ジェイムズ・ラヴグローヴ『シャーロック・ホームズとミスカトニックの怪』(その二)
シャーロック・ホームズがクトゥルー神話の邪神たちに挑む「クトゥルー・ケースブック」第二弾の紹介の後編であります。奇怪な精神病患者の行方を追うホームズが知る、戦慄すべき物語とは……
前作にはない、しかしホームズものとしての本作の大きな特徴――それは聖典でも『緋色の研究』『四つの署名』『恐怖の谷』と、長編四作のうち三作がそうであったように、現在の物語と、その現在の原因であり事件の動機である、過去の物語の二部構成となっていることであります。
そう、ある状況で、ホームズたちが手にした日記。そこに綴られていたのは、彼らが探していた精神病患者と思われる、科学者ザカライア・コンロイの過去の物語だったのです
ボストンの旧家に生まれ、優れた兄への劣等感に苛まれてきたコンロイ。しかし彼には脳医学に際だった才能があり、ミスカトニック大学に特待生として迎えられます。
そこで彼を待っていたのは、るホウェイトリー家の青年ナサニエル。ホウェイトリーに魅了されたコンロイは、学内では問題児として知られる彼と始終行動を共にするようになり、やがてそれは周囲からの白眼視を招くことになります。
そしてホウェイトリーに唆され、コンロイが行った実験――それは、生物の脳内のある物質を抽出し、他の生物に注入することで、意識を移し替えることができるというものでした。実験は成功し、サルにオウムの意識を移植したコンロイですが、それが露見したことにより、彼はは大学から放逐されることになるのでした。
絶望に暮れるコンロイに対し、外輪船によるミスカトニック川上流の探検計画を持ちかけるホウェイトリー。従来の生態系とは異なる奇怪な生物たちが潜む地域を探検し、生物学の常識を塗り替える貴重なサンプルを持ち帰る――そんな計画に魅せられたコンロイは、探検に参加することを決意します。それが自分たちの運命を決定的に変えてしまうとも知らずに……
本作のタイトルに冠されている「ミスカトニック」――クトゥルー神話ファンにとっては、言うまでもなくアーカムのミスカトニック大学が連想されますが、本作においては、(大学の名称の由来となったという)ミスカトニック川が、第二部の主要な舞台となります。「あの」ホウェイトリー家の人間の甘言で人生を狂わせた若き学究が、ミスカトニック川での探検でさらなる地獄に踏み込む――この第二部では、その様が、克明に描かれるのであります。
そもそも、神話的存在と遭遇して惨劇に見舞われる秘境探検というのは、クトゥルーものの一典型という印象がありますが、本作はその舞台を、遠い異国ではなく、ある意味馴染み深いアーカム近くの地に設定しているのが面白い。そこで描かれる人々や風物には、古きアメリカの暗黒面と言いたくなるような何とも厭な感触で、クトゥルー的、というよりラヴクラフト的テイストが感じられます。
そしてそれが縦糸だとすれば、横糸として存在するのがコンロイの禁断の研究であります。彼が「頭蓋間認知移動」と呼ぶそれは、いわゆる「脳交換」という如何にもパルプホラー的な題材をアップデートしたものといえますが、それがこの探検行と結びつくことで、更なる地獄を生み出すことになるのが実に素晴らしいところです。
正直なところ初めは、折角の長編なのだから、過去の因縁よりも、よりスケールの大きな現在のホームズの活躍を描いてもらいたい――などと思っておりました(正直なところ、個人的に聖典の長編では『バスカヴィル家の犬』が一番好きということもあり……)
しかし実際に読んでみれば、約束された悲劇に向かってグイグイと引っ張っていくストーリーテリングといい、描かれる事件のおぞましさといい、怪奇SFとしての完成度に驚かされた次第です。
そして過去の物語と現在の物語が結びつき、大団円を迎えるのですが――正直なことをいえば、ここに来て少々トーンダウンしたように感じられるのが残念なところではあります。しかもその原因が、あまりに邪神の存在によるところが大きいというのがまた……(ある意味最大の謎でありトリックの真相があれというのはちょっと)
実はこの事件自体が――という仕掛けは面白いものの、相手のスケールを考えれば、些か迂遠に感じられるところでもあります。
こうした点はあるものの、ホームズがその内心の葛藤に打ち勝ち、「帰還」を果たすのはやはり嬉しいところで、直球と変化球を巧みに織り交ぜたパスティーシュとして、楽しめる作品であったことは間違いありません。
本作は「クトゥルー・ケースブック」シリーズ三部作の二作目ですが、第三作目の邦訳も決まっている様子。はたして如何なる結末を迎えるのか、今から楽しみであります。
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