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2023年11月

2023.11.30

冲方丁『剣樹抄』 光圀が追う邪悪 少年が踏み込む地獄

 先日、続編が文庫化された連作時代活劇の第一作であります。江戸時代前期、子供たちの隠密集団・拾人衆と共に、増加する火付け盗賊の取り締まりに奔走する水戸光圀と、彼と奇しき因縁で結ばれた無宿の少年・六維了助の戦いを、様々な歴史上の有名人を配して描く物語であります。

 幼い頃、旗本奴に父を殺害され、以来、同じ無宿の人々に育てられてきた了助。しかし明暦の大火で育ての親を失い、ただ一人辛うじて生き延びた彼は、深川で芥運びなどをして命を繋ぐことになります。

 一方、突然に父から火付けを働く浪人一味を追うように命じられた若き水戸光圀は、幕府が密かに育成してきた、子どもばかりの隠密組織・拾人衆の存在を知るのでした。
 それぞれ特技を持つ拾人衆の力を活かし、先手組の徒頭・中山勘解由とともに、正雪絵図なる精巧な絵図面を持つ一味を追う光圀。しかし、その一人を密かに追う光圀たちの前に現れた了助は、野球のバッティングめいた異形の剣術で、浪人に襲いかかります。

 我流で木剣の修行を重ね、育ての親や皆の仇として、火付け一味を狙っていた了助。その凄まじい技と執念に目を付けた光圀は、拾人衆に了助を誘います。
 人の世話になることに反発と恐れを感じながらも、相次ぐ事件の中で様々な人と触れあい、成長していく了助。そんな了助と絆を育む光圀ですが、彼には絶対了助には明かせない過去が……


 江戸市中はおろか江戸城天守閣までが消失し、死傷者も甚大な数に及んだ江戸時代最大の大火にして、その後の江戸の都市計画にも大きな影響を与えた明暦の大火。
 出火の原因は、若くして死んだ娘の念が籠もった振袖だという怪談めいたものから、かの由井正雪の残党によるものだという説まで様々ですが、本作はその後者を踏まえつつ、物語を展開していくことになります。

 江戸においては様々な理由で「効率のいい」火付け盗賊。本作ではこれを取り締まるために、まさに後の火付盗賊改である火付改加役の中山勘解由とともに、まだ藩主を継ぐ前の水戸光圀が奔走する――という時点で、作者の名前を見ればオッと思う方も多いでしょう。
 言うまでもなく作者の冲方丁の歴史ものの代表作は『光圀伝』――本作はそのスピンオフと明示されているわけではありませんが、光圀・泰姫・左近・頼房といった面々が登場、そして『光圀伝』では武蔵との出会いとなったあの事件が、物語の背骨として位置付けられています。

 しかし本作は、光圀の――武士の視点(もっとも光圀は、それまでの武士からは些か異なる立場にはあるのですが)からのみ描かれるわけではありません。もう一人の主人公として、無宿者として生きてきた了助を配置することで、変わりゆく江戸という街を、変わりゆく武士という存在を、重層的に描くことに成功しているといえるでしょう。


 そしてまた本作で魅力的なのは、次々と登場する実在の人物たちであります。先に挙げた中山勘解由のほか、勝山、水野十郎左衛門、幡随院長兵衛、明石志賀之助、鎌田又八、龍造寺伯庵等々――これら同時代の人々が、短編連作スタイルの物語の中で、様々な形で火付け盗賊を巡る騒動に絡んでいく姿には、伝奇時代劇ならではの楽しさが溢れています。
(その中でも旗本奴と町奴の争いが意外な方向に展開していく「丹前風呂」は出色)

 そしてその一方で、架空の人物もまた、実在の人物に負けないほどの重みを持ちます。その中でも特に強烈な印象を残すのは、作品通しての光圀と了助の宿敵となる、錦氷ノ介であります。
 総髪の美形で、隻腕に鎌を取り付けた剣鬼、いや剣狂というべき氷ノ介。作品の随所で火付け盗賊の一味として邪悪な姿を見せる彼の誕生の陰には、実在の大名・稲葉紀通が起こした稲葉騒動がありました。そのある意味作者らしい凄まじい地獄の描写は、憎むべき邪悪でありながらも、彼もまた犠牲者の一人という、何ともやりきれないものを感じさせるのです。


 そして人間が生み出した地獄は、一人、氷ノ介のみが見るものではありません。名前も顔もわからぬ仇を討つために、ひたすら剣を練る了助もまた、その心の中に一つの地獄を持っている、いや、持っているといわぬまでも地獄に近づいているのですから。

 本作のタイトルにある「剣樹」――それは了助が身を置く東海寺で見た、刃の枝葉を持つ樹に貫かれる地獄絵図に由来します。
 了助が父の仇を知った時に、恐れつつも魅せられたその地獄に彼は踏み込んでしまうのか? 本作の中では描かれなかったその時に、了助は、そして光圀は何を想い、どのような道を行くのか――それが描かれる続編も、近日中にご紹介いたします。


『剣樹抄』(冲方丁 文春文庫) Amazon

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2023.11.29

椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第7巻 四つの超常現象と仲間たちの成長

 日本各地で起きる怪奇現象の背後に潜む能力者を、陸軍エリィト育成校に「推薦」する岩元先輩の奮闘を描く本作――好調第七巻となる本書では、全四話の短編エピソードが描かれます。いずれも常識外れの怪異を引き起こすのは如何なる能力なのか? 危険と隣り合わせのスカウトは続きます。

 昭和初期、日本各地からエリィトが集められる陸軍栖鳳中学校。肉体派エリィトが集まる前線部隊、頭脳派エリィトが集まる研究棟に加え、もう一つ存在する「隔離施設」――奇妙な能力者たちが集うこの分隊に、日本各地から能力者たちを「推薦」するのが、学園書記長の岩元胡堂であります。
 自身も火を自在に操る能力者である岩元は、各地で起きる超常現象を調査、時に危険な能力者と対決し、その価値があれば学園にスカウトするよう、学長直々の命を受けているのです。

 かくて岩元と様々な能力者の出会いあるいは対決が描かれてきた本作ですが、最近は一巻おきに、短編エピソード集と、怪奇人間との対決を描く長編が繰り返されてきた印象があります。
 前巻は奇怪な能力者「毒男」との対決を描く長編でしたが、今回は全四話の短編が収録されています。

 人形と会話する能力を持つ一年生・淡魂瑞火が、かねてより探していた天才人形師・迦楼羅の人形が京都に出現、瑞火と岩元が追う「稀代ノ人形師」
 橘城学園長が、百貨店の昇降機の中でみかん売りの少年と出会ったことをきっかけに垣間見た異界。その調査に、念写能力者の筆岸蛉と岩元が向かう「暗闇行キノ昇降機」
 小学校時代の級友から聞かされた中学校の奇妙な噂話をきっかけに、 岩元の後輩・原町が想像を絶する能力者と遭遇する「原町海ノ事件ノォト」
 異例の長寿を誇った科学者・牧野翁の死後、解剖された体内に奇怪な水が発見されたことをきっかけに、学園内に科学とも憑き物ともつかぬモノが跳梁する「ソノ憑キ物水ノ如シ」

 どのエピソードも他所ではまず見られないような独創性に満ちているのは、これまで同様。そこで描かれる超常現象(あるいはそれを操る能力)のロジックと描写、それに対する対抗手段やストーリー展開には驚かされるばかりです。

 特にこの巻で印象に残ったのは「暗闇行キノ昇降機」であります。ある意味都会に生まれた最先端の科学である昇降機を一歩降りれば、そこには暗闇が広がり、その中には「なにか」が蟠っている――そのギャップと、異界を描く画の力に圧倒されるのですが、岩元たちの調査によって明らかになっていく、謎の能力者の「能力」が素晴らしい。(そこに念写能力者を絡ませることでさらに謎めいたものとする趣向も見事)
 全ての謎が明らかになるわけではない結末も、このエピソードにおいてはむしろ効果的に働いているといえるでしょう。

 また、別の意味で度肝を抜かれたのは、「原町海ノ事件ノォト」です。とある尋常中学校で囁かれる奇妙な噂と、ある意味で名物教師の存在――どの学校にでも一つや二つあるような逸話が、思わぬところで繋がり、そこに現れるのは……
 いや、何をどうすればその能力が発現するのか!? というか何をどうすればこんな能力を思いつくのか? と唖然とする展開から、ラストはイイ話として締められるという、ある意味本作を象徴するような凄いエピソードであります。


 ちなみにこの巻の各エピソードでは、学園の様々な生徒(能力者に限らず)が前面に出る形で、岩元はむしろ一歩下がり、締めに登場するという印象があります。これまで様々な能力者をスカウトし、そしてまだまだ未知数の存在も学園にはいることを思えば、このスタイルは正解でしょう。
 何よりも仲間たちの成長は、岩元自身が望むところでしょうから……

 敵(?)も味方も、この先の意外な能力者の登場が楽しみで仕方ない作品です。


『岩元先輩ノ推薦』第7巻(椎橋寛 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon


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2023.11.28

出口真人『前田慶次かぶき旅』第14巻 西軍敗北の立役者!? そのうつけ者の顔は

 豊前細川家を舞台に、細川忠興相手にかぶいてみせた慶次。仲間たちと別れた慶次ですが、その前に現れたのは莫逆の友・奥村助右衛門ではありませんか。そして二人が向かう先は、周防岩国――関ヶ原での西軍敗北の立役者(?)というべき人物を前に、慶次の行動は……

 豊前細川家で、伊賀の忍びに操られた細川忠興の罠を正面から粉砕し、細川家の兄弟喧嘩を粋に裁いてみせた慶次。その後、共に戦ってきた仲間たちは肥後に去り、ただ権一のみを供に豊前に残っていた慶次ですが――そこに襲いかかる刺客たちを蹴散らしたのは、慶次の莫逆の友にして前田家の(元)家老・奥村助右衛門! 今は隠居した彼は、慶次に会うために豊前までやって来たのであります。

 そして旧交を温める二人がそこから向かうのは、周防岩国。今は岩国にいる天下一のうつけ殿――関ヶ原で西軍を敗北させた張本人・吉川広家の顔を見に行こうというのです。はたして、歴史を動かした男の顔とは……


 これがまあ、吉川広家というより鎌倉幕府初代将軍! という感じなのですが、それはさておき――いざ現れた広家は、城にも戻らず、旅籠で芸妓の膝の上で「イヤじゃイヤじゃ」言っているという、まさに自他共に認めるうつけ殿であります。
 が、もちろんわざわざ慶次が会いに来ようという人間が、単なるうつけなはずもありません(会って早々、ツッコミで慶次に冷や汗かかせる人物は初めて見た気がします)。

 そもそも関ヶ原の戦の際、広家が家康と内通したのは、毛利家を後に残すため。そのために汚名を着せられるのは承知の上で、持てる手段を尽くして家康と通じたのですから、並みの覚悟と手腕でできるはずもありません。
(まあ、史実では家康に通じるのは毛利の重臣たちのある程度の総意だったようですが……)
 何よりも彼は、かつて自分に国を救うことを願い、そして関ヶ原の際には彼らを助けて国を救った女芸人の死に涙を流せる人物――愛した女性のために涙を流せるというのは、本作における「漢」の条件の一つであります。

 しかしそんな人物であっても、御家存続のためには節を曲げ、同胞から裏切り者呼ばわりされなければならないのが戦国という時代。そんな彼に対し、嵩にかかって嘲るような連中がいるのも、また世の習いというべきかもしれません。
 そして、そんな輩によって小姓が殺されても、一度は膝を屈しそうになった広家ですが――そこに慶次がいたのですから、ただで済ませるはずがありません。広家もまた、そんな慶次に触発されて立ち上がることに……

 というところで次巻に続く本作。はたして毛利の運命は、そしてそこで広家は如何なる役割を果たすのか。戦いは始まったばかりであります。


 ちなみに本作の慶次は、これまで肥後加藤家・薩摩島津家・筑前黒田家・豊前細川家と九州諸国を漫遊してきましたが、この巻でついに本土に上陸。これはいよいよ家康の寿命もストレスで縮みそうであります。
(というか、第1巻の時点で本多正信が「やがて毛利や上杉を目覚めさせるやも知れませんな」と言ったとおりになりつつあるわけで……)


『前田慶次かぶき旅』第14巻(出口真人&原哲夫・堀江信彦 徳間書店ゼノンコミックス) Amazon

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2023.11.27

安田剛士『青のミブロ』第11巻 迫る対決の時 そして二人の悪友の悪巧み

 アニメ化も決定し、キャストも次々と明らかになってきた本作ですが、連載の方はいよいよ一つのクライマックスに差し掛かります。周囲の思惑も意に介さぬように暴走を続ける芹沢と、彼の排除の意志を固めた土方。両者の対立が深まる中、間に立つ新見は、思わぬ決断を下して――いよいよ対決の時が迫ります。

 隊士の増強を行い、本格的に活動を開始したミブロ。しかしそんな中でも、先だって大坂の力士と乱闘を起こした芹沢の行状は改まらず、いよいよ試衛館一派との溝は深まります。
 そして御所と目と鼻の先にある大和屋の焼き討ちという暴挙に出た芹沢に対し、会津藩からも暗に排除の命が出たこともあり、ついに動き出す土方。しかし芹沢の影響力は大きく、八月十八日の政変でもその将器を見せつけた彼を、正面切って排除することは困難というしかありません。

 そんな中、ただ一人芹沢のもとを訪れる新見。幼馴染であり、芹沢のことを誰よりも良く知る新見が語る言葉は……


 これまで数々の戦いをくぐり抜け、着実に力をつけてきたミブロ。揃いの羽織を身につけ、隊士も増え、(住民からの目はともかく)不逞浪士の取り締まりに邁進し、八月十八日の政変でも存在感をしたこの時期は、後の新選組の活躍に向けて、力を蓄える期間であったといえるかもしれません。
 さらに言えば、その期間の締めくくりが、芹沢の暗殺であったのもまた事実でしょう。そしてこの芹沢暗殺は、様々な新選組ものにおいて一つの(さらに結構な割合でラストの)クライマックスとして描かれてきました。

 本作がこれから迎えるのもまさにそのクライマックスではありますが、しかし本作のそれが他と異なる印象を与えるのは、芹沢、そして新見のキャラクター描写に拠るところが大きいことは、間違いありません。
 粗暴で気分屋、しかし剣の腕は超一流でカリスマ性が高い――そんな一般的な芹沢のイメージを、本作も踏まえて描かれています。その一方で本作の芹沢は、どこか茶目っ気が感じられる、それでいて筋の通った武士らしさもあるという、いささか複雑な人物として描かれてきました。

 要は、ミブロにとっては色々と困った人物ではあるけれども、頼れる兄貴分的な存在――それが本作の芹沢といえるでしょう。しかし(元々そういう面は多分にあったとはいえ)、それが何故目に余るほど暴走を始めたのか――その答えはまだ明確には描かれてはいませんが、単純な暴走ではないことは明らかであります。
 しかし、それでも芹沢を排除しなければならない――その事実は、大人たちよりも、におや太郎という少年たちに重くのし掛かることになります。そしてその視点がまた、本作ならではの芹沢像をより印象付けているのは間違いありません。

 しかし、本作がさらに独自性を感じさせるのは、新見の存在であります。これまでの新見像といえば、芹沢の悪党仲間か腰巾着という印象が強くありましたが――本作の新見は、極めて理知的で、芹沢の傍らにはいながらも、その暴走を憂い、監察として牽制する(ように見える)という、ユニークな立ち位置にあります。
 しかし新選組ファンであればよくご存じのように、新見は芹沢よりも前に、文字通り詰め腹を切らされたはず。それを本作においてどう描くか――それはこの巻の時点ではまだ明らかになってはいないのですが、それに至るこの巻のラストのエピソードには、こうくるのか!? と驚くと同時に、本作であればこうなるだろうと、二人の悪友が悪巧みの最中に見せる実に楽しそうな笑顔に、大いに納得させられるのです。

 そしてついに後戻りはできなくなったミブロ。それぞれの立場からこの事態に向き合うことになった面々は、何を想い、どのように動くのか――この先の展開から、一時たりとも目を離すことができません。


 なお、この巻に収録された「かくれんぼ」と「僕の名前」の二つは、登場人物の一人称で始まるエピソード。どちらもある意味反則的な結末を迎えるのですが、それだけに強烈に印象に残ります。
 特に「かくれんぼ」は、あまりのやりきれなさに、できれば二度と読みたくないと思ってしまうほどの内容。しかし後編にあたる「蛍の光」ともども、本作の芹沢を描くには欠かすことができないエピソードであることは間違いありません。だからこそまたやりきれないのですが……


『青のミブロ』第11巻(安田剛士 講談社週刊少年マガジンコミックス) Amazon

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2023.11.26

モーリス・ルブラン『奇岩城』(その二) カエサルからルパンへ! そして青春時代は終わる

 アルセーヌ・ルパンものの代表作『奇岩城』の紹介の後編であります。少年探偵ボートルレが見つけた謎の紙片に記された暗号。それが示すものとは……
(作品の終盤の展開に触れることになりますのでご注意下さい)

 それは遙か古代から続く王者の証、そして神出鬼没の怪盗紳士・ルパンの力の源だった――そんな途方もない展開を、本作は見せることになります。いうまでもなく、それが「奇岩城」こと「空ろの針」なのですが、その正体がまた、最高に伝奇的としかいいようがありません。

 カエサルからヴァイキングの王、イギリス王家からフランス王家へ――歴代の王者たちの権力の源であったと言われる「空ろの針」。その秘密は徹底的に秘匿され、かの鉄仮面が幽閉されたのも、ジャンヌ・ダルクが火刑に処されたのも、この秘密を知ったためだった。そしてその秘密は、処刑寸前のルイ16世からマリー・アントワネットに託されて――と、伝奇者であれば確実に体温が上がる設定ではありませんか。
(さらにこの秘密は、ルブランの作品世界を貫く「カリオストロ四つの謎」の一つという、さらにたまらない設定も後に追加されることになります)

 ルブランの作品が、しばしば歴史趣味に彩られていることはつとに指摘されるところですが、むしろこれは伝奇趣味というべきでしょう。史実を知れば知るほど、この辺りはテンションが上がってしまうのです。
 そしてその巨大な流れを「カエサルからルパンへ」という言葉で表すセンスよ!


 しかし、実はこの「空ろの針」こそが、これまでのルパン物語の背後に存在する大秘密だった――と、大河ドラマ的趣向までここで描かれることになります。そう、実に本作は、これまでのルパン物語の総決算、一つのピリオドという意味付けすら感じられるのです。

 それはこの「空ろの針」の秘密もそうですが、登場人物の点でも、その印象が強くあります。ルパンの宿敵・ガニマール警部、ルパン物語の語り手「わたし」、そしてイギリスの名探偵シャーロック・ホームズ(と訳されるエルロック・ショルメ)、さらには乳母のビクトワールといった、お馴染みの面々が次々登場するのは、やはりシリーズものの醍醐味でしょう。
 しかし実はこのうち、ビクトワール以外の三人の登場は(後付け的に登場したケースを除いて)これがラスト。ルパン物語の初期を――「怪盗紳士」のイメージを固める時期を――飾った三人の退場は、一つの区切りを強く思わせます。

 いや、退場するのは彼らだけではありません。ルパンその人も、ここでその怪盗紳士としての人生を終えようとしていたのですから。
 終盤、ついに「空ろの針」の謎を解き明かしたボートルレの前に現れるルパン(ここでそれなりに予想できるとはいえ、衝撃の展開が用意されているのが心憎いのですが、それはさておき)。ボートルレに「空ろの針」の秘密を、そして自分自身の戦果を、ルパンは語ります。まるで全てをボートルレに伝え残すように……
 それもそのはず、実はある理由から、ルパンは怪盗紳士としての自分の半生を擲とうとしていたのであります。

 つまりまさに本作は(結果としてどうであったかはともかく)ルパンにとっては一つの大きな区切りとなる物語――そしてその物語を語るのに、ルパン自身やこれまでルパンに接してきた者ではなく、全くの第三者だったボートルレを選ぶというのは、これまでのルパンの物語を俯瞰する上で、大きな意味があったと感じます。
(そしてルパンが、ボートルレと敵対しつつ、どこか教え諭すような態度であったことも頷けるのです)


 しかし物語は、あまりに突然の、そして思わぬ悲劇でもって幕を下ろすことになります。この結末は、色々な意味でどうにもやりきれないのですが――しかしある種の因果を感じさせるこの結末以外、この物語の結末はあり得なかったのもまた事実でしょう。
 この後、ルパンは、もう一つのピリオドというべき雄編『813』が控えているわけですが――どこか野望に憑かれた彼の姿を見ると、ルパンの青春時代は本作で終わったのだな、と感じさせられるのです。

 この辺りの感覚は、間違いなく大人になって初めて感じられるもので、ぜひ子供の頃に本作に親しんだ方は、もう一度読み返してほしいと思います。


 それはさておき、ホームズファンとしては結末には一言もの申したくなるわけですが――いや、ここであの「大役」を果たせるのは、彼だけだというのは理解できるものの。


『奇岩城』(モーリス・ルブラン ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon

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2023.11.25

モーリス・ルブラン『奇岩城』(その一) 怪盗紳士vs少年探偵! 知名度No.1の名作

 アルセーヌ・ルパンもの数ある中で、おそらくは最も知名度が高い作品であります。被害なき盗難事件に始まり、張り巡らされた数々の謎と暗号を巡り、高校生探偵イジドール・ボートルレがルパンと頭脳対決を繰り広げる――シリーズ初の長編、そして伝奇色も濃厚な、名作中の名作であります。

 ある夜、ノルマンディのジェーブル伯爵の屋敷に何者かが侵入、秘書が殺される事件が発生。自ら銃を取った伯爵の姪・レイモンドが屋敷から逃走する人物を撃ち、傷を負わせるのですが――そのまま謎の人物は姿を消し、そして屋敷からは盗まれたものは何も見つからないという、不可解な事態となるのでした。
 混乱を極めるその現場に現れたのは、若干17歳の高校生にして素人探偵のボートルレ少年。わずかな手がかりで屋敷から何が盗まれたか、そして秘書が誰に殺されたかを見抜いたボートルレは、事件の犯人がルパンであり、ルパンはまだ屋敷の敷地内にいると指摘するのでした。

 しかし休暇を終えたボートルレが学校に戻った後も、警察の捜査虚しくルパンは発見されず、それどころか報復のためか、レイモンドが誘拐されることになります。
 再びノルマンディを訪れたボートルレは、ついに傷を負ったルパンの隠れ場所を発見するも、そこにあったのは死体のみ。はたしてルパンは本当に死んだのか、レイモンドの運命は――そして、レイモンドの誘拐場所で見つかった紙片に記されていた不可解な暗号は何を意味するのか。

 そしてなおも真相を追うボートルレの前に現れた人物。その正体は……


 という冒頭1/3の時点までで、既に波乱万丈な展開が連続する、この『奇岩城』(『奇巌城』表記もありますが、ここではハヤカワ文庫版に依ります)。
 ここまでで普通の長編並みの満腹感ですが、物語はここからが本番であります。ルパンとボートルレとの一進一退の――いや、ボートルレが追いついたと思えば、その一歩も二歩も先を行ってるルパンとの攻防は、周囲の人々を巻き込みながら続ます。そこにさらに謎の暗号の秘密が有機的に絡み、最後の最後まで盛り上がりは止まりません。

 そんな本作の大きな魅力が、ボートルレその人であることは、衆人の認めるところでしょう。これまで数々の職業探偵や悪人たちを退けてきたルパン――そのまず間違いなく最強の敵の一人が、高校生の素人探偵という設定の妙にまず唸らされます(ルルーの『黄色い部屋の謎』のルールタビーユの影響では、というのはさておき)。
 しかし今読み返してみると、ボートルレは、ルパンとは別の意味で感情豊か――というか「多感」で、特に悔しいことやショックなことがあった時によく泣くのが、年頃の純心な少年らしく印象に残ります。

 特にルパンを一度は出し抜いて(と思われて)開かれた祝賀会のまさにその場で、自分の推理の誤りを指摘され、何も言えずに泣き出してしまうくだりは、ある意味実に意外な、隠れた名場面であります。
 しかしこの場面ではありませんが、出し抜かれて目を潤ませるボートルレに
「本当にかわいいね、きみは……思わず抱きしめたくなるよ……いつも驚いた目をしているのが、胸に迫るんだ……」
と語りかけるルパンには、さすがに驚かされるのですが……

 それはさておき、本作はルパンシリーズとは言い条、主人公はボートルレであって、ほぼ完全に彼の視点で物語が進み、ルパンはその敵役というべき立ち位置で描かれることになります。しかしだからこそ本作では、ルパンの巨大さというものが、強烈に印象付けられることになります。
 これまでは読者としてルパンの立場から見ていたものが、一度敵側に回せばこれだけ恐ろしい相手なのかと――長編であるだけに、本作ではじっくりと描かれ、厭でも理解させられるのです。
(もっとも本作の場合、その強大さを感じさせる手段として、誘拐が妙に多い気がするのはどうかと思いますが)


 さて、もちろん本作の魅力はそれだけに収まりません。ボートルレがルパンを追ううちに、否応なしに直面させられることになる謎。それはあの謎の紙片に記された暗号――かろうじて「空ろの針」と読み解けたその暗号が示すものは何か!? 

 それは――思いのほか長くなりましたので、次回に続きます。


『奇岩城』(モーリス・ルブラン ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon

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2023.11.24

『るろうに剣心』 第二十話「明治剣客浪漫譚 第零幕 前編」/第二十一話「同 後編」

 諸国を流浪する中、横浜に立ち寄った剣心。そこで仮面の外国人医師・エルダーが悪徳医師・石津泥庵の用心棒に絡まれていたのを助けたのをきっかけに、剣心はエルダーの素顔を知ることになる。そして、石津に雇われてエルダーを狙う西洋剣士・エスピラールと、剣心は決闘することになるが……

 まさかの第零幕が前後編で描かれることとなったこの第二十話・二十一話。原作は連載終了からだいぶ経ってからの掲載ということで、比較的知名度が低いエピソード(アニメ放映とほぼ同時に、文庫の『るろうに剣心 アナザーストーリーズ』に収録されましたが)ですが、そこにアニメ独自のアレンジを加えることで、魅力的な内容となっていたといえます。

 原作では一話分ということで、かなりあっさりしていましたが、今回は二話分、それも本編の中に挿入される形となったことで、様々なアレンジを施されているのが目を惹きます。
 その一つ目は、剣心とエルダー、そして車夫の男吉の交流。原作では剣心がエルダーと知り合った後、すぐにエルダーの「正体」が描かれ、後はクライマックスの決闘シーンに雪崩れ込むという、かなり慌ただしい展開だったのですが、今回のアニメ版では、三人がアフタヌーンティーしたり、居留地見物に出かけるという場面が用意されています。
 居留地見物の時の、ヘンな役割分担(?)も面白いのですが、目を惹くのは剣心が茶を飲む場面――庭の沈丁花の香りはわかっても、紅茶の香りがわからない剣心に、エルダーが心因性のストレスを見て取るのは、ちょっとドキリとさせられるシーンです(そしてこれが大きな意味を持つのですが、それは後述)。

 しかし、ある意味今回一番インパクトが大きかったのは、エスピラールのキャラクターの大きな変化ではないでしょうか。日本剣術vs西洋剣術というのは、これは時代ものでは一種の定番パターンではありますが、刀身に螺旋の入ったレイピアという如何にもるろ剣らしいケレン味溢れる武器を披露しながらも、原作でのエスピラールは、紙幅の都合もあってあっさり倒される殺し屋という、実に勿体ない扱いでした。

 それがこのアニメ版では、エルダー抹殺を請け負いながらも、むしろ彼女の護衛を務める最強の剣士・人斬り抜刀斎との尋常な勝負を夢見るという、洋の東西は違えど、剣士の魂を持った男として描かれます(原作では自らを剣士ではなく「人を殺す者」と自称しており、明確に立ち位置が異なります)。
 ここでエルダーを人質に剣心との対決を求めながらも、剣心が応じると「手荒い真似、失礼した」と彼女に詫びる礼儀正しさ(これもオリジナル)を見せるのも心憎いのですが、決闘ではオリジナルの奥義トルナード・インフィエールノまで披露。これがまあ、自分の体を極限までねじって放つという、何だかうずまきに呪われてるんでは――と心配になる技というのはさておき、これまた実にるろ剣らしい奥義で満足であります。
(ここで剣心の返しが、奥義の回転に巻き込まれながらその力をカウンターで叩き返すという、リンかけのヘルガのブーメラン・スクエア破りっぽいのがジャンプらしさを感じる――か?)

 そして改心したエスピラールは、横浜を天然痘の脅威から救い、最後はエルダーのボディーガードとして彼女と一緒に旅立つという、原作の没案を活かした結末を迎えて――と、三木眞一郎が声を当てただけはある(微妙に巻き舌の喋りもイイ)、実に美味しい役どころとして昇華されておりました。

 ここで注目すべきは、決闘を終えて意識を取り戻したエスピラールにエルダーが語りかける言葉でしょう。剣心に敗れたことで、最強の剣士を目指すという希望を失ったエスピラールに、目標が大きすぎると道に迷うと――もっと小さな目標、小さな希望を持って生きてはどうかと語るエルダー。エスピラールが剣を振るう理由を見つめ直すきっかけとなった彼女の言葉は、このエピソードの結末に、まことに相応しいものであると感じます。
 そしてそれは、誰もが安心して暮らせる新時代という大きな希望の下に人斬りの刃を振るい、大きすぎる犠牲を払った剣心にも、そのまま当てはまる言葉といえます。この対比の妙には、ただただ唸らされるばかりです。

 そして今回のエピソードは、実は本編の中で、剣心がいつもの仲間たちと茶を飲んで寛いでいる時に話した物語という趣向。ここで、横浜では茶の香りもわからない――つまり茶の味も楽しめなかったものが、今では楽しむことができることを示すこの場面は、剣心が神谷道場で歩みを止めることで、確実に癒やされていることを示しているといえます。

 もっとも、もうすぐその神谷道場から離れることになるのですが……


 それにしても本編と続けてみると、原作の執筆年代が大きく離れる本作は、ギャグのセンスも全く異なっているのが興味深い……


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2023.11.23

陶延リュウ『無限の住人 幕末ノ章』第9巻 龍馬四面楚歌、そして流される万次

 万次たち剣士が死闘を繰り広げる一方で、着々と進んでいく歴史の流れ。薩長同盟を成功させた龍馬が次に狙うのは、大政奉還――しかしそれは、これまで手を組んできた薩長を敵に回すことに繋がるのでした。幕府を含め、四面楚歌の龍馬を守ろうとする万次ですが……

 自分の預かり知らぬところで不死力解明実験が繰り返されていたことを知った綾目歩蘭。幕府側で血仙蟲を生み出していた江戸城地下の万次の腕を破却した彼女は、あとわずかで国外に出られるというところで、生きていた佐々木只三郎――いや佐々木源八の手で、無惨な最期を遂げることになります。
 一方、その悲劇を知らずに奔走していた龍馬と万次は、挽斃連の襲撃を受け、龍馬を庇おうとして万次は共倒れに。しかしその場に現れた総司が、万次と龍馬を助けるのですが……

 というわけで、知らぬ事とは言いながら、新選組にとっては宿敵である龍馬を助けてしまった総司。そしてその直後に血を吐いて倒れた総司を新選組の屯所に連れて行った二人は、そのまま連行されてしまうのですが――土方の機転(?)と、思わぬ人物の助けでその場は逃れたものの、なおも龍馬の受難は続きます。

 前巻では犬猿の仲である薩長同盟を成立させた龍馬ですが、次なる策・大政奉還の策は険しい道のり。考えてみれば、ようやく手を組んで幕府に互する力を得ながらも、その力を行使しない(させない)ために大政奉還をさせようというのですから、薩長にとって面白かろうはずもありません。
 双方が龍馬を敵視する、いや、その命すら狙う一方で、元々龍馬は幕府にとってもお尋ね者――まさに四面楚歌であります。

 しかしその幕府側の急先鋒というべき新選組も、既に一枚岩ではありません。そう、伊東甲子太郎一派が御陵衛士として新選組から分派、この伊東の思想が龍馬のそれと近かったことから、伊東は龍馬への接近を企み――と、龍馬を巡って京の情勢は複雑に動くことになります。

 当然、龍馬の用心棒である万次にとっては、気の休まらない日々が続くわけですが――ここでの万次は完全に龍馬に振り回されている、というより歴史の流れに振り回されている状態という印象があります。
 仕方ないといえば仕方ないところですし、これはこれで実は万次らしい(正伝の頃から、基本的に周囲に振り回されて貧乏くじを引くのが万次でしたし)のですが、やはり少々味気ないという印象は否めません。
(一時は行動を共にした高杉晋作の呆気ない退場も、歴史にキャラクターが流されている印象を強めます)

 むしろその一方で、ある意味元気なのは(元を含めた)新選組の側でしょう。新選組と御陵衛士、つまりは近藤・土方派と伊東派が暗闘を繰り広げる中で、思わぬ目立ち方をするのは藤堂平助――作品によって結構描かれ方が異なる平助ですが、本作の平助は、かなり黒い部分を抱えた人物(ここで語られる彼の過去の行動には些か驚きました)として描かれることになります。
 特に、御陵衛士にスパイとして入り込んでいたことで知られる斎藤一との対決は、その展開の意外さと、ある意味本作らしいなりふり構わなさから、この巻の隠れた名勝負という印象があります。

 とはいえ、何と言っても最も派手に動くこととなったのは総司でしょう。歩蘭の死により薬が手に入らなくなり、しかし剣を振るうことと引き換えとなる肺の摘出手術は拒否した末に、ついに土方から江戸帰還を命じられた総司。
 一度は江戸に向かった総司が、その途中で見かけてしまったのは、龍馬の手配書き――かつて自分が知らずに助けた男が、幕府の敵であったことを知ってしまった総司は、江戸帰還を拒否して暴走を開始します(ここでのアクロバット縄解きが凄まじい)。その暴走の先にあるものは……


 かくて薩摩・新選組(あと見廻組)・御陵衛士・そして総司が、それぞれの想いから追う龍馬。その龍馬は、隠れ家としている近江屋にひとまず腰を落ち着けるのですが――いよいよ運命の時が迫る中、誰が龍馬を斬るのか。そしてその時、万次は――物語は一つの、そして大きなクライマックスに差しかかったといえるでしょう。


『無限の住人 幕末ノ章』第9巻(陶延リュウ&滝川廉治&沙村広明 講談社アフタヌーンコミックス) Amazon

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2023.11.22

青木朋『天上恋歌 金の皇女と火の薬師』第8巻 三人の別れ、歴史の分岐点!?

 意外な表紙キャラに驚かされるこの第八巻では、この数巻並行して描かれてきた、アイラと康王と白凜之の三人の想いの行方と、金・宋・遼の戦いの行方とが、いよいよ一つの区切りを迎えることになります。激闘の末に陥落した燕京を巡る金と宋の対立は、三人に思わぬ影響を与えることに……

 父・金皇帝アグダが病に倒れたために、祖母が倒れたと称して急遽帰国することになったアイラと、「祖母」の見舞いのために金を訪れることになった康王、そして童貫に睨まれたところを康王の通訳として同行することになった白凜之。
 金でも複雑に交錯する三人の想いですが、金に対して燕京を攻めあぐねる宋からの応援要請があったことから、三人は金の本営に同行することになります。

 過去の因縁を背負い激突する二太子・オリブと遼の英雄・ユドゥの激闘はオリブの勝利に終わり、ついに陥落する燕京。しかしそこに現れた童貫は、燕京の引き渡しを求め……


 と、自分は散々敗れて助けてもらったくせに、戦いが終わってからやって来てデカい顔をするという、最低ムーブをカマしてきた童貫。ある意味期待通りと言いますか、やっぱり童貫はこうでなくちゃ! と思ってしまうのですが、まだまだ童貫の最低っぷりには底があります。
 自分の意に沿わぬからと排除した白凜之が欠けたために新兵器・地龍が文字通り不発に終わったことを棚に上げ、敗戦の責任を工兵隊に押し付ける。工兵隊を救いたければ自分に従えと白凜之に迫る――いやもう、漫画みたいな(漫画です)悪役ぶりですが、童貫ならこれくらいやる、と納得させられます。

 もちろん、この窮地にアイラが黙っているはずはないのですが――ここでアイラが白凜之の窮地を知り、そして康王に助けを求める、これまでの展開を踏まえたシチュエーションが展開されるのは、見事というほかありません。
 そしてアイラの願いを受けて、政治向きのことから背を向けてきた康王が、童貫と対峙する(もちろんそれまでの仮面を有効活用するのですが、それもまた実に「らしい」)姿も、彼の――そして彼とアイラたちの関係性の変化を感じさせて、胸が熱くなるものがあります。


 しかしこの巻で真にグッとくるのはその後であります。宋に帰る白凜之に、(己の気持ち的な意味で)別れを告げたアイラ。そして自分も金に帰るアイラは、康王に別れを告げるのですが、ここで康王は――!
 これまでのドラマを思えば、ついにここまで来たか、と感慨深くなるこの場面、ひたすら初々しい二人の姿が実に微笑ましいのですが――しかし史実を思えば、微笑ましさばかりを感じてはいられません。

 あるいは、ここが歴史の分岐点だったのかもしれないと思うと、たまらなく切なくなる――というのは先を考えすぎですが、これまで以上に、この先の展開を早く読みたいような読みたくないような気分にもなるのです。


『天上恋歌 金の皇女と火の薬師』第8巻(青木朋 秋田書店ボニータコミックス) Amazon


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2023.11.21

高橋留美子『MAO』第18巻 遭遇、華紋と白眉 そして新御降家の若者の歩む道

 土の術者・大吾の「復活」を期に、千年前に御降家で起きたことの一端が、次々と明らかになっていく『MAO』。その一方で、白眉率いる新御降家の術者たちも、様々な動きを見せます。この巻では、御降家と新御降家の面々の対峙が様々な形で描かれることになります。

 一千年前の御降家の後継者争いで、真っ先に命を奪われたはずが、奇怪な形で大正の世に復活した大吾。その大吾の五体を集めていた夏野、そして大吾の死に絶望した紗那と、様々な形で大吾はその後の出来事に影響を及ぼしていたことが判明するのですが――まだ全貌がわかるのは先のようであります。

 そんな中、世間を騒がす連続一家皆殺し事件。その真犯人は、手にした人間を妖に変え、周囲の者たちを襲わせる呪具・化生の匣でした。
 かつて御降家で白眉が管理していたものが、御降家崩壊の混乱の中で失われた化生の匣。封印から解かれて次々と犠牲者を出す匣を再び封じようとする摩緒たちと、再び掌中に収めようとする白眉の命で匣を追う新御降家の蓮次と流石と――この両者と匣との、三つ巴の戦いが繰り広げられることになります。

 ここで印象に残るのは、なんといっても化生の匣の悍ましさでしょう。人を妖に変えるという恐るべき力を持つ呪具というだけでなく、己の意志すら持ち、犠牲者を増やすために取り憑く相手を選んで行動する――そしてその気になれば人間だけでなく、様々な生物を操るその姿は、まさしく怪物と呼ぶに相応しい存在感があります。
(そして戦いの舞台である女子寮での描写が実に厭で怖い……)

 この匣を巡り、摩緒・菜花・華紋・百火と、蓮次・流石そして白眉の対峙する様がまた面白い。それぞれの術を活かしてのバトルもいいのですが、何よりも、意外にも大正では初顔合わせだった華紋と白眉の会話の中で、それぞれのキャラクターが浮き彫りになっていく様が、まさしく「白眉」というべきであります。
 そして千年経っても、敵味方になっても、先輩と話す時には一応「さま」をつける、御降家の人間関係が妙におかしい……
(もっとも「敬語でめちゃくちゃディスってくる」のですが)


 さて、そんな御降家の面々がそれぞれの自己を強烈に確立しているのに対して、まだまだ術の面でも人格の面でも危なっかしいのが新御降家の面々。それをある意味最もよく象徴しているのが、針を使った金の術の遣い手・かがりであります。

 御降家の流れを汲む呪い屋の名門(?)に生まれながらも、自分を遙かに上回る姉・綾女にコンプレックスを持ち、白眉の下についたかがり。そのむしろ幼いといってよい性格と中途半端に物騒な術には、何をしでかすかわからない怖さがあったのですが――強さと、そして自己承認を求める心に逸る彼女の矛先は、ついに姉に向けられることになります。
 芽生の人間蠱毒の邪気を利用して己の針をパワーアップさせ、ついに姉を倒したかがり。そして綾女の治療に訪れた摩緒と菜花は、図らずも姉妹の争いの間に挟まることになります(姉妹の言い争いに、冷静にツッコミを入れる二人の姿が妙におかしい)。

 精神性が完成されているという点ではむしろ摩緒たちに近い綾女に対して、目先の安易な力(人間蠱毒でパワーアップした針はその象徴でしょう)に飛びつくかがり。
 本作の新御降家の面々の多くは、それぞれ程度の差はあれ普通の若者であったものが、御降家と関わりあったために徐々に、そして強く呪いの世界に踏み込んでいく姿が描かれていきますが――今回、かがりは後戻りできない一歩に踏み出してしまったというべきでしょう。

 物語全体の謎に絡むものではありませんが、物語に関わるキャラクター像を描く上で、印象に残るエピソードであります。


 さて、この巻の終盤からは、大正になっても陰惨な人身御供の風習を続ける村を舞台に、流石と摩緒・菜花の対峙が描かれることになります。

 上で述べた新御降家の面々の中でも、例外的に生まれつき呪術に触れ、それが逆に不気味なほどあっけらかんとした精神性をもたらしている流石。
 金のためであれば平然と人を傷つける流石は、ある意味御降家の人間の在るべき姿なのかもしれませんが、それが摩緒とは正反対の立ち位置であることは言うまでもありません。両者の対決の行方は、次巻に続きます。


『MAO』第18巻(高橋留美子 小学館少年サンデーコミックス) Amazon

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2023.11.20

山本功次『大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう 抹茶の香る密室草庵』 シリーズ初、待望の(?)密室殺人!?

 江戸で起きた事件を現代の科学で捜査する『大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう』、その第十弾は、おゆう待望の(?)密室殺人。衆人環視の茶室で起きた殺人事件の謎に、おゆうと鵜飼、そして千住の先生が挑みます。何かと茶に絡む事件の真実とは……

 源七親分とともに、行方不明になった公事宿の客・徳左衛門を探すことになったおゆう。しかし徳左衛門はほどなくして川から死体で発見され、おゆうたちは事件として調べを始めるのですが――その矢先に鵜飼とおゆうは、南町奉行所の内与力・戸山から呼び出されるのでした。
 茶問屋の清水屋に招かれて、他の茶問屋とともに、根津の寮を訪れた戸山。ところが、その清水屋が茶室で殺されたというのです。

 しかし当の戸山が、清水屋が躙り口から茶室に入るのを目撃したほかは、誰かが茶室に出入りすればすぐわかる状況であったにも関わらず、茶室に出入りした人間はゼロ。そんな事件を内々に事件を捜査することになったおゆうたちですが、いわば密室殺人という状況に捜査は難航することになります。
 それならばと千住の先生こと現代の友人・宇田川を招いて調査を行ったおゆうは、寮の中で意外なものを発見するのでした。

 さらに最初に殺された徳左衛門が、茶問屋に茶を買いたたかれて苦しんでいた茶農家であったことを知ったおゆう。一連の事件の背後には、茶問屋に対する冥加金の値上げがあることを知ったおゆうですが――彼女たちが事件を追って向かう先々には、同様に事件を調べる謎の武士が現れるのでした。
 さらに拐かしまで発生し、いよいよ複雑さを増していく事件。おゆうは清水屋の寮に秘密が隠されていると睨むのですが……


 冒頭で触れた通り、記念すべき第十弾となった本作で描かれるのは、シリーズ初の密室殺人。初というのはかなり意外な気もしますが、現代ではミステリマニアだったおゆうが、自分が密室殺人を手がけることになって、(不謹慎を承知でも)テンションが上がるのは何となく納得できます。

 しかもその舞台が茶室というのが面白い。出入り口が限られた狭い空間で、如何にして殺人が行われたのか――しかも、奉行所の内与力をはじめとする衆人環視の下で、というのはなかなかに魅力的な謎ではありませんか。
 もちろん、それに対して正攻法(?)で挑むばかりではないのが本シリーズ――密室は本当に密室だったのか確認するため、ファイバースコープを持ち出すのは序の口、地中レーダーまで投入するやり過ぎ感は、本シリーズならではの魅力といえるでしょう。

 もっとも、科学捜査だけで全てが解決するわけではないのは、これまで同様であります。むしろ捜査によって深まってしまった謎を解決するのは、あくまでもおゆうの頭の冴え――特に今回は複数の事件が錯綜した上に、謎の(時代設定を考えれば何者かは想像がつくかと思いますが……)お忍びっぽい武士まで参戦するという、ある種の賑やかさが楽しいところです。


 しかしもちろん本作の最大の魅力は、先に述べた密室殺人のトリックであることは間違いありません。詳しくは明かせませんが、なるほど、これもまた一つの密室――といいたくなるような設定の妙には唸らされました。
 そしてそれだけで終わらず、最後まで残った謎の意外な真相も実に面白く、まずミステリ味としては、シリーズでも屈指の内容といってよいのではないでしょうか。

 そしてもう一つ本シリーズのお楽しみといえば、ラストの「えっ」と驚かされる一捻りですが――さすがに鵜飼のモノローグは苦しくなってきたかな、と思いきや、今回はその先に別の人物のモノローグが……
 実は作中で「おや?」と思っていた部分がここに来て見事に決まり、あっと驚く新展開。おゆうを巡るドラマも、まだまだ盛り上がりそうであります。


『大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう 抹茶の香る密室草庵』(山本巧次 宝島社文庫) Amazon

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2023.11.19

「コミック乱ツインズ」2023年12月号

 号数でいえば今年ラストとなる「コミック乱ツインズ」12 月号は表紙が何と『江戸の不倫は死の香り』、巻頭カラーは『鬼役』。『勘定吟味役異聞』が最終回を迎える一方で、、ラズウェル細木『大江戸美味指南 うめえもん!』がスタートします。今回も印象に残った作品を紹介しましょう。

『ビジャの女王』(森秀樹)
 ジファルの過去編も終わり、今回から再び描かれるのは、ビジャの城壁を巡る攻防戦。そこで蒙古側が繰り出すのは、攻城塔――重心が危なっかしいものの、装甲を固め、火矢も効かないこの強敵を前に、ブブがまだ戦線に復帰しないビジャは窮地に……

 しかし、インド墨者はブブだけではありません。そう、モズがいる! というわけで、これまではその嗅覚を活かした活躍がメインだった彼が、ついに墨者らしい姿を見せます。攻城塔撃退に必要なのは圧倒的な火力、それを限られた空間で発揮するには――ある意味力技ながら、なるほどこういう手があるのかと感心。ビジュアル的に緊張感がないのも、それはそれで非常に本作らしいと感じます。


『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 ついに今回で最終回、「父」吉保の置土産である将軍暗殺の企ての混乱の中で、徳川家の正当な血統の証を手に入れた柳沢吉里。しかしその証も、事なかれ主義の幕閣の手で――と、大名として残る吉里はともかく、ある意味同じ幕臣の手で夢を阻まれた永渕にとっては、口惜しいどころではありません。

 死を覚悟した永渕は、最後に聡四郎に死合を挑み、最終回になって聡四郎は宿敵の正体を知ることになります。聡四郎にとっては降りかかる火の粉ですが、師の代からの因縁もあり、ドラマ性は十分というべきでしょう。
 しかし既に剣士ではなく官吏となった彼の剣は――と、最後の最後の決闘で、彼の生き方が変わったこと、さらにある意味モラトリアムが終わったことを示すのに唸りました。

 そして流転の果てに、文字通り一家を成した聡四郎。晴れ姿の紅さんも美しく(吉宗は相変わらず吉宗ですが)、まずは大団円であります。が、もちろんこの先も聡四郎の戦いは続きます。その戦いの舞台は……
(と、既にスタートしている続編の方はしばらくお休み状態ですが――さて)


『口八丁堀』(鈴木あつむ)
 特別読切と言いつつ先月から続く今回、売られていく幼馴染を救うために店の金に手を付けた男を救うため、店の主から赦免嘆願を引き出した例繰方同心・内之介。しかしその前に切れ者で知られる上司が現れ――という前回の引きに、なるほど今回はこの上司との仕合なのだなと思えば、あに図らんや、上司は軽い調子で内之介の方針を承認します。
 むしろそれで悩むのは内之介の方――はたして法度を字義通りに解釈せず、人を救うために法度の抜け道を探すのは正しいのか? と悩む内之介は、いつもとは逆に自分が責める側で、イメージトレーニングを行うのですが――その相手はなんとあの長谷川平蔵!?

 という意外な展開となった今回。正直にいえば、二回に分けたことで、内之介が見つけた抜け道のインパクトが薄れた気がしますが――しかし、ここで内之介が法曹としての自分の在り方を見つめ直すのは、彼にとっても、作品にとっても、大きな意味があるといえるでしょう。単純なハッピーエンドに終わらない後日談の巧みさにも唸らされます。


『カムヤライド』(久正人)
 東に向けて進軍中、膳夫・フシエミの裏切によって微小化した国津神を食わされ、モンコたちを除いて全滅したヤマト軍。そして合体・巨大化した国津神が出現し――という展開から始まる今回ですが、ここでクローズアップされるのは、フシエミの存在であります。
 かつてヤマトでモンコに命を救われたというフシエミ。その彼が何故モンコの命を狙うのか――その理由には思わず言葉を失うのですが、それを聞いた上でのモンコがかける言葉が素晴らしい。自分の力足らずとはいえ、ほぼ理不尽な怒りであっても、全て受け止め、相手の生きる力に変える――そんな彼の言葉は、紛れもなくヒーローのものであります(そしてタケゥチも意外とイイこという)。

 その一方で、前回のある描写の理由が思わぬ形で明かされるのですが――そこから突然勃発しかかるカムヤライドvs神薙剣。また神薙剣の暴走かと思いきや、そこには意外な理由がありました。ある意味物語の始まりに繋がる要素の登場に驚くとともに、なるほどこれで二人の対決にも違和感がない――という点にも感心させられました。


 次号は創刊21周年特別記念号。今回お休みだった『真剣にシす』が巻頭カラーで登場。『軍鶏侍』は完結とのことです。


「コミック乱ツインズ」2023年12月号(リイド社) Amazon

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2023.11.18

高瀬理恵『暁の犬』(その二) そして青年が辿り着く先を変えたもの

 鳥羽亮『必殺剣二胴』の高瀬理恵による漫画化『暁の犬』の紹介の後編であります。原作の流れを忠実に追いながらも、しかし原作とはまた異なるテイストを見せた本作。それを相良が象徴している意味とは……
(以下、原作及び本作の終盤の展開に触れる部分がありますので、ご注意下さい)

 さて、この相良は、原作にも登場しているキャラクターであります。原作でも藩と佐内との繋ぎ役であり、そしてクライマックスでは自ら前線に出る人物であることは変わりませんが――しかしもちろん(?)衆道趣味はなく、そしてその点を除いても、佐内とそこま絡みが多いわけではありません。

 その一方で本作の相良は、どうしても佐内を口説くシーンが印象に残りますが、しかし彼が佐内に対して語るのは口説き文句だけではありません。
 剣の道に悩み、二胴の剣士の影に怯え――怯え、苛立ち、大きく揺れる佐内に対して、相良は、時に冷静に、時に茶化しながら言葉をかけます。それは、剣術以外はどうにも危なっかしい佐内を、からかいつつも世慣れた兄貴分として諭すような態度であり――そしてそんな相良に容赦ない反撃をしながらも、佐内も強ばりが解け、一人の青年として、自然な姿を見せるようになるのです。

 いわば本作の相良は、佐内の懐に入り込むことで、佐内の剣士以外の――いうなれば人間としての顔を引き出しているといえるでしょう。


 そして、佐内が他者と接する中でその関係性を、そしてそれに伴って彼の人間性すら変化されるのは、相良の場合のみに限りません。
 刺客という裏の顔を持つ剣士として、おしまのような親しい人間に対しても、どこか壁を作って接する佐内。いや、それどころか、何故自分が刺客として生きるのか、何のため生きるのか――それすらも考えられぬ人物として、彼は描かれます。しかし幾多の死闘をくぐり抜け、そしてその最中で――自分の正体を知る者、知らない者を問わず――周囲の人々と接するうちに、佐内が少しずつ人間性を獲得していく様が見て取れます。

 それは例えば、自分に対して一途な愛を捧げる満枝(それが決して流されてのものでなく、自分の意思と覚悟を持って行っていることが、わずかな描写で浮き彫りされるのが素晴らしい!)に対して、己の想いを露わにする姿に――そしてまた、決戦を前に、それまでの戦いの中で命を落としていった者たちの名を挙げ、自分の斗いを見届けてほしいと益子屋に対して告げる姿に、はっきりと現れているといえるでしょう。

 本作の原作である『必殺剣二胴』は、極めてドライな、ハードボイルドタッチの小説であります。佐内は剣士であると同時に、孤独な刺客であり、そして最後までその苛烈な生き方をほとんど変えることはありません。
 その一方で本作は、始まりは同じでありながらも、佐内と人々の間で通う情の存在を描くことにより――つまりある意味ウェットな関係性を描くことを通じて、佐内という青年の変化、成長を描くのです。

 そんな原作と本作の違いは、その結末において明確となります。死闘の末に闇の中に終わる原作と、暁の光を迎えて終わる本作と――ほぼ同じ設定で、同じ展開を辿りながらも、二つの物語が結末を大きく違える(第六巻の二割程度を占めるエピローグは、実は丸々オリジナルの内容であります)ことになった所以は、この佐内と周囲の人間の関係性の変化であると、いってよいかと思います。


 発端となった人物――歴史に名を残す人物にとっては、血で血を洗う抗争も「いささかのまごつき」であり、「さしたる事は」ないのかもしれません。そして佐内たちは、あくまでも金で雇われた走狗に過ぎないのでしょう。
 しかしそうであったとしても、そして名もなき剣士に終わるとしても――佐内にとってこの闘いがかけがえのないものであったことは、それを最初から最後まで見届けた人間にとっては、大きく頷けることでしょう。そしてそれを描ききった本作が、かけがえのない物語であるということもまた。

 剣術描写・人物描写の妙と美麗な画(各巻の表紙絵の美しさよ!)、そして原作を踏まえつつそこからさらに踏み込んでみせた物語展開――時代小説を原作とした漫画が数ある中でも、最良の漫画化の一つであると同時に、作者にとっても現時点での最高傑作というべき逸品であります。


 にしても、最終巻のおまけページは衝撃の展開というべきでしょう――たとえ暁を迎えても、闘いは続くのであります。人生という闘いは……


『暁の犬』(高瀬理恵&鳥羽亮 リイド社SPコミックス全6巻) 第1巻/ 第2巻/ 第3巻/ 第4巻/ 第5巻/ 第6巻


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2023.11.17

高瀬理恵『暁の犬』(その一) 美麗に、そして凄絶に――漫画で甦る必殺剣

 鳥羽亮の『必殺剣二胴』を、『公家侍秘録』『江戸の検屍官』をはじめとする時代漫画の名手・高瀬理恵が描いた『暁の犬』の最終巻・第六巻が刊行されました。かつて自分の父を斬った謎の秘剣と対峙することとなった刺客にして剣士・小野寺佐内の戦いを、美麗に、そして壮絶に描く物語であります。

 剣術道場を営む一方で、刺客として金で人を斬るという裏の顔を持つ小野寺佐内。いつものように口入れ屋の益子屋の依頼である武士を斬った佐内は、その後、標的と同じ唐津藩士であった依頼人が、腹を真っ二つに裂かれた死体で発見されたことを知ることになります。
 その死体の有様が、かつて何者かに斬殺された父と同じだったことに衝撃を受ける佐内。彼同様、刺客稼業を営んでいた父が、生前に同じ唐津藩と縁があったことを知った佐内は、謎の剣客を斬る依頼を引き受けるのでした。

 そして藩の徒目付・相良から、唐津藩の国元に据え物斬りの秘剣「二胴」が伝わると、聞いた佐内。秘剣の遣い手が父の仇と睨んだ佐内は、その候補者である三人の藩士殺しを併せて請け負うことになります。
 老中の座を目指す藩主・水野忠邦の思惑を巡り、藩論が二分されているという唐津藩。その一方の依頼を受けたことで、争いの渦中に身を置くこととなった佐内は、同じ益子屋の下の刺客仲間と共に、標的を片付けていくのでした。

 そんな中、満枝という美しい許嫁を得ることとなり、戸惑う佐内。しかし御家騒動と二胴を巡る争いはさらに激化し、佐内の周囲は血で血を洗う様相を呈することに……


 本作は、原作小説『必殺剣二胴』から、幾つか設定(例えば本作の唐津藩は、原作では架空の藩であり、御家騒動の内容も異なります)を変えつつも、原作の登場人物や主な内容に「ほぼ」忠実に漫画化した作品であります。
 一撃必殺の秘剣・二胴の正体は、姿なきその遣い手は何者なのか、そして佐内は二胴を破ることができるのか? そんなミステリ要素を持つ剣豪ものとしての興趣と、金で雇われる走狗である佐内たち刺客のハードな生き様と――二つの要素を持つ原作を、本作は巧みに漫画として再構築しているといます。

 そんな本作の魅力の一つは、言うまでもなくその剣戟シーンの凄まじさであります。冒頭からラストまで、数多くの流派の剣士・刺客たちが、様々なシチュエーションで死闘を繰り広げる本作ですが、その一つ一つが凄まじい迫力と緊迫感に満ちた、まさしく「死闘」。
 もちろん、作者が剣戟を描くのはこれが初めてでは決してありませんが、剣戟シーンをメインとするという印象はなかっただけに、嬉しい驚きというほかありません。特にラスト二戦の、台詞を極限まで省いての剣戟描写は、こちらも息を呑んで見つめるほかない凄まじさが強烈に印象を残します。


 しかし本作の魅力はそれだけではありません。次々と命が奪われていく殺伐とした物語でありながらも、いやそれだからこそ、登場人物は皆活き活きとした存在感を持って感じられます。
 その筆頭が主人公である佐内であることはいうまでもありませんが(ちなみに彼が役者のような美青年というのは原作由来)、しかし読者にとって最も印象的なのは、おそらく相良ではないでしょうか。

 佐内たち刺客に敵対派の暗殺を依頼してきた江戸家老の懐刀であり、佐内との繋ぎ役ともいうべき相良。当然と言うべきか切れ者であり、いかにも食えないやり手なのですが――しかし衆道趣味という彼の一面こそが、強いインパクトを残します。

 刺客とは思えぬ美形である佐内を一目で気に入り、以後、事あるごとに彼に粉をかけようとする相良。一歩間違えるとイロモノになりかねないキャラクターですが、しかし衆道趣味はあくまでも彼の一面、上で述べたような様々な顔を同時に見せることで、何とも複雑で、魅力的な人物像を作り出しているのであります。

 そしてこの相良の存在は、ある意味この『暁の犬』という漫画の、原作から離れた独自性を象徴しているのですが――長くなりましたので、次回に続きます。


『暁の犬』(高瀬理恵&鳥羽亮 リイド社SPコミックス全6巻) 第1巻 /第2巻 /第3巻 /第4巻 /第5巻 /第6巻


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2023.11.16

わらいなく『ZINGNIZE』第10巻 ばんばばん迫る刺客と復活の魔剣士!

 第二部突入、単行本二桁突入の『ZINGNIZE』ですが、高坂甚内の方はいきなり大ピンチ。彼の首にかけられた賞金を狙う八人の刺客に加え、お菊までもが彼を狙います。一方、出雲阿国の前には、かつて庄司甚内に倒された剣鬼が出現、捕らわれの身になる阿国のですが……?

 宿敵・風魔小太郎を倒したものの、江戸から姿を消した高坂甚内。それから三年、江戸と大坂の緊張が高まる中、大坂の間者であった高坂に対して徳川は多額の賞金をかけ、八人の猛者を刺客として送り出すことになります。
 一方、京に向かったお菊と庄司は、そこで阿国と共に暮らす高坂を発見。再会を喜ぶ間もなく、大鳥井逸平の襲撃を受ける高坂ですが、さらにお菊までもが彼に襲いかかり……

 と、再会した愛する人にいきなり腹をブッスリやられた高坂。それでも全く気にしていない、というより完全に舐めプの辺りが彼の器のデカさというべきかもしれませんが、そんな修羅場(?)でお菊に手を出そうという大鳥井こそいい面の皮であります。
 鎧というより巨大ロボじみた外見の上、四人の仲間と共に連携攻撃を仕掛ける、一見強敵の大鳥井ですが――手傷を負った高坂に速攻でボコられて退場。八人の刺客の一番手としては不甲斐ないというか理想的というか……

 しかしそこに現れたのは同じく刺客の一人のライオンじみた外見の男。「ばん」「ばんばばーん」と叫ぶばかりのその男の名は、塙団右衛門! なるほど、言われてみれば(?)というところですが、後世に名を残す豪傑が、ここで、こんな姿で見参というのには驚かされます。
 しかし驚かされるのはその戦闘スタイル。古代ローマの軍装を参考に、二頭の馬を手足のように操る塙団右衛門の猛攻に、さしもの高坂も大苦戦を強いられることになります。

 一方、そんな騒動も知らずに旧知の仲の岩佐又兵衛と再会した庄司甚内ですが、そこに現れたのは妖刀籠釣瓶を手にした剣鬼・小妻岩人――かつて小太郎の同志として江戸に現れ、多くの民の命を奪った末に、庄司の奮闘(と高坂のフォロー)の前に散った怪物であります。
 その際に失ったはずの命を、小太郎同様に辺魂樹で蘇らせ、いまや籠釣瓶が本体というべき小妻。彼は阿国とお菊を緊縛して、高坂の行方を問うのですが――色々あって庄司が役に立たない中、阿国がその魔性をフルに発揮して……


 というわけで、この巻のメインは高坂甚内vs塙団右衛門と、出雲阿国vs小妻岩人――というより、この二番勝負のみでほとんど話が進んでいないというのが正直なところであります。
 相変わらず時々何が起きているのかわからなくなるアクションの連打の末に、気が付いてみれば最終ページだった――というのは幸福なのか残念なのか、悩ましいところではあります。

 もっとも、怒濤の超人バトルの中で見え隠れする人間関係が、なかなか興味深いところであります。そういえば塙団右衛門の旧主は加藤嘉明(ここではわりと死神っぽい外見)だったなとか、そういえば名古屋山三郎の弟分だった庄司が阿国と色々面識あっておかしくないなとか、どこかで見たような名前だと思っていたら小妻岩人の前身は――などと考えるのはなかなか楽しいところではあります。

 もちろん一番気になるのは、その先に何が描かれるのか、高坂を待つ運命は何かということであるのは間違いないのですが……


『ZINGNIZE』第10巻(わらいなく 徳間書店リュウコミックス) Amazon

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わらいなく『ZINGNIZE』第9巻 時は流れた! 第二章開幕 台風の目の名は阿国

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2023.11.15

富安陽子『博物館の少女 騒がしい幽霊』 ポルターガイストを超えた怪異と母娘の再生

 設定、キャラクター描写、物語展開の妙で大きな反響を呼んだ『博物館の少女』待望の第二弾であります。イカルにが新たに巻き込まれるのは、陸軍卿・大山巌と妻・捨松の屋敷で起きる騒霊現象。事件調査のため、幼い二人の子供の家庭教師として屋敷に入ったイカルが知る怪異の真実とは……

 両親を亡くして東京に出たところで上野の博物館の館長に見出され、博物館の怪異研究所の所長・トノサマこと織田賢司の手伝いをすることになった少女・イカル。そこで収蔵品の行方不明事件に巻き込まれた彼女が、その驚くべき結末を見届けて数カ月後――彼女は新たな怪異絡みの事件に巻き込まれることになります。

 それぞれ薩摩と会津の出身者の結婚ということで大いに世間の話題となった大山巌と山川捨松――その捨松の兄・山川健次郎から、大山邸でポルターガイスト現象が起きていると聞かされたトノサマとイカル。調査を依頼されたトノサマは、イカルを大山家の幼い二人の娘・信子と芙蓉の家庭教師として送り込むのでした。
 かつて捨松が博物館観覧に来た際に言葉を交わしたことはあるものの、あまりに境遇の異なる相手に、緊張と困惑を隠せないイカル。しかし捨松と話すうちに彼女に好感を抱いたイカルは、継母を疎んじる二人の子供の心を開くべく、奮闘することになります。

 それと並行して調査を進める中、大山邸で想像もしていなかった事態が進行していることを知るイカル。捨松は会津戦争で亡くなった姉の、二人の子供は病死した実の母の――それ以外の人々も、それぞれ邸内で異なる亡霊の姿を目撃していたというのです。
 そして、大山邸の前身である、江戸時代の松平家の屋敷の過去を調べる中で、イカルは思わぬ因縁の存在を知ることになります。さらに殺人事件までが発生して……


 文明開化の時代を舞台に、実在の人物を配しつつ、一人の少女の成長と、時を超えた怪異の存在を描いた前作。その前作は時代伝奇ホラーともいうべき意外な展開に驚き感嘆させられましたが、本作の方は、時代ホラーミステリともいうべき内容となっています。

 「騒がしい幽霊」のサブタイトルの通り、大山邸で起きるポルターガイスト現象。ポルターガイストといえば、その家に小さな子供や女性がいるのが定番、まさに大山邸もその条件に当てはまるのですが――しかしもちろん、事態がそんな単純なはずもありません。
 何しろ作中ではポルターガイスト現象はほとんど前座――メインとなるのは、見る人によって現れる者が異なる亡霊という、奇怪極まりない事件なのです。さらにその周囲でも数々の事態が進行し、事件は終盤まで何がどうなっているのかわからない、混沌とした様相を呈するのは、前作同様の面白さです。

 しかしそんな中で、思わぬ形でロジカルに――それも歴史ものとしてニヤリとさせられる形で――事件の一端が解決に導かれていくのが楽しい。こんな些細なことが!? と言いたくなるようなことが手がかり・伏線になるのは、まさにミステリの快感であります。
 その一方で、思わず震え上がるような展開が終盤に待ちかまえていたりと、ホラーとしても実に魅力的なことは言うまでもないところであります。(ホラー要素ではないのですが、老齢で曖昧になっている使用人の描写が、リアルすぎて震えました……)


 しかし、時にそれ以上にこちらの心を大きく揺さぶるのは、大山家の母娘を巡るドラマです。

 海外に留学し、女性教育に力を尽くし、そして愛情で結ばれた夫と対等な関係を結ぶ――当時の女性から見れば破格の先進的な境遇にある捨松。しかし残念ながら、そんな女性でも、いやだからこそ周囲に色眼鏡で見られるのは、変わらぬこの国の姿であります。
 そしてそんな捨松の最も身近にいる信子と芙蓉子も、継母である彼女に馴染めず、それどころか反感を感じている状態にあるのです。

 そんな不幸な母娘のすれ違いの姿を、本作はイカルの目を通じて描きます。いや、もちろん描くのはそれだけではありません。イカルの奮闘を通じて、母娘の関係性が修復され、生まれていく姿を、本作は描くのです。
 そしてそれが、ホラーとしての恐怖の絶頂と重ね合わせて描かれるクライマックスは、これはもう作者ならではの見事な盛り上がりなのであります。


 当時の出来事や人物を盛り込んだ時代ものとして、独創的な怪奇現象を描くホラーとして、巧みな構成で展開するミステリとして――様々な要素がハイレベルで融合した本作。
 レギュラーキャラの思わぬ出自が描かれたりと、シリーズものとしての展開も楽しく、この先の物語も大いに楽しみにしているところです。


『博物館の少女 騒がしい幽霊』(富安陽子 偕成社) Amazon

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2023.11.14

桃山あおい『物怪円満仕置録』 五十四番目の関所が見張るものは

 昨日ご紹介した『新月の皇子と戦奴隷 ~ダ・ヴィンチの孫娘~』の桃山あおいによる、くらげバンチ 第18回くらげマンガ賞奨励賞受賞作の時代伝奇活劇であります。江戸時代、記録に残らない関所・円満関を舞台に、関の番士である少女・湯羅が、恐るべき物怪と対決する姿を描きます。

 時は享保、江戸時代に各地にあった関所のうち、記録に残された五十三に含まれない五十四番目の関所・円満(えんまん)関。武州郊外にあったこの関は、手配中の凶賊であっても素通りさせてしまうため、円満素通りとなどと陰口を叩かれる宿であります。
 その責任者である伴頭・骨ヶ原閻の下で番士を務める少女・黒鉄湯羅は鰻を頭から生で食べてしまうような変わり者(?)。今日も変わらぬ関所の毎日に退屈していた湯羅ですが、そこに異常な「もの」が持ち込まれます。

 それは二日前に村人たちが根切りにあったという武州渡貫村で発見された、村人たちの遺体――いずれも腹のみを切り裂かれ、肝が抜かれた骸、そして全身の皮を剥がれた子供の骸でした。
 骸の状況から、この遺体は唐の悪鬼・画皮の群れの仕業と見抜いた骨ヶ原。折しも関所に現れた子供を、画皮が化けたものとして捕らえた骨ヶ原と湯羅ですが、そこで現れた敵の正体とは……


 記録に存在しない、江戸幕府五十四番目の関所という、何とも興味をそそる円満関を舞台にした本作。
 江戸時代の関所が本来であれば検問のために置かれたものであるにも関わらず、「人間」は誰であろうと素通りさせてしまうこの関所が見張るものは――それは言うまでもありませんが、なるほど面白い設定であります。
(作中の描写によれば、高輪の大木戸と箱根関所の間にあるということで、なるほど江戸の最終防衛ラインだと想像できます)

 さて、本作はその円満関の近隣で人を喰らってきた物怪との対決を描く物語ですが、冒頭で四匹の物怪が描かれたにも関わらず、関所に現れた物怪が化けたと思しき人間は一人だけ。はたして残りは――という捻りも面白く、そこから一気に突入するバトルと、そこに重ね合わせて描かれる湯羅(好きな方であれば、名前からその出自は何となく想像できるでしょう)のドラマもなかなか盛り上がるところであります。

 いかに記録に残らぬ存在とはいえ、幕府の機関である関所を舞台に、湯羅のようなキャラクターをどう配置するか、というのは工夫のしどころですが、そこをクリアしつつ、一種の人情を絡めて盛り上げるのは、本作の工夫といえるでしょう。
(クライマックスで明かされるダブルミーニングにも納得)


 そんなわけで、短いながらもなかなか面白い作品ではあるのですが、唯一これはどうかなあ、と思っていたのは、比較的デフォルメの効いた絵柄にもかかわらず、妙に残酷描写がリアルな点でしょうか。
 冒頭で切り裂かれた人体をカラーで描いた部分だけでもなかなかキツいのですが、中盤のある描写は、これを正面から描くのか――と引いたというのが正直なところではあります。
(ちなみに作者のpixivで冒頭部分が掲載されていますが、「※流血表現注意」の記載とともに、R-18G扱いになっています)

 もちろん内容的にそういうシーンがあるのは仕方ないのですが、結果として読者を狭める結果になるのは、ちょっと勿体ないと感じてしまったのが正直なところであります。


『物怪円満仕置録』(桃山あおい くらげバンチ掲載) 掲載サイト


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2023.11.13

桃山あおい『新月の皇子と戦奴隷~ダ・ヴィンチの孫娘~』 荒くれ娘、知と技術でサバイバル!?

 Web漫画サイト「くらげバンチ」で公開中の歴史漫画――16世紀のオスマン帝国の宮廷で、ダ・ヴィンチの孫娘を名乗る少女が、破天荒な活躍を繰り広げる快作であります。帝国の後継者争いで揺れる宮廷に放り込まれることになった少女が、そこで出会ったのは……

 故郷のハンガリーを襲ったオスマンの軍勢に捕らえられ、奴隷にされた少女・エイメ。故あって初めに送られた宮殿から追い出された彼女は、ルート皇子の住まうエディルネの宮殿の後宮に送られることになります。
 そこで思いもよらぬ後宮での豊かな暮らしを目の当たりにするエイメですが、自分たちの故郷から収奪されたものなど食べられないと反発し、宮殿の庭で暮らし始めるのでした。

 そこで雀を捕るため、師匠であったレオナルド・ダ・ヴィンチ譲りの知識で速射式弩をハンドメイドで作り出したエイメ。早速その弩で、宮廷の女中・カメリアが烏に取られた指輪を取り戻したエイメですが、その直後、そのカメリアが弩で殺害され、エイメは下手人として獄に繋がれるのでした。

 もはや処刑を待つばかりとなったかに見えたエイメのもとを訪れ、直々に尋問するルート皇子。その前で思わぬ形で無実を証明してみせたエイメを、皇子は自分の部屋に招き……


 自分の身一つ以外全てを失った主人公が、己の知恵と技術と機転でチャンスを掴む――後宮もの(に限らずサクセスストーリー)の定番パターンであります。
 本作もその一つではあるですが――しかし、本作に大きな独自性を与えているのは、エイメの強烈な個性でしょう。奴隷の身分でありながら侵略者であるオスマンの世話にならないと宣言、宮殿の庭で勝手にサバイバルを始めるというバイタリティ溢れる冒頭の展開には度肝を抜かれます。

 しかしそんな彼女の行動に成算を与えているのが、師であり「じいちゃん」であるダ・ヴィンチの発明というのが面白い。フィクションの世界では何かと便利に使われがちなダ・ヴィンチの発明ですが、なるほど、こういう切り口があったか、と感心させられます。
 そして、明らかに荒くれ系のキャラであるエイメが、「知」「技術」を武器とするのも、また面白いのです。

 しかし彼女の言動は周囲の人間には斬新すぎて理解出来ないのに対して、実はルート皇子のみは――というのも、定番ではありますが、物語にうまく取り入れられていると感じます。
 当時はさまで知られていなかったダ・ヴィンチの存在を異国に在りながら知っていた皇子(ここでダ・ヴィンチがボスポラス海峡の金角湾の橋造りに名乗りを上げていたという史実を引くのが上手い)。実は彼自身が技術に深い関心を示し、時にエイメを上回る人物で――という展開から、エイメが己に足りない部分を悟るのも、巧みというべきでしょう。

 まあ、エイメは最後までエイメらしく荒くれなのですが……


 一頃に比べれば扱う作品は増えてきた印象はあるものの、まだまだ作品数は少ないオスマン帝国。そこにこのようなユニークな切り口で、そして何よりも漫画として楽しく描いてみせた本作ですが――読み終えて驚いたのは、読み切りであったこと。
 このまま第一話でも全く違和感がないだけに、ぜひこの先を読んでみたい、連載化してほしいと思います。


 最後に野暮を承知でルート皇子のモデル探しですが――作中でエイメが、ダ・ヴィンチが亡くなったのに伴い、ハンガリーに帰ったところを捕らわれたと語っているところを見れば、物語は1519年から遠くない時期(もしくは同年)、この時期のオスマン帝国皇帝といえば、1520年に26歳で即位したスレイマン1世がおります。

 スレイマン1世とルート皇子の生い立ちは色々と異なっておりますし、何よりもルート皇子が後に皇帝になるとは限らないのですが――学問や芸術を好んだとされる皇帝の傍らにダ・ヴィンチの孫娘がいたとすれば、それは実に胸躍ることではないでしょうか。


『新月の皇子と戦奴隷~ダ・ヴィンチの孫娘~』(桃山あおい くらげバンチ掲載) 掲載サイト

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2023.11.12

12月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 つい先日までびっくりするくらいの陽気だったりしましたが、急に寒くなって何だかんだで11月らしくなりました。11月ということは来月は12月で今年も終わり――つまりは今年の新刊情報もこれでラスト。12月の時代伝奇アイテム発売スケジュールであります。

 はたしてどれくらいアイテムがあるかとドキドキしてみれば、特に小説がなかなか充実している印象の12月。新刊では、何といっても瀬川貴次の新作『もののけ寺の白菊丸(仮)』(集英社オレンジ文庫)が気になるところです。

 また、シリーズものの新作では『闇試し 古道具屋皆塵堂』(輪渡颯介 講談社文庫)、一ヶ月発売が延期になったらしい『編み物ざむらい 二 一つ目小僧騒動』(横山起也 角川文庫)、『十手笛おみく捕物帳』第2巻(田中啓文 集英社文庫)が注目です。
 一方、上田早夕里の『播磨国妖綺譚』は、第一作が『あきつ鬼の記』として文庫化されるのと同時に、第二作『伊佐々王の記』が単行本で刊行されます。

 また、海外ものでは三部作シリーズの最終巻『メアリ・ジキルと囚われのシャーロック・ホームズ』(シオドラ・ゴス 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)が登場。一方、『水滸伝 ビギナーズ・クラシックス中国の古典』(小松謙 角川ソフィア文庫)は、ビギナーズ? と一瞬思いましたが、著者名を見て納得。これは期待してよいでしょう。

 その他、文庫化・復刊では、室町忍者ものの名品『阿修羅草紙』(武内涼 新潮文庫)、そして『名月一夜狂言 人形佐七捕物帳ミステリ傑作選』(横溝正史 創元推理文庫)が要チェックです。


 一方、漫画の方は比較的点数が少なめですが、新登場の『フォーロン・ホープ~警視庁抜刀隊戦記~』第1巻(TAKUMIサメ男&井出圭亮ほか 小学館クリエイティブヒーローズコミックスわいるど)のほか、『信長のシェフ』第36巻(梶川卓郎 芳文社コミックス)、『真剣にシす』第2巻(盛田賢司&河端ジュン一・西岡拓哉 リイド社SPコミックス)、『勇気あるものより散れ』第5巻(相田裕 白泉社ヤングアニマルコミックス)、『神様の用心棒』第2巻(冬野ケイ&霜月りつほか KADOKAWA角川コミックス・エース)、『イクサガミ』第3巻(立沢克美&今村翔吾 講談社モーニングKC)が登場。
 11月発売予定だった『明治浪漫綺話』第6巻(音中さわき KADOKAWAあすかコミックスDX)は12月となったようです。
(にしても明治ものが多い?)

 また、海外ものでは何といっても青崎有吾原作の『ガス灯野良犬探偵団』第1巻(松原利光 集英社ヤングジャンプコミックス)が気になるところ。そのほか、『白花繚乱 白き少女と天才軍師』第2巻(栗美あい&田中芳樹 秋田書店プリンセス・コミックス)と、ようやく単行本化の『エイハブ』(猿渡哲也 集英社ヤングジャンプコミックス)があります。

 最後に復刊ですが、偶然ながら妖狐ものが二作品。『戦国妖狐』新装版 第3・4巻(水上悟志 マッグガーデンBLADEコミックス)と、完全版『白妖の娘』上巻+下巻(木原敏江 集英社愛蔵版コミックス)。特に隠れた(?)名作の『白妖の娘』は必読です。


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2023.11.11

畠中恵『忍びの副業』下巻 ミステリとして、忍者ものとして、政治ものとして

 江戸時代後期、西ノ丸・徳川家基に見出され、忍びとして「副業」に燃える甲賀者たちの姿を描く物語のクライマックスであります。幾多の波乱を乗り越え、西ノ丸に受け入れられた甲賀者たちが直面する、鷹狩での相次ぐ怪事。はたして甲賀者たちは家基を守り抜くことができるのか……

 戦国時代に活躍し、徳川家に召し抱えられた忍びたちが、江戸城警護を「本業」とする時代。先祖代々受け継がれてきた技を受け継ぐ三人の甲賀者、弥九郎・十郎・蔵人は、ある日、西ノ丸に呼び出されることになります。
 将軍の嫡男として次代将軍に最も近いところにいる西ノ丸・家基。しかしその周囲におかしな動きが相次いでいるというのです。その警護を甲賀者に頼みたいという言葉に奮い立つ弥九郎たちですが――しかし彼らの「副業」には思いもよらぬ様々な困難が立ち塞がります。

 斑猫の毒が密かに流通しているという噂を追ううちに、自分たちを含めた忍びの危険性を悟った弥九郎。彼は西ノ丸を守るために、西ノ丸から自ら離れることを決断することに……


 という思いもよらぬ展開を迎えた上巻のラストを受けて、下巻は弥九郎たちの再起の物語から始まります。

 千載一遇の機会を自ら手放したことで、甲賀者たちから村八分され、謹慎処分となった弥九郎たち。しかしある日、これまでにない動きを見せた曲玉の占いの中で、彼らは何者かの駕籠が襲撃を受けている場面を目撃します。
 占いの導きでその場に向かい、襲撃者を撃退してみれば、襲われていたのはなんと老中・田沼意次。家基の敵の一人とも噂される意次と対面したのをきっかけに、弥九郎と甲賀者たちは意次と縁を結び、再び西ノ丸に仕えることになるのでした。

 しかしその後も大小様々な事件が続きます。外出した西ノ丸一行がそのまま江戸城に戻らず消息不明になったり、蔵人の姉・吉乃の嫁入りの仲介に四家ものの武家が動いたり――そんな中、最大の事件が起きることになります。
 将軍とその後継者には避けて通れない、そして最も危険の大きな鷹狩。その場で、鳥見役たちが四人も毒で死んだというのであります。さらに時同じくして、同じ狩り場の周辺で、別の中毒事件や熊の乱入、銃の暴発など不審事が重なったというではありませんか。

 家基を狙う企てとして、総力で犯人を追う弥九郎たち甲賀者。そして、ついに家基が参加する鷹狩の日が訪れるのですが……


 上巻に引き続き、こうした甲賀者たちの奮闘が描かれる本作は、大きく分けて三つの要素から構成されているといえます。
 一つはミステリ――上で述べたように、本作の各話で起きる様々な事件は、いずれも「謎」という形で描かれ、その謎解きが物語を動かしていくことになります。この辺りは、やはり作者ならではのセンスでしょう。

 そして二つ目は忍者もの。これはもう忍びが主人公ですから当然ではありますが、徳川配下の甲賀・伊賀・根来に、他家の忍びまでも加わっての乱戦模様が、上巻以上に展開することになります。
 弥九郎たちは普段から得意とする技があるのですが、しかし実は秘中の秘の隠し技が――という、実に忍者ものらしい設定には、忍者好きとしてはシビれてしまいます。

 そして三つ目は政治もの――本作は忍びの目から見た物語ではありますが、メインに描かれる将軍の後継者争いであり、そしてそこの中で蠢く幕閣や官僚たちの姿であります。
 こうした、一種官僚もの的趣向で江戸城内を描く作品は少なくありませんが、それを忍びという一種の局外者の目から描くことによって、本作はある種の新鮮さと客観性を生み出していると言えます。

 歴史時代小説でも、こうした趣向の作品はあまり多くないのですが――そこに畠山恵が乗り込んでくるとは! と大いに驚き、そして嬉しくなった次第です。
(ちなみにクライマックスで主人公の○○シーンが描かれたのは、おそらく作者の作品では初めてではないでしょうか)


 さて、ここでは多くは述べませんが、物語は史実通りの結末を迎えることになります。弥九郎たち甲賀者は、夢を失った形となるのですが――しかしそれは彼らの戦いの終わりを意味するものではありません。

 忍びとしての夢を失った代わりに、忍びとしての誇りを取り戻した彼らが挑む、新たな「副業」とは――この物語の続編が描かれることを強く期待しているところです。


『忍びの副業』下巻(畠中恵 講談社) Amazon


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2023.11.10

『るろうに剣心』 第十九話 「津南と錦絵」

 内務省爆破を目論む月岡津南と行動を共にする左之助。しかしその前に現れた剣心によって津南の炸裂弾は全て防がれ、左之助も津南を力づくで制止するのだった。しかし意識を取り戻した後、内務省前で自決すると激昂する津南。その後を追った左之助は、津南と拳を交える……

 二話に渡ることとなった月岡津南編、原作から考えると時間的に結構余るのでは――と思いきや、何と今回はほぼ後半全体がオリジナルという展開となりました。

 赤報隊時代の友人である月岡克浩、今は絵師の津南と再会した左之助。しかし津南はニセ官軍として十年前に処刑された相楽隊長の恨みを忘れず、自作の炸裂弾でテロを準備中であり、左之助もそれに誘われて――というのが前回の展開。
 それを受けて、今回津南と左之助が内務省の敷地に侵入してみれば、そこで待ち受けていたのは剣心であります。立ち塞がる剣心に炸裂弾ラッシュをかける津南ですが、剣心に及ぶはずもなく、見るに見かねた左之助が当て身を食らわせて津南の家に連れ帰り、剣心は炸裂弾を処分することに――という展開の後、原作では左之助に諭された津南がテロを断念する結末になるわけですが、今回のアニメではそこに至るまでのさらなる悶着が描かれます。

 意識を取り戻してみれば炸裂弾は全て奪われ、テロの手段はなくなった津南ですが、何と内務省で抗議のため切腹し、明治政府の悪業を告発しながら死んでやると激昂。それが民衆の心を動かし、政府への不信の種になる――と大変なことを言い出した津南は、「そんなに都合良くいくかよ!」と身も蓋もないツッコミを入れた左之助の前から、いきなり煙幕弾で姿を消して家から脱出します。
 しかし津南は、その直後に警官にどこに行く? と誰何されて、「どこへ行けばいいんだろうな……」と切ないことを言ったと思えばまた煙幕! もう煙幕おじさんの異名をつけられそうな勢いの津南をようやく見つけた左之助は、もつれあった末に(たぶん)以前剣心と決闘した河原に転がり落ちます。

 そこでお前は裏切った、俺の十年を返せと好き勝手言う津南にさすがに怒りだした左之助ですが、何と津南は左之助と素手ゴロ勝負を宣言。「お前は俺に勝てたことは一度もないだろう」とあまりに自信満々な津南ですが、実は左之助並みの腕前!? そこに炸裂弾が加わったら猛者人別帳に載ってしまうのでは!? と一瞬思いましたが、もちろんそんはなずはなく、ボッコボコにされることになります。それでもお前は十年間何をしていたと詰る津南に、この十年の間に、薫・弥彦・恵――世の人びとは懸命に新しい時代を生きていると答える左之助。そんな人びとが集まった昨日の宴会こそ、隊長が目指した四民平等の姿だと……
 さらに津南のやろうとしていたことは「無駄だ! 迷惑だよ!!」という左之助の火の玉ストレートに、ついに津南も膝を折ります。そして帰り道、津南は、かつて隊長に「お前はお前のやり方で戦え」と言われたことを思い出し……


 と、かなり力を入れて描かれた今回の津南のエピソード。その過去自体は左之助と重なるとはいえ、人斬りではない、しかし幕末を引きずった彼のドラマは、やはり明治ものとして印象に残るものであることは間違いありません。
 そんな津南と左之助を分けたものは、世間や他者との関わりだったのでしょう。そしてその他者との関わり(平和な共存)こそが相楽隊長の理想であり、前回描かれた原作よりも面子が増えた宴会は、やはりその象徴と感じます。

 そんな中でちょっと異質な(左之助も明治を生きる人々の中に入れていない)剣心は、その頃、炸裂弾を一生懸命埋めていたのですが、ここでも印象的なオリジナルのシーンが描かれます。
 炸裂弾を全て埋めたと思いきや、一発のみを火を付けて空に投げ上げる剣心。炸裂弾を埋めるというのは、ネガティブな過去との決別の象徴だとは思いますが、その炸裂弾が夜空を、暗闇を明るく照らすというのは、過去が現在に光明をもたらす、一つの希望の姿といえるのではないでしょうか。


 さて、Cパートではこれまたオリジナルで内務省の最奥が描かれます。結局剣心と津南の戦いの後のみしか知らない人間たちが、あれは志々雄一派の仕業では!? と慌てるのはちょっと可笑しいのですが、大久保卿は川路大警視に、さらなる警戒を命じて――と、ここで初めて志々雄真実の存在が語られたのは目を惹きます。

 なるほど、これを受けていよいよ斎藤一が――と思いきや、何と次回は第零幕の、それも前編。正直なところ全く予想していませんでしたが、ちょうど来週に零幕収録の文庫が出ますし……


『るろうに剣心』7(Blu-rayソフト アニプレックス) Amazon


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『るろうに剣心』 第十二話「御頭・四乃森蒼紫」
『るろうに剣心』 第十三話「死闘の果て」
『るろうに剣心』 第十四話 「弥彦の戦い」
『るろうに剣心』 第十五話「その男・雷十太」
『るろうに剣心』 第十六話「理想の男」
『るろうに剣心』 第十七話「決着」
『るろうに剣心』 第十八話「左之助と錦絵」

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2023.11.09

松井優征『逃げ上手の若君』第13巻 さらば頼重、さらば正成 時行の歴史の始まり

 ついに鎌倉に帰還したものの、足利尊氏の神懸かった力の前に、惨敗を喫することとなった時行。事ここに至れば、自分の命を犠牲にして時行を逃がすしかないと、諏訪頼重は決意を固めます。これに対する時行の決断は――ここに「中先代の乱」は終結しますが、歴史はさらに激しく動くことに……

 故郷である鎌倉を奪還し、逃者党と一時の平和を味わう時行。しかしそんな時行の動きを尊氏が座視するはずもなく、鎌倉に向けて足利の大軍が迫ります。
 もちろん、これに対する備えは抜かりなかったはずですが――普通であれば考えられないような自然現象が尊氏に味方した上に、尊氏のわけのわからないカリスマの前に鎌倉方は総崩れ。逃者党の軍師であった吹雪までもが敵方につき、もうこれ以上はないという惨敗を喫することに……

 という、負けイベントにしてもムチャクチャ過ぎる尊氏のチートぶりですが、しかしそれでも時行は生き延びなければなりません。そのためには誰かが乱の首謀者とならなければならない――という決意で尊氏との激闘の末に捕らえられた諏訪頼重親子ですが、彼の主君であり、そして頼重を父とも仰ぐ時行が、黙ってみているはずがありません。
 こういう時は異常に格好いい叔父の泰家の言葉も振り切って、頼重たちの救出に向かう時行ですが――さて、彼の「逃げる」力が、この場で発揮できるのか。そして頼重を救い出したとして、その先どうなるのか……

 そんな展開の中で描かれるのは、ある意味歴史の、史実の厳然さというべきもの――何人も、歴史の流れの前には、後世に残った史実は決して変えることはできないという、残酷な真実であります。

 しかしその真実を前に、人間がどのように振る舞うかは、その人間次第。そして、史実に残されたものは変えられないということは、それ以外のものは――ということでもあります。
 この時代の歴史の前に敗れ、史実から消え去った時行。しかし彼自身の歴史はまだ終わりません。そして史実に残らない部分で彼が何をできるかもまた、現時点ではわからないのです。

 確かに「中先代の乱」という、彼の名を冠した乱は敗北に終わりました(ここで語られる「中先代」が冠される意味が熱い!)。しかしそれは、時行の歴史の終わりでも、そしてそれを記した『逃げ上手の若君』という物語の終わりでもない――むしろここからが始まりであると、悲しみを乗り越えて物語は強く宣言するのであります。


 さて、実はこの巻はここまででようやく半分程度。それでは後半は――といえば、この後の(時行が表舞台から引っ込んだところで始まる)新たな戦乱の成り行きを描くことになります。
 それはいわゆる南北朝の動乱――中先代の乱平定後も尊氏が鎌倉に残ったことをきっかけに、後醍醐帝が尊氏追討を発令し、武士たちを二分した戦いの末に、吉野に逃れた後醍醐帝と、尊氏が奉じた光明と、南北二つの皇統が並立した時代の始まりであります。

 かつては後醍醐帝の下に轡を並べた足利尊氏・新田義貞・楠木正成が敵味方として相争う――ある意味この時代を象徴するような状況ですが、そこでクローズアップされるのは、この巻の表紙を飾る正成であります。
 かつて時行が京を訪れた際に彼の前に現れ、同じ逃げ上手として兵法の極意を授けた正成。その後、尊氏との戦いの中でもその兵法の冴えを遺憾なく発揮した正成ですが、しかしその必勝の策を帝から退けられた末に、湊川で尊氏に敗れることになります。

 勝ち目のない状況でも後醍醐帝を支え、敗れても、七度生まれ変わって国に報いんと言い残す――特に戦前称揚された正成の姿ですが、それを本作はどう描いたか?
 逃げ上手の彼が何故逃げなかったのか、その理由も切ないのですが、ひっくり返るのは七生――のくだり。いやはや、そんな理由か! と驚かされましたが、本作の正成にはこちらが相応しいと大いに納得です。

 そしてそれと同時に、ここで正成が見抜いた、尊氏の真の姿も印象的であります。カリスマや強運など、神懸かった力を見せる尊氏は何者なのか、そしてどうすれば打ち破ることができるのか――ここで描かれたものは、この先大きな意味を持つことでしょう。


 さて、そんな戦いが繰り広げられる中、伊豆でそれなりに楽しい潜伏生活を送っていた時行と逃者党ですが、しかしこの巻のラストでそれも終わります。二人の帝が立つ状況の中で、巧みに後醍醐帝に自分を売り込んだ時行は、この先何を狙うのか。仲間たちのパワーアップともども、敗北からの再起の様が楽しみであります。


『逃げ上手の若君』第13巻(松井優征 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2023.11.08

和月伸宏『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚・北海道編』第9巻 五稜郭決戦 全面対決三番勝負!

 アニメ版はそろそろ終盤ですが、漫画の方はいよいよ絶好調。札幌での死闘に続いて、函館で繰り広げられるのは、物語の当初から登場していた劍客兵器・凍座部隊との全面対決であります。それぞれ人智を超えた力を持つ劍客兵器には、さしもの剣心たちも苦戦必至。三つの激闘の行方は……

 札幌で官吏たちを次々と暗殺していた髏號・雹辺双と、新選組・御陵衛士の生き残りの激闘は、それぞれに全力を出し切った末に斎藤らが勝利。しかしその帰路に現れた劍客兵器・伊差川糸魚の襲撃を受けた斎藤は、深手を負うことになります。

 一方、その函館では、五稜郭の露天獄に拘束された凍座ら劍客兵器の裁定に来た山県有朋が、劍客兵器壊滅の命を下すのですが――これはあまりにも認識不足としかいいようのない決定。ついにその真の実力を露わにした劍客兵器たちの前にただの兵隊たちが及ぶはずもなく、あわや全滅という状況に追い込まれるのですが――もちろんそこに駆けつけるのは剣心たち!
(勢ぞろいで駆けつけた姿を描く見開きが格好良い!)

 かくてこの巻で描かれるのは、剣心チームvs劍客兵器函館隊の全面対決――
 相楽左之助&“明王”悠久山安慈vs地號・土居潜具羅
 “刀狩”沢下条張&“大鎌”本条鎌足vs偽號・権宮剛豪&恵號・天智実命
 緋村剣心&“天剣”瀬田宗次郎vs異號・凍座白也

 どれを見ても先が読めないカードですが、やはり気になるのは、元・十本刀組の動きでしょう。かつての敵が頼もしい仲間に、というのは少年漫画の王道ですが、しかし十本刀は一部の例外を除いて悪人揃い。はたしてそんな面子と剣心たちの共闘がうまく働くのか?

 そんな中で安心して見ていられる――いや、何よりも夢のタッグとなったのは、左之助とその例外である安慈のコンビでしょう。明治政府への怒りから道を誤ったものの、悪人というのとはまた異なる安慈。実力的にも、本気を出せば作中屈指の――って、滅茶苦茶パワーアップしてる!

 元祖二重の極みをマップ兵器に使うわバリアーに使うわ、攻防一体の滅茶苦茶な強さにもう仰天。これに対する土居の戦型・土遁暴威蟲(これで「ぐらぼいず」と読める人間はいないと思う……)は土や岩を操る技だけに、それを砕ける和尚は実に有利だと思われます。
 唯一の(?)弱点であるメンタル面も、左之助という支えがあれば大丈夫。何よりも、志々雄亡き後の自省の日々が、彼の精神を強くしたのでしょう。

 かくてダブル二重の極みで快勝(オーバーキル)と思いきや、鉄拳いや岩腕制裁しそうな異形の姿から、まさかのスポーティーな感じに――意外な展開であります。


 一方、張&鎌足は、この面子の中では明らかに実力に不安があるものの、改心してなさそうという点では一番という、何が飛び出すかわからないコンビ。対する権宮&天ちー組は、やたらと軽い陽キャと顔も見せない陰キャと、対照的な組み合わせで、これまた何が飛び出すかわかりません。
 いや、飛び出すのは例によって面白すぎる張の殺人奇剣。張というか新井赤空は何を考えていたんだ!? というツッコミも空しい怪剣を見れば、張も絶好調だとわかります。

 これに大鎖鎌というトリッキーな動きの鎌足も加われば、名前も得物も豪快タイプの権宮は、いかに天ちーのフォローがあっても不利は否めませんが――勝負を決めるのは武器の性能だけでも、武術の腕前だけでもないのもまた事実。
 互いに全てを出し合った悪人勝負の行方は……


 そしてある意味最もどうなるかわからないのが剣心&宗次郎vs凍座戦。実力的には味方では間違いなくトップの二人ですが、しかし凍座も得体の知れぬ実力の持ち主――というより、銃撃を生身で受け止めてビクともしない異常な体の持ち主であります。
 だとすれば、そんな相手に刀が効くのか――どう見ても(宗次郎の)負けイベントの予感がひしひしといたします。

 全面対決三番勝負はいずれも決着は次巻に持ち越しですが、しかし今のところいずれも剣心チームが苦戦中。はたしてこの状況を覆すことができるのか――全く先は見えない状況であります。


『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚・北海道編』(和月伸宏&黒碕薫 集英社ジャンプコミックス) Amazon

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2023.11.07

清音圭『化け狐の忠心』第2巻 人と狐の両片思い、これにて完結

 戦国時代のとある国を舞台に、厳しい立場に立たされながらも心正しく生きる領主の嫡男・直澄と、どこまでも真っ直ぐな彼の姿に惹かれてしまった傾国の妖狐・玉藻の想いの行方を描く物語もこれにて完結。自分の存在が直澄を危うくしかねないと知りつつも、彼を巡る陰謀の存在を知った玉藻の選択は……

 かつて数々の国を傾けた末、封印された化け狐・玉藻。戦乱の中で解放された玉藻が再び暴れ回ろうとした矢先、彼女は若武者・梅多直澄と出会うことになります。
 自分を戦乱で焼き出された女性と思いこみ、城に置いた直澄を利用しようとした玉藻ですが――直純が実の父や継母から命を狙われていると知った玉藻は、思わず直純を守ってしまうのでした。

 そんな日々を過ごすうちに、直純から離れがたくなっていく玉藻。しかし、直純の血の繋がらない叔父であり、切れ者として知られる幸満から正体を疑われることとなった玉藻は、化け狐の自分が近くにいれば、直純の立場を危うくすると悟ることに……

 という、狐の美女と人間の武士の間に生まれた想いの行方を描く本作。文字通り玉藻の毒気を抜くほどの清廉さを持つ直澄ですが、それだけに生き馬の目を抜く戦国の世を渡っていくには危なっかしすぎる彼を守るための玉藻の奮闘は、相変わらず続くことになります。

 何しろ直澄の両親自体が彼の最大の敵という状況の上、一見彼の味方のように見える幸満も何やら怪しく、家中での彼の立場はほとんど四面楚歌。そんな彼を救うために、彼を食い物にしようとしていた玉藻が、配下の妖怪たちを動員してまで頑張ってしまうのが、おかしいというか微笑ましというか、何ともニヤニヤさせられるのですが……

 しかしこの巻では、直澄の周囲で怪しげな陰謀が動き始めることになります。自分の嫡男を廃しようとするくらいですから、支配下の国でも人望のない直澄の父――そんな彼を遂に除かんとする動きが出るのですが、彼らが代わりに直澄を戴こうというのが大問題。
 何しろ直澄は自分の命が狙われても相手を信じようとするお人好し、ましてや相手が自分の父親であれば、そんな動きに乗るはずもありません。

 しかしそれでも彼をのっぴきならぬ立場に追い込もうとする奸策の存在を知った玉藻は、見るに見かねて自ら動こうとするのですが――しかし玉藻が直澄を救うためには、自らの化け狐としての力を見せなければなりません。
 しかし化け狐の正体を顕せば、直澄が自分を側に置いておくはずもない――その玉藻の悩みこそが本作の最大のクライマックスであるといえるでしょう。
(この陰謀が、成功した方が直澄にも玉藻にも利があるというのが、また巧みなところであります)

 自分が恋する相手の側にいられることを選ぶか、相手の身と心を守ることを選ぶか? これはある意味、人間と異類の恋愛ものでは定番の、そして究極の選択ではありますが――しかしその答えは常に決まっているのもまた事実。それではその答えを選んだ結果は……


 まあ、直澄と玉藻は両片思いである、というのを思えば、結末は見えているのですが――本作の場合、それは誰もが望む、唯一の結末であることもまた事実でしょう。
 正直なところ、終盤の展開はトントン拍子過ぎる気もするのですが、美しいファンタジーとしては、これでよいのだ、と大きく肯くほかありません。

 むしろ本作の場合は、もっと甘々にしてよかった、というか両片思いの間をもっとじっくり描いてほしい、あるいは物語のその先をもっと描いてほしい、という気持ちにもなるのですが、しかしそれは野暮というものかもしれません。
 単行本の巻末に収められたおまけを見れば、その想いの一端は、十分に満たされるのですから……


『化け狐の忠心』第2巻(清音圭 白泉社花とゆめコミックス) Amazon

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2023.11.06

石川賢&夢枕獏『アーモンサーガ 月の御子』 古代印度の英雄、平安京に現る!?

 夢枕獏の初期の名作・印度怪鬼譚シリーズを、あの石川賢が漫画化した作品であります。古代インドで、象にも勝る怪力を誇る豪傑アーモンと、おつきの老仙人ヴァシッタが、様々な怪異に挑む原作でしたが――本作の舞台は平安時代の日本。らしいといえばらいしですが一体何が!?

 月がやけに大きく見える晩、魔物が出るという平安京の羅生門に突如現れた奇怪な魔物と、それと激しい戦いを繰り広げる異国の戦士・アーモンとその従者・ヴァシッタ。夜毎人を惑わすという盗賊バッダカの晒し首を肴に酒盛りをしようとしたアーモンは、魔物と化したバッダカに襲われ戦いを繰り広げていたところ、時空を飛び越えて平安京に現れてしまったのであります。

 倒されたものの、月の王の意思に沿い、アーモンをこの世界に連れてきたと満足げに散ったバッダカ。はたしてその直後、アーモンやその場に集まった盗賊たちに、奇怪な傀儡たちが襲いかかります。激闘の末に傀儡師の正体を見破り、これを倒したアーモンは、傀儡師が「かぐや姫」なる存在に仕えると知ったアーモン主従は、月を追って旅立ちます。

 途中、羅生門で共に戦った元罪人・阿座土と再会し、旅を共にすることとなった主従。阿座土の故郷で、恐るべき魔物の襲撃を受けた一行ですが、そこで阿座土は半人半獣の意外な姿を現します。
 実はかつて桃太郎と共に鬼ヶ島の鬼を滅ぼした供のうち、犬一族の末裔だった阿座土。しかし犬の一族は桃太郎に逆らい、皆殺しにあったのです。

 そして今は妖天童子と名乗る桃太郎の元にかぐや姫が現れると知ったアーモンたちは、桃太郎の下に向かうことに……


 『闇狩り師』(なんと「小学四年生」連載)と並び、石川賢による夢枕獏作品の漫画化である本作。しかしここまで紹介してきたように、その内容は、原作からは大きく飛躍したものとなっています。
 そもそも原作の舞台は古代(おそらくはブッダのいた頃)のインド、平安時代の日本とは単純に考えても千年は離れています。それが(作中の理由ではなく)何故――と考えてももちろんわからないのですが、しかし、妙に違和感がないのもまた事実であります。
(石川賢も「羅生門」「新羅生門」「桃太郎地獄変」と描いていますし……)

 特に筋骨隆々で、いかなる魔物にも己の身一つで挑むアーモンの肉弾アクションは石川賢の自家薬籠中のもの。その中でも桃太郎戦は、不死身の相手にも負けない、いや不死身だからこそ容赦がしない攻撃といい、身も蓋も容赦もないフィニッシュといい、本作のクライマックスの一つを見事に飾っています。
 もちろん、石川賢ならではの、魑魅魍魎としか評しようのない魔物たち(空間に満ちた魔物というか、魔物の満ちた空間というか)の迫力は、言うまでもありません。

 言ってみれば、原作の設定から感じた(というか何というか)違和感を、画のパワーで圧倒してしまった――そんな作品であります。


 しかし面白いのは、これだけとんでもないことをやっているようで、意外に原作を拾っていることであります。
 冒頭でアーモン主従が平安時代に現れるきっかけとなったバッダカの首見物のくだりは原作の「人の首の鬼になりたる」に忠実ですし、傀儡の襲撃は「傀儡師」のエッセンスが、そして阿座土の故郷での悲劇は「夜叉の女の闇に哭きたる」をほぼそのまま取り入れ――と、驚くほど原作由来の描写、展開を取り入れているのです。
(そのほか、阿座土ら中盤に登場する獣人たちも、原作の要素かと思います)

 もっとも、その割にアーモンは、原作よりもだいぶ紳士寄りというか、荒っぽさが薄れた(より王子寄りの?)キャラ造形なのが、ちょっと不思議ではありますが……


 しかし本作の最もユニークな点は、ラストに明かされる、かぐや姫がアーモンを狙う理由でしょう。実は×××だったかぐや姫(という設定も色々な意味で驚きますが)が、わざわざ平安時代の日本にまでアーモンを引き寄せた、その理由は……
 正直なところ、伝奇ものやファンタジーものでは結構あるパターンなのですが、おそらくは石川賢の作品ではかなり珍しいもの。しかもこれは原作由来ではないというのに、一番驚かされました。

 原作を踏まえつつもそれを飛び越え、全く新しいものを描く――口にすれば簡単ですが、実際には難しいそれを達成してみせた本作。必読とはいいませんが、今ではeBookJapanの電子書籍で気軽に読めるので、興味をお持ちの方はぜひ。


『アーモンサーガ 月の御子』(石川賢&夢枕獏 イーブックイニシアティブジャパン) eBookJapan


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夢枕獏『月神祭』 豪傑王子の冒険譚 夢枕流ヒロイックファンタジー

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2023.11.05

夢枕獏『月神祭』 豪傑王子の冒険譚 夢枕流ヒロイックファンタジー

 夢枕獏の初期作品――最初の刊行時には「印度怪鬼譚」と冠されていたシリーズの合本版であります。古代インドを舞台に、豪傑アーモン王子とおいぼれ仙人ヴァシタが、各地で様々な怪異と出会う連作――その後の様々な作者の作品に通じるヒロイックファンタジーの名品であります。

 古代インドのとある王国の王子にして、人並み優れた巨躯を持つアーモン王子。象にも勝る怪力と、いかなる魔物も恐れぬ豪胆さを持つ彼の唯一の大敵は退屈――暇を持て余しては危険な冒険に首を突っ込み、幼い頃からのお付きの老仙人・ヴァシタにため息をつかせる毎日であります。

 今日も、処刑されて首を晒された盗賊が夜な夜な怪異を為し、王城でも指折りの戦士までもが惨殺されたと聞いたアーモンは、その首を肴に酒盛りをすると言い出して……


 という「人の首の鬼になりたる」に始まる本書は、短編集『月の王』と長編『妖樹』を合本した一冊。長短合わせ六つの物語が収録されています。

 恐るべき力を示す盗賊の首が秘めていた、哀しい真実を描く、上記の「人の首の鬼になりたる」
 旅の途中、追手に追われる赤子を連れた女や、異様な風貌の元罪人と出会ったアーモン主従が、妖が人を食らうという村に入り込む「夜叉の女の闇に哭きたる」
 前話に登場した、右半身が醜く焼けただれた元罪人・アザドが、何故か自分を執拗に付け狙う傀儡師が操る傀儡と壮絶な戦いを繰り広げる「傀儡師」
 人の尻に食らい付いて取り憑き、次々と宿主を変える魔物・黒尾精が出没する村に行きあったアーモン主従が、魔物退治に乗り出す「夜より這い出でて血を啜りたる」
 雪山(ヒマヴァット)を目指して旅する途中、閉ざされた空間の中の村に迷い込み、曰く有りげな四人の男や人に化けた魔物と出会ったアーモン主従。村から脱出しようとする主従の前に、この村を支配する異様な美女が現れる長編『妖樹』
 人語を解する獣たちが棲むという山に向かったアーモン主従が、四人の男女と共に大雨で洞窟に閉じ込められた末に怪異と遭遇する「月の王」

 アザドが主人公で、アーモン主従が登場しない番外編的な「傀儡師」を除けば、いずれもヴァシタの一人称で語られる連作であります。

 いずれも物語はシンプルといえばシンプル、退屈しのぎに出かけた先で、なりゆきで恐るべき魔物と対峙することとなったアーモンが、魔物と激闘を繰り広げる――というのが基本パターンなのですが、しかしキャラクター設定と情景描写の妙で読ませるのは、実に作者らしいというべきでしょう。
(ちなみに番外編の「傀儡師」も、アザドの独特のキャラを活かしつつ、日夜襲い来る敵との死闘を描いた名品であります)

 特にアーモンは、勇者というよりも豪傑――人並み外れた力を持ちながらもどこか呑気で、そして粗雑なようでいて心優しく情に厚いという、夢枕獏の得意とする豪傑キャラの一典型――というより原型といってよいキャラクター。
 本書に付された紹介等では、(『闇狩り師』の)「九十九乱蔵の原型キャラ」と記されていますが、それも納得であります。

 そしてそんなアーモンの大暴れを、彼を幼い頃から慈しみ、今なお「ぼっちゃま」と呼ぶヴァシタの視点から、時に驚嘆、時に慨嘆混じりに描くのが何ともユーモラスで、客観的に見ればかなり殺伐とした内容のドギツさを、巧みに和らげているといるのも巧みです。
 また、ほとんどの物語が、この主従が酒を酌み交わしているうちに、アーモンが一方的に盛り上がり、「いこう」とそういうことになってしまうのは、ある意味『陰陽師』の原型といえるのかもしれません。


 そしてもう一つ感じるのは、上で少し触れたように、基本的に殺伐とした――血と暴力と魔物とエロスという、ある意味パルプファンタジー的世界観を本作は受け継いでいるという点であります。
 なるほど、アーモンのキャラクターはらしいといえばらしいのですが、そこに彼らが出かける土地の情景など、天然自然の描写を詩情豊かに描くことによって、独自の世界観を生み出しているのは、見事というべきでしょう。

 まだ今のようにヒロイックファンタジーが一般的でなかった時代に、それを如何に日本に移植してみせるか――そんな試行錯誤の跡も窺われる佳品です。
(そしてそれを本当に日本に移植してしまった石川賢の漫画版については、近日中に紹介します)


『月神祭』(夢枕獏 徳間文庫) Amazon

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2023.11.04

『るろうに剣心』 第十八話「左之助と錦絵」

 赤べこの妙から頼まれ、月岡津南なる絵師の錦絵を買いに絵草紙屋に行った左之助。そこで津南が描いた赤報隊の相楽隊長の絵を見た左之助は、津南が赤報隊時代の友人だと気付く。津南のもとを訪ねた左之助だが、彼は密かに炸裂弾を準備し、内務省へのテロを計画していた。協力を求められた左之助は……

 今回描かれるのは、原作では番外編と銘打たれた左之助主役編、というより、原作きってのオーバーテクノロジーの持ち主であり、後に(間接的に)志々雄真実の野望を挫く男・月岡津南の登場編であります。
 ――と、アレなファンからネタ的に扱われることの多い津南ですが、今回は原作に幾つかのオリジナルシーンを追加することで、なかなか印象的な物語となっています。

 物語の展開は、上で触れた通り、赤べこの妙に頼まれた幕末の隻腕の剣士・伊庭八郎の錦絵を頼まれた左之助が、店で自分たちの姿が描かれた相楽総三の錦絵を見つけて、月岡津南=以前の仲間だった月岡克浩だったと気付き――という、原作そのままのもの。
 左之助が喧嘩屋というアンダーグラウンドな稼業を営みつつも(内心はともかく)結構明るく楽しくやっていた一方で、津南は錦絵師という職に就きながらも、たった一人で孤独に爆弾テロを計画していた、という対比がなかなか印象的な構図であります。

 もちろん、仮に津南の炸裂弾が軍艦を数発で沈没させるほどでも、たとえ中央官庁の中でもさらに中枢の内務省だとしても、官庁を一つ焼き払って後は周囲の蜂起待ちというやり方で国が転覆するはずもなく(まあ、慌てて志々雄一派が蜂起して大変なことになった可能性もありますが)、その辺りは実は作中屈指のクレバーさを持つ左之助が危惧する通りだというほかないのですが――しかし、それも幕末の修羅場を、幼い頃に経験してしまった(幼い頃にしか経験していない)が故の哀しさというべきなのかもしれません。

 この辺り、ある意味ガキ大将がそのまま大人になったような左之助に対し、変に考えすぎて大人になってしまった津南で対照的という気もしますが――ここで印象に残るのは、アニメオリジナルの回想シーンであります。
 相楽隊長に銃の腕を褒められつつも、これからは武器を持つのではなく勉学に励め、新しい赤報隊を作れと諭されるくだりは、彼の火薬の素養の由来を描くだけでなく、相楽の理想と、その相楽の死によって津南の現実とが哀しくも乖離してしまったことをを浮かび上がらせるのですから。
(しかしここで火薬でなく銃のスキルツリーを伸ばしていたら、リボルバーでガン=カタ絵師が誕生していたのか……)

 そしてその晩、左之助が神谷道場を借りて宴会を開き、津南を招くのも、原作ではいつもの面子+妙と燕だったのを、こちらでは左之助の舎弟や近所の人たち、そして恵を招くという形になっているのが面白い。ここで舎弟たちと恵の和解が描かれるのも目を惹きますが、一番印象に残るオリジナルシーンは、やはり津南が剣心を絵に描くくだりでしょう。
 ここで初めて、剣心がかつての維新志士であることを知り、一瞬敵意を燃やす津南ですが――気持ちを落ち着けたように描いた剣心の姿は、顔に十字傷がある他は、目も口もないのっぺらぼう。これに対して津南は「俺は見たものを描く。この男は見えん。その笑みの下にあるものが、傷の奧にあるものが見えん」と語るのですが、これは津南がその芸術家の感性でもって、剣心の本質を捉えてしまったのでは――と思えば、何ともゾクリとさせられるではありませんか。

 さて、宴もお開きとなり、客は帰っていつもの面子は道場で眠りについた中で、立ち上がる津南と左之助。あるいはこのアニメ版で左之助がいつもの面子に加えて様々な人々を招いたのは、津南に社会との関わりを感じさせるためだったのかも――とも思いましたが、しかし時既に遅く(?)津南はテロルに向かい、そして左之助も行動を共にします。
 しかし剣心がそれに気づかぬはずもなく――というところで次回に続くというのはちょっと驚かされるところで、原作では全三話だったもののちょうど二話目までで続くとは、次回は一体どうするのか。もちろん、オリジナル描写でドラマをさらに掘り下げてくれるのであれば、大歓迎であります。

 こうして今回見直してみると、原作の中でもかなり「明治もの」的な味わいが濃厚に感じられるエピソードであるだけに……


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『るろうに剣心』 第十三話「死闘の果て」
『るろうに剣心』 第十四話 「弥彦の戦い」
『るろうに剣心』 第十五話「その男・雷十太」
『るろうに剣心』 第十六話「理想の男」
『るろうに剣心』 第十七話「決着」

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2023.11.03

やまざき貴子『LEGAの13』第6巻 大団円 繋がりあう人びとの運命

 中世のヴェネチアとフィレンツェを舞台に繰り広げられてきた恋と錬金術の大ロマンもいよいよこの巻で完結であります。行方不明の父を追うレガーレが知ることになるのは、自分の意外な出生の秘密。その秘密を知ったレガーレの選択は――様々な伏線が一気につながり、意外な大団円が待ち受けます。

 元首に軟禁され、黄金を作らされていたヴェネチアから仲間たちとともに脱出し、行方不明の父・ゲオルグを探してフィレンツェまでやってきたレガーレ。
 そこで腐れ縁の怪人物・コルヴォや、最愛のアルフォンシーナと再会したレガーレは、ついにゲオルグと再会するのですが、しかし彼はレガーレなど見向きもしない状態で……

 というわけで、父の態度に疑問を抱きつつ、あくまでもその姿を追うレガーレを待っていたのは、自分の出生にまつわる意外すぎる真実。どうやらゲオルグが実の父ではないこと、そしてベアトリーチェなる女性が母らしいことがこれまで語られてきましたが――その真実がついに語られるのです。

 そしてその中に浮かび上がるのは、運命に翻弄されながらも懸命に生きたベアトリーチェの姿。しかしそんな彼女と周囲の人々は、当時のイタリアの情勢も絡み、非道な悪人たちの犠牲になったのであります。
 すべてを知ったレガーレは母の後を継ぐのか。そして過去の復讐に乗り出すのか――レガーレの仲間たちも巻き込み、最後の冒険(悪巧みともいう)が始まります。


 物語が始まって以来、ほとんどノリと勢いに流されるまま生きてきたレガーレ。そのためもあって――というのは厳しい言い方かもしれませんが、物語自体も、どのような結末となるのか、この巻に入るまでわからなかったように感じます。

 しかしそれが全て計算の上――これまで綿密に張り巡らせてきた伏線を踏まえていたものであったことが、この巻の怒濤の展開の中で明らかになります。
 レガーレだけでなく、コルヴォ、クラリーチェ、ゲオルグ、ジアン――レガーレを取り巻く人びとの運命が実は一本の精緻な糸で繋がり、美しい環を描いていたことを知った時の驚きたるや……
(第1巻だけに登場したレガーレの先輩が、実は非常に重要なキャラだったのにも仰天)

 そして未読の方のために詳細に触れられないのは残念ですが、この巻の展開がまた、ほとんどジャンルが変わってしまうほどの疾風怒濤ぶり。ここでこう来るのか!? こう来るしかないか! と言いたくなるような盛り上がりには、ただただ胸が熱くなりました。
 もちろんそんな中でも最後までレガーレはレガーレなのですが――だからこそこの物語は大団円を迎えられたと感じます。

 そんな彼が作り上げた13種の薬のうち、ここに至るまで効果が不明だったものが、最後の最後にその効果(その皮肉なこと!)を鮮やかに表すシーンにも、ただただ拍手喝采であります。


 そして全てが終わった末に待つ結末に、心の底から笑顔が浮かぶ本作。波瀾万丈にして豪華絢爛、そして軽妙洒脱――見事な中世ロマンスでありました。


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2023.11.02

菊川あすか『大奥の御幽筆 あなたの想い届けます』 大奥で過去を乗り越えた少女の新たな御役目

 先日続編が刊行された大奥もの――といっても少々変わったアプローチの作品であります。亡霊が見えるために幼い頃から家族から虐待されてきた少女が、叔母の伝手で入った大奥。そこで彼女は、記憶を失った青年武士の亡霊とともに、大奥を騒がす亡霊騒ぎの陰に潜むものを解き明かすことに……

 生まれつき亡霊が見える目を持つことために、血の繋がった家族から「呪われた子」と蔑まれ、奴隷のような生活を送ってきた里沙。唯一自分の味方であった祖母も亡くなって三年、もう自分の意味を見失いかけていた里沙は、叔母で今は大奥の右筆を務めるお豊から、大奥勤めを誘われるのでした。

 こんな自分でも誰かの役に立てるならば、とその勧めに従い、御年寄・野村の部屋子となった里沙。先輩の部屋子であり気さくなお松と早くも打ち解けることができた里沙は、ほどなくして大奥で奇妙な騒動が起きていることを知ります。
 夜間に長局の巡回を行う御火の番たちが、亡霊の泣き声を聞き、怖がって体調を崩す者まで現れている――幼い頃から亡霊は見慣れている里沙は、自分であれば何かできるのでは、と、亡霊の正体を探ると名乗りを挙げるのでした。

 野村からの許しを得て、御火の番に代わって見回ることとなった里沙ですが、しかしその前に現れたのは、美麗な青年の亡霊・佐之介――記憶を失って長い間彷徨い続け、ようやく里沙に見出された彼は、自分も泣き声の正体探しを手伝うと申し出ます。
 かくて、佐之介と共に見回りを行った里沙は、ついに泣き声の正体を発見するのですが……


 時代ものではメジャーではありつつも、ライト文芸/ノベルでは舞台になりにくい大奥(平安時代の宮中ものは人気なのに)。本作はその比較的珍しい例外であると同時に、大奥の権力争いではなく、そこに生きる女性たちの姿を描くことがメインという点でもユニークな作品です。

 実際、大奥を舞台としつつも、本作に登場するのは、将軍の御台所や側室などではなく、大奥を支える奥女中たち――上は御年寄から下は御末まで、様々な大奥で暮らす「普通の」女性たちの姿が描かれます。
 しばしば、大奥は外の世界とは隔絶した異世界のように描かれます。それはある意味事実ではあるものの、なにもそこで繰り広げられるのは寵愛や権力争いばかりではなく、大半の人間はごく普通に暮らしていたというのも、考えてみれば当たり前の話でしょう。

 とはいえ、それだけではドラマにならないわけですが、本作はそこに外の世界――自分の家族という世界で虐待同然の扱いを受け(そのひどさたるや、いつざまぁ展開になるのか思わず期待してしまうほどですが、人を見返そうなどと思わない里沙の前向きさが素晴らしい)、行き場をなくした少女の再生譚という性格を与えています。
 大奥に入った女性それまでの名前を捨て、女中としての名を名乗ります。それを一つの再生の象徴として――この辺りは主人公の里沙というよりも、もう一人別のキャラクターを通じた部分が大きいのですが――描いているのに感心させられました。

 もちろん、過去を捨てるのが良いことばかりではありません。物語の核心に触れるために詳細は述べられないのですが、本作の亡霊――本作には佐之介のほかにもう一人亡霊が登場するのですが、佐之介同様に過去の記憶を持たないこのもう一人の正体は、まさにこの捨ててきた「過去」に関わるものなのですから。

 しかし、仮に捨ててきた「過去」を思い出し、埋め合わせをしたくとも、幽冥境を異にする人間と亡霊では言葉を交わすことはできません。それではどうすれば相手に想いを伝えることができるのか? そこで里沙に与えられる役目には、なるほど! と大いに納得させられました。
(ただ、御火の番に亡霊の声が聞こえていたということを考えると、クライマックスの展開に「おや?」となる部分もあるのですが……)

 親から名前を呼ばれることなく育った少女が、新たな名を得ることでその過去を乗り越え、他人のため――いや人と亡霊の心を救うために奮闘する。本作はその姿を真っ正面から描いて見せた物語なのです。


 こうして大奥での生活を始めた里沙ですが、彼女を支える佐之介の正体はまだまだ謎のままですし、周囲の人々にも秘められたドラマがある様子。先日発売された続編も、いずれ紹介したいと思います。


『大奥の御幽筆 あなたの想い届けます』(菊川あすか マイクロマガジン社ことのは文庫) Amazon

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2023.11.01

東曜太郎『カトリと霧の国の遺産』 少女の見えない将来と幻の街の魔手

 児童書にして優れた伝奇ホラーだった『カトリと眠れる石の街』の待望の続編であります。エディンバラの博物館で働くことになったカトリの周辺で起きる連続失踪事件。それは幻の街にまつわる古物収集家のコレクションの展示に深く関わっていました。そして謎の魔手はカトリにまで……

 エディンバラで流行した謎の眠り病事件解決に奔走する中、博物館に興味を抱き、そこで働くという道を選んだカトリ。しかしそこで待っていたのは期待外れの退屈な仕事――しかも正式に学問を修めたわけでない少女であるカトリにとって、先行きは厳しく感じられるばかりであります。

 そんな中、奇矯な行動で知られ、つい先頃亡くなったアマチュア収集家・バージェス氏のコレクションが博物館に寄贈されます。呪われていると噂されるそのコレクションは、全てビザンツ帝国の「ネブラ」なる街にまつわるもの。しかし問題は、博物館の誰もネブラなる街のことを知らなかったことですが――しかしコレクションは特別展で展示されることになります。

 しかしそこで奇妙な事件が続発することになります。博物館を訪れた客が、次々と失踪――しかもその客は、いずれも件のコレクションを見ていたと思しいのです。
 展示室で奇妙な霧に満ちた空間に迷い込むという経験をしたカトリは、コレクションに秘密があると睨むのですが――展示物の一つである謎の街について記された年代記を調べる中で、ある発見をすることになります。

 そしてそれをきっかけに、己の身にも危機が迫っていることを察知したカトリ。以前の事件を共に解決したリズに状況を伝え、バージェス邸の探索に向かうカトリですが、時既に遅く……


 講談社児童文学新人賞の佳作を受賞し、一般読者からも好評を得た『カトリと眠れる石の街』。19世紀のエディンバラを舞台に、金物屋の娘で才気煥発な少女・カトリの活躍を、濃厚な伝奇ホラー味で描くその内容に驚かされ、続編を心待ちにしていましたが――本作はその期待に応える作品でした。

 上で紹介したように、幻の街を巡ってミステリアスに、そして不気味な――特に失踪者の「法則」が明らかになったシーンにはゾッとさせられました――ムードたっぷりに進む物語は、前作同様、既存の神話伝説に拠ることなく(というより本作の場合……)、独自の怪奇と謎の世界を描いていきます。
 もちろん、その恐怖を前にして、カトリが黙っているはずもありません。前作で手を携えて石の街の恐怖に立ち向かった上流階級の、しかしかなりアグレッシブな(作中で「武闘派」と呼ばれたのは納得!)少女・リズとともに、果敢にそしてロジカルに謎に挑む姿には、胸躍るものがあります。


 しかし本作のカトリは、勇猛果敢なだけではありません。前作のラストで自らが進むべき道として、家業ではなく博物館での研究を選んだ彼女ですが、選んだ道は前途多難。往くも険しく、戻る道もない――性格的にいまさら周囲に弱音も吐けず、五里霧中の自分の未来に対して、迷いと恐れを抱く姿が描かれるのです。

 そしてそれが、本作の内容と密接に結びついていくことになります。その様には、児童文学――子供は子供なりの過去を背負いつつ、広大な未来に向かって成長していく子供たちを主人公とする物語――において、主人公が対峙すべきもの(の一つ)は、将来の先行きが見えないことに対する不安であるのだな、と今更ながらに再確認させられます。


 もちろん、カトリは不安に沈むだけではありません。かなり危ないところまで行ったものの、再起した彼女が理解した、あるべき生き方――それは彼女たちよりもずいぶん長く生きてきた、そしてそれでもまだまだ不安を抱える自分のような読者にとっても、ごく自然に納得できる、そして心に光が灯ったような想いになるものです。
 そしてそれが物語と有機的に結びつくことによって、説教臭さとは無縁のものとして感じられるのもまた、素晴らしいところであります。(多くは語れませんが、完全に円満な解決ではないのに逆に納得です)

 そして一つの怪異は解決したものの、思わぬ人物の思わぬ行動を示唆して終わる本作。どうやらまだまだカトリの冒険を楽しみにしてよさそうです。


 ちなみに本作ではカトリとリズに重要な事実を語る人物が登場するのですが――名前が変えられているので当人ではないかもしれませんが、なるほどエディンバラに居た人物だった! と快哉を挙げたくなった次第です。


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