« 2023年11月 | トップページ | 2024年1月 »

2023年12月

2023.12.31

相田裕『勇気あるものより散れ』第5巻 激突、過去を背負った眷属二人

 不老不死の民・「半隠る化野民」と、その眷属に選ばれた剣士たちの物語はいよいよ混迷の度合いを深めて展開していきます。妖刀・殺生石を巡り相争うことになった不死の兄妹の戦いは、藤田五郎たちも加わって大混戦。その中で激しくぶつかり合う眷属二人の対決の行方は……

 母を不死の運命から解き放つため、化野民を殺す力を持つ妖刀・殺生石「華陽」を奪って逃避行を続けてきた九皐シノと鬼生田春安。しかし争奪戦の末に華陽を手に入れたシノの兄・生松と眷属の鵜飼菊滋は、母の解放を政府に要求して政府高官へのテロを開始することになります。
 この凶行を止めるため、図書掛の山之内は山川浩に推薦された藤田五郎と組んで生松を追跡。さらに殺生石を取り戻すという目的自体は同じである、シノと春安とも協力することに……

 かくて、政府内で化野民の対応を行ってきた図書掛の実働隊長というべき山之内と、その図書掛と幾度となく激突してきたシノと春安――この巻では、その双方が、まさに呉越同舟というべき形で協力して共通の敵に挑むことになります。
 さらにそこに藤田五郎が加わり(完全に無関係だったのに巻き込まれた彼こそ、いい面の皮ですが……)、向かうところ敵なしと言いたいところですが、しかし相手もただ者ではありません。

 何しろ生松も菊滋も神道無念流の達人――かつてシノと生松、春安と菊滋は、それぞれ蒸気船の上で激闘を繰り広げ、辛うじて引き分けとなった間柄であります。特に生松と菊滋が操る立居合の秘剣・アマツバメは、まさに必殺というべき豪剣です。
 山之内と藤田が加わっての四対二とはいえ、この巻の前半で展開する全く先が見えない激闘。その中でも圧巻は、春安と菊滋の激突であります。

 ともに人間時代から名うての剣士であり、人間としての死を迎えてもなお、化野民の眷属として強固な忠誠心と使命感に突き動かされる二人。しかし一方の春安は戊辰戦争で各地を転戦した過去を持つ一方で、菊滋の方の実戦経験は――と思いきや、実は彼は実在の人物だったというのに驚かされます。

 鵜飼菊滋の本名は鵜飼幸吉――史実では元水戸藩士であり、戊午の密勅を届ける使者となったことを以て、安政の大獄で唯一獄門に処されたという人物。それが本作においては、処刑の直前に見せた技を生松に見いだされ、その眷属にして師として、彼の近くに控えることとなったというのであります。

 敵味方様々なキャラクターが入り乱れる本作においては、単純な善人・悪人というのは基本的に存在しません。存在するのは、それぞれに過去を背負いながらも、それでも現在を生きようとする者たちであり――その姿がキャラクターたちに、ひいては物語に厚みを与えているといえます。
 そしてその構図は、やはりどうしても史実を背負った実在の人物の方が、より印象的なものとなります。その意味では、この巻の菊滋は、完全に春安を食っていたといってもよいでしょう。
(特に春安とその主であるシノの場合、最大の目的が生松たちの行動によって阻まれ、敵であった山之内と組んだことで、ある意味行動が迷走している点も大きいのですが……)

 その一方で、生松とシノの姉である煙花が、今回ついにその実力を発揮する場面があるのですが――彼女の場合、そうしたキャラの重み付けがまだ描かれていないためか、絵空事感の方が先立って感じられるのは、いささか残念なところではあります。


 物語の方はいよいよ敵味方が入り乱れ、先が見えない展開となってきましたが、キャラ配置的にも、少しでも薄さを見せたキャラはたちまち他のキャラに食われる印象があります。
 その意味でもはたして誰が生き残るのか、油断ならない作品であります。
(そしてその中で盤石の史実を背負いつつも、矢鱈と立ったキャラを見せる藤田の「強さ」よ……)


『勇気あるものより散れ』第5巻(相田裕 白泉社ヤングアニマルコミックス) Amazon

関連記事
相田裕『勇気あるものより散れ』第1巻 死ねなかった男と死なない娘の冒険譚開幕
相田裕『勇気あるものより散れ』第2巻 生き残った武士の姿、会津武士の姿
相田裕『勇気あるものより散れ』第3巻 船上の剣戟! 不死者vs不死者、眷属vs眷属
相田裕『勇気あるものより散れ』第4巻 化野民の想いと人間の想い、そして新たな剣士

|

2023.12.30

冬野ケイ『神様の用心棒』第2巻

 箱館戦争で命を落としながら、神使として甦った青年・兎月の奮闘を描く、霜月りつの『神様の用心棒』のコミカライズ第2巻であります。神使として活躍する中、失われていた記憶を取り戻した兎月。その一方で、その記憶と密接な関係を持つ刀を用いた事件が発生して……

 箱館戦争から十年後、函館山の宇佐伎神社の祭神・ツクヨミによって甦らされた旧幕府軍の青年・兎月こと海藤一条之介。思わぬ状況に戸惑いつつも、兎月は氏子というべき函館の人々を助けるべく奮闘することに……

 という基本設定を踏まえて展開する本作。人助けもあれば、怪ノモノ――函館山から降りてくる人の負の念が生んだ魔――との対決もありと、なかなかにバラエティに富んだ物語が展開される原作ですが、漫画版は、第一巻に引き続き、この原作に忠実に描かれています。
 といっても、やはりダイレクトにビジュアルで描かれるのは、大きなアドバンテージであることは言うまでもありません。特に本作の場合、脇役も含めて個性的なキャラが登場するだけに、それがビジュアルで描かれるのはうれしいところです。

 たとえばこの巻の前半のエピソード「狐のくれた赤ん坊」は、親に捨てられた赤子を預けられた兎月が、子育てに悪戦苦闘するという人情噺ですが――彼に赤子を預けたのが「狐」、つまり稲荷というのが実に本作らしいところであります。
 そしてその彼女の様々な表情が画で描かれるのも楽しいところで、特に彼女が激した時に見せる「顔」たるや……(この辺りは素直に兎月に同情してしまいます)


 しかし画の力をさらに強く感じさせるのは、後半のエピソード「剣の約束」であることは間違いありません。

 元々、死から甦った際に記憶が一部欠落していた兎月。しかし復活から時間が経ったためか、ようやく記憶を取り戻した彼は、旧幕府軍で自分の「師」であった人物のことを思い出すのでした。
 師といっても剣ではなく(剣も教わってはいたのですが)、俳句の師だったとくれば、ピンとくる方もいるでしょう。そう、その人物の名は土方歳三――今更言うまでもない超有名人であります。

 そして兎月の記憶の中に土方が登場するわけですが、この土方が実に「らしい」ビジュアルであるのは当然として、本作ならではの姿を見せてくれるのが嬉しいところなのです。
 土方の俳句については、史実ではあるものの、何というかその内容的なものもあって、フィクションの世界ではネタ的に扱われることがほとんどといえるでしょう。しかし本作においては、そこに意外とも言える形でポジティブな――土方自身のキャラクターとしても、兎月との関係性においても――意味付けが為されているのにまず感心させられます。

 なるほど、これだけお馴染みの題材にもこういう描き方があったか! と思わされるこの土方の想いは、内容が内容だけに、画がつくことで、より印象的に感じられた次第です。

 そして更に印象的なのはこのエピソード後半の展開なのですが――これは是非実際に見ていただきたいと思います。
 この展開は画で見てみたい、と思わされた名場面が、まさに満を持して、というべき形できっちり画で描かれているのは、実に嬉しいところです。

(ちなみに前巻も凄かったカバー下のおまけ漫画は、今回それに輪をかけて凄いことに――これもやはり漫画でなければ描けない内容ではあります)


 そしてもう一つ嬉しいのは、この漫画版が第二巻では終わらず、この先も続いているところであります。
 原作第一巻『神様の用心棒 うさぎは闇を駆け抜ける』の内容は、この巻までで描かれていますが、現在は第二巻「うさぎは玄夜に跳ねる」分が連載されている模様。

 基本的にシリーズもの小説の漫画化は、第一巻だけ扱ってそれまで、というパターンが非常に多いのですが、本作はそれを打ち破ってくれているというのは大いに嬉しくなってしまうのです。


『神様の用心棒』第2巻(冬野ケイ&霜月りつ KADOKAWA 角川コミックス・エース) Amazon

関連記事
冬野ケイ『神様の用心棒』第1巻 漫画ならではのキャラが楽しいコミカライズ

霜月りつ『神様の用心棒 うさぎは闇を駆け抜ける』 甦った町を守る甦った男
霜月りつ『神様の用心棒 うさぎは玄夜に跳ねる』 兎月が挑む想い、支える想い
霜月りつ『神様の用心棒 うさぎは梅香に酔う』 兎月とツクヨミの函館の冬
霜月りつ『神様の用心棒 うさぎは桜と夢を見る』 春の訪れとリトルレディの冒険と
霜月りつ『神様の用心棒 うさぎは星夜に涼む』 函館の短い夏を彩る三つの物語

|

2023.12.29

三萩せんや『大正陰陽師 屍鬼の少年と百年の復讐』

 最近はライトノベル・ライト文芸で大人気の大正時代ですが、本作はその大正の東京に、陰陽師が活躍するユニークな作品。表向き世間から姿を消した陰陽師を養成する学び舎設立のため東京に向かった陰陽師の青年が、金色の髪を持つ少年姿の鬼と出会ったことから、思わぬ事件に巻き込まれます。

 明治に入り陰陽寮が廃止され、表向きは姿を消した陰陽師。しかし文字通りこの世の裏側に潜んでいた彼らは、その命脈を保つため、帝都に陰陽師養成の学び舎を立てようとしていたのであります。
 その先触れとして選ばれたのは、奔放な言動によって土御門一門の異端児と見なされていた青年・安倍晴雪。一門を束ねる叔父には頭の上がらぬ彼は、嫌々ながら東京に向かうことになります。

 とある華族の屋敷の離れに居を定めた晴雪は、早速学び舎設置に相応しい場所を探して東京を巡るのですが――そこで見たのは、維新の動乱の影響か、結界がほころびかけ、妖が闇に潜む帝都の姿でした。
 さらに、街で「金色夜叉」なる妖の噂を聞きつけ、目撃場所に向かった晴雪は、そこで金色の髪を持つ少年姿の鬼と遭遇することになります。

 強力な鬼を辛うじて制した晴雪ですが、菊丸と名乗るその鬼は、意外な申し出をしてきます。かつては人間だったものが、百年以上前に謎の陰陽師たち「道摩の血脈」の術によって、鬼に変えられたという菊丸。これまで道摩の血脈を一人ずつ屠ってきた彼は、
晴雪の式神となる代わりに、行方をくらました最後の一人探しに協力してほしいというのであります。

 帝都の結界の異変が、道摩の血脈の仕業と見て、菊丸と協力することにした晴雪。しかし人間の常識を知らない菊丸に手を焼くことに……


 今なおフィクションの世界では根強い人気を持ち、次々と作品が発表されている陰陽師もの。しかしその舞台のほとんどは平安時代であり、明治以降の近代を舞台とする作品は、非常に少ない状況にあります。
 それもそのはず、上で触れたように陰陽寮は明治の初期に廃止、そして陰陽道は迷信として禁止されたため、それ以来「陰陽師」は公的には存在しないことになったのですから。

 しかし、だとすればそれまで存在した陰陽師たちはどこに消えたのか? というのはある意味当然の疑問でしょう。それに対して、陰陽師たちはこの世の裏側の世界――一種の異界に身を潜め、密かにこの世を守護していた、という答えを用意してみせたのが、本作のまずユニークな点であります。

 その一方で、本作は大正の陰陽師だけでなく、もう一人の主人公として、江戸時代から生き続ける鬼――それも生まれついての(?)鬼ではなく、術によって人間から変えられた鬼を設定しているのが目を惹きます。
 人間と人間以外のコンビというのは、バディものでは定番の一つ、陰陽師が「鬼」を連れるのも違和感はありません。しかし陰陽師と鬼がある意味対等の関係で手を組むのが(そして鬼の側が年齢は経ているけれどもその外見同様に無邪気な存在なのが)面白いところであります。


 物語的にはこの晴雪・菊丸コンビが、謎の陰陽師・道摩の血脈に挑むのがメインとなっていき、学び舎設立が背景となってしまうのがいささか残念ではありますし、道摩の血脈についても、存分に描かれたわけではないという印象があります。
 その意味では、今後続編を期待したいところですが――しかし物語の中で陰陽師と鬼が互いを少しずつ理解していく姿はなかなか魅力的ですし、何よりもその中で浮かび上がる晴雪の屈託が、クライマックスのかなり意外などんでん返しに繋がっていくのは、大いに読ませるところであります。
(また、物語中盤の意外なビッグネームの登場にも驚かされました)


 なお、本作は現代を舞台とした同じ作者の『陰陽師学園』の前史に当たる物語とのこと。私は恥ずかしながらそちらは読んでおりませんでしたが、読んでいればさらに楽しめるのかもしれません。


『大正陰陽師 屍鬼の少年と百年の復讐』(三萩せんや マイナビ出版ファン文庫) Amazon

|

2023.12.28

猿渡哲也『エイハブ』 猿渡流白鯨! 神に挑んだ男の物語 

 タフシリーズなど、バイオレンスアクションの大ベテランである猿渡哲也が、あのメルヴィルの『白鯨』に挑んだ異色作であります。巨大な白鯨・モビーディックに仲間たちと自らの右足を奪われ、復讐鬼と化した男・エイハブの戦いの果てに待つものは……

 十九世紀初頭、マッコウ鯨漁の最中に、通常の鯨の何倍もの巨体を持つ白鯨の襲撃によって船を沈められ、その牙で多くの仲間たちと、自らの右足を食らわれた航海士エイハブ。
 親友とただ二人漂流することとなり、地獄を見た末にただ一人生き残った彼は、白鯨に激しい復讐心を燃やし、海に戻るのでした。

 そして二十年後――捕鯨船の船員を志望するイシュメール少年は、エイハブ船長の捕鯨船ピークォッド号の乗組員として海に出ることになります。
 様々な人種が集まるピークォッド号の乗組員たちを束ねるエイハブ船長の目的はただ一つ、憎き白鯨を斃すこと。そのエイハブの執念に応えるように、ついに白鯨がその姿を現すのですが……


 と、イシュメールが少年になっているほか、想像以上に原作を踏まえて展開していく本作(イシュメールが少年なのは、鯨や捕鯨、捕鯨船に関する基礎知識の聞き手とするためなのでしょう)。

 もちろん長大で重厚、そしてしばしば脇道に逸れることで知られる原作を忠実に、しかも単行本一巻で漫画化するのはさすがに難しいものがあります。
 その意味では、本作は必然的に原作の大幅なダイジェストとなっています。しかし物語の後半ほぼ全てをエイハブと白鯨との戦いに費やすことにより、ストーリーを研ぎ澄まし、むしろこの分量で描かれるのが最適と思わせる内容となっているのには驚かされるのです。
(個性的な乗組員達を、決して登場ページ数の多くない中で印象的に描き、そしてあっさりとその命を散らしていくのも巧い)

 そしてそれを支えているのは、何といっても白鯨の強烈な存在感と、それを描き出す画の力でしょう。元々画力に関しては定評のある作者ですが、設定だけみればどう考えても怪獣としか思えない白鯨を、誤魔化しなしで真っ正面から描いてみせたその姿は、まさに圧巻というほかありません。
(白鯨だけでなく、普通のマッコウ鯨だけでも凄まじい迫力!)

 しかしその白鯨に負けないのが、タイトルロールのエイハブであります。原作以来、これまでも様々な形で描かれてきた――そしてそのほとんどで、狂気に満ちた執念の人として描かれてきた――彼の様々な貌を、本作は描き出します。
 もちろんそのほとんどは狂気の復讐者のそれではあります。しかし彼が希に見せるそれ以外の表情は、自ら名乗るように「悪魔」ではなく、あくまでも「人間」である――実に人間でありすぎたからこその執念であると、理解できるのです。

 そしてまた本作は、そんな「人間」が「神」の如き白鯨に挑む物語であり――だからこそ本作は『白鯨』ではなく、神と敵対した王の名を持つ『エイハブ』の題を冠してみせたのでしょう。


 ――と真面目に感心していたところで、全五話の第四話というクライマックスのラスト二コマで、いきなり猿渡ワールド全開になってしまうのが、本作の恐ろしいところであります。
 義足という時点でいやな予感がしたものの、まさかやらないだろうと思っていた、エイハブが○○○○○を装着するという展開になるとは……!

 というサプライズはあったものの、物語自体は破綻なくおさまるべきところに収まっている――原作とは全く異なるエイハブと白鯨の決着は、これはこれで実に外連味があってよろしい――のもまた、凄まじいところではあります。
(ラストの現代シーンは、まあこれはこれで)

 猿渡哲也が『白鯨』を描くというのは、話を聞いたときは正直なところ異次元の組み合わせだと思いましたが――いやはや、ここまで魅せてくれると思わなかった、というのが正直なところであります。
 いずれまた、こうした名作の漫画化を――と期待してしまいたくなる作品であることは間違いありません。


『エイハブ』(猿渡哲也 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon

|

2023.12.27

コナン・ドイル『勇将ジェラールの回想』 ナポレオン麾下の快男児、戦場往来す

 ホームズもので後世に名を残したコナン・ドイルは、しかし歴史小説家を志向していたことは、ファンには良く知られています。本作はそのドイルの歴史小説の代表作、ナポレオン麾下で活躍した豪傑エティエンヌ・ジェラールの痛快でユーモラスな回顧録であります。

 ナポレオン・ボナパルトが皇帝として欧州に覇を唱えていた頃、その麾下の軽騎兵第十旅団の名物男として知られたエティエンヌ・ジェラール。
 ナポレオンには忠誠無比、ナポレオン軍きっての剣豪として知られ、情誼に厚く女性には騎士道精神で接する――しかし一本気で失敗も多い、八方破れの快男児であります。

 本作はナポレオンの快進撃から数十年後、今は年老いて隠居状態のジェラールが語る、戦場往来の回顧譚という趣向の、全八話の連作集です。
(横溝正史の『矢柄頓兵衛戦場噺』に近い趣向――といえば、歴史時代小説ファンにもわかるでしょうか)

 連隊本部に出頭する途中のジェラールが、ある男爵を探す青年将校と出会い、助太刀として男爵の城に乗り込む「准将が≪陰鬱な城≫へ乗りこんだ顛末」
 皇帝ナポレオン直々に呼び出され、謎めいた密命を受けたジェラールが、夜の森で謎の刺客たちと斬り結ぶ「准将がアジャクショの殺し屋組員を斬った顛末」
 負傷から原隊復帰する途中、ゲリラの罠にかかって絶体絶命のジェラールの前に、思わぬ救いの手が現れる「准将が王様をつかんだ顛末」
 イギリス軍の捕虜となり牢獄に囚われたジェラールが、不屈の闘志で脱走はしたものの、紆余曲折、皮肉な顛末を辿る「王様が准将を捕えた顛末」
 脱走兵を集めて一大勢力を築いた「ミルフラール元帥」なる人物を討伐に向かったジェラールが、旧友と共に挑むも思わぬ苦戦を強いられる「准将がミルフラール元帥に戦闘をしかけた顛末」
 ロシアでの大敗後、周囲の雲行きが変わる中で、ドイツを味方に留めるための親書を手にしたジェラールの苦闘「准将が王国を賭けてゲームをした顛末」
 ナポレオン直々に親書を託され、敵陣の真っ只中を突っ切ってパリへ向かうよう命じられたジェラールが、大奮戦するもその先に待っていたのは――という「准将が勲章をもらった顛末」
 ナポレオン軍の劣勢が続く中、二人の仲間とともに、ナポレオンから極秘の文書を託されたジェラールが、文書を狙う敵と激突する「准将が悪魔に誘惑された顛末」


 時代背景的には1807年から1814年頃まで、まさにナポレオンの絶頂期から没落までの期間に当たりますが、物語はそうした情勢を背景にしつつも、そのまっただ中で活躍した、しかし歴史に残らないジェラールの姿を活き活きと描きます。

 どのエピソードも短編ながら、ジェラールだけではない個性的なキャラクター(特に中盤に登場するイギリス軍のラッセル准男が実に愉快)を配置し、起伏と意外性に富んだ展開で、大いに物語は盛り上がります。
 特に意外性という点については、多くのエピソードでドンデン返しが用意されており、ナポレオンが登場する際には、毎回この人物の端倪すべからざる姿が、ジェラールの目を通じて描かれることになります。

 しかしそんな物語の中で、ジェラール自身は決してスマートな英雄ではなく、いたって単純な荒武者として描かれているのが、本作のユニークな点でしょう。
 実を言えば、第三者の目から見ると彼は明らかにナポレオンや高官たちに利用されているのですが――しかしそんな周囲の思惑もなんのその、思わぬ軍功をもたらす姿には、彼自身の極めて陽性のキャラクターも相まって、何ともいえぬおかしみと痛快さがあります。
 イギリスの読者にとっては(百年近く前の出来事とはいえ)敵であったフランス軍人の活躍を描く物語が喝采を以て迎えられたのは、実にこのような点に拠るのでしょう。

 しかしその一方で、一瞬前まで生きていた戦友が簡単に命を落としていく姿や、兵隊が華々しく戦う一方で蹂躙される土地の人々といった、戦争の重みを物語の中できっちり描いてみせるのは、やはりドイルの作家としての巧みさというべきでしょう。


 さて、本作は先に述べた通り全八話で完結しますが、続編として『勇将ジェラールの冒険』が刊行されています(『回想』『冒険』の順がホームズと逆なのがちょっと混乱しますが……)。
 准将のさらなる冒険についても、いずれまたご紹介したいと思います。


『勇将ジェラールの回想』(コナン・ドイル 創元推理文庫) Amazon

|

2023.12.26

音中さわき『明治浪漫綺話』第6巻

 明治の世を舞台に、没落華族の少女・十和と、異国から来たヴァンパイアの王・ルイスのロマンスを描いてきた物語も、ついに完結であります。実家の財政建て直しに十和が頭を痛める一方で、強制帰国の命が下ったルイス。別れの日が近づく中、二人の想いの行方は……

 十和を巻き込んだルイスとヴァンパイア・ハンターの戦いが終結した一方で、世間からは好奇の目で見られることとなった十和とルイス。そんな状況も意に介さず、そして十和の実家・日与守家への援助を申し出る婚約者の国門青年ですが、十和はやがてその真実を知ることになります。
 偽装結婚という国門の厚意にも甘えるわけにいかず、十和は自分の力で日与守家を立て直そうと考えるのですが……

 そんなわけで、ルイス側の――つまり吸血鬼側のドラマの大きな山は越えた状況(ルイスの強制帰国の問題はありますが)で描かれるのは、十和の実家の財政建て直しであります。
 この辺りはルイスの側に比べるとスケール的にはかなり小さく、正直なところここまでクローズアップされると思っていなかったのですが、十和の拠って立つべき場所であることを思えば、重要な要素であることは確かではあります。

 そしてその中で、十和たちが大ファンである作家・戀加波トメの正体が明かされ――と、こちらは読者の大半が予想していたとは思うのですが、そこからルイスの従者である東のドラマ、そして十和の実家いや彼女の母のドラマに繋がっていくのは、なかなか巧みな展開というべきでしょう。

 そしてその果てに十和が選んだ道は――これはこれで意外なものではあるのですが、しかし、十和自身が「家」という、自分が背負わされた宿命から二重の意味で自由になったと思えば、納得できるものがあります。
 思えば本作のメインキャラクターである十和もルイスも、己が生まれながらに背負ったものに縛られた存在であるという共通点がありました。そこから十和が自由になるのは、物語の結末に相応しいものであるといえるでしょう。


 もっともその一方で、ルイスの背負ったものは、決してどこかに下ろせるものでも、解決できるものではありません。そしてその救いとしてラストに描かれるものは、人間と吸血鬼――異なる時間の流れを生きる者同士の愛の物語として、非常に無邪気な結論とも感じられるかもしれません。
 そしてそれは、本作がパラレルワールド(首相が伊藤博文ではなく、彼の師匠が吉田松陰ではない)だからこそ、描けるものではあるのですが――しかしこういう考え方・受け止め方があったかと、ある種の感銘を受けるような、そんな結論であることも間違いありません。

 ラストでルイスの味わった驚きはこういうものであったか、と言ってしまうのは、ちょっと言いすぎではあるかもしれませんが……


『明治浪漫綺話』第6巻(音中さわき KADOKAWAあすかコミックスDX) Amazon

関連記事
音中さわき『明治浪漫綺話』第1巻 要素山盛りの明治吸血鬼伝?
音中さわき『明治浪漫綺話』第2巻 吸血鬼の王、その誕生のメカニズム
音中さわき『明治浪漫綺話』第3巻・第4巻 交錯する二つの物語 そしてヴァンパイアの王の力
音中さわき『明治浪漫綺話』第5巻 恋する乙女の最大の敵と最大の理解者?

|

2023.12.25

立沢克美『イクサガミ』第3巻

 小説でも漫画でも金十万円を賭けた死闘は続き、漫画版『イクサガミ』もこれで第三巻であります。第二のチェックポイントを過ぎ、いよいよ「こどく」の容易ならざる状況を痛感することとなった愁二郎と双葉。謎の忍び・響陣と同盟を組むこととなった二人を待つものは……

 金十万円を賭け、参加者それぞれに与えられた木札を奪い合い、京都天竜寺から東京まで七つのチェックポイントをクリアしていく「こどく」。このデスゲームに参加することとなった愁二郎は、武田の三ツ者の末裔・徳良三兄弟と石薬師宿付近で激突――辛くも勝利したものの、一対一の戦いばかりでなく、そして双葉を狙ってくる相手に一時も油断できない状況に、いよいよ危機感を強めます。

 ここで思い出されるのは、京で同盟を持ちかけてきた柘植響陣の言葉。この同盟を受けることとした愁二郎と双葉は、四日市で響陣と再会、互いに「こどく」に参加する強豪についての情報を交換するのですが――愁二郎もその強豪の一人であると響陣は告げます。

 かつて幕末の京で、土佐方の剣士・嵯峨刻舟として活動していた愁二郎。前巻でその一端が描かれた京八流の過酷な宿命を厭い、一人鞍馬から消えた彼は、灯台下暗しとばかりに京で活動していたわけですが――思えば本作の舞台は明治十一年、幕末の動乱の記憶がまだまだ新しい頃であります。
 愁二郎だけでなく響陣も、そして貫地谷無骨も、この幕末にその力を振るっていた者たち。「こどく」の真実は、実にこの辺りに関わっている――というのはまだ漫画版では語られていませんが、こうした時代背景は、折に触れて本作で語られることになります。

 さて、ここでは愁二郎の口から、京八流の継承執行装置というべき朧流の幻刀斎の存在が語られますが、半ば伝説のこの怪人についてはまだ謎のまま。先行きに不安を感じさせつつも、三人の同盟がスタートするのですが――しかしここで双葉が思わぬ提案をすることになります。人を殺さないで行くことはできないか、と。

 デスゲームの趣旨に反発し、できるだけ人を殺さないように努める主人公というのは、ある意味定番ではありますが、しかしそれが基本的に無茶な道であるのはいうまでもありません。
 もちろん、この「こどく」のルールが求めているのは、相手を殺すことではなく、相手の木札を奪うこと。そこから考えれば、不殺も必ずしも不可能ではないかもしれないのですが……

 それしても、これは裏を返せば自分たちが死なずに「こどく」を抜けられないか、ということでもあります。そこで響陣が一つの調査を提案するのですが――この辺りのルールの限界を探り、その穴を突こうというのは、いかにもゲームもの的な展開であって、これはこれで本作ならではの面白さであることは間違いありません。

 そして彼らとは全く違う形で、このルールを活用しようとしているのが、(原作では既に死んでいる)立川孝右衛門というのが、また面白いところであります。


 しかしゲーム性の考察や、ましてや殺人の禁忌など全く関係なしに暴れ回る男が、貫地谷無骨――乱斬り無骨であります。
 長州派の人斬りであった無骨は、立場的に幕末は激突することのなかった愁二郎を獲物と定めて襲撃。一方の愁二郎は「弟」の一人・祇園三助に双葉を攫われ、それどころではない状況ですが――それならばと、周囲の関係ない人間に凶刃を振るう無骨を阻んだものは……

 愁二郎の戦いだけでなく、他の強豪同士の戦いが始まるというのは、いよいよこのバトルも本格化してきたことでしょう。
 こうして「こどく」の戦いが激化する一方で、京八流の因縁もついに大きく動き出し、愁二郎と双葉の向かう先もまだまだ無明の闇なのであります。


『イクサガミ』第3巻(立沢克美&今村翔吾 講談社モーニングコミックス) Amazon

関連記事
立沢克美『イクサガミ』第1巻 サプライズ連発、もう一つのデスゲーム開幕
立沢克美『イクサガミ』第2巻

今村翔吾『イクサガミ 天』 開幕、明治11年のデスゲーム!
今村翔吾『イクサガミ 地』 迫る宿命の魔剣 そして恐るべき陰謀の正体!

|

2023.12.24

輪渡颯介『闇試し 古道具屋 皆塵堂』 幽霊にいかに挑むか? 二人の「探偵」の対決!?

 曰く付きの品物ばかり集まる古道具屋・皆塵堂を舞台としたコミカルな時代ホラーシリーズ、第十一作はシリーズレギュラーの太一郎を主人公として展開します。強力な霊能を持つ太一郎が依頼されたのは、札差の娘・お縫に対する幽霊への対処指南。小さなトラブルメーカーに振り回される彼の運命は……

 旧知の間柄である庄三郎から札差・大和屋の養女お縫を紹介された古道具屋銀杏屋の若旦那・太一郎。売りたい香炉があるというお縫ですが、強い霊感を持つ太一郎は、その香炉に執着している幽霊の存在を感じ取るのでした。
 その香炉の扱いについてお縫から問われた太一郎は香炉を買い取ると答えるのですが、お縫は幽霊の前で予想もしなかった行動を取ることに……

 というわけで、十巻を超えても非常に女っ気の少ない(女性の幽霊はほぼ毎回登場しますが)本シリーズに久々に登場した、物語に大きく絡む生身の女性キャラ・お縫。しかし作者の作品の女性キャラは何故かトラブルメーカーが多いのですが、やはりお縫も例外ではなく、皆塵堂――というより太一郎に面倒事を持ち込むことになります。

 とある武家屋敷に屋敷奉公に出ることになったというお縫。しかしその屋敷には幽霊が出る――というより、幽霊が出るからこそ、彼女はそこに奉公に行く気になったというではありませんか。
 そこで屋敷に行く前に自分が幽霊を相手にやり合うことができるか、腕試ししたいと考えたお縫の審判兼用心棒として、太一郎に声がかけられたのであります。

 実はお縫はシリーズのあるキャラの縁者、その関係で太一郎の話を聞いて幽霊に興味を持ったという、ほとんどとばっちりのような理由で、太一郎はお縫に引っ張り回されて江戸中の幽霊スポットを巡る羽目に――というのが、本作の趣向であります。


 シリーズファンには言うまでもありませんが、太一郎は毎回主人公が変わる本シリーズの記念すべき第一作『古道具屋皆塵堂』の主人公にして、シリーズ最強の霊能力を持つ切り札というべき人物であります。
 単に幽霊を見るだけでなく、遠くからでもその存在を感じる、そして幽霊の正体や意図をも見抜くことができる――幽霊絡みの品物にまつわる事件が中心となる本シリーズにおいては、あまりに便利すぎるキャラクターといえます。

 正直なところ、彼が最初から動けばほとんどの事件が解決してしまう(その辺りを逆手に取った作品もあるのですが)わけで、扱いが段々難しくなってきた感があった――と思いきや、たとえ幽霊の正体や存在がわかっても、大きな危険がなければ見ているだけ、という本作の設定は納得で、なるほどこの手があったかと大いに感心いたしました。

 その一方で面白いのは、いかに太一郎でも幽霊のことがすべてわかるわけではない――相手が伝えようとしていないことまでは読み取れないという点でしょう。この設定において、本シリーズの妙味の一つであるミステリ要素が効いてくることになります。
 さらに、幽霊を見ることと、その幽霊にどう対処するかはまた別の話であります。言い換えれば太一郎の対処が必ずしも正しいわけではなく、お縫の対処の方が正しいこともあるのです。

 というわけで、幽霊という「事件」を如何に解決するかという、二人の「探偵」の知恵比べ的な味わいもあるのが何よりも楽しく、そして実に本シリーズらしいひねりの効かせ方と感じるのです。
(そしてエピソードの中には、えらく意外な「探偵」まで登場することに!)


 正直なことをいえば、いささか苦肉の策という印象がないわけではありませんが、しかし「太一郎の幽霊に対する能力、強くなりすぎ問題」を見事に逆手に取って、起伏と意外性に富んだ物語を描きつつ、それでいてシリーズのいつもの味をきっちり見せてくれる本作。
 変化球にして王道の味わいの快作であります。


『闇試し 古道具屋 皆塵堂』(輪渡颯介 講談社文庫) Amazon

関連記事
「古道具屋 皆塵堂」 ちょっと不思議、いやかなり怖い古道具奇譚
「猫除け 古道具屋 皆塵堂」 帰ってきたコワくてイイ話
「蔵盗み 古道具屋皆塵堂」 人情譚と怪異譚、そしてミステリの隠し味
「迎え猫 古道具屋皆塵堂」 猫が招いた幽霊譚?
輪渡颯介『祟り婿 古道具屋皆塵堂』 怪異を信じない男と怪異を見せたくない男たち
輪渡颯介『影憑き 古道具屋皆塵堂』 亡魂という究極の人情
輪渡颯介『夢の猫 古道具屋皆塵堂』 これで見納め!? オールスターキャストの猫騒動
輪渡颯介『呪い禍 古道具屋 皆塵堂』 帰ってきた皆塵堂、帰ってきたコワ面白い物語!?
輪渡颯介『髪追い 古道具屋 皆塵堂』(その一) 最凶の怪異に最悪の因縁!?
輪渡颯介『髪追い 古道具屋 皆塵堂』(その二) 皆塵堂総力戦、シリーズ最高傑作誕生!?
輪渡颯介『怨返し 古道具屋 皆塵堂』 非情の取り立て屋の遺産の正体!?

|

2023.12.23

松原利光&青崎有吾『ガス灯野良犬探偵団』第1巻 推理対決、名探偵vs浮浪児!?

 作品が次々とアニメ化・ドラマ化と、最近波に乗っている青崎有吾原作の、ユニークなミステリ漫画であります。19世紀末のロンドンを舞台に、シャーロック・ホームズの「猟犬」となった浮浪児の少年・リューイが、ホームズを激しく憎み、張り合いながらも、難事件に挑むことになります。

 靴磨きをして暮らす浮浪児・リューイは、持ち前の観察眼から、相手の靴から様々なことを見抜く力を持つ少年。しかしその力を活かす機会もなく日々を送る彼の生活は、ある日突然大きく変わることになります。
 彼よりも遙かに腕の立つ、姉貴分的存在だったニナ――最近は割りのいい仕事を見つけ街から犯罪をなくす手伝いをしていると語っていた彼女が、何者かに刺されて命を落としたのであります。

 ニナが手にしていたボタンを唯一の手がかりに、必死に犯人を追い、ついに突き止めたリューイ。彼の復讐の刃が犯人に向けられたに見えたとき、横合いから突然現れた男が……

 というわけで、図らずもかのシャーロック・ホームズと張り合うこととなったリューイ。
 ニナを雇っていたのもホームズであると知った彼は、自分たち下層階級を「野良犬」と呼び、人間扱いしないホームズに激しい敵意を抱くのですが――ホームズのやり方を全て盗み、その上で殺すため、ホームズの猟犬として雇われることになります。


 さて、ホームズと浮浪児といえば、ファンなら当然思い浮かぶのはベイカー街不正規連隊でしょう。ホームズが自分や警察では手に入らないような情報を浮浪児たちを使って集める姿は、彼のデビュー作である『緋色の研究』で描かれていましたが、本作がそれをベースにしていることはまず間違いないでしょう。
 しかし原典で「スコットランドヤードの警官一ダースよりも有用」とある種賞賛しているのに対し、本作のホームズはそんな言葉とはまったく裏腹の人物であります。何しろ、浮浪児たちを人間扱いせずに犬と呼び――それどころか、リューイの靴磨きの客として初めて現れた時、彼が自分の靴から推理をしたのを不快に思ってか、いきなり彼の顔を蹴りつけているのですから。
(まあ、原典の時点でけっこう浮浪児たちに偉そうな態度ではあるのですが)

 もとよりホームズは奇矯で気難しい人物ではありますが、しかしこれはあまりにも――と憤るのは、既に作者の術中に嵌まっているということなのでしょう。いうまでもなく、本作でシャーロック・ホームズと名乗る人物は、あくまでも本作ならではのホームズなのですから。
(だからたぶん、後に生首探偵とともにルパンや怪物団と対決したりはしない――いやもちろん、世界観が違うわけですが)。

 というより、少なくとも本作のホームズは、明らかにアングロサクソンではない造形の人物。単純にデザイン的にそう見えるだけかと思いきや、ある人物に出身を問われて、「国籍は英国だよ」と答えているところを見れば、なにやらこの辺り、色々とありそうですが……


 と、ホームズのことばかり触れてしまいましたが、本作の主人公はあくまでもリューイであります。
 少なくとも靴についてはホームズに負けぬ観察眼を持ち、そして浮浪児ならではの知識と処世術を持つリューイ。そんな彼が、ある意味ニナの仇であるホームズを乗り越えるためにも、その猟犬として奔走する――本作はそんな物語なのですから。

 そんな構造の物語の中で面白いのは、一つの真実に対し、リューイとホームズが、それぞれの立場から推理を行い、それぞれに正しい(そしてそれぞれに足りていない)という点であります。
 決して口には出さないものの、ホームズなりにリューイを認めていると思しきところもあり、そんな二人の推理と緊張関係が、本作の一番の魅力と呼んでよいのではないでしょうか。
(しかし、二人のキャラがそれぞれ推理を行うという、それだけ手間となる趣向をやってのけるのには感心するほかありません)

 もちろんホームズ譚として見ても、作中で描かれる「タールトン殺人事件」「アルミニウムの松葉杖」と、原典中の語られざる事件をふまえたものであったりと――そして先に述べたようになにやら曰くがあるらしい「シャーロック・ホームズ」の存在も含めて――実に楽しい本作。
 まだこの第一巻の時点では、「探偵団」といいつつもリューイ一人の状態ですが、果たして、この先彼に仲間が現れるのかどうかも含めて、期待するしかない物語です。


『ガス灯野良犬探偵団』第1巻(松原利光&青崎有吾 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon

|

2023.12.22

田中芳樹『アップフェルラント物語』 元気、自由、快活! 少年は少女のために駆ける

 田中芳樹が得意とするヨーロッパものの代表作、ヨーロッパの架空の小国・アップフェルラント王国を舞台に、ボーイミーツガールから始まる冒険活劇であります。捕らわれの美少女を救い出そうとするスリの少年の奮闘は、恐るべき兵器の秘密と王国の独立を巡る大活劇へと展開していくことに……

 時は1905年、ヨーロッパの小国・アップフェルラント王国――そこでスリを生業とする天涯孤独の少年・ヴェルは、ある日傲岸不遜な男からスリ取った財布の中から、一人の美少女の写真を見つけます。
 好奇心から男が乗る列車を調べたヴェルは、写真の少女が鎖で繋がれているのを発見、義憤から助けようとしたものの、自分も警備の人間たちに襲われ、その場からやっとの思いで一人逃げ出すのでした。

 何としても彼女を助け出すべく、腐れ縁のフライシャー警部に助けを求めるヴェル。敵の隠れ家の情報を手に入れたヴェルとフライシャーは、大乱戦の末に少女――フリーダの救出に成功したものの、彼女を捕らえていた一味は逃走してしまうのでした。
 何はともあれ自由の身となり、女王との謁見を求めるフリーダ。そこで彼女は、祖父がオーバーケルテン岩塩坑に恐るべき兵器の秘密を隠したと語ります。

 その秘密を探るために探検隊に加わるヴェルとフリーダ、フライシャーですが、岩塩坑に入り込んだ一行を、悪漢たちの一味が襲います。
 そしてそれと平行して、ドイツとの併合を悲願とするノルベルト陸軍大臣はクーデターを決行、その機に乗じてドイツ軍がアップフェルラントに侵攻することに……


 近代のヨーロッパの架空の国を舞台に繰り広げられる冒険活劇――作者が提唱した「ルリタニア・テーマ」を体現する作品が本作であります。ルリタニアとはアンソニー・ホープの古典的名作『ゼンダ城の虜』の舞台となった国の名ですが、あちらがアラサーの貴族を主人公とするのに対して、本作の主人公は十四歳のスリの少年・ヴェル。
 そんなヴェルが、囚われのフリーダのために打算抜きの純な心で奮闘する姿は、まさしく本作のキャッチフレーズともいうべき(作中で探検隊の標語として女王から贈られた)「元気、自由、快活」という言葉が相応しいといえるでしょう。

 その一方で、欧州の列強と国境を接する小国を舞台とすることで――そして登場人物の一人の故国を既に滅んだものとして設定することで――力で人の自由を奪う者たちへの怒りと、それに屈せず戦う人々の姿を描くのもまた、実に作者らしいと感じるところであります。
(しかし作中では痛快であった女王の秘密兵器は、今この時の現実と見比べると、あくまでもフィクションの中のものでしかないと感じられるのが悲しいところですが……)
 そしてまた、作中ではもう一人の主人公といってよいほどの活躍を見せるフライシャー警部のドラマは、オトナのファンタジーとして印象に残ります。

 いずれにせよ、ボーイミーツガールの爽やかさを存分に描きながらも、それだけに終わらず様々な魅力を持つ本作は、作者のヨーロッパものの(おそらくは)出発点に相応しい名品といってよいでしょう。


 そして本作は、ふくやまけいこによる漫画版が刊行されています。
 こちらは原作を踏まえつつも、オリジナルキャラとしてヴェルの親友の少年・エーリッヒが登場。物語序盤のフリーダ救出までの攻防を整理し、終盤の戦闘シーンを大きくカットすることで、単行本一巻に収めつつ、物語の流れをスムーズに、過不足なく再構成しています。

 このエーリッヒの登場と、フライシャー警部のドラマの刈り込みによって、ボーイミーツガールの要素がより大きく前面に出されている感がありますが、ふくやまけいこの温かみと優しさのある画には、そのアレンジに非常によく馴染んでいると感じます。
 原作で猫好きとしては非常に違和感があった(猫は猫でもブラジル猫とはいえ、あまりにも可哀想すぎる……)展開も、納得のいく形に改編されており、もう一つの『アップフェルラント物語』と呼ぶに相応しい作品といえるでしょう。
(終盤、アップフェルラントの危機に立ち上がる人々の顔ぶれにも胸が熱くなりますし、フリーダの祖父の遺産の解説にあの夫妻が登場するのもいい)

 原作を気に入った方には、ぜひこちらも読んでいただきたいと思います。


『アップフェルラント物語』(田中芳樹 らいとすたっふ文庫) Amazon

『アップフェルラント物語』(ふくやまけいこ&田中芳樹 講談社KCデラックス) Amazon

|

2023.12.21

木下昌輝『戦国十二刻 女人阿修羅』 戦国に翻弄された/翻弄された女性たちのイヤ歴

 木下昌輝による『戦国十二刻』シリーズ、久々登場の第三弾であります。今回は副題にあるように、女人を中心にした物語――決定的な瞬間に向け、刻一刻と変化していく状況の中で、それぞれに趣向を凝らしたサスペンスフルな七つの物語が展開します。

 合戦の決着や落城、誰かの死など、戦国時代のある決定的な瞬間に向けた十二刻――二十四時間を描くというスタイルで展開してきた『戦国十二刻』シリーズ。これまで『終わりのとき』『はじまりのとき』と、それぞれ副題通りの時を描く二作が刊行されてきましたが、今回は戦国に翻弄された/翻弄した女性たちを主人公とした、些か趣が異なる内容となっています。

 臨月を迎えながら家康軍に従軍した阿茶の局の奮闘ぶりを通じて、長久手の戦いで家康が勝利するまでの十二刻を描く「戦腹」
 細川ガラシャを救出しようとするある企てと本能寺の変の驚愕の真実の果てに、彼女が炎の中に消えるまでの十二刻を描く「殉妻」
 織田軍に包囲され、絶望的な状況となった高遠城で、愛する諏訪勝左衛門に恐ろしい疑念を抱いてしまった花が高遠城を脱出するまでの十二刻を描く「祈刀」
 数々の求婚者を袖にして、美僧との情事に溺れる賛姫に対して、思いもよらぬ愛の証を示して吉川元春が婚約を成立させるまでの十二刻を描く「醜愛」
 愛する妻・ジュリアを傍らに、悲願である神の国をこの地に作るために島津軍に決戦を挑んだ大友宗麟の軍が耳川の戦いで壊滅するまでの十二刻を描く「聖室」
 息子と兄がにらみ合う中に割って入った義姫の行動から、彼女の秘め隠された内面を描きつつ、彼女が伊達家と最上家を和睦させるまでの十二刻を描く「鬼妹」
 岐阜城で兄・信雄の軍に包囲され、生母を人質にすることを求められた織田信孝の、幼い頃に生き別れた母への複雑な想いと共に、彼が母を犠牲にして和睦するまでの十二刻を描く「証母」


 細川ガラシャや義姫のように後世によく知られるような有名な人物もいれば、諏訪花のようにほとんど伝説上の人物、織田信孝の母のように名前すら残っていない人物まで――その主人公のバラエティはこれまで以上(「殉妻」のもう一人の主人公のように、作中では明かされない有名人がいるのも心憎い)、当然ながら物語のバリエーションも、驚くほどであります。

 特に本シリーズは元々ミステリ味が強く、限られた時間の中で事態が進行する中で、秘められた真実、隠された想いが明らかになっていくという趣向がほぼ各話で共通しているのですが――その各話でのどんでん返しには驚かされるばかりであります。
 特に本書の場合、人の負の感情、それも狂気や妄執というべきレベルのものが描かれるエピソードが少なくなく、その後味はほとんどイヤミス――いや、イヤ歴(そんな言葉はないかと思いますが)と呼びたくなるほどなのです。

 その中でも強烈に印象に残るのは、やはり「醜愛」でしょう。巷説では疱瘡により醜い容貌となった賛姫を、それでもと強く望んで元春が妻に迎えたという一種の美談が残っていますが、それを本作がどのように描いたか?
 そもそも元春が彼女に求婚した理由だけで現代人としてはどうかと思わされるのですが、彼女に対する永遠の愛の証として用意したものは――いやはや、もはやただ唖然呆然とするばかりであります。

 そのほか、愛し合っていた二人がどうしてこんなことに、とさめざめ泣きたくなる「祈刀」、これまで悪女とも猛女とも描かれてきた義姫を、それとは全く別のベクトルから恐るべき女性として描いた「鬼妹」など、よくもまあここまで――というほかありません。

 その一方で、掉尾を飾る「証母」は、読んでいていたたまれなくなるような信孝の回想など、どう考えても悲惨な物語にしかならないところを、最後の最後に明かされる彼の母の真意が、一種のホワイダニットとして機能することで、大いに泣かされる一編となっています。
 思えば作者のデビュー作『宇喜多の捨て嫁』は、まさしくイヤ歴であると共に一種の「女人阿修羅」の物語であり、そして同時に「母」の愛を描く物語でもありました。本作はそんな作者の原点を思い起こさせつつも、さらに進歩したところを見せてくれる、そんな一冊であるとも感じます。


 必ずしも全てのエピソードで十二刻という趣向がうまく機能しているとは言い難い部分もあります。また、シリーズ恒例の最初と最後を通しての仕掛けも今回はほとんどない(少しだけある)のですが――そうした点を補って余りある、名品揃いの短編集であります。


『戦国十二刻 女人阿修羅』(木下昌輝 光文社) Amazon

関連記事
木下昌輝『戦国24時 さいごの刻』(その一) 肉親の愛が招く死と滅び
木下昌輝『戦国24時 さいごの刻』(その二) 不変の史実から生まれる新たな物語
木下昌輝『戦国十二刻 始まりのとき』 戦国時代の始まりと終わり、そして新たな時代の始まり

|

2023.12.20

「コミック乱ツインズ」2024年1月号

 号数の上ではついに2024年に突入してしまって少々ショックではありますが、それはさておき「コミック乱ツインズ」1月号であります。表紙は『鬼役』、巻頭カラーは『真剣にシす』、『軍鶏侍』が最終回となります。今回も印象に残った作品を一つずつ取り上げます。

『真剣にシす』(盛田賢司&河端ジュン一・西岡拓哉/グループSNE)
 今回から新章突入となった本作、舞台は九州から大きく離れて大坂――今回夜市は、大坂東町奉行からの依頼で、代打ちをすることになります。しかし小倉小笠原家の真剣士である夜市が何故と思えば、跡部良弼→水野忠邦→小笠原長和→小笠原忠固という、水野家の兄弟と唐津藩主、小笠原宗家・分家にまつわる、実にややこしくもある意味江戸時代らしい人脈リレーで引っ張り出されたとの模様。
 しかしこの時代の大坂、しかも跡部良弼とくれば――やはり今回の勝負の相手は大塩平八郎。幕府に対して米を要求してきた大塩と夜市の勝負は、「蔵騒動」なる一種のカードゲームで行われることになります。

 金・銀・陶磁器・米・銃・酒の六種類×αの品札から五枚ずつを手札として配り、五枚を場札として「市場」に置く。そしてプレイヤーは「市場に行く」(=手札を増やす/交換する)か「民に施す」(=品札を点数と交換する)、どちらかの行動を取り、点数が高い方が勝ちというルールであります。面白いのは品札によって獲得した点数は、そのぶん大坂城の蔵の中にある現物をもらえるという点で――いや、銃とかありますよね?
 どうもこの辺り、審判側にうさんくささを感じるのですが、何はともあれゲーム開始――の前に、既に夜市が何やら仕掛けをしたように見えるのですが、さて。


『ビジャの女王』(森秀樹)
 ブブが深手を負い戦線離脱状態の中で、決戦を挑んできたモンゴル軍の攻城塔に窮地に陥るビジャ。しかし第二のインド墨者・モズの策というか面白人海戦術で、ビジャ側は大型弩砲を連射、攻城塔の一つの破壊に成功することになります。
 しかし攻城塔は残すところあと二つ、そして弩砲のために開いた城門にラジン(の馬)が突撃、さらにモンゴル兵が押し寄せて――というところでビジャ側の微妙に厭な策が炸裂。と、前回ほどのインパクトはありませんが、まだまだ戦いは続く本作であります。


『かきすて!』(艶々)
 公儀隠密として、ご公儀が必要とする品を中山道は武佐宿に運ぶことになったナツですが、しかしその途中、品を狙って謎のくのいちが襲いかかってきて――という今回。ビジュアル的には正反対(?)の艶っぽさの上に、戦闘力も互角以上の相手に苦戦するナツですが……

 と、考えてみればくのいちはナツのみ、あとの女性キャラは基本的に一般人だった本作ですが、ついに今回敵くのいちが登場したことになります。しかし本作は艶笑譚、はたしてシリアスな勝負で終わるだろうか――と思いきや、とんでもないオチが!
 いやーこれは確かにナツの方が一日の長がないこともないですが、ほとんど紙一重の差を、すんごいドヤ顔で隠して見せたナツの度胸勝ちでしょう。面白キャラの登場に、次回以降も期待が高まります。


『カムヤライド』(久正人)
 東征の途中、モンコに複雑な感情を抱く復讐者によって、大井川で兵の全てを失ったヤマト軍。そして国津神との戦いの中で、不思議な青い炎を放ったカムヤライドに、何故か神薙剣が襲いかかり――という状況から今回語られるのは、200年前の天孫降臨の際の真実であります。
 宇宙の彼方からやって来たニ=ギが地球に接近した時、地球の守護者ともいうべき「邪魔する者」サ・ルタが――と、思わぬところで記紀神話との符合が描かれることになりましたが、もちろんそれは「いま」のモンコたちが与り知らぬ話。しかしニ=ギの力を継ぐ神薙剣が拒否反応を示すということは、カムヤライドいやモンコは……

 そんな深まるばかりのモンコの謎に追い打ちをかけるように、ラストではモンコとの関係が疑われる「敵」の首魁・ノミが登場。その姿はなんと――一体これはどういうことなのか、大いに混乱させられます。ノミに仕える三老人がモンコを評する言葉も何やら不穏で、まだ一山二山ありそうな予感です。


 次号は何と新連載で京極夏彦原作の『前巷説百物語』がスタート。もちろん作画は日高建男――これは期待するしかありません(そういえば『後巷説百物語』は後半漫画化されていないように記憶していますが……)。
 また、巻頭カラーは久々登場の『玉転師』で、こちらも楽しみなところです。


「コミック乱ツインズ」2024年1月号(リイド社) Amazon

関連記事
「コミック乱ツインズ」2023年1月号
「コミック乱ツインズ」2023年2月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2023年2月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2023年3月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2023年3月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2023年4月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2023年4月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2023年4月号(その三)
「コミック乱ツインズ」2023年5月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2023年5月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2023年5月号(その三)
「コミック乱ツインズ」2023年6月号
「コミック乱ツインズ」2023年7月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2023年7月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2023年8月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2023年8月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2023年9月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2023年9月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2023年10月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2023年10月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2023年11月号(その一)
「コミック乱ツインズ」2023年11月号(その二)
「コミック乱ツインズ」2023年12月号

|

2023.12.19

栗美あい『白花繚乱 白き少女と天才軍師』第2巻 援軍、将らしくない将と破天荒な快男児(!?)と

 田中芳樹の『奔流』の漫画化――「梁山伯と祝英台」を大胆にも戦記ものとミックスしてみせた物語の第二巻であります。魏軍に攻められ孤立した河南城に対し、祝英台と共に救援に向かう知将・陳慶之の策とは、そして祝英台は兄と再会することができるのか!?

 六世紀初頭の南北朝時代、国境で激しくぶつかり合う梁と魏。そんな中、梁軍の軍営に兄を訪ねてきた白衣の「少年」・祝英台は、およそ軍人らしくない将軍・陳慶之と出会います。
 彼に手を貸して予州に入り、魏の中山王・元英の軍と戦うことになった祝英台ですが――そこに、梁が奪取した河南城から急報が入るのでした。

 元英の腹心にしてその武名を轟かす楊大眼の軍に包囲された河南城。その知らせの筆跡が、自分が探す兄・梁山伯のものだと知った祝英台は、救援に向かおうとするのですが、しかし予州の兵力にも余裕はなく……


 という展開から始まるこの第二巻ですが、ここでも冴え渡るのは陳慶之の知略であります。

 楊大眼の妻であり、自らも武人の(そして美形に目がない)藩宝珠が虎視眈々と狙う中、はたして予州から如何にして脱出し、河南城に向かうのか。そして、戦力を割く余裕がない中で、いかなる救援を行うのか。そして河南城を包囲する楊大眼の大軍を如何にして打ち破るのか?
 どれ一つとっても難題である中で、それをいとも容易く陳慶之が解決してみせるのが、この巻の見せ場であることはいうまでもないでしょう。

 特に河南城に送られた救援の内実を知ったときには、そのある種の豪快さに思わず笑顔になってしまうのですが――それも将らしくない将である陳慶之と、破天荒な快男児(!?)祝英台のコンビあってこそというべきかもしれません。
 そしてまた、城を脱出する際、ある扮装をした祝英台と藩宝珠が遭遇するくだりは、こちらは非常に少女漫画的なシチュエーションではあるのですが、相手が勇猛にして艶麗な藩宝珠だからこそ、意味あるものに感じられるところであります。
(そしてまた、いずれ明かされるであろう祝英台の真実と照らし合わせた時にも……)

 ただ、本作の場合、やはりどうしても軍記ものとして見ると絵柄的に軽さが出てしまっているのも確かなところではあって、ロマンスとして見た場合にはそれが合っているだけに、難しいところではあります。


 何はともあれ、奇策に次ぐ奇策の末に、河南城の将兵の救援には成功した二人ですが、しかし祝英台にとっては思わぬ悲報が舞い込むことになります。

 まだまだ戦いから抜け出せぬ祝英台を待つものは何か――この巻のラストのエピソードでは、単純に悪役・敵役とも言い難い元英の姿も描かれ、まだまだ物語はどこに落着するか見えないのであります。


『白花繚乱 白き少女と天才軍師』(栗美あい&田中芳樹 秋田書店プリンセス・コミックス) Amazon

関連記事
栗美あい『白花繚乱 白き少女と天才軍師』第1巻

|

2023.12.18

梶川卓郎『信長のシェフ』第36巻 炎の本能寺! ついに武器を手にしたケン

 実に十二年以上描かれてきた物語も、ついに最大のクライマックスを迎えることになりました。ついに兵を挙げた光秀を、ケンは止めることができるのか。この巻の表紙では、ケンが珍しいことに火縄銃を手にしていますが、はたしてこれは……?

 光秀が何を考えて信長を討とうとしたのか理解した末、何とか光秀の思惑を信長に知らせ、そして光秀を止めようとするケン。高松攻略中の秀吉に急を知らせ、歴史よりも早く秀吉を動かすことに成功したものの、それ以外にケンが打った手は尽く光秀に読まれ、封じられることになります。

 それでも居ても立ってもいられず、時間を稼ぐことができればと一人京に向かうケンですが――しかし、光秀によって謀反人の汚名を着せられたケンは、京に近づくことすらできません。その一方でついに出撃した光秀の軍勢も、亀山城から京に出るには、山を越える必要があります。
 そしてその山越えを光秀を止める最後のチャンスとして、命懸けで光秀の軍に潜入するケン。光秀と、彼を射殺してでも止めようとするケンと、二人がついに対峙するのですが……


 というわけで、もはや料理をしているどころではなくなってしまった本作。実際、今回はケンが料理する場面はなく、それどころか表紙で描かれたように彼がついに自ら武器を手にするということは、本作がそこまで行き着いてしまったことの、象徴といえるでしょう。
 しかしそれでケンが光秀を殺して、あるいは光秀がケンを殺して――この物語の決着がついてよいものでしょうか。もちろんそうではありません。そしてこの対峙は、思わぬ存在の乱入によって、水入りとなります。

 正直なところ、これだけ引っ張っておいて、このためだったの!? という気はしないでもないのですが(この後の展開を見るに、さすがにそれだけではないようですが)、しかしここでケンの命を救ったのが、ある意味ケンという人間を象徴するものであったことは、やはり意義深いものと感じられます。


 とはいえ、光秀は阻まれることなく京に入り、本能寺に向かいます。そしてそこで何が起きるのか――それをここで詳しく述べる必要はないでしょう。ある意味、信長を物語の中心に選んだことで迎える必然的な結末の一つを、本作はここで迎えることになります。

 しかしそれが本作の本当の結末なのか――それはまだわかりません。ケンが楓に託した「もの」に何の意味が込められていたのか。そして乱の直後の村井とヤスケの会話の意味は……
 そしてラストには決定的に正史と異なる動きが表面に出たことで、はたして物語はどこに落着するのか、ますますわからなくなってきましたが――本作の本当の結末が間近であることは間違いありません。今はそれを待ちたいと思います。


『信長のシェフ』第36巻(梶川卓郎 芳文社コミックス) Amazon

関連記事
 「信長のシェフ」第1巻
 「信長のシェフ」第2巻 料理を通した信長伝!?
 「信長のシェフ」第3巻 戦国の食に人間を見る
 「信長のシェフ」第4巻 姉川の合戦を動かす料理
 「信長のシェフ」第5巻 未来人ケンにライバル登場!?
 「信長のシェフ」第6巻 一つの別れと一つの出会い
 「信長のシェフ」第7巻 料理が語る焼き討ちの真相
 「信長のシェフ」第8巻 転職、信玄のシェフ?
 「信長のシェフ」第9巻 三方ヶ原に出す料理は
 「信長のシェフ」第10巻 交渉という戦に臨む料理人
 『信長のシェフ』第11巻 ケン、料理で家族を引き裂く!?
 『信長のシェフ』第12巻 急展開、新たなる男の名は
 梶川卓郎『信長のシェフ』第13巻 突かれたケンの弱点!?
 梶川卓郎『信長のシェフ』第14巻 長篠への前哨戦
 梶川卓郎『信長のシェフ』第15巻 決戦、長篠の戦い!
 梶川卓郎『信長のシェフ』第16巻 後継披露 信忠のシェフ!?
 梶川卓郎『信長のシェフ』第17巻 天王寺の戦いに交錯する現代人たちの想い
 梶川卓郎『信長のシェフ』第18巻 歴史になかった危機に挑め!
 梶川卓郎『信長のシェフ』第19巻 二人の「未来人」との別れ、そして
 梶川卓郎『信長のシェフ』第20巻 ケン、「安心」できない歴史の世界へ!?
 梶川卓郎『信長のシェフ』第21巻 極秘ミッション!? 織田から武田、上杉の遠い道のり
 梶川卓郎『信長のシェフ』第22巻 ケンの決意と二つの目的と
 梶川卓郎『信長のシェフ』第23巻 思わぬ攻防戦、ケンvs三好!?
 梶川卓郎『信長のシェフ』第24巻 大坂湾決戦の前哨戦にケン動く
 梶川卓郎『信長のシェフ』第25巻 新たな敵に挑む料理探偵ケ
 
梶川卓郎『信長のシェフ』第26巻 ケンと村上父子の因縁、決着!?
 梶川卓郎『信長のシェフ』第27巻 本願寺への道? ケン、料理人から××へ!?
 梶川卓郎『信長のシェフ』第28巻 石山合戦終結 そして数多くの謎と伏線
 梶川卓郎『信長のシェフ』第29巻 今明かされるヴァリニャーノ真の目的!?
 梶川卓郎『信長のシェフ』第30巻 ようやく繋がった道筋? そしてケン生涯の一大事
 梶川卓郎『信長のシェフ』第31巻 滅びゆく武田家 東奔西走するケン
 梶川卓郎『信長のシェフ』第32巻 武田家滅亡 松姫の答え、勝頼の答え
 梶川卓郎『信長のシェフ』第33巻 対面! 最後の現代人
 梶川卓郎『信長のシェフ』第34巻 ついにわかった犯人と動機!? ケンと光秀の攻防始まる
 梶川卓郎『信長のシェフ』第35巻 動くか秀吉 ケンと勘兵衛の和睦交渉

|

2023.12.17

『るろうに剣心』 第二十四話「明治十一年五月十四日」

 斎藤の背後にいた大久保利通から事の次第を聞かされる剣心たち。京都で政府転覆のため暗躍する志々雄真実なる男を止めてほしいと語る大久保に、身勝手だと憤る仲間たちだが、剣心は明確な言葉を出さない。そして一週間後、大久保に剣心が回答することになっていた明治十一年五月十四日が訪れる……

 というわけで二クール放映された本作も今回で終幕。激しいバトルは前回まで(激しく殺害された人はいましたが)、今回は基本的に静かな展開で、今後に続く物語が語られることになります。が、内容的には前回・前々回同様、原作をほぼ忠実になぞっているため、原作読者にとっては改めて語りづらいというのが正直なところであります。
(剣心用に首輪・痺れ薬を持ち込む恵のハードなナニっぷりがカットされたのはまあ仕方ないとして――そういえば前回は剣心の鎖プレイ疑惑もカットされましたが、まあこれも残当)
 せめて、抹殺されかかる前の志々雄の姿はここでオリジナルでよいので描いてもよかったのでは――と思いますが、それは今後のために取っておくということなのでしょう。

 そんな原作既読者の重箱の隅つつきは置いておいて改めて見てみると、剣心組の皆さんの大久保・川路に対する反論がいちいちごもっとも過ぎてなかなか楽しい。この中では直接的に新政府に恨みがある左之助は置いておくとしても、ある意味一番フラットな立場の弥彦の「お子様の俺にはよくわかんねーけど(中略)オッサン達ちとおかしいぜ」という言葉が、やはりダイレクトに響くところであります。
 そもそもここでは非常に理想的で高潔な政治家として描かれた大久保も、まあ幕末の頃は極悪非道の限りを尽くした挙げ句に縮地使いの御庭番に手も足も出ずに叩きのめされて逃げ出した色々と後ろ暗いことがあったわけで、まさにその具現化というべき志々雄を、その前任者である抜刀斎に殺させようというのは、まあ明治の御代だというのに随分と幕末思考というほかありません。
(すぐそばに幕末以来まだまだ青春真っ只中で悪・即・斬とか言ってる人がいますが……)

 そして一週間後の明治十一年五月十四日――この日に何が起きたかは作中で描かれていますが、これまで直接的に(リアルタイムでは)歴史上の事件と接点を持ってこなかった物語が、ここにおいて初めて交わるというのはやはり盛り上がるところであります。幕末史の裏側で生きてきた者たちが明治史の表側に一瞬顔を出し、そして再び歴史の裏側に消えていく――それをもって東京編の、そして今回のアニメの最終回とするのは、それなりに納得がいくところではあります。

 そしてエンディングと共に剣心と薫の別れが描かれ(ここで薫の抱きしめ方が原作と違うのが何というか興味深い)、物語はひとまずの終わりを迎えるわけですが――ここで蒼紫・操・比古清十郎・宗次郎・志々雄の台詞が入るのは良いものの、志々雄以外は映像なしでただ流しただけなのは、もうちょっと何とかして欲しかった、というのが正直なところではあります。
 折角の第二期の期待を煽る最高の機会であったのに――と、一番早いTV放送時には二期の発表はされていなかったのである意味仕方ないのですが、それはそれとして。(ジャンプフェスタ合わせとはいえ、これもちょっと)


 と、最終回だというのに厳しいことばかり書いてしまいましたが、今回のアニメ化は、もう少しテンポアップしてよかったのではと思う部分は多々あるものの(二クールで丁度東京編を終わらすためには必要だったというのもわかるのですが)、特に黒碕薫脚本回の原作アレンジの面白さは強く印象に残るところで、今回のアニメ化で何を目指していたかは理解できたところではあります。
 その一方で作画パワー的には色々と不安になる部分も多く、これからバトルに次ぐバトルの京都編は、もっとパワーアップしてほしいと心から願う次第です。
(実は私は旧アニメ版はほぼ観ていないので比較はしませんが、やはり観ている人は絶対比較するので……)


『るろうに剣心』8(Blu-rayソフト アニプレックス) Amazon


関連サイト
公式サイト

関連記事
『るろうに剣心』 第一話「剣心・緋村抜刀斎」
『るろうに剣心』 第二話「東京府士族・明神弥彦」
『るろうに剣心』 第三話「活心流・再始動」
『るろうに剣心』 第四話「喧嘩の男・相楽左之助」/第五話「そして仲間がまた一人」
『るろうに剣心』 第六話「黒笠」
『るろうに剣心』 第七話「人斬りふたり」
『るろうに剣心』 第八話「逃走麗女」/第九話「御庭番強襲」
『るろうに剣心』 第十話「動く理由」
『るろうに剣心』 第十一話「壮烈の般若・創痍の式尉」
『るろうに剣心』 第十二話「御頭・四乃森蒼紫」
『るろうに剣心』 第十三話「死闘の果て」
『るろうに剣心』 第十四話 「弥彦の戦い」
『るろうに剣心』 第十五話「その男・雷十太」
『るろうに剣心』 第十六話「理想の男」
『るろうに剣心』 第十七話「決着」
『るろうに剣心』 第十八話「左之助と錦絵」
『るろうに剣心』 第十九話「津南と錦絵」
『るろうに剣心』 第二十話「明治剣客浪漫譚 第零幕 前編」/第二十一話「同 後編」
『るろうに剣心』 第二十二話「蘇る狼」/第二十三話「牙を剥く狼」

|

2023.12.16

みなと菫『白き花の姫王 ヴァジュラの剣』 天平の少女と時空を超えた秘宝

 天平の頃を舞台に、幼い頃の不幸な出来事で言葉を失った姫王が、思わぬことから帝の座を狙う一派の陰謀に巻き込まれる、ファンタジー要素も強い児童文学であります。姫王が知ってしまった怪僧の企みとは、海の向こうからもたらされたという滅びの剣の正体は、そして姫王の想いの行方は……

 王の家に生まれたものの、幼い頃に父が何者かに目の前で殺された場面を目撃し、それ以来、歌を詠むこと以外、口が利けなくなった音琴姫王。母も亡くなり、後ろ盾を失った彼女は、長らく心を病んでいた皇后に采女として仕えることになります。
 しかし皇后は幻恍法師なる僧の治療で回復し、その快気祝いの席で音琴は、その才気と気取らない人柄で人気を集める帝の甥・雄冬王から突然の求婚を受け、彼の妻となるのでした。

 しかし妻になったとはいえ何事があるわけでもなく屋敷に放っておかれ、引き続き采女の仕事を続ける音琴。そんなある日、彼女は、幻恍がただならぬ雰囲気の中で、次の帝を帝の望むのとは別人にすべしと皇后に吹き込んでいるのを聞いてしまうのでした。
 しかしその事実を雄冬王に伝えたものの姫王は相手にされず、それどころか彼は彼女を置いて、遣唐使として海を渡ってしまうのでした。

 途方に暮れる音琴に、彼女の父が、かつて唐で異端の仙道を学んだ上、異国の秘宝を奪い帰ったと告げる幻恍。混乱する音琴は、幻恍の寺の様子を窺う不思議な天竺の僧・ヴァジュラと従者の少年・羽鳥と出会います。盗まれた滅びの剣を探し、異国からやって来たというヴァジュラの言葉に驚く音琴ですが……


 如何にもファンタジー的で、そして異国のムードがあるタイトルながら、物語は開始後しばらくは純和風に(?)展開していく本作。しかし中盤から物語は一気にそのスケールを広げ、そのタイトルに相応しい物語となっていきます。
 当時の日本に比較的近い関係にあった唐だけでなく、崑崙、そして天竺まで――少女の苦労譚として始まったものが、時空を超えた宝剣を巡る物語に変わっていくのには驚かされますが、それが違和感なく、一つの物語として成立しているのが、本作の巧みなところでしょう。

 そしてそんな本作を彩るキャラクター設定も印象に残ります。
 何よりも特徴的なのは、やはり主人公の音琴姫王であります。幼い頃の心の傷によって喋ることが出来なくなった一方で、類い希な歌の才を持ち、そして歌のみは美しい声で歌うことができる――ハンデを負った主人公が懸命な努力と周囲の助けで幸せを掴むというのは定番ですが、ここまで重く、それでいてある種の雅やかさを持った設定は珍しいと感じます。

 中盤の雄冬王との喧嘩のくだりも、深刻なはずが、その設定によって独特のムードとなっているのが実に面白いのですが――その雄冬王が、姫琴の前に突然現れて求婚してくる強引で言葉足らずなイケメンという、ある意味定番の王子様キャラなのも楽しい。
 読者としては彼の心中は容易に予想はつくのですが、本当にもう少し口に出して――と色々な意味でハラハラさせられます。
(終盤で明かされるある事実にはひっくり返りましたが)

 そしてもう一人、忘れてはいけないのがヴァジュラであります。本作のタイトルに名が挙がる彼は、中盤以降の登場にもかかわらず、物語の鍵を握る謎めいたキャラクター。作中では最も超然とした存在ではあるのですが――ラストで明かされるその胸中は、なかなかに印象に残るものがありました。


 個人的な拘りをいえば、天平二年から十二年の間と年代設定が明確であるに関わらず、帝周辺の人物設定は完全に史実とはパラレルなものとなっているのは気になるところではあります。

 帝のモデルは聖武天皇、彼が次の帝に望む皇女は孝謙天皇だとは思いますが事績は年代に合わず、また、幻恍のモデルは玄昉だと思われるものの、彼が治療したのは帝の室ではなく母であるなど――
 もちろん、内容的にこの辺りはパラレルで処理しないと描けないのは仕方ないところではありますが、ファンタジーの部分がなかなか面白かっただけに、もう少し史実と摺り合わせてもらえればなお嬉しかった――というのはマニアの勝手な感想ではありますが。


『白き花の姫王 ヴァジュラの剣』(みなと菫 講談社) Amazon

|

2023.12.15

瀬川貴次『ばけもの厭ふ中将 戦慄の紫式部』 平安ホラーコメディが描く源氏物語の本質!?

 いよいよクライマックスも近いかと思われた『ばけもの好む中将』――その新作はなんとスピンオフであります。ばけもの好む中将・宣能の友人で、今源氏の異名をとる色好む中将・雅平が、何故か源氏物語を思わせる怪異の数々に遭遇してしまうことになります。

 ある雨の夜、宿直のつれづれに語り合っていた四人の中将。しかし宣能が怪談話を始めたことから興ざめした雅平は、屋敷に帰ることにするのですが――その途中で牛車が脱輪したことをきっかけに、彼は親を亡くして貧しい境遇である上総宮の姫君の屋敷に通うようになります。
 しかし奥手な姫君に業を煮やして強引な手段に出る雅平。その時、天井裏から鼻の長い男が顔を出したと思えば見る見るうちにその鼻が長く伸び、姿を消したと思えばすぐそば横たわっていたではありませんか。どう見ても生者ではない男の出現に、雅平は慌てて屋敷を飛び出すのでした。

 どうやら男が上総宮の亡霊らしいと知った雅平は、この手の話ならばと宣能に泣きつくのですが……


 怪異をこよなく愛し、怪異に遭うためにあちこちに出かけていく奇人・宣能を主人公の一人とする『ばけもの好む中将』。本作はそのスピンオフであることは冒頭に述べましたが、大きく本編とは雰囲気を異にする物語であります。
 その理由は、本作には本当に「出る」こと――本編では宣能が怪異をどれほど求めようとも、彼が出会うのは勘違いや見間違い、あるいは人のこしらえ事であったりと、いわゆる誤怪・偽怪なのですが、本作で雅平の前に現れるのは真怪なのです。

 それは世界観的にアリなのかと一瞬思ったりもしますが、作者がアリと言っているのだからもちろんアリ。おかげで、雅平が怪異に遭ったと信じず、むしろ冷静に(いや何となくムキになってる感もあったり)否定に回る宣能という珍しいものを見ることができるのが、何とも楽しいところです。
 元々作者は平安時代を舞台にした(コメディ色も強い)ホラーを得意としてきましたが、本作は怪異なしという本編の軛(?)が外れて、瀬川節というべき、真面目な怪異とそれに怯える人々を実に楽しげに描いているのです。


 しかし本作の最大の魅力は、雅平の女難が、そのまま「源氏物語」パロディとなっている点であることは間違いありません。

 第一話では高貴な生まれながら恥ずかしがり屋で何とも垢抜けない姫君と出会い、第二話では廃屋で逢瀬を楽しもうと思ったら、物怪に脅かされる雅平。
 さらに第三話では弘徽殿で美女(実は……)と出会ったことで思わぬ波紋を呼んだり、第四話では五十を超えた老女との逢瀬を疑われたりと――それぞれ末摘花、夕顔、朧月夜、源典侍と、源氏物語に登場した女性たちをモチーフにした物語が展開するのです。
(ここで源典侍をチョイスするところが、もの凄く作者らしい)

 しかし本作はやがて、源氏物語パロディを超えて、源氏物語という物語が何を描いていたのか、人々が源氏物語という物語に何を見ていたのか――すなわち、「源氏物語」の本質にまで踏み込んでいくことになります。
 「源氏物語」という虚構の物語を記したことで不妄語戒を犯し、地獄に落ちたという伝承のある紫式部。本作はその伝承を取り込みつつ、そしてこの物語で描かれた一つの「悪」の存在を描きつつも、それを乗り越えて人々の源氏物語への愛を描き、そして紫式部と源氏物語にまつわる人々(その「悪」をも含めて)を寿ぐのであります。

 『ばけもの好む中将』スピンオフであり(作中ではきっちり本編に繋がるような陰謀が出てくるのに感心)、平安ホラーコメディであり、「源氏物語」パロディであり、そして一種の源氏物語論でもある――幾つもの顔を一つの物語の中で成立させるという離れ業を見せてくれた本作。
 瀬川貴次という作家の技量のほどを、改めて見せられた思いであります。


 そしてもう一つ(些か牽強付会ではあるものの)気付かされたのですが――ある一つの道に打ち込む貴公子を中心に、個性豊かな様々な女性たちの姿を描いてきた(そして同じ名の「悪」が存在する)『ばけもの好む中将』という物語自体が、一種の「源氏物語」パロディなのではないかとも……


『ばけもの厭ふ中将 戦慄の紫式部』(瀬川貴次 集英社文庫) Amazon


関連記事
 「ばけもの好む中将 平安不思議めぐり」 怪異という多様性を求めて
 「ばけもの好む中将 弐 姑獲鳥と牛鬼」 怪異と背中合わせの現実の在り方
 『ばけもの好む中将 参 天狗の神隠し』 怪異を好む者、弄ぶ者
 瀬川貴次『ばけもの好む中将 四 踊る大菩薩寺院』(その一) 大驀進する平安コメディ
 瀬川貴次『ばけもの好む中将 四 踊る大菩薩寺院』(その二) 「怪異」の陰に潜む「現実」
 『ばけもの好む中将 伍 冬の牡丹燈籠』 中将の前の闇と怪異という希望
 瀬川貴次『ばけもの好む中将 六 美しき獣たち』 浮かび上がる平安の女性たちの姿
 瀬川貴次『ばけもの好む中将 七 花鎮めの舞』 桜の下で中将を待つ現実
 瀬川貴次『ばけもの好む中将 八 恋する舞台』 宗孝、まさかのモテ期到来!? そして暗躍する宣能
 瀬川貴次『ばけもの好む中将 九 真夏の夜の夢まぼろし』 大混戦、池のほとりの惨劇!?
 瀬川貴次『ばけもの好む中将 十 因果はめぐる』 平安○○っ娘の誕生と宗孝の危機!?
 瀬川貴次『ばけもの好む中将 十一 秋草尽くし』 二人の絆の危機、老女たちの危機!?

|

2023.12.14

泰三子『だんドーン』第1巻 幕末の川路利良、奔走す!

 交番を舞台に女性警察官たちの姿を描いた『ハコヅメ 交番女子の逆襲』の泰三子の新作は、意外にもというべきかなるほどと言うべきか、「日本警察の父」川路利良を主人公にした物語。何故か藩主・島津斉彬に愛される川路と、空気の読めない男・西郷隆盛のコンビの奔走が始まります。

 下級中の下級武士の家に生まれながらも、他人の想いを読み取る察しの良さをはじめとする才を藩主・島津斉彬に愛され、幼い頃から側に仕えてきた川路利良。
 時あたかも黒船が来航し、日本中が大きく揺れている中――ナポレオンのような英雄によって人々の心を一つしたいと考えた斉彬は、空気が読めないことで有名な庭掃除係の西郷吉之助をその英雄に仕立て上げることを、川路に命じるのでした。

 その後も西郷と共に斉彬から様々な密命を命じられる中で、情報戦や政治工作の才を発揮していく川路。やがて川路と西郷は、将軍継嗣問題で対立する井伊家、そして井伊家の忍び・多賀者と対峙することに……


 「明治時代に警察が出てきたら藤田五郎か川路利良と思え」と言われているという(というか私が言った)川路利良。それだけ歴史ファンの間には知られている人物ではありますが、やはりまだまだそれ以外の方には馴染みのない人物なのでしょう。
 いや、かくいう我々も、上で述べたように、川路といっても明治時代の大警視としての知識・知識がほとんどで、幕末の川路についてはあまりに知るところが少ないことに気付きます。

 本作はそんな川路の幕末時代を描く物語――といっても基本はコメディであります。やたらとノリがよく、そのノリのままに無茶振りしてくる斉彬の命にため息をつきつつも、何を考えているかわからない西郷と共に何やかやで解決(しないこともある)していく川路――そんな彼の奮闘ぶりを、本作はテンポよく描き出すのです。
 といっても舞台は幕末動乱の時代、斉彬の命というのもそれに相応しく、やたら明るく下される割には裏仕事が多く、冷静に考えると笑い事ではないのですが――それをなんだか面白いことをしているようにキャラのリアクションで描いてしまうのは、これは本作のアレンジの巧さというべきでしょうか。

 しかしそんな中で描かれる歴史上の人物たちの姿は、時にハッとさせられるほど本質を掴んでいるように感じられるところで――特に川路と並んでほとんど主人公格の西郷が折りに触れて見せる得体のしれなさは、実際には不明な部分の多いこの「英雄」の正体を見せられたようでゾクゾクさせられるのです。
(「短刀一本でカタがつく話じゃごわはんか?」という言葉の異常な迫力よ)

 といっても中には、「貝合」の道具を手に入れろと言われて、壮絶な勘違いをしてしまった挙げ句、よりによって四ツ目屋に行ってしまうという、普通考えてもやらないような話もあったりして――しかもさすがの井伊の赤鬼も目を逸らす最低のオチ――全く何が飛び出すかわからない作品であります。


 もちろん、面白おかしいだけでは終わりません。将軍継嗣を巡る島津家と井伊家の争いは、当然のことながら表だけでなく裏の世界でも繰り広げられ、川路の前には、井伊家の忍び・多賀者が立ちふさがることになります。

 この多賀者のナンバー2が長野主膳というのがシビれるのですが、その更に上に立つ頭の「怪物」タカのキャラクターは、まだ出番が少ないながらも強烈に印象に残ります
 はたして川路はこの怪物に打ち克つことができるのか――それがある意味物語の最初の山場になるのではないでしょうか。

 おそらくは物語の結末であろう西南戦争までは、まだまだ長い時間があります。そこまでに何が描かれるのか、何が飛び出すのか、楽しみにしたいと思います。
(やはり川路史上最も良く知られたエピソードであるところの、海外視察の時のアレを如何に描くかが、一番気になるわけで……)


『だんドーン』第1巻(泰三子 講談社モーニングコミックス) Amazon

|

2023.12.13

三上延『百鬼園事件帖』 まだ何者でもない内田百閒が挑む謎と恐怖

 『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズで知られる三上延が、内田百閒を題材に描くホラーミステリ(しかしその実……)であります。昭和初期、内田百閒と教え子の大学生が次々と出会う奇怪な出来事。彼らがその末に見るものは……

 昭和六年の冬の晩、いきつけの神楽坂の喫茶店・千鳥で、自分の通う大学のドイツ語教授・内田榮造と出くわした大学生・甘木。成り行きから内田とテーブルを囲むことになった彼は、店を出た後で、内田の背広と自分の背広をを取り違えていたことに気付きます。
 とりあえず内田の背広を着て帰ったその晩、奇怪な夢を見た末に、高熱を出してしまった甘木。見舞いに来た友人の青池に、そのことを語った甘木ですが、その夢に興味を抱いた青池は内田の背広を持ち去り、そのまま行方不明に……

 という「背広」に始まる全四話で構成された本書は、甘木青年を狂言回しに展開する連作集であります。
 後に幻想的な作風の小説や、諧謔味に富んだ随筆で知られることになる百鬼園こと内田百閒。しかし物語の舞台となる昭和初期は、初の作品集『冥途』も話題とならず、法政大の教授として口を糊していた時期です。
 そんな内田と行動を共にすることになる甘木も、あまりに印象が薄く周囲からすぐに忘れられてしまうような青年――縦に書くと「某」と無個性なものになってしまう自分の名にコンプレックスを持つ人物です。
(実はこれは、内田の随筆で名前を伏せた人物を「某」ではなく「甘木」と書いたことから取られているのが楽しいところです)

 本作では、内田の姿を史実に基づき丹念に描きつつ、まだ何者でもない中途半端な二人が遭遇する出来事――百閒の小説に登場するような、どこか不穏で落ち着かない、そんな空気の漂う出来事を描きます。
 内田の(実はこれはある著名人の形見なのですが)背広を手に行方をくらました青池を追う「背広」。体調を崩して倒れた千鳥の女給が、客によって別人のような顔を見せる謎を、彼女の飼う猫にまつわる怪異を交えて語る「猫」――冒頭二話はこうした空気感を湛えつつも、ミステリ的な要素も比較的多めに描かれることになります。


 が、続く第三話「竹杖」は、大きく趣きが変わった感のある中編です。
 内田邸に向かう途中の都電の中で、カンカン帽を被り竹杖をついた和服の男と出会った甘木。その後、内田邸で、内田とうずまきを描いたと思しき奇妙な絵を見つけた彼は、内田の元教え子である笹目から、それを描いたのが内田と親交のあった芥川龍之介であること――そしてそれがドッペルゲンガーを書いたものであり、龍之介も自分の分身を見ていたことを聞かされます。

 内田邸から帰る途中、かつて内田の弟子の一人・長野初の分身を目撃し、その直後に彼女が震災で亡くなったこと、その後も時折町中で初の姿を見かけること――そして彼女のような分身たちには、目に一つの共通点があることを甘木に語る笹目。その直後にあのカンカン帽の男を見かける甘木ですが、笹目は、あれは芥川だと語り……

 と、始まりは物語の九年前におきた関東大震災にまつわる幽霊譚かと思いきや、実はドッペルゲンガーの存在がクローズアップされるこのエピソード。
 芥川が死の直前に自分の分身と出会っているのは有名ですし、内田が親交のあった芥川の死を題材に「山高帽子」を記していることも事実ですが、物語はやがて想像を絶する方向に向かっていくことになります。

 詳細は伏せますが、静かに展開していた物語は、後半一気に不穏の度合いを高め、この世のどこかに潜む分身たちの恐怖を描いていくことになります。そして千鳥で迎えるクライマックスでそれは極限に達することになるのですが――いやはや、まさか大正の東京で『ボディ・スナッチャー』が展開することになるとは、まったく思いもよりませんでした。

 そんな恐怖譚が展開する一方で、作家としての業と人間性の間で苦しむ内田の姿を、そしてその内田と芥川の友情を、同時に描いてみせるという離れ業を演じる本作。これらが渾然一体となったカタストロフの中で明らかになるタイトルの意味――そこには、不思議な、そして異様なまでの感動があります。


 そしてかつて甘木のように内田と行動を共にし、病で亡くなった学生にまつわる、不思議な温かみを持つ奇譚「春の日」を以て、本作はひとまず完結することになります。
 しかし内田榮造が内田百閒として知られるようになるのはこれからであり――そして内田と甘木の物語もまだまだ続くのでしょう。百閒の作品のように不穏で不思議な味わいの、そして時に極めて恐ろしい物語の続きを期待します。


『百鬼園事件帖』(三上延 KADOKAWA) Amazon

|

2023.12.12

井上祐美子『長安異神伝』 天界の快男児、地上の魔を討つ

 日本の中華ファンタジーの大先達の一人である井上祐美子がデビュー直後に発表した、代表作の一つであります。唐は二代皇帝の時代、長安を騒がす怪事件に挑むのは、硬骨の老廷臣と、謎めいた美丈夫――やがて物語は天界にまで繋がり、唐朝の命運を賭けた戦いが繰り広げられることになります。

 李世民が二代皇帝となった玄武門の変から十年余りが経過した頃、長安のあちこちで見つかる血しぶきの痕。道教と縁浅からぬ縁を持つ諌言大夫の魏徴は、何者かが皇帝を狙う呪詛ではないかと調べを始めたものの、逆に讒言によって謹慎を余儀なくされることになります。
 それでも調べを続ける魏徴は、血の痕が北斗七星の形をなぞっていると見抜き、次の事件が起きると思しき歓楽街に足を運ぶのですが――その前に姿を現した一人の青年の姿に、魏徴は大いに驚くことになります。

 任侠とも浪人とも見える風体ながら、不思議な威厳と魅力を持ち、朝廷の高官である魏徴とも対等に語る青年。二郎と名乗るこの美丈夫は、夜の町で小男から変化した奇怪な化け物をあっさりと叩きのめしてみせるのでした。
 気楽に暮らしていたところを「叔父」の命を受け、事件解決にやってきたという二郎。居候として魏徴の屋敷に堂々と居座る二郎は、魏徴の周囲に内通者がいると見て、調べを始めます。

 そんな中、内通者の疑いがある人物の娘で、儚げな美少女である翠心が、何者かに襲われていたところを救い出した二郎。しかし彼女の存在は、事件に意外な形で関わり……


(以下、物語の核心に触れる部分があるのでご注意下さい)

 というわけで、武侠ものではなく伝奇もの、志怪ものといった味わいの強い本作。舞台は現実の(と言ってよいのか迷いますが)長安、登場人物のうち魏徴は実在の人物であるものの、妖怪や神仙が作中を飛び回る自由な物語世界が展開されていきます。

 そもそも、主人公の青年・二郎からして実は超有名人の大物。この方面がお好きな方であれば、その名前だけで予想がつくことと思いますが、彼の正体は顕聖二郎真君――道教の武神であり、『西遊記』では地上で暴れまわる孫悟空を激闘の末に捕らえ、『封神演義』では楊ゼンとして太公望を助けて活躍した、中国では馴染み深い神であります。

 しかしそれはもちろん中国でのこと、日本ではマニア以外にはそこまで知られていなかった(本作の初版の刊行は1991年、安能務版の『封神演義』の刊行が1988年ということを思えばかなり早い)二郎真君を主役に据えての大活劇というのは、これはそのキャラクターのチョイスに感心するほかありません。
(ちなみに神仙絡みとしてはもう一人、本作のコメディリリーフとして大活躍する東方朔のキャラ立ちも実に楽しい)


 しかし本作の場合は、そうした神仙たちの活躍だけに留まらない、地に足のついた物語を描いていることにも注目すべきでしょう。

 その特徴の一つは、本作の舞台である長安の描写であります。当時世界有数の大都市であった長安――中原からだけでなく、洋の東西を問わず世界各地の人間が集うこの街の姿を、本作は緻密に、そして美しく魅力的に描き出します。
 本作の冒頭に描かれる夕闇迫る姿、そして人気がなくなった夜の闇の中の姿――本作で描かれる長安の様々な顔は、物語の舞台が遠く離れた天界ではなく、あくまでも我々の世界であることを、強く印象付けます。

 そしてまた、そこに暮らす人間たち――老若男女、善人悪人入り乱れた姿をも、本作は描きます。そしてそんな人間の代表が、魏徴であることは言うまでもありません。
 本作では実は人界と天界の両方に足場を持つ魏徴(この設定は『西遊記』に由来していると思われます)ですが、しかしあくまでもそのメンタリティは人間のもの。人間としての喜怒哀楽を顕わにし、そして人間として魔に立ち向かうその姿は、本作が神仙を主人公にしつつも、同時に人間の物語でもあることを教えてくれるのです。

 そしてそんな長安に暮らす魏徴のような人間たちがいるからこそ、二郎は仙界に命じられたからではなく、己の血の半分が人間だからというだけでなく、人界の命を守るために戦ってくれるのだと信じられるのです。


 長安を守る、常とは些か異なる神仙の物語――『長安異神伝』は全五作七巻。続く物語も、いずれご紹介いたします。


『長安異神伝』(井上祐美子 中公文庫) Amazon

|

2023.12.11

『るろうに剣心』 第二十二話「蘇る狼」/第二十三話「牙を剥く狼」

 左之助が何者かの襲撃を受け、意識不明の重体となった。一方、剣心は鎖鎌を使う暗殺者・赤末有人の襲撃を受けるも、これを退ける。道場に戻った彼を待っていたのは、左之助を倒した張本人であり、今は藤田五郎を名乗る元新選組の斎藤一だった。剣心と斎藤、幕末を彷彿とさせる死闘の行方は……

 残すところ数話となった今回のアニメ版、二十二話・二十三話では、おそらくは最後の戦いとなるであろう斎藤一戦が描かれました。今回のアニメ版では冒頭に過去パートで登場した後に、満を持して登場した斎藤ですが――正直なところ、内容的には良くも悪くも原作を忠実になぞったという印象で、さすがにファンの間で語り草の旧アニメ版と比較するのは野暮としても、(もちろんこちらも質的に決して悪いものではなかったものの)普通に映像化された感があります。
 もっとも普通にといいつつ、冒頭の左之助と斎藤の対決シーンをカットして、いきなり倒された左之助が描かれたのは、これはこれで得体のしれない斎藤の強豪感が出ているものの、やはりちょっと勿体なかったかと思います。

 質の悪いファン的には、赤末有人は大丈夫だったのか気になったところですが、特に何事もなく登場。なぜかもっと赤い衣装を着ていた印象を持っていましたが、白と紫という、ちょっと意外なカラーリングが妙に印象に残ります(印象に残るといえば目張りですが――意外とお洒落だったのかしらん)
 むしろ、原作当時から違和感――というかぶっちゃけ恥ずかしかった斎藤の「もう殺す」と、弥彦の「武器破壊」がそのまま残ったのはちょっと残念だったところで、前者はセリフの中でそれなりにこなれていた印象はあったものの、そもそも言葉として普通は出てこない後者はどうにかならなかったのかなあと感じます(「対空」云々もどうかと思いますが、もうキリがない)。

 と、ネガティブなことばかりいきなり書いてしまいましたが、激闘の中で段々箍が外れていく二人の姿はなかなかの迫力で、どう見ても無理がありそうな斎藤の首締めも、あれはあれで(頭がカーッとなってるとやりそうな)妙な説得力があります。
 特に剣心は、一人称が変わるという明確な変化を交えつつ、徐々に抜刀斎時代のメンタリティに近づいていく描写は納得できるものがありましたし、斎藤の方も今回は今となっては猛烈にレアキャラとしかいいようがない、愛想が良くて腰が低い「藤田五郎」モードも含めて、違和感はなかったかと思います。

 しかし、改めて見ると、それまでるろうにとして薫や弥彦たちと接し、それによって(特に前回わざわざアニメオリジナルで描かれたように)かつての人斬り時代の姿からようやく抜け出せたかのように見えた剣心が、当の薫たちの目の前で抜刀斎に戻っていくというのはやはり衝撃的な展開であって、いささか命知らずにもほどがありながら、薫が二人の間に割って入りたくなるのも、それなりに理解できるものがあります。
 そしてその行為が、当の剣心によって拒否されるのですから、なおさらその辛さは強く感じられるわけで……

 さて、実は二人の対決はあくまでも腕試し。あわやというところで川路大警視をお供に登場したのは、大久保利道――というところで、タイトルを見るに、次回が最終回でしょうか。


 しかし改めて見ると、腕試しのはずなのに完全に殺す気になってかかる斎藤は、さすがにどうかと思いますが……
(そりゃ「ひょっとして今でも悪・即・斬とか言ってる?」とか煽られても仕方ない)

 そしてもう一つ、これは本当にどうでもよいことなのですが、愛想の良い時の藤田五郎が蕎麦屋でかけそばを食べる場面、お新香がついてきたのが妙に違和感で――原作ではお新香はなかったのですが、こちらの方が考証的に正しいのかしらん?


『るろうに剣心』8(Blu-rayソフト アニプレックス) Amazon


関連サイト
公式サイト

関連記事
『るろうに剣心』 第一話「剣心・緋村抜刀斎」
『るろうに剣心』 第二話「東京府士族・明神弥彦」
『るろうに剣心』 第三話「活心流・再始動」
『るろうに剣心』 第四話「喧嘩の男・相楽左之助」/第五話「そして仲間がまた一人」
『るろうに剣心』 第六話「黒笠」
『るろうに剣心』 第七話「人斬りふたり」
『るろうに剣心』 第八話「逃走麗女」/第九話「御庭番強襲」
『るろうに剣心』 第十話「動く理由」
『るろうに剣心』 第十一話「壮烈の般若・創痍の式尉」
『るろうに剣心』 第十二話「御頭・四乃森蒼紫」
『るろうに剣心』 第十三話「死闘の果て」
『るろうに剣心』 第十四話 「弥彦の戦い」
『るろうに剣心』 第十五話「その男・雷十太」
『るろうに剣心』 第十六話「理想の男」
『るろうに剣心』 第十七話「決着」
『るろうに剣心』 第十八話「左之助と錦絵」
『るろうに剣心』 第十九話「津南と錦絵」
『るろうに剣心』 第二十話「明治剣客浪漫譚 第零幕 前編」/第二十一話「同 後編」

|

2023.12.10

2024年1月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 今年最後の月が来てしまった! と焦っていたと思えば、もう来年最初の新刊情報が――というわけで、2024年1月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。新年早々、ちょっとさびしい感じではありますが……

 というわけで点数は控え目の1月ですが、まず目に入るのは、大河ドラマ合わせの新作。平安コメディといえばこの方、の瀬川貴次『紫式部と清少納言 二大女房大決戦(仮)』(集英社文庫)と、こちらは転生ものの日部星花『光る君と謎解きを 源氏物語転生譚』(宝島社文庫)が並びます。

 その他、年が明けても元気な大正ものでは、待望第三弾の白川紺子『花菱夫妻の退魔帖』第3巻(光文社キャラクター文庫)、詳細が不明なのでパラレルでないかはわからない卯月みか『京都大正サトリ奇譚 モノノケの頭領と同居します』(PHP文芸文庫)が登場。
 また、これも詳細は不明ですが、霜月りつ『いろは堂あやかし語り よわむし陰陽師は虎を飼う』(KADOKAWA角川文庫)も気になるところです。

 また、文庫化では宮園ありあ『ヴェルサイユ宮の聖殺人』(早川書房ハヤカワ文庫JA)と築山桂『近松よろず始末処』(ポプラ文庫)が。後者は私の推薦文も宣伝に使われているので、よろしければ……


 漫画の方では、何だか不思議なノリの戦国漫画、美谷尤『鉄腕ザビエル』第1巻(講談社モーニングKC)が新登場。
 また、続刊・最新巻では、ゆうきまさみ『新九郎、奔る!』第15巻(小学館ビッグコミックス〔スペシャル〕)、宮本福助『三島屋変調百物語』第2巻(KADOKAWA BRIDGE COMICS)、かどたひろし『勘定吟味役異聞』第15巻(上田秀人 リイド社SPコミックス)、和夏弘雨『粛清新選組』第2巻(日本文芸社ニチブン・コミックス)、泰三子『だんドーン』第2巻(講談社モーニングKC)があります。

 その他、新装版・完全版では、アニメ放送開始も目前の水上悟志『戦国妖狐 新装版』第5巻・第6巻(マッグガーデンBLADEコミックス)、石ノ森章太郎&平井和正の<完全版>『新・幻魔大戦 COMIC&NOVEL』上巻(復刊ドットコム)が刊行されます。後者はありそうでなかった(ような気がする)漫画版と小説版の併録というのが気になります。



|

2023.12.09

清水朔『奇譚蒐集録 鉄環の娘と来訪神』 因習の村に囚われた三つの運命に終止符を打て

 大正民俗伝奇ミステリ『奇譚蒐集録』待望の第三弾の舞台は、十二年に一度の奇祭を前にした、信州山中の秘村――代々伝わる鉄環を受け取るという御役目で信州を訪れた主人公主従がそこで目の当たりする奇祭の正体とは、祭りと鉄環との関係は……

 大正三年、御柱祭を目前に控えた信州諏訪を訪れた、帝大講師の南辺田廣章と、書生の山内真汐。実家の伯爵家に代々伝わる、十二年に一度諏訪大社で鉄環を受け取るという役目を果たすために諏訪社を訪れた廣章は、鉄環が届くのを待つ間、真汐が止めるのも聞かず、周囲の山中に踏み込んでしまいます。 そこで道に迷った末、墓所がある藤の林に足を踏み入れ、山中の村の人々に見つかった二人。そのまま村に連れて行かれた二人は、オトナイサマ(来訪神)として歓待されることになるのですが――それは十二年に一度の村の祭りが終わるまで屋敷の離れから出ることを禁じられるという、体の良い軟禁状態だったのです。

 もちろん廣章がそれで黙っているはずもなく、交渉の結果、昼の間のみ村を出歩くことを許された廣章と真汐は、やがて祭りの祭主には、実の兄弟である風祝・清月と遠部・黒曜の二人がいると知ることになります。 そしてもう一人、祭主の側近くに仕える女性・結麻と出会い、彼女の首に固く嵌まった鉄環を目の当たりにした廣章と真汐は、自分たちが持ち帰る鉄環と彼女のそれの間に、不吉な繋がりを感じ取るのでした。 その後、それぞれ黒曜と清月に接触し、徐々に祭りの姿を知っていく二人。しかし真汐の行動をきっかけに、思わぬ窮地に立たされることに……

 『奇譚蒐集録』シリーズは、これまで鬼にまつわる伝承を収集する廣章と彼に忠実に付き従う真汐のコンビが、各地の因習とその背後に存在する「鬼」と対峙する姿を描いてきました。 第一作『弔い少女の鎮魂歌』では南海の孤島で行われる葬礼儀式が、第二作『北の大地のイコンヌプ』では北海道での男女を入れ替える変身婚が題材となってきましたが、本作はある意味南北の中間である、信州が舞台となります。 これまでは比較的に(特に第二作は)広い範囲を舞台としていた本シリーズですが、本作はそのほとんどが一つの村の中が舞台。はたして狭い空間を舞台として、そこまで語るべき物語があるのか――と一瞬思ってしまったのですが、どうしてどうして、冒頭から結末に至るまで、濃密に絡み合った人間関係と民俗要素、そして何よりもサスペンスフルな展開に、まさに一読巻を措く能わずを地でいくこととなりました。

 物語の性質上、内容の詳細を述べることができないのが歯がゆいのですが、これまで本シリーズは風習に関わるヒロイン(各作の表紙を飾っています)を中心に描いてきたのに対し、本作はさらに清月と黒曜という少年二人を加えることにより、より重層的に、かつより切ない物語が展開することになります。 そしてそんな登場人物たちの姿を、見届けるのが廣章と真汐です。基本的に伝奇ミステリでは、探偵役はまさしく「来訪者」として、一歩引いた立場で事件に接するものですが――本シリーズでは、やや感傷的なところのある真汐が、事件に対してストレートな想いを露わにすることで、より感情移入できるものとなってきました。 これまでの物語の中でも、因習に囚われた人々を救うために奔走し、そして涙を呑んできた真汐。そんな彼だからこそ、こちらも彼の行動に大いに共感し、そして応援してしまうのです。(特に本作のターニングポイントとなった、彼がある行動を取った場面には喝采したくなりましたほどです)

 正直なところ、物語の内容的にはかなりストレートな(あまり便利な言葉は使いたくないのですが……)因習村ものではあります。また、悪役たちの描写も、些か類型的に感じられることは否めません。 しかしだからこそ、その対比で本作で描かれるもの――すなわち因習に押し潰され、犠牲となるだけではなく、その正体を突き止めて(そこに主人公たちの存在の意味があるわけですが)乗り越え、無数の痛みを抱えながらも、新たな一歩を踏み出そうする人々の姿が、より印象的に浮き彫りになるのもまた事実でしょう。 本シリーズには、クライマックスに定番の展開があります。毎回、哀しい運命に終止符を打ってきたそれは、当然本作でも用意されているのですが――しかし、ここではこれまでと些か変わった形で描かれることになります。そしてそれは、こうした人々の姿と、物語を通じて真汐が必死に求めてきたものと極めて象徴的に結び付き、これまで以上のカタルシスを生むのです。

 シリーズ全体としてみれば、本作では廣章と真汐の「敵」と呼ぶべき者の姿も明らかになり、いよいよ一つのクライマックスに向けて動き出したと感じられます。ここから如何なる物語が描かれるのか、岐路を迎えたシリーズの次回作が早くも楽しみなのです。


『奇譚蒐集録 鉄環の娘と来訪神』(清水朔 新潮文庫nex) Amazon

関連記事
清水朔『奇譚蒐集録 弔い少女の鎮魂歌』 驚愕の民俗伝奇ミステリ!? 葬送儀礼の陰の人と鬼
清水朔『奇譚蒐集録 北の大地のイコンヌ?゜』 三つの視点から描く人と鬼への問いかけ

|

2023.12.08

伊藤勢『瀧夜叉姫 陰陽師絵草子』第5巻 朱雀門の出会い 博雅と夜叉姫

 「現在」京で起きる怪事の起源というべき「過去」――二十年前の物語もいよいよ佳境となり、この巻では、俵藤太と平将門の死闘が、ついに決着。そして「現在」に戻った物語の中では、意外な二人が意外な形で出会うことになります。この巻の表紙を飾る二人が……

 跳梁する奇怪な賊や魔物たち、夜毎続く悪夢、自分の意志を持つ疽など、京を騒がす様々な怪事。そのいずれもが、二十年前の平将門の乱に繋がっていくことに気付いた晴明と博雅は、将門を討った俵藤太に、その戦いの模様を訊ねることになります。

 かつての好漢ぶりとは打って変わった、心身共に魔人と化した将門。配下に魔物も加え、そして七人の影武者を用いる将門に、さしもの藤太も苦戦を強いられることになります。
 しかも藤太の剛力でも打ち破れぬ、人間離れした肉体を持つ将門を持つ絶体絶命の窮地に、藤太に思わぬ救いの手が……

 と、前巻に比べれば「史実」に近い展開となった二人の死闘の決着ですが、それはあくまでも比較的という意味。決着がついた後の展開とその壮絶な描写は、この奇怪な戦いにある意味相応しいものであったというべきでしょう。
 そしてそんな中で語られる俵藤太の複雑な心中は、これまでにも近い内容が語られていたかと思いますが――ここで藤太と並べて博雅の存在を描く視点には唸らされました。


 そしてこの巻では、これまで以上に博雅の存在がクローズアップされることになります。

 これまでの成り行きを見つめてきた晴明が、いささか中二病的に黒い表情を見せ、この京に守る価値はあるかなどと考えていたところで、その答をも止められた博雅の答えは――黒さ全開の晴明をあっさりとたじろがせるほどの、暴力的なまでに無意識の善意に満ちているのですからたまりません。
 お前本当にそういうところだぞ! とツッコみたくなるほどの、博雅の博雅らしさには、もうニッコリするほかありません。

 しかしこの巻の博雅の最大の見せ場はこの先にあります。いつもの如く(?)笛を吹きながら夜の京をそぞろ歩く博雅がたどり着いたのは朱雀門。そこで笛を手にした鬼面の美女と共に笛を奏でた博雅は、彼女と笛を交換して、さらに心ゆくまで笛を楽しむことに……
 と、これはいささかアレンジはされていますが、(当の『陰陽師』によって知られることになった)博雅の数ある逸話の中でもよく知られる、鬼と名笛・葉二を交換した話にほかなりません。

 実は作中では博雅視点でなく、「鬼」視点で始まっており、彼女が朱雀門の鬼を訪れたことにも理由があるのですが――ここで印象に残るのは、純粋に心から音楽を楽しむ博雅の姿と、そしてその博雅と鬼女の二人が奏でる音が生み出す奇瑞の様でしょう。
 そしてこの短くも(鬼女にとっては結構長い)濃密な時間の末に二人の間に通った感情がなんであったか――それはこの時点ではまだ名付けようもないものではありますが、しかし本作における葉二に新たな意味が与えられたこと、そしてその葉二を博雅が見事に吹き鳴らしたことを思えば、その先に待つものはある程度予感できます。

 しかしこの出会いのくだりは――先に述べたように博雅の逸話を引きつつも――原作にはない、本作オリジナルのエピソードであります。
 これまで描写の点では原作を大きくアレンジしつつも、物語展開においてはほぼ忠実であった本作。それが、ここまで大きく踏み出したか――と驚かされると同時に、原作ではさほど接点があった印象のない二人を、こうして結びつけてみせるかと、その違和感のなさも含めて感心してしまうのです。


 さて、物語の向かう先を大きく変えそうな出会いが描かれた一方で、謎を解くための晴明と博雅の探求は続きます。この巻のラストで二人が向かう先は浄蔵上人のもと――おそらくは一連の事件の謎を解く手掛かりに最も近い人物との出会いによって、いよいよ物語の謎は解けるのでしょうか。


『瀧夜叉姫 陰陽師絵草子』第5巻(伊藤勢&夢枕獏 KADOKAWAヒューコミックス) 

関連記事
伊藤勢『瀧夜叉姫 陰陽師絵草子』第1巻 原作から思い切り傾いた伝奇的晴明伝
伊藤勢『瀧夜叉姫 陰陽師絵草子』第2巻 動と静の対決 そして人が悪い晴明とお人好し博雅の関係性
伊藤勢『瀧夜叉姫 陰陽師絵草子』第3巻 現在と過去を行き交う物語
伊藤勢『瀧夜叉姫 陰陽師絵草子』第4巻 一大アクション、藤太対将門!

|

2023.12.07

よしおかちひろ『オーディンの舟葬』第1巻 戦狼vs白髪 激突する復讐鬼

 十一世紀初頭、ヴァイキングのヴァイキングの侵攻に揺れるイングランドを舞台に、ヴ愛する者を奪われた隻眼の少年・ルークがヴァイキングに壮絶な戦いを挑む、歴史バイオレンスアクションであります。二頭の狼を連れ、「戦狼(ヒルドルヴ)」と呼ばれることとなったルークの戦いの行方は……

 ヴァイキングの侵攻と、イングランド王家の報復の板挟みとなっていた北イングランドの小村で見つかった少年・ルーク――兄弟同然に育った二匹の狼と共に村の牛を襲っていたルークは、村の神父クロウリーに保護されることになります。
 慈愛に満ちたクロウリーの下で暮らし、村の人々と触れ合ううちに、人間性を取り戻していくルーク。しかし、イングランド王のヴァイキング虐殺の報復を命じられたヴァイキング・「白髪」のエイナルの軍勢が、村を襲います。

 深手を負ったクロウリーを助けようとするも、エイナルに眼前で彼の首を落とされ、自らも片目を潰されたルーク。
 それから十年、本格的な侵攻を始め、イングランド各地を制圧するデンマーク王・スヴェンの軍――しかし復讐に燃えるルークは白髪の男を求めてヴァイキングたちを次々に襲撃、壊滅させていくのでした。

 やがて二匹の狼を連れた隻眼の男――オーディンを彷彿とさせるその姿に、「戦狼(ヒルドルヴ)」と呼ばれるようになったルーク。その前に、ついに「白髪」のエイナルが現れることに……


 エンターテイメントの世界でも、様々な作品に登場してきたヴァイキング。北欧というルーツや、海を越える勇猛な戦士というイメージなど、大いにロマンをかき立てられる存在であり、こうして題材になるのも納得できるものがあります。
 とはいってもそれはあくまでもヴァイキング側に立っての見方――ヴァイキングの侵攻を受ける側としては、とてもロマンなどとは言っていられなかったことは間違いありません。

 本作はその侵攻を受けた側、つまりイングランド側の視点から描かれた、比較的珍しい作品であります。舞台は十一世紀初頭、「双叉髭王」の異名を持つデンマーク王・スヴェンがイングランドを掌中に収めた時代――その歴史の陰で繰り広げられた「戦狼」と呼ばれる男と「白髪」の男の激突を中心に、物語は展開していくことになります。

 異常な力を持つ主人公が、慈愛に満ちた人間に育てられることによって一度は人間らしさを得るも、その恩人を無惨に殺されて復讐鬼と化す――本作で描かれるのは、復讐ものの一つの定番パターンではありますが、この史実と重ね合わせることで、凄まじい迫力と臨場感を持って感じられます。
 そしてその復讐鬼たるルークが、ヴァイキングたちの主神というべきオーディンと擬えられる運命の皮肉も巧みであります。

 しかし本作のさらに巧みな点は、ルークの復讐のターゲットであるエイナルの存在でしょう。冒頭から憎むべき鬼畜ぶりが存分に描かれるエイナル――しかし詳しくは伏せますが、この巻の後半で描かれる彼の壮絶な過去は、実はエイナルとルークが、ある意味同質の存在であることを示すのです。
 もちろん、だからといって彼の所業が許容されるものではありません。しかし同質の存在だからこそ、エイナルとルークの激突は、血生臭さだけでなく、どこかやるせなさを感じさせるのであります。
(そして出自を考えると、彼はあるいは後の――という予想もできるのですが、そうするとこの先の物語は……)


 とはいえ、まだ復讐劇は始まったばかり。はたして復讐されるのは、復讐するのは誰なのか。そして舟葬――ヴァイキングにとっての名誉ある葬儀で送られるのは誰なのか。この先描かれる物語が気になります。


『オーディンの舟葬』第1巻(よしおかちひろ コアミックスゼノンコミックス) Amazon

|

2023.12.06

『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』(その三)

 青柳碧人のユニークな大正ミステリ短編集の紹介の最終回であります。他の作品と些か趣向が異なるラストの中編で描かれるものとは……

「遠野はまだ朝もやの中」
 故あって早朝に住んでいた家を飛び出して来たところで、褌一丁に赤ら顔でわけのわからないことを呟く老人と、黒ずきんに黒い箕で面白い話を聞かせろという男と出会った花子。
 遠野に伝わる天狗とざんだ坊主と出会ってしまったと震え上がる花子ですが、ざんだ坊主は、花子が語った河童の話を面白がりつつ、思わぬ解釈をしてみせるのでした。さらにそれを聞いた天狗までもがそこに加わり……

 題名の通り、遠野を舞台に展開する本作は、自身が昔話から飛び出してきたような二人の異形の男が、昔話の真実を推理するという趣向の物語。前々回の冒頭に述べたように、最近の作者は昔話を題材としたミステリを得意としていますが、それを実在の人物を探偵役にして描いてみせるのが本作の楽しいところであります。

 二人の探偵役が何者なのか――それはここでは伏せますが(わかる方は、作品を読めばすぐに気付くことでしょう)、その顔合わせの妙もさることながら、そこからこの時代に大きく発展した科学の目の大切さを語るスタンスは、本書ならでしょう。
 しかしそこの先に待ち受けている結末とは――終盤に登場するもう一人の人物に相応しい一ひねりにニヤリとさせられます。


「姉さま人形八景」
 昭和三十一年、東京のデパートで、山下清の展覧会を観覧することになった平塚らいてう。特に展覧会に興味はなかった彼女ですが、二人の着物姿の女性が海を眺めている貼り絵に不思議な印象を受けることになります。
 そこでらいてうと対面した清は、二人の着物に使っている千代紙は、もともと姉さま人形に使われていたものだと語ります。人形を手にしたとき、この絵の光景が浮かんできたのだと語る清ですが……

 本書の最後の作品である本作は、全体の二割以上を占める中編であり、様々な趣向が凝らされた物語であります。その最たるものは、章番号が八から始まり、以降七、六と減っていくのと合わせて、作中の時間が遡っていくことでしょう。
 そんな構成の物語の中心となるのは、清が作品の材料に使い、らいてうに不思議な感銘を与えた姉さま人形の来歴であります。本作はその来歴を探るという点では一種のミステリではありますが、しかし探偵役がいるわけではなく、物語はいわば神の視点から、人形が辿る、いや人形を手にした人々の数奇な運命を語るのです。

 その人々の名は? それを一人一人挙げるのは本作の興を削ぐことになりますので避けますが、いずれも女性であり、そして必ずしも幸せな運命を辿らなかった――特にその人生の結末において――者が大半を占めるということは述べてもよいでしょう。
 実に本書に収録された作品は、ここまで基本的にハッピーエンドであり、大正という時代を肯定的に描いたものが大半であったといえます。それが本作において、初めて負の側面を――幸せとはいえない人生を辿った者の姿を描くことになるのです。

 しかしそれでも本作の描こうとするものは、本書の他の作品と異なるものではないことが、結末において――再び「八」に戻った時に、語られることになります。仮に不幸な結末、思うに任せない人生を辿ったとしても、それは明治までの時代には得られなかったもの、大正という時代において初めて得られたものであったと――彼女たちは大正という時代で、自分自身の生き方を見つけたのだと語ることによって……
 ラストのらいてうと清の会話で語られる、ある有名な言葉は、彼女たちの輝かしい生き様を示すものといってもよいでしょう。

 明治には望んでも得られなかったものに殉じた者たちの姿を、昭和の世から遡って見つめ直す――それによって大正という時代の輝きを捉えてみせた本作は、ミステリというよりも、多分にに歴史小説というべきだと感じられます。
 実在の人物を用いたフィクションという形で、大正という時代を浮き彫りにしてみせた本書の掉尾を飾るに相応しい物語であります。

(といいつつ、結末につけられるオチにひっくり返ったりするのですが……)


『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』(青柳碧人 KADOKAWA) Amazon

|

2023.12.05

『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』(その二)

 青柳碧人による、実在の有名人たちを配置して描く大正ミステリ短編集の紹介、第二回であります。

「都の西北、別れの歌」
 学生時代におかしな縁で知り合い、大変世話になった島村抱月が亡くなったと知った吉岡信敬。芸術座の二階にある居室で亡くなった抱月の遺体を一階の舞台に降ろそうとした信敬は、舞台の上手に建築意図が不明の階段があることを知ります。
 なんとかその階段を使って遺体を下ろし、葬儀準備を進める信敬は、舞台の下手のこれも不思議な位置に、小さな引き戸があることに気付くのですが……

 本作の探偵役は、横田順彌の明治ものでお馴染みの、早稲田の応援隊長――バンカラやじひげ将軍こと吉岡信敬。バンカラの権化のような信敬ですが、人間的には正反対の抱月と交流があり、そして抱月の愛人である松井須磨子ともかつて出会っていたことから、抱月と芸術座劇場にまつわる「謎」に関わることになります。

 はたして階段は、窓はなんのためにあるのか? そこに信敬が見出した精神は、早稲田出身者であればよく理解できると思うのですが(作者も早稲田出身)――その推理をひっくり返して、ある意味極めて現実的な解を示す松井須磨子の言葉は(彼女の早稲田人評が極めて的確なこともあって)何とも言えぬほろ苦さと切なさを残します。


「夫婦たちの新世界」
 妻である自分に比べて、最近パッとしない鉄幹を元気付けるため、最近できたばかりの新世界に連れ出した与謝野晶子。しかし鉄幹が昔の女の話をしたのに怒った晶子は、一人、新世界上空を渡るのロープウェーに乗ることになります。
 しかしそのロープウェーが事故で止まり、宙ぶらりんとなったことを知って駆けつけた鉄幹は、園内で出会った青年から、ある事実を聞かされることに……

 社会進出等、女性の自立性の点で大きな変化があった大正時代。しかしそうであっても女と男がいるのが世の中、そこにギャップが生まれるのは不可避であります。本作はそんな自立的な女性の先駆けというべき与謝野晶子とその夫・鉄幹をはじめとする夫婦たちを通じて、その姿を浮き彫りにします。

 ミステリとしてはロープウェーが宙吊りとなった出来事のホワイダニットを描くものですが、その謎と上で述べた夫婦たちの絡め方も実にユニークです。
 そしてもう一つ、ユニークといえば、本作の探偵役――ボーイスカウトの制服を着た青年社長の正体にも驚くと同時に、不思議に納得されられるのです。


「渋谷駅の共犯者」
 週に一度、帝大の農事試験場で研究を行い、帰りに渋谷駅で愛犬のハチ公に迎えられるのが習慣だった上野英三郎。しかしある日、彼は渋谷駅で研究資料を奪われ、駅員の証言から、スリの仕業が疑われるのでした。
 スリのことはスリと意見を求められたのは、巣鴨刑務所に服役中の仕立屋銀次――英三郎に面会を求めてきた銀次は、幾つかの質問の末に何事かに気付いたようで……

 近代農業土木学の開祖である上野英三郎――現代ではむしろ渋谷の忠犬ハチ公の飼い主として記憶されているかもしれないこの人物を中心とする本作の探偵役は、なんと日本一のスリの大親分として知られた仕立屋銀次であります。
 様々な実在の人物の顔合わせを描く本書の中でも、その意外性という点では随一ですが――しかし銀次は当時服役中、その状態から英三郎の言葉だけで真相を推理する、いわば安楽椅子探偵を務めるというのですから、二重に驚かされます。

 しかし本作の真の驚きは結末に待ち受けます。本作の題名である「共犯者」とは誰なのか――爽快さと微笑ましさすら感じられるどんでん返しに驚嘆すると同時に、その先の史実に切ない思いを抱かされる、そんな佳品であります。


 次回、最終回に続きます。


『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』(青柳碧人 KADOKAWA) Amazon

|

2023.12.04

『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』(その一)

 つい先日、第六回細谷正充賞を受賞したユニークなミステリ、大正時代を舞台に、実在の有名人が探偵役を務める作品を中心とした全八話の短編集であります。様々な事物が大きく変化していった大正時代、そこに生きた人々が見たものは……

 青柳碧人といえば、『浜村渚の計算ノート』シリーズ、最近では『むかしむかしあるところに、死体がありました』の昔話シリーズと、ユニークな趣向のミステリを得意とする作家という印象があります。
 本作も、大正時代を舞台に、有名人を探偵役にしたミステリという点では極めてユニークではありますが、一種の時代伝奇ものとしても、あるいは歴史小説としても読み応えのある作品が収録されています。

 収録された全八編は基本的に全て独立した作品ですが、それぞれに魅力的な作品であるため、一作ずつ紹介させていただきます。


「カリーの香る探偵譚」
 岩井三郎の探偵事務所に、探偵志願で乗り込んできた学生・平井太郎。国外追放処分になりながら行方をくらまして話題となっていたインド人活動家・ボースの行方はどこか、という課題を出された平井は、三日でボースを探すと飛び出していくのでした。
 インド人といえばカレーと、最近何故か店からカレーの香りがするようになった新宿中村屋に潜入する平井ですが……

 本作は平井太郎――後の大作家が、日本で姿を消したインドの独立運動家ボースの行方を追う一編。その知名度や作風のためか、日本で有名人が探偵役を務める作品に登場する率がかなり高い人物が主人公だけに、どんな謎解きが展開されるのか、冒頭から胸躍ります。
 といっても本作は、一種の素人探偵もの――素人が見当違いな推理で事件に首を突っ込んで周囲を混乱させる――といった味わいで、大いに事態をかき回してくれます。

 ところが史実を知る者にとっては、「おや?」という展開になるのですが――ここで本作の巧みな仕掛けが機能します。史実を活かしつつも、ミステリとしても捻りを加えた、本書の巻頭に相応しい一編であります。


「野口英世の娘」
 若き日の米国滞在中に知り合い、意気投合した星一と野口英世。帰国して実業家として大成した一は、医学者として名を上げた英世の帰国費用を出して迎えることになります。
 しかし帰国した英世の前に現れたのは、彼の娘を名乗る少女。かつて英世と一夜を共にした女の子供だという少女が騙りではないかと疑い、素性を調べる一ですが……

 星新一の父であり、日本の製薬王と呼ばれた星一が、野口英世と親交があったことは、意外と知られていないのではないでしょうか。一方、英世が、かなり破天荒な人となりであったことは、こちらは比較的知られているかもしれません。
 本作はそんな二人の史実を踏まえて描かれる物語。まあ英世であれば隠し子がいてもおかしくなさそうですが、その真偽を見破るというのは、この時代ならではの難題でしょう。その難題が、とんでもないところから解決する展開が愉快であります。

 結末は、一見甘いように見えるかもしれませんが――一と英世の過去が、新たな未来への希望に繋がっていく結末は、爽やかな後味を残します。


「名作の生まれる夜」
 「赤い鳥」創刊のための作品集めに奔走する鈴木三重吉。芥川龍之介に声をかけた三重吉は、はかばかしい反応を見せない龍之介の気を引くため、自分の家の近所で起きた出来事を語ります。
 二年間磨き清めた檜の板に願い事を書いて奉納すれば、願い事が叶うという神社。恋に悩んでいた男がこの神社に願ったところ、男が世話していた亀の弔いをしたことがきっかけで、恋が実ったというのです。しかし話を聞いた龍之介は、意外なことを言い出し……

 分量的には本書の中で最も少ないものの、ミステリとしての完成度としては、最も高いのではないかと思われる本作。
 日本の児童文学を語る上で欠かすことができない「赤い鳥」誕生前夜を舞台に、日常の謎――というより、身近のふとした出来事の中に、ある種の人間心理の存在を見て取る芥川龍之介の鋭い視線は、まさに名探偵というに相応しいものでしょう。

 この推理がある名作に繋がって――という趣向も(定番とはいえ)楽しく、本作のタイトルが、本書のそれのベースとなったであろうことも納得の名品であります。


 次回に続きます(全三回予定)


『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』(青柳碧人 KADOKAWA) Amazon

|

2023.12.03

楠桂『鬼切丸伝』第18巻 美しく とても美しく 美しすぎる姫が招く鬼

 鬼を斬るために永遠をさすらう鬼切丸の少年を通じて、人の歴史の陰の部分を描く『鬼切丸伝』の最新巻は、美しすぎる姿が周囲に不幸を招く姫、妻への愛のために千人斬りを志す男、人々のために起った義民を襲う悲劇――三つの物語が収録されています。

 この世で唯一鬼を斬ることができる神器名剣・鬼切丸を振るう名のない少年――彼が様々な時代で出会う鬼と、様々な人の愛憎の姿を描く本作。
 この巻の冒頭の「鬼観音初音姫」は、戦国時代の伝説の姫、九鬼澄隆の娘である初音姫にまつわる物語であります。

 生まれついて周囲の者を惹きつけずにはおかない美しさを持ち、結婚を求める者が引きも切らなかった初音姫。そんな彼女には、越賀玄蕃允という相思相愛の相手がおりました。
 しかし玄蕃允は九鬼家にとっては敵方、父の決めた相手に嫁がされそうになったのを拒んだ初音は、城に幽閉されることになります。己の美しさが不幸を招いたことを嘆いた彼女は、以後はこの地に美しい女が生まれないようにと願いながら、井戸に飛び込んだ……

 概略このように伝わる初音姫の伝説。本作もそれをほぼ敷衍しているのですが――作中で逃げる初音に斬りつけた相手の刀が、逸れて地蔵の首に当たるのも伝説通りであります――しかし本作で「美しく とても美しく 美しすぎて」と現される初音姫の存在感は、伝説を遙かに上回るものといえます。
 何しろその美しさは無自覚に周囲を惑わせ、彼女を守ろうとするあまりに周囲の者が鬼と化すほどなのですから。

 もちろんそんな初音の存在を、少年が放っておくはずがありません。作中で触れられるように、これまでその美によって、無自覚に鬼を生み出す者はおりました。あるいは、自分は無垢のまま、人を追にに変える者もいました。
 初音もそんな存在と見做して、命を絶とうとする少年ですが――しかし初音姫の場合は、それとはまた異なる、そして桁違いの力を持つ存在であるといえます。あの、人間も女も嫌いな少年が、思わず言うことに従いそうになるのですから、尋常ではありません。

 そんな彼女が自ら命を絶つのは、その絶望ゆえですが、実はここまでが前編。本作の愛読者であれば予想がつくと思いますが、彼女が死の際に残した願いは強固な呪いと化し、この地に更なる災いと悲しみを招く模様が、後編で描かれることとなります。
 その呪いの有り様たるや、実に本作らしいというべきか作者らしいというべきか――その残酷さには、胸が痛むほどであります。

 正直なところ、後編の結末はかなり甘いようにも思われるのですが、しかし怪異としての己と初めて向き合った初音姫の姿は確かにこの上なく美しく、そこに一つの救いを感じるのです。


 また、辻斬りにあって死んだはずの妻から、千人を斬れば自分は蘇生できると告げられた男が、辻斬りの鬼と化す「辻斬り鬼願」は、江戸時代に実在したらしい辻斬りを題材としたエピソード。
 物語自体はシンプルに見えますが、終盤にガラリと全ての構図が変わる展開が巧みであります。

 一方、ラストの「佐倉鬼義民伝」は、千葉県民であれば誰もが知っている(?)佐倉惣五郎伝説を題材としたエピソードです。
 領主・堀田正信の苛政を将軍に直訴した末に妻子ともども処刑された惣五郎が、怨霊と化し、ついには正信を狂わせて藩を滅ぼした――という伝説自体が、既に祟りの物語であるわけですが、本作ではそこに鬼の存在を絡め、新たな物語を描き出します。

 本作に登場する、惣五郎の叔父であり、鬼と化して修羅道に堕ちた者すら成仏させる高僧・光善和尚――しかし、惣五郎一家の処刑に際し、この少年すら驚かせた高僧が抱いた絶望が、物語をさらに苦いものに変えていくことになります。
 同じ生者が変じた存在であっても、既に人ならざる存在である鬼と、あくまでも人である怨霊は、本作では明確に区分された存在ですが――それを踏まえた皮肉極まりない結末も印象に残るエピソードです。


 連載の方はついに百話を数えたとのことですが、歴史に鬼の種は尽きまじ――はたして現代に辿り着くまでに、少年がどれほどの鬼と出会うのか、まだまだ見守る必要がありそうです。


『鬼切丸伝』第18巻(楠桂 リイド社SPコミックス) Amazon

関連記事
楠桂『鬼切丸伝』第8巻 意外なコラボ!? そして少年の中に育つ情と想い
楠桂『鬼切丸伝』第9巻 人でいられず、鬼に成れなかった梟雄が見た地獄
楠桂『鬼切丸伝』第10巻 人と鬼を結ぶ想い――異形の愛の物語
楠桂『鬼切丸伝』第11巻 人と鬼と歴史と、そしてロマンスと
楠桂『鬼切丸伝』第12巻 鬼と芸能者 そして信長鬼復活――?
楠桂『鬼切丸伝』第13巻 炎と燃える鬼と人の想い
楠桂『鬼切丸伝』第14巻 鬼切丸の少年に最悪の敵登場!?
楠桂『鬼切丸伝』第15巻 鬼おろしの怪異、その悲しき「真実」
楠桂『鬼切丸伝』第16巻 人と鬼、怨念と呪いの三つの物語
楠桂『鬼切丸伝』第17巻 深すぎる愛が生み出した鬼たちの姿

|

2023.12.02

ジェイムズ・ラヴグローヴ『シャーロック・ホームズとサセックスの海魔』 邪神大決戦! ホームズ最後の挨拶

 あのシャーロック・ホームズがクトゥルー神話の邪神と対決するクトゥルー・ケースブックの完結編であります。時は流れ、サセックスで隠退生活を送るホームズ。しかし突然の悲報に、彼は再び起つことになります。ドイツ人スパイの暗躍と、宿敵の再来と――死闘の末に、彼が選んだ道とは?

(以下、本作を含めたシリーズ全三作の内容に触れますのでご注意ください)
 名探偵シャーロック・ホームズの生涯は、実はクトゥルー神話の邪神との戦いに捧げられたものだった。かのホームズ譚は、そのカムフラージュのために、相棒であるワトスンが記したものだった――という、大胆極まりない設定で展開してきたクトゥルー・ケースブックシリーズ。
 その第一作『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』では、出会ったばかりのホームズとワトスンが邪神の存在を知り、ナイアーラトテップの力を操るモリアーティ教授と対決する姿が――そして第二作『シャーロック・ホームズとミスカトニックの怪』では、その十五年後、一人の精神病患者の失踪をきっかけに、邪神ルルイログに変じたモリアーティとの戦いが描かれました。

 そして第三作にして完結編の本作で描かれるのは、第一作から三十年後、数々の戦いの末に邪神の勢力をある程度押さえ込み、サセックスに隠退したホームズの姿であります。
 冒頭、久々に訪ねてきたワトスンとともに、邪教徒の陰謀を粉砕したホームズ。しかしその直後に飛び込んできたのは思わぬ悲報――あのマイクロフトの死の知らせでした。

 錯乱した様子でホームズに電話した直後に、飛び降り自殺したとおぼしきマイクロフト。それだけでなく、マイクロフトと共に邪神の脅威に立ち向かっていたダゴン・クラブの構成員たちが、皆謎の死を遂げたことを知ったホームズは、執念の捜査で事件の影にドイツ人スパイ、フォン・ボルクがいることを突き止めるのでした。

 そしてボルクとの対決の末、その背後で糸を引くドイツ大使フォン・ヘルリングの元に乗り込んだホームズとワトスン。しかし二人は、罠にかかった末、かつてのイレギュラーズ――蛇人間に引き渡されることになります。
 大きな犠牲を払いながらも辛くも窮地を脱し、サセックスに戻ってきた二人。しかしそのサセックスでは、土地に伝わる伝説の海魔が霧の夜に出現し、既に三人の女性が攫われたというではありませんか。

 海魔の出現を待ち伏せし、その正体を暴いた二人。しかしそれは、二人を待ち受ける新たな、そして最後の苦闘の幕開けに過ぎなかったのでした……


 ホームズが晩年にサセックスに隠退し、養蜂生活を送った――これはいうまでもなく、聖典の「最後の挨拶」等で描かれたものであります。ボルク、ヘルリングと、本作の下敷きとなっているのはこの「最後の挨拶」ですが――しかし本作の内容は、そこから大きく離れた、奇怪なものであることは言うまでもありません。
 実は上で述べたあらすじは、全体のほぼ半分辺りまで。そこからの物語は、予想だにしなかった(しかしラヴクラフトのある作品を連想させる)場で展開し、そして全編のクライマックスに相応しい地に至ることになります。

 正直なところ(これまでのシリーズ同様)ホームズが名探偵として推理を働かせるシーンはそれほど多くなく、また、魔術ではなく推理で怪異に立ち向かって欲しかったという想いは強くあります。
(特にボルクに対してのあれは、場合が場合とはいえ流石に嫌悪感が……)

 とはいえ、絶望的なまでに強大な敵を前にした絶体絶命の状況から、ほんのわずかなひらめきから逆転してみせるのは、邪神の脅威に対する人間の叡智の勝利の姿を描いたものとして、実に痛快というほかありません。
 特に本作で死命を決したものは、ある種の人間性というべきものであり――大きな皮肉と、幾ばくかの切なさを感じるそれは、物語の締めくくりとして印象に残ります。

 そしてクライマックスで繰り広げられる大激闘や、結末に待つオチなど、作者は本当に好きなのだなあと、何だかんだ言いつつ、すっかり嬉しくなってしまうのです。


 シリーズがここで完結するのは、寂しいところではありますが、やむを得ないことでしょう。見事な大団円――最後の挨拶であったと思います。
 そして、実はシリーズには今年出たばかりのスタンドアローン長編があるとのこと(大丈夫だったのかラヴグローヴ)。おそらくは邦訳されるであろう同作を、楽しみに待ちたいと思います。


『シャーロック・ホームズとサセックスの海魔』(ジェイムズ・ラヴグローヴ ハヤカワ文庫FT)

関連記事
ジェイムズ・ラヴグローヴ『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』 名探偵、ロンドンに邪神の影を追う
ジェイムズ・ラヴグローヴ『シャーロック・ホームズとミスカトニックの怪』(その一)
ジェイムズ・ラヴグローヴ『シャーロック・ホームズとミスカトニックの怪』(その二)

|

2023.12.01

安達智『あおのたつき』第12巻 残された二人の想いと、人生の張りということ

 ついに電子書籍と紙の書籍が同時発売となり、絶好調の『あおのたつき』、この第12巻のメインとなるのは、あお=濃紫が亡き後に現世に残された人々の物語。濃紫に恋していた幇間の猪吉と、その猪吉に恋する濃紫の同輩・夕顔。すれ違う想いの行方は……

 かつて吉原の三浦屋にその人ありと知られながらも、生き別れの妹を救おうと逸った末に、間夫の権八の手にかかって命を落とした濃紫。妹に対するわだかまりを抱えた末に彼女が冥土の吉原で取った姿があおというわけですが――この巻のメインとなるエピソード「通い猫」では、彼女亡き後の吉原が舞台となります。

 密かに濃紫に恋し、時にはその足抜けをフォローしながらも、結局は彼女を救うことができず、死に至らしめてしまったことに深い悔恨の念を抱き続ける猪吉。一方、濃紫の同輩であり、最も彼女と近しい間柄だった遊女の夕顔は、密かに猪吉に想いを寄せていたのですが――それがもはや押さえきれなくなった末に、客を取れない状態になってしまうのでした。

 いまや三浦屋を背負う身の夕顔にやる気を起こさせるために、店に因果を含められた猪吉は、夕顔を床に入ることになるのですが……


 かつて恐丸の試練の中で明かされたあおの過去。それはどうにもやり切れない、あまりにも救いのないものでしたが――しかし彼女の死後も、苦界に身を置く者たちは生き続けなければなりません。
 今回描かれるのは、まさにそんな者たちの物語――それも、店の幇間と遊女の禁断の恋の物語であります。

 いうまでもなく、店の者(店に出入りする者)と遊女の色恋沙汰はきつい御法度。明るみに出れば制裁の対象となるものですが――しかし、禁じられたくらいで押さえられるはずもないのが恋の炎というもの。ましてや当事者の二人は、濃紫という故人を失い、大きな喪失感に苦しめられる者たちであります。
 といってもここで複雑なのは、二人の関係が、夕顔が恋する猪吉にその気はなく、猪吉が恋するのは亡き濃紫であるという、一種の三角関係というか、二重の一方通行であるということであります。

 それでももはや己の想いを隠すことなく滾らせる夕顔の姿には、これまで本作の中で描かれてきた数々のキャラクターの中でも、ある意味最も生々しいパワーを感じさせられる――というより、ただただ圧倒される、というほかありません。
 もはや行き着くところに行っても止まりそうにない――そしてその果てに待つのは、破滅しかない――と思われた夕霧。そんなを止めることができる人物はといえば、言うまでもないでしょう。

 己の想いと己の所業との板挟みになった果てに、冥土の吉原に迷い込んだ夕顔と、顔をつきあわせることとなったあお。
 そこで彼女が語る言葉は、ある意味その場しのぎなのかもしれません。しかし人生はその場その場の連続。そしてそれが長い人生に張りを与えるのであれば、それは一つの救いと言うべきでしょう。

 結局何一つ変わらない、変えられない、それでも――このエピソードのラストで夕顔が見せる粋で艶やかな姿には、重荷を背負いながら、それでも立つ人間の張りが感じられます。
 吉原を舞台とする本作において、最も現世に近かったエピソード――異色作であると同時に、本作らしい物語であったと感じます。


 この巻にはその他に単発エピソードとして、冥土の吉原の盆祭りを舞台に、亡き祖父を探して現世から迷い込んでしまった幼子を描く「誰そ彼縁日」を収録。
 幼子の微笑ましいわがままぶりや、祖父を慕う姿だけでなく、盆祭りに駆り出される廓番衆の姿が何とも微笑ましい、ホッと一息つけるエピソードであります。

 そして巻末には長期連載名物というべきか、登場キャラクターの人気投票結果を掲載。第一位はなんと――なのですが、記念漫画で描かれる姿が何ともはや……
 そういえば以前もこんな姿が描かれたことがあったような気もしますが、いやはや普段から物語の緊迫感を和らげてくれる存在だけに、ここでもしっかりその役目を果たしているというべきなのかもしれません。


『あおのたつき』第12巻(安達智 マンガボックス) Amazon

関連記事
安達智『あおのたつき』第1巻 浮世と冥土の狭間に浮かぶ人の欲と情
安達智『あおのたつき』第2巻 絢爛妖異なアートが描く、吉原という世界と人々の姿
安達智『あおのたつき』第3巻 魂の姿・想いの形と、魂の救い
安達智『あおのたつき』第4巻 意外な新展開!? 登場、廓番衆!
安達智『あおのたつき』第5巻 二人の絆、二人のたつきのその理由
安達智『あおのたつき』第6巻 ついに語られるあおの――濃紫の活計
安達智『あおのたつき』第7巻 廓番衆修験編完結 新たな始まりへ
安達智『あおのたつき』第8巻 遊女になりたい彼女と、彼女に群がる男たちと
安達智『あおのたつき』第9巻 「山田浅右衛門」という存在の業
安達智『あおのたつき』第10巻 再び集結廓番衆 そして冥土と浮世を行き来するモノ
安達智『あおのたつき』第11巻 二人のすれ違った想い 交わる想い

|

« 2023年11月 | トップページ | 2024年1月 »