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2022.12.30

『どろろ』 第2話「百鬼丸の巻・その二」

 芋虫のような姿で川に流されたところを医者に拾われ、体中を補うパーツを与えられた百鬼丸。謎の声から四十八の魔神のことを聞かされた百鬼丸は、医者のもとを旅立ち、琵琶法師の導きで孤児たちの暮らす寺を訪れる。そこでみおという少女の存在に安らぎを感じる百鬼丸だったが……

 百鬼丸がいきなり目玉を落としてみせるという、トラウマになりそうな場面で終わった前回を受け、百鬼丸がしつこいどろろに過去を語るという構成の今回。内容的には原作の百鬼丸の巻の後半と、法師の巻の大半が該当することになります。

 第一話の冒頭、四十八の体に奪われて芋虫のようになった赤子が流された場面から引き続き、医者に拾われた赤子は、作り物ながら体の各所を与えられ――というのは、一見原作そのままですが、しかし原作で描かれたように赤子がテレパシーや超感覚を持つという描写はないので、何だか医者がもの凄いオーバーテクノロジーを持つように見える――というのはご愛嬌。
 しかし原作では百鬼丸を狙って現れる無数の妖怪に辟易し(たこともあり)、医者が百鬼丸を旅に出したという設定だったのが、このアニメ版では、百鬼丸が何者かに四十八の魔神の存在を聞かされ――この場面自体は原作にもあるものの、順番は旅立った後なので――自分の体を取り戻すために旅立つというのはナイスアレンジでしょう。
(しかし、女性患者に化けて医者を襲った妖怪の描写は原作よりも遥かに恐ろしく、これだけでも小さい子にはトラウマになりそう……)

 そして旅立った百鬼丸は曰くありげな琵琶法師(アニメではかなりガタイが良いのが目を引きます)と出会い、自分の無力さを悟った末にみおたちの暮らす山寺へ――という辺りは、これまた原作通りなのですが、原作ではほとんど少年なのに比べ、似蛭いやニヒルな青年という線でデザインされているアニメ版の百鬼丸で、自分は何もできないと絶望するのは、いささか違和感を感じないでもありません。
 このアニメ版の百鬼丸のデザインは、様々な『どろろ』の中でも個人的には一番違和感なく感じられるものですが、それが却ってこういうこともあるのだな、と変なところで感心させられます。

 それはさておき、この先は皆の心に強烈な印象を残すみおのエピソード(ちなみに犬のノタは、みおたちに飼われていたという設定)。ある意味最大の曇り要素である「みんなにたべさせるために雑兵の陣屋へいって……」のくだりはカットされていますが、しかしだからといって結末は変わりません。みおと孤児たちを殺され、怒りに燃える百鬼丸が足軽たちを皆殺しにする中、周囲の炎にみおの姿がオーバーラップし――というのはアニメ的な表現と思ってみていたら、そのみおの姿が、紙を切るようにバラバラに切られて散っていくという演出には感心しました。

 それにしても、百鬼丸は、「現在」の時間軸では前回泥のような死霊を倒すシーンがあるものの、「過去」の時間軸では、前述の患者に化けた妖怪を除けば、初めて斬った相手が血も涙もない連中とはいえ人間たちというのは、冷静に考えてみると凄まじい話ではあります。
 もちろんこの構成も原作通り(ただし妖怪との対決場面はアニメの方が少ない)であるわけで、やはり色々な意味で凄い作品であるなあ――と再確認した次第です。そしてこれはやはり子供には辛いわいとも……


 と、今回は足軽たちを斬って呆然と立ち尽くす百鬼丸で終わり。「現在」に戻って法師の巻のラストまでやらないの!? と、前回同様、妙なところで終わるのにもどかしさを感じるのでした。


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