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2023.06.15

上田秀人『隠密鑑定秘禄 一 退き口』 最下級の幕臣、江戸城の秘奥に潜入!?

 今なお次々と新作を生み出している上田秀人の最新シリーズの一つが本作であります。徳川家斉の密命を受け、大名・幕臣の人事考課を行うことになった小人目付・射貫大伍。しかし異例の大抜擢のためには命懸けの適性試験が、そしてそれが思わぬ争いを招くことに……

 第十代将軍・家治が亡くなり、将軍位に就くことになった家斉。しかし幕府の権力は、田沼意次を追放した松平定信が掌握し、家斉個人に忠誠を誓う者はほとんどいない状況にありました。
 そんな中、将軍のみが入ることを許される御用の間の書棚で、「土芥寇讎記」なる書物を発見した家斉。何者かが二百数十名以上の大名を事細かに調べ上げた後、徳川綱吉が評価を書き加えたその書物が大名の人物考課表だと考えた家斉は、同様の調査を行うことを決意するのでした。

 かくて唯一の腹心である小笠原若狭守に対し、調査役を見つけるよう命じる家斉ですが、御広敷伊賀者は老中の走狗となり、御庭番には既に往年の実力はない状況。そんな中でふとしたことから若狭守が目を付けたのは、小人目付の射貫大伍でした。
 思いも寄らぬ声がけに戸惑ったものの、逃しては一生ない出世の機会と、これに飛びついた大伍。しかし若狭守からは、腕試しの試験として、御用の間に潜入するよう命じられるのでした。

 江戸城中奥の先にある御用の間に潜入するのはさすがに難題中の難題。しかし江戸城の抜け穴が御用の間の近くにあることを知った大伍は、知人の黒鍬者に衣装を借りて山里曲輪に潜入、見事に試練を突破するのですが……


 小人目付――目付の下役として、変事が起きた場合の対応や牢屋敷の見回り、そして目付と共に(あるいは目付に代わって)遠国御用を務めたという幕臣。しかし幕臣とはいえその禄は十五俵一人扶持、当然お目見え以下の、最低ランクのであります。
 しかし遠国御用ということは、隠密という性格もあるわけで、この伊賀者とも御庭番とも異なる立場の隠密に着目したのは、これまで様々な幕府の役職を主人公としてきた作者ならではでしょう。

 そしてもう一つ、本作の核となるのが「土芥寇讎記」というのも面白い。実在の書物ですが、しかしこれまで時代ものの題材となったことはほとんどなかったかと思います。
 さらにそこに将軍就任直後の家斉の権力基盤の弱さを結びつけ、大伍に人物考課の極秘ミッションを行わせるというアイディアは、やはりお見事というほかないでしょう。

 しかし、本作はそのプロローグということで、ミッションそのものへの着手はまだこれから。メインとなるのは、大伍の腕を見極めるための試験――そしてそこに登場するのが、本作のタイトルとなっている「退き口」であります。
 江戸城奥深くに潜入する――それもこれまで聞いたこともないような場所に――という不可能ミッションを達成するため、江戸城の退き口、すなわち非常時の抜け道を逆に辿ろうとする大伍。しかしそれが思わぬところに飛び火してしまい、敵を増やしてしまうのですから、この先が思いやられます。
(にしても、伊賀者も黒鍬者も、自分の縄張りに入った者は容赦なく殺害&証拠隠滅に走る剣呑過ぎる……)

 そしてそれがさらに、大伍が抜擢された原因でもある幕府内の権力争いに繋がり、家斉vs定信の構図に、さらに復権を図る田沼意次まで食い込んできて――と、早くも三つ巴の様相。そのおかげでラストには大伍に新たな命が――と、本来のミッションに入る前に前途多難であります。

 はたしてこの先、大伍の運命は――それはわかりませんが、無理難題を押しつける上司と、四面楚歌の状況に振り回されまくることだけは確かなのであります。


 ちなみに家斉というと、どうも中年以降のイメージが勝手にあるのですが、本作の家斉は十四、五歳。イメージとのギャップに驚かされます。


『隠密鑑定秘禄 一 退き口』(上田秀人 徳間文庫) Amazon

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