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2023年7月

2023.07.31

羽生飛鳥『揺籃の都 平家物語推理抄』

 平清盛の異母弟・平頼盛を探偵役に、平家物語の世界をミステリ仕立てに描いた『平家物語推理抄』待望の第二弾であります。平家が権力の絶頂から斜陽に向かっていく頃、福原京の清盛邸で起きた四重の怪事件を解決すべく、周囲からの疑惑の目を向けられつつも、頼盛が奮闘することになります。

 1180年、平清盛が、上皇や平家一門の反対を押し切って京から遷都を強行した福原。しかしそこでは夜毎、天狗や化鳥が出没すると噂され、さらに平家の守り神である厳島大明神が神々の議定の場から追放された夢を見たと吹聴する者まで現れるのでした。
 清盛から、その夢を見たという青侍捕縛を命じられた頼盛は、これも一族郎党のためと青侍を追うのですが――雪の日にようやく追いつめた相手は、なんと清盛の屋敷に飛び込んでしまうのでした。

 青侍を捕らえるために屋敷に入る頼盛ですが、時を同じくして、清盛の三人の息子――宗盛・知盛・重衡が、富士川の戦での大敗を報告し、都を京に戻すよう、談判しに現れます。折しも雪が強くなる中、彼ら三人と屋敷に留められた頼盛ですが、しかしその晩に怪事件が――それも幾つも起きるのでした。

 夜空を舞う巨大な化鳥、清盛の寝所から消えた平家守護の刀、そしてバラバラ死体となって発見された件の青侍――さらにその晩、屋敷に滞在していた厳島神社の幼い巫女は「神」を目撃したと語り、屋敷の厩で飼われていた猿は何者かに惨殺された姿で見つかったのです。
 この事件の数々は、青侍を捕らえ損ねたためではないかと、清盛の息子たちから敵意も露わに監視されながらも、謎を解くべく奔走する頼盛。さらに不可解な事件が発生する中、ついに頼盛がたどり着いた驚くべき真実とは……


 前作『蝶として死す』が、年代記スタイルの全五話の連作短編であったのに対し、一冊丸々一つの事件を描く長編である本作。頼盛の物語は、前作で完結してはいるのですが、本作は時系列的を前作の第二話と第三話の間に置いた、一種の語られざる物語として成立しています。

 そんな本作でまず唸らされるのは、時代設定の妙でしょう。本作の舞台となる1180年は、清盛が福原に遷都を強行し、いよいよ人心が平家から離れると同時に、以仁王の令旨によって全国の源氏が蜂起し、その一人・源頼朝と富士川で対陣した平維盛が戦わずして敗走――平家が一気に転落していく、その年なのですから。
 そしてそんな緊迫した状況下で起きるのが、よくぞここまでと言いたくなるような、奇怪かつ不可思議な事件の連続。それも探偵役である頼盛の目と鼻の先で起きた事件ばかりであります。

 そもそも頼盛は、シリーズにおいては始終微妙な立場にあります。清盛の異母弟という立場にありながらも、それ故に清盛に睨まれ、利用され、冷や飯を食らわされ――しかも母・池禅尼が頼朝を助命した過去から、源氏との内通を疑われているのです。
 そんな綱渡り状態から、いつか自由な身となってみせる=蝶になってみせるというのが頼盛の願いですが、本作で描かれる事件は、そんな彼の立場を危うくする内容であります。しかも人が良く気弱な宗盛はさておき、知盛と重衡は執拗に頼盛を疑い、口を開けば嫌みの連発。しかも清盛の家臣まで頼盛を完全に無視――と、なにもここまでと言いたくなるような冷遇が続きます。

 そんなわけでちょっと読むのが辛くなってくる本作ですが、しかし謎解きが始まれば頼盛の独壇場。四重に絡み合った怪事件を、快刀乱麻を断つがごとく(しかも知盛との推理合戦や更なる仕掛けも絡めて)解き明かしてみせる姿には、溜飲が下がります。
 そして何よりも、その謎の真相たるや――こうきたか! と唸りたくなるような巧みななものばかり。奇怪極まりない事件から、意外な、しかし論理的で必然性を持った解を導き出すのが「本格」であるとすれば、本作はまさにその名に相応しいというべきでしょう。

 しかし、本作はそれだけでは終わりません。前作の物語が、いずれも一つの真相の先に、さらに意外な思惑があったように、本作もまた、真相の先に、巨大な一つの意志の存在を描くのですから。その意思とは――「これ」にはそんな意味があったのか! と愕然とさせられるとだけ、述べておきたいと思います。


 苦闘の末に一つの謎を解き明かしても、その先で、自分をさらに上回る存在に苦汁を飲まされる頼盛。しかし彼もそれだけでは終わりません。ラストで描かれるある真実には、蝶になるまでは決して挫けることのない、彼のしたたかな強さが示されているのですから……


『揺籃の都 平家物語推理抄』(羽生飛鳥 東京創元社ミステリ・フロンティア) Amazon

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2023.07.30

東直輝『警視庁草紙 風太郎明治劇場』第11巻

 既に連載の方は先日完結しましたが、単行本の刊行は続く『警視庁草紙』。この第11巻では、実に正続合わせて足かけ5巻に渡り展開されてきた「残月剣士伝」がついに完結します。そして続いて描かれるのは「幻燈煉瓦街」――銀座煉瓦街で起きた、奇怪な密室殺人の真相とは……

 撃剣会を巡る騒動も一段落した中、その撃剣会の場で、互いに幕末に死に損ねた者同士、激しく刃を交える兵四郎と藤田。この一戦が痛み分けに終わった後、警察は撃剣会の仕掛人である加賀四人衆と謎の雲水二人組を捕らえようとするのですが――藤田の前で笠を取った雲水の一人の正体は何と!?

 というわけで、この巻の冒頭でクライマックスを迎えることとなった「続残月剣士伝」。そのラストで藤田と刃を交えるのは、これまで回想シーンで幾度かその姿を見せたあの男――ここで繰り広げられるある意味頂上決戦は、この章の結末を飾るに相応しいものであったというべきでしょう。
 兵四郎たちの仕掛けも最後の最後で功を奏して、まずは大団円であります。
(ただ、もう一人の雲水の正体の明かし方は、油戸巡査から語らせる原作の方が断然良かったかと……)


 そして河竹黙阿弥が登場する番外編兼プロローグというべき「戯作鰻遊録」を経てスタートする新章は「幻燈煉瓦街」。煉瓦街といえば、明治の銀座を飾った煉瓦街ですが、後に大正の大震災で姿を消し、今ではほんの一部のみ名残を残す幻の街。そんな街に相応しい、奇怪な物語であります。

 銀座で評判を取るのぞきからくり一座――講談師の語りに合わせて壁の穴から中を覗くと、絵芝居が見られるというこの見世物にかけられていたのは、かつて南部藩のものであった尾去沢銅山を巡る、新政府の醜聞を糾弾するかのような物語。
 そしてそれと時を同じくして、夜な夜な誰もいない銀座の路地から三味線の音がするという通報に、調査に向かった巡査たちが発見したもの――それは、のぞきからくりの会場で、首を裂いて死んでいた男の死骸だったのであります。

 しかしその場は完全な密室であったにもかかわらず、巡査たちが踏み込む直前までそこから響いていたのは三味線の音。さらに死体は死後数日経ったものであったにも関わらず、事前に死体を運び込んだ様子もなく、また初めからそこに置いておこうにも、場所は衆人が覗き込むのぞきからくり――しかもからくり師一座にはアリバイがあったたというではありませんか。

 そしてこの奇怪な密室殺人をさらにややこしくさせるのは、死んでいたのが、当の尾去沢銅山を南部藩から「買い取った」男であったことであります。かくてこの男のバックにいた人物、元・大蔵大輔の井上馨が川路大警視のもとに怒鳴り込み……


 と、密室殺人+明治政府の高官の醜聞という実に『警視庁草紙』らしい、というより山風明治ものらしい展開となってきたこのエピソード。この巻に収録されているのはその前半部分ということもあり、謎と問題の提示編という印象ですが、さて、ここからどのように展開していくのか。
 そしてこのエピソードの次に待つのは最終章(!)と、いよいよ終わりが見えてきましたが、もちろん最後まで見届けたいと思います。


『警視庁草紙 風太郎明治劇場』第11巻(東直輝 講談社モーニングコミックス) Amazon

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2023.07.29

出口真人『前田慶次かぶき旅』第13巻

 いよいよ豊前細川家での物語もクライマックス――徳川の忍びに操られ、慶次の命を狙う細川忠興と、罠と承知しつつ中津城に向かう慶次と、激突待ったなしであります。しかしついに対面した時そこで繰り広げられるのは何と……

 九州を気ままにかぶいて回る慶次の次なる目的地は豊前。この地を治める細川忠興の亡き妻・ガラシャに「会う」ためにやって来た慶次は、忠興の弟・興元と共に、在りし日のガラシャを偲びます。
 しかし家康直轄の伊賀の忍び集団「伊賀の影組」の鬼鴉は、忠興を操って慶次抹殺を画策。疋田陰流の達人たちをはじめ、城兵こぞって待ち受ける中津城に招かれた慶次は、罠があることなど承知の上で、その招きを受けて……

 というわけで、いよいよこの巻では、慶次が忠興のもとに乗り込むことになりますが――心配しているのは権一だけ、あとの面子は、そしてもちろん慶次本人も全く気にかけていないのはいつも通りであります。(権一はいいかげん学習すべきだと思う)
 しかしもちろん、友の危機を放っておく仲間たちではありません。疋田陰流の剣士たちが慶次を狙うのであればと、剣士連が根本から絶とうとすれば、興元は自らが通行証兼盾代わりとなって慶次と行動を共に――と、それぞれ平然と命がけの行動に出るのが痛快であります。

 さて、いよいよ忠興と直接対面する慶次ですが、もはや顔を合わせた時点で勝負あり。ここから処刑タイム(もちろん処刑されるのは忠興)かと思いきや――ガラシャを偲びに来たという慶次の笑顔が、忠興を一発でいい漢に変えてしまいます。

 しかしそこから始まった細川ガラシャ偲び語りで、ふらりとやって来た細川幽斎が、興元もガラシャに惚れていたと何の気なしにバラしてしまったからさあ大変。嫉妬深さでは有名な忠興の前でそんな話をしたら――かくてここで繰り広げられるのは、なんと忠興と興元の兄弟喧嘩!
 しかし「天下一の短気者」とその弟が、一人の女性――しかも既にこの世にない――を挟んで喧嘩を始めたら惨劇の予感しかしませんが、しかし大の男のみっともない意地の張り合いが、逆に不思議な感動を呼ぶのです。

 何よりも、ここでのみっともなさすぎる、しかしそれだけに真情溢れる忠興の姿が実にいい。
 思えば、かつて慶次を描いた漫画は、狭量な男が、時に身も世もなく大泣きする姿を描き、しかしそれがみっともなさでなく、不思議な爽やかさと解放感を感じさせてくれました。本作もまた、慶次を描く漫画として、その点は同様と感じます。

 そしてこの兄弟喧嘩の勝者は――粋な結末にこちらもニッコリ、豊前編も大団円であります。


 そしてこの巻のラストで描かれるのは、豊前編のエピローグにして、次章のプロローグというべき物語であります。
 慶次暗殺の企てに失敗したものの、もちろんあきらめることなどなく、慶次を付け狙う鬼鴉。慶次が仲間たちと離れ、一人佐々木小次郎の道場に居候していることを知り、鬼鴉は襲撃を企てるのですが……

 その顛末は言うまでもないとして、そこに駆けつけた男、慶次が待っていたその人物とは――ここでこうくるか、と言いたくなるようなあの男!
 まさか、というのもなんですが、ある意味慶次の友としては原点のようなこの男の登場は嬉しいサプライズ。これは慶次の次なる目的地でも、賑やかなことになりそうです。
(しかしちらりと出てきたもう一人の懐かしい男、あのキャラデザインのままなのはアリなのかしら……)


『前田慶次かぶき旅』第13巻(出口真人&原哲夫・堀江信彦 徳間書店ゼノンコミックス) Amazon

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2023.07.28

『アンデッドガール・マーダーファルス』 第4話「真打登場」

 ゴダール卿をはじめ、城の人々を集めて謎解きを始める鴉夜。鴉夜の感じた七つの疑問の答えが示される時、意外なトリックと犯人の正体が明らかになるが――鴉夜に襲いかかる真犯人を、津軽が阻む。「真打登場だ」という鴉夜の言葉通り、津軽の力が発揮される……

 「吸血鬼」のエピソードもこの三話目でラスト、いよいよ解決編です。アバンタイトルの時点から、鴉夜が関係者を一堂に集め、まさに「名探偵、皆を集めてさてといい」を地でいくような展開であります。
 ということは、基本的にひたすら鴉夜が語りまくることになりますが、この辺りを如何に飽きさせずに見せるかは、アニメ化の腕の見せ所。ある種の図解(例えば館内での事件発生時の住人の位置関係など実に面白い)として見せたり、カット割りの面白さで見せるなど、これまでも回で見せたセンスはもちろん健在であります。

 尤も原作に比べると、実はかなり台詞や説明はカットされているのですが、その辺りを可能な限り不自然さを感じさせないように刈り込んでいるのもさすがというべきでしょう。とはいえ、さすがに説明があまり長く続くのは、見ていて少々苦しく感じたのもまた事実ですが……
(また、第二話でわざわざ言及された、死体の傷の左側の方に出血が少なかった理由について説明されなかったのはいかがなものかな、とは思います。映像を見ればなんとなくわかるものの……)

 かくて理路整然と一つ一つ謎を解き明かしてみせる鴉夜によって、特定された犯人。しかしもちろん犯人が黙っているはずもなく、鴉夜の口を封じんと――と、もちろん鴉夜のお供も黙っているはずがありません。ここでタイトル通りの「真打登場」であります。

 この解決編の見所の一つが鴉夜の推理であることは間違いありませんが、もう一つはこの津軽の暴れっぷり。彼が化け物を素手で殺せるほどの、人並み外れた戦闘能力の持ち主であることは、既に第一話で示されましたが、しかし異国の怪物――それも王を名乗る者に通じるか? というこちらの疑問と期待にきっちり応えるのはさすが真打というべきか、人外相手に空中コンボを決めたりやりたい放題であります。
 別に戦闘モードだからといって真剣になったりするわけでもなく、ただ上着や手袋、靴を脱いだほかは、いつものヘラッとした態度のままで凄まじい暴力を決めてみせる津軽。それが彼の実力と異常性を際立たせますが、その最たるものが、相手を叩きのめしながらの長口上であります。あたかも彼が居た見世物小屋のそれのように長弁舌を振るう様は、今回のクライマックスといってもよいでしょう。

 が、実は残念だったのは、この長口上に合わせてのバイオレンスで――原作では上段に口上、下段に津軽が一方的に相手を叩きのめす様が描かれ、それが同時進行するという異常さを見せてくれたのですが(電子書籍では段組みが崩れないように画像ファイルで収録)、これをアニメでは如何に再現するのか!? と思いきや、口上の内容の映像化に集中してしまったのがちょっと拍子抜けでした。
 もちろん映像的には楽しく(原作第四巻を読んでいるとちょっと感慨深いカットもあって)巧みなのですが、津軽の振るう暴力が直接描かれなかったために、色々な意味で案外あっさりやられたな? という印象になってしまったのは勿体ないと思います。
(この最中のゴダール卿たちの反応については、違和感を感じる方はいるかもしれませんが、これはこれでリアルだとは感じます)


 などと、前半後半とも、いささか期待が大きすぎたかな、という印象はあるものの、それでもやはりこの作品の、このアニメ版の冒頭を飾るエピソードとして、魅力的な内容であったことは間違いありません。一度聞いたらゴダール卿の名前は決して頭から離れなくなる、あの恐るべき結末もきっちり再現されていましたし……

(といいつつ、あの人物が親和派のゴダール卿をわざわざ誘いに来るというのは、敵の陣容的にもいささか不自然ではなかったかな、と感じます。このアニメ版では、ゴダール卿とあの吸血鬼との因縁は語られてはいないとはいえ……)


『アンデッドガール・マーダーファルス』Blu-ray BOX(Happinet) Amazon

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青崎有吾『アンデッドガール・マーダーファルス 1』 二重の怪物探偵が挑むクロスオーバーミステリ

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2023.07.27

ジェイムズ・ラヴグローヴ『シャーロック・ホームズとミスカトニックの怪』(その二)

 シャーロック・ホームズがクトゥルー神話の邪神たちに挑む「クトゥルー・ケースブック」第二弾の紹介の後編であります。奇怪な精神病患者の行方を追うホームズが知る、戦慄すべき物語とは……

 前作にはない、しかしホームズものとしての本作の大きな特徴――それは聖典でも『緋色の研究』『四つの署名』『恐怖の谷』と、長編四作のうち三作がそうであったように、現在の物語と、その現在の原因であり事件の動機である、過去の物語の二部構成となっていることであります。
 そう、ある状況で、ホームズたちが手にした日記。そこに綴られていたのは、彼らが探していた精神病患者と思われる、科学者ザカライア・コンロイの過去の物語だったのです

 ボストンの旧家に生まれ、優れた兄への劣等感に苛まれてきたコンロイ。しかし彼には脳医学に際だった才能があり、ミスカトニック大学に特待生として迎えられます。
 そこで彼を待っていたのは、るホウェイトリー家の青年ナサニエル。ホウェイトリーに魅了されたコンロイは、学内では問題児として知られる彼と始終行動を共にするようになり、やがてそれは周囲からの白眼視を招くことになります。

 そしてホウェイトリーに唆され、コンロイが行った実験――それは、生物の脳内のある物質を抽出し、他の生物に注入することで、意識を移し替えることができるというものでした。実験は成功し、サルにオウムの意識を移植したコンロイですが、それが露見したことにより、彼はは大学から放逐されることになるのでした。
 絶望に暮れるコンロイに対し、外輪船によるミスカトニック川上流の探検計画を持ちかけるホウェイトリー。従来の生態系とは異なる奇怪な生物たちが潜む地域を探検し、生物学の常識を塗り替える貴重なサンプルを持ち帰る――そんな計画に魅せられたコンロイは、探検に参加することを決意します。それが自分たちの運命を決定的に変えてしまうとも知らずに……


 本作のタイトルに冠されている「ミスカトニック」――クトゥルー神話ファンにとっては、言うまでもなくアーカムのミスカトニック大学が連想されますが、本作においては、(大学の名称の由来となったという)ミスカトニック川が、第二部の主要な舞台となります。「あの」ホウェイトリー家の人間の甘言で人生を狂わせた若き学究が、ミスカトニック川での探検でさらなる地獄に踏み込む――この第二部では、その様が、克明に描かれるのであります。

 そもそも、神話的存在と遭遇して惨劇に見舞われる秘境探検というのは、クトゥルーものの一典型という印象がありますが、本作はその舞台を、遠い異国ではなく、ある意味馴染み深いアーカム近くの地に設定しているのが面白い。そこで描かれる人々や風物には、古きアメリカの暗黒面と言いたくなるような何とも厭な感触で、クトゥルー的、というよりラヴクラフト的テイストが感じられます。
 そしてそれが縦糸だとすれば、横糸として存在するのがコンロイの禁断の研究であります。彼が「頭蓋間認知移動」と呼ぶそれは、いわゆる「脳交換」という如何にもパルプホラー的な題材をアップデートしたものといえますが、それがこの探検行と結びつくことで、更なる地獄を生み出すことになるのが実に素晴らしいところです。

 正直なところ初めは、折角の長編なのだから、過去の因縁よりも、よりスケールの大きな現在のホームズの活躍を描いてもらいたい――などと思っておりました(正直なところ、個人的に聖典の長編では『バスカヴィル家の犬』が一番好きということもあり……)
 しかし実際に読んでみれば、約束された悲劇に向かってグイグイと引っ張っていくストーリーテリングといい、描かれる事件のおぞましさといい、怪奇SFとしての完成度に驚かされた次第です。


 そして過去の物語と現在の物語が結びつき、大団円を迎えるのですが――正直なことをいえば、ここに来て少々トーンダウンしたように感じられるのが残念なところではあります。しかもその原因が、あまりに邪神の存在によるところが大きいというのがまた……(ある意味最大の謎でありトリックの真相があれというのはちょっと)
 実はこの事件自体が――という仕掛けは面白いものの、相手のスケールを考えれば、些か迂遠に感じられるところでもあります。

 こうした点はあるものの、ホームズがその内心の葛藤に打ち勝ち、「帰還」を果たすのはやはり嬉しいところで、直球と変化球を巧みに織り交ぜたパスティーシュとして、楽しめる作品であったことは間違いありません。
 本作は「クトゥルー・ケースブック」シリーズ三部作の二作目ですが、第三作目の邦訳も決まっている様子。はたして如何なる結末を迎えるのか、今から楽しみであります。


『シャーロック・ホームズとミスカトニックの怪』(ジェイムズ・ラヴグローヴ ハヤカワ文庫FT) Amazon

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2023.07.26

ジェイムズ・ラヴグローヴ『シャーロック・ホームズとミスカトニックの怪』(その一)

 シャーロック・ホームズとクトゥルーという禁断の取り合わせを描く「クトゥルー・ケースブック」シリーズ、待望の第二弾です。前作から十五年、邪神たちと戦いを繰り広げるホームズたちの前に現れるのは、ルルイエ語を理解する奇怪な精神病患者。その正体を追う二人が知った、戦慄の真実とは……

 クトゥルー神話の邪神たちの存在を知ったホームズとワトスンが、人知れぬ戦いを始めてから十五年。今日もロンドンの地下鉄で危険な怪物を命懸けで倒した二人は、同じく邪神と戦う仲間であるグレグスンから、王立ベスレム病院に入院した精神病患者が、独房の壁や床に奇妙な文字を描いていると聞き、早速訪ねることになります。
 はたして、左半面に惨たらしい傷を負い、左手首のないその患者が、ルルイエ語で「ルルイログ」なる言葉を記しているのを目の当たりにしたホームズ。彼は患者のしゃべり方や手の特徴から、ボストンの上流階級出身の科学者であると推理し、それを手がかりに、患者の身元調査を始めるのでした。

 その結果、ボストン近くのミスカトニック大学の科学者、ナサニエル・ホウェイトリーが、ロンドンにいることを突き止めたホームズですが、ホウェイトリーは先週から消息不明。その一方で、かつてホウェイトリーが行ったミスカトニック川上流の探検で、同行した学者、ザカライア・コンロイが、先住民によって一生残る傷を負わされていたと知るのでした。

 あの患者こそコンロイではないかと考える二人ですが、その矢先、コンロイは病院から何者かに連れ去られて姿を消すことになります。あらゆる手立てを用いてコンロイを追った二人は、ついに彼が連れ去られたと思しき地に踏み込むのですが……


 前作『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』で、人知を超えた邪神が虎視眈々とこの世界を狙い、それを手助けする邪悪な人間や怪物たちが存在すると知ったホームズとワトスン。以来、邪神ハンターとして活動することになった二人は、肉体と精神を危険に晒す戦いを続けることとなりました。
 そして我々がよく知るシャーロック・ホームズの物語は、実はこの戦いの真実を隠すため、ワトスンが創作したものであった――という、一種のコペルニクス的転回が、本シリーズの基本設定であります。

 結局ワトスンによるホームズ物語は大ヒット、その収入が(探偵活動はほとんど行っていないので)実質無収入のホームズを助けている――と、作中ではなんとも皮肉な状況ですが、その葛藤からホームズが作中の自分を「殺す」ことを強く希望し、『最後の事件』が執筆されたという設定の本作。
 いわば大空白時代を舞台とした物語ですが、しかし「現実」にはホームズは「生き」ているという、ホームズパスティーシュの中でもかなりユニークな状況にあります。

 さて、そんな状況下で展開する本作は、始まりの物語であった前作を遥かに上回る量の聖典パロディが、序文の時点からふんだんに盛り込まれた作品となっています。
 カドガン・ウェスト青年は誰に殺されたのか。アグラの秘宝の恐るべき正体とは。あの魔犬との戦いの行方は。ホームズが瀕死となった理由とは。そしてベーカー街イレギュラーズの真の姿とは。なるほど、お馴染みの事件や事物も、神話的に解釈するとこうなるのか、と驚くばかりであります。もちろん生真面目なファンは怒り出すかもしれませんが、そこまでやってこその本作でしょう。
(ただ、個人的にはメアリー夫人の××はやり過ぎかと……)

 そんな、時にエキセントリックなまでの題材を投じつつも、おっと思わされるのは、ホームズとワトスンの微妙な関係性でしょう。
 先に触れた通り、終わりなき戦いに倦み、経済的にワトスンの世話になっていることに忸怩たる思いを抱くホームズ。作家としての自分の活動がもたらした結果に責任を感じつつも、ホームズの態度にも釈然としないものを感じるワトスン――ここで描かれる二人の姿は、もちろん本作ならではのものでありながらも、しかし聖典で描かれるそれを、より先鋭化した、まさにパロディだから描ける本質というものを感じさせます。


 さて、ここまで聖典と比較した本作について触れてきましたが、本作には前作にはない――そしてこれもホームズものならではの――大きな特徴があります。

 その特徴とは――長くなりますので、次回に続きます。


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2023.07.25

久正人『カムヤライド』第9巻 五対五の総力戦 人間対天津神!

 ついに始まった三大ヒーローと五大怪人の決戦。人間と天津神、それぞれ最強のメンバーが目まぐるしく激突する死闘が繰り広げられます。そんな中、ヤマトから因縁の続くカムヤライドとアマツ・ノリット、神薙剣とアマツ・ミラールの対決に、ついに終止符が打たれることに……

 ヤマトタケルの身に宿るニ=ギの力を求めて天津神たちが動き出したとも知らず、封印された国津神を求めてモンコを追うヤマトタケルたちですが、当のモンコは――何故か「殖す葬る(ブエスボウル)」をプレイ中。
 しかもその中には大王の密偵・タケゥチ、そして当の天津神の一人、コヤネことアマツ・ノリットが――と、前巻ではある意味大波乱の展開が繰り広げられました。

 しかしそこにさらに天津神勢揃い、そしてヤマトタケル=神薙剣、オトタチバナ・メタルまで加わっての人間と天津神の頂上決戦が、この巻では一巻まるごと使って描かれることになります。

 相変わらずパワフルなオトタチバナはもちろんのこと、国津神埴輪を吸収してモードチェンジ(音声付き)を見せる神薙剣、そして新たなる力・推音速狗を手にしたカムヤライドと、頼もしい三大ヒーローですが、しかし敵は五人であります。
 一人ひとりの力がほぼ拮抗しているこの状況下では、人数の差が、大きな戦力差を生むことになります。現にオトタチバナが二人の天津神を相手にして大変な状況になっている中、人間側は……

 と、ここで揃い踏みするのは、(前巻の天津神五人と対になるような形で)本書の表紙に描かれた人間側の戦士五人。カムヤライド、オトタチバナ・メタル、神薙剣、そしてノツチとタケゥチ――錚々たる面々ですが、しかしノツチ師匠は前巻で国津神に轢かれて大ダメージ、タケゥチも凄まじい体術の遣い手であるものの、神相手にはそれが通じるのか?

 などと思ってしまいますが、しかし蓋を開けてみれば、それぞれが自分の持ち味を存分に発揮して大活躍。特にタケゥチは、人間vs人外のバトルを愛する者であれば、誰もが大興奮間違いなしの姿を見せてくれるのですから、もう拍手喝采するしかありません。


 そしてそんな総力戦の中でも最も盛り上がるのが、カムヤライド=モンコvsアマツ・ノリット、神薙剣=ヤマトタケルvsアマツ・ミラールの二組の戦いであることは間違いありません。この二組はヤマトで戦った時からの因縁の顔合わせ、それぞれの戦士が再戦に燃えていることは間違いありません(ヤマトタケルも、まあ、たぶん……)

 特にカムヤライドとアマツ・ノリットは、かたやノリットの超音速弾に対抗するために超マシン・推音速狗を編み出した(?)一方で、万事に無関心だったノリット=コヤネも、殖す葬るでそうとは知らずモンコから全力プレイの楽しさを教えられて、文字通り開眼。
 互いが互いの力を引き出しての激闘は、内容の点でも描写の面でも、本作でも屈指の名勝負と呼ぶべきでしょう。

 しかし人間側に追い込まれた末に、ノリットは、そしてミラールは、己の全力のさらにその先を引き出すために、意外な行動に出ることになります。それは平たく言えばモードチェンジではあるのですが――しかしそれは決して後には戻れない変化であり、そして支えるのは、宿敵に勝ちたい、乗り越えたいという熱い想いであります。
 そんな姿は、二人が単なる怪人でも「神」でもなく、確かに熱い情を、心を持った「人」であることを確かに感じさせてくれます。そしてそれは、ノリットとミラールだけのものではないことは、これまで戦いの場においても慇懃な態度を崩さなかったウズメの姿を見ても明らかでしょう。
(ちなみに連載時は、仲間のピンチに相手の変身後の名前を呼んでいたウズメが、単行本では変身前の名を呼んでいるのが熱い!)


 しかしヒーローたちも負けるわけにはいきません。全力を超える力を発揮する敵をさらに超えるため、カムヤライドが、神薙剣が見せたものは――彼らのこれまでの旅の集大成であると同時に、彼ら二人の絆を感じさせるものであるのは、もう心憎いという言葉以外浮かびません。
(それはまた、今は人形同然のヤマトタケルに対する、一つの希望だとも信じたいのですが……)

 それぞれが全力を超えた五対五決戦もいよいよ終局を迎える中、その先に待つものが何か――それはまだわかりませんが、この決戦を上回るクライマックスなのでしょう。全く先が読めないだけに、期待はさらに高まります。


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2023.07.24

『るろうに剣心』 第三話「活心流・再始動」

 剣心の姿に心を動かされ、スリから足を洗う決意をした弥彦は、ヤクザへの上納金を断り袋叩きにあう。しかしそこに現れた剣心はヤクザたちを圧倒、弥彦は神谷道場に身を置くことになる。薫に反抗的な態度を示す弥彦だが、そこにかつての道場の門弟たちが、菱万愚連隊に追われて逃げ込んできて……

 前回は「東京府士族・明神弥彦」というタイトルながら、ほとんど冒頭とラストのみの登場で続く、となって驚きましたが、今回は前半で原作第三幕の弥彦のエピソードの残りを、後半で続く第四幕の内容を描くスタイルとなります。

 その前回、剣客警官隊の横暴から町の人々を守るために立ち上がった剣心の姿を目の当たりにし、そこに自らの理想とする「士族」の姿を見たのか、ヤクザに逆らった弥彦。しかしそのために子分もドン引きの制裁を受け――というところから始まる今回ですが、彰義隊に加わったという弥彦の父の後ろ姿が描かれたほかは、基本的に原作とほぼ同じ。
 集英組組長の下品な刺身の食い方も同じで、当然ながら弥彦が人斬りヤクザに文字通り噛み付いたり、そのヤクザが天井アッパーでめり込んだりというところも(ビジュアル的にはアニメのほうが痛そうであるものの)ほとんど同じでしたが、剣心が瞳孔小さくした人殺しの目で凄むシーンは、今のビジュアルになっていたのは、これはまあ仕方ないでしょう。

 そして自らの弱さに悔し涙を流す弥彦を、神谷道場に放り込む剣心ですが――しかし居候とはいえ剣心を家事全般にこき使う薫も薫ですが、入門希望者をあっさり追い払ったり、弥彦を勝手に連れてきたりと、剣心も剣心で、結婚生活は大丈夫だったのかしらん、と随分先のことを心配してしまったり――それで弥彦が素直に入門するはずもなく、散々反抗的な態度を取っていたところに、かつての門下生二人が菱万愚連隊に追われてきて、というところで今回と同じサブタイトルの原作第四幕の内容に突入であります。

 こちらも驚くほど原作通りの内容ですが、菱卍愚連隊だったのが菱万愚連隊になっているのは、色々とややこしいアレコレがあるということなのでしょう。一方、道場に逃げ込んできた元門弟を追いかけてきた愚連隊の二人を薫が竹刀で倒す場面は、原作では交錯した一瞬で倒すという中抜きの描写だったのが、きちんと剣術をしていたのは、好印象であります。
 また愚連隊の隊長・蜂須賀を演じた檜山修之は、熱血系だけでなく様々な役柄もこなす芸達者な声優らしいところをみせて、ヒャッハー系の暴力男を実に楽しそうに好演。特に、頼みの木砲の砲撃を剣心に切払いされて退却する時の腰砕けっぷりは、絶品であったかと思います。
(どうも本作は、メインは比較的若い声優、脇はベテランという配置なのか、第一話の比留間兄弟も、出番は少なくとも印象的でありました)

 と、原作との違いばかり触れてしまいましたが、改めてこのエピソードを観ると、事件の元凶である元門下生たちに、もう二度とここには近寄らず、剣にも手を出すなと抜刀斎がまだ残った顔で語った後で、誠意を尽くしても通じない相手はいると薫に語りかける剣心の姿が――幕末生き残りのシビアな人間観が窺える気がして――印象に残ります。
 もっともそれに対して、弥彦が薫に(道場に一礼して入るシーンはナイスアレンジ)弟子入りすることで、剣心の言葉に対する「現在」の人間からの返答となっているのは、この時点で、物語の一つの帰結である「弥彦の逆刃刀」での弥彦の姿が予告されていたようで――というのはもちろん後付けの感想なのですが――興味深いものがあります。


 さて、エンディングのキャストで、本編に出ていないはずの男がいると思いきや、Cパートでついに左之助が登場。原作同様、喧嘩相手を軽々とぶちのめしての顔見せですが――ここでぶちのめされているのが蜂須賀。またお前かい! と思わずツッコんでしまう再登場でありました。


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関連サイト
公式サイト

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『るろうに剣心』 第二話「東京府士族・明神弥彦」

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2023.07.23

梶川卓郎『信長のシェフ』第35巻 動くか秀吉 ケンと勘兵衛の和睦交渉

 ついに本能寺に向け動き出した光秀。光秀の真意を悟り、止めるために奔走するケンと、ケンが己の意図を察知したことに気付き、阻もうとする光秀の、静かな攻防戦が始まります。そしてケンは、高松城を攻略中の秀吉に全てを打ち明け、協力を仰ぐのですが――いよいよ歴史が動き始めます。

 本能寺の変を未然に防ぐため、最後の現代人・望月に会いに土佐に渡ったケン。望月との再会には意味は(今のところ)ありませんでしたが、しかしそこでの経験から、初めてケンは光秀が信長弑逆に至る思考を理解することになります。
 そして光秀を阻むべく、ただ一人動き始めるケン。自分が京に戻るまでに、何とか信長に事態を知らせようとするケンですが、しかし相手は屈指の智将・光秀であります。逆にケンが謀反を察知したことを悟った彼は、ケンを阻むべく、様々な布石を打ち……

 と、ケンと光秀の水面下の戦いが始まった本能寺の変前哨戦。しかし既に一大軍団を擁している光秀に対しては、ケンは分が悪いとしか言いようがありません。ここでケンが頼ることとしたのは――秀吉。
 考えてみれば、この後の歴史を鑑みてだけでなく、ケンがこの時代に現れた直後からの付き合いである秀吉はこの事態を――そしてそれを知るケンの正体を明かすのに、最も相応しい人物というべきでしょう。

 もちろん、話したとしてもすんなりとはいかないものの、秀吉もただものではありません。かつて信長が語った天下布武後の計画を思い出し、光秀が十分に謀反を行う可能性があると理解した彼は、ケンの言を容れ、京への帰還を決意します。いわば史実よりも早い中国大返し――ここに歴史は大きく変わることになりますが、しかし問題があります。

 そもそもこの時秀吉は、毛利の備中高松城を攻略中。史実では、高松城を挟んで膠着状態が続き、その打開策という形で毛利と和睦し、大返しを行ったわけですが――史実より早いこのタイミングでは和睦を結ぶのは難しい。それでも待ってはおれぬと秀吉が撤退を開始したため、毛利側が勢いづいてしまったのであります。

 ここで毛利の追撃を阻むよう命じられたのはケンと黒田官兵衛のコンビ――これまで作中で顔見せはしていましたが、ケンとは初対面の官兵衛。はじめはケンを胡散臭いヤツと信用せず――と何だか懐かしいノリであります。
 それでも何とか毛利方との、停戦交渉に持ち込むケンですが、しかし相手は毛利の心とも称される難物・小早川隆景。これに対してケンが繰り出したのは――お弁当!?

 と、最近は状況に流されていた感もあったものの、ついに自分の意志で歴史を動かし始めたケン。そしてこの備中高松城での和睦交渉も、初期のノリを思わせる、思いも寄らぬ料理とそれを食べる人間の情(そして歴史秘話と言いたくなるような意外な展開)が絡み合って実に楽しく、この巻のクライマックスといってよいでしょう。
(撤退開始前に、密かに用意していたFSRを秀吉に差し出すのも、その用途も相まってシビレます)


 しかし、如何に一つの局面を打開したとしても、変えなければいけないのは歴史の巨大な流れ。いやそれ以前に、直接の相手はあの光秀であります。秀吉を動かしただけでなく、様々な形で信長に急を知らせ、光秀を阻もうとするケンですが、もちろん光秀が黙っているはずもありません。
 ここに繰り広げられるのは、ケンと光秀の頭脳戦とでもいうべき展開。備中で再会した楓を進物の使者に仕立てて京に送るケンですが、光秀は家康警護を口実に京の守りを固め――と、丁々発止の駆け引きがたまりません。

 そしてここで久々に登場した楓ですが――織田家の忍びである彼女も、ケンとは長いつきあいであります。そしてケンには複雑な感情を抱いてきた楓ですが――ここにきて彼女のケンに対する想いが、改めてクローズアップされることになります。
 この辺り、物語も終わりに近づいているのだな、と感慨深くなりますが、そんなこちらの感慨を(そして楓の想いを)ブチ壊すように「やはり贈り物といえば○○だと思うんです」とか言い出すケンは、最後の最後まで変わらないような気が……

 それはさておき、この先も続くケンと光秀の頭脳戦の中で、楓の役割はまだある様子。いよいよ本能寺目前、次巻も波乱の予感です。


『信長のシェフ』第35巻(梶川卓郎 芳文社コミックス) Amazon

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 梶川卓郎『信長のシェフ』第32巻 武田家滅亡 松姫の答え、勝頼の答え
 梶川卓郎『信長のシェフ』第33巻 対面! 最後の現代人
 梶川卓郎『信長のシェフ』第34巻 ついにわかった犯人と動機!? ケンと光秀の攻防始まる

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2023.07.22

小田桐道明『本阿弥名刀秘録』

 今なお刀剣人気は衰えませんが、本作は豊臣秀吉が天下人となった頃を舞台に、名刀の鑑定で知られた本阿弥光徳を通じて、歴史に名を残す様々な名刀と、それを巡るドラマを描く連作であります。武士の在り方が変わっていく中、名刀の在り方もまた……

 足利尊氏以来、足利将軍の同朋衆として仕え、刀剣の研磨や手入れそして鑑定を生業としてきた本阿弥家。それから二百数十年後、足利幕府は滅びましたが、天下人となった豊臣秀吉に本阿弥家九代光徳が重用され、光徳は本阿弥家中興の祖といわれることになります。

 本作はその光徳が豊臣家の御刀役として名刀と相対する姿を、そしてその名刀にまつわる様々なドラマを描いた全八話の連作であります。

 ある日、秀吉に呼び出され、京の聚楽第に向かった光徳。そこで彼は、秀吉が弟の秀長から献上されたという藤四郎吉光を見せられるのですが――しかしその秀吉の言葉に対し、研ぎが甘く吉光であるかはわからないと反論し、不興を被るのでした。
 その場は千利休に取りなされた(利休から時流を弁えろと窘められるのが何とも皮肉)光徳ですが、刀剣に対する己の目と感覚は裏切れません。命がかかっていることを承知で、刀を研いだ末に光徳が見たものは……

 この序章が一つのパターンとなっているように、本作の物語は、光徳と秀吉の対峙が基本となります。自らも刀を愛するものの、伝統や故事来歴には無頓着、傲岸不遜に振る舞う天下人・秀吉と、彼に仕える一介の御刀役でありながらも、本阿弥家の誇りにかけて、阿諛追従で己を曲げることができない光徳――そんな二人の緊張感に満ちたドラマの中で、数々の名刀の姿が描かれるのです。

その中で描かれる名刀(各話のサブタイトルでもあります)は以下の通り――
 鬼丸国綱
 童子切安綱
 伝光代
 一期一振
 小烏丸
 蕨手刀子
 本庄正宗

 盗掘にあった古墳近くから上古の刀を光徳が見つけ、研いでみれば――という異色作「蕨手刀子」を除けば、いずれもなるほど、と納得するほかないラインナップであります。

 各話のクライマックス(?)は、これら名刀の詳細な図解なのですが、そこに至るまでに、刀の来歴と、そこに絡められた光徳と秀吉のドラマが織り込まれ、各話の分量は決して多いわけではありませんが、重厚な読み応えを感じさせます。


 そして本作のユニークな点は、名刀を描くのと当時に、それと照らして天下人・秀吉の姿を、そしてこの時代の武士の姿を描いている点でしょう。

 天下人としてもはや向かうところ敵なし、一期一振を磨り上げさせたり、古備前の刀を勝手に小烏丸と呼んだりとやりたい放題の秀吉。しかしそんな秀吉でも、油断ならぬ東海の雄・家康や、伝統を背景に陰で嘲笑う公家たちとの関係に頭を悩ます姿が、本作では描かれます。
 そして天下人といっても彼も人間――幼くして病に倒れた子・鶴松への想いは、他の親と変わるところではありません。特にここで病気平癒のため、光徳の守り刀である蕨手刀子を借り受けた時の姿は、それまでとは全く異なるものとして、特に印象に残ります。

 またラストの「本庄正宗」では、本庄繁長――合戦の中でこの刀に斬りつけられ、辛くも兜で防いだという戦場往来の逸話を持つ猛者――が、秀吉の隠居城(後の伏見城)建築の普請奉行を勤めるも経費が足りず、その補填のためにこの名刀を売る姿が描かれます。
 ここで描かされる繁長の姿は、戦国が終わりに近づき、戦いの場から離れざるを得なかった武士と、その武士が手にして振るった武器であった刀と、その両者の変質を示すものというべきでしょう。

 思えば本作で描かれる刀は、その大半が秀吉に献上され、あるいは装飾品として、あるいは褒賞として、あるいは美術品として扱われるものでした。もちろんそれまでも、美術品的に扱われてきた刀は少なくはありませんが、しかしその扱いが、この時代に、大きく変わったことは間違いありません。

 そんな刀たちを見つめてきた光徳は、そしてその主として彼を振り回してきた秀吉は、これらの名刀を描く物語の主人公として、確かに相応しい存在と言うべきでしょう。


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2023.07.21

『アンデッドガール・マーダーファルス』 第3話「不死と鬼」

 「昼食」の場で、ゴダール卿をはじめとする城の住人たちに、事件当時の状況を尋ねる鴉夜。内部の者の犯行を主張する鴉夜に、驚きと憤りを隠せない一同だが、鴉夜は意に介さない。その後、証拠を調べるためにゴダール卿と夜の森に出た鴉夜と津軽だが、ゴダール卿を吸血鬼ハンターが襲撃する……

 殺人ならぬ殺吸血鬼事件を描くエピソードの中編となる今回は、鴉夜が推理のための証拠集めを行う姿がほぼ全編にわたり描かれることになります。つまりは基本的に地味な内容ではあるのですが、しかしこれまで同様、演出と演技によって、全く退屈することのない、起伏に富んだ内容となっているのはさすがと言うべきでしょう。

 まず前半で描かれるのは、吸血鬼の城ならではの、真夜中の「昼食」――吸血鬼の食事風景というのはあまり想像したくはないものですが、親和派だけあって(?)ある意味非常にスマートなビジュアルとなっているのが面白いところでしょう。
 そしてビジュアルといえば、鴉夜の存在であります。前回既に城の住人たちの前に姿を見せているため、堂々と食卓の上に鳥籠を置いて喋る鴉夜ですが、その姿は牙以外は人間とほぼ同じ姿である吸血鬼とは、比べものにならない、強烈な異彩を放ちます。(そして鴉夜が喋るたびに、いちいちテーブルの下を覗き込む御者さんが微笑ましい。それこそ見世物じゃないんですから……)

 そして次々と城の住人に、当時の状況を尋ねる鴉夜ですが――面白いのはその描写です。モノクロで描かれる過去の情景の中に、(当然ながらその場にはいない)現在の鴉夜と津軽の姿が描かれるというスタイルなのですが、相手の語りという主観的内容を、鴉夜が客観的に吟味するという構造を画で見せているのに感心します。
 もう一つ面白いのは、前回さらりと鴉夜が告げた、馬車の御者の風体に関する推理の種明かしであります。鴉夜が開陳するシャーロック・ホームズばりの推理の内容はもちろんですが、その中で鴉夜が指摘するポイントが絵的に強調されたりと、実にわかりやすく見せてくれるのが楽しい。毎回触れているような気がしますが、ミステリの謎解きを画にする時の難しさを、鴉夜(と津軽)の語りの面白さで見せつつ、動きを含めた画の見せ方で強調してみせるのは、このアニメ版ならではの魅力と言うべきでしょう。

 ただ、ちょっと気になってしまったのは、後半、ゴダール卿と鴉夜・津軽が夜の森で語り合うシーン。ここで吸血鬼の肉体の再生力と比するように、この世で唯一の「不死」の存在と、それを唯一滅することができる「鬼」の存在が語られるのですが――原作ではここで初めて両者について語られることになるのですが、アニメ版ではこの辺りは既に第一話で語られているため、同じ話を二度見せられているという違和感は否めません。
 もちろん、ゴダール卿は不死と鬼の知識がないわけで、ここでそれを知らせておくのは意味があることだとは思いますが、他をアレンジしてここは原作通りにしたため、ちょっと妙なことになったかな、とは思います。自分たちの正体を明かした後の津軽と鴉夜(ここでの口調が絶妙)のやりとりは、二度目だからこそ描けるものではあるのですが……
(もう一つ、ゴダール卿の執事のアルフレッドが、津軽を静句の主人と間違えるシーンは、これも原作通りにしたために不自然に感じられてしまうところです)

 さて、アクション的な意味では、その直後に襲撃してきた人間の吸血鬼ハンターとゴダール卿の対決が今回のクライマックスなのですが――といってもハンター側は奇襲をかけただけで後は何もできず、吸血鬼の凄まじい動きに一方的に追いつめられただけなのですが、しかし吸血鬼という存在のデモンストレーションになったことは間違いありません。
 そしてこの襲撃が決め手となったか、いよいよ謎解きを行うと――津軽の剽げたポーズとともに――宣言する鴉夜。いよいよ次回、解決篇であります。


 あら、原作にあった、鴉夜が重大な事実に気付くシーンがなかったような……


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『アンデッドガール・マーダーファルス』 第2話「吸血鬼」

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2023.07.20

「青春と読書」8月号で神永学『火車の残花 浮雲心霊奇譚』の書評を担当しました

 本日(20日)発売の「青春と読書」8月号の書評欄「本を読む」にて、明日発売の『火車の残花 浮雲心霊奇譚』(神永学 集英社文庫)の書評を担当しました。幕末ホラーミステリシリーズの第七弾にして、第二シーズンのスタートに当たる作品の文庫化です。

 江戸で腕利きの憑きもの落としとして知られる男・浮雲。彼は白い着流しに赤い帯、そして墨で眼の模様を描いた赤い布で両眼を覆った異相の上、守銭奴で皮肉屋で酒飲みという何とも個性的な人物であります。
 その憑きもの落としの手法は、普段隠している眼――幽霊を見る力を持つ赤い両眼で見た幽霊を現世に縛り付けているものを推理し、そこから解き放つというもの。つまり、幕末の心霊探偵というべき存在なのです。

 この浮雲を主人公とした作品は、今まで単行本が八冊刊行され、そのうち六冊が文庫化されましたが、今回、七作目である本作が文庫化されることになります。
 前作のラストで京に向けて旅立った浮雲と、相棒(?)の土方歳三ですが、この巻は江戸を離れての最初の作品。土方ら数名を除き、レギュラーキャラを一新してスタートした、いわば第二シーズンの開幕編となります。

 くわしいあらすじなどは、是非こちらの記事をご覧いただきたいのですが、意外なゲストキャラクターあり、従来のキャラを新たな角度から描いたりと、様々な趣向が凝らされた本作。もちろんホラーミステリという点でも面白く、これまでのシリーズ作から大きくステップアップした印象もある作品であります。

 本作はプロモーションにもかなり力が入っており、落語化(!?)などもされていますが、この書評も、僭越ながら少しでも作品に興味を持っていただくよすがになれば――と思いながら書かせていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。


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2023.07.19

「コミック乱ツインズ」2023年8月号(その二)

 「コミック乱ツインズ」8月号の紹介の後編であります。

『真剣にシす』(盛田賢司&河端ジュン一・西岡拓哉/グループSNE)
 小倉藩と長州藩の代理戦争を演じることとなった夜市と高杉の「海亀」勝負もついにクライマックスであります。自分は穴の空いた小舟に鎖で繋がれた状態で、六艘の小舟に載せられた箱の中の銃と鍵を奪い合い、押しつけ合うという、この「海亀」。非常に簡単にいえば、先に鍵を三つ取ってしまえば負け、先に銃を三つ取れば勝ちという状況で、高杉も夜市も、一つの箱の中に二つのアイテムを入れる、もしくはアイテムを入れないという、ルールのギリギリをついた仕掛けで、白熱の勝負を繰り広げます。

 しかしこのゲームでは一日の長がある高杉にとっては、箱の載った座布団の沈み具合で中身を見抜くことが――沈み方が浅ければ鍵、深ければ銃――できます。しかも前回、夜市は高杉の策で鍵を二つ取らされ、既に後がない状態なのですが――しかしここからが夜市の恐ろしさであります。満腔の自信を持って高杉が取った箱の中身は……
 前回以上にそれはありなのか!? と言いたくなるようなテクですが、しかしきっちり伏線も張られていて(!?)なるほどそうきたか、とひっくり返りました。

 そしてこの戦いの最中、勝手に夜市が、この先生まれる高杉の孫の名前を考えるのですが――やっぱり、とニンマリであります。


『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 紀文は潔く舞台から降りた一方で、醜い権力争いは、ついに大奥を舞台に最終局面を迎えることになります。柳沢吉保の命を受けた紀文最後の罠というべき、暗殺者・庵が、ついに家継暗殺に動き出したのであります。
 そしてこれも運命というべきか、まさにその日その時、大奥に監査に入っていた聡四郎(この辺りの描写は、何だかお腹が痛くなりそうな緊張感)は、騒動を聞きつけて自ら刀を手に駆けつけることに……

 という展開なのですが、驚かされるのは庵の強さ。紀文の最後の切り札が只者のはずはありませんが、御広敷伊賀者や別式女たちが立ち塞がるのもものとはせず、真っ向から切って落とすその姿は、闇から襲いかかる暗殺者というイメージとはほど遠い強豪ぶりであります。はたしてこの強敵を相手に聡四郎は――と、次回はひさびさに『そば屋幻庵』登場で一回お休みとなります。


『カムヤライド』(久正人)
 この号と同時に発売となった単行本第九巻の内容からすぐ続く今回は、激闘に次ぐ激闘であった人間vs天津神の五対五決戦のエピローグともいうべき内容であります。

 それぞれ、因縁の相手であるカムヤライドと神薙剣を倒すため、己の身が消滅するのも覚悟の上で全力を尽くしたアマツ・ノリットとミラール――しかしその覚悟を、これまでの戦いの、「二人」での旅路の経験が上回るという、激アツな展開の末、戦いについに決着がつきました。
 そしてその間、アマツ・シュリクメを足止めして勝利に貢献したオトタチバナ・メタルですが――こともあろうに彼女の副官であったワカタケが、かつてシュリクメが分離した分身であったことが判明、ワカタケを「戻す」ことによって完全体となったシュリクメの爆導索(仮)によって大陥没が生まれた隙に、天津神たちは退却することに……

 かくて五人の天津神と正面切って(ない人もいましたが)渡り合い、そのうち二人を倒すという大戦果を挙げた人間側。しかしその代償は、決して小さなものではありません。上で触れたワカタケもそうですが、人間の身で神に格闘戦を挑んだあの男も――って、そんなシステムが!? と仰天させられた直後に、思わずグッとくる描写が用意されているのが心憎い。

 そしてグッとくるといえば、アマツ・ノリットの人間体であるコヤネですが――そうと知らぬ間にモンコに惹かれ、そして殖す葬るを通じて全力で戦うことの素晴らしさを知り、そして最初に述べたとおり、カムヤライドに全力で挑んで力を使い果たしたコヤネが最後に取った行動はなんであったか……
 先に触れた人物同様、殖す葬るでの全力プレイが心に遺した、哀しくも爽やかな後味は見事というほかなく、最初はいったい何が起きているのか!? という印象だった殖す葬るに、まさかこんな意味があったとは――というのは師匠(大概不死身だなこの人……)に騙されているのかもしれませんが、やはり見事な結末というべきでしょう。


 次号は表紙が久々登場の『そば屋幻庵』、巻頭カラーは堂々最終回の『暁の犬』です。


「コミック乱ツインズ」2023年8月号(リイド社) Amazon

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2023.07.18

「コミック乱ツインズ」2023年8月号(その一)

 「コミック乱ツインズ」8月号の巻頭カラーは山口譲司の新連載『江戸の不倫は死の香り』、表紙は『ビジャの女王』。シリーズ連載や特別読切はなしの、レギュラー陣のみの掲載となります。今回も、印象に残った作品を一作ずつ紹介しましょう。

『江戸の不倫は死の香り』(山口譲司)
 というわけでエロティックな作品を得意とする作者の新連載は、タイトルのとおり、江戸時代の不倫――不義密通を題材とした物語。第1話のタイトルは「お熊」――材木問屋・白子屋の主人の娘であるお熊の不義密通が、多くの人々を巻き込む悲劇となっていく様が描かれることとなります。
 と、書けばお分かりになる方も多いかと思いますが、今回のエピソードのモチーフとなるのは、いわゆる「白子屋お熊」――大岡政談や、浄瑠璃の「恋娘昔八丈」のモデルとなった実話であります。

 左前となった白子屋を立て直すため、多額の持参金付きで婿の又四郎を迎えたお熊。しかし手代の忠八と密通していたお熊は醜い又四郎を毛嫌いし、何とか離縁に持ち込もうとします。
 そこで忠八はお熊の母・お常、女中のお久と共に、又四郎に密通の末に心中しようとしたという濡れ衣を着せ、家から追い出そうとするのでした。そしてその相手には、白子屋に来たばかりの女中・お菊を当てることに……

 と、お馴染みの内容ではありますが、作者の筆によって濡れ場が描かれ、さらに原典にはない忠八とお常の不倫関係まであって、何とも生々しいドラマが展開することになります。その一方で結末はかなりあっさり目に感じられますが、しかしある意味ドラマは最小限に、結果のみをスパッと記して「一件落着」とするのは、かえってそのインパクトを強めていると感じます。
 スタイル的にはこのように実話をベースにした連作になるのかなと思いますが、その題材には事欠かないだけに、この先も生々しいドラマが展開しそうです。


『ビジャの女王』(森秀樹)
 モンゴル軍打倒の一策として、水の輸送隊を襲撃したブブ率いるビジャ軍。しかしかねてよりモンゴル側と通じるジファルの内通により奇襲は露見、反撃を受けたビジャ勢は潰走することに……

 というわけで、起死回生を狙いながらも大打撃を受けたビジャですが、最大のダメージはブブが深手を負ったことであります。言葉を失うようなその姿に加え、もはや死相の浮かんだ(作者の筆による説得力十分過ぎる表情!)ブブを救うには外科的手術しかありません。
 しかしその技をビジャで心得ているのは、よりによってバグダードの「知恵の館」で学んだジファルのみ。その気になればブブにとどめを刺すのは容易い状況ですが、ブブはジファルが内通者と疑いつつも、敢えて彼の施術を受けることに……

 と、ブブは自らの命を賭けてジファルの心底を見抜こうとしているのかもしれませんが――これはあまりにも分が悪い賭けであることは言うまでもありません。しかしジファルもまた、これまで「知恵の館」が絡んだことでは、不思議な良心とも純粋さともいうべきものを見せてきた男ではあります。はたして思い切りの良すぎるブブの行動の結果は吉と出るか凶と出るか?


『暁の犬』(高瀬理恵&鳥羽亮)
 いよいよ本作も今回を入れて残すところあと二話。佐内と、二胴の真の遣い手であり、佐内の父の仇である坂東と――もはや雌雄を決するしかない二人の最後の対決の幕が、ついに切って落とされました。
 この先盛り上がるしかない、クライマックス中のクライマックスの始まりであります。もう今回の三十ページ以上、全てが死闘、激闘、血闘の連続、よくぞここまで――というほかない剣戟描写には、こちらもひたすら息を呑んで見つめるしかありません。

 そんなわけで今回は語ることがあまりないのですが(手抜きではありません)、そんな中でも印象に残るのは、一瞬の交錯が生死を分ける中で、相手の剣の本質を読み、それに対して己の剣を切り替える剣客の本能の凄まじさでしょうか。
 仮初めの二胴相手の技であったとはいえ、佐内の必殺剣である狼走の太刀をその場の反応で破る坂東。坂東の真の二胴の本質を知り、現在の到達点である狼走の太刀と己の原点を組み合わせた剣を放つ佐内。二人の剣客が極限の状況下で交わす刃が断つものは……

 次回、巻頭カラーで最終回であります。早く一ヶ月経ってほしい!


 次回に続きます(全二回)


「コミック乱ツインズ」2023年8月号(リイド社) Amazon

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2023.07.17

永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第23巻 人情・猫情・妖情そして旅情の原点回帰

 あのコンビがついに帰ってきました。約三年ぶりの登場となった『猫絵十兵衛 御伽草紙』最新巻であります。江戸を離れ、北への旅に出た二人が、新潟で、佐渡で、様々な人情・猫情・妖情に出会います。そして明かされる、ニタの意外過ぎる過去(?)とは……

 この世ならざるものを見る力を持つ猫絵師の十兵衛と、強大な力を持つ元猫仙人のニタ――と書くとなにやら物騒ですが、至ってマイペースな二人。これまで江戸を中心に描かれてきたこの二人の物語は、前巻の終盤から大きく趣を変えることになります。
 江戸からふらりと旅に出て、越後までやってきた十兵衛とニタ。そう、この巻では、越後、佐渡を中心に、二人が旅の最中に出会う様々な出来事が描かれることになります。

 前巻のラストでは、越後の新潟湊で遊郭から足抜けしてきた娘・おけいと出会った二人が、彼女を助けて遊郭の主・二ツ岩の団三郎狸(この第23巻の表紙を艶姿で飾っております)と対峙。すったもんだの末、おけいと団三郎と共に、佐渡に渡ることに――という物語「湊猫」が描かれました。
 そしてこの巻の冒頭に収録された「小木湊猫」は、その後編というべき内容――育ての親である老爺が病となり、彼に薬を届けるために足抜けしたおけいが語る、とある昔話が物語の中心となります。

 このエピソードでは、「湊猫」を読んだだけではわからなかった意外な真実(それも二段構えの)にまず驚かされますが、それ以上に印象に残るのは、やはり切々と描かれる「情」の存在でしょう。
 本作は作中の随所で「歌」が印象的に使われていますが、このエピソードでも、おけさ節の元になったというおけいの唄に乗せて切々と描かれる、種族を超えた「情」の姿が、感動を呼びます。
(ただ、ラストの捻りは、これまでの描写的に、ん? という気がしないでもありませんが……)


 さて、その後も二人の旅は続きます。

 団三郎狸が語る、佐渡の国産み神話にまつわる、ある猫の物語「佐渡の猫石」
 毎年雪の降る時期に、老夫婦のもとにやってくる不思議な子供と二人の交流「雪猫」
 ニタが見せたいというとっときを求めて山中にやってきた十兵衛の受難「さかべっとう猫」
 子供時代の十兵衛が、友達のために初めて「猫絵」を描く「猫の絵」
 猫絵で知られる上野国石時見家の若き殿様が、善光寺参りに向かう途中の旅で二人と出会う「猫絵の殿様」「猫絵の殿様 弐」
 琵琶法師に身をやつした老猫が語る奇岩の由来の物語「半過の岩鼻猫」

 どのエピソードもこれまで同様、時に切なく、時に温かい「人情」「猫情」「妖情」を存分に描くのですが――そこに「旅情」が加わるのですからたまりません。
 誰もが憶えがあるであろう、旅に出た時の不思議な解放感と軽い興奮、そしてそこはかとない寂しさ――そんな味わいが、本書のエピソードには漂っています。

 もっともその中で思いもよらぬ変化球が飛んでくるのも、また本作らしいところでしょう。たとえば「佐渡の猫石」は、伊邪那岐命と伊邪那美命まで遡る壮大な物語ですが、そこに顔を出すのはなんと……
 いやお前、そんな頃から――と、いきなり広がったスケール感に絶句するとともに、何ともすっとぼけた「真理」が描かれるオチが痛快ですらある一編です。


 ちなみにこの巻のあとがきによれば、前巻ラストからの「越後篇」「佐渡島篇」は、かなり以前から――それこそ本作の成立前、というか本作の成立に関わる形で構想されていたものであるとのこと。その意味では、この巻の内容は本作の原点回帰と言えるのかもしれません。

 冒頭に触れたように本書はほぼ三年ぶりの新刊ですが、その間、「ねこぱんち」誌での連載もストップした状況と、愛読者としては非常に心配になる期間でした。
 しかしこの巻では、前巻にほとんどなかったあとがきもきっちりと(4ページも)あり、そして本書の刊行と時を同じくして「ねこぱんち」誌の連載も再開――と、嬉しい限りです。

 どうか原点回帰したその先も、ずっと十兵衛とニタの物語を描いてほしい――本書を読んで、心からそう感じた次第です。


『猫絵十兵衛 御伽草紙』第23巻(永尾まる 少年画報社にゃんCOMI) Amazon

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 「猫絵十兵衛御伽草紙」第8巻 可愛くない猫の可愛らしさを描く筆
 「猫絵十兵衛御伽草紙」第9巻 女性たちの活躍と猫たちの魅力と
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 『猫絵十兵衛御伽草紙』第11巻 ファンタスティックで地に足のついた人情・猫情
 『猫絵十兵衛 御伽草紙』第12巻 表に現れぬ人の、猫の心の美しさを描いて
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 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第14巻 人と猫股、男と女 それぞれの想い
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第15巻 この世界に寄り添い暮らす人と猫と妖と
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第16巻 不思議系の物語と人情の機微と
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第17巻 変わらぬ二人と少しずつ変わっていく人々と
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第18巻 物語の広がりと、情や心の広がりと
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第19巻 らしさを積み重ねた個性豊かな人と猫の物語
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第20巻 いつまでも変わらぬ、そして新鮮な面白さを生む積み重ね
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第21巻 バラエティに富んだ妖尽くしの楽しい一冊
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第22巻 変わらぬ江戸の空気、新しい旅の空気

 『猫絵十兵衛御伽草紙 代筆版』 三者三様の豪華なトリビュート企画

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2023.07.16

『アンデッドガール・マーダーファルス』 第2話「吸血鬼」

 人類親和派の吸血鬼・ゴダール卿の城で、卿の妻が何者かに胸を杭で刺されて殺害された。警察のおざなりな捜査に業を煮やした卿は、怪物専門の探偵<鳥籠使い>――すなわち、鴉夜・津軽・静句の三人――に捜査を依頼する。かくて城に招かれた鴉夜たちは、早速捜査を開始するが……

 というわけでプロローグであった第一話に続き、いよいよ本編スタートとなる今回。前回を見ただけでは想像できなかった方もいるかもしれませんが、ここからは鴉夜・津軽・静句のトリオが、怪物専門の――犯人であれ被害者であれ、怪物が関わる事件専門の――探偵<鳥籠使い>として数々の怪事件に挑むミステリ(もちろん、それだけでは評せないほど様々な要素が含まれているのですが……)となります。

 そして今回から描かれるのは、原作第一巻第一章の「吸血鬼」。怪物側の勢力は衰えてきたとはいえ、古来からの吸血鬼と人間の対立がいまだ続く中、人類と共存の道を目指す親和派の吸血鬼・ゴダール卿の居城で、その妻が殺害されて――という、殺人ならぬ殺吸血鬼事件であります。今回のアバンは、この事件の状況が描かれることとなりますが、短い中でさらりと(本当にさらりと)吸血鬼の身体能力の凄まじさを描きつつ、徐々に悲劇の予感を高め、そして卿の幼い娘が無邪気に歌う歌と合わせて惨状が明らかになるという演出は、やはりこのアニメ版ならではのセンスと感じます。
 その後も、たとえ親和派となっても周囲の人間からは極めて差別的な目で見られ、警察からもそれなりの扱いしか受けないという状況をこれもさらりと描き、そこから怪物専門の探偵登場の必然性に繋げていく――と、冷静に考えると特殊としかいいようがない状況を、良い意味で淡々と描くのに感心させられます。

 そしてここに至るまでに人魚の冤罪を晴らし、人造人間にまつわる事件を解決して――と知る人ぞ知る存在となっている鴉夜たちですが、ここでちょっと残念だったのは原作では第二章の「人造人間」のエピソードがどうやらアニメではカットされるらしいということで、漫画版でも同様だっただけに覚悟していたところですが、やはり寂しいところです。原因は何となく想像がつくのですが……。
(ちなみに人魚の事件については長らく語られざる事件でしたが、このアニメ版スタートとほぼ同時に刊行された原作第四巻でついに描かれています)

 さて、前回の紹介でも触れましたが、原作の序章は津軽と鴉夜について最小限のことしか語らず、二人の「正体」と「目的」については第一章(と第二章)のクライマックスで明かされるという構成だったものが、このアニメ版では第一話に集約されることとなりました。そのため原作での、ゴダール家の人々と同様に、観客であるこちらも二人の正体がわからず、それが物語展開につれて徐々に明らかになっていく――という要素がなくなっているのは(仕方ないとはいえ)ちょっと残念なところですが、しかしストレートに物語が展開していくのはそれはそれでもちろん悪くありません。
 いや、基本的に津軽のボケと鴉夜のツッコミ(そして静句の物理的ツッコミ)で展開していくので、それをストレートと言ってよいかはわかりませんが、しかしこちらも期待以上にポンポンと気持ちよく、こちらは声優の芝居の巧みさ――特に津軽の気の抜けた喋りは実に良い――によるところがやはり大きいのでしょう。

 アニメ化に当たって一番気になっていた、推理(に関係する描写の)シーン――特に今回のラストの、鴉夜が七つの疑問点(のうちの五つ)を挙げるシーンも、前回同様、会話のみで終わらせることなく、動きを付けて不自然さなく描いているのも巧みというべきでしょう。もちろんこの辺りは、このボケとツッコミによる緩急から生まれている部分も大きいわけでもありますが……
 なお、実は今回の事件そのものは、凄惨な内容にもかかわらず意外と「静か」――もっともそれが疑問点の一つでもあるのですが――なのですが、この辺りの見せ方もやはり巧みで、解決編にも期待したいと思います。
(もっとも解決編が次回になるのか次々回になるかは、まだわかりませんが……)


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2023.07.15

『るろうに剣心』 第二話「東京府士族・明神弥彦」

 街で剣心から財布をスリ取った少年・明神弥彦。剣心は盗まれた自分が悪いと財布を渡すが、弥彦は施しに反発し、姿を消す。その後、買い物に出た剣心は廃刀令違反で警官に取り巻かれるが、そこに現れた剣客警官隊は、駆けつけた薫や群衆にまで刃を向ける。ついに逆刃刀を抜いた剣心は……

 タイトルは原作第三幕の「東京府士族・明神弥彦」でありつつも、実は内容は第二幕の「流浪人・街へ行く」がメインとなっている今回。弥彦のエピソードは冒頭とラストのみで、その後に剣心と剣客警官隊との対決が展開するという構成になります。
 しかし前回の比留間兄弟は原作で何度か登場したので覚えていましたが、今回の敵である剣客警官の宇治木は、さすがに今回見返すまで完全に忘れていたキャラクター。絵に描いたような「維新でに調子に乗った薩摩の芋野郎」でありますが、キャラクターデザインが、微妙に今の作者が描いたらこうなるであろうものとなっているのが面白いところです。もっともこれはこのキャラだけでなく、今回のアニメ版のキャラ全般に当てはまるわけですが、そのせいか今回の弥彦、もの凄くサンライトハートな感じが……(今年で早くも二十周年と知って大ショック)

 しかし今回のエピソード、山県有朋との再会のくだりをどうにかすれば、正直なところカットしてもよいのでは? と思ったりもしましたが、改めて観てみると前回は民(中国ものでいえば江湖)の暴力と、今回は官の暴力と剣心が対決しているわけで、民だろうが官だろうが、立場や主義主張(後者はむしろこの先の敵に当てはまりますが)にかかわらず、暴力で庶民を苦しめる相手には敢然と立ち向かうという、剣心のスタンスがここでは現れていると気付きます。
 もちろんこれはヒーローであれば当たり前のスタンスではありますが、今回の山県の会話に表れているように、剣心に「歴史的な」背景があるからこそ、それは描いておかなければいけなかったのでしょう。そしてそれがあるからこそ、「剣一本でもこの瞳に止まる人々くらいならなんとか守れるでござるよ」という宣言が光るのだと思います。
(しかしまあ山県有朋も、この後に剣一本で国家を転覆させようとか、戦争のための兵器を自称する連中がゾロゾロ出てくるとは思わなかったでしょうが……)

 さて、剣客警官隊ですが、原作にはなかった流派名を名乗って打ちかかっても剣心に敵うはずもなく、当時の少年漫画としては珍しかったような(しかし今この時代に薫殿にわざわざ紹介してもらうのも――という)気がする示現流の宇治木も、剣心の超滞空からの一撃であっさりダウン。
 まあ、維新志士と意気がっていても、対空技を使えない時点でザコなわけですが……


 さて、ここから弥彦のエピソードを終わらせるのかと思いきや、まさかの弥彦がヤクザにボコられたところで終わり。さすがにじっくり描き過ぎではないかなと思いますが――弥彦が冒頭のやりとりだけでなく、剣心と剣客警官との戦いを目撃していたことで変心するという描写は(そこに原作にない、財布を落とした老女に財布を拾ってやるという描写も加わって)なるほどと思いました。

 それにしても次回「活心流・再起動」というサブタイトルということは、やはり菱卍愚連隊もきっちり登場するのでしょうか……


関連サイト
公式サイト

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2023.07.14

翁まひろ『菊乃、黄泉より参る! よみがえり少女と天下の降魔師』

 病で齢28歳で亡くなった武家の女性・菊乃が、15年後に何故か子供の姿で復活、腕は立つがひねくれ者の破戒僧・鶴松とコンビを組んで江戸を騒がす化け物に挑む、角川文庫キャラクター小説大賞&読者賞受賞作であります。一見賑やかな物語ですが、その陰で、重く苦い味わいを持つドラマが展開します。

 幼い頃から男姫の異名を持つ女傑であり、長じた後は旗本・宇佐見家に嫁いだ菊乃。しかし病に倒れた彼女は、一子・善太郎を遺して二十八歳の若さで亡くなったのですが――それから十五年後、五代将軍綱吉が亡くなった直後の時期に、何故かこの世に甦ったのでした。しかも幼い少女の姿で。

 自分が甦った理由も、何故幼女の姿なのかもわからず途方に暮れる菊乃は、町を彷徨う中、金色の重瞳を持つ自称天下の降魔師・鶴松と出会い、亡者として祓われかけるのですが――そこに奇怪な泥の塊のような化け物が出現、二人に襲いかかります。
 成り行きから協力することになった二人ですが、しかしその中で鶴松は腕を痛め、術を満足に使えない身となってしまうのでした。

 そんな中、以前から世話になっている船宿の女将・左衛門からの依頼で、薬種問屋・長崎屋に現れる獣の化け物を祓うこととなった鶴松。行く宛もなく、また鶴松の怪我に責任を感じた菊乃は、彼の弟子として同行することになります。
 折しも町では、犬をいじめた人間が犬のように吠える身となってしまうという、原因不明の「犬病」が流行。泥のような化け物と犬病、長崎屋の獣――数々の事件は、二人の周囲の人々をも巻き込み、思いもよらぬ真実を浮かび上がらせることに……


 というわけで、何故か幼女姿で(しかし尋常でない怪力の持ち主として)この世に甦ってしまった元武家の奥方と、実力は確かなものの色々と胡散臭い破戒僧が、バディとして化け物退治に挑む本作。
 こう書くと非常にキャッチーに感じられますが、しかしその実、作中では主人公二人をはじめ、かなりシビアで重いものを背負った人々のドラマが描かれることになります。

 幼い頃から義侠の剣客に憧れてきたものの、果たせるはずもなく持参金目当ての相手に嫁ぎ、愛のない結婚生活を送った末に夭折した菊乃。鶴松も、赤子の頃に寺の門前に捨てられ、寺ではその重瞳を珍重されるも、僧たちから虐待を受けて飛び出し、いまだにその時のことがトラウマとなっている身であります。
 甦って早々に菊乃が再会した息子・善太郎も、旗本の嫡男のはずが尾羽打ち枯らした浪人姿、しかも自分の親を畜生呼ばわりする荒みっぷり。その他、登場するキャラクターの大半が、重い過去を持ち、今もそれに苦しんでいるのです。(個人的に左衛門の設定には言葉を失いました)

 そして本作の中心となる事件の真相も、相当陰惨なものなのですが――その中で責めるべき(倒すべき)悪人はごくわずかで、後は弱さを抱えた者ばかりというのが、さらに物語の苦みを強めます。


 と、シビアさ・重さばかりを強調してしまいましたが、もちろん本作はそれだけで終わる物語ではありません。なぜならば、菊乃も鶴松も、たとえ一時は過去の悔恨に項垂れることがあっても、決してそのままでは終わらない――必ず前を見て歩き出せる強さを持っているのですから。

 その強さを引き出すのは、一人では難しいことではあるかもしれません。しかし二人でなら、二人で足りなければ周囲の人々が一緒にいれば……
 そして二人はもちろん、助けられるばかりの存在ではありません。二人に救われた人々が、手を携えて困難に、恐怖に立ち向かうクライマックスは――それまでに描かれた物語のピースが一つに集まっていく快感も相俟って――実に感動的であります。

 その中でも特に、菊乃と善太郎という少々変わった「母子」の物語は、物語を構成する太い柱と感じられます。そこには、人間と人間を真に繋ぎ合わせるものが何であるか、その答えがあるのですから……


 ラストには思いもよらぬ、そして何とも豪快な真相が明かされますが、ぜひ続編を――菊乃と鶴松という、奇妙で息のあったバディの、この先の物語を描いてほしいと思います。


『菊乃、黄泉より参る! よみがえり少女と天下の降魔師』(翁まひろ KADOKAWA角川文庫) Amazon

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2023.07.13

星野之宣『妖女伝説 砂漠の女王』

 SF漫画の巨匠である星野之宣の作品においては、歴史もの・伝奇ものも大きなウェイトを占めています。その中でも代表作の一つである『妖女伝説』における最大の連作「砂漠の女王」であります。クレオパトラ、サロメ、ゼノビア――転生を続けながら生き続ける不滅の女王の運命の行き着く先は……

 アクティウム沖海戦で敗れ、愛人であったアントニウスの首を差し出してオクタビアヌスに擦り寄ろうとするも拒まれたクレオパトラ。捕虜として黄金の鎖に繋がれ、ローマに連行されるのをよしとはしない彼女は、何時から生きているとも知れぬ大神官ソロンから、王家に伝わる「バアの秘法」を受けるのでした。
 生まれ変わりの秘法である「バアの秘法」を受けた後、自らの命を絶ったクレオパトラは、ユダヤの王女サロメに転生。そして彼女は、預言者として捕らえられたヨハネと、その弟子であるイエスと出会うのですが……


 世界三大美女(というのは日本だけの概念のようですが)であるクレオパトラ、踊りの褒美として預言者ヨハネの首を求めたサロメ、パルミアの女王としてローマと対決したゼノビア――考えてみれば、歴史に名を残した三人の女性が、ほど近い地域にわずか二三百年の間に存在していたというのは、興味深いことかもしれません。
 そしてそこに着目し、あろうことかこの三人が魂の上では同一人物――すなわち生まれ変わりであった、という奇想を展開したのが、本作であります。

 しかし本作の面白さは、この転生というアイディアのみに留まるものではありません。
 序章的位置づけであるクレオパトラの物語に続くサロメの物語では、前世の魂を受け継ぎ、野望や理想に生きる男たちをあざ笑い、彼等を翻弄せんとするサロメの姿が描かれるのですが――その姿はむしろ、ヨハネとイエスという、対照的な二人の男の姿を描き出すことになります。

 もちろん、物語のクライマックスは上で触れたヨハネの首のくだりとなるのですが、そこに至るまで、サロメが男たちを翻弄しているのか、男たち――いやイエスがサロメを翻弄しているのかわからなくなっていく、皮肉な構図が浮かび上がります。
 その果てにサロメが気付いた、救世主と悪魔の真実とは――その恐るべき倒錯の姿は、ある意味非常に作者らしい構図というべきでしょうか。


 一方(作品としてはクレオパトラとサロメの物語の十年近く後に発表されることとなった)ゼノビアの物語では、当時対立していたローマとペルシャの二大帝国に加えて、彼女のパルミアが三つ目の帝国として、奇しくも東の大陸で三国が鼎立していたのと同様の構図を描くのにまず目が惹かれます。
(もっともこの点は、あくまでも似ているレベルで、それ以上展開しないのが勿体無いように思えますが)

 しかしそれ以上に本作は、「砂漠の女王」という物語の完結編として、意外な展開を見せることになります。クレオパトラにバアの秘法を施した大神官ソロン――その後、サロメの、そしてゼノビアの前に現れ、側に従ったこの人物の真意ははたして何だったのか?
 この物語の幕を開けたというべきこの人物の(ある意味トリックと言いたくなるような)正体と、そこからさらに広がる作品世界のスケールには、これまたこの作者ならではと唸らされるのです。


 さて、この『妖女伝説』は、おそらく今一番手に入れやすいと思われるビッグコミックススペシャル版では十編が収録されています。しかし実は実在の女性を扱っているのは本作のほか、ルクレツィア・ボルジアが重要な役割を果たす「ボルジア家の毒薬」とマタ・ハリが顔を見せる一種の怪作「歴史は夜つくられる」くらいと、意外に数はありません。

 『妖女伝説』を構成する作品自体、そのアプローチは様々であり、その多様性が一つの魅力であることは間違いありません。
 しかしその中でも、実在の女性と彼女たちが生きた時代を、そしてそこから生まれた伝説を題材とした本作は、ある意味最も『妖女伝説』のタイトルに相応しいのではないか――そんな印象を受けるのです。


『妖女伝説』(星野之宣 小学館ビッグコミックススペシャル) Amazon

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2023.07.12

神永学『浮雲心霊奇譚 妖刀の理』

 今月、シリーズ第七弾『火車の残花』の文庫版が発売される『浮雲心霊奇譚』の第二弾のご紹介であります。赤眼の憑きもの落としが今回挑むのは、妖刀が引き起こした惨劇をはじめとする三つの事件。事件の陰に存在する幽霊――死者の想いを、幕末の心霊探偵が解き明かします。

 姉が幽霊に取り憑かれたのをきっかけに、顔見知りの薬屋・土方歳三の紹介で、腕利きと評判の憑きもの落としである浮雲と知り合った絵師志望の青年・八十八。守銭奴で皮肉屋で毒舌家の浮雲に振り回される八十八ですが、赤い布の下に隠された赤い両眼で幽霊を見るというその力は本物であると、身を以て知ることになります。
 幽霊をこの世に縛り付けているものを推理し、解き放っていく浮雲と共に、八十八は様々な人の心の裏と表を見ることに……

 という本シリーズですが、既に前作でこの基本設定と、浮雲&八十八に土方、伊織や玉藻といったメインのキャラクターたちは紹介されていることもあり、この巻からはより自由に、さらに入り組んだ物語が展開していくことになります。

 夜道で兄と辻斬りに遭遇した際に、異様な殺気をまとった老人の幽霊と出会った伊織。さらにその幽霊が兄に取り憑いたらしい――という彼女の依頼で、浮雲と八十八が続発する辻斬りを追う「辻斬の理」
 とある廃墟近くの沼に現れる幽霊を見た者は祟り殺されるという噂が流れる中、幽霊を見てしまった男からの依頼を断った浮雲。彼の代わりに幽霊の正体を追う八十八が窮地に陥る「禍根の理」
 妖刀・村正を手にした男による無差別殺人の場に居合わせた八十八が、事件を仕掛けた狩野遊山と対面、危険な誘惑を受ける「妖刀の理」

 いずれのエピソードも、有名な古典怪談をモチーフとしつつも、幽霊の存在を手がかりにして生きている人間の企てを暴くという、特殊設定ミステリとして成立しているのが本作のユニークな点でしょう。

 その中でも表題作の「妖刀の理」は、八十八のキャラクターを掘り下げたエピソードとして印象に残ります。
 老舗呉服屋の息子であながらも、絵師を目指す八十八。各エピソードのラストでは、彼が事件にまつわる絵を描くというのが定番ですが、今回はその八十八が、絵師としての壁につきあたることなります。

 知人の絵師・町田天明に自分の作品を見てもらったものの、絵に心が入っていないと断じられ、落ち込む八十八。その矢先に村正による無差別殺人が発生し、そちらに注意を引かれた八十八ですが――八十八の絵と村正の殺人は、意外なところで繋がることとなります。
 その仕掛人となるのが、シリーズを通じての敵役である狩野遊山。その姓から察せられるように元は狩野派の絵師でありながらも、今は呪術師として人を呪い殺すことを生業とする怪人であります。

 しかしこの遊山、呪い殺すといっても直接人の息の根を止めたり寿命を縮めたりするわけではありません。彼の手法は、標的の近くに居る者の心を言葉巧みに誘導して操り、自らは手を下す事なく標的を殺す――そんな一種の間接殺人を得意とする男であります。
 かねてより浮雲と、そして土方とも因縁を持つという遊山。絵師でもある遊山と一対一で対峙することによって、八十八は否応なしに自分の内面を見つめさせられることになるのです。

 この八十八は、浮雲や土方、玉藻に比べれば、圧倒的に一般人寄り――というより、読者目線に立ったキャラクターであります。しかし、そんなある意味ニュートラルな立場である彼も、物語を構成する欠かせない登場人物であることが、このエピソードでは浮き彫りになっているといえるでしょう。
 そして遊山との対峙を通じて、これまで慇懃ながら何やら得体の知れない人物として描かれてきた土方の、心に秘めたものが描かれるのですが――この辺りはむしろ、シリーズがある程度進んだ今振り返ってみると、なるほど、と感じさせられます。
(物語のラスト、村正を回収した土方を心配する八十八に対して、浮雲が問題ないと答えた時の、「土方の心はすでに……」という台詞もまた、不穏でイイ)


 前巻同様、時代ものとして見るともう少し踏み込んでよいのでは、という部分はあるものの、特殊設定ミステリとしての完成度はさすがは、と思わされる本作。
 もちろん「辻斬の理」では、おや? と思わされる名前の人物が登場するなど、歴史好きであればさらに楽しめる作品であることは言うまでもありません。


『浮雲心霊奇譚 妖刀の理』(神永学 集英社文庫) Amazon

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2023.07.11

黒崎リク『呪禁師は陰陽師が嫌い 平安の都・妖異呪詛事件考』

 今なお人気が衰えない陰陽師ものですが、本作はその中でも少々変わり種――というより正確には陰陽師ものではなく呪禁師もの。呪禁の技を操る外法師の青年・竜胆が、若き陰陽師・賀茂忠行に引っ張り回されて都を騒がす怪事件に挑む、いささかユニークな物語です。

 京の外れの化野で暮らす青年・竜胆。腕は良いけれども人付き合いが苦手の彼は、育ての親であり、数年前に姿を消した千種から伝えられた技で人々を癒す薬師であります。
 しかし彼が師から伝えられたのは薬師の技だけではありません。実は呪禁師の末裔だった千種から、今では禁忌とされている呪禁の技を伝えられている竜胆ですが――過去のある事件がもとで、彼は呪詛を行うことを厳しく自分に禁じていたのでした。

 そんなある日、竜胆のもとを、賀茂忠行と名乗る陰陽寮の学生が訪ねてきます。物の怪に憑かれたという権中納言のために祓を行ったものの、その最中に権中納言の容態が急変し、もがき苦しんだ末に息を引き取ったという忠行。その責任を問われているという彼は、真相を突き止めようとするも陰陽寮に味方がおらず、腕利きの外法師として知られる竜胆を頼ってきたというのですが……


 そのおどろおどろしい字面もあってかあまり良いイメージのない、いやむしろ悪役が使う技という印象すらある「呪禁」。しかし元々は道教由来のむしろ呪いに対する防御的な術であり、奈良時代には典薬寮所属の呪禁師・呪禁博士・呪禁生が設置されていたという、歴とした国の機関だった過去があります。
 尤もその後、厭魅や蠱毒との関わりから呪禁が危険視されるようになり、陰陽道の台頭もあって、取って代わられるような形で制度は廃止されてしまったのですが――こうした史実を背景に、本作は展開されることになります。

 この歴史を呪禁師側から見れば、「陰陽師が嫌い」というのも無理はないように思えますが、その呪禁師の流れを組む主人公・竜胆が、後世にまで名を残す陰陽道の大名人(の若き日)である賀茂忠行と心ならずもコンビを組んで、様々な呪詛絡みの事件に挑むのが本作であります。
 しかし上記の因縁に加えて、竜胆は非常に大雑把に言えばいえばいわゆる陰キャ(愛宕山の天狗やら信太の森の葛葉狐やら、人間以外の友達はいるのですが……)で世間知らず。その一方で、忠行の方は口八丁の上に、竜胆を利用する気まんまん――と、何か起きない方がおかしいわけで、物語は、都で起きる怪事件に、忠行に引っ張り出された竜胆が挑むのが基本スタイルとなります。

 この二人のちょっとおかしなやりとり(というか忠行の一方的な振り回し方)が本作の特色の一つではありますが、しかし副題の「妖異呪詛事件考」が示すように――そして呪禁師である竜胆が絡むことからわかるように、本作を構成する全三話は、非常にシリアスな内容が並びます。(特に第二話は、子供好き・猫好きは要注意と事前に言っておいたほうがよいほど、かなり辛い内容であります)
 そもそも竜胆自身、法では禁じられた呪禁師ということで表に出にくい身分であり、また上で述べたように、基本的に忠行に利用される立場も相まって、本作の読後感はちょっと重いことは否めません。

 それでも本作に大きな救いとして存在するのは、決して人を呪うという行為を肯定しない、竜胆の強く真っ直ぐな心でしょう。
 本作では、呪詛は弱き者が縋る最後の手段として描かれながらも、しかし決して人を救わない――いや、それどころか苦しむ者をさらに苦しめるものであると、竜胆はそれ以外の道を求めます。そしてそんな彼の姿は、いつしか忠行の心を大きく動かすのであります。


 物語的には、第三話に同じく呪禁師であり、竜胆のことをもよく知る道摩が登場(ちなみにこの道摩、やっていることは明らかに許せぬことながら、単純に悪人とは評しがたい個性の持ち主なのが面白い)。
 数年前に竜胆の前から姿を消した千種の真実が語られ、物語は大きな転機を迎えることになります。

 敬愛する師の真実を知りながらも、なおも真っ直ぐ歩もうとする竜胆の、そして忠行のこの先が気になる――特に序の描写を読むと――のですが、刊行から約二年半経つ本作。それでも、続編を今でも読みたい作品であります。


『呪禁師は陰陽師が嫌い 平安の都・妖異呪詛事件考』(黒崎リク 宝島社文庫) Amazon

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2023.07.10

魅月乱『あがりたる世と蜘蛛御前』

 『鵺天妖四十八景』の魅月乱による、もう一つの人間と妖(およずれ)の物語――恐るべき力を持ちながらも時に人を救う美しき蜘蛛の妖・蜘蛛御前を通じ、人間と妖の不思議な関係を描く連作集であります。妖でありながらも人に魅せられ、人を救う蜘蛛御前の背負ったものとは……

 人間と妖が共存していたかつての時代(おそらくは天保期)、人間たちに時に恐れられ、時に敬われていた妖・蜘蛛御前。
 人間の美女の姿を取りながらも刀を佩いて男装し、時に本名である夜絹を名乗って人間の中に入り交じって現れる。人間や妖を喰らうと思えば、その糸で以て人間の失われた四肢の移植手術を行うなど、蘭学に精通した優れた療法師として敬われる――そんな幾つもの顔を持つ不思議な妖であります。

 本作はその蜘蛛御前が各地で出会う人間との交流を通じて、人間と人間、人間と妖の関係性を浮き彫りにする連作。単行本全2巻に全6話が収録されています。

 狐の呪いをかけられ、異形に変貌していく母子。物乞いの親から、人目を惹くために腕を奪われかけた娘。ギヤマンで出来た人魚の尾を纏って歌う片足の少年。仲間を殺した蜘蛛御前に復讐するため付け狙う妖。親の借金のためにその身を擲つ人魚の少女。人間の母子に憧れる蛾の妖……
 好んで人を喰らう妖が主人公だった同じ作者の『鵺天妖四十八景』に比べると、本作は基本的に人を助ける主人公だけにおどろおどろしさは抑えめですが――しかしそれでもなかなかよそではお目にかかれない、なかなか題材にされないものを物語に組み込んでいるのはさすがと言うべきでしょうか。

 しかしそれがどきついという印象だけで終わらないのは、繰り返し述べているように蜘蛛御前が基本的に人助けをしているのはもちろんのこと、作中で人間と妖の関係性について、そして自分が自分であることについて、真摯な目を向けているからにほかなりません。
 何故妖は人間を食らうのか。何故妖は人間の姿を取るのか。何故妖は自分の子を成そうとするのか――いずれも妖怪ものではある意味当たり前の、「そういうものだから」で片づけられかねないそれに、本作は丁寧に答えを用意し、そして物語に絡めて描いていきます。

 もちろんその答えの多くは、蜘蛛御前にも当てはまるするものですが――しかしそれだけでなく、見方を変えれば、それは人間たちにもまた、当てはまるものであると感じられます。
 生きるとはどういうことなのか。自分らしさは何なのか。命を繋ぐということは何を意味するのか――特に最後については、6つのエピソードの全てに、大なり小なり関わる点であり、特に最終話で描かれる蜘蛛御前の過去を思えば、本作の主要なテーマといっても良いかと思われます。
(作者が今、育児漫画を描いているのもむべなるかな――というのは短絡的すぎるかもしれませんが)


 ただ、蜘蛛御前がある現象を説明する際などに、妙に詳しすぎる言葉を――要するに現代の言葉を――使ってしまう点が少々気になりました。普段であれば、こうした用法はあまり気にしないのですが、特に最終話のクライマックスで、「本当は××××××××なんでしょう!!」と、妙に細かい名前が出たのは、ちょっとムードという点ではどうなのかなあ、と思ってしまった次第です。

 などと細かいことを言ってしまいましたが、人間と妖を巡るファンタジーのスタイルで、ひどく残酷で重いテーマを扱いつつも、命そして親と子について真摯に問いかける物語は、どこか暖かさや爽やかさが感じられるものであり――前作同様の佳品である事は間違いありません。


 ちなみに本作は、「妖」を「およずれ」と読むなど、前作との世界観の繋がりを感じさせたのですが、ちょっとそれは考え過ぎかな――と思いきや、第二巻ラストのおまけ漫画では前作の主人公・鵺天と脇役の射干が登場。
 ファンサービスと思いきや、本作の物語を補完する人間と妖の関わりを描く内容にもなっていて、感心いたしました。
(オチはまあ、実におまけ漫画らしいのですが……)


『あがりたる世と蜘蛛御前』(魅月乱 秋田書店ボニータ・コミックス) 第1巻 Amazon / 第2巻 Amazon

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2023.07.09

8月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 今年も早くも下半期に突入――と驚く間もなく8月の新刊情報が公開されて、時間の流れの速さに驚かされます。8月は(8月も)点数自体はあまり多くないのですが、しかしもちろん注目の作品は少なくありません。というわけで8月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 文庫の新刊は正直なところ数は少ないのですが、なんといっても最も注目すべきは平谷美樹『賢治と妖精琥珀』。岩手を題材とした作品が多い作者にとって、宮沢賢治はなるほど――というチョイスですが、しかし妖精琥珀とは一体? かなり意表を突いた作品の予感です。
 またもう一点、妖怪もので大活躍の峰守ひろかず『少年泉鏡花の明治奇談録』も、タイトルの時点で胸躍ります。

 一方、文庫化・復刊では、やはりなんといっても宮本昌孝『天離り果つる国(仮)』上下巻。相当の大部ですが、あまりの波瀾万丈ぶりに分量など感じている間もない快作です。
 また、7月にシリーズ第二作が刊行される蝉谷めぐ実『化け者心中』も文庫化されるので、未読の方はぜひ。
 その他、ミステリでは夕木春央の痛快作『サーカスから来た執達吏』がありますし、廣嶋玲子の古代もの『火鍛冶の娘』も要チェック。また正編が完結した風野真知雄『新・若さま同心 徳川竜之助 1 象印の夜』はやはり新装版が登場です。


 一方、漫画の方は、戦国ものの少女漫画である清音『化け狐の忠心』第1巻、山根和俊&神楽坂淳の異色コンビがあのヒーローを描く『黄金バット 大正髑髏奇譚』第1巻の二作が新登場。

 その他、続巻としては松浦だるま『太陽と月の鋼』第7巻、安達智『あおのたつき』第11巻、山崎峰水&大塚英志『くだんのピストル』第4巻、赤名修『賊軍 土方歳三』第9巻、東直輝『警視庁草紙 風太郎明治劇場』第12巻、坂ノ睦『明治ココノコ』第5巻など、幕末・明治ものが強めの印象です。
 また、高橋留美子『MAO』第17巻と椎名高志『~異伝・絵本草子~ 半妖の夜叉姫』第5巻が同時刊行されます。


 というわけでちょっとアイテム少な目なのは残念な8月。夏休みは過去の名作に触れ直す機会かもしれません。



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2023.07.08

『るろうに剣心』 第一話「剣心・緋村抜刀斎」

 明治11年の東京を騒がす辻斬り「人斬り抜刀斎」。自分の流派・神谷活心流を騙る抜刀斎を追う神谷薫は、ある晩、帯刀している男と出会い誰何するが、男は「流浪人」緋村剣心と名乗る。その後も一人抜刀斎を追い、ついにその正体を突き止める薫だが、思わぬ魔の手が迫る。その時、薫の前に現れたのは……

 あの『るろうに剣心』のアニメが令和の世に復活しました。復活といっても原作は『北海道編』を連載中なのですが、今回のアニメはこちらではなく、原作の一番最初から再アニメ化――ということで、第1話の今回は、ニセ抜刀斎騒動の最中に薫と剣心が出会うというくだりからのリスタートとなります。
 考えてみればこの第1話に当たる部分の原作が発表されたのは1994年、実に29年前(!)で、もう視聴者の大半は生まれていないのではとすら思うほど以前であります。それから今に至るまでに、『るろうに剣心』の始まりの物語自体、原作・最初のアニメ版・映画版・銀幕草紙変(小説)・特筆版(漫画 別名キネマ版)・宝塚版とあったわけで(もしかするとまだ抜けがあるかもしれません)、もちろん内容はそれぞれ異なるものの、これだけ様々語られてきたものが、今改めて、というのには、ある種の感慨があります。

 そして今回のアニメ版は、これら様々な始まりの物語の中でも、最も原作に忠実な内容――最初のアニメ版ではカットされた喜兵衛も、原作通りの役回りで登場しております。(しかしこのキャラ、弟とワンセットの印象が強いため、今回見たときは「あれっ、ここで登場するんだっけ!?」という印象が……)
 ビジュアル的にも綺麗な絵柄、声優の演技もまず違和感なしと、原作ファンが期待する、原作そのままのアニメ化を今のクオリティで行ったという印象があります。

 とはいえ、それが今の視聴者にどれだけインパクトを残すかというのは――私も昔からの原作ファンだけに――ちょっとわからないというのが正直なところではあります。
 原作の第1話自体、綺麗にまとまっているといえばその通りなのですが、『るろうに剣心』という作品の一般的イメージであろう、超人的な達人同士のバトルという点からするとかなり地味な内容に映るのは否めないでしょう。(また明治ものとしての描写についても、廃刀令への言及はあるものの、この回はそこまで強くありません)

 この辺りは、最初から連続2クールが決まっている余裕という印象もありますが、個人的には、次回以降はもう少しスピードアップしてもいいかな、とは感じます。
 また、今回は雑魚相手がほとんどではあったとはいえ、肝心の剣戟シーンの迫力が今ひとつだったのはどうにも惜しい。こういう場面こそ、今のクオリティを活かしてほしいと強く思います。


 ちなみに今回の冒頭には、幕末に剣心――いや抜刀斎が新選組と対決し、沖田総司そして斎藤一と対峙するシーンが描かれています。総司はまあゲストですが、斎藤一はこの先物語に大きく関わる(というか今回のアニメの中ボス格?)だけに、ここで描いておくのは良いアレンジかと思います。
 ただベタなリアクションで恐縮ですが、日野聡が日本刀を持ったキャラを演じているとどうしても別のキャラが浮かんでしまうので、その辺りのイメージの払拭は、今後の出番に期待したいと思います。


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2023.07.07

『アンデッドガール・マーダーファルス』 第1話「鬼殺し」

 「怪奇一掃」で怪物たちの大半が滅ぼされた明治30年。東京の見世物小屋で「鬼殺し」を生業とする真打津軽の前に、メイドの馳井静句を連れた美少女・輪堂鴉夜が現れる。津軽の寿命が近づいていると指摘する鴉夜は、取引として寿命を延ばす代わり、津軽に「私を殺してほしい」と告げるが……

 ミステリ作家・青崎有吾の、クロスオーバー伝奇特殊設定ミステリというべき『アンデッドガール・マーダーファルス』のアニメ版がスタートしました。怪物たち、そして様々な文学のヒーロー/悪役が同じ世界に存在する十九世紀末の欧州を舞台に、怪物にまつわる事件を専門とする探偵〈鳥籠使い〉の活躍を描く原作は私も大ファンなだけに、放送を楽しみにしていました。

 この第1話は、原作第1巻の序章と、第一章及び第二章のそれぞれ終盤で語られる内容を合わせて再構成したプロローグ、いわば〈鳥籠使い〉誕生編というべき内容となっています。小説の序章では、津軽のところに鴉夜と静句が現れ、津軽に「私を殺してほしい」と告げるまでが語られ、以降、第一章終盤になって初めて、津軽と鴉夜の「正体」、そして鴉夜のビジュアルが明かされるという演出だったのですが、さすがにアニメではいつまでも伏せておくわけにはいかず、このような第1話となったということでしょう。
 しかしそれでもこのアニメ版第1話に当たる部分は原作では20ページ前後、しかもほとんど津軽と鴉夜の会話のみという内容だったのですが――そこにディテールを追加し、さらに演出を凝りまくることで、奇怪で奇妙で奇矯な物語の開幕編に相応しい内容としているのに感心させられました。

 原作にあるのは、津軽の見世物小屋での「鬼殺し」場面と座長との会話、そして上記の津軽と鴉夜の会話程度で、後はほとんど全てアニメのオリジナルではないか、というところ。津軽と静句の腕比べもオリジナルであります。(静句の実力と絶景の存在が原作で描かれるのは結構後なので、ここで彼女もただ者でないことを描いておくのは好印象)
 そしてこの第1話で妙に印象に残るのは、津軽の「日常」を描くくだり――横流しのビールを手に入れて飲んだくれ、町では怪物だと思われた野良猫を殺してくれといわれ――ですが、この辺りも全てオリジナル。しかし全くそれに違和感はなく、このうらぶれた空気感が、津軽の飄々として浮世離れした人物像に、不思議な説得力を与えていると感じられます。

 それでも、今回のメインとなるのは津軽と鴉夜の二人の会話であります。小説であれば会話文が続いてもさして違和感はありませんが、アニメでは二人の顔ばかり映すわけにもいきません。それを、カットやアングル、背景(二人が貧民街を歩くところまでは原作通りですが、その後の芝居小屋はオリジナルのはず)を様々に変えつつ、時に大仰とも感じられる――こういう表現が適切かはわかりませんが「演劇的な」――演出を用いて、二人が会話だけしているように思えぬ映像として見せたのには、やりすぎ感もありつつ、しかし「笑劇」である本作には似合いと感じます。

 とはいえ冒頭に述べたとおり、本作はミステリであります。この先、「探偵」による謎解きシーンが数多く描かれるはずですが、その場面をアニメで違和感なく描けるのか――この第1話を観る前は少々疑問に思っていましたが、これは期待してもよさそうです。


 そして物語は次回からが本番。公式サイトのキャラクター紹介を見る限りでは、原作の第3巻までをカバーするするようですが、さてどのように映像化するのか――次回からも楽しみにしております。


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2023.07.06

牧野礼『六四五年への過去わたり 平城の氷と飛鳥の炎』

 タイムスリップを題材とした歴史時代ものは少なくありませんが、過去から過去へのタイムスリップは比較的珍しいでしょう。本作は、日本書紀執筆のために奈良時代から飛鳥時代へ――乙巳の変の最中に飛ぶという危険な任務に挑む少女の成長を描く、非常にユニークで内容豊かな児童文学です。

 平城京で姉の真桑と二人、身を寄せあって暮らす少女・沙々。しかし彼女の運命は、その美貌に目を付けた貴人に姉が突然攫われたことで、大きく変わることになります。
 周囲から相手にされず、ただ一人で姉が連れ去られたという長屋王の屋敷に忍び込んだ沙々。しかし姉は見つからないどころか、沙々は陰陽寮の星読みの青年・言祝に見つかってしまうのでした。

 歴史書(後の日本書紀)を執筆している舎人親王により、「とくべつの務め」を与えられている言祝。それは過去わたりの秘法によって時を越え、かつて聖徳太子と蘇我氏がまとめていたものの、蘇我氏滅亡の混乱で失われた貴重な資料を持ち帰ることでした。
 しかし炎上する蘇我邸に向けて送り出された仲間たちは全て命を落とし、残るのは言祝のみ。ここに至り、事前に蘇我邸に潜入し、中の様子や、資料の隠し場所を先に探ると計画は変更になったのですが――その潜入に適した人間を言祝は探していたのです。

 ここで出会った沙々が適任ではないかと考えて彼女を連れ帰る言祝。行く宛もない沙々もまた、言祝の頼みを受け入れて準備を始めることになります。そして過去わたりを用いれば、姉が攫われる前に助けることができるのではないかと考えた沙々ですが……


 かくて、蘇我氏が滅亡した乙巳の変の炎の中から貴重な記録を回収するため、事前調査を行うという任務を与えられた沙々の奮闘を、本作は描くことになります。
 過去での調査の適格者とは、その場にいても目立たず、機転が利き――そして、仮に帰還できなくても支障のない者。最初の二つはともかく、最後の一つはあまりに非情ですが、過去わたりはそれだけ危険なもの。実は言祝もまた、この任のために集められた身寄りのない子供の最後の一人なのですから。

 それにしても、如何に歴史書編纂が国家事業とはいえ、そのためにタイムスリップを行うというのには驚かされますが、ではその方法はといえば――これが本作ならではの、実にユニークかつ美しいものであります。
 特殊な氷室に置かれた水盤に、氷で作った剣と目的の年月日の星図を沈めて呪文を唱え、水盤から取り上げた剣で空間を斬ることで時空の裂け目が生まれる――タイムスリップを描いた物語は古今無数にありますが、これほど神秘的で、ビジュアル的にも美しいものは珍しいのではないでしょうか。


 さて、この非常に独特なタイムスリップの理由とその手法、そして向かった先の過去での冒険だけでも非常に魅力的ですが、本作の内容はそれだけにとどまりません。実は本作の中心となるのは、その冒険の主人公である沙々の、人間としての成長なのです。

 流行病で家族を失い、真桑とただ二人で平城京に流れてきた沙々。そこで車借人(運送業)のかしらの下に身を寄せる沙々ですが、姉とは違いまだ水くみ程度しかできない彼女は、周囲から蔑まれ、乱暴に扱われる毎日を送ってきました。
 そんな中で、自分をちっぽけな、無価値な存在と思い込んできた沙々。しかし過去わたりを行うための修練を積むうちに、彼女は少しずつ変わっていくことになります。

 確かに選ばれた理由はポジティブなものではないかもしれません。しかし、今まで誰にも必要とされてこなかった彼女は、自分にならできる、自分にしかできない役目を得ることで、自己を確立し、自尊心というものを得ていくことになります。
 それはいかにも児童文学的な展開かもしれませんが、しかしその課程は、物語の展開と有機的に結びつき、ごく自然に描かれていくのです。

 もちろん、沙々の道のりは、決して楽なものではありません。それどころか途中で彼女を待ち受けるのは、思わず言葉を失うような過酷な(しかし大人には十分納得できてしまうような)事実であります。
 しかしそれでも彼女は自分自身というものを得たことで、自分の道を歩み始めます。そしてその彼女の歩みは、たとえ歴史の中では小さな一歩であったとしても、着実にその跡を残し、そして未来をも変えていく――その姿には、やはり感動的です。


 極めてユニークなタイムスリップによって奈良と飛鳥を結ぶ歴史物語であると同時に、その中で少女の確かな成長を描いた名品であります。


『六四五年への過去わたり 平城の氷と飛鳥の炎』(牧野礼 くもん出版) Amazon

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2023.07.05

平谷美樹『貸し物屋お庸謎解き帖 五本の蛇目』

 だいわ文庫での復活から早くも第三作目、白泉社招き猫文庫からは通算第七作目の『貸し物屋お庸』の登場です。奇妙な日常の謎から背筋が凍る怪異譚、そしてお庸本人の謎まで、江戸のレンタルショップを舞台に、バラエティに富んだ五つの物語が展開します。

 「無い物はない」が謳い文句の貸し物屋・湊屋の両国出店を取り仕切るのは、可愛い顔に男勝りの荒っぽい口調の娘店主・お庸。口は悪いけれどもおせっかいで情に厚い彼女は、不審な依頼があればその背後を探り、困っている人間がいれば一肌脱いで――と、今日も今日とて忙しい日々を送っています。

 そんなある日、お庸の店を訪れたのは、蛇目傘を五本も貸してほしいという若い男。客に貸すというその理由に何やら不自然なものを感じたお庸は、店で雇っている追いかけ屋――不審な依頼者の後を追いかけ、その依頼の真偽を探る役――に、男の後を追わせるのでした。
 はたして、男が向かったのは店などではなく、とある空地の掘っ立て小屋。男は、その中に潜む何者かに五本の蛇目傘を渡したようなのですが――さて、一体そこで誰が何のために五本の蛇目を使おうとしているのか?

 いち早くその用途に気付いたお庸ですが、しかしそれは騒動のほんの始まり。事態を収拾するため、お庸と仲間たちは奔走するのですが……

 そんな表題作「五本の蛇目」を含め、本作は全五話構成。
 新年早々、能管を探していると湊屋の本店と市中十二の支店全てに次々と現れた謎の老翁。並の人間では不可能な行動を取る翁の正体とその目的をお庸が追う「能管の翁」
 意中の茶屋娘を落とすために魚屋になると、てんびん棒を借りていった商家の若旦那に指南をすることになった出入りの魚屋。しかし魚屋が実は若旦那に懸想していたため、ややこしいことになる「魚屋指南」
 江戸中に吹き荒れた大風の後、猿を借りに来た男の正体が馬方だと推理したお庸。しかし猿を必要とする理由は想像を絶する奇怪なもので――という「野分の後」
 お庸が通う湯屋を監視する謎の男女の正体が、以前からお庸を狙う陸奥国神坂藩の手の者と見抜いた湊屋の主・清五郎。ついにお庸の謎の一端が明らかになる?「湯屋の客」

 このように、これまで同様、バラエティーに富んだ内容ですが、やはり面白いのは、お庸が挑む事件の中には、超自然現象が関わる事件が少なからずあることでしょう。
 これは以前にも触れましたが、同じ作者で同じレーベルの『草紙屋薬楽堂ふしぎ始末』が、どれほど奇怪な事件に見えようと、全て合理的に解決できるものであったのに対し、こちらのシリーズでは、本物の(?)亡魂や妖が関わる事件が含まれているのです。

 時には、それはちょっと反則では――と言いたくなるような展開がないでもありません。しかしそれだけで終わらず、そこからさらに謎解きが用意され、そしてお庸がロジカルに事態を収拾することは、どのエピソードも共通です。その意味で、変格の時代ミステリとして楽しめることは間違いありません。
 本作ではどのエピソードが該当するかは述べませんが、ぜひ実際に読んでみて、「えっ!?」と驚いていただきたいと思います。


 そしてまた印象に残るのが「魚屋指南」であります。意中の娘に「魚屋のような粋で鯔背な男が好き」と言われて魚屋を目指す世間知らずの若旦那・精一郎を中心としたドタバタものに見えるエピソードですが、実はこれが切ない恋愛もの。
 実は指南を頼まれた魚屋の勝之介は、精一郎を密かに慕っていた菊華、つまり男を愛する男。若旦那の近くにいられるのは嬉しいけれども、しかしそれは別の女のため――と、決して打ち明けられない想いに、勝之介の心は千々に乱れることになります。

 もちろん、困っている人間を黙ってみていることができないお庸は、何とか丸く納めようとするのですが、しかし事が人間の内面だけに関わるものだけに彼女も踏み込むことができず……

 だいわ文庫でリスタートしてからの新レギュラーである、陰間の綾太郎と陰間長屋の面々。ある事件でお庸と知り合って以来、彼女に惚れ込んだ綾太郎と仲間たちは、両国出店の追いかけ屋としてお庸に協力してきました。
 時代小説に陰間が登場することは少なくありませんが、レギュラーとして――それもコミカルなギャグ要員としてでなく――登場するのは珍しく、独自の視点を持つ綾太郎たちの存在は、貴重なアクセントといえます。

 このエピソードの勝之介は長屋の住人ではありませんが、同じ性的指向を持つ人間。お庸メインでは描けない(?)秘めた恋の悩みを描く物語の主人公として機能していたと感じます。


『貸し物屋お庸謎解き帖 五本の蛇目』(平谷美樹 だいわ文庫) Amazon

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2023.07.04

高橋功一郎『ハナシノブ 凛花捕物帳』第1巻 江戸の謎に挑む頭脳とアクションのヒロインコンビ

 主にスポーツ漫画、特にゴルフもので活躍している(個人的には『剣聖ツバメ』の)作者が、「コミック乱」でシリーズ連載している変格の捕物帳であります。好奇心旺盛な呉服問屋の一人娘と、お付きの女中(実は元忍び)のコンビが、江戸を騒がす怪事件に騒々しく首を突っ込――解決します。

 呉服問屋・坂田屋の一人娘・凛は、正義感が強く頭も回る美少女ながら、好奇心が強すぎるのが玉に瑕。今日も、柳原土手で暴行されて殺された茶屋娘の幽霊が出没し、見物しにいった人間が取り殺されたという噂を聞き、幽霊を目撃しようと張り込みを始めてしまいます。
 そんな凛の行動に頭を悩ましているのは、彼女に可愛がられている下女中のはな。山出しで垢抜けないはなですが、かつて行き倒れた自分を拾ってくれた凛に心酔、彼女が出かける時は必ずついていくものの、それだけに凛の酔狂にはすっかり弱っている状況です。

 そんな中、土手である品物を見つけ、そこから幽霊騒動の真相を見破った凛に迫る魔の手。凛が絶体絶命の窮地に陥った時、はなは隠していたその実力を発揮して……


 そんな第一話に始まる本作は、漫画では比較的珍しい印象の、女性コンビを主人公とした捕物帳(的なミステリ要素のある作品)です。

 実ははなは、風魔忍び――から抜けた父に技を叩き込まれた凄腕。その腕前たるや、今は六代目(おそらく小太郎)の下で江戸を警護している風魔の鳶沢甚内が、常につきまとってスカウトしようとしているほどであります。
 そんなわけで頭脳担当の凛と、アクション担当のはな(といっても自分の実力は凛を含め周囲には秘密にしているのですが)が、それぞれの特技を活かして怪事件の謎を暴き、悪人を退治することになります。

 この巻に収録されているのは全五話+αですが、人々を乱心させる化け狐や商家を次々と襲う髑髏の盗賊団、江戸の夜を騒がす巨大な化け猫の正体暴きがある一方で、江戸に出てきたはなの幼なじみが下手人にされた毒殺事件の真相究明など様々であります。

 正直なことをいってしまえば、本作はミステリ的な側面はかなり弱い印象があります。(その中では、毒殺事件のトリックと犯人を追いつめる策はなかなか面白かったと思います)
 その一方で、はなのアクション描写はかなりの迫力で、武士の剣術とはまた異なる忍びの剣を描いてみせるのに感心いたしました。また、単行本のおまけページで作者が書いているように、懸命にこの時代ならではの題材を追っているのもまた好感が持てます。

 しかし本作の最大の魅力は、凛とはなという、年は近いものの、生まれや育ちが全く異なる二人の少女の友情ではないでしょうか。
 はなは坂田屋でも下女中、本来であれば凛に直接仕えることはないはずの身分であります。そんなはなを凛は何故自分の一番近くに置いているのか、そしてはなは何故凛に仕えているのか――二人の純粋な姿は、作中の悪人たちが自分勝手な理屈で悪業を働くのと比して、眩しく爽やかに感じられます。

 そんな二人が、この先より手強い謎解きに挑むことに期待したいと思います。


『ハナシノブ 凛花捕物帳』第1巻(高橋功一郎 リイド社SPコミックス) Amazon

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2023.07.03

矢野日菜子『風の槍』第3巻 忠勝、本当の初陣へ!?

 若き日の本多平八郎忠勝の姿を描く歴史漫画の第三巻であります。桶狭間の戦いを契機に、今川家から離れた松平元康(家康)。しかし生き残るためには、敵であった織田信長と手を組む必要があります。そしてその後に待ち受ける本当の初陣を前に、新たな槍を求める忠勝ですが……

 主・元康に従い、織田家との戦いで初陣を飾った忠勝。しかし今川義元が桶狭間で討たれたことにより今川方は総崩れとなり、松平軍も這々の体で帰還することになります。
 しかしこれを奇貨として今川家からの独立を決意した元康は、義元を討った当の織田信長と同盟を結ぶため、清洲城に向かうのですが――しかし尾張の人々がつい先日までの敵であった松平家に向ける目は厳しいものがあります。はたして両者は一触即発の事態となって……

 という緊迫した状況で始まるこの巻ですが、ここで前に出たのはもちろん忠勝。罵声を浴びせる群衆を一喝する忠勝ですが、ここでその並々ならぬ気迫によって、一瞬で皆を黙らせてしまった――となればいかにも豪傑物語的ですが、本作はそのような描き方はしません。
 一喝にも負けず言い返してきた相手に「反論」することで、この場を単純な小競り合いではなく、「問答」に変えてしまった忠勝。本作は、単純な豪傑でも戦闘マシーンでもなく、あくまでも血の通った若者として忠勝を描きますが、この場面はそんな本作ならではの、忠勝のクレバーさを描いたものと言えるかもしれません。

 そして何とか窮地を乗り越えた元康主従ですが、もちろん本当に大変なのはこれから。対面した信長のす型はこの巻の表紙に描かれている通りなのですが、どこか陰性のものを感じさせるその姿は、不気味なものがあります。
 実のところ、ここでの出番はあまり多くない信長ですが、しかし忠勝にかける意味深な言葉など、当然ながら只者ではない印象で、この先の関わり方が気になるところであります。


 さて、今川家から離反、織田家と同盟した松平家ですが、言うまでもなくこれは松平家独立のための戦いの始まりに過ぎません。そして忠勝もまた、ここから本当の戦いに足を踏み入れることになります。

 もちろん、先の織田家との戦で初陣を飾っている忠勝ですが、実はあの時は敵と干戈を交えることはなく、その刃が敵を貫くことはありませんでした。
 その意味で、彼はまだ本当の初陣は飾っていないといえるでしょう。槍の師である血槍九郎こと長坂九郎はその体の仕上がりに太鼓判を押しますが、しかし実際の戦いは、素手で行うものではありません。

 そのために必要なもの――自分自身の槍を探す忠勝。そして彼が己の槍を作らせるに足ると感じたのは、まだ彼とほとんど年も変わらぬような若き刀工・藤原正真でした。
 後に忠勝のあの槍を鍛えたというほかは、謎の多い刀工である正真。本作で描かれるその姿も、本作のオリジナルであろうと思われますが――しかしここで一話以上を費やして描かれるその姿は、なるほど本作に相応しい人物として感じられます。

 幼い頃から師の技を見つめ続け、そしてそれを幾度となく実践することで、若くして頭角を現し、その名を与えられた正真。しかし彼が見たものは、それだけではありません。戦によって痛めつけられ、そして戦にかり出される農民たち――そんな人々の姿を見た彼が、そんな戦を起こす者のための武器を作ることに疑問を感じるのもまた、無理がないことといえるでしょう。

 そんな正真に槍の穂作りを依頼する忠勝ですが、大きく隔たりのある想いをいかにして埋めるのか。そして忠勝が正真に望む槍とは何か? ここでの二人の会話は――それを描く際の漫画的なテクニックも含めて――この巻のクライマックスと評しても間違いないでしょう。


 そして、東三河の登屋ヶ根城攻めに加わった忠勝。険阻な山道を上った先にある城を攻めるため進軍する忠勝ですが、敵が――死地が待つ道は、あの忠勝にすら恐れを抱かせ、足取りを鈍らせるものであります。
 その道を越えても、待ち受けるのは敵の長柄槍隊。長大な槍を振りかざし、一気に振り下ろすという単純な、しかしそれだけに恐ろしい敵を前にして、忠勝の槍はいかに攻めるのか。そして彼の槍が最初に討つ兜首は……

 忠勝の本当の初陣の模様は、次巻に続きます。


『風の槍』第3巻(矢野日菜子&NUMBER8 小学館裏少年サンデーコミックス) Amazon

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2023.07.02

『地獄楽』 第13話「夢と現」

 一度は倒されたものの鬼尸解したムーダンに単身挑む士遠。典坐を殺した天仙たちへの怒りに燃える士遠の刃はムーダンを圧倒し、佐切たちのフォローによってついにムーダンを討つが、仙汰が帰らぬ人となる。これ以上誰一人欠かすことなく帰還することを誓う佐切だが、その頃、画眉丸の身に異変が……

 アニメ版『地獄楽』もついに最終回。前回ラストに主役級の格好良さで駆けつけた士遠を中心とする人間たちと、鬼尸解して巨大な怪物と化したムーダンとの決戦が描かれますが、これが実にラストバトルに相応しいクオリティで大満足であります。
(リソースをここに一気につぎ込んだのだろうな、と思いますが……)

 もちろん内容的には原作そのままではありますが、しかしそこに動きがつけばこうなるか、と今更ながらに唸らされるばかり。有線ローゼスビット(薔薇じゃない)かテンタクラーロッド(拉弗来写でもない)を無数に生やした植物怪獣といった趣のムーダンの、時代劇にあるまじき火力はもちろんのこと、その触手を巧みに躱すヌルガイの体術、全て切り払う佐切の剣術、そしてもちろん今回ほぼ主人公扱いの士遠など、改めて漫画の描写からアニメとして動きがついたときの違いに感心させられます。
 もちろんアニメとしての動きだけでなく、声の演技も見事で、自らを責めながら憎しみに燃えて刃を振るうという、普段の「センセイ」らしさと裏腹の感情剥き出しの声――特に「許さない」連呼など、強烈に印象に残ります。(声といえばもう一人、仙汰の絞り出すような声も見事としか)

 が、その一方で残念だったのは、原作そのままにしすぎて不自然な流れになった箇所があったことです。士遠の援護に向かう佐切とヌルガイを杠が「ガンバッテ――ッ」と見送ったと思いきや杠の粘液が佐切に塗りつけてあったり、士遠が典坐の最期を脳裏に描きながら大見得を切った後で本当に丹田を斬っていいのかと迷ったり――この二箇所は、実は漫画ではちょうど回の切れ目をまたいだ箇所ですが、週刊連載であれば何となく許容できたものが、アニメになって連続して描かれると「あれ?」と気になってしまったのが正直なところではあります。これまでこの辺りが上手くいっていた感のあるアニメ版で、最後の最後にこうなってしまったのはいささか違和感がありました。
 その他、全般的に台詞にタメがなかったのも勿体なかったところで、特に士遠の「決して許しはしない」→天仙のことではなく自分のことだった、という意外性が消えてしまったのも残念でありました。

 と、贅沢をいえばいくらでも言えるものの、植物怪獣vs山田浅ェ門という冗談みたいなバトルを真っ正面から描ききったのはやはり見事というほかありません。ラストの咲き乱れる牡丹の花も鮮やかで、アニメ化の意味というものを大いに感じさせていただきました。


 さて、そんなラストバトルの一方で、主人公である画眉丸はといえば、記憶喪失――というより記憶混濁で、メイたちのことを完全に忘れていたり、自分自身のことを現石隠れ衆筆頭だと思い込んでいたりと、あまり(いや大いに)格好良くない状態ですが、ここで炸裂する物語の構図を変えかねない爆弾と合わせて、引きとしてこの不穏さは悪くありません。(ここで今までと変わらぬエンディングのあるカットが、また違って見えてしまうのもイイ)
 離ればなれになってしまった佐切と画眉丸が、全く異なる想いを抱きながら同じ月を見上げるというラストシーンもまた、美しく印象に残ります。


 と、ここで本当に終わってしまったら美しいどころではありませんが、無事第二期決定ということでまずは目出度い。Cパートには作中最大の問題児・山田浅ェ門殊現(と十禾)も顔を見せ――声がなかったのが残念ではありますが――お約束とはいえ、やはり良い引きであったと思います。

 おそらくは結構な間が空くような気がしますが、第二期ももちろん楽しみに待ちたいと思います。


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賀来ゆうじ『地獄楽』第5巻 激突、天仙対人間 そして内なる不協和音と外なる異物と

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2023.07.01

安達智『あおのたつき』第11巻 二人のすれ違った想い 交わる想い

 冥土の吉原から描く人間模様『あおのたつき』第11巻は、かつて心を深く通わせながらもすれ違い、幽明界を異にする二人の女性の物語。ある見世のお職と、そこにやってきた奴女郎と――二人の魂の行方を、あおと楽丸が見守ります。

 鬼助が壊した薄神白狐社も廓番の面々の助けで無事直り、これで何事もなくお盆を迎えられる――という時に、あおの前に現れた傀儡師・魂迎鳥の文目。浮世に届け物をすることができるという文目の言葉に、一度は引き寄せられたものの、その代償に愛しい人との記憶を奪われると知り、あおは辛うじて踏みとどまるのですが……

 と、まだ現世に残った妹への想いに悩むあおですが、その前に新たな遊女の魂が現れます。まるで影絵の指遊びのような、巨大な手を顔代わりにしたその遊女の名は卯月。吉原でも最下級である奴遊女(非公認の遊郭である岡場所から摘発されて吉原に下げ渡された遊女)であります。

 小見世で三カ年の奉公が決まったものの、廓のしきたりがわからないため、周囲からは奴と蔑まれ、嫌がらせやいじめを受けてきた卯月。彼女は、ある晩、見世で筆頭のお職である乙女から声をかけられます。
 客が帰り、一人夜を過ごしていたという乙女から、過去を聞かされる卯月。子供の頃、一人で寝ていた晩に売り飛ばされた過去から、夜一人で寝るのが怖いという乙女に、卯月は二人の手で影絵の兎を作り、独りではないと語りかけます。

 それ以来、卯月は乙女が一人の晩には共に時を過ごし、二人の絆は強く結ばれていくのですが――しかし、卯月に年季明けの時が訪れます。
 何とか残れるよう見世に頼むも、すげなく断られる卯月と、廓から出られる卯月に裏切られた気持ちを抱く乙女。乙女とはすれ違ったまま吉原を出た卯月は、しかしそのすぐ後に……


 これまでも、吉原に生きる人々が抱える様々な想いを――冥土にきてもなお残るようなわだかまりの存在を描いてきた本作。
 そのわだかまりの中身もまたそれぞれですが、かつて心を許し合った者同士が誤解からすれ違い、そのまま永久に別れることとなったというものほど、切なく、やりきれないものはないでしょう。そしてこの巻に収録された「耳塞ぎ」のエピソードは、まさにそのすれ違いと別れの物語であります。

 同じ遊女でありながら、ほとんど全く同じところのない二人が、しかし互いの欠けているものを埋め合い、深く心を通わせていく――そんな姿を丹念に、そして抑制の効いたタッチで描くこのエピソードは、それだけでも感動的ですが、しかしそれだけでは終わりません。
 そもそも卯月が冥土の吉原を――それも奇妙な異形の姿で――訪れる時点で、そこに決定的な別れがあったことはいうまでもありません。そこに至るまでに何があったのか――大いに気になる、しかし知りたくない真実を、本作は容赦なく描き出すのです。
(それにしても、乙女にも明かさなかった卯月の隠し事が明らかになった時の衝撃たるや――既に予想できるものであったにも関わらず)

 しかし、普通の物語では決定的な結末である死も、本作においては終わりではなく、むしろ始まりであります。
 既にすれ違ってしまった、そして文字通り住む世界が違ってしまった二人の想い――それが交わるところに生まれた優しい奇跡は、もちろんあおと楽丸が手助けしたものとはいえ、しかしこの二人だからこそ生まれたものに間違いありません。

 このエピソードのタイトルである「耳塞ぎ」は、身近な者が亡くなった時、亡者に呼ばれて冥土に連れて行かれないように、耳に餅を入れるまじないのこと。作中でも実際に乙女が耳に餅を入れられるのですが、しかしここで指しているのはそれだけでないことはいうまでもないでしょう。
 かけがえないものを失ってからはじめて、己の耳を塞ぐものから自由になる――それは非常に切ないことではありますが、しかしそれでもそこには、一つの希望があることは間違いありません。

 そして本作が、たとえどれほど辛い人間模様を描きながらも、その後に爽やかなものを残すのは、この希望の存在ゆえでしょう。


 ちなみにこの巻には番外編として短編「春待ち醜男」を収録。女好きだけれども相手にされず、彼女いない歴=年齢の男が、偶然薄神と出会ったことで美男に変わるも――という、ほとんど絵草紙の世界から抜け出てきたような、何ともすっとぼけたお話です。
 「耳塞ぎ」とのギャップにひっくり返りますが、それもまた本作の魅力であります。


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