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2023.12.12

井上祐美子『長安異神伝』 天界の快男児、地上の魔を討つ

 日本の中華ファンタジーの大先達の一人である井上祐美子がデビュー直後に発表した、代表作の一つであります。唐は二代皇帝の時代、長安を騒がす怪事件に挑むのは、硬骨の老廷臣と、謎めいた美丈夫――やがて物語は天界にまで繋がり、唐朝の命運を賭けた戦いが繰り広げられることになります。

 李世民が二代皇帝となった玄武門の変から十年余りが経過した頃、長安のあちこちで見つかる血しぶきの痕。道教と縁浅からぬ縁を持つ諌言大夫の魏徴は、何者かが皇帝を狙う呪詛ではないかと調べを始めたものの、逆に讒言によって謹慎を余儀なくされることになります。
 それでも調べを続ける魏徴は、血の痕が北斗七星の形をなぞっていると見抜き、次の事件が起きると思しき歓楽街に足を運ぶのですが――その前に姿を現した一人の青年の姿に、魏徴は大いに驚くことになります。

 任侠とも浪人とも見える風体ながら、不思議な威厳と魅力を持ち、朝廷の高官である魏徴とも対等に語る青年。二郎と名乗るこの美丈夫は、夜の町で小男から変化した奇怪な化け物をあっさりと叩きのめしてみせるのでした。
 気楽に暮らしていたところを「叔父」の命を受け、事件解決にやってきたという二郎。居候として魏徴の屋敷に堂々と居座る二郎は、魏徴の周囲に内通者がいると見て、調べを始めます。

 そんな中、内通者の疑いがある人物の娘で、儚げな美少女である翠心が、何者かに襲われていたところを救い出した二郎。しかし彼女の存在は、事件に意外な形で関わり……


(以下、物語の核心に触れる部分があるのでご注意下さい)

 というわけで、武侠ものではなく伝奇もの、志怪ものといった味わいの強い本作。舞台は現実の(と言ってよいのか迷いますが)長安、登場人物のうち魏徴は実在の人物であるものの、妖怪や神仙が作中を飛び回る自由な物語世界が展開されていきます。

 そもそも、主人公の青年・二郎からして実は超有名人の大物。この方面がお好きな方であれば、その名前だけで予想がつくことと思いますが、彼の正体は顕聖二郎真君――道教の武神であり、『西遊記』では地上で暴れまわる孫悟空を激闘の末に捕らえ、『封神演義』では楊ゼンとして太公望を助けて活躍した、中国では馴染み深い神であります。

 しかしそれはもちろん中国でのこと、日本ではマニア以外にはそこまで知られていなかった(本作の初版の刊行は1991年、安能務版の『封神演義』の刊行が1988年ということを思えばかなり早い)二郎真君を主役に据えての大活劇というのは、これはそのキャラクターのチョイスに感心するほかありません。
(ちなみに神仙絡みとしてはもう一人、本作のコメディリリーフとして大活躍する東方朔のキャラ立ちも実に楽しい)


 しかし本作の場合は、そうした神仙たちの活躍だけに留まらない、地に足のついた物語を描いていることにも注目すべきでしょう。

 その特徴の一つは、本作の舞台である長安の描写であります。当時世界有数の大都市であった長安――中原からだけでなく、洋の東西を問わず世界各地の人間が集うこの街の姿を、本作は緻密に、そして美しく魅力的に描き出します。
 本作の冒頭に描かれる夕闇迫る姿、そして人気がなくなった夜の闇の中の姿――本作で描かれる長安の様々な顔は、物語の舞台が遠く離れた天界ではなく、あくまでも我々の世界であることを、強く印象付けます。

 そしてまた、そこに暮らす人間たち――老若男女、善人悪人入り乱れた姿をも、本作は描きます。そしてそんな人間の代表が、魏徴であることは言うまでもありません。
 本作では実は人界と天界の両方に足場を持つ魏徴(この設定は『西遊記』に由来していると思われます)ですが、しかしあくまでもそのメンタリティは人間のもの。人間としての喜怒哀楽を顕わにし、そして人間として魔に立ち向かうその姿は、本作が神仙を主人公にしつつも、同時に人間の物語でもあることを教えてくれるのです。

 そしてそんな長安に暮らす魏徴のような人間たちがいるからこそ、二郎は仙界に命じられたからではなく、己の血の半分が人間だからというだけでなく、人界の命を守るために戦ってくれるのだと信じられるのです。


 長安を守る、常とは些か異なる神仙の物語――『長安異神伝』は全五作七巻。続く物語も、いずれご紹介いたします。


『長安異神伝』(井上祐美子 中公文庫) Amazon

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