅はこべ」――バロネス・オルツィによる古典的名作であります。紅はこべと、彼らを追うフランスの密偵の間に挟まれたヒロインの運命は……

 1789年、フランス革命後のロベスピエールらの恐怖政治により、貴族たちが次々とギロチンにかけられていた頃――大胆不敵にも予告状を送りつけた上で、厳重な警備をものともせず、処刑を目前とした貴族を奪還し、イギリスに亡命させる謎の一団「紅はこべ」。 今日もまんまと警備を出し抜いてトゥルネー伯爵夫人とその子供たちをパリから脱出させると、イギリスに送り届けた紅はこべですが――しかし紅はこべを捕らえることを目的として渡英した革命政府の全権大使・ショーヴランは、紅はこべの一員である貴族たちを捕らえ、紅はこべを一網打尽とすべく、陰険な罠を張り巡らせることになります。

 そしてその標的となったのは、コメディ・フランセーズの元人気女優であり、今は英国きっての伊達男・パーシー・ブレイクニー準男爵の夫人・マルグリート。最愛の兄・アルマンが、フランスの共和派でありつつつも紅はこべに協力している証拠を握られた彼女は、ショーヴランにスパイ行為を強要されることになります。兄か紅はこべか、迫られたマルグリートの選択は……


 貴族たちに容赦なくギロチンの刃を振るう革命政府に対し、一片の義侠心から貴族たちを救い、イギリスへと脱出させてのける謎のヒーロー――そんな本作の基本設定を聞けば、一大活劇が繰り広げられると思うのが自然でしょう。
 しかしその実、本作の実質的な主人公は紅はこべではなくマルグリート――そして物語の内容も、むしろ彼女の揺れ動く内面を描くものであるといえば、未読の方は驚くかもしれません。

 かつては欧州一の才女と呼ばれ、パリで一流の文化人たちが集うサロンの中心人物であったマルグリート。イギリス有数の資産家であり皇太子の友人でもあるパーシー・ブレイクニー卿と結ばれ、イギリスに渡った彼女は、英国一満たされた女性になったはずですが――しかしその実、二人の間には深い溝が存在していたのです。
 初めは確かに愛情で結ばれていたはずが、彼女の不用意な発言で、ある貴族がギロチンに送られたことを知って以来、よそよそしくなってしまったパーシー。マルグリートの方も、「救いがたき鈍物」などと呼ばれるパーシーの俗物ぶりを軽蔑するようになり、表向きには仲睦まじい二人の仲は、その実冷え切っていたのであります。

 そんな中で突然、親代わりに自分を育ててくれた兄と、その活躍に喝采を送っていた紅はこべを天秤にかけることを迫られたマルグリート。悩み苦しんだ末に、彼女は自分の中に残っていたパーシーへの愛に気づき、彼に助けを求めようとするのですが、しかし二人の絆を取り戻すには、あまりに時間が過ぎていて……

 そう、本作の前半で描かれるのは、むしろ恋愛小説と見紛う物語であります。しかし、そんなマルグリートの懊悩が、物語の後半にトゥルネー伯爵を救うべくフランスに渡った紅はこべの活躍と重なり合った時――そこで描かれるのは、彼女の愛と魂の鮮やかな復活なのであります。
(以下、物語の核心に触れますのでご注意ください)


 紅はこべの首領の正体が何者か――それはこの手の「仮面のヒーローもの」の常道からすれば言うまでもないでしょう。その意味では本作には意外性はないかもしれません。
 しかし悩んだ末に、兄のために犠牲にしようとした相手が、自分にとっては――すれ違いと(大人ならば誰しもなにがしか覚えのあるような)意地の張り合いによってその愛を失いかけていたものの――最愛の人だった、という皮肉かつ残酷な展開は、ストレートな活劇以上にエモーショナルなドラマを生み出します。

 物語の後半は、自らの過ちを悟った彼女が賢明に紅はこべの首領を救うべく奮闘する姿が描かれます。実はそれは、結果だけみれば徒労でしかないのですが――しかしそれにもにもかかわらず、いやだからこそその試みは彼女の愛を、いや彼女と彼の間の愛を甦らせ、燃え上がらせる力を持つこと、本作は説得力を持って描き出すのです。

 伝奇小説にして恋愛小説――二重の意味でのロマンスの名品である本作。それを可能としたのは作者が女性だから、というのは短絡的に過ぎるかと思いますが、この意外で、しかし複雑で豊饒な味わいは、本作独自のものであることは間違いありません。その意味では今なお古びることのない名作であります。


『紅はこべ』(バロネス・オルツィ 創元推理文庫) Amazon

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